幾つか気が付いた事を記述と、文豪作品を二作品掲載する。
高校野球も随分変わったもので、タイブレイクとは、導入の善し悪しが問われるかのように思われる。
以前は延長でも決着がつかず、翌日フルタイムで再試合を行ったもので若者には其の方が似合う。
尾上雄二卒業大学の付属高校は勝ったもののあのまま通常の延長戦になっていればまた結果が変わったのかも知れず。
今の世代は全てが楽に済ます様に考えている様で、スポーツまでも簡略化されたのはおそらくUSAの野球の模倣なのだろう。
戦前の幻の名投手沢村を誰も話題にしないが、イチローが、「戦争に駆り出された選手などには到底敵う訳がない」と述べていたのが印象的だった。
それと、此の国では原子力発電所は廃炉するべきで、災害時には手に負えない危険物と化してしまう。以前の自民の小泉氏も同じ様な事を言っていたが・・。
排水用に薄めた場合にその場の測定値は低くとも、核物質は容易に溶かす事が難しいもので、海洋生物は常にその海水中で生活をしているのだから、体内に蓄積されていくと考えるべき・・であれば、その様なものを食料とすれば人類にも同じ影響を及ぼすと考えた方が科学的。
どうも日米韓での同胞意識が高いようだが、以前の自民でもそう迄他国に頼らなくても独立志向はあった。
韓国との「竹島問題」や「統一教会追放」の難解な問題は避けて通る安倍政権以降の自民はかなりlevelが低い。
USAを東側諸国が総じて嫌うのは当然の事で、「制裁」という子供のいじめ程度の事が罷り通っているのも呆れかえる。
まあ、インディアンを絶滅させて迄大陸を乗っ取った国なのだから、道理を通さず幾つになっても成長をしないのも納得ができるというもの。
人類には最も重要な観念である世界が分け隔てなく進化を競うのでなければ先は見え過ぎている。
此の国に於いても首相よりは原爆被災地の市長の方が論理的に矛盾が無い主張であるのも、人類の退化の現われだろう。
又、日米で協力してミサイル開発をするなども意味が無い事であり、一体、何処の国が此の国を攻撃すると考えているのか意味不明と言える。
そうだとすれば、USAの基地が此の国に存在する事の方が東側から見たら問題なのだろう。
資源も食料も技術力も無い国を・・占領するような必要は何処も感じてはいないが、USAが子供クラブの様に仲間意識に何時までも拘るのはひたすら憐れとしか言いようがない。
大東亜戦で此の国に恨まれ、朝鮮戦争やベトナム戦争でもnativeの国に嫌われながら敗戦をして行ったUSAの末路が窺える。
今からでも全ての国境を無くすような努力をしなければならないのだが・・。
人類のような遅れた文明にとり最も大事な事は・・そういう基本的なlevelの向上にかかっていると言える。
ところで、悪質なコマーシャルの追放をしていた内、「認知機能の向上に効果があるサプリ」という出鱈目を流していた五社程のうち、「山田養蜂所」が取りざたされている。
専務だそうだが猥褻行為とはお粗末過ぎ、犯罪行為の善悪も認知できない者が役員をしていたなど、認知機能の向上どころか・・呆れた会社であると言える。
他社も、又、相変わらず「30分以内に購入で恩恵がある」とのコマーシャルを流している会社が多過ぎる。
毎日「30分以内に購入を・・」という矛盾を消費者も警戒しなければならないのだが、それらのコマーシャルを放送している「東京MX」や「TV神奈川」・「TV東京」等にも、責任は存在する。
そんなところにも、人類の浅ましさが窺える。
ああ、それと近頃は20代の犯罪や大学の不始末が目に付くが、此の国も徴兵制とまでは謂わなくとも、「・・定職についていない20代などの若年層を自衛隊に入隊させ、極短期間の訓練を経験して貰うという規律の啓発なども良いのでは・・」など思うほどだ。
では、時間が無くなったので文豪の作品から二作を掲載する。
おじいさんのランプ
新美南吉
かくれんぼで、倉の隅すみにもぐりこんだ東一とういち君がランプを持って出て来た。
それは珍らしい形のランプであった。八十糎センチぐらいの太い竹の筒つつが台になっていて、その上にちょっぴり火のともる部分がくっついている、そしてほやは、細いガラスの筒であった。はじめて見るものにはランプとは思えないほどだった。
そこでみんなは、昔の鉄砲とまちがえてしまった。
「何だア、鉄砲かア」と鬼の宗八そうはち君はいった。
東一君のおじいさんも、しばらくそれが何だかわからなかった。眼鏡めがね越ごしにじっと見ていてから、はじめてわかったのである。
ランプであることがわかると、東一君のおじいさんはこういって子供たちを叱しかりはじめた。
「こらこら、お前たちは何を持出すか。まことに子供というものは、黙って遊ばせておけば何を持出すやらわけのわからん、油断もすきもない、ぬすっと猫ねこのようなものだ。こらこら、それはここへ持って来て、お前たちは外へ行って遊んで来い。外に行けば、電信柱でんしんばしらでも何でも遊ぶものはいくらでもあるに」
こうして叱られると子供ははじめて、自分がよくない行いをしたことがわかるのである。そこで、ランプを持出した東一君はもちろんのこと、何も持出さなかった近所の子供たちも、自分たちみんなで悪いことをしたような顔をして、すごすごと外の道へ出ていった。
外には、春の昼の風が、ときおり道のほこりを吹立ててすぎ、のろのろと牛車が通ったあとを、白い蝶ちょうがいそがしそうに通ってゆくこともあった。なるほど電信柱があっちこっちに立っている。しかし子供たちは電信柱なんかで遊びはしなかった。大人おとなが、こうして遊べといったことを、いわれたままに遊ぶというのは何となくばかげているように子供には思えるのである。
