海月の骨をみている

海月の骨をみている

海月の骨をみている

「世界を嫌うようになったのはいつからだろうか。」
 濁った青年期を「青い春」だなんて呼ぶな。空になぞり描く線に命を吹き込むな。花言葉一つのために花を眺めるな。
僕は知っていた。人の気持ちは並行ではないこと。時間の流れは並行であることを。

「女性はなぜ、優秀そうに振る舞う男についていくのか。今日はそれを議題にワインでも飲もう。」
 世界を跨ぐ料理人「灯向」はそう語った。
「そんな話をしていては、君の作った最高の料理も湿気てしまう。やめておこう。」
 何もなせない詩書き「篭水」、否、僕はそう言った。
「その程度の会話で味は落ちないさ。なんたってこの私が味を保証するのだから。」
 ワイングラスに指を通して口元まで注がれる。そのワインが後頭部を流れるようにして、彼のオールバックは水っけに満ちていた。
「でも、僕は恋をされるような人ではないから。その議題には向いていないよ」
 グラスを握るはずの手はまだ白いシートの下の机に隠したまま。
「まあ、それは間違いない。」
 彼は目を丸くして、いかにも優越に浸っていた。札束の風呂につかるような、薔薇の花びらに浸るような。
「君には何一つ、私に勝てなかったのだから仕方ないか。ゲームに部活、就職、社会活動、最後に恋。ああ、一つだけあるじゃないか。テストの順位だよ。」
 彼はあざ笑うようにして、今度は冷めたステーキを切りかかる。
「ああ、そうだな。」
 僕は未だに手を隠したまま。血管が破れてしまわないか心配になるほどに、隠れたままだ。
 唾をのんでいた。いつからこうだったのか。どこで間違えたのか。こいつと今日、会ってしまったからか。それとも、学生の頃からか。もう、どうでもいい。
「最近の君はどうも勢いがないらしいね?」
 ステーキを頬張る。わざと咀嚼音を立てながら。
「もともとだよ。気にしないでくれ。」
「ならよかった。とても、心配でね。なんたって自殺未遂を何度もしていたと聞いていた。それもやはりあの恋に破れてからだろう?」
 腑抜けて上がる口角。もっと広げて引き裂いて、ナイフをのどに突き立ててやりたい。
「そうだね。」
「結局、彼女は今何処やら。」
 カチンっとなる皿とフォークの悲鳴。乱暴な男だ。
「どうでもいいだろう」
「そう、どうでもいいね。ああ、なぜかあの時の恋話をしたくなったな。よかったら聞いていくかい?世界で輝く男の過去だ、聞いていかないわけにいかないだろう。小説家さんが?」
「ああ」
 何に視線を合わせていたのか。テーブルに置かれたままのフォークとナイフ。毒でも仕込まれていそうなステーキ。錆び付いた色をしているワイン。
「やっぱり、やめておく。」
 目が覚めた。
 また海月の骨をみていた。
 劣等感の暴走。勝機も来期もない、完全な敗者だけがみられる妄想。まさに海月の骨。
「どうしたんだい?」
「いや、お前が嫌味を言っていないことはよくわかった。全部、僕の耳が悪い。」
 動き続けていた彼の手は止まっていた。止まったまま、僕に殺されればいいのに、なんて少し思ってしまった。
「最高の料理だった。ありがとう。」
 そういって僕は席を立ちあがり急いで世界から姿を隠す。
 高級そうなレストランを抜け、ネオン街の報われない光を踏みつぶし。小さな湖畔がある場所まで走った。
「やっと、君がいてくれるんだね。」
 水面に映った月が妙にきれいだったから。
水籠り、海月の骨に憧れる。
いつまでも抜けだせない青春を背に。

~終わり~

海月の骨をみている

海月の骨をみている

劣等感 苦しみ 愛情 メンタルブレイク 海月

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-08-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted