甘いひと時

甘いひと時

Mai si è troppo giovani o troppo vecchi per la conoscenza della felicità.

幸せを知るのに、人は若すぎることもなければ、老いすぎていることもない

伊太利亜の愛に纏わる諺より

第二レッスン場からの帰り道、余りの暑さに涼を求めて夕刻の駅ビルに入った。
お盆休みで且つ日曜日と言う事もあり、大勢の人でごった返している中を、真珠と迷子にならない様、手を繋いで歩き乍ら辿り着いた場所は、五階にある其の気になれば何処にでもありそうな雰囲気のバイキング形式のレストラン『海風』だった。
お好きな席へどうぞ、と言う決まり文句があったのち、席、何処がいいかな、と真珠に問われたので、そうだな、窓際は暑そうだからちょっと離れた場所がいいんじゃないか、と答えて、窓から離れてはいるものの、外の景色が見える席へと移動をした。

早速飲み物を取ってくる積もりだけど、何がいい?。

真珠にそう質問すると、そうだなぁ、ひと息吐きたい気分だから、牛乳で、と真珠はニコニコと笑みを浮かべ乍ら言った。
其の表情から、久々に二人きりで過ごす時間が真珠なりに迚も嬉しいらしかった。

こう言う時は相手に付き合う意味で、同じ飲み物の方が良いんだろうな。

頭の中でそんな事を考え乍ら飲み物が並べられている場所へと赴くと、自分の分にも牛乳を注いだ。
透明なグラス越しに牛乳のひんやりとした感覚が伝わってくる中、テーブルへと戻り、はい、牛乳、と真珠に牛乳を手渡すと、真珠は微笑を浮かべつゝ、牛乳、有難う、と言って右手でグラスを受け取った。

中身は牛乳だけど、一先ず乾杯。

真珠のそんなひと言につられる様に、グラスを突き上げ、あゝ、乾杯と言ったのち、此の陽気の中、道行く人々を掻き分け掻き分け此処迄来た事もあってか、喉がすっかり渇いていたらしく、お互い、グラスの中が直ぐに空っぽになった。

あぁ、自然と気分が生き返るなぁ、冷たい飲み物を飲むと。

所謂「職業病」と言うヤツで音を立ててしまわぬ様、空になったグラスをゆっくりとテーブルに置き乍らそう述べた真珠の口元が牛乳で白く染まっていたので、テーブル脇のペーパーを右手で一枚抜き取るや否や、真珠の口元迄腕を伸ばし、まるで季節ハズレのサンタクロースみたいだな、と言い乍ら、真珠の口元の牛乳を拭き取ると、でもオーストラリアのサンタクロースは、今が稼ぎどきなんでしょ、と真珠が言った。

大層夢の無い言い草じゃないか、稼ぎどきなんて。
大体そんな情報、誰に教わったんだ?。

岩水さんだよ。
一昨日、運営くんに頼まれてグッズの整理をしていたら、旅行会社のパンフレット片手にフラッと現れて、珈琲を飲み乍らそんな話をつらつらと。

全く知らない顔とはいえ、警戒心が無さすぎるだろ、而も珈琲迄出して。

いやあ、一応「お客さん」だしね、ついつい普段の癖で。

まぁ、いいや。
済んだ事であーだこーだ言っても仕方がないしな。
相変わらず何考えているか分からない人だから、気をつけてくれよな。

はい、承知しました。

真珠が申し訳無さそうに軽く頭を下げる素振りをしてのけると同時に、お互いのお腹がぐう、と鳴った。
思い返せば昼間、第二レッスン場の近くにあるコンビニエンスストアで買った幕の内弁当を食べたっきり、合間合間に水分補給こそしていたものの、何も口にしていない。
こうなると「おこごと」もへったくれも無いもので、微妙な空気を掻き消す様に、難しい話は此処迄にして、兎に角何か腹に入れようじゃないか、と真珠に提案をすると、真珠もうん、其の方が良さそうだ、と言って軽く頷き、腰掛けていた椅子からゆっくりと立ち上がるや否や、足取り軽く食器類を運ぶ為のトレイが積み上げてある場所迄向かった。
ショーレストランで働いている事もあり、所謂勉強も兼ねて他のレストランに赴く機会はあれども、バイキング形式となると、精々出張公演の際に宿泊するホテルでのバイキング位でしか御眼にかかる事は無い。
況してや仕事で来ている場所での食事と言う事もあってか、如何しても気が抜けないと言うかなんと言うか。
故に真珠程では無いにせよ、何処となく浮き足立った自分が居る事を感じ乍ら、料理を物色し、テーブルへと戻った。
気がつくと陽はすっかり傾き、オフィス街から放たれる灯と家路を急ぐクルマのライトが交差する様が硝子越しに見える中、天井から降り注ぐ琥珀色の照明の下、お互いのトレイへ視線を向けると、考えることは一緒だった様でこってりとした肉が六、魚と野菜が其々ニ、と言うラインナップになっていた為、思わず笑い聲を軽く響かせ乍ら、じゃあ、いただきます、と料理に箸をつけた。