そこで子供たちは、ポケットの中のラムネ玉をカチカチいわせながら、広場の方へとんでいった。そしてまもなく自分たちの遊びで、さっきのランプのことは忘れてしまった。
日ぐれに東一君は家へ帰って来た。奥の居間いまのすみに、あのランプがおいてあった。しかし、ランプのことを何かいうと、またおじいさんにがみがみいわれるかも知れないので、黙っていた。
夕御飯のあとの退屈な時間が来た。東一君はたんすにもたれて、ひき出しのかんをカタンカタンといわせていたり、店に出てひげを生はやした農学校の先生が『大根だいこん栽培の理論と実際』というような、むつかしい名前の本を番頭に注文するところを、じっと見ていたりした。
そういうことにも飽くと、また奥の居間にもどって来て、おじいさんがいないのを見すまして、ランプのそばへにじりより、そのほやをはずしてみたり、五銭白銅貨はくどうかほどのねじをまわして、ランプの芯しんを出したりひっこめたりしていた。
すこしいっしょうけんめいになっていじくっていると、またおじいさんにみつかってしまった。けれどこんどはおじいさんは叱らなかった。ねえやにお茶をいいつけておいて、すっぽんと煙管筒きせるづつをぬきながら、こういった。
「東坊、このランプはな、おじいさんにはとてもなつかしいものだ。長いあいだ忘れておったが、きょう東坊が倉の隅から持出して来たので、また昔のことを思い出したよ。こうおじいさんみたいに年をとると、ランプでも何でも昔のものに出合うのがとても嬉うれしいもんだ」
東一君はぽかんとしておじいさんの顔を見ていた。おじいさんはがみがみと叱りつけたから、怒おこっていたのかと思ったら、昔のランプに逢あうことができて喜んでいたのである。
「ひとつ昔の話をしてやるから、ここへ来て坐すわれ」
とおじいさんがいった。
東一君は話が好きだから、いわれるままにおじいさんの前へいって坐ったが、何だかお説教をされるときのようで、いごこちがよくないので、いつもうちで話をきくときにとる姿勢をとって聞くことにした。つまり、寝そべって両足をうしろへ立てて、ときどき足の裏をうちあわせる芸当げいとうをしたのである。
おじいさんの話というのは次のようであった。
今から五十年ぐらいまえ、ちょうど日露戦争のじぶんのことである。岩滑新田やなべしんでんの村に巳之助みのすけという十三の少年がいた。
巳之助は、父母も兄弟もなく、親戚しんせきのものとて一人もない、まったくのみなしごであった。そこで巳之助は、よその家の走り使いをしたり、女の子のように子守こもりをしたり、米を搗ついてあげたり、そのほか、巳之助のような少年にできることなら何でもして、村に置いてもらっていた。
けれども巳之助は、こうして村の人々の御世話で生きてゆくことは、ほんとうをいえばいやであった。子守をしたり、米を搗いたりして一生を送るとするなら、男とうまれた甲斐かいがないと、つねづね思っていた。
男子は身を立てねばならない。しかしどうして身を立てるか。巳之助は毎日、ご飯を喰たべてゆくのがやっとのことであった。本一冊買うお金もなかったし、またたといお金があって本を買ったとしても、読むひまがなかった。
身を立てるのによいきっかけがないものかと、巳之助はこころひそかに待っていた。
すると或ある夏の日のひるさがり、巳之助は人力車じんりきしゃの先綱さきづなを頼まれた。
その頃ころ岩滑新田には、いつも二、三人の人力曳じんりきひきがいた。潮湯治しおとうじ(海水浴のこと)に名古屋から来る客は、たいてい汽車で半田はんだまで来て、半田から知多ちた半島西海岸の大野や新舞子まで人力車でゆられていったもので、岩滑新田はちょうどその道すじにあたっていたからである。
人力車は人が曳くのだからあまり速くは走らない。それに、岩滑新田と大野の間には峠とうげが一つあるから、よけい時間がかかる。おまけにその頃の人力車の輪は、ガラガラと鳴る重い鉄輪かなわだったのである。そこで、急ぎの客は、賃銀を倍ばい出だして、二人の人力曳にひいてもらうのであった。巳之助に先綱曳を頼んだのも、急ぎの避暑客であった。
巳之助は人力車のながえにつながれた綱を肩にかついで、夏の入陽いりひのじりじり照りつける道を、えいやえいやと走った。馴なれないこととてたいそう苦しかった。しかし巳之助は苦しさなど気にしなかった。好奇心でいっぱいだった。なぜなら巳之助は、物ごころがついてから、村を一歩も出たことがなく、峠の向こうにどんな町があり、どんな人々が住んでいるか知らなかったからである。
日が暮れて青い夕闇ゆうやみの中を人々がほの白くあちこちする頃、人力車は大野の町にはいった。
巳之助はその町でいろいろな物をはじめて見た。軒のきをならべて続いている大きい商店が、第一、巳之助には珍らしかった。巳之助の村にはあきないやとては一軒しかなかった。駄菓子だがし、草鞋わらじ、糸繰いとくりの道具、膏薬こうやく、貝殻かいがらにはいった目薬、そのほか村で使うたいていの物を売っている小さな店が一軒きりしかなかったのである。
しかし巳之助をいちばんおどろかしたのは、その大きな商店が、一つ一つともしている、花のように明かるいガラスのランプであった。巳之助の村では夜はあかりなしの家が多かった。まっくらな家の中を、人々は盲のように手でさぐりながら、水甕みずがめや、石臼いしうすや大黒柱だいこくばしらをさぐりあてるのであった。すこしぜいたくな家では、おかみさんが嫁入よめいりのとき持って来た行燈あんどんを使うのであった。行燈は紙を四方に張りめぐらした中に、油のはいった皿さらがあって、その皿のふちにのぞいている燈心とうしんに、桜の莟つぼみぐらいの小さいほのおがともると、まわりの紙にみかん色のあたたかな光がさし、附近は少し明かるくなったのである。しかしどんな行燈にしろ、巳之助が大野の町で見たランプの明かるさにはとても及ばなかった。
