-Elixir- 千族化け物譚❖後夜
拙作最長編Cry/シリーズの、C1のA篇後日談です。
辰年最終12/13UP予定、DシリーズD3補足にもあたり、D3強化期間として掲載しました。ただ、内容が暗めなので不定期公開とします。
常時掲載のノベラボ版と内容は同じです。エブリスタでは特典にのみ掲載しています。
D3はこちらで、本年12/13に本編を追加し完結版公開予定です。
→https://slib.net/119597
人の姿をしながら人ならぬ力を持つ「千族」。
ほとんどの集落が滅ぼされ、有力者が減る一方の時代に、人間の町に隠れ住む千族の彼が出会う運命とは。
update:2024.11.25
Cry/シリーズC1 A後日 & Dragonシリーズ D3前日
終幕 "Elixir"
「その願いは、叶えられない」
時間が止まったような気がするほどに。
彼女は何も表情を浮かべず、そのままの虚ろな笑顔で、オレよりはるかに遠くの何かを見ていた。
「――……何とか言えよ。……何でも屋」
何でも屋として、ヒトの業を糧にしたと語る彼女に、オレは余計なことしか言えない。
光を持たない眼差しでも、この時だけはまっすぐオレの目を見て……彼女は満足そうに笑った。
依頼にこたえられない何でも屋なら、存在している意味はない。そう、遠くを見つめるように微笑む。
それは、これまでのどんな笑顔より儚げで、同時に清らかなサヨナラだった。
+++++
Cry per A. -arrestare-
千族化け物譚❖後夜 C1外伝 『ELIXIR』
~サビタカギ~
1:隠居する千族
あと数年でオマエは死ぬ。
そんなことを面と向かって言われたら、誰だって性格が暗くもなるだろう。
「……人間で言うなら、オマエは癌だな。水華が無事に育つ姿、見せてやれるかどうか」
竜宮というらしい謎の大陸。そこを守るのは悪魔でもある竜の若いおっさんで、妙に親近感のある軽いノリなくせ、この時は沈痛な顔付きでオレを見て言いやがった。
「オマエの左肩、死んだ妹の魂が埋め込まれてるぜ」
一言で言えばそういうことらしい。オレはその影響で衰弱し、やがて死に至るという。
あいつは多分、妹じゃない。自分が姉だ、って言うんだろうけど……なんてどうでもいいことを、ぼけっと考える。
どうやら双子の姉貴がとり憑いてるせいで、左肩の傷痕はいつまでも色褪せずに残っている。肩を軽くさすりながら、オレは適当に応えるしかない。
「……はあ。あの時オレも切り刻まれたのは、つまりそーいう必要性だったんですか」
姉貴の魂の移殖。八年前に死にかけたオレに、切り刻んだ奴がそうしたらしい。わかるのはそれだけだった。
そこ「竜宮」には、妙な縁で行くことになった。
知り合いが生物マニアの科学者に頼み、生み出されてしまった人造の化け物少女が水華と名付けられて、紆余曲折あって、オレの旧知の仲間の両親が住む竜宮に引き取られたのだ。
人造の化け物は大体、力が大きければ大きいほど、マトモに動ける奴はほとんどいない。そもそも心を持てる奴がいない。
水華には奇跡的に意志が宿ったものの、動くこともできない不安定さだった。だから助けてやってくれ、と泣きつかれた一人がオレなわけだった。
生物学なんて全く専門外の、それでも物造り系の何でも屋がオレだ。
結局何だかんだで、水華は生き物として動けそうなくらいにはこぎつけた。そこで四苦八苦しながら常に体調不良なオレの様子を見て、おっさん達はオレの左肩の呪いに気付いたらしい。
それから数年が経つ。
相変わらずオレの左肩は、傷痕を起点に赤黒いアザが何本も心臓に向かってのびていて、いかにも呪いという感じ――さながら蜘蛛の足のようだ。
そんなアザには、可愛い系だった姉貴の存在感なんて見る影もない。
「……衰弱するってーのは、聞いてたけど」
更に困ったことには、ここ数年、この傷痕から突然強い発作が起きるようになっていた。
激しい痛みと震えに、堪え難い異物感。とにかく唐突に、その何とも言えない苦しみは、時と場所を選ばずにやってくる。
オレの発作を目の当たりにした仲間は、彩の無い眼を強く歪めながら言ったものだ……それはまるで、真っ赤な憎悪の鼓動に視えると。
オレも本当はわかっていた。これは多分オレ自身が生んだ、消えない憎悪の逃げられない怨念――
――……左肩……いたいの……?
夜に起こることが多い発作は、最近は頻度も増えてきている。その後に眠りに落ちれば、見る夢は大差なく、静かで薄暗いものばかりだ。
このシスコン、と笑う、唐突な黒い女の姿が浮かぶ。
――いい加減お姉さん、解放してあげたら?
その黒い女は、呪いの代わりに自分が殺してあげる、とオレに気安く微笑みかける。
……本当に、ろくでもないとしか言えない。
それでもオレは、その黒い女と契約を交わした。
――本当にいいの? もしも契約を破った時には、アナタの命をもらうよ?
いったい何がほしかったのか、自分でも正直よくわからない。それでもオレは、ヒトの命を糧にそこに在るような、空ろでしかない黒い女に無様に縋った。
――あたしがいいってアナタが言うなら……あたし以外を求めたら、契約違反だからね。
言われなくてもどうせそいつしかいない。何をやっても罪の意識を感じない相手は他にはいない。
だからそんな危ない女と契約したのに、そいつはしばらく姿を消しやがった。
シスコンめ。と、またしても笑うそいつが戻ってきたのが、つい最近のことだ。
――あたしも、無様なアナタに会いたかったよ。
幾人もの血を吸った死神の刃を、そいつはいつかオレにも振り下ろすだろう。
そんな思いをよそに、意識を微睡みへ引き戻していく毎朝の声が、そろそろ鳥の声と共に響いてくる頃合いだった。
「おはよ~。朝がきたよ~」
日の光もろくに差さない内から、ひきこもる部屋に訪れる白い影。
肩だけが外に出た白い功夫服もどきを愛用する誰かが、オレの聖域に押し入ってくる。
「ラスティ、起きてる~?」
オレがこの町に来てから、もう一年以上たつ。半分以上の夜を発作で苦しみ、そしてそれ以上の朝を、この声と共に迎えていた。
「……ん……」
ひっそりと生きてるはずのオレの隠れ家に、迷惑以外の何物でもない喧しい声が響き渡る。
「ラスティ、おはよー! 朝だよー! 朝が来たんだよ~!」
毎朝毎朝、本当に飽きない。こいつは必ずオレを起こしにやってくる。
「早く起きないと、おとーさん渾身のヨーグルトカレー、わたしが食べちゃうよー!」
いらねー……朝っぱらからそんな意味不明の創作物、全然食べる気になれねー……。
ヒトの気も知らずに声の主、居候娘のサキは、同じく居候の養父タツクの口真似をして、ヒトを楽しげに揺さぶり始める。
「ほら、起きぃな、ラっ君! 起きんとおれの合いの手ッ拳が飛んでくるでえ!」
「……誰がラっ君だ」
しかも、合いの手ッ拳て何だよ。と、うっかりつっこんで返事をしてしまった。
サキの奴はやった、とばかり、嬉しそうにヒトの布団をひっぺがす。
鎖骨くらいまである真っ直ぐな薄い桜色の髪が、同じく色の薄い目と共に光ったように、フワリと舞っていた。
「おはよー、ラスティ。朝の内にお布団干しちゃうから、早く着替えてね」
「……」
いらない。と言えればまだしも抵抗のしようもあるが、湿気のない布団はやっぱりイイし、意思の弱いオレはむくりと起き上がるしかないのだった。
「またそんな仏頂面して~。昨日はよく眠れた?」
「ほっとけよ……」
毎朝毎朝、飽きもせずにヒトを起こしにくるサキは、本当に朝から元気印だ。十四歳の女子ってこんなに元気だっけ、と思うくらいだ。
しかし今日は珍しく、少しマジメな顔付きで布団を抱えながらオレを見つめてきた。
「あ、そうだ。おとーさんが何か、大事な話があるって言ってたよ」
「オオゴトな話?」
強引に寝巻を回収された。緩いTシャツとジーンズに着替え、食事部屋に行ってみる。
台所では一見特に偏哲のないカレーを口に運びながら、号外広告に目を通すタツクがいた。
「おお。おはよーさん、ラスト」
オレの現戸籍名はラスティ・L・ミスティだが、昔からの知り合いはラストと呼ぶ。よく行くジパングでは竜牙烙人と登録している。
もう八年来の付き合いになるタツクが、珍しく眉間にシワをよせて、黙って斜め前に座ったオレに、温かいお茶をほいっと差し出してきた。
「えらいことになってきたで。今度きよった『ウィル』新任の都市長、のっけからとんでもないこと発表しよった」
「へえ? どんなおふれだよ?」
そう言うとタツクは、号外のチラシをオレに手渡す。
その内容を一目見ただけで、何だか言葉にしづらい複雑な感情が走った。
「……すげーな、これ。病人と老人は全員、合法的に安楽死させてやるってこと?」
「生産的活動? に携わる見込みのない者は、ウィルにいる限り半強制的にみたいやな。一ヵ月後の総会を通過すればやけど……何を考えとんねん、この新都市長」
こんなん、絶対に無事に済むわけないで、とタツクは苦い顔で、俯いて溜め息をついた。
「下手したら、おれらにも何か火の粉が振りかかるかもしれへん。この政策のために住民登録とか身元証明が厳しなったら、洒落にならへんやろ、ラスト」
「――そうか?」
トーゼン、言いたいことはわかるんだけども。
シンプルな顔立ちでよく笑い、しかも常時エプロンなタツクにシリアスな顔はさっぱり似合わないので、皮肉なホホエミで頬杖をついて返してやった。
「下手したらどころか、オレなんてそのまま安楽死対象者だと思うけど? 生産人口以外の成人はアウトってことなんだろ」
ここ最近、無職歴更新中の病弱なオレだから間違いない。
そこで、朝からカレーなんて食ってるせいか暑苦しい男は、ばんと机を叩いて立ち上がった。
「なんやとー! アホがあ! おれらがそんなん許すと思ってんのかあ!?」
そういう問題か? と思うが、タツクの勢いは止まらない。
「大体オマエ、元々自宅職人の家系やないか! ていうかおれらが人間ごときに殺られるわけないやろーが! 返り討ちにしたる!」
「なるほどな。それで人間を敵にまわし、迫害されて全滅するという筋書きなわけか」
暑苦しい男の相手にもすぐ飽きたので、食事部屋を後にすべく椅子から立ち上がった。
「――待てや」
「腹減ってない」
さっきから立ち上がったままのタツクが、ヒトの肩に両手を置いて抗議の目を向けてくる。理由はわかってるのでいつも通りの答を返した。
「今日のは自信作やねん! 別に無理して沢山食えとは言わんから、味見して感想よこすことがオマエの役目やねん!」
「それ、毎食同じこと言ってるじゃねーか」
サキがいるだろ。と言っても、あいつは何でもウマイ言うてくれるからアカンねん! と、天に唾するようなことを口にするタツクだった。
さすがにオレも毎食は付き合えないので、今日はあっさり振り切って寝床へと帰る。
背後から、昔のラっ君は素直で可愛かったのに、と、いつも通りの兄貴的グチが鳴っていた。
部屋に帰ると、少し気が抜けたせいか、それは唐突に襲ってきたのだった。
「っ……!」
左肩から体の奥まで侵入し、心臓を掴もうとするかのようなおぞましい不快感。
来るべき激しい発作に備えて、全身に瞬時に緊張が走った。
幸いここは自室。
左肩を掴んで崩れ落ち、床に頬をつけて遠慮なくのたうちまわった。
「ぁぐ……ッ…ッ」
それでもサキやタツクに気付かれないよう、無意識に必死に声をひそめる。
痛みとも悪寒とも言えるソレ――赤い鼓動は、古い傷から溢れ流れる悪魔の囁きだ。このまま苦しみに身を任せて、眠りにつけばいい。誰かが毎度、そう囁く気がする。
この傷はいつか必ず命を奪う。早いか少し遅いかの違いで、呪いを受けた以上、決して覆すことはできないらしい。
「っ、のやろ……ッ」
そう言われても、未だにオレが命長らえている理由はよくわからないが……多分一つには、自力で開発した反則のドーピングがあった。
「ん……っ」
袖口に潜ませてある、いつもの薬を口に含む。同時に身構えるように全身が軋んで硬くなった。
この一口で、楽になるなら話は簡単なんだけどな。
これはオレにとって、冬山で寝るなと言うに等しい拷問の始まりだった。
左肩に刻まれた蜘蛛の足は、心臓を目指して少しずつ触手を伸ばしていくかのようだった。
――その発作が来たら、決して眠るな。呪いの侵蝕をおしとどめるには、意識を保って闘うしかない。
そんなことを誰かは言っていたが、生憎そんな一人芝居の根性はない。
なのでオレはこうして体を活性化し、勝手に闘ってくれる薬を自力で開発していた。
「……ぃてェ――……」
自前の薬はいつも、傷との闘いの結果か、痛みを更に激化させる。
あまりの痛みに、やっぱり眠ってしまいたくなった。
でもそれで意識が落ちると、薬が切れてしまえば目覚めはない可能性が高い。
結局、潮時なんだろうか、と弱気になってくる。
一度使うと効果は数時間持つが、こうも発作が頻繁になると、薬自体の負荷からも体が崩れてきていた。人間が飲めば死ぬような薬を飲んでれば当然だろうけど。
……。
…………。
痛みは続き、ひたすら意識をとどめることに集中する。
……。…………。
過呼吸のせいで、手足もぴりぴりと痺れ出した。
今回の発作はいつもよりもかなり、長く続く。
呻く力もなくなってきて、意識が危うく落ちそうになっていった時に。
――トン、トン、トン。
路地裏に面する自室の窓から、突然控えめなノック音が割り込んできた。
「……ん」
その音で何かが切り替わったらしい。急速に左肩の痛みが意識の片隅に追いやられていく。
左肩を押さえてゆっくり起き上がったオレは、呼吸を整えた後に、静かに窓を開けた。
ノックの主は、大人しげな容姿と裏腹の無邪気さで、抑揚の無い声で笑いかけてきた。
「はァい、ラスティ君。取り込み中だった?」
「……別に」
わかってんなら呼ぶな、と、左肩を押さえる手に力を込めてアピールする。
肘の高さの窓枠に両腕を置いて、光彩のない目でオレを見上げるそいつはそういった主張に敏感なので、含みのある顔でニコっと笑った。
「何の用だ、朝っぱらから。仕事あるんじゃないのかよ……SKY」
そいつはオレと、少し前にある契約を交わした仕事人だ。横文字の名前も含めて、一言で表せば、胡散臭いとしか言いようがない黒い女で。
オレとの契約でいくと、オレが呼んだ時だけ来るはずのそいつは、妖しげにくすりと笑った。
「勿論、ニィトのラスティ君とは違うからね。仕事のことで用があるからきたんだけどね」
真っ直ぐな長い黒髪を肩の高さで束ねたSKYは、黒いハイネックと黒のケープ付きコートを常用している。まさに全身黒ずくめの女は、オレを見る目まで黒一色だ。
世界に千種はいたと言われる、人間の姿をしながら人間ならぬ「力」を持つ様々な種族、通称「千族」。かくいうオレも人間ではなく、千族に分類される稀な出自だ。
目の前のSKYも人間でないのは気配でわかるが、何の化け物なのかが実はさっぱりわからない。
大した「力」も使えないのに、妙に強いあたりが、性質の悪い仕事中毒者ってところだろうとは思う。
「今の職場は、先週から新しく決まったってこないだ話したっけ。あたし以外にも護衛を募集してるから、戦う武器職人のラスティ君を見込んでスカウトにきたわけ」
「誰が武器職人だよ」
確かにオレは武器も造るが、本業じゃねーし。余程認めた相手でないと造ってやらないし、そもそも武器造りは好きじゃねーし。
とりあえず武器でも薬でも道具でも、物造り系の何でも屋がオレなんだろう。
「そういう意味じゃ、あたしも本来護衛じゃないけどさ。向いてる職業を一押しされるのは仕方ないでしょう」
見た目は二十台くらいの黒一色の女、通称SKYは、問題解決型の何でも屋な仕事人だ。
こいつなりの人知で可能なことなら、ありとあらゆる依頼を、こいつからあえて指定する代償付きで引き受ける。
その代償が払えなければ命で償えという、まあわかりやすい裏世界の住人だった。
「……あんたの何処が護衛向きなんだよ」
その細っこい華奢な体つきで……と言いたくなるほど、こいつは女にしたって貧弱な体型だ。
オレもヒトのことは言えないし、人間でないオレ達の「力」は、そういうところにないのは常識なんだけども。
「生憎、求職はしてない身の上なんでね」
「知ってる。でもこの仕事は融通が効くし、何より、興味があるんじゃないかと思う」
初めて会った時から全く変わらない笑顔。SKYは依頼書のような紙切れをサラリと手渡す。
「……へェ。……ふーん……?」
嫌々目を通すと、悔しいながらそいつの言う通り、複雑な思いを抑えることができないオレだった。
2:眠れる人間
町を歩くと、何処もかしこも例の新政策の噂で持ちきりのようだった。
「……警備隊もちらほらいるな……早速厳戒体制ってわけか……?」
あんな発表の後には、強い反発は必至だろーから、警戒してるんだろうけど。
そんなわけで、至る所で、人間達からの率直な不満がきこえてくる。
「どうしましょう、病気の妹がいるのに……あと一ヶ月の内に新しい町と医者を探せというの? ……そんな……」
「外に行けば済む奴らはいいさ。うちなんてじーさん二人ばーさん一人を全員退去なんて不可能だぞ」
人里から人里への往来は危険が多い。山々や森は険しく、魔物が沢山棲み潜んでる。
「……ワープゲートとか船が使えれば、まだしもって感じではあるけど」
そこまで辿り着くにも危険はないわけじゃないし、そもそも金がない奴らがほとんどだろう。
「ただの人間には相当……ムリな話だよな」
閉鎖的な人里が多いこの世界では、旅のハードルは高い。こんな不満が溢れることはわかりきっていた。
この商業都市ウィルが存在するのは、人口が多く、開発が進んだ西の大陸だ。
西の大陸のメジャー居住地は、ウィルの他に二つの商業都市と、最寄には「ディアルス」という人間の大国がある。ディアルスはオレ達のような千族を公的に国民と認めている。
それなら人間にとって、化け物と怖れる千族がいない前提の商業都市を離れることは、普通なら誰しも嫌に決まっていた。
オレもタツクもサキも、だから正体を隠して、ひっそり住み着いているわけだけど……。
目的の場所に寄った後、家に帰り着く。
予想外に早く、厄介事到来の匂いがしていた。
「……ったく」
オレは正直、面倒は御免だからこの町に来たのに、かったるいことこの上がない。
その発信源、ドアの向こうの食事部屋から、タツクの苛立った声が響いてきていた。
「だから、おれ達はここに長居するつもりはないんだ。何度言ったらわかる」
「いずれディアルスに帰られるということは何度も伺っております。それでもこのウィルに滞在される間は、ウィルでの居住の登録を行っていただかなければ」
「旅人全てにそんな登録させたら商業都市自体が機能しないだろう」
「しかし貴殿方の滞在期間については、既に一年近くなっておられ……」
例の政策を施行するにあたり、準備段階として、早速今日から都市内の居住者チェックが厳しくなったんだろう。状況は予想していた通りだった。
「――! ラスティ!」
サキが帰ってきたオレに気付き、焦り顔で駆けよってきた。
「お帰り、何処いってたの? 今ね、急に役人さんがやって来て……」
「見ればわかるよ。思ったより早かったな」
タツクやサキの危機感もさもなん。
「ま、実際オレ達、不法滞在者なわけだし」
戸籍持ってる方が珍しいまっとうな千族なら、普通は焦るわけで。
食事部屋から聴こえるタツクの声が、一層辛辣さを増す。
「ウィルとディアルスで二重の居住登録をさせるつもりか。それならまずはディアルスに、話をつけてもらうのが筋だろう」
「おとーさん……」
聞き耳をたてるサキは、タツクの冷たい口調に、表情がひたすら浮かなかった。
タツクは元々、標準語で喋れる。
というかオレや昔の仲間以外には、あの中途半端な訛りは聞かせないのだ……五年以上生活を共にしている、サキに対しても。
「し、しかし、こちらがそこまで貴殿らの面倒をみる筋合いなど……」
「ウィルで居住登録をするなら、おれ達はここの都市民になるわけだろ。都市民に対する態度がそんなことでは先が思いやられるな」
誰が都市民だ! とついに役人がキレてしまった。
「それではこの場にて、三日以内の退去か、不法居住の罪による連行を選んでいただく! 抵抗されるなら妨害行為としてやはり連行する!」
……多分この反応は、役人的に、タツクが怖くなかった結果なんだろう。
それともこの役人が、千族の存在を信じていないのか、若くて職務熱心なのか、ただの世間知らずか。この大陸ではわりと常識的な、「出所の知れない旅人には注意せよ」や、「ディアルスの関係者は千族だと思え」の、暗黙の了解を知らないのかもしれない。
「もしも千族なら何されるかわかんねー……って、帰ってく人間の方が多いのにな」
タツクもこの反応は想定外だったようで、ちょっと待て! と焦り始めた。
「……はぁ」
これ以上アイツがヒートアップすると、ろくなことがなさそうなので。
オレは不躾に部屋のドアを押し開くと、不毛な論争に嫌々参戦しましたよ、本当にお疲れさんオレ。
……。
……結果だけ言えば。
ウィルで居住登録はせず、退去期限は三か月先に延びましたとさ。拍手、ぱちぱちぱち。
「ど……どーなってんねん?」
ポカーンとしているタツクの一言。その答としては、話は数時間前に遡ることになる。
「……あれ? ラスティ君?」
来てくれたのかい? と。
殺伐とした白い病院の小さな病室で寛ぐ癒し系の三十路男が、部屋に入ってきたオレを見て無防備な笑顔を浮かべた。
「嬉しいな、最近お見舞いの人も減ってきてたから。ほら、座って座って。彼女もきっと、君が来てくれて嬉しいと思うよ」
部屋の端で、灰色のベッドに横たわる女性。その傍らに座り、いくつも書類をチェックしながら男は、見舞い品らしいお菓子とお茶を勝手にオレにふるまう。
女性はもう一ヶ月近く昏睡したままなので、この部屋の主はある意味コイツなのだった。
「――んで。メリナ裁判官の容態は変わりなしですか、ウェイド検察官」
「もう裁判官じゃないよ。とっくに除名されちゃってるからねぇ」
僕も検察官なんて言われると照れ臭いな、なんて。黒髪で七三分けと、マジメだが穏やかな風貌と表情からは、確かにコイツが犯罪者を糾弾してる姿は想像しにくい。
横たわる女性の方に目を向けると、勝手に近況を話し始めてくれた。
「最近はちょっと、睫毛が動くこともあるんだよ。体重はもう随分落ちてしまったけどね」
「……それ、二週間前も同じことを聞いた」
「そうだったかい? 前は、睫毛が動いた気がする! だったと思うけど……」
哀しいほどに穏やかに語るコイツは、別に、女性の連れ合いでも何でもない。
文字通り検察官と新任裁判官という知り合いだったが、検察官の方は、裁判官が判事補の頃から片思いをしていたらしい。
女性がこの状態になってからは、身寄りのない女性の世話を献身的に行っている。それでも女性がいつ目覚めるのか、目覚めた時にコイツをどう思うのかなど、何の保証もない。
……そもそも女性は、昏睡となる前、自らと周囲の記憶を全て失っていた。
それでもコイツは健気にこうして、女性を見つめ続ける。
「……ストーカー的には、大事な違いだったな。悪ぃ」
「いやいや、まだまだだよ。僕の観察レベルは、並大抵のストーカーは足元にも及ばない領域だと自負してるからね」
寂しい笑顔で冗談めかしたことを言う。身の程を弁え過ぎたコイツに、オレは改めて、冷めた視線を送るくらいしかできなかった。
場が静かになったついでに、単刀直入に言う。
「頼みがある」
「――?」
「例の新政策のことだ」
そう言うと、ウェイドはみるみる険しい顔になった。
「そうか、もう一般公布されたんだ。馬鹿げてるとしか思えない、あんな暴挙が……」
「今後は滞在許可だけでなく、居住登録が必須になるはずだろ。オレはここで登録する気はさらさらないから、何かあったら書類レベルで握り潰してくれよ」
「無茶言うなあ……不法居住は管轄内だけど、僕に犯罪しろって言ってる? それ」
「三ヶ月でいい。資料紛失とか何かで、退去チェックリストに載るのを遅らせてくれ」
ええ? とウェイドは、悲しそうな顔をしてオレの方を見る。
「それってつまり、ラスティ君、三ヶ月後にはいなくなっちゃうのかい?」
「……関係ねーし。例の政策にちょっと関わることになったから、それくらいはいるかと思っただけだ」
「なーんだ、良かった……って、それでも犯罪スレスレには間違いないけどな。無理やり居住登録なんて馬鹿げてるし、君が悪いヒトじゃないのもわかってはいるけど……」
根っからマジメな人間のウェイド検察官殿は、公僕としての良心と、オレへの厚意の間で揺れ動いているようだった。
オレは仕方なく、眠るメリナを横目で見ながら重い口を開く。
「あのSKYが――……新都市長と組んでる」
ぴくりと、ウェイドの表情が固まる。その名は今や宿敵に近いからだ。
伝えたくないことだったが、オレがこの件に関わる以上、いずれは知られてしまう話だろう。
「表向きはただの護衛だ。例の政策を実行する上で、暴動や反発を恐れてのことだろーな」
けれど、それならそれで「何でも屋」ではなく、ただの護衛を雇えば済むはずで。オレが一番引っかかったのはそこだ。
「メリナさんの時みたいに、何か厄介事が裏にあるはずだ。新都市長のことはどーでもいいけど、あいつの目的は気になる」
「あのコ自体が……あの新政策の立案に何か、関わっていると?」
無言で肯定を示すオレに、ウェイドは厳しい顔付きのまま、横たわるメリナの頬にそっと片手を当てた。
「生産的活動に携わらない者……彼女も当然、このまま眠り続けるなら、安楽死の対象とみなされるんだろうね」
コイツの怒りはそこだけではない。でもそれが大きなウェイトを占めるのは確かだろう。
「わかったよ、ラスティ君……むしろ僕からお願いしよう。あのコが何かまた、護衛という立場を悪用して、彼女のような不幸な人をつくるかもしれないのなら。可能な限りこの町にいて、それを阻止してほしい」
……メリナが新任裁判官となった五ヶ月前。
SKYは元々、メリナの護衛に雇われた身だった。
「……ん、まあ。その代わりオレも、新都市長の護衛に、雇われの身になるんだけど」
「ええっ、どうしてそんな! ラスティ君、体は大丈夫なのかい?」
「知らねーし。突然死するかもだし、大した役には立たないって言ってんのに、向こうが雇うって言ってきたんだよ」
これだけ渦中にあっさり近付ける方法はなかなかないので、オレも申し出を受けると決めたわけだけど。
それでも、とウェイドは、何故か嬉しげなキモチワルイ顔でオレを見てきやがった。
「最近ラスティ君、前より顔色良くなったよ。就職先は心配一杯だけど、働く気になったなんて凄いじゃないか」
「……ヒトを社会復帰前ニィト扱いすんな」
というか働こうと思ってるんじゃなくて、興味本位で潜入するだけの話だし。
ウェイド、メリナに初めて会った三ヶ月前は体調も激悪、気分的にも腐ってたピークだった。そのせいで、お人好しなこいつらは、頼みもしないのにヒトのことを気にかけてきたのだ。
……オレが人間ではないことを、おそらくは気付きながらも。
「それにしてもラスティ君、退去チェックリストなんてよく知っているね。そりゃまあ、誰でも想像くらいはすると思うけどね」
えらく確信に満ちて言っていたよね、と、ウェイドが不思議そうな丸い目をする。
ディアルスに本来籍を置くオレは、ウィルに来るまで国境警備隊長なんてやってたくらいで、これはその名残なわけだが……。
「……ところで」
話を逸らすためじゃないけど。ここに来た本来の目的のモノを、ポケットから取り出した。
「それ……何だい?」
メリナの枕元に置いた、小さなポプリケース。中身はここ二週間で調製した、人間向きに出力を抑えた薬を含ませたハーブの粉末だった。
「匂いって直接、脳まで届くって話だからな。ダメ元で良ければ使ってみてくれ」
「ラスティ君……」
じわりと、喜怒哀楽が正直なウェイドの両目に涙が滲む。
仕事をしながら付き添いを続けるコイツも、相当疲れが溜まってるだろう。今度は滋養系の薬も必要か、なんてポツリと考えながら、部屋を後にしたオレだった。
それでもって帰ったら、早速くだんの役人の騒ぎ。
言う通り三日後に退去するから、今日は帰ってねー、と役人を追い返した顛末なのだった。
実際はウェイドに依頼した通り、まだ三ヶ月は居座る気ではあったけど。
「あぁもぉ、腹立つわー……ほんと闇討ちしたろーか、あの世間知らず役人が」
「エプロンしてハタキ持って出迎えるお前が悪い。口調変えたところで凄みも何もあったもんじゃねーし」
「あの検事さんに根回し頼んだってゆーけど、さっきの奴が直接確認に来たらどないすんねん?」
「居留守でも使えよ。それかお前とサキだけでも先に退去すれば?」
オレは半住み込みのバイトで当分留守にするから。とは告げず、前から何度も言っている一番の弱味を改めて口にした。
「そろそろディアルスに帰れよ。この前も催促の使い魔、きてただろ」
「…………」
タツクが一気に不機嫌になる。ヒトの頭からつま先まで全身をまじまじと覗き込んできた。
「……ヘンタイかよ、オマエ」
「喧しわ! おれがディアルスに帰る時はな、オマエの全身状態が改善したのを見届けてからやって心に決めてんねん!」
「……その日、来なくねーか」
「ええい、暗い話をあっさりばっさり口に出すもんやない! これ以上ワガママゆーなら、オマエもここにおるってディアルスの連中にばらすからな!」
「……理不尽な奴」
何がワガママなのか、居候してんのはそっちだし……とは思いつつ。
ディアルスからの帰国要請という火の粉が回るのは避けたいオレは、仕方なく黙るのみだ。
部屋を出ると、サキが壁にもたれ、ぼけっと天井を見ていた。
「――ずっと聴いてたのか? ……入って来ればいいのに」
「ううん……大切なお話中だな、って思って」
サキの足元には、灰色一色で猫型の、猫にしては大きめの小獣がまとわりついている。小獣はオレを見上げて小さく啼くと、唐突に体が透けて消えていった。
「ラスティ、大丈夫? 何か疲れてる?」
「……そーか?」
サキの方は、役人がいたさっきまでとは違う穏やかな顔だ。でもオレから見ると、こいつこそ覇気がないように思えた。
「サキは、疲れたのかよ?」
「……うん、ちょっとハラハラしちゃった。でもラスティが解決してくれたからヘーキだよ」
ありがとー、と笑う。それを言うためだけに待っていたかのように、その後すぐに自室に戻ったサキだった。
「…………」
別に、てめーらのためじゃねーし……と言う間も与えない辺り、タツクより多分上手な奴だな。
「……護衛のこと……」
言いそびれたじゃねーか、と。一人ごちながら部屋に帰った。
夜は自動で鍵がかかるように、自室のドアは以前に造り変えた。オレの気配を認識すると独り手に開き、勝手に閉まった。
「……――!」
寝床と物入れ、武器と作業台で埋まった部屋に入った途端、またもや左肩に強い悪寒。
今朝といい今といい、気が抜けるとこんなにリアルタイムで体に反映する――
それが意味することは多分、たった一つだ。
「――げホっ」
褐色のカーペットに倒れこみ、体を折って妙な息のし辛さに重く咳き込む。口の中にはっきりとした鉄の味が広がっていった。
「……まじかっつの」
怖れていた事態に背筋が冷やりとする。リアルな赤色に少しだけ動揺してしまった。
いつかは有り得ると予想してたけど、左肩の傷痕はこの度、肺まで達したんだろう。
「まぁ……前兆はあった、けどさ」
メリナに渡した、本来なら長くても二日程度でできるはずの小物造り。それに二週間と、言わば七倍かかった体調を思えば当たり前だ。
「……」
……あーあ、と。
左肩を押えながら丸まり、痛みの先にのびる左手を、霞んでいく目で睨みつけた。
「……動かねー……」
左手は、強く握ることも肘を曲げることも、ほぼできない状態にまでなりつつあった。
……利き手でないのはせめてものだけど。
「……職人的にダメダメ……護衛だって戦力……七分の一以下なんじゃねーか、これ」
薄れそうな意識で何となくの、意味の無い数字。
不快感を持て余しつつ気持ち悪い咳き込みは続き、結構な量の暗赤色なモノを吐き出してしまった。
「……くそォ」
そんなヨロヨロの奴をこの仕事に誘った時の、SKYの言い草を思い出す。
――別に戦ってもらう必要はないよ。ラスティ君にお願いしたいのはアイテム開発だから。
まぁ……千族だとばれないためにも、それくらい弱い方がいいのかもしれねーけど。
「精霊も使えない霊法士か――……だせぇ……」
……霊法種族。オレに流れてる千族の血。
それは千族の中でも特殊な、いわゆる「魔法」とは逆の力を使う種族なのだった。
大体の力ある種族は、「魔力」を基盤にして様々な奇跡を実現させる。けれどオレ達は、霊的な存在や一部の人間のような「霊力」でもって、魔力よりも間接的な能力行使をするタイプだった。
魔力は何かを消費することが前提の力で、人間で言えば例えば固形燃料を燃やす時の点火にあたる。対して霊力は、つけられた火を使う竈そのものを作るかいじる、システム構築側の性質がある。
そんなオレ達の力、霊力は、物造りや精霊などとの契約においてとても相性がいい。
素材の強化や、既に完成した物に力を与えて改良や携帯型にもできる。
精霊や召喚獣といった強力な存在も、魔力で半ば無理やり使役するより、霊力で支援して協力を仰ぐ方が、互いにとってやりやすい。どっちの方が強力かは別問題だけど。
そんなわけでオレは生まれた時から、故郷の泉の主である精霊と契約している。
「でもそれが……そもそもの間違いだったよな……」
治まらない悪寒で夢現の中、ろくでもない自分の生立ちを不意に思い出した。
うちの種族は本来、女しか生まれない。
女が精霊の子を宿すことで契約の手間を省いており、生まれた女は精霊を魂に宿しつつ生物として成長し、精霊としての一面でまた将来、精霊の子を宿すというわけだ。
「……のはずが。何でオレは、男に生まれたのやら」
突然変異で増えた男の因子、Y染色体? の有無以外は姉貴と全く同じなせいか、一つだけの精霊は双子の姉貴でなく、オレに宿ってしまった。
おかげで加護の無い姉貴は小さい頃から体が弱く、オレも子孫を残す能力はないらしく、特別な巫女の家系だったうちの血は絶えることになった。
ほんっとーに、だからオレは凄く疎まれていて、オレの精霊を何とかとり出して姉貴に遷そうと、半殺しにされて里を出たのが十歳の時の話だ。
そこからは姉貴にも、姉貴が命を落とす直前まで、ほとんど会うことはできなかった。
「――我ながら何て、惨澹たる生立ちだか」
救いは半殺しの目にあった時、母さんの手引きで何とか逃がしてもらえたことくらいだろう。
淡く暗い藤色の髪を肩に乗せるように片側に束ねて、いつもベッドにいた姉貴。
母さん以外の誰とも深く関われることはなく、髪と同じ色の目はいつ見ても寂しそうで、華奢過ぎる体は、少しでも触れたら壊れてしまいそうな危うさに満ちていた。
――ラティちゃんは、精霊さんと話すのとても上手ね。
突然変異とはいえ、精霊を制御する能力は高いオレを、姉貴はいつも嬉しそうに。
……そして羨ましそうに見つめていた。
オレだって、いつかこの力で姉貴を守るんだって、子供心に誓ってたんだけど。
「それがどうして、こうなったのやら……」
今や、精霊に霊力を与えるにはオレの方のコンディションが悪過ぎ、逆に精霊の加護で何とか体が保たれてるようなものなのだった。
「……オマケに、片手が動かないときた」
自前の武器での戦闘ですら、これじゃ問題外だし。ディアルスで国境警備隊長をしてた数年前とは比較にもならない。
――元が多才過ぎたんじゃない?
そんな風に笑うむかつく黒い女もいる。でも昔のオレを知る奴は大体心配に顔を歪めて、重苦しい空気になることが多い。
ぱっと見、姉貴との見た目の違いは、髪が短いくらいだったオレだけど。今では表情が違い過ぎるせいか、自分の姿にも姉貴の面影を追うことはできなくなっていた。
――痩せて目つきが悪くなっただけでしょ。
「……うるせー……」
SKYに言われたことを何故かいくつも思い出した。
ふてくされてしばらくカーペットで蹲っていたら、発作が治まると共に、眠りこけてしまっていた。
……寒いな、風邪ひいたら就職やばいかな。
そんなことを微睡みの中で思いながら、実際は護衛自体が無謀なので、クビになるならなれという勢いで寝付く。
……本格的に眠りに落ちていく刹那に。
もふもふと、見たことのない灰色の犬が、寝床からくわえ出した毛布をオレにかける。そのまま隣で寝付いた夢を見たような気がした。
どうせ夢なら、とぬいぐるみ感覚で抱きつく。
その後は、目が覚めたら何故か寝床の中にいたので、いつからオレは眠っていて、何処までが夢だったのか、正直さっぱりわからなかった。
3:契約と代償
「へ……? 護、衛……?」
「なっ……何だとぉぉ!?」
一日寝かせたヨーグルトカレーを、三人で仲良くモーニングしてる場で。改めてオレは、就職が決まった旨を二人に伝えた。
「って、その左手で大丈夫なのか!?」
さすがは全身状態を常に観察してるらしい暑苦しい男。ヒトの体調をきちんと把握してやがるタツク。口調はサキがいるから標準語だけど。
「双鎌は無理だからあのまま部屋に置いとく。暇だったらサキ、使っていい」
「えっ……」
前からサキは、オレの部屋にある「双鎌」と名付けた長物を気に入っていた。
単に両端に刃がついてる大鎌という、オレ製にしては大きな工夫もない、切れ味だけの代物なんだけど。
「で、でも、ラスティ……仕事って何で?」
「小遣い稼ぎ。誰かさん達がずっと居候してるせいで、うちにはもうお金がないのです」
「嘘つけ! 財布の管理してるのおれだろう」
……コイツが標準語使うと、オレとキャラがかぶるんだよな。紛らわしいったら。
「しかもよりによって、あの新都市長の護衛だって? ……オマエ、何企んでる?」
「――暗殺」
即答してみたオレをタツクは一蹴する。
「ないな……人間相手に、オマエに限って、それだけはない」
むしろそうしてくれたら……と言いかけて、サキの苦笑いな顔の手前、タツクはごほんと咳払いした。
「とにかく、いつ倒れるかもわからないその体調で、どういうことなんだ。理由があるのはわかるから説明してくれ」
「……」
……それを言われると、正直オレも少し困るのだ。
「……知り合いの腹黒い、ってかもろに全身黒い奴から、直々ご指名で誘われたから」
何かあるんだろーな、と思って。というところまで、一応説明する。
タツクもサキも「……?」という目をして顔を見合わせ、困ったような面持ちで改めてオレの方を見た。
「……そいつ、やばい奴だから。ほっとくとどうなるかわからないし」
何がどうやばいのか、直感だけでオレもまだはっきりわからない。
それでも眠り続ける裁判官のメリナを、果ての無い昏睡へ一か月前に追い込んだのはSKYなわけで。それから姿を消していたあいつが帰ってきたことだけでも、不穏な空気が流れてる感じがして仕方ない。
「老人と病人を安楽死」なんて、ぶっとんだ新政策をたてる都市長に、あいつが関わってる嫌な状況だけがただ気になってしまう。
「何か……全くよくわからないが、とりあえずわかった」
タツクが珍しく、物分り良く頷く。
「なら才蔵を一緒に連れていけ。オマエの守りと、情報収集の助けくらいにはなる」
と、面倒くさいことこの上ない妥協案を提出してきやがるのでした。
「助けって……あんな鳥に何ができんだよ」
「あんな鳥言うな。オマエが体調崩したら、駆け付けるために決まってる」
鳥の才蔵が何か気付けば、タツクにもそれはすぐに伝わるのだ。理由はまた少し後で。
「それ、助けじゃなくて監視って言わないか」
「それならヴァシュカも、一緒にどうかな!」
サキまで流れにのって、自分の猫型小獣を引き合いに出してくる始末だ。
ところがこちらは、タツクによってストップが入った。
「駄目だ。ヴァシュカは不安定だから」
「で、でも……」
「それに目立つ。不審物扱いされて撃退されかねないし、身元が判明しても困る」
「……うん」
有無を言わせないタツクの言い分のせいか、サキはそうだね、と。初めの勢いが嘘のように、あっさり苦笑して引き下がっていた。
逆に、気に食わなかったのはオレの方だった。
「…………」
……オレにとって、用を成さない意味ではどっちも一緒だし。
心配される気持ちとしても、どちらも一緒のはずだったし。
「どっちも連れていかない。監視したきゃ勝手にしろよ、撃退されてもかばわねーから」
「なっ……」
乱暴に席を立ち、文句があるなら当分帰らない、と言い捨てる。
ちょっと待て、と言いかけていたタツクと、呆然としてるサキも置いて、オレはさっさと下宿を出たのだった。
護衛勤務初日の本日。
都市長が常駐する、ウィル都市会館にて。
「君が、彼女の言っていたラスティ君か」
護衛はその職業柄、一般的には武技テストを雇用前にされることが多いんだけども。
「彼女から話はきいているよ。早速今日から、まずは館内の警備強化をお願いする」
オレはSKYの紹介なので、その手の段取りは全て免除らしい。賃金も他の奴より高めで、どんだけあいつ信頼されてるんだ、という話だった。
そして今、目前で大きな机に向かい、淡々と話す四十台半ばの痩せ気味の男が、新しくウィルの都市長となった護衛対象だった。
肩までの黒髪をオールバックで一つに束ねているが、別段美形でも醜形でもない。年齢相応の皺のある顔は無表情で、無難なカーキ色の背広を着ている新任の都市長。
「ところでこれは、あらかじめ雇う者全員に聞いていることだが。君は私の例の新政策には、反対か賛成か?」
かなり率直な切り出しに、不本意ながら少し感心してしまった。
護衛を雇うくらいだ、新政策の受けは悪く、理解されないことは自覚してるんだろう。その上であえて話に出し、一人一人の挙動を自らチェックしてるのだろうか。
「……賛成とは全く言えませんが。オレはこの町には長居しないので、市政に口出しする気はありません」
「そうか。やはり君は、彼女の紹介なだけはあって、信頼できる人物のようだ」
「…………」
この場で適当なお世辞や、あからさまな賛辞を口にする求職者は、潜入目的か口先だけの相手か、逆に人格破綻者かと疑う。それは妥当な判断だと思う。
と先読みしてそれっぽいことを言っただけのオレをそう評価するあたり、それが建前ならただの陰険だが……何となく本心の気がして、少し複雑なキモチになった。
「……雇用期間は、新政策の法案が通るまでだと伺いましたが」
次の総会で決まるなら一ヶ月後だが、果たしてこんなトンデモ政策がまともに認められる見込みはあるのか。この男の意識を確認してみたくなった。
「ああ。大体一ヶ月間と考えてもらって差し支えはない」
「……すぐに通るんですか。あの法案は」
「次の年始総会で必ず通るよ。その後は別に、万が一私自身が退陣になろうと、新都市法として改革は根付いていくだろう」
通すよ、ではなく、通るよと言う。その確信ぶりには、嫌な意味で既視感があった。
――必ず真実はここに現われる。私はそれを、ただ待っているだけだ。
そう、あれは一ヶ月と少し前……裁判官のメリナが、SKYに護衛以外の仕事を依頼してしまった時の顔つきと同じだ。
メリナもこの新都市長も、表情が乏しく、淡々と受け答えをする所は何だか似ていた。要するにそれがSKYの取引相手への好みなのかもしれない。
それとも、何でも屋としてのSKYに依頼をするような人間は、根本的に共通するものがあるのかもしれない。
新都市長のSKYへの真の依頼はこの分だと、「次の総会で新法案が必ず通る」ための、有り得ないレベルでの後押しかもしれない。
メリナがSKYに、普通なら神のみぞ知るような事柄の調査を望んだように。
「随分、あいつ……SKYを信頼されてるんですね」
「――うん?」
オレの中での早々の見立てを知る由もなく、新都市長は反応に困ったような返答をした。
「君も彼女も、どういう関係なのかはわからないが、似ているところがあるね。……何故私があの政策を考案したのか、君達はどちらも、ほとんど興味がないようだ」
老いた者や弱った者を、生産的でないならと排除する例の政策。
予想通りではあるが、コイツちょっと、めんどくせー奴な予感。
「……訊いた方がいいなら、聴きますが」
「彼女も最初に雇った時、同じことを言ったよ。SKY君には一応、理由は話してあるが」
……。……あいつにはつまり、既に深入りさせたってことだよな、それ。
「――そっちは手遅れ……と」
こっそり一人で、ついつい呟く。
SKYが何でも屋として依頼を受ける時、必ず何らかの「代償」を自ら指定する。
それは正直、魂を売る悪魔との契約に近い。
勿論、特に複雑な指定の不要な、金銭取引で済む護衛レベルの仕事もある。その一方で、暗殺やら復讐なんて裏稼業もある。
しかしメリナのような、普通では叶えられない願いに対しては、あいつは特殊な代償を必ず指定するのだ。
この新都市長のSKYへの依頼と、その代償が何なのか、興味はあるけど……今それを尋ねたところで警戒されるだけだろーし。
「……何か御用があれば、控え室か通信機にご連絡を」
それだけ言って、無表情な男の執務室を後にした。男の名前すらまだきいてなかったけど。
部屋を出てすぐ、ここに来てから渡された通信機をオンにする。
オレの退室を待ってたかのように、室内着で袖の無い黒ネックとパンツの、やはり黒い女が地味にやって来た。
「お疲れ。他の護衛に紹介するよう言われてるんだけど、続けていける?」
「お好きに。所詮オレはあんたのオマケだろ」
それは勿体無さ過ぎる話だねぇ。と、誠意のない顔で笑う女。
SKYは早速、簡単な仕事の説明を始めた。
「結界を除いて、アイテム造りは自宅の方がやりやすいだろうし、紹介後はラスティ君は基本フリー。頑張って新都市長が安心できるようなアイテム、開発してあげてね」
にこにこ語るが……本気であの新都市長を守るなら、一番の危険、多分こいつだし……。
こいつは契約した相手が代償を渡さなかったり、何かでこいつとの約束を違えた場合は、容赦なくその命を取り立てる。
契約時にその約束は合意のはずなので、相手の自業自得であるとはいえ。
「何か造るだけで、本当にいーのかよ?」
「勿論、控え室で他の護衛と遊んでてもいいけど。鍛えてあげたら喜ばれるんじゃない?」
「……あんたは別に部屋もらってんのか」
「あたしは都市長の身近で常に待機。もう一人そういうのがいて交代制だけど、待機場所でいうなら、都市長のいる所の常に隣室」
残念だけど、あまり遊べないね。と、不真面目なのか真面目なのかよくわからない女だった。
「……交代制って、あんたの代わりになるような護衛がいるのか?」
「腕は立つけど、防衛面で言えば不安が残るかな? だからこうしてラスティ君に、その穴埋めをお願いしてるわけでした」
実際、こいつがいれば本来は、他の護衛なんてほとんどいらない。それくらいこいつは理不尽な能力でもって、どんな依頼でも大体完遂できる、何でも屋に相応しい存在だった。
「あんたは二十四時間張り付かないのかよ」
それが一番確実なのに、要するに護衛だけではない別件の存在をそこからも感じる。
「そりゃーね。あたしも休みたいしねぇ」
――決してそんな人道的配慮ではないと断言。
……そもそもこいつ図太いから、護衛をしてる時でも、隙があればちゃっかり寝てるし。
SKYの案内で、館の内部構造の把握と、一通り同僚となる護衛達への挨拶が済んだ。
ほとんどは人間の武術家や元警備隊が多く、SKYの交代となるチーフ格の男だけが、千族の可能性があるくらいの印象だった。
「……しかし全員、よくやるよな。こんな仕事、恨みを買うだけじゃないのか」
「それでも、という賛成派もいるかもしれないよ。そういうラスティ君は何で、彼を守ってあげようって思ったのかな?」
話を持ってきたのはこいつのくせして、こうしてあざとく白々しいことをきいてくる。
「恨みを買う程度のこと、今更だからな。あんたこそ何で、あの都市長に近付いた?」
「口コミで向こうから依頼してきたんだよ。断る理由は別にないしね」
執務室まで戻ると、隣室からチーフ格の四十台男、通称バンさんが顔を出す。
「あら、お帰り、スっちゃん。アタシ眠いから、今日は早めに代わってもらってもいーい?」
「どうぞ。新入りさんの案内は終わりましたから」
「良かったあ、スっちゃんはいいコよねぇ~」
……巨斧を軽々と背負って、筋肉ムキムキのいかつい容姿とは裏腹におねえ口調の男が、オレを見てふふふ、とキモチワルク笑った。
「お邪魔してごめんねぇ、ラっちゃ~ん」
「…………」
タツクより暑苦しく粘っこい存在だと、否応なく悟ったオレは、なるべく関わらない方針で踵を返す。
「あ、ラスティ君。基本は一日二回以上、特に正午と零時の定時報告には顔を出してね」
「……わかってる」
今日の正午の分は終わっているため、遠慮なく館を後にしたオレなのだった。
「……お邪魔って、どーいう意味だ」
今更気がついたツッコミ部分。もやもやした思いを抱えながらの足取りになった。
眠り続ける女性が横たわる、静かな白い病院の横を通る。自然とそこで足が止まった。
淡々と物憂げで、それでも危うい決意に満ちていた声を思い出す。
――私はただ、全ての冤罪を防ぎたいだけだ。
少なくとも、自分が関わる事例においては。
そう言って、供述の取れない被疑者を何人も無罪としてしまった新任の裁判官――それがただの人間の女性、メリナだった。
「何ていうかな……やること、極端なんだよ」
傷付いた人間はそういうものか、と。オレはメリナの生き様から学ぶことになる。
――そなたは天涯孤独か……私も同じだ……。
裁判官のメリナは生まれた時に母を亡くした。たった一人の家族の父は、彼女曰く無実の罪で捕えられ、獄中で病死してしまったらしい。
メリナの嘆きはやがて、決意に変わる。
――証拠など偽装できるものなのだと、その時に知った。父は最後まで無実を訴え続けたが、誰一人聞く耳を持ってくれなかった。
だから。百人の有罪を見逃すことになっても、一人でもいいから冤罪を救いたいと、メリナは思ったという。
「……無茶苦茶だって、わかってたくせにな」
新任裁判官の極端なやり方は、やがて不安と反発を呼ぶ。被害者の身内から刃を向けられることまであるほど、メリナ自身を追い詰めていった。
そんな時に偶々、裁判所の裏手の路地で倒れたオレをメリナが見つけ、ウェイドと共に介抱してくれたのが最初の出会いだ。
――あの人はねぇ……そのためだけに裁判官になったってくらい、信念の強い人だからね。だから余計に、心配なんだけど……。
ウェイド検察官から見ればどう見ても、自供がないだけの犯罪者が何人も無罪とされる。疑われた罪の大きさによっては監視がつくが、その人件費も馬鹿にはならないだろう。
だんだんとメリナも、確実に追い込まれていた。
そんな時に、裁判官になってからずっと雇っていたSKYという護衛が、実は何でも屋という仕事をしていることに気付いてしまったのだ。
メリナは何でも屋としてのSKYに、ある依頼を託してしまった。
――教えてくれ、SKY……私が無罪にした者達の中に、真に冤罪の者はいたのか?
