わたしの木
エッセイ集『たから箱庭』より。
自主企画 ツキイチ! 3月号 2020年3月1日配信
今日は、お父さんといっしょに学校の記念樹を植えた。ラズベリーだ。もともと私は、木はも植える所がないし注文するつもりがなかった。ただ、注文カタログを見た時、実しか写真に写っていなかったし、実が木いちごみたいだったので
「いちごの仲間かな?」
と思い、木だと知らずに買ってしまった。そのため、初めてラズベリーを見た時、
「え? 木を注文したしたっけ?」
と不思議に思った。
「そういえば、名前にベリーが付くからブルーベリーの仲間なのかも」
と考え、やっと納得した。そういうかん違いが元で買った木だけども、
「自分の木が在るってうれしいなぁ。いちごなんかよりずっと存在感が在るなぁ。」
と思った。私は、
「この木はどれくらいで実がなるのかな? かきみたいに8年だったら気の長い話になるんだな。」
と思い、大変な予感がするけど、自分の木だし、実がなる様にちゃんと育てよう! と心にちかった。
◇ ◇ ◇
これは、私が小学六年のときに実際に書いた日記です。押し入れを漁っていたら、昔の日記が出てきたので、ぱらぱらと捲って読んでいました。そのときに、一番印象に残ったのがこのラズベリーの木の話だったのです。
うちの学校は卒業の記念にカタログから木を選んで注文する風習があります。まぁ、木という大げさなものじゃなくて、鉢植えの細い木なんですけどね。この日記を見る限りだと、私は自分の木ができたことに大喜びしているようです。
『自分の木がある。自分だけの木がある。私が私のために選んだ木』と、過去の自分が言っているような気がして、なんだかとても気になったお話だったので、今回とりあげてみました。このエピソードのせいなのか、私は今でもラズベリーが大好きです。元々、ベリー系の果物が大好きなのですが、ラズベリーは一頭好きなのです。
ちなみに、使っている漢字や誤字脱字はそのままの形で載せてあります。うーん、読み返してみると相変わらず理屈っぽいですね。自分の中で脳内会議開いて納得するまで行動できないところとか。
柿のくだりは『桃栗三年、柿八年』を知ってるよ! っていう知識アピールかな?
今でこそ、『これこれこういう話が書きたい! 資料集めなきゃ! 本買おう! これも、これも欲しい! 入りきらないから今度は本棚が欲しい』という創作大好きで物欲が有り余っている私ですが、昔の私はあまり物欲がなく、両親にあまり物をねだることのないおとなしい子供でした。遠慮していたとかではなくて、本当に欲しいものがなかったのです。慎重派の私は、いつでも誰かが楽しんでいるところを見て、本当によいものか判断してから真似して同じものを親にねだって買ってもらう、という子供でした。特にその特徴が現れているのがゲーム。友達が持っているから、友達のうちでプレイさせてもらって楽しかったから。本当の意味で衝動的に買ったタイトルは数えられるほどしかありません。
そんな私が自分で選んで買ったもの。私だけの木。そんな感動が日記から伝わってくるようでした。小学六年生のとき、私は11歳。そろそろ大人の目が気になってくるころです。この頃の日記は
「○○で失敗した。次からは頑張ろうと思った」
「春休みの目標を立てた。達成できるように努力しようと思う」
のような、いわゆる大人が喜びそうな文章を書き連ねているものが多く、『あぁ、大人になっていってるな』と少し寂しいような複雑なような気持ちになっていたのですが、このラズベリーの木の話だけは光を放っているように私には思えてなりませんでした。
え? その後ラズベリーはどうなったかって?
確か……実をつけることはつけたのです。しかし、所詮小さな鉢植えの中で育てたラズベリー。のびのびと野生で育ったものとはわけが違います。数個だけ実をつけて私の口も目もあまり楽しませることなく枯れていってしまいました。まぁ、現実とはそんなものでしょう。
しかし、ネリ。あなたはこれから果てしない人生を歩んで行くのです。あなたを馬鹿にした男子や、心無い言葉をかけてくる女子とは全く違う道を歩くことになります。あなたにはあなただけの道があるのです。あなたが選んで手にしたあなただけのものがたくさんあるのです。
私は今、とても幸せです。あまり健康には自信がないけれど、私はこの道を選んでよかった。人より苦労して、切り立った崖を登ったり、底の見えない細い道を歩いたり。あなたはいつも難しい道ばかりを選びます。あなたはそういう人間です。しかし、いつだって支えてくれる人がいます。あなたは一人ではありません。
あなたとあなただけの木はとてもよく似ていて、決してたくさん実をつける華やかな木ではありません。でも、決して枯れることはありません。
だから、安心して頑張って大丈夫。
小学校、卒業、おめでとう。
わたしの木