春の名前

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「いつか愛に行くから待っていて」
 ハルナは遠くに輝く楕円形の太陽を眺めて呟いた。
 僕はただ。夢だと思われるこの空間でハルナの顔を眺めていただけだった。言葉も出ない。
 初恋のみずみずしさのようで居心地は悪くはなかった。けれど思いは胸に詰まるばかりで全く溢れてはくれない。何て言えばいいんだろうか。
「枯れ葉が詰まった排水溝みたいだね。」
 ハルナは笑顔で答えてくれた。それは三日月をつけたような笑顔で。写真に収めて過ごしたいような素敵さで。
 ああ、そうだ。その通りだ。枯れ葉が詰まった排水溝みたいなんだ。どうすれば言葉になるんだろうか。もっと君と言葉を絡ませたい。大人たちがする愛のないキスよりも長い時間をかけて手を繋いでいたい。ねえ、どうしたらいいかな。言葉が出ない。もう血管が破裂しそうだよ。このままじゃ、いつか溢れてこの場所に鮮血を遺してしまう。
「大丈夫だよ。安心して、傍にいるから。」
 ことば。きれいだった。
 未確認の青色が空を支配している。あの楕円形の太陽は深く燃えている。太陽の輪郭には紫色のような紅炎が舞っていて。ふと地上を見渡せば何処までも続いて行く校舎の屋上があって。そのずっと先になれば地面の色が変わっている。あれはビルの屋上、その奥はリビングのようなタイル。その先にはふわりと浮かぶような土。それより先は遠すぎて見えない。でも、悪い物じゃないって思ってしまった。
「ハルナ。僕はこの先、君の傍にいたい。でも、人の心は直ぐに変わり果ててしまうし。人の心は産まれた場所によって粘土のように作られ固まってしまう。だから、君と会えたことが凄く素敵で幸せなことだけど、君に会えなかった人生を考えると光が心に刺さないんだ。西日も月も太陽でさえも。」
 ああ、ようやく言葉が溢れてくれた。このままもっと思いを伝えたい。まだ傍にいたい。
「私も同じだよ。でも、そんな人生は私たちじゃない、別の誰かだよ。気にしないの。それよりも、心が変わってしまっても同じ人を愛せるような優しい人であることを願おうよ。」
 透けていく。夢が終わるのだろうか。まだここにいたいの。この絶景にいたい。それなのに僕の体は何処か遠くの天井を眺めている。
「今すぐにでも会いたいよ。ずっとってのは嘘じゃないよ。だから、お願い…」
「願うんじゃなくて、叶えるんだよ。」
 その言葉で夢が醒めてしまう。
 うなじに辿る淡い体温が春奈の胸だと気が付いたのは、春奈の腕で体を締め付けられていたからだ。
「おはよう、祐樹君。長い夢はどうだった?」
 天井を見上げるようにして、春奈の顔を見上げた。
「ずっと一緒にいるからね」
「恥ずかしいこと急に言わないでよ」
 君の体温がまだ甘い間は、僕も君に甘えさせてもらうよ。

~終わり~

春の名前

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四季 春 恋 恋愛 純愛

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-08-15

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