弱気になっていたメリナのその依頼に対し、何でも屋は条件を出した。
「その真実を知りたければ、メリナ様……それ以外の些事については、一生知らずにいるという『代償』をお約束いただけますか?」
その「代償」。メリナはそれを承諾し、結果、辛い真実を知ることになる。
後で訊き出した話から言えば、冤罪は一人いた。
猟奇的な殺人を犯した者が、別件の冤罪で連行されていた。……それ以外に冤罪は――つまり無実の者はいないと、SKYからはっきりと伝えられたメリナは、その場で昏倒したという。
その時隣室にいたウェイドが病院に運び、それから今に至るわけだった。
SKYが悪質なのは、メリナがそうなるとわかっていて、惨い話を伝えた所だろう。
そう依頼されたから、と。あいつの仕事に二言はないのだ。
メリナ達に出会う直前、オレが倒れた時。
オレの呪いを一目で見抜いたあいつと出会ったのは……とても静かな雨の日だった。
――……左肩……。
タツクとアホな言い合いをして、路地裏で頭を冷やしてた時に、すれ違ったその黒い傘。
――……いたいの……?
すれ違いざまに突然、そんなことを呟かれた。振り返ると、立ち止まっていた黒い女がふわりと笑った。
――いい加減お姉さん、解放してあげたら?
何の悪意もないような笑顔。そんなことをあまりにあっさり口にするから、オレは思わず女の傘を持つ手を掴んでいた。
――待てよ……!
どういう意味だ、と呻いて詰め寄る。細い体を壁に押し付けた時も、あいつはそのまま笑っていた。
「……あの言葉の……意味はやっぱり……」
――姉貴の魂を、束縛しているのはオレだと。そう言われた気がした。
一人ぼっちになるのが嫌で、自分の体を犠牲にしてでも、魂だけでも留めていると突き付けるような……黒い女の空ろな黒い目。
「……全部、オレの自業自得だって…………あいつは言いたかったのか?」
あの時の笑顔は今も何度も、頭の何処かを、何かにつけてかすめていた。
オレはずっと……全く触れ合えなくても、姉貴の存在は確かに、感じてはいたけど。それがこの左肩からとは、竜宮で言われるまでは気付いていなかった。
SKYの奴は何か知らないが、初対面でオレの左肩の傷や、深入りしまくったことを言ってきやがるよーな、謎の悟り能力の持ち主なのだ。
――残念だけど、ラスト。あたし、メリナ様を殺さなくちゃいけなくなったよ。
メリナが運ばれた病院の裏で、二人で話をしていた時、突然あいつは淡々とそう言った。
――何言ってるんだ、あんた……!?
ちょうどその同時刻に、苦しげながらも意識の戻ったメリナに、ウェイドが知らず伝えてしまったのだ。SKYの仕事の代償、「一生知らずにいてもらう些事」を。
「メリナさん……あなたが無罪にした者達の中には、たとえ有罪だったとしても、その奇跡に感謝して、必死に人のために生きるようになった者もいるんですよ……」
その「些事」は、メリナの依頼とは関係が無い。だからSKYは伝えずに取り上げ、代償の価値を見出していた。
どうやってかそれを、ウェイドが伝えた事実まで何故かわかってしまう能力のあるSKYは、メリナを殺すために病院に向かおうとした。
「んなこと、させるわけにいかねーしさ……」
そこでオレは、あいつを止めるために、その場で久々のプチ戦闘までする羽目になってしまった。
「……結果は、惨敗、だけど」
本っ当、情けない武器戦だった。オレの攻撃は全回避、あいつの棍の打撃はクリティカル全連発。
メリナの元に駆けつけたサキやタツクが、オレの弱る気配を心配して探しに来たほどだ。
……その戦闘中に、何の因果かメリナは突然、記憶を全て失って昏睡になった。
それならウェイドが伝えた些事も失われたと、SKYはメリナを殺さずに妥協してくれたのだった。
――……でも多分、次に目が覚めた時。メリナ様は本当に、別人になっていると思うよ。
それだけ言い残すと、しばらくSKYの存在は、そこから消えてしまう。
……それが本当。一週間前、やっと戻ってきたと思ったらこれだ。
「まぁ、でも……目覚める可能性はあるってことだよな、それ」
次に、と言った顔を思い出した。病院の建物の、白く色褪せた壁を気楽に見返す。
ウェイドに昨夜の役人の顛末報告をしようかとも思ったが、残念ながら左肩が少し痛み出してきた。仕方なく、路地裏に入って座り込むしかない不甲斐ないオレだった。
「…………」
SKYに初めて会った雨の日も、あいつが入っていった建物の裏で、オレは左肩をおさえて座り込んでいた。
そこにメリナは無表情のまま、躊躇いなく小さな手を差し伸べてきた。
――……どうした? そんなに震えて……。
あの日とは違って、よく晴れたウィル。雲一つない青い空を見上げる。
くらりとはしながらも、立ち上がって砂を払い、来た道から少しだけ進路を変える。頭上を一瞬通り過ぎていった、お節介な鳥の気配を感じながら、白い建物を後にした。
4:霊獣の者達
「……あれぇ? ラスティ?」
ウィルから少しだけ離れた森にある広場で、先客だったサキが、不思議そうな声をあげた。
「ここで見るの、ほんと久しぶりだね。……あれ、お仕事は? 今日からじゃなかった?」
「現在進行形で職務中。……だから来たんだよ」
サキの足元にまとわりつく猫型小獣もきょとんとしている。広場にある切り株に座ったオレの方へ、トテトテとよってきて足元にすりよる。
「……今日は、タツクは来てないのか」
「うん。でもサイゾウは来たり、ラスティの方にいったりしてるよ」
オレとサキが揃ったのを見たらしい。一見はハゲワシの怪鳥才蔵の気配が、完全に場から消えていった。
「あ、安心して帰ったみたい」
おとーさん本当、心配性だよね、とサキが笑う。
「……マイペースな奴」
サキの笑顔もどうしてか少しむかついた。不機嫌に座ってるオレの前で、サキは構わず自分の修行を続けた。
不在のオレの部屋から早速持ち出してるらしい、自分の背ほどある双鎌を、刃がむき出しのまま両手で構える。
その場からサキは大きくは動かず、腰の向きで方向を調整しながら、くるくると左右に素早く長柄を何度も振り回していた。小さな体ギリギリに何度も刃がそばを掠める。
人間なら卒倒ものの危険さだが、オレ達はこれが当たり前で育ってきている。
サキの戦闘手段は本来、タツク仕込みの素早さ重視の徒手空拳だ。体術と相性のいい棍術にも長けていて、こうやって長物を使うと、とても滑らかな動きだった。
……あくまでその棒が鼓棒ではなく、あまつさえ、両端に刃のついた大鎌でなければ。
「……いくら同じ長物でも、無理があるだろ」
一通り振り回して満足したのか、えへへと笑いながら、サキはこちらにやってきた。
「やっぱり刃がついてると、全然違うねぇ。ラスティはコレ、どうやって使ってたの?」
「……双鎌は本来、対物じゃなくて対能力用だから、大枠は間違ってないけどな」
オレ製の特別な武器としてこの大鎌の唯一の売り所は、物理的にだけでなく「力」にも切れ味を示す特性があった。
何でもいいから刀身に力を込めることで、実体のないものにも干渉が可能となり、魔法とかでも相殺できる。
それでもやっぱり、鎌を棍として使い、刃の背で相手の頭を殴りかねないこの使い方は、どう考えても邪道……つか反則ものだろう。
「ヴァシュカに間違って当てるなよ、まじでダメージ受けるから」
「そうなんだ……ヴァシュカでも切れちゃうのかぁ。やっぱりラスティの武器は凄いね」
わたしもほしいなぁ、と、珍しくサキがひょっこり希望を呟いていた。
「いいぜ。暇があったら今度造ってやる」
「――ほんとに? やったぁ!」
「全然切れなくて殴り専用の、可愛いだけのメイスでいーよな」
「何それー、でも何でもいいよう♪」
……こんなことでここまで喜ぶこいつは、つくづく無欲だ。
確かにオレは、滅多に誰かに武器を造ることはないけど。
「……別にオレでなくても造れる程度だけど」
それならそこまで喜ばれる筋合いもない。
それでもサキは凄く嬉しそうに万歳を続け、合わせて灰色の猫型小獣「ヴァシュカ」もくるくる跳ねまわり、サキとぴったりの呼吸をみせていた。
「…………」
灰色猫のヴァシュカは、サキの「力」の具現化の一型、猫をシンボルとした霊獣と呼ばれる存在だ。
サキやタツクは、「霊獣族」という千族だ。自らの実の肉体の他に、霊骨という固有器官を媒体とする獣、「もう一つの自分」を持つことで知られている。サキにはヴァシュカが、タツクには才蔵が、といった具合に。
「……それだけ息が合ってたら、そろそろ実体化、できるんじゃないのか」
ヴァシュカと共に跳ね回っているサキを見て、ついつい口にしてしまう。
「……うーん、それがねー……何でだろ?」
サキもふっと、残念そうにヴァシュカを見つめる。
獣体の「自分」は、普段は霊体に近い状態で、霊獣として具現化される。
本体の自分とも感覚は共有しており、まさにもう一つの体なわけだが……。
「おとーさんも、霊獣を実体化できない限り半人前だって言ってた。実体化ができないとわたしの本当の力がわからないから、危なっかしくって仕事は任せられないって」
霊獣族にとっては、「もう一つの自分」の霊獣は本来、本体である人型の自分と同格の存在なのだとか。ただ、実体となれるのはどちらか片方だけであり、獣体の霊獣を本体とする――つまり実体化することも可能らしい。
その実体化ができると、その霊獣族の本性というか、本来の姿が暴かれるらしい。そしてそれを成熟とみなすと言うが……サキはいたいけな見た目に合わず、既に末恐ろしい戦闘力の持ち主で、タツクの言い草は大義名分に過ぎないことは、長い付き合いでよくわかっていた。
「……」
またも不機嫌になったオレに、不思議そうにサキは笑う。
「何でラスティが怒るの? 朝からちょっとヘンだよ、ラスティ」
「……るせー」
「おとーさんはわたしのこと、心配してくれてるんだよ。少し過保護だとは思うけどなぁ」
……それだけこいつのことを心配してるなら、もっと改めてやるべきことがあるだろう。いつもながらオレは不可解、かつムカムカするのだった。
……あれは大体、五年前だったろうか。世の不穏時にディアルスを留守にし、敵地に殴り込んだタツクが帰ってきた時のことだ。
当時は九歳ほどのサキを突然連れてきて、仲間の誰もが、降って湧いたサキの存在に驚いたものだった。
――アホかい、おれの子供なわけがあるかい! どう見たって年齢合わんやろーが!
その頃タツクは、二十台に入ったばかりだ。確かに有り得ない話ではあるが、不思議にも、サキは確実に、異所の生まれでありながら霊獣族の血をひいていた。
霊獣族は八年前に、タツクと他数人を残して滅んでいる。つまりサキが生まれる前になくなっている。だから誰もが首を傾げるばかりだった。
その後にサキのいない所で、はぐれ霊獣族少女の出生の秘密を告げられるまでは。
――あいつな……北方四天王が造ってた、アシュリンのクローンやねん。
その告白の内容には……正直オレも、返す言葉が見つからなかった。
その北方四天王とやらは、霊法種族を滅ぼし、オレの姉貴を死なせた仇の悪魔でもある。姉貴の魂をオレに遷した通り魔悪魔とはまた別で、少々ややこしい。
悪魔に復讐の機会を窺っていたタツクは偶然、サキの存在を知ったようだった。
――多分、兵の一人として使うつもりやったんやろうな。あんまりやから助け出したけど、その後四天王が交代して勝手に滅んでしもうたからなぁ。
――それで……あのコを育ててきたのか?
――アシューが殺されてから、かなり倍速で培養されたらしくて、既に結構育っとってな。別に自分が親になろうとか大層なことは考えてへん。これからはみんなでよろしく頼むわ。
オレも知ってる霊獣族の女。殺されたタツクの仲間のクローンという不自然な存在のせいか、サキの霊獣族としての力は不安定らしい。
タツクは半ば、仲間達にサキのことを丸投げし、だからなのか、口調もサキには標準語のままだった。
来たばかりの頃のサキは滅多に喋らず、たまに笑顔はみせるものの、タツク以外の奴にはほとんどよりつこうとしなかった。
――オレ達のこと、怖がってるんじゃねェ?
それを危惧してか、タツクは尚更サキに冷たくあたるようになった。タツク以外に懐かないのは困るからだ。
それで追い詰められたサキはある日突然、ヴァシュカを暴発させた上、何処かに隠れてしまったことがあった。
――いたいた。探したぜ、暴れ者のお嬢さん。
国境警備隊長をしてディアルスに詳しくなっていたオレは、一番先にサキを見つけ出した。
暗い無人の城の地下で、サキは膝を抱えて蹲っていた。
初めは怯えた表情でオレを見上げていたが、しゃがんで目線を合わせ、頭を撫でながらしばらくオレが黙っていると……段々じわりと、両眼に涙を浮かべ始めた。
――怒らないからさ。何か言いたいことがあるなら、おにーさんに言ってみな?
……言っておくけど、これは確実に、その時のオレが満面の笑顔で言った台詞だ。
オレも昔は明るかったの。逆にサキは、今からは考えられないくらい大人しかった。
――……お父さん……。
幼いサキは、それだけ何とかはっきり言葉にする。
後はオレの袖に両手でしがみついて、ごめんなさい、とだけ、かすれきった声で繰り返していた。
……何でこいつが謝るんだ、と。その後にオレは、サキを連れ戻してからタツクに詰め寄っている。
――あいつはタツクしか頼れる奴はいねーんだから、もっと優しくしてやれよな!
――それがいかんのや! おれ以外にも懐いてもらわな、今後あいつが困るやろーが!
――だからってサキにだけ普通語とか、あいつが傷ついたって当然のことだろ!?
――そういうわけにはいかん! こんな口調……あいつにうつったらどないすんねん!
「……アホ過ぎるだろ、その拘り」
タツクはああ見えて、物凄く頑固だ。そして自分の中途半端な訛りが好きではないらしく、そーいった奴なりの妙な苦悩が、ややこしい事態を生んでしまったようだった。
結局、この件をきっかけにサキがオレ達に打ち解けるようになったので、タツクの口調の問題は解消されないままで今日まできたわけだが……。
後にきいた話。あの時のサキは、ずっとついてきたタツクがオレ達を相手に楽しそうに、自分に対するものとは違う口調で喋るのを見て、自分がタツクの重荷になっていたのだと思い詰めたらしい。
「……それで、ごめんなさい、かよ」
「――? どうしたの、ラスティ?」
「……別に」
タツクは何故か、とにかくサキの父親扱いをされたくないらしい。その理由についても絶対に話そうとはしない。
それでも別に、サキを大事に思っていないわけではなく、理解不能な動きを続けているわけだった。
「……いーけどさ。オマエもうちょっと、貪欲になったらどうなんだよ」
「――へ?」
急に話をふられたサキが目をぱちくりとする。
「ハングリー精神が足りてねーんだ。だから本性も自覚できないんじゃねーの」
??? と首を傾げるサキに、立ち上がってオレは、手持ちのダガーを逆手に構えた。
来いよ、とだけ言うと、サキは即座に、その意味を理解したようだった。
「ラスティが稽古してくれるの、久しぶり!」
嬉しそうに双鎌を前向きに構える。そのまま派手に跳躍し、上段から振りかかってきた。
……七分の一の戦力予想とはいえ、武器の選択が良かったらしい。
初めてにしては筋が良いサキの双鎌相手も、ダガーだけで何とかあしらうことができた。……まあ多少、足技とか回避も使ったけども。
「うーん。やっぱりラスティは強いなぁ~」
「……この程度で、かよ」
でもこれなら護衛も何とかなりそうだな、と、ぽつりと呟く。
そんなオレに気付き、へばっていたサキが双鎌を置いてむくりと起き上がった。
「……そっか。ラスティくらい強くっても、不安になっちゃうこともあるんだね」
だから修行に来たんだね、と。何も答えないオレを気にせず、一人で勝手に納得していた。
「ねぇ、ラスティ……ラスティの左手はもう、ずっと動かないの?」
オレ以上にシリアスな目をしてるくせ、サキは空気が重くなり過ぎないよう、苦笑いに抑えた表情でそう尋ねてくる。
「別に。本気で何とかしようと思えば、義手でも装具でも造ることはできる」
「……そうだよね。……でもきっとラスティは、そういうの嫌なんだよね」
「……つか、めんどくせーし」
実際、片手の無い仲間に義手を進呈したこともあるし、神経に直接届く装具を造れば、騙し騙し左手を使うこともできなくはない。
だからそれは単に、オレの気分の問題でもあった。
「色々、限界ってもんもあるんだよ」
基本その手のアイテムは、一度取り付けてしまえば外すのが難しくなる。
特に神経に結合できる精度のものは、取り外す時に切断に似たダメージをまた受ける。だから使うのをやめるのは簡単にはできなくなる。
「……このまま弱るなら弱るで、それがオレの運命だろーしな」
「そうかなぁ……ラスティ、いつも冷静だよね」
一年と少し前に、オレがディアルスを後にしたきっかけ。魔物と戦い傷付いた部下に、得意だった精霊の癒しの力を使ってやれなかった時、オレは自分に見切りをつけていた。
悪あがきをするつもりは元々なかった。その四ヶ月後、サキとタツクに見つかった後も。
――おはよう、ラスティ。朝ご飯できてるよ。
こいつらはオレを追ってディアルスを出て、ある朝突然、当たり前のようにここにいた。
追い返す気力もなかったオレは、そのまま一年近く同居する羽目になっていたけど。
……そんなことをうっすら、考えている時。
「……っ!」
左肩にまた悪寒が走る。サキがいた効果か、歯を食い縛ってその出現を封じ込めた。
「……――?」
サキはオレの突然の緊張感に、事情は察したらしい。それでもオレが持ち堪える様子を見て、何も言わずにただ隣に座ったままでいた。
「……悪あがき……か……」
こうして弱って、段々何もできなくなることに、抗うことは無駄だと思っていた。けれど……それは本当に、悪あがきなんだろうか?
沈黙に耐えかねたのか、それとも、左肩のことからオレの気をそらすためなのか。
「……あのね、ラスティ」
サキは、ぽつりと――
「おとーさんね、多分……今は、わたしがおとーさんのそばにいること。嬉しいって、思ってくれてるよ」
だからわたし、大丈夫なんだよ、と。
色んなことを受け入れてしまっている声で、小さく言った。
それはいったい、本当は誰に向けた言葉だったのか……何でなのかオレはまたムカムカとする。
「……サキは、それで満足なのか」
「――わたし?」
「オマエは何か、したいこととかほしいもの、ないのかよ。……オレやタツクの面倒みてる暇があったら、本当はもっと……」
今日みたいに、些細なことも何でも嬉しそうな、そんな薄幸は正直腹が立つ。
ディアルスでも結局、こいつはずっと馴染み切れないままだった。
それは多分、こいつがほとんど、自分から何も求めないからだ。周りからしたら、何を考えているかわからないのだ。
「……わたしの……ほしいもの……」
いつも与えられるものを心から喜び、受け入れる。
こいつが喜んでることは嘘じゃないし、ここでオレやタツクと一緒にいることも、望んでそうしているのはわかる。
「もうちょっと我が侭言うようにしないと……自分が何なのか、わからなくなるぜ」
誰かと触れ合いたい気持ちを抑えて抑えて、爆発してしまって。ついに報われなかった姉貴の姿が重なってしまうせいで、オレはここまで腹が立つのかもしれなかった。
親も兄弟も存在しない身の上は、寂しいに決まっているのに……だから些細なことでも、何でも嬉しいんだろうに。
サキは一度だってタツクに、娘だと言ってほしいなんて、口にしたことはないのだ。
「……そうだね」
サキは唐突に、うん、と。何かを悟ったような顔でこっくり頷いた。
「わたしのほしいもの、それがわかれば……今よりもっと強くなれる。ヴァシュカだってきっと、実体化できる気がする」
そういうことだよね? と、オレの不機嫌にもめげずに物分り良く微笑む。
オレは呆れながらも、そーだよ……とだけ、呟くことしかできなかった。
「とりあえず今は……ラスティに生きててほしいな」
「――不吉なこと言うなよ」
あはは、と笑うサキを軽くこづく。
そろそろ日も暮れつつあったので、二人で家まで帰ることにしたオレ達だった。
死んだ誰かのクローンであるサキ。
それはきっと、死んだ奴が大切な誰かであったほどに、複雑な視線で見られざるを得ない難しい存在だろう。
「……まず本当に、死んだのかって話だけどさ」
そのヒトが消えてしまった時、オレは近い所で、姉貴を守れずに殺されかけていた。
そのヒトはオレにも因縁が深い。ずっと一人で旅をしていたガキ時代のオレが、タツクとかの霊獣族に関わることになったキッカケをくれたヒトだ。
オレと姉貴のことを、多分本当はずっと心配してくれていて、姉貴と同じ悪魔に利用される羽目になっていた。
「サキは……困った顔で笑う時は、ホントによく似てるよな」
行動を共にしたのはかなり短い間だ。それでもそのヒトが笑う姿は、今もオレの脳裏に焼き付いて離れなかった。
多分苦労人だったそのヒトは、色んなことを背負って一人で闘っていた。
優しくて目敏くて、それで問題をしょい込んでしまうような不思議に勘の良いヒトで……。
それでもとても仲間を大切にして、怖がりのくせに仲間のためなら何くそ、と踏ん張って。その身を悪魔に売ってでも、仲間を守ろうとしたようなヒトだった。
ガキだったオレは姉貴のことに必死で、気付いていなかったけど……仲間から直々に、死んだと断言された時、わかっているはずなのに納得できなかった。
今でもあまり、信じられないオレがいる。どうやらオレは、知らない内に、そのヒトに憧れていたらしい。
そうでなければまず、タツク達に出会うこともなかったはずだから。
だから悪魔は、オレから姉貴だけでなく、そのヒトも奪ったと言っていい。
思えばオレが、左肩の呪いの発作……赤い鼓動を初めて感じたのは、そのヒトが死んだと聞いた後のこと。
平穏な暮らしへ戻った頃にその想いに気付いたことで、より激しい憎悪を自覚した時かもしれない。
姉貴を殺した悪魔は、そのヒトを含めた霊獣族タツクの一族全てと、オレ達霊法種族も同様に、内部から侵食してやがて崩壊させた。
――君も、外に出たくはないですか?
ずっと一人は、寂しいでしょう、と。姉貴の元を秘密裏に訪れた悪魔は、まさに悪魔の囁きで姉貴の心を動かしてしまった。
姉貴には精霊がないだけで、オレ以上の物造りの資質があった。仮初めの生きる力を与えられることと引き換えに、持ち前の霊力で、悪魔の望む通りに兵器を造ったのだ。……それがやがて、沢山のヒトの命を奪うとは知らずに。
そんな惨い現実から必死に目を背けていた姉貴を、無理に呼び戻してしまったのはオレだった。
――……私のこと……置いて出ていっちゃったラティちゃんにはわからないよ!
その時の痛切な叫びが、今も赤い鼓動の一部としてオレを責め立て続ける。
オレが里を出た経緯を知らされていなかった姉貴は、姉貴を止めに……迎えに行こうとしたオレを信じず、悪魔以外に自分の味方はいないと思い込んでしまった。
誰が見たって、姉貴は利用されているだけだったのに。
悪魔は優秀な部下と兵器を求めて、様々な千族に自ら関わっていた。その中で気に入った者はスカウトするか、断れば殺していた。
脅威となる一族、霊獣族や霊法種族は、そうして時を同じくして滅ぼされる。
それでも、殺した千族も気が向けば、サキのような複製を試みられていたのだ。
……今でも思う。オレが姉貴を、あの悪魔から取り戻そうとさえしなければ……姉貴は殺されないで済んだんじゃないかって。
姉貴しか見えてない状態でなければ、同じ奴に殺されたあのヒトも守れたんじゃないか……姉貴もそのヒトも、失わなかったんじゃないかと。
オレの左肩の呪いを伝えた若いおっさんは、そこに宿る姉貴の魂は、取り出せるものだと言った。
――そのコは既に死んでる。いくら魂をとどめたところで、もう二度と……。
……二度と、姉貴に、オレの償いが届くことはない。
――……どうする? オマエの妹……その左肩から摘出するか?
このままでは死を待つだけのオレ。だからそうした方がいいと、最後まで勧めてきた人間くさい顔を思い出す。
――でも……そうすれば姉貴は本当に、消えてしまうんじゃないですか?
もしも、この傷……蜘蛛の足がオレの心臓に届いた時は、この身体を姉貴が使えるようになれば、なんて思った。
それは有り得ない、とおっさんが言っても……姉貴がきっと、それを望まなかったとしても。
それならせめてオレ一人くらい、姉貴の復活を願ってやらなきゃ、と思ったのだ。
そんなことは有り得ないとわかっていても。最後の奇跡を切り捨てること……姉貴にとどめをさしてしまうことは、自分の手ではできなかった。
実際に死に目を見てないあのヒトのことも、本気で死んだと思えないのと同じように。
そんなことを考えていたって、オレだって死にたいわけじゃない。
蜘蛛の足からの発作にはいつも必死で抗って、その度に怯える。次に意識が落ちた時には、もう目は覚めないんじゃないか、と。
そんな穴ぼこだらけな短い先行きの上、それが見えない暗闇を進むために、一人でいいから縋れる誰かの腕が欲しかった。
だからその黒い女……妙に目敏い不思議な誰かと、オレは契約を交わしていたのだ。
――……好きにしていいよ? アナタがあたしを呼ぶ時は、いつでも応えてあげるから。
代償はただ、他にそれを求めないこと。
例えば毎朝ヒトを起こす、お節介な誰かがいたとしても――
5:黒い何でも屋
サキとの久々の修行から、一週間があっという間に過ぎた。
都市会館にいると度々様子をチェックしに来る、鬱陶しいハゲワシの才蔵≒タツクを、投げダガーでたまに撃退するくらいだ。大きなトラブルはないまま時間が過ぎていた。
「……することねェ」
人間との交流も一々煩わしいので、護衛達の控え室には滅多に顔を出さない。フリー特権を生かしてSKYの待機場所に入り浸るオレだった。
勿論仕事はちゃんとしながら。今日も今日とて、館に仕込んだ結界のメンテナンスと、ついでにサキの鍛錬用に、双鎌の刃を鈍くするグレードダウンも片手間にしていた。
これぐらいの作業は出先できる。終わってから定時報告までの時間が微妙に余った。武器を隣に座って仮眠をとるSKYの周辺で、グダグダしてる状態が現在にあたる。
ちなみにSKYのよく使う武器は、両端に硬玉が埋め込まれた長さ六尺ほどのロッドだが、こいつのスタイルはサキとは違い、どちらかというと槍術に近い。硬玉周辺を少しいじると、鞘のように外れて槍身が現われたりもする。
今の所SKYは、交代時間後にちょくちょく留守にすること以外は、大人しく護衛業に徹していた。
……その留守が一番、何をしてるか凄く怪しいのは、さて置いてだ。
あまりにグダグダな状態に飽きたオレは、寝てる女を起こして巻き込むことに決めた。
――SKYの第一声は、はい? の一言。
「あたしの経歴? そんなのききたいの?」
「退屈だからな。何なら依頼扱いでいーから、テキトーな話を、テキトーな代償で頼む」
物好きだね……とSKYは、軽く考え込んだような顔をしてから、ぽん、と手を打つ。
「イイこと思いつきました」
そして妙に爽やかな笑顔で、オレの方に振り返った。
「代償ね。何か一つ、ラスティ君製の武器をくれるなら、それで手をうとうかな」
「人殺しに使わないと約束してくれ」
即答するオレ。
SKYは、ふーん? と意外そうな顔をし、くれていいんだ? と不敵に微笑んでいた。
「絶対嫌がると思ったんだけどなぁ」
「武器は基本、殺傷するための道具だけどな。オレは殺さず勝てる性能を常に目指してる。それができる奴には条件次第でくれてやるさ」
そういう意味では、こいつの戦闘力と、約束を違えないことには間違いがなかった。
「わかった。ソレではヒトは殺さない」
殺す時は違う武器にする、という意味なのはわかるが。そればかりはオレにはどうしようもないので、軽くスルーすることにした。
ワガママにもこいつは、「武器次第で話を変える」とのたまう。仕方なく、今手元にあり、こいつもよく目にしていた双鎌を譲ることにした。
双鎌を気に入ってるサキには別の武器も造り中だし、オレもガキの頃から愛用してたけど、どうせこの左手じゃ使いこなせねーし。
「あちゃ~、これをくれてしまったか。それなら相当、しっかり話さないとだねぇ」
やる気のない喜びを一応示す。
それでは基本項目から、と、SKYが淡々と話し出した。
「生まれは不明。年齢は不明。気がつけば貴族の悪魔に引き取られておりまして、それも何処の貴族様だったかよく覚えておりません」
「……オイ」
不明点多過ぎ。どこがしっかりなんだ、いったい。
「マジメにやってんのかよ、その口調」
白い目で睨みをかけるが、SKYは全く何もふざけてないよ、とコクコク首を縦に振る。
「物心つく前に没落してしまいまして、その貴族様。ただ、この体は普通に生まれたものではないことは、後にわかりましたね」
「……は?」
「培養水槽の中でしたからね、その頃の生活。その後に、貴族様の没落寸前に黒ずくめの名付け親に誘拐されて、外の世界に出た訳ですが……」
その誘拐犯からは、「望むことを為せ」と曖昧な指示で解放されたらしい。それで困り果てたと彼女は語った。
「貴族様の下ではひたすら毎日、指示に従う日々でありました。それが突然、今後は自分の意思で動けと言われても、そもそも意思って何だ状態だったもので」
全く感慨などなく語るその声。今もそれは同じじゃないのか、とオレはため息をつく。
「廃人してれば良かったんじゃねーの、それ」
「そうだねぇ、でもとりあえず生命活動を続けるようには言われたからねぇ。これくらいの姿形のイキモノらしく、何か仕事をして、日々の糧を得て、社会参加をしていくことになったのでした」
やればできるもんだねぇ。なんてことを、そいつは笑って言う。
造られた千族としての身体スペックが元々それなりだったことと、例の「わかってしまう」能力で、社会生活も何とか成立したってところだろうな。
「他にはこれといった特技もなかったので、与えられる仕事を何でもこなす内、何でも屋スタイルに固まったという次第です」
めでたしめでたし……なわけもなく……。
「そういうわけで。あたしには何でも屋以外、することがないのです」
「……つ……つっまんねー……」
「あたしもそう思うよ。もう少しサービス良くはしたいんだけど」
「いい……とりあえず色々納得はいったから、それで、もう」
「そう言うと思って」
あっさり経歴話を終了したSKYは、そのまま目を閉じて、本来の仕事へ意識を戻していた。
「……ったく……」
こいつの人間味なさは、千族というだけではない。そもそも真っ当な生物ですらないとは。
そういう意味じゃ、竜宮の水華やサキと近いのかもな、と生まれ方に関しては思う。
でもサキは曲がりなりにもイキモノらしい感情を持ち合わせてる分、一番奇跡的な存在なのかもしれない。
「何処の悪魔も、似たよーなことすんだな……」
この時のオレは、特にその共通点を深く考えていなかったのだった。
「……なぁ」
このチャンスにきいておきたいことは他にもあった。目を閉じた女にもう一度声をかける。
「双鎌の刀身今日いじった分、元の性能に戻してやるから。あんたの能力のことについても教えてくれよ」
どうせオレ、聴いても勝てないし、とふてくされつつ付け加える。
「……そんなことはないけどね。その条件は魅力的だし、同僚に伝えておくのは仕事上は有益だよね」
今後、双鎌を返せと言ったら殺すけど。と、にこやかにSKYは再び話し始めた。
「能力というか直感というか……あたしの感覚の特記事項? この広い空のある世界を一つの遊戯に見立てれば、説明書を持ってる、といったところでしょーか」
「……何だその、最初から重大問題発言」
「あくまで同じ空間にいる対象の、限定された『今』ってページしか見られないんだけどね。自分や相手の能力値、状況、課題。それと攻略法が何となくわかるので、その通りに動いてるだけだよ」
ただし情報としては曖昧で大雑把だけどね、とそこで付け加えた。
「というわけで。何でもできると言えばできるし、何もできないと言えばできない」
要するに、何事も、やり方や状況がわかる能力ではある。しかしそれ自体が何かを成す能力ではない、と言っているらしい。
「それで、何でも屋かよ……」
何でも屋なんて本来、「何でもお手伝いします」に過ぎない。それなのに、こいつにかかると「何でもできます」になってしまう……つくづく怖い話だった。
オレも大体「何でも造れます」が、請負い出すときりがなく、武器、道具に限定はする。
薬や結界とか他の分野は要するに、勉強と製作者の適性次第だ。オレの場合契約してる「泉の精霊」が癒し・浄化・育みを司るため、そこから応用が効いてのことだった。
「ラスティ君みたいな精霊こそ、調法次第で万能薬みたいなものなんだろうね」
「オレはそのレシピ、自力で探求しなきゃだけど、つまりあんたはレシピと腕だけ持ってるってことだろ」
ズルイよな、正味それって。何もせずに方法がわかるって、色々無敵じゃないのか、全く。
「ったく……それじゃ本当、弱点無しってわけかよ」
「そんなことないよ? 腕だって鍛えなきゃだし、できないことはできないとわかるだけだし。わかることの範囲も限られるし」
現にだから、遠くのこと、「今」でないこと、自身の「過去」などについては不明点が多いのだという。
「戦闘にしたって、『力』の差自体は覆せないから。この体の仕様にも限界があるし……」
ラスティ君が本調子なら、いい勝負だよ、と。
大したフォローにならないことをSKYが口にした瞬間……突然館内に、けたたましい警報が鳴り響いた。
「……お♪」
この音量の警報は、千族レベルの力を持つ侵入者があった時に鳴るように設定している。SKYは早速とばかりに双鎌を手に取った。
「調整は後でいいから、使わせてもらうよ」
そうして刃の鈍った武器を手に、部屋を出ていったのだった。
「……」
新都市長はその護衛達に対し、来襲者があったとしても、殺してはいけないという条件を課していた。
あんなぶっ飛んだ政策をたてるわりに、たとえ自身の命を狙う者でも人命を尊重するというチグハグっぷりだ。
「……大丈夫なのは、わかってるけど」
これまでの小物とは違い、千族レベル。力を全く隠せていないところは低レベルだが……。
「SKYはともかく、人間には荷が重い」
そう考えて部屋を後にしたオレが、前線に向かうと、予想通り何人かの護衛が軽い怪我をして後退していた。
その廊下の先にSKYとバンさんが並び立ち、疾風を纏った侵入者に相対していた。
「バンさん、どうします? 良ければあたしやりますけど?」
「スっちゃんの長物だと死んじゃいそーよ。ここはアタシが、リーダーらしくズバンよ!」
いやいや。どう見ても刃の鈍ってる双鎌と、巨斧の殺傷力なら、後者のが上だろ……。バンさん、意味わかんねぇ。
「……」
真昼間の侵入者は、当たると切れそうな風の中心にいた。素性隠しか全身に布を纏い、袖口から出した両手に手斧を構えている。斧使いということもあってのバンさんのやる気らしい。
「さてと」
バンさんは巨斧を、よいせ、と下手に構える。
「くぅらあああてめえええぁ人様んちでなに刃物振り回してんじゃあああああ!」
あんたが言うな……!