それにランプは、その頃としてはまだ珍らしいガラスでできていた。煤すすけたり、破れたりしやすい紙でできている行燈より、これだけでも巳之助にはいいもののように思われた。
このランプのために、大野の町ぜんたいが竜宮城かなにかのように明かるく感じられた。もう巳之助は自分の村へ帰りたくないとさえ思った。人間は誰でも明かるいところから暗いところに帰るのを好まないのである。
巳之助は駄賃だちんの十五銭を貰もらうと、人力車とも別れてしまって、お酒にでも酔ったように、波の音のたえまないこの海辺の町を、珍らしい商店をのぞき、美しく明かるいランプに見とれて、さまよっていた。
呉服屋では、番頭さんが、椿つばきの花を大きく染め出した反物たんものを、ランプの光の下にひろげて客に見せていた。穀屋こくやでは、小僧さんがランプの下で小豆あずきのわるいのを一粒ずつ拾い出していた。また或る家では女の子が、ランプの光の下に白くひかる貝殻を散らしておはじきをしていた。また或る店ではこまかい珠たまに糸を通して数珠じゅずをつくっていた。ランプの青やかな光のもとでは、人々のこうした生活も、物語か幻燈げんとうの世界でのように美しくなつかしく見えた。
巳之助は今までなんども、「文明開化で世の中がひらけた」ということをきいていたが、今はじめて文明開化ということがわかったような気がした。
歩いているうちに、巳之助は、様々なランプをたくさん吊つるしてある店のまえに来た。これはランプを売っている店にちがいない。
巳之助はしばらくその店のまえで十五銭を握りしめながらためらっていたが、やがて決心してつかつかとはいっていった。
「ああいうものを売っとくれや」
と巳之助はランプをゆびさしていった。まだランプという言葉を知らなかったのである。
店の人は、巳之助がゆびさした大きい吊つりランプをはずして来たが、それは十五銭では買えなかった。
「負けとくれや」
と巳之助はいった。
「そうは負からん」
と店の人は答えた。
「卸値おろしねで売っとくれや」
巳之助は村の雑貨屋へ、作った草鞋わらじを買ってもらいによく行ったので、物には卸値と小売値こうりねがあって、卸値は安いということを知っていた。たとえば、村の雑貨屋は、巳之助の作った瓢箪型ひょうたんがたの草鞋を卸値の一銭五厘りんで買いとって、人力曳じんりきひきたちに小売値の二銭五厘で売っていたのである。
ランプ屋の主人は、見も知らぬどこかの小僧がそんなことをいったので、びっくりしてまじまじと巳之助の顔を見た。そしていった。
「卸値で売れって、そりゃ相手がランプを売る家なら卸値で売ってあげてもいいが、一人一人のお客に卸値で売るわけにはいかんな」
「ランプ屋なら卸値で売ってくれるだのイ?」
「ああ」
「そんなら、おれ、ランプ屋だ。卸値で売ってくれ」
店の人はランプを持ったまま笑い出した。
「おめえがランプ屋? はッはッはッはッ」
「ほんとうだよ、おッつあん。おれ、ほんとうにこれからランプ屋になるんだ。な、だから頼むに、今日きょうは一つだけンど卸値で売ってくれや。こんど来るときゃ、たくさん、いっぺんに買うで」
店の人ははじめ笑っていたが、巳之助の真剣なようすに動かされて、いろいろ巳之助の身の上をきいたうえ、
「よし、そんなら卸値でこいつを売ってやろう。ほんとは卸値でもこのランプは十五銭じゃ売れないけど、おめえの熱心なのに感心した。負けてやろう。そのかわりしっかりしょうばいをやれよ。うちのランプをどんどん持ってって売ってくれ」
といって、ランプを巳之助に渡した。
巳之助はランプのあつかい方を一通り教えてもらい、ついでに提燈ちょうちんがわりにそのランプをともして、村へむかった。
藪やぶや松林のうちつづく暗い峠道でも、巳之助はもう恐こわくはなかった。花のように明かるいランプをさげていたからである。
巳之助の胸の中にも、もう一つのランプがともっていた。文明開化に遅れた自分の暗い村に、このすばらしい文明の利器を売りこんで、村人たちの生活を明かるくしてやろうという希望のランプが――
巳之助の新しいしょうばいは、はじめのうちまるではやらなかった。百姓たちは何でも新しいものを信用しないからである。
そこで巳之助はいろいろ考えたあげく、村で一軒きりのあきないやへそのランプを持っていって、ただで貸してあげるからしばらくこれを使って下さいと頼んだ。
雑貨屋の婆ばあさんは、しぶしぶ承知して、店の天井に釘くぎを打ってランプを吊し、その晩からともした。
五日ほどたって、巳之助が草鞋を買ってもらいに行くと、雑貨屋の婆さんはにこにこしながら、こりゃたいへん便利で明かるうて、夜でもお客がよう来てくれるし、釣銭つりせんをまちがえることもないので、気に入ったから買いましょう、といった。その上、ランプのよいことがはじめてわかった村人から、もう三つも注文のあったことを巳之助にきかしてくれた。巳之助はとびたつように喜んだ。
そこで雑貨屋の婆さんからランプの代と草鞋の代を受けとると、すぐその足で、走るようにして大野へいった。そしてランプ屋の主人にわけを話して、足りないところは貸してもらい、三つのランプを買って来て、注文した人に売った。
これから巳之助のしょうばいははやって来た。
はじめは注文をうけただけ大野へ買いにいっていたが、少し金がたまると、注文はなくてもたくさん買いこんで来た。
