書くこと。
エッセイ集『たから箱庭』より。
pictSQUARE 2020/10/31開催のイベントにて頒布
こんにちは。初めましての方は初めまして。音葉ネリと申します。一次創作から二次創作、最近はエッセイなどなど、と幅広いジャンルのお話を書いている文字書きでございます。一年ほど前から活動を始めたひよっこです。
こんなことをしている私ですが、実は文字を書くのは得意ではありません。本当は、イラストや漫画を描きたかったのですが……それはもっとできなかったので、仕方なく文字という創作方法を取っただけ、という少しネガティブな理由で文字を書いております。
それでは何故、こんなことを続けているのか? それはたぶん私が創作が好きだからだと思います。物語を作るのが好き。妄想をするのが好き。溢れる想像力を抑えきれない。だから、唯一の発信手段である文字を使わざるを得ないのです。私は口下手人間です。陰キャと呼ばれる方面の人間です。だから、口より文字でのコミュニケーションの方が楽なのですが、それもあまり得意ではない。苦手、といっても過言ではないです。では、何故そんな風になってしまったのか? 思い返してみると、少し思い当たる節があります。
今日は、その『思い当たる節』とやらを少しお話してみたいと思います。
あれは、幼少期の私ですね。公園でお友達と遊んでいます。おままごとをしていますね。リーダーシップをとっているのは……どうやら私です。今では考えられないですね。
「いい? この切り株はパソコンね。で、あっちの切り株は机なの。○○ちゃんはあのパソコンで仕事をしてるっていう設定でね……」
おっと、そこらへんにあるものをいろんなものに見立てて想像の翼を広げ始めました。子供特有のアレですね。しかも、自分で作った設定をお友達に押しつけています。お友達も、特に文句を言う様子もなく、私の作った設定で楽しそうに遊んでいます。そんなこんなは私が一人遊びをするときにも適用されます。私は一人っ子なので、一人遊びをする機会がとても多かったのです。
「この子はママ。この子はパパ。それで、この子はその子供なの。兄弟が一人いて、とっても仲がいいの。お兄ちゃんは優しくて真面目なの。弟はちょっとなまけもので……」
と延々と遊ぶことができました。あまりにも自然にやっていたので、これが私の『想像(創造)力』という強力な武器であるということに、当時は気がついていませんでした。
少し時間は進み……あれは小学校一年生の私です。どうやら夏休みのようです。どうやら読書感想文に頭を悩ませているようです。あまり記憶には残っていないのですが、きっと課題として与えられたその本が気に入らなかったのでしょう。私はたぶんいつもの調子で想像力の翼を広げ、
『なんで○○ちゃんはこんなことをしたのかな。こうだったらいいのにな』
なんてことを子供らしい口調でそのまま原稿用紙に書いたことはうっすらと覚えています。
しかも、これで終わりです。本当にそれしか思わなかったのでしょう。私は馬鹿正直な子供でしたから、取り繕って思いもしなかったことを書いたりしゃべったり……そういったことはできませんでした。本当に思ったことしか書けないのです。
小学校のときの遠足の作文で、私が書いたのは
『象さんのウ○コが大きくて、とってもびっくりした』
こんなことです。これは、今でも両親がたびたび笑い話として話題に上げるのでよく覚えています。普通、『うさぎさんがかわいかった』とかでしょう? さすが、普段の愛読書が図鑑だったことだけはありますね。理系頭特有の観察眼が光ります。
話は戻りますが、そんな馬鹿正直な子供が書いた初の読書感想文。それを母に持っていくとひどく怒られた記憶があります。そりゃそうでしょう。読書感想文と言ったら、普通は『これこれこんなお話で、ここがよかった』とかそういうことを書くのが普通でしょう。それを『こうだったらよかったのに』なーんて書いたらそれはただの創作になってしまいます。
「もっと何かないの?」
確か、そんなことを聞かれたような気がします。でも、私からしたら書いたことが全てです。このお話は私にとっては不満だった。こうであって欲しかった。それ以上でもそれ以下でもありません。混乱した私はひどく泣きました。
「もう、書けない!」
と。それでも宿題は宿題ですから、書かないといけません。結局、ほとんど母が書いたような感想文を提出しました。それは、小学校卒業まで続きました。
不思議なことに、当時の私は作文は書けたんですよね。どこどこに行ってきたから、その作文を書きなさい。そんな授業は何度もありました。規定の時間内で原稿用紙二枚半は普通に書けていました。ただ、読書感想文になるとてんで、駄目。親も子供自身も『できない』ということが目につく年頃です。私はすっかり文章を書くことが嫌いで、苦手だと思い込んでいました。実は私が苦手なのは『読書感想文』で『思ってもないことを書くこと』だったのですが。それに気がついたのは大人になってからでした。
私の文章嫌いに拍車をかけた出来事はもう一つありました。母が私があまりにも読書感想文を書くことが苦手だったことを心配したのか、夏休みの間、私に毎日日記を書くことを課したのでした。これが、苦痛で、苦痛で。毎日毎日、『今日は』と書いたまま筆が動かず、数分、数十分、やがて一時間……と時間が過ぎていくあの時間がとてつもなく嫌だったことを今でも覚えているのです。母からしたら愛情です。このままではこの子は大人になっても文章が書けなくなってしまう。そんなことを考えていたのでしょう。
「まだ、書けないの?」
「書けない! 何も思い浮かばない!」
そう言って飽きもせずに毎日毎日言い合いをしていた夏。
そんなこんなで私はすっかり夏休みが嫌いになったのでした。
そんな私に転機が訪れたのは高校生の頃。授業中、読書感想文の課題が出ました。私にとっては数年ぶりの読書感想文です。おっかなびっくり課題になった本を読みました。するとどうでしょう。筆が、止まらないのです。
『どうしてここでこの主人公なこんなことをしたのだ。倫理に反する。私だったらこうする。全く共感できない』
そんな痛烈な批判を書いたような記憶があります。その後、先生は言いました。
「読書感想文を書くときの本は、ツッコミどころが多い本の方が書きやすいんです」
確かに、課題として読んだ本はツッコミどころ満載の本でした。じゃあ、私が抱いた感想は間違っていなかったってこと? じゃあ今までのはなんだったの? 悪いのは私じゃなくて、課題図書? それは、私が読書感想文の苦手を克服した瞬間でした。
もうひとつ、高校生のとき大きな出逢いがありました。それは、パソコン。授業でワードの使い方やキーボードの打ち方を習いました。私は、頭から順番に文章を書いていくことが苦手です。真ん中から、とか思いついた部分から書くのです。なので、手書きの場合はいつも下書きが必須だったのです。それが、なくなった。文字を書くことのハードルが大きく下がったのはこれも大きいと思います。
さて、そんなこんなで文章を書くことが苦手な人からあまり得意ではないけど書ける人にクラスチェンジした私。それでもまだ、俳句やものすごく長い物語を書くことはできません。私には今書いているこのエッセイくらいの文字数がちょうどよいのです。
それでも、原稿用紙10枚くらいでしょうか。あの頃からしたらすごい文字数ですね。この文字数を軽く書けるようになるなんて、あの日の私が聞いたらどんな顔するかな? 人はどう変化するか本当にわからないですね。いや、もしかしたら幼少期のあの一人遊びから全く変わってないのかもしれないのかもしれない。
なんて、ことを考えながら今日も私は文章を書くのでした。
書くこと。