誰もがそのツッコミを叫びたくなるほど巨斧を大きく振り上げたバンさんは、壁にかけてある大きな絵を額縁ごと吹き飛ばした。
「がっ……!?」
侵入者は高そうな絵を両手の斧で叩き斬る。見かけによらず素早いバンさんが、絵によって作られた死角を利用して侵入者の頭上に跳び、両手拳骨を叩き落した。
そして倒れた侵入者の背中に着地すると、風は収まり、勝負はあっさりと決していた。
「もぉーう、だめよォーおイタしたら!」
……何つーか。この男には負けたくない、この場にいる誰もが、そう呟いたような気がした。
「くそッ……この人でなしがッッ!」
バンさんという巨漢の下、あの打撃をくらっても意識を保つ丈夫さや風の力は、何らかの千族由来だろう。別に興味はないけど、侵入者の方はオレ達全員に鋭い目を向けていた。
「何であんな殺人者をかばう、貴様ら…!」
「誰であれ襲うのはいけないことよ。まだ喋れるなんて、アナタこそほんとにニンゲーン?」
バンさんが背中から床に侵入者の頭を押し付ける。それでも侵入者は呪詛のような掠れた声で先を続けた。
「貴様らのせいで親父は死んだんだ……! 殺してやる……貴様ら全員殺してやる……!」
「……あらあら、あら」
侵入者を押さえつけるバンさんの手がわずかに緩む。侵入者は尚更じたばた暴れ出した。
「――へぇ。お父さん、昨日、亡くなったんだ」
いつの間にかバンさんの目前、侵入者の顔を見下ろすようにSKYがしゃがみこんでいた。
「しかも自害かぁ。今後、君達の足手まといになるくらいならって、早まっちゃったんだ」
「きッ……貴様あッ!」
「スっちゃん……」
他の護衛達はこの状況に戸惑っている。バンさんはSKYのそうした物言いに免疫があるのか、憂い気な表情で彼女を見ていた。
SKYはにこにこと、膝に置いた手で頬杖をつきながら無邪気に続ける。
「それは例の政策が公布されたから? お父さんは病気で、社会復帰の見込みがなかった?」
「黙れ! 親父を侮辱するな、人殺し!」
「ふーん……」
ふん、ふん、と侵入者をじーっと見つめ……。
――だから、何? と、彼女は笑って問いかけていた。
「それって……悪いのは都市長なのかな?」
「な……!」
「まだ新法の予告があっただけで、実際に採決されたわけでもない。法の内容もあくまで現時点では選択制。嘘八百でも社会復帰見込書を提出さえすれば、当座はしのげる」
……SKYの言う通りではある。
新たなトンデモ政策の細かい内容は、「生産的活動を行わない有識者は今後の社会復帰見込みについて身上書を提出せよ。これを拒み社会参加を拒否し続ける有識者には、安楽なる眠りの選択肢も用意される」という、病人や老人が、すぐさま殺されるようなものではない。
けれど、そんなことをわざわざしなければ安楽死しないかとか促されるような所では、オレでもバカバカしくなるだろうと思う。
「そもそも、別に自分で死なずとも、法の執行を待てば安楽死させてもらえただろうに。お父さんにできることは色々あっただろうに。どうして違うやり方を選ばなかったのかな」
「黙れ……! 黙れぇ……!!」
お父さん、死ぬ理由、前から探してなかった?
そう笑うSKYを、やがてバンさんが黙って手の平を向けて制止した。
侵入者はバンさんの巨体の下で、いつの間にか暴れ止まり、ぴくりとも動かなくなっていたのだった。
……ほんっとーに、あいつ、性格最悪。
定時報告が終わり、侵入者の件と今後の防衛線の強化について、都市長が身に付けられる防具開発を依頼されたオレは、都市長の体のサイズを測るために執務室の前まで来ていた。
定時報告でのSKYの言い草を思い出す。
――ああいったタイプは今後増えると思われますので、皆様も身辺には十分ご注意下さい。
はっきり言えば、今日の侵入者の件は、悪いのは八割方都市長だとオレは思ってる。
個々の状況がどんなものであれ、たとえそれぞれに死にたがってる奴らがいたとしても、最後に背中を押したのは確かに都市長なのだ。
SKYだって多分わかってるのに、護衛達を正当化するため、場を煽っただけだろう。
――それでも、どんな理由でもね。人を襲って殺そうとするのは、間違ってることなのよ。
だから都市長、守ってあげなきゃね、なんて……同じ正当化でもバンさんの方がマトモに見えてしまうのが、何だかすげー複雑だった。
「だからね。こうやって追い詰めたケースも出てきちゃってる以上、やっぱりこの政策、アタシはやめるべきだと思うのよ」
そうそう。ただ潜入してるだけのオレと違い、何であんなおねえ口調の筋肉がまっとうなことを言うのか……――って、え?
「ねぇねぇ、デンちゃん! アナタが疲れたヒトを楽にしてあげたいだけなのはわかるの、でもね、実際は返って追い詰めてるだけなのよ! ああ……どう言えばわかってもらえるのかしらぁ……」
執務室のドアの向こうからは、甲高くてよく通るバンさんの声だけが聴こえてきていた。
何やらバンさんが、都市長と話してるのはわかるけど……デンちゃんってやっぱり、都市長なんだろうな?
「……わかったわ。でもね……」
バンさんは段々とドアに近付きながら、都市長に次のような捨て台詞を残していった。
「アタシ達……友達だから。アナタのためにアタシ、最大限の力を尽くすわよぉ!」
バタンと、ドアを豪快に開け閉めして出てきたバンさんが、執務室前で茫然としているオレに気付く。
「あらやだー……ラっちゃん、ひょっとして聴こえてたぁ?」
「……はぁ。……まぁ」
最後らへんをちょっとだけ、と、ねちこい視線に後ずさりしながら、正直に状況を伝える。
「そっかぁ。……アタシとデンちゃんね、元々マブなのよ。こんなことやめさせたくてアタシ、彼に近付いて直接止めようと思って、この仕事を引き受けたんだけど……」
こんなこと、他のコには言えないわねぇ、と。うふふとオレを見るバンさんに、何でオレなら言えるのかきく勇気はなかった御免なさい。
そうしてバンさんは去り際、黙っていたオレの方を悲しげに見ていた。
「……スっちゃんのこと」
「――?」
「止めてあげてねぇ、ラっちゃん」
そう、意味深な台詞を残し、待機室に戻っていったのだった。
「…………」
今はバンさんが都市長に張り付く時間で、SKYはまたも留守にしている。
ここ最近は、総会の出席者とか、色々情報が明らかになってきていた。
「反対派の代表、ぱっとしないの多かったな」
もう少し法案を改正するなら通して良いという勢力が増えている。そのままでも賛成という奴らもわりと見られ、後三週間で更にどう転ぶか、といった感じの政局だ。
「根回ししてるな……あいつ」
基本にして究極の通し方だろう。その根回し方法自体が、マインドコントロールとかそんなレベルなんじゃないだろーか。
「……バンさんに触発されたわけじゃねーけど」
オレも少し、都市長と話してみることにした。
都市長のSKYへの依頼は多分、新法案を通すことだと予想はついても……SKY本人の動向についてほとんど情報がないのは、オレも不本意だったし。
一通りまず、都市長の体のサイズを、何とか不自由な手でも測り終えた。
既に一般的な防弾チョッキも着ているが、千族対策に魔除け効果もあった方が良さげだと見立てる。
「……材料費、また結構かかりますけど」
「構わない、最高の物を使ってくれ。今日のようなことがこの先、増えるだろうからね」
よし、と。思惑通り都市長の方から今日の話を振ってきたので、そのまま便乗する。
「これだけ金がかかって、命も狙われる状況で。それでも、新しい法を作りたいんですか」
外周を固めてるような警備隊ではなく、オレ達のような私設の護衛の賃金は全て自費だ。都市長自身が金持ちでなければこんなやり方は成立しないし、その辺りも一般ピープルの反発を買うと思うが、どうなんだろうか。
「誰に理解されずとも、私は構わないのだ。一つの試みを歴史に残すことはできるだろう……ここで命を狙われるほどなら、尚更なのだ」
「そう仰っても、理解者は増えてきてるじゃないですか。大したもんですね」
「それは私だけの力ではない。私自身は、偉大でも何でもない人間だ……この特筆すべき新政策も、そもそもは私の立案ではない」
……ちょっと待てオイ。謙虚さの使い所とか色々間違ってるけど、最後のはさすがに、問題多過ぎる発言じゃねーのか。
「それはつまり……協力者以上の、ブレインが貴方にはついてるってわけですか」
一個の政治家として。というより一人の大人としてどうなんだ、それ。都市長自身が例えばSKYの、操り人形だとでも言わんばかりだ。
「今日はよく話をするね、ラスティ君」
オレはヌケヌケと、用意していた返答をする。
「クライアントの意向を把握しておくことは、最低限の務めなので」
無難な内容に、そうかね。と特に不審も感銘もなく受け流す都市長。
「ブレインなどというほど、大げさなものではないよ。これは……私の母の望みを、私なりに叶えて差し上げようとした結果だ」
「……はい?」
……意外? な方向に進む話に、そのまま喋りたそうな都市長に任せることにした。
「母はとても強い人でね。女手一つで私を育てあげ、尚且つ祖父母の介護もやりとげたが、やっと全ての手が離れた途端、不治の難病に侵されてしまった」
いつもの無表情と違い、痛ましい顔と声で話す都市長は、どうやら敬愛を越えたマザコンだとみた。
「それでも私の援助を拒否し、弱った体を呪いながら一人で不自由な生活を続けている。一体何度、こんなごくつぶしは殺してくれという嘆きの言葉をきいただろうか……」
母のように苦しむ人間は何人もいるのだ、と、憂いげに都市長が語る。
「彼らに安らぎを与えられるシステムが何かないものか、当の母に相談した結果が、この政策だ」
幸い、良い協力者も得ることができたと都市長は語る。どうやら、新政策の内容自体には、SKYは全く関わっていないようだった。
ただしそれを成立させる過程は、何でも屋としての彼女に依頼されているはずだった。
「…………」
それでも……そんな経緯で立てられた新たな法は、本当に誰かのためになるのだろうか?
「それって……アンタの母親は本当に、それを望んで待っているのか……?」
――知らず。この男の母親の状況が少し自分と近いせいか、地の口調が出てしまっていた。
「ラスティ君?」
「……命と大金をかける理由が、それで本当に満足ですか。失礼ながらオレには、貴方に還るメリットがあまり感じられない」
それは、オレにしては最大限の、自分でも意外な説得の言葉だ。
市政には口出ししないと初日にこの男に言っているが、この男個人の心情には、ツッコミどころが山ほどあった。
「……」
都市長にも何か思うところはあったのだろうか。それともオレの言葉を都合良く受け取ったのだろうか。
「……ありがとう。しかしもう、私は引き返すことはできないのだ」
などと、ちょっとイイ顔をして謝意を述べる都市長だった。
ちがうだろ! とツッコミを入れても、おそらく通じないほどに。
6:夜の散歩
執務室を出てから待機部屋に戻る。こちらで与えられている工房にある、今揃っている材料と工具を確認する。
この一週間、結局オレはほとんどの時間をこの館で過ごし、ここで依頼されたアイテム開発に必要な物はあらかた新調してもらっていた。
「今足りないもんは……うちにならあるけど」
タツク達の小言よけの面もあるが、こちらで作業していると、暇な時はSKYが手伝ってくれる。
オレの左手の状況も把握してるあいつは、さすがの説明書能力で、オレの意図は違わず理解し、素早く的確に手助けしてくれた。
勿論これは、護衛同士としての助け合いなので、オレがあいつに代償を支払うことはない。超過勤務としてあいつが都市長に請求するだけのことだ。
「……引き返すことはできない、ときたか」
退室前の都市長の言葉を思い出す。
「思い当たることだらけだっつーの……」
代償が払えなきゃ死ね。のSKYの手口を知ってる身としては、まぁなぁ。
こうして状況が見えてくると、当然悩むこととして……この先オレは結局、このまま関わるのか、それとも手をひくのか。そこを考えずにはいられなかった。
「関わり続けるなら……方針は見えたけど」
けれど正直、それにはあまり成算がない。
……昏睡を続けるメリナの無機質な寝顔や、おそらく現在行われているだろう、今日の侵入者の父親の、息子不在の葬儀の光景が浮かぶ。
――彼女も当然、このまま眠り続けるなら、安楽死の対象とみなされるんだろうね。
――この人でなしがッッ!