そして今はもう、よその家の走り使いや子守をすることはやめて、ただランプを売るしょうばいだけにうちこんだ。物干台ものほしだいのようなわくのついた車をしたてて、それにランプやほやなどをいっぱい吊し、ガラスの触れあう涼しい音をさせながら、巳之助は自分の村や附近の村々へ売りにいった。
巳之助はお金も儲もうかったが、それとは別に、このしょうばいがたのしかった。今まで暗かった家に、だんだん巳之助の売ったランプがともってゆくのである。暗い家に、巳之助は文明開化の明かるい火を一つ一つともしてゆくような気がした。
巳之助はもう青年になっていた。それまでは自分の家とてはなく、区長さんのところの軒のかたむいた納屋なやに住ませてもらっていたのだが、小金がたまったので、自分の家もつくった。すると世話してくれる人があったのでお嫁よめさんももらった。
或あるとき、よその村でランプの宣伝をしておって、「ランプの下なら畳たたみの上に新聞をおいて読むことが出来るのイ」と区長さんに以前きいていたことをいうと、お客さんの一人が「ほんとかン?」とききかえしたので、嘘うそのきらいな巳之助は、自分でためして見る気になり、区長さんのところから古新聞をもらって来て、ランプの下にひろげた。
やはり区長さんのいわれたことはほんとうであった。新聞のこまかい字がランプの光で一つ一つはっきり見えた。「わしは嘘をいってしょうばいをしたことにはならない」と巳之助はひとりごとをいった。しかし巳之助は、字がランプの光ではっきり見えても何にもならなかった。字を読むことができなかったからである。
「ランプで物はよく見えるようになったが、字が読めないじゃ、まだほんとうの文明開化じゃねえ」
そういって巳之助は、それから毎晩区長さんのところへ字を教えてもらいにいった。
熱心だったので一年もすると、巳之助は尋常科じんじょうかを卒業した村人の誰にも負けないくらい読めるようになった。
そして巳之助は書物しょもつを読むことをおぼえた。
巳之助はもう、男ざかりの大人おとなであった。家には子供が二人あった。「自分もこれでどうやらひとり立ちができたわけだ。まだ身を立てるというところまではいっていないけれども」と、ときどき思って見て、そのつど心に満足を覚えるのであった。
さて或る日、巳之助がランプの芯しんを仕入れに大野の町へやって来ると、五、六人の人夫にんぷが道のはたに穴を堀り、太い長い柱を立てているのを見た。その柱の上の方には腕のような木が二本ついていて、その腕木には白い瀬戸物のだるまさんのようなものがいくつかのっていた。こんな奇妙なものを道のわきに立てて何にするのだろう、と思いながら少し先にゆくと、また道ばたに同じような高い柱が立っていて、それには雀すずめが腕木にとまって鳴いていた。
この奇妙な高い柱は五十米メートルぐらい間をおいては、道のわきに立っていた。
巳之助はついに、ひなたでうどんを乾ほしている人にきいてみた。すると、うどんやは「電気とやらいうもんが今度ひけるだげな。そいでもう、ランプはいらんようになるだげな」と答えた。
巳之助にはよくのみこめなかった。電気のことなどまるで知らなかったからだ。ランプの代りになるものらしいのだが、そうとすれば、電気というものはあかりにちがいあるまい。あかりなら、家の中にともせばいいわけで、何もあんなとてつもない柱を道のくろに何本もおっ立てることはないじゃないかと、巳之助は思ったのである。
それから一月ひとつきほどたって、巳之助がまた大野へ行くと、この間立てられた道のはたの太い柱には、黒い綱のようなものが数本わたされてあった。黒い綱は、柱の腕木にのっているだるまさんの頭を一まきして次の柱へわたされ、そこでまただるまさんの頭を一まきして次の柱にわたされ、こうしてどこまでもつづいていた。
注意してよく見ると、ところどころの柱から黒い綱が二本ずつだるまさんの頭のところで別れて、家の軒端のきばにつながれているのであった。
「へへえ、電気とやらいうもんはあかりがともるもんかと思ったら、これはまるで綱じゃねえか。雀や燕つばめのええ休み場というもんよ」
と巳之助が一人であざわらいながら、知合いの甘酒屋にはいってゆくと、いつも土間どまのまん中の飯台の上に吊してあった大きなランプが、横の壁の辺に取りかたづけられて、あとにはそのランプをずっと小さくしたような、石油入れのついていない、変なかっこうのランプが、丈夫じょうぶそうな綱で天井からぶらさげられてあった。
「何だやい、変なものを吊したじゃねえか。あのランプはどこか悪くでもなったかやい」
と巳之助はきいた。すると甘酒屋が、
「ありゃ、こんどひけた電気というもんだ。火事の心配がのうて、明かるうて、マッチはいらぬし、なかなか便利なもんだ」
と答えた。
「ヘッ、へんてこれんなものをぶらさげたもんよ。これじゃ甘酒屋の店も何だか間がぬけてしまった。客もへるだろうよ」
甘酒屋は、相手がランプ売であることに気がついたので、電燈の便利なことはもういわなかった。
「なア、甘酒屋のとッつあん。見なよ、あの天井のとこを。ながねんのランプの煤すすであそこだけ真黒になっとるに。ランプはもうあそこにいついてしまったんだ。今になって電気たらいう便利なもんができたからとて、あそこからはずされて、あんな壁のすみっこにひっかけられるのは、ランプがかわいそうよ」
こんなふうに巳之助はランプの肩をもって、電燈のよいことはみとめなかった。
ところでまもなく晩になって、誰もマッチ一本すらなかったのに、とつぜん甘酒屋の店が真昼のように明かるくなったので、巳之助はびっくりした。あまり明かるいので、巳之助は思わずうしろをふりむいて見たほどだった。