そう言えば今日は何日だっけ。

フワッとした見かけとは裏腹に、育ちの良さを何となくではあるものの感じさせる綺麗な箸使いで鯵〈あじ〉の南蛮漬けをパクパクと口に運び乍ら真珠がそんな事を言うと、今日は二十日の日曜日、と答え乍ら、生春巻きにがぶりと齧〈かぶ〉り付いた。

例年通りと言えば例年通りなんだけど、こう働き詰めだと夏はあっという間に過ぎちゃうよね。
偶の休日にしたって、自主練だったり脚本に眼を通したりしていたら、半日潰れるなんてザラだし。
況してや二人きりで尚且つ差し向かいでの食事なんて、夜光がオーナー代理の仕事を担当する様になってから、数える程しかしてない気がする。

そうだな、デートも月に二、三回出来れば及第点と言うか。

とは言え、ただボンヤリ過ごすのも性に合わないから、色々こなしている方がいいのかもね、経験値を上げる意味でも。

だからといって体調管理を怠って貰っても困るがな。

其れはごもっともです。

分かれば良いさ。

そう言って出し巻き卵を口に頬張ると、出し巻き卵の豊満且つ柔らかな食感が口の中いっぱいに広がり、同時に胸の中が多幸感に包まれた。
最近は忙しい生活を送る中でもなるたけ自炊を心掛けており、ウェブ上で調べた簡単レシピを参考に洋の東西を問わず様々なメニューを作る事に挑戦してはいるものの、矢張り自分で作った料理よりも他所と言うか外で食べた方が美味いものである。
其れは真珠も同じらしく、新鮮な卵をふんだんに使用しているらしいゴーヤチャンプルーをむしゃむしゃ食べ乍ら、やっぱり此の手の料理はプロに作って貰うのが一番だよ、と呟き、冷たい水で喉を潤した。

所で今夜だけど、泊まるのはどっちの部屋?。

グラス片手に真珠が言った。

そうだな、偶にはお前の部屋に泊まるとするか。

了解。

部屋、綺麗にしてるんだろうな。

以前・・・正確には付き合い始めの頃。
遊園地へ向かう予定だったが遊園地が改装期間に入り、急遽部屋デートと言うのをする事になった際、真珠の部屋が余りにとつ散らかっていたので、こんな体たらくで良く生活が出来ているな、此奴〈コイツ〉は、と酷く心配をした事がある。
以来、事ある毎に此の質問を投げ掛ける様にしているのだが、此の頃は流石に慣れ切ってしまったのか、ケロッとした顔で、大丈夫だよ、一昨日だってネット通販で購入した座椅子が椅子が届いた時、直ぐに段ボールを処分したし、と質問に答え、お喋りを交わしているうちに最後の一個となったソースのたっぷりと掛かった肉団子をぱくりと頬張った。

其方〈そっち〉こそ、ちゃんと寝てる?。
『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげる先生も言っていたけれど、睡眠は大事だよ。

妙に痛い所を突くよな、ほんの偶にだけど。
そんな言葉が胸の内を過ぎる中、ちゃんと睡眠時間は確保してるっての、こう忙しい中でも、と言って、錆利休色の茶碗に盛られた沢山の白米と一緒にたっぷりとタルタルソースの掛けられた鯨の竜田揚げを放り込む様に食べると、真珠はひと言、ふうん、と返事をしてから、狼が獲物を喰らうが如く、回鍋肉をばくばくと咀嚼した。
其れから口元をペーパーで拭き取り乍ら、今日は日曜日だから映画でも観ようよ、と提案して来た。

何を観るんだ?。

『風とライオン』、歴史劇だよ。

へぇ、意外な組み合わせだな、お前と歴史劇なんて。
況してやお前がショーンコネリーのファンだったとは。

つい最近、テレビの有料チャンネルに於いてショーンコネリー主演、テレンス・ヤング監督作品『007 サンダーボール作戦』の吹き替え版を観る機会があった事を思い出し乍らそう言った。