オレは別に、何かをしたいわけじゃないし……実際何もできないような気もする。
ただ、自分にはできないと決め付けて何もしないこと。その居心地が悪過ぎるだけだ。
「……少し……様子を見るか」
何もできなかったとしても、手をひくのはもう少し、必要に迫られてからでいい。
「今はコツコツ、準備するしかないってか……ったく、めんどくせー」
心を決めると、昔の何でも屋時代のように情報集め――……何が必要か考えることにした。
「どの道、機会がなきゃ……全部ムダになるだけだろーけど」
まぁ、この体じゃそんなもんだろーな、と。
そうした結論の元、新都市長に急ぎで良質な防具を造ってやるため、ここで足りない物資を当面持参することに決める。
あまり気は乗らないながらも、久々に下宿へ帰ることにしたオレだった。
ちょくちょく才蔵が様子を見に来て、オレの体調は確認してたせいだろう。タツクとサキは特に何も言わず、帰ってきたオレを出迎えてくれた。
この一週間は、緊張感が強かったせいか、発作が起こる数も時間も普段より少なかった。
どうしてもの時は工房にこもり、定時報告が近い時だけ薬を使って対処していた。
いつもの薬を使う数が減ったせいか、発作の強さはともかく、全体的な体調は少し良い。それは二人も感じているようだった。
「何かラスティ、仕事始めてから調子良さそうだね」
朝ちゃんと起きれてる? と、サキは笑顔で着替えと新しいコートを持ってきてくれた。
「……誰かさんがいないから定時には起きないけど、目は覚めてる」
「そっか。わたしは久しぶりにおとーさんとずっと二人で、ちょっと新鮮な感じだよ」
「……へー」
家を空けてる理由でもないけど……オレのいぬ間にこいつらにも、何か変化はあるように見えた。
それにしても……何だかサキの元気がないように思えた。
普段ならもっとこういう時は、話をしたがる感じなんだけどな……。
こいつが元気ない時は大概、体調が悪いか、タツクに何か言われた時なので、タツクの主な居場所の食事部屋まで行く。新聞を広げる姿をじーっと白い目で見つめてみたものの。
「――何やねん、おれの顔に何かついとるんか」
何も後ろめたいことはなさそうだった。これでもコイツはいつも、サキにきついことを言った時は、後で言動を反省してるのだ。
「一人で出張してておれが恋しなったんか?」
「誰がだ。サキの様子、何か変じゃないか?」
「……そ、そぉうかなぁ? 別にぃそんなこと、別にあらへんでぇ~……」
……やっぱりただのアホだ、コイツは。
何か隠してるのはバレバレだけど……自分の意志ではなく、サキが口止めしたんだろう。
「……な……何やねぇん……」
一通りじーっとにらんでも口を割りそうにない。仕方なく、気になっていた別の方面から話を振ることにする。
「……ところで。もうすぐサキ、誕生日じゃなかったか」
「――あ、ああ、そうやな。もう年末やもんな」
オレも先月、二十一歳になったばかりで、その時はサキがタツクと二人で手作りケーキを用意してくれていた。
誰かに誕生日を祝ってもらったのなんて、思えば十年以上なかったかもしれない。サキがしつこく日付をきいてくるので、何かと思えばそれだったのだ。
「オレ今、あいつに武器造ってやってるから。タツクも何か用意しとけよ」
「そうなんか……よっしゃ、わかった。当日はちゃんと帰ってこいや、ラスト」
「……特に向こうが何もなければ」
あってもSKYに押し付けようとは思う。それくらいは都合のいい女だ。
とりあえず、誕生日なんて呑気な予定も話せる程度なら、サキに何か差し迫った事態が起きてるわけじゃないんだろう。
今日のところはそれで引き下がると、自室からいくつか必要な物を持ち出し、着替えも力で圧縮して肩掛け鞄に詰め、下宿を後にしようとした矢先だった。
まっすぐ館へ帰るつもりだったオレを、まるで待ち受けていたかのような人影があった。
「……こんな所で何してんだ、あんた」
「――うん。散歩がわりに、よってきてみた」
下宿の向かいの廃ビルで、白い塀に持たれて月を見上げる不審者。何故かSKYの姿があったのだった。
「交代の時間過ぎてるのに、いいのかよ」
「バンさんがねぇ。男の方が体力あるのよ、今日は朝までアタシがやるわ、スっちゃんもたまには仲間と親交深めてらっしゃい。とさ」
それで今日は、他の奴らと普段は別々の夕食に同席して、その後でこっちにやって来たらしい。
バンさんのリーダー的心配りはわかるんだけど。オレは日頃から、SKYとは話してるし……。
「オレの方、来る意味あんの?」
そうだけど、と、SKYもくすくすと笑う。
「わざわざあたしと話そうとするのなんて、ラストくらいだなぁって思って」
そうして空ろな黒い女は、人形のような黒い目でじっと上目遣いにオレを見つめる。
ラストは、いやだった? あまりに透き通る声で、そうやって笑う。
ラスティ君なんて呼ばれていた昨今、その旧い呼び名の不意打ちと、その後の沈黙……更に月光を背にした微笑みはヒキョーだろう。
「……オレには別に、話なんてねーけど」
せめてもの抵抗か、今夜は下宿で眠る前に、何となく歩き出したはいいものの。
後ろ手を組んでひょこっと隣に来た姿に、一瞬、誰かの面影がよぎっていた。
――それじゃ、ラスト君が戦ってね、と。白い外套が印象に残る、憧れだった誰か。
併せて、やっぱりラスティは強いなぁ。そう平和に笑う、白っぽい服のサキが何故か脳裏をよぎる。
「え……」
「――?」
SKYはにっこり笑い、息を呑んだオレを斜め下から覗き込む。
その微笑みからしばらく目が離せず、またオレは立ち止まってしまった。
「何考えてるの、ラスト」
……仕事の一貫として今回オレに関わって、職場で呼ぶ時はラスティ君なんて言ってるこいつだけど。
そう言えばこいつがメリナの護衛をしていた頃は、何処でオレの昔の通称を知ったのか、ラストと呼ばれることの方が多かった気がする。
「……当ててみろよ? 大体わかるんだろ、そういうの」
シンプルに整い過ぎていて、飽きのこない透明な顔立ちからようやく目をそらす。重なる誰か達を振り払うようにオレはさっさと歩みを進めた。
「もうちょっと近付かせてくれないと、細かいことはわからないかな。……とりあえず、夜の散歩に付き合ってくれるのはわかる」
「……」
傍仕え以外の時間は多分、根回しに奔走しているだろうSKYは、どうやら久しぶりに完全フリーな、不意打ちのために予定のない時間という感じだった。
「……さっきの所で、どのくらい待ってたんだ、あんた」
「別に、そんなに。用事は他にもあったしね」
月明かりの郊外を適当に歩く。どうでもいい話を、何となく思いついた時だけ口にする。
こいつといる時間をわかりやすく言うなら、ひたすら「楽」の一文字に限る。
妖しい奴だし、敵だろうなと思ってる。けれど気を使う必要は全くなかった。
使ったところで見透かされるだけだと、無意識にわかってたのかもしれない。
「バンさんの気紛れにわざわざ付き合わずに、帰って寝てたら良かったんじゃないのか」
「そういうわけにもいかないでしょう。更に面倒くさく言われるに決まってるし」
それは陰口でもなく、ただ、どうでもいい状況を説明されただけだった。
こいつは元々、誰にも何も期待しない。だから誰かに何かを強く思うことがない。
仕事以外でこいつが誰の心に残ることもない。それがオレには、何より居心地が良かった。
こいつはきっと、オレが今ここで死んでも、残念だったね。と笑って見届けてくれそうだ。
痛々しい心配そうな顔をする仲間の眼の方が、オレは居たたまれなかった。だから多分、ウィルまで一人で逃げて来たのだ。
SKYはオレのことなんて、仕事の契約者としか思ってない気がする。
それでも今晩ここまできたのは、「他に話すヒトがいない」と。言葉通り、今回の仕事の中では対処に困り、オレを選んだんだろう。
「……らしくねーけど」
スマートな人選と言えばスマートだ。
基本オレには、この仕事に誘われる前から、こいつを拒む想いはなかったんだから。
ヒトの隣を静かに同じペースで歩く、黒くて長い髪の女の横顔を流し見る。
「あんたさ……昼間、自分は世界の説明書を持ってるみたいなこと、言ってたよな」
オレがこれだけ気楽になれるのは、多分……。
「それってつまり、その気になれば、オレを籠絡することもできるってわけ?」
それもいーな。なんて感じる自分の心を、隠す意味がないからかもしれない。
この感情を何と言うのか――オレは、深く考えたことはない。
弱気になったら呼び出していい。その契約が酷く甘美だったのは、どうしてなのだろうか。
悟られているとわかっていて不敵に尋ねるオレに、彼女は何それ、と気軽に微笑む。
「ふぅん。ラストはあたしに籠絡されたいの?」
「既に狙ってやってるんじゃねーの。上目遣いとか、後ろ手の組み方とか」
「へー……ラスト、こういうのが好みなんだ」
違うし。と笑い返したところで、自分が本当に久々に笑っていたことに、後から気が付いた。
それは不覚でもあり、ある意味当然でもある。
こいつは誰にも相手好みの反応を返せる、究極的に都合のいい女だ。それなのに利用されているのは契約者の方なのだ。
それを思っておし留まったオレは、少し話の矛先を変えた。
「……なぁ、あんた。今回の仕事が終わったら、その後はどーするんだ?」
「全然全く、何も決まってないし、考えてないよ」
仕事はいつも風任せだからねぇ、と、他人事のようにSKYは呟く。
「大体、まだ始まったばかりだしねぇ」
「あっという間だぜ、一ヶ月なんて」
「そうかな? ……ラストと仕事してたこの一週間は……あたしにはとても、長かったよ」
それを口にした時のSKYは、不意にオレの目を見て、空虚な微笑みを闇に消し去り――
ずっと……と、何かを彼女は拙く言いかけていた。
「――……」
……と。ここで突然SKYが、ぴたりと足を止めた。
オレも合わせて立ち止まる。隣で立ち尽くす彼女の視線の先には、体の大きな黒い猫が、オレ達二人を射抜くような光る目で見ていた。
「……あ……」
SKYは半ば、ぽかんと放心しながら、突然現われた黒い猫を見つめる。
何かそれは、見た目はヴァシュカっぽいけど。色の異は奴らには重要なので、猫違いだろう。
まぁ、ヴァシュカ――つまりサキにこんな二人連れを見られたら何を言われるかだし、猫違いの方がいいか、と考える。
けれど彼女にとって、それは何か、大きな邂逅だったらしい。
「……おまえ……?」
ぼけっと呟くSKYの左頬を、何故か一筋の涙が、つ……と、不意に流れ落ちていた。
「って!?」
非道な何でも屋の涙。有り得ない事態にオレは瞬時に絶句する。
「――あれまぁ」
SKYは自分でも不思議そうに涙を拭うと、改めて黒い猫の方に向き直っていた。
「……そんな無様な姿で、何がしたいの」
猫相手にもにっこり微笑む。そこでは完全に、いつも通りの彼女に戻っていた。
黒い猫もいつしか、闇の中に姿を消していった。
オレはまだ、唖然としていた。
「……あんたも泣くんだな」
「ねぇ。泣くんだねぇ」
自分でも吃驚。と、全然説得力のない声で言う。
「何だったんだ、アレ」
「何だったんだろうね」
これまた誠実さのない声で返答し、教える気はないことをわかりやすくアピールしていた。
まぁでも。気になったのは、今の猫より。
「……あのさ」
さっき、何、言いかけ……――
と訊きかけたオレの口を、細くて白い人差し指で、しーっと防いだ。
「行こ、ラスト。時間もそんなに、沢山あるわけじゃないんだし」
悪戯っぽくそう言うと、彼女は再び後ろ手を組んで、今度はオレの部屋の窓がある方へ向かって歩き出した。
「……時間、ねぇ」
ふわりと後ろ髪が、心なしか月の光に淡く息づく。
そのまま不意に訪れた夜の中へ、オレも久々に誘われるのだった。
*
それから、オレにとってはあっという間に、三週間の時間が過ぎていった。
「意外に結構、色々あったな……」
二週目にサキの誕生日を三人で祝ったり。
三週目には昏睡のメリナが目を開け、大慌てなウェイドから通信が入ったことがあった。
「ラスティ君! こないだの匂い薬、あるだけ全部ちょうだい!」
メリナはやっと目を開けたはいいが、呼びかけへの反応や喋ること、何かを目で追うことはなく、全体的に焦点が定まらない感じらしい。
それでもウェイドは大泣きで喜び、通信機越しにひたすらオレに、「生きていてくれればいい、生きていてくれれば」と繰り返していた。
オレの方は、もう少しだけ薬の出力を上げてみるか、と人間向き用量に四苦八苦している。ジオウの根を合わせるといいかもね、なんて、思わぬSKYの助言に疑心暗鬼になる。
元はあんたのせいだろ、と悪態で返しつつ、取り入れて自分で毒味してみたら、意外な好感触に気分が良くなりもした。
二週目のサキの誕生日に話を戻すと。
一応今年で十五歳になったらしいサキは、何となく元気のない様子は続いていたものの、誕生日に帰った時はとにかく嬉しそうだった。
「大丈夫、わたし今、ちょっとスランプなだけ。心配せずにラスティはお仕事専念してね」
オレ製の携帯可能な可変メイスに、タツクからは打撃用の両手装着型旋棍。……無骨なプレゼント達に全くめげず、早速振り回すサキだった。
……この時もオレは、サキに起きていた異変に気付いてやれなかった。
オレが下宿を空けるようになってしばらくして。サキは突然、もう一人の自分なはずのヴァシュカを具現化できなくなっていたのだ。
「せめてなぁ……原因がわからないと……」
一度ディアルスに帰り、千族専門治療機関に相談するかどうか、タツクはオレには話せず悩んでいたらしかった。
都市長の身辺では、何回か侵入者や小型爆弾テロがあった感じだ。
その都度増える防衛強化依頼にこつこつ応えるオレは、都市長の信を厚くしつつあった。……正味、媚びを売るのに近いが、意識してのことでもある。
あの後も何度も、バンさんは都市長を説得しようと話をしていたが、都市長が首を縦に振ることはなかった。それでもバンさんがクビにならないのは、自称マブダチ所以だろう。
SKYとは相変わらずで。あの日、色々話した言葉の、続きを聴く機会は全くなくて。
バンさんはSKYにオレのことを、当初から「スっちゃんの彼氏」と言ってたようだが、SKYはわざわざ訂正していないようだった。
バンさん相手には説明しても無駄というのはオレもわかるが、実際のところ、SKYが何を考えているかはほとんど見当がつかなかった。
「……どーせ、何も考えてないんだろうな」
というのが、オレの見解だったのだが……。
あいつが一度だけ見せた謎の涙や、これから起こる出来事の中で。その思いは覆されることになると、今は当然知る由もない。
こうして、またたく間に一ヵ月の時間は過ぎていった。
ついに例の新政策の決議を行う、年始総会の初日が訪れていた。
「はーい、みんな注目ぅ!」
護衛を一同に集め、バンさんが号令をかける。
「いよいよ今日からカウントダウン開始よ。これから三日間続く総会の中で、妨害行為が激化するのは必至! 対応できない事態に当たれば、すぐにアタシかスっちゃんまで連絡しなさい! 決して深追いと無理は禁物!」
総会はこのまま都市会館で行われるが、オレ、SKYを除いた護衛は、バンさんが配置を決めていた。
バンさんとSKYは都市長にひたすら張り付くが、オレは二人の補欠らしい。
「……結局、フリーってことか」
この三日間はオレも、例の薬を予防的に少量ずつのむことにしていた。それでも久々の荒事に、今までとは違う気分だった。
「……やべーな。……不謹慎だけど……」
正直。その緊張感に、国境警備隊長をしてた頃のような高揚が目を覚ましつつあった。
「……一応、着けとくか」
戦闘向きの動き易いコートを羽織る。左肩だけ出せる切込みは仕様で、そこに念のため開発した物を取り着ける。
使いたくはないが、使わないといけない事態は有り得たからだ。
時間が迫り、居室から出た都市長が、バンさんとSKYを両隣に別館から出てきた。
……オレがその時、都市長の前についたのは、空いた場所を補う護衛感覚だったと思う。
都市長の前がガラ空きなのは、オレ製の結界、見えない強化ガラス的なモノがあるからだ。
だから。都市長の前面からの狙撃なら、都市長には通じないことはわかっていた。
「――!」
半径一キロ以内の火器使用を示す警報が鳴る。
ところが被弾したのは都市長の結界ではなく、オレの右頬に一筋の裂傷。
――って……狙い、オレかよ!?