「巳之さん、これが電気だよ」
巳之助は歯をくいしばって、ながいあいだ電燈を見つめていた。敵かたきでも睨にらんでいるようなかおつきであった。あまり見つめていて眼のたまが痛くなったほどだった。
「巳之さん、そういっちゃ何だが、とてもランプで太刀たちうちはできないよ。ちょっと外へくびを出して町通りを見てごらんよ」
巳之助はむっつりと入口の障子しょうじをあけて、通りをながめた。どこの家どこの店にも、甘酒屋のと同じように明かるい電燈がともっていた。光は家の中にあまつて、道の上にまでこぼれ出ていた。ランプを見なれていた巳之助にはまぶしすぎるほどのあかりだった。巳之助は、くやしさに肩でいきをしながら、これも長い間ながめていた。
ランプの、てごわいかたきが出て来たわい、と思った。いぜんには文明開化ということをよく言っていた巳之助だったけれど、電燈がランプよりいちだん進んだ文明開化の利器であるということは分らなかった。りこうな人でも、自分が職を失うかどうかというようなときには、物事の判断が正しくつかなくなることがあるものだ。
その日から巳之助は、電燈が自分の村にもひかれるようになることを、心ひそかにおそれていた。電燈がともるようになれば、村人たちはみんなランプを、あの甘酒屋のしたように壁の隅につるすか、倉の二階にでもしまいこんでしまうだろう。ランプ屋のしょうばいはいらなくなるだろう。
だが、ランプでさえ村へはいって来るにはかなりめんどうだったから、電燈となっては村人たちはこわがって、なかなか寄せつけることではあるまい、と巳之助は、一方では安心もしていた。
しかし間もなく、「こんどの村会で、村に電燈を引くかどうかを決めるだげな」という噂うわさをきいたときには、巳之助は脳天に一撃をくらったような気がした。強敵いよいよござんなれ、と思った。
そこで巳之助は黙ってはいられなかった。村の人々の間に、電燈反対の意見をまくしたてた。
「電気というものは、長い線で山の奥からひっぱって来るもんだでのイ、その線をば夜中に狐きつねや狸たぬきがつたって来て、この近きんぺんの田畠たはたを荒らすことはうけあいだね」
こういうばかばかしいことを巳之助は、自分の馴なれたしょうばいを守るためにいうのであった。それをいうとき何かうしろめたい気がしたけれども。
村会がすんで、いよいよ岩滑新田やなべしんでんの村にも電燈をひくことにきまったと聞かされたときにも、巳之助は脳天に一撃をくらったような気がした。こうたびたび一撃をくらってはたまらない、頭がどうかなってしまう、と思った。
その通りであった。頭がどうかなってしまった。村会のあとで三日間、巳之助は昼間もふとんをひっかぶって寝ていた。その間に頭の調子が狂ってしまったのだ。
巳之助は誰かを怨うらみたくてたまらなかった。そこで村会で議長の役をした区長さんを怨むことにした。そして区長さんを怨まねばならぬわけをいろいろ考えた。へいぜいは頭のよい人でも、しょうばいを失うかどうかというようなせとぎわでは、正しい判断をうしなうものである。とんでもない怨みを抱いだくようになるものである。
菜の花ばたの、あたたかい月夜であった。どこかの村で春祭の支度したくに打つ太鼓がとほとほと聞えて来た。
巳之助は道を通ってゆかなかった。みぞの中を鼬いたちのように身をかがめて走ったり、藪やぶの中を捨犬のようにかきわけたりしていった。他人に見られたくないとき、人はこうするものだ。
区長さんの家には長い間やっかいになっていたので、よくその様子はわかっていた。火をつけるにいちばん都合のよいのは藁屋根わらやねの牛小屋であることは、もう家を出るときから考えていた。
母屋おもやはもうひっそり寝しずまっていた。牛小屋もしずかだった。しずかだといって、牛は眠っているかめざめているかわかったもんじゃない。牛は起きていても寝ていてもしずかなものだから。もっとも牛が眼めをさましていたって、火をつけるにはいっこうさしつかえないわけだけれども。
巳之助はマッチのかわりに、マッチがまだなかったじぶん使われていた火ひ打うちの道具を持って来た。家を出るとき、かまどのあたりでマッチを探さがしたが、どうしたわけかなかなか見つからないので、手にあたったのをさいわい、火打の道具を持って来たのだった。
巳之助は火打で火を切りはじめた。火花は飛んだが、ほくちがしめっているのか、ちっとも燃えあがらないのであった。巳之助は火打というものは、あまり便利なものではないと思った。火が出ないくせにカチカチと大きな音ばかりして、これでは寝ている人が眼をさましてしまうのである。
「ちえッ」と巳之助は舌打ちしていった。「マッチを持って来りゃよかった。こげな火打みてえな古くせえもなア、いざというとき間にあわねえだなア」
そういってしまって巳之助は、ふと自分の言葉をききとがめた。
「古くせえもなア、いざというとき間にあわねえ、……古くせえもなア間にあわねえ……」
ちょうど月が出て空が明かるくなるように、巳之助の頭がこの言葉をきっかけにして明かるく晴れて来た。
巳之助は、今になって、自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。――ランプはもはや古い道具になったのである。電燈という新しいいっそう便利な道具の世の中になったのである。それだけ世の中がひらけたのである。文明開化が進んだのである。巳之助もまた日本のお国の人間なら、日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。古い自分のしょうばいが失われるからとて、世の中の進むのにじゃましようとしたり、何の怨みもない人を怨んで火をつけようとしたのは、男として何という見苦しいざまであったことか。世の中が進んで、古いしょうばいがいらなくなれば、男らしく、すっぱりそのしょうばいは棄すてて、世の中のためになる新しいしょうばいにかわろうじゃないか。――