ファンと呼べるか如何かは別にして、最近脚本の勉強をしている銀星が『風とライオン』を観たらしくて、折角だから世界史とかに詳しい夜光と一緒に観てみようかな、と。

物知りと言う点じゃ銀星に負けるけどな。

じゃ、決まりだね。
あ、そうそう。
お摘みとお酒、ちゃんと用意してあるから。

用意周到で大いに結構。

へへ、久々のお家デートだもの、張り切るに決まってるじゃん。

真珠が此の様な台詞を述べる際にふと浮かべる微笑。
何処で如何憶えたのか、はたまた知る由も無い人間に「たらし込まれた」のかは知らないが、其の微笑は何処か小悪魔めいており、其れを垣間見る度に、いざ色戀沙汰の事となると、勘も含めて鈍いオトコにしては随分と味な真似をする、と言う気持ちが沸々と湧いてくる。
そんな事を考え乍ら、さて、そろそろ〆のデザートを食べようじゃないか、と真珠に提案をすると、穢〈けが〉れを知らぬ童の様な聲色で、そうだね、と真珠は返事をした。
そして歩き乍ら此方の隣へと立つなり、どうせ食べるなら、同じメニューが良いな、と眼をキラキラと輝かせ乍ら言うものだから、分かった、分かった、と反射的に返事をし、此れだけ腹一杯食事をした後だから、サラッと食べられるモノが良いだろうと考えてシンプルな味わいのプリンヨーグルトを二人して選んだ。
カップに入ったプリンヨーグルト、銀色にピカピカと光り輝くデザート用の小振りのスプーン、「健康志向」を意識しチョイスをしたノンシュガーのコカコーラを目一杯注いだグラスを運ぶと、じゃ、改めて乾杯でも、と言って、グラスを握り締めた手に雫が垂れ、ノンシュガー独特の香りが互いの鼻腔をしっとりと擽る中、乾杯の言葉と共にグラスを高く突き上げた。
半分程コーラを飲み干し、いざプリンヨーグルトの蓋をぴしゃりと開けると、程良い甘さが漂って来ると同時に、夏の時期独特のノスタルジックな気分が押し寄せて来た。

時間が経ってしまった今となっては単なる些細な想い出だけど、まだアイドル事務所に居た頃、事務所の人がプリンヨーグルトを振る舞ってくれた事を思い出すよ。
丁度今みたいに暑い時期だったなぁ、そう言えば。

かき氷でも食べるみたいに大きな口を開けてプリンヨーグルトを頬張り乍ら、真珠が言った。

そう言えば、そんな事もあったな。
あの頃はお互い、今よりもっと食に貪欲だった気がする。

ガシガシとプリンヨーグルトを食べ乍らそんな事を述べてはみたものの、まぁ、本当の所言えば貪欲だったと言うより死なない為に食べていたと言うのが真実であるのだが。

あの頃はまさかこんな風にキチンとお金を稼げるとすら思っていなかったよ。
ただ踊って歌う機会さえあれば満足だったんだろうな。
まぁ、世の中ではそんなヤツの事をプロとは呼ばず素人に毛が生えた程度、って言うのかもしれないけれど。

言い得て妙だな。

兎にも角にも鱈腹料理を食べた事だし、明後日から又頑張れそうだよ。
レッスンもだけど、誘ってくれて有難う。

あゝ、此方こそ楽しい時間を有難う。

勢いよくデザートと飲み物を平らげ、支払いを済ませたのち、再び手を繋いだ状態で外へと出た。
夏の夜風が街全体を吹き抜けていく中、駅ビルの周辺は、此の界隈で開催されていたらしい夏祭りから帰る色とりどりの浴衣を羽織った老若男女の姿で一杯だった。

皆んな、幸せそうな雰囲気だね。

大通りを渡る際の信号待ちの間、真珠がポツリと呟いた。

俺たちみたいに?。

うん。

で、お前は幸せか、今此の瞬間。

あゝ、幸せだよ。

そう言い乍ら真珠は右手をぎゅっと握って来た。

其れは良かった。

そんなやり取りののち、お店の事に就てあーでもない、こーでもない、と会話を交わし乍ら真珠の部屋へと辿り着くや否や、真珠がまるで新婚の花嫁の様に勢いよく、おかえりなさい、夜光、と囁き聲で抱きついて来た。
小悪魔め、歳上を揶揄うのもいい加減にしろっての。
華奢な様に見えてがっちりとした造りの真珠の身体を思いっきり抱き返し乍ら、うん、ただいま、真珠と囁き、まだプリンヨーグルトと牛乳の香りが仄かに漂う真珠の唇を貪る勢いで口づけた。

おい、シャワー浴びさせろ。
映画は其の後だ。

はあい。

なんて返事だ。
そんな事をボヤき乍ら、勝手知ったる我が庭だと言わんばかりにお互いが使用する歯ブラシだのコップだのがキチンと整理整頓してある洗面台へ向かった。
そして電気を点けるなり、鏡の前でもぞもぞと服を脱ぎ始めた。
暑い所と涼しい所を行ったり来たりしたお陰だろうか、服を脱いで上半身裸になった其の瞬間、たらりと腋を数滴の汗が垂れた。
真珠は鏡掃除も頑張ったらしく、新品と迄はいかないにせよ、鏡面は迚も綺麗に仕上がっていた。
そして其処にはニヤけた自分の面がしっかりと映っていた。〈終〉

甘いひと時

甘いひと時

久方振りに過ごす二人きりの時間。 夜光と真珠にとって、其れは甘いひと時。 ※ 本作品は『ブラックスター -Theater Starless-』の二次創作物になります。 ※腐向け及び独自要素あり

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-08-15

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