都市長を狙えば弾かれるのに、その弾道はまっすぐオレをめがけてきていた。
まずい、と咄嗟に気付いた時、容赦なく二度目の警報が響く。
完全な油断を悟った体が凍り付く。動けないオレには成す術がなく――
……次の瞬間、黒い影がオレの前に躊躇なく差した。
「――!?」
何で、と声にもできなかったオレの足下で。
血を流して片膝をついたSKYの姿に……頭が真っ白になると、左肩に激痛が走っていた。
わけもわからず視界が暗転する。
遠い日の仲間の姿が、どうしてか唐突に浮かぶ。
――あまり自分を、責めるな……ラスト。
……意味がわからない。守れなかった悔しさはあるが、オレはそんなにマジメじゃない。
人並みに自分が大事だし、身を守るためなら違法薬でも、悪質な何でも屋でも利用する。
体はとうに薬漬けで、いつでも呼んでいいと言うそいつを、オレの弱さの捌け口にしたのは確かだから……たとえそこまで、実際に束縛はしなかったとしても。
――愛執と憎悪は裏表だろ。ラストは自分で気付いてないから、侵蝕が止まらないんだ。
左肩からオレを追い立てる、消えない呪い。その赤い鼓動は自分を含め、全てに向けられた憎しみなのだと、ソイツは彩の無い眼で言う。
……それなら、オレが迷い込んだのは袋小路だ。
失くしたものが大切であればあるほど、憎まないことなんてできるわけない。
それくらいソイツも、わかってるだろうに――
……それでも一人だけ。温かい想いだけが残る、失ったヒトを思い出した。
――……良かった……強くなったのね、ラスティル…………。
姉貴と同じ悪魔に利用された母さん。
その最後の微笑みの意味を、オレはまだ知らない。
7:出会う歯車
そこにそいつを連れていこうと思ったのは。
今から思えば、運命の導きとしか言えなかった。
「はぁ……今日はいよいよ、あのトンデモ政策をどーにかする会議か……――って」
ぅおあぁあ!? と奇声を発するタツクにかまわず、下宿の二階、開いていたベランダの雨戸からオレは飛び込んだ。
驚いて思わず構えをとったタツクの前で、ドアを開けられなかった原因、右肩に担いで使える右手をふさいでいた女をベッドに下ろす。
「――タツク! こいつ、頼んでいいか!?」
「はあ!? 誰やねんこれ!?」
唐突なオレと知らない女を、焦ってタツクが交互に見つめる。
「オレは仕事に戻る、こいつがこっちに戻ってこないよう見張っててくれ!」
「なんやてー!?」
どういうことやねん! と叫ぶタツクも、女が怪我をしていることには気付いたようだった。
オレはとにかく、時間がひたすら惜しかった。
「怪我はいーけど、こいつ危ない奴だから起きたら多分暴れる。オレが帰るまでオマエが取り押さえてくれ!」
は!? と焦るタツクの下で、SKYは既に都市会館で応急処置はされている。そこから連れ出してここに運んだ後の監視を頼む。
オレは再び窓から飛び出し、都市会館への道を急いだのだった。
「って……」
ちょっと待てやぁぁぁ! というタツクの、当然の叫びに悪いとは思う。
それでも今まで待ちに待った機会が訪れた状態で、オレは立ち止まることはできなかった。
少しだけ時間を遡らせると。
都市長ではなく、オレを狙った銃撃に気付いたSKYが咄嗟にオレの身代わりになり、オレも発作に襲われたのが二時間前だった。
「ラっちゃんとスっちゃんは救護室へ! こっちはアタシ一人で十分よ!」
バンさんの迅速な指示の元、都市長は予定通り会議室へ。オレとSKYは揃って救護室へ運ばれ、待機していた医者に引き渡された。
「……何で……だ?」
医者がSKYを手当てする間、オレは自分で薬を飲んで発作を抑え込んだ。
そうしてもう一度、状況を頭から考え直した。
「狙撃は想定内……結界も警報も機能していた」
はっきり言って強度・便利さ共に、かなり高レベルの結界だ。都市長の傍にいる警護者は、結界の外になることを除いて。
「都市長狙いなら、弾は必ず結界がはじく」
けれど、銃口は最初からオレに向けられていた。都市長には効かないと、狙撃者にはわかっていたかのように。
結界は都市長だけを守るものだ。オレが狙われたことや、弾は当たることもわかったSKYは、そこで何故か咄嗟に前に出たはずだった。
「……前に出ずに、蹴り飛ばしゃ済むのに」
あいつ、何考えてる……と、強い吐き気が襲う。
オレが狙われたのは、誰でも護衛を殺すことでの、都市長への威嚇の一つなのか。それにしてはでき過ぎているように思えた。
「……内通者が……いる?」
オレが死んでも結界は解けないが、オレ製の結界だから、そう思った奴がいてもおかしくない。「わかってしまう」SKYがいる手前、内通者の存在は疑ってなかったのに。
医者がオレの方にやってくると、オレの体調は悪くないことを見てとり、SKYについて簡単に説明を始めた。
「終わったよ。これ以上は病院に連れていかないと難しいから、君達で相談してくれ」
銃弾は左肺を貫通して肩甲骨で止まり、心臓や大血管の損傷はないらしい。人間でなければ、そう大きくはない傷と言える。
気配がそこまで弱ってなかったので、心配はしてなかったけど。それでもその説明に、オレはふうっと息をついていた。
「ありがとうございます。今は話せますか」
「できるとは思うが、あまり無理させないように。何かあったら壁のボタンを押しなさい」
そう言うと医者は、他にもちらほら運ばれ出した警備隊や護衛の診察に行っていた。
処置室のカーテンをくぐって中に入る。
SKYは白い診察台に横たわりながら、入ってきたオレに気が付いて目を開けていた。
「……」
「――って、おい!」
止める間もなくSKYが上半身を起こす。
げほっと血液混じりに咳き込んだ。立てた片膝に置いた片腕で、俯く頭を何とか支える。
「会議……始まったんだ……」
空いた片手で胸を押さえ、俯いたまま苦しげに言った。
会議の最中は、テロでもない限り都市長は安全だろうし、こいつも無理には動こうとしない。
「代わりにあちこちで小競り合いが起きてる。……大物は移動時を狙ってくるだろうな」
そうだね、とだけ答える。そのままの体勢でしばらく彼女は黙り込んだ。
SKYの定番、黒い立襟は袖がなく前開きで、処置時にも切り開かれず、今も包帯の上から羽織れていた。これならこのまま連れ出せるな、と変に冷静にオレは考える。
「…………」
熱っぽい体で、細くも荒い息遣いのSKYだが、顔にはほとんど苦痛を浮かべていなかった。
「……胸を撃たれて、それだけってのは凄いな」
いくら千族でも、当たる所に当たれば死ぬ。人間より死ぬまで時間はかかるとはいえ。
「でも……何でよけなかったんだよ?」
――何でオレをかばったんだよ、とは。不覚にも、声が震える気がして訊けなかった。
「……」
SKYはオレの方を見ずに、俯いたまま目を開ける。少しずつ呼吸を整えながら、自分でも不思議なように考え込んでいた。
そうして、そんなことを、抑揚の少ない声で呟いていた。
「……よけたら、ラストに当たってた」
「――……は?」
唖然とするオレの前で、少しだけ顔を上げる。
「……どちらかが撃たれて……それがラストだったら……ラストは死ぬ」
……そう、虚空を見ながら、無自覚な声で続ける。
彼女自身、この状況に対して、まだ整理がついていないようにも見えた。
「――オレかあんた、どっちかが狙われてたっていうのか」
……それでオレの代わりに、咄嗟にあんたが撃たれることにしたっていうのか。
言葉もなく怒気が一瞬で体を駆け抜ける。それはいつもの発作ととても近い、赤い憎悪だった。
何も答えず俯いていたSKYは、いつしか壁にもたれて意識を失っていたようだった。
「あんた……」
……こいつは基本的に、仕事の益にならない行動を自らとることはない。
自分の身を盾にするようなことも、それが必要だと判断したなら、遠慮なくそうする奴ではある。
「それでも今回は……どう考えても、判断ミスだろ……」
不思議なほどに今、オレはするべきことが見えていた。
世にも稀な、直感の何でも屋の判断ミス。この状況を利用するその行動に、矛盾とわかりながらも、自分への苛立ちを持て余していた。
「……悪く思うなよ」
そしてその後、意識のないSKYを救護室から担ぎ出したオレは、下宿に急いで彼女をタツクに託したわけだ。
……目的は一つ。
「――あいつが邪魔できない状態でいる間に。……都市長のおっさんと話をつける」
ヒト一人運んだくらいで、体は息が上がっていた。怠けた全身を罵りながら、都市会館までの道を全速力で駆け抜けていった。
「――単刀直入に言う。……命だけは助けてやるから、今回の法案は取り下げろ」
新法案について審議が始まったばかりの中、休憩で控え室に戻った都市長は、部屋にオレがいることと、愛想のない言葉使いに大いに驚いていた。
「どうしたんだ、ラスティ君……?」
台詞だけ見れば、完全にオレが都市長を脅迫している。それでも一ヶ月間の媚売りの成果か、話をしてくれる信任はあるようだった。
「君はまさか、SKY君が負傷したから怖気づいたとでもいうのか?」
「その真逆だ。あんたがあの法案を取り下げられるとしたら、今のタイミングしかない」
「今の……タイミング?」
「SKYと何を契約したか知らないが、あいつは約束を破ればその契約者を殺す。……あんたがもしも、もうやめたいと思っていたとしても、引き返すことができない代償でも約束したんじゃないのか」
「……!」
都市長の表情が、みるみる動揺の色に染まる。
都市長がSKYについて、どんな恐怖の口コミを受けたが知らないが、あいつは離れた所にいると話すと明らかにほっとした顔をした。オレのハッタリは八割方当たってたんだろう。
オレなりにこの男を、一ヶ月間観察しただけの意味はあったということだ。
「君は……SKY君のことについて、やはりよく知っているのだな」
「オレもあいつの契約者の一人だ。あいつがどれだけ容赦ないかは身にしみてる」
オレの盾になったあいつの姿が頭をよぎる。それでも遠慮なく言う。
すると都市長は、SKYへの依頼について初めて、弱音を吐ける相手ができたと感じたらしい。普段の声の堅さが嘘のように、迷いだらけの口調で喋り出した。
「私は……私は正直、わからないのだ……母の望みだとSKY君の言う通り、母は確かに、この法案を母の方から提案した。私がやり遂げる日を待ち望んでいると口にするのに……」
そうして机に向かいながら頭を抱えて、混乱した口調で都市長が続ける。
「それなのに母は、全く喜んで下さらないのだ。どれだけ根回しが進んだと報告しても、今日という日が訪れても。私が反対派の人間に襲われた日も、とにかく何とかしてくれと、そんなことしか口にされない……私は……母の望みを叶えようとしているはずなのに……」
何が間違っているのか、最早自分ではさっぱりわからない。男はそう、強く嘆き始める。
……この哀れな男は多分、ヒトの言葉の裏というものを考えられないんだろう。
だからSKYみたいな、願いを叶える詐欺にもひっかかる。契約という言葉に縛られて、頑固に身動きがとれずにここまできたのかもしれない。
「……あんたの願いと、その代償は何なんだ」
「私は……この法案を、母のために……必ず成立させることを、SKY君に依頼した」
そしてSKYは、男にこう伝えたという。
――必ず成立させる。そのために「成立しない要因」を代償に頂けると約束できますか?
言われてみれば当たり前の話だ。そして男はその条件を、特に代償を支払わなくて良い、幸運なことだと受け取ってしまった。
――法案の成立を邪魔するものは、何であっても排除します。それは例えば、アナタの心変わりであっても同じことですが。
決して挫けず、母の望みを叶えるのだと奮起していた男は、その内容で契約を受け入れる。自身の退路を、そこで絶ってしまうことも意に介さずに。
けれど、この男の母親が望んでるのは、多分そんなことじゃなかったんだから……。
オレは静かに、見立てを伝える。
「この法案が成立しても、都市長。あんたの母親は多分……この先もずっと……今以上にあんたを責め続ける」
「…………!」
だって、そうじゃないか?
男の母親……自分の存在意義を見失ったヤツに対して、辛ければ安楽死はどうかと差し出すことは、オマエはいなくても困らないという、究極のメッセージだろうからな。
「それなのにアンタが命をかけて、世間の恨みを買いながら、今の決意を貫くことは……どう考えても、割に合わない」
貫いた所で得られるものは、結局何もない。男自身の信念ですらないなら、尚更下らない話だった。
かと言って心変わりすれば、契約違反で命を奪われる。
法案を取り下げるように言われても、この男が頷ける道理はないのも当然だろう。
「SKYだってああやって負傷する。あいつ自身、約束の変更とか全く融通は効かないが、思い通りにできないことだってある」
……だから。あいつの弱った姿を見た後なら、この男だって。
「アンタの命は必ずSKYから守ると約束する。……アンタの母親に取り返しのつかない絶望を与える前に、法案を取り下げろ」
否定してほしくて反対のことを言うとか、そんな複雑な人心を、男が理解できたかどうかはわからない。
男は深く悩み込むと……本当に守ってくれるのか、と、掠れるような声できいてきたのだった。
「もしも君が、彼女をこの都市から遠ざけることができるなら。……今日明日と彼女の姿を見ないで過ごせたのなら……三日目の採決で、法案は取り下げる」
「――……わかった。SKYはもう、アンタの前には現われさせない」
……こうして、この依頼者の心変わりを促す介入も、SKYは感じ取っているのだろうか。
都市長の控え室を後にしたオレは、呼び止めてきたバンさんも構わず、一路、足止めを頼んだタツクの元へ再び全速力だった。
*
……これは後々、オレがSKYを連れ込んでからの様子をタツクに聞いたことだ。
「……えっ、えぇぇーっっ!? ラスティが女のヒト、連れてきたのぉ!?」
サキのビックリは予想通りだが、タツクは意外に、冷静に対処してくれたらしい。……アイツの話だから脚色ありかもだけど。
「まだ目を覚まさないが、サキはしばらくおれのそばにいろ。どうやら敵の相手を連れてきたみたいだから」
「そ……そうなの?」
「あいつは昔から、怪我をした相手は放っておけないんだ。元気な頃なら自分で、精霊で治療してたんだろうが……」
でもだからって、危ないとわかってる奴を連れてきて、しかもヒトに足止めさせるかい。タツクは最もな不平をぶちぶち言う。オレも勝手なのはわかってたが、実際ここなら彼女も安全で、そしてタツクならSKYを足止めできると踏んでではあった。
あんなノリの奴だが、タツクは強い。ぶっちゃけ霊獣族の長の直子で、妙な訛りの異大陸者との混血ではあるが、能力的には全く問題なく、今も現役だ。
……それでもオレは、SKYの直感――「説明書」能力を考えると、楽観はできなかった。
「まぁ、ラストが帰ってくるまで二人でみてるか」
「うん。わたし、おしぼりとお水、用意してくる」
むしろ、嫌な予感だけを胸に、帰り道をひたすら急いでいた。
「…………」
汗ばむSKYの額を、サキがおしぼりで拭う。
「……あ、れ?」
「――サキ?」
立ち上がっておしぼりを水につけようとした時、サキが不意によろめいていた。
「どうしたんだ?」
タツクが受け止めるが、おしぼりもとり落としたサキはしゃんとできない。
「……わた、し……?」
そうして横たわるSKYを見つめたまま、口元をおさえて黙り込んでしまった。
「……サキ?」
ベッドの横に置いた椅子に座らせ、まだ放心気味なサキの顔を、タツクが覗き込む。
「…………」
いつもなら、たとえ高い熱があっても、こういう時はすぐに大丈夫だよ、とサキは笑う。それなのにタツクの方を見すらせず、両膝に置いた手にだけは、指が食い込むほどの力が入っていた。
「――こいつのこと、知ってるのか?」
「…………」
SKYのことをひたすら見つめたまま、サキは首だけを横に振って否定する。
……知らない、と。しっかりと首を振って、サキは否定しようとしたみたいだが……。
「……サキ!?」
その両頬には、サキ自身も気付かない涙が伝っていた。
タツクはかなり困惑しつつ、サキとSKYを交