巳之助はすぐ家へとってかえした。
そしてそれからどうしたか。
寝ているおかみさんを起して、今家にあるすべてのランプに石油をつがせた。
おかみさんは、こんな夜更よふけに何をするつもりか巳之助にきいたが、巳之助は自分がこれからしようとしていることをきかせれば、おかみさんが止めるにきまっているので、黙っていた。
ランプは大小さまざまのがみなで五十ぐらいあった。それにみな石油をついだ。そしていつもあきないに出るときと同じように、車にそれらのランプをつるして、外に出た。こんどはマッチを忘れずに持って。
道が西の峠とうげにさしかかるあたりに、半田池はんだいけという大きな池がある。春のことでいっぱいたたえた水が、月の下で銀盤のようにけぶり光っていた。池の岸にははんの木や柳が、水の中をのぞくようなかっこうで立っていた。
巳之助は人気ひとけのないここを選んで来た。
さて巳之助はどうするというのだろう。
巳之助はランプに火をともした。一つともしては、それを池のふちの木の枝に吊した。小さいのも大きいのも、とりまぜて、木にいっぱい吊した。一本の木で吊しきれないと、そのとなりの木に吊した。こうしてとうとうみんなのランプを三本の木に吊した。
風のない夜で、ランプは一つ一つがしずかにまじろがず、燃え、あたりは昼のように明かるくなった。あかりをしたって寄って来た魚が、水の中にきらりきらりとナイフのように光った。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
と巳之助は一人でいった。しかし立去りかねて、ながいあいだ両手を垂たれたままランプの鈴なりになった木を見つめていた。
ランプ、ランプ、なつかしいランプ。ながの年月なじんで来たランプ。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
それから巳之助は池のこちら側の往還おうかんに来た。まだランプは、向こう側の岸の上にみなともっていた。五十いくつがみなともっていた。そして水の上にも五十いくつの、さかさまのランプがともっていた。立ちどまって巳之助は、そこでもながく見つめていた。
ランプ、ランプ、なつかしいランプ。
やがて巳之助はかがんで、足もとから石ころを一つ拾った。そして、いちばん大きくともっているランプに狙ねらいをさだめて、力いっぱい投げた。パリーンと音がして、大きい火がひとつ消えた。
「お前たちの時世じせいはすぎた。世の中は進んだ」
と巳之助はいった。そしてまた一つ石ころを拾った。二番目に大きかったランプが、パリーンと鳴って消えた。
「世の中は進んだ。電気の時世になった」
三番目のランプを割ったとき、巳之助はなぜか涙がうかんで来て、もうランプに狙ねらいを定めることができなかった。
こうして巳之助は今までのしょうばいをやめた。それから町に出て、新しいしょうばいをはじめた。本屋になったのである。
*
「巳之助さんは今でもまだ本屋をしている。もっとも今じゃだいぶ年とったので、息子むすこが店はやっているがね」
と東一君のおじいさんは話をむすんで、冷さめたお茶をすすった。巳之助さんというのは東一君のおじいさんのことなので、東一君はまじまじとおじいさんの顔を見た。いつの間にか東一君はおじいさんのまえに坐りなおして、おじいさんのひざに手をおいたりしていたのである。
「そいじゃ、残りの四十七のランプはどうした?」
と東一君はきいた。
「知らん。次の日、旅の人が見つけて持ってったかも知れない」
「そいじゃ、家にはもう一つもランプなしになっちゃった?」
「うん、ひとつもなし。この台ランプだけが残っていた」
とおじいさんは、ひるま東一君が持出したランプを見ていった。
「損しちゃったね。四十七も誰かに持ってかれちゃって」
と東一君がいった。
「うん損しちゃった。今から考えると、何もあんなことをせんでもよかったとわしも思う。岩滑新田やなべしんでんに電燈がひけてからでも、まだ五十ぐらいのランプはけっこう売れたんだからな。岩滑新田の南にある深谷ふかだになんという小さい村じゃ、まだ今でもランプを使っているし、ほかにも、ずいぶんおそくまでランプを使っていた村は、あったのさ。しかし何しろわしもあの頃は元気がよかったんでな。思いついたら、深くも考えず、ぱっぱっとやってしまったんだ」
「馬鹿しちゃったね」
と東一君は孫だからえんりょなしにいった。
「うん、馬鹿しちゃった。しかしね、東坊――」
とおじいさんは、きせるを膝ひざの上でぎゅッと握りしめていった。
「わしのやり方は少し馬鹿だったが、わしのしょうばいのやめ方は、自分でいうのもなんだが、なかなかりっぱだったと思うよ。わしの言いたいのはこうさ、日本がすすんで、自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり、自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったといったり、世の中のすすんだことをうらんだり、そんな意気地いくじのねえことは決してしないということだ」
東一君は黙って、ながい間おじいさんの、小さいけれど意気のあらわれた顔をながめていた。やがて、いった。
「おじいさんはえらかったんだねえ」
そしてなつかしむように、かたわらの古いランプを見た。
