きえたくれよん

エッセイ集『たから箱庭』より。
自主企画 ツキイチ! 8月号 2020/8/1 発行

 今日は『書くこと』ではなくて『描くこと』のお話をしたいと思います。意外かもしれませんが、私、実は幼稚園の頃の趣味は絵を描くことだったのです。いつだって自由帳にお絵かきをしていましました。私は文字なんて一文字も書かない子供でした。
 でも、いつからだったかあんなに大事にしていたクレヨンも画用紙もどこかに行ってしまった。捨てたのか、なくしたのか、もう思い出せません。今ではもう、イラストを描きたいと思うこともなくなりました。あの頃の楽しい気持ちは一体どこに置いてきてしまったのだろう。これで本当によかったのだろうか……

幼稚園のときの私の絵を見ると、とても子供らしく実にのびのびとしています。画用紙いっぱいに描かれたそれは、大人の目も引いたのでしょう。卒業式のアルバムの表紙を飾ったのは私の絵でした。大人になって親からそう聞かされました。先生もものすごく褒めていたと。私にはそんな記憶はありません。私が自分の絵に抱く感想と言えば今では『ただ恥ずかしい』。そんなマイナスの感情です。
 特に人間を描くことが恥ずかしい。恥ずかしくてたまらない。思い当たるのはたぶん『あの事件かな?』と思い当たる節があるのですが……まぁ聞いてください。小学校低学年の頃の私はまだ買ってもらった自由帳をすぐに数日でいっぱいにしてしまったり、図工の時間が楽しくて仕方がないくらいに絵を描くことが好きでした。幼稚園のときと変わらず画面いっぱいに友達と私が楽しそうに遊んでいる絵を描いて、教室に飾ってもらっていたことをうっすらと覚えているのです。

私が大好きだった自由帳遊びは、顔や手、服などパーツごとに数字をつけ何種類か用意して友達に『顔は1番、手は3番……』といった風に選んでもらい全身像を完成させる遊びです。これは自由帳を新しくするたびにやっていました。私はお世辞にも絵が上手いと言える子供ではありませんでした。たぶん、みなさんが想像する子供の絵と同じです。パーツのバランスなんてめちゃくちゃ。服の皺? なにそれ? おいしいの? それでも、あのときは楽しかったなぁ。

 私に転機が訪れたのはたぶん小学三年のとき。ちょうど思春期に入る頃のでしょうか。そう、『あの事件』です。
 この頃になると、みんな自分の意見をはっきり言う子が増えてきます。ゆえになんでしょう……討論会とか品評遊び? みたいなものが流行るのですよ。私は八方美人な性質だったので、相手を品評したり批判したり、意見を述べることさえ苦手でした。なので、このときもあまり乗り気ではなったような記憶がうっすらとありますが、女の子同士で絵を描いてそれを周りに評価してもらおう、みたいなことをいきなりやり始めたのです。周りの絵が上手だったのか、下手だったのか、覚えていません。ただ、言われたことだけはしっかり覚えています。
 『顔が大きすぎる』と。確かに、私の絵は画用紙いっぱい元気よく描いていたので顔が横長にすごく長かったのです。言われてみると、なんだかすごく気になりだします。あぁ、確かに私の描く人間は顔がでかいんだ。じゃあもっと小さくしよう。私も言った相手もまだまだ子供です。10歳にも満たない。批判と批評の区別もつきません。
しかし、そのとき私は自分自身がずっとやってきたことを全部否定されたような、そんな気持ちになりました。

 そのときから私の絵はすっかり変わりました。明らかに顔が小さくなりました。画面いっぱいに描くことがなくなりました。成長としては正しい成長かもしれません。しかし、私があののびのびとした絵を好んで描いている記憶はここで途切れています。単に記憶がないだけなのかもしれません。しかし、人間を描くことをやめたことだけは明らかでした。1年後にはすっかり人間を描くことに嫌気がさしていたのでした。

 時は過ぎ、私が小学校5年生のとき。私はシマというジャンガリアンハムスターを飼い始めました。初めてのまともなペットが嬉しくて、私の中で封印されていた絵心が火を吹き始めました。実は、私は人間を楽しく描いていたときから人外を描くことが好きでした。きいろい電気ネズミや卵形をしたゲームのキャラ、チョコボールのイメージキャラクターなどなど。毎日毎日紙いっぱいに描いていたっけ。それから私はハムスターばかり描いていました。図工の時間も、美術の時間も、テストの裏の落書きも。テストの見直しも放りっぱなしにして絵を描きすぎて親に叱られました。 
 それは高校生のときまで続きました。幸せな時間でした。そんな幸せな時間でも私はハムスター以外を描くことはありませんでした。人間をもう一度描いてみよう、なんてつゆほども思ったことはないのです。

 大学生になってとても忙しくなった私は、絵を描くことすらやめてしまいました。こうして、文字書きになったのも『私は絵が描けないから』というネガティブな気持ちが半分ほどしめているからと言っても過言ではありません。ときには漫画で表現したい話があっても、私にはもうどうすることもできません。今更、絵を勉強し直す気にはなれません。また批判されるのが怖いのです。自分の絵を見るのが恥ずかしいのです。

 こんな私が、『小説を読んでもらうにはデザインができないといけない』と知ったときは本当に苦笑いが止まりませんでした。絵を描かないために小説に転向したのに、デザインやらないといけないのかよ! それでも、私は今ではデザインが好きです。私は色音痴ではありませんでした。ただ、知識がなかっただけです。パーツやバランスに関してもそうです。ただ知らないだけでした。
 もし、もし。あのとき別の言葉をかけてくれる人がいたら……?

 完全なる責任転嫁ですが、もしかしたら私の未来は変わっていたかもしれません。そう思わずにはいられないのです。

きえたくれよん

きえたくれよん

エッセイ集『たから箱庭』に収録。 『あの頃、純粋に絵が好きだった気持ちはどこに行ったのだろう』

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-08-20

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