有名店
これは2023年7月10日のシラス番組 (https://shirasu.io/t/topo/c/topo/p/20230710) で朗読をしていただいた掌編に、少し手を加えたものです。拙作ですが、もしよかったら読んでみてください。
2023.8.18
その店はすぐわかった。薄暗い路地に行列ができていたからだ。俺は古い漆喰の壁に沿って最後尾に並ぶと、もうすぐありつくであろう旨いラーメンに思いを馳せた。
あれ、看板がないのか。白抜きの「ラーメン」の文字が、赤いくたびれた暖簾に書かれているだけだ。なるほど雑誌で見た堅物おやじだ。きっと看板なんかいらねえってわけだな。
お、若い男女が出てきた。列が進む。どうだ旨かっただろう。は? 何て冴えない顔をしているんだ。前の方で立ち止まって何か言いたそうだ、いや、こんどはそそくさと歩き出して、こっちを見ないように、足早に路地を抜けて行ったぞ。何だあいつらは。
次にもう一人、40ぐらいの男だ。機嫌悪そうに、ずけずけと歩き去ったぞ。
よし団体が出た。聞かせてくれ。なんか感想を言い合ってみろ。無? 無? 一言も発せずに、行っちまった。ちくしょう。
列が進んで、建て付けが悪いアルミの引き戸まで来た。曇りガラスで中は見えないな。男2人が開けて出てきた。やっとだ。俺は暖簾を片手で上げながら、入れ違いに中へ入った。
あっと声をあげそうになった。汚れた壁に品書きもなく、無機質な赤いカウンターがあるだけの狭い部屋だ。スープの臭みもない。丸椅子には無表情な客たちが、処刑の順番を待つ囚人のように頭をたれている。いや、まだ分からないぞ。堅物おやじの店ってのはこんなもんだろう。俺は空いた席に座って品書きを待った。
え、お前が亭主?
注文を聞く丸顔の禿おやじは、写真とまるで違う。やめろ、手が震えてるじゃないか。申し訳なさそうに涙ぐむなよ。冷や汗も? 最悪だ。
ああ終わった。違う店なんだ。 そうだ、客に向かってうちは美味しくないとは言えない。客も注文してから店を間違えたとは言えない。
そして俺も、処刑の順番を待つ囚人のように頭をたれた。
出されたラーメンで腹を満たすと、俺はそそくさと店を出て、外に並ぶ人たちを見た。ここは不味いですなんて言えない。そりゃ営業妨害だ。俺は結局、列を見ないように立ち去った。
隣の路地に、誰も並んでいない有名店の看板を見た。
(了)
有名店