地球儀
牧野信一
祖父の十七年の法要があるから帰れ――という母からの手紙で、私は二タ月ぶりぐらいで小田原の家に帰った。
「このごろはどうなの?」
私は父のことを尋ねた。
「だんだん悪くなるばかり……」
母は押入を片付けながら言った。続けて、そんな気分を振り棄てるように、
「こっちの家はほんとに狭くてこんな時にはまったく困ってしまう。第一どこに何がしまってあるんだか少しも分らない」などと呟つぶやいていた。
「僕の事をおこっていますか?」
「カンカン!」
母は面倒くさそうに言った。
「ふふん!」
「これからもうお金なんて一文もやるんじゃないッて――私まで大変おこられた」
「チェッ!」と私はセセラ笑った。きっとそうくるだろうとは思っていたものの、明らかに言われてみるとドキッとした。セセラ笑ってみたところで、私自身も母も、私自身の無能とカラ元気とをかえって醜みにくく感ずるばかりだ。
「もうお父さんの事はあてにならないよ。あの年になってのことだもの……」
これは父の放蕩ほうとうを意味するのだった。
「勝手にするがいいさ」
私はおこったような口調で呟つぶやくと、いかにも腹には確然としたある自信があるような顔をした。こんなものの言い方やこんな態度は、私がこのごろになって初めて発見した母に対する一種のコケトリイだった。だが、私が用うのはいつもこの手段のほかはなく、そうしてその場限りで何の効もないので、今ではもう母の方で、もう聞き飽あきたよという顔をするのだった。
「もう家もおしまいだ。私は覚悟している」と母は言った。
私は、母が言うこの種の言葉はすべて母が感情に走って言うのだ、という風にばかりことさらに解釈しようと努めた。
「だけど、まアどうにかなるでしょうね」
私は何の意味もなく、ただ自分を慰めるように易々いいと見せかけた。こんな私の楽天的な態度にもすっかり母は愛想を尽かしていた。
母は、ちょっと笑いを浮べたまま黙って、煙草盆たばこぼんを箱から出しては一つ一つ拭ふいていた。
私も、話だけでも、父の事に触れるのは厭になった。
「明日は叔父さんたちも皆な来るでしょう」
「皆な来ると言って寄こした」
また父の事が口に出そうになった。
「躑躅つつじがよく咲いてる」と私は言った。
「お前でも花などに気がつくことがあるの」
「そりゃ、ありますとも」と私は笑った。母も笑った。
「ただでさえ狭いのにこれ邪魔でしようがない。まさか棄てるわけにもゆかず」
母は押入の隅に嵩張かさばっている三尺ほども高さのある地球儀の箱を指差した。――私は、ちょっと胸を突かれた思いがして、かろうじて苦笑いを堪こらえた。そうして、
「邪魔らしいですね」と慌あわてて言った。なぜなら私はこの間その地球儀を思いだして一つの短篇を書きかけたからだった。
それはこんな風にきわめて感傷的に書きだした。――『祖父は泉水の隅の灯籠とうろうに灯を入れてくるとふたたび自分独りの黒く塗った膳の前に胡坐あぐらをかいて独酌どくしゃくを続けた。同じ部屋の丸い窓の下で、虫の穴がところどころにあいている机に向って彼は母からナショナル読本を習っていた。
「シイゼエボオイ・エンドゼエガアル」と。母は静かに朗読した。竹筒の置ランプが母の横顔を赤く照らした。
「スピンアトップ・スピンアトップ・スピンスピンスピン――回れよ独楽こまよ、回れよ回れ」と彼の母は続けた。
「勉強がすんだらこっちへ来ないか、だいぶ暗くなった」と祖父が言った。母はランプを祖父の膳の傍に運んだ。彼は縁側へ出て汽車を走らせていた。
「純一や、御部屋へ行って地球玉を持ってきてくれないか」と祖父が言った。彼は両手で捧げて持ってきた。祖父は膳を片づけさせて地球儀を膝の前に据えた。祖母も母も呼ばれてそれを囲んだ。彼は母の背中に凭よりかかって肩越しに球を覗のぞいた。
「どうしても俺にはこの世が丸いなどとは思われないが……不思議だなア!」祖父はいつものとおりそんなことを言いながら二三遍グルグルと撫なで回した。「ええと、どこだったかね、もう分らなくなってしまった、おい、ちょっと探してくれ」
こう言われると、母は得意げな手つきで軽く球を回してすぐに指でおさえた。
「フェーヤー? フェーヤー……チョッ! 幾度聞いてもだめだ、すぐに忘れる」
「ヘーヤーヘブン」と母はたちどころに言った。
それは彼の父(祖父の長男)が行っている処の名前だった。彼は写真以外の父の顔を知らなかった。
「日本は赤いからすぐ解る」
祖父は両方の人差指で北米の一点と日本の一点とをおさえて、
「どうしても俺には、ほんとうだと思われない」と言った。
祖父が地球儀を買ってきてから毎晩のようにこんな団欒だんらんが醸かもされた。地球が円まるいということ、米国が日本の反対の側にあること、長男が海を越えた地球上の一点に呼吸していること――それらの意識を幾分でも具体的にするために、それを祖父は買ってきたのだった。
「どこまでも穴を掘って行ったらしまいにはアメリカへ突き抜けてしまうわけだね」
こんなことを言って祖父は、皆なを笑わせたり自分もさびしげに笑ったりした。
「純一は少しは英語を覚えたかね」
「覚えたよ」と彼は自慢した。
「大学校を出たらお前もアメリカへ行くのかね」
「行くさ」
「もしお父さんが帰ってきてしまったら?」
「それでも行くよ」
そんな気はしなかったが、間が悪かったので彼はそう言った。彼はこの年の春から尋常一年生になるはずだった。
「いよいよ小田原にも電話が引けることになった」
ある晩祖父はこんなことを言って一同を驚かせた。「そうすれば東京の義郎とも話ができるんだ」
「アメリカとは?」彼は聞いた。
「海があってはだめだろうね」
祖父はまじめな顔で彼の母を顧かえりみた。
彼は誰もいない処でよく地球儀を弄もてあそんだ。グルグルとできるだけ早く回転さすのがおもしろかった。そして夢中になって、
「早く廻れ早く廻れ、スピンスピンスピン」などと口走ったりした。するといつの間にか彼の心持は「早く帰れ早く帰れ」という風になってくるのだった』
そこまで書いて私は退屈になって止めたのだった。いつか心持に余裕のできた時にお伽噺とぎばなしにでも書きなおそうなどと思っているが、それも今まで忘れていたのだった。球だけ取り脱はずして、よく江川の玉乗りの真似などして、
「そんなことをすると罰ばちが当るぞ」などと祖父から叱られたりしたことを思いだした。
「古い地球儀ですね」
「引越しの時から邪魔だった」
それからまた父の事がうっかり話題になってしまった。
「私はもうお父さんのことはあきらめたよ。家は私ひとりでやって行くよ」と母は堅く決心したらしくきっぱりと言った。私はたあいもなく胸がいっぱいになった。そうして口惜しさのあまり、
「その方がいいとも、帰らなくったっていいや、……帰るな、帰るなだ」と常規を脱した妙な声で口走ったが、ちょうど『お伽噺』の事を思いだしたところだったので、突然テレ臭くなって慌あわてて母の傍を離れた。
翌日の午ひるには、遠い親類の人たちまで皆な集った。
「せめて純一がもう少し家のことを……」
「そういうことなら親父でも何でも遣やりこめるぐらいな気概がなければ……」
「ほんとにカゲ弁慶べんけいで――そのくせこのごろはお酒を飲むとむちゃなことを喋しゃべってかえって怒らせてしまうんですよ」
「酒! けしからん。やっぱり系統かしら」
叔父と母とがそんなことを言っているのを私は襖越ふすまごしで従兄妹いとこたちと陽気な話をしていながら耳にした。私のことを話しているので――。
「この間もひどく酔って……外国へ行ってしまうなんて言いだして……」
「純一が! ばかな」
「むろん、あの臆病おくびょうにそんなことができるはずはありませんがね」と母は笑った。
「気の小さいところだけは親父と違うんだね」
客が皆な席に整うと、私は父の代りとして末席に坐らせられた。坐っただけでもう顔が赤くなった気がした。
「今日はわざわざ御遠路のところをお運びくださいまして……(ええと?)じつは……その誠に恐縮きょうしゅくなことで……そのじつは父が四五日前から止むを得ない自分自身(オッといけねエ)……ええ、止むを得ない自分用で、じつはその関西の方へ出かけまして、今日は帰るはずなのでございますがまだ……それで私が……(チョッ、弱ったな)……どうぞ御ゆるり……」
私はこれだけの挨拶をした。括弧かっこの中は胸での呟つぶやき言だった。ちゃんと母から教わった挨拶でもっと長く喋らなければならなかったのだが、これだけ言うのに三つも四つもペコペコとお辞儀ばかりしてごまかしてしまった。そしてこの挨拶のしどろもどろを取りなおすつもりで、胸を張ってできるだけもっともらしい顔つきをして端坐たんざした。だが脇の下にはほんとうに汗が滲にじんでいた。
「これが本家の長男の純一です」
父方の叔父が、まだ私の知らない新しい親類の人に私を紹介した。そして私の喋り足りないところを叔父が代って述べたてた。
だいぶ酒が廻ってきて、祖父の話が皆なの口に盛んにのぼっていた時、私は隣に坐っている叔父に、
「僕の親父はなぜあんなに長く外国などへ行っていたんでしょうね」と聞いた。今さら尋ねるほどの事もなかったのに――。
「やっぱりその……つまりこのお祖父じいさんとだね、いろいろな衝突もあったし……」
――やっぱり――と言った叔父の言葉に私はこだわった。
「何ぼ衝突したと言ったって……」
「今これでお前が外国に行けばちょうど親父の二代目になるわけさ。ハッハッハッ……」
「ハッハッハ……。まさか――」とわたしも叔父に合せて笑ったが、笑いが消えないうちに陰鬱いんうつな気に閉された。
翌日、道具を片付ける時になると母はまた押入の前で地球儀の箱を邪魔にし始めた。
「見るたびに焦じれったくなる」
「そんなことを言ったって、しようがないじゃありませんか」と私は言った。「どうすることもできない」
「たいして邪魔というほどでもない」
「だってこんなもの、こうしておいたって何にもなりはしない、いっそ……」
母は顔を顰しかめて小言を言っていた。
――今に栄一が玩具にするかもしれない――私はも少しでそう言うところだったが、突然またあの「お伽噺」を思いだすと、自分で自分を擽くすぐるような思いがして、そのまま言葉を呑みこんでしまった。
栄一というのは去年の春生れた私の長男である。
「青年は真面目がいい。夏目漱石」
「最も賢い処世術は、社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。芥川竜之介」
「くだらなく過ごしても一生。苦しんで過ごしても一生。苦しんで生き生きと暮らすべきだ。志賀直哉」
「人を知らんと欲せば、我が心の正直を基として、人の心底を能く察すべし。言と形とに迷ふべからず。徳川家康」
「それ用兵の道は、人の和にあり。軍師諸葛亮孔明」
「聪明出于勤奋、天才在于积累。生まれながらの天才はおらず、誰もが努力して成功しているということを意味しており、中国の数学者华罗庚が残した言葉だが、彼自身の幼少期の貧しさから生まれた言葉である。中国の故事から」
「by europe123 」</span>
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幾つか気が付いた事を記述と、文豪作品を二作品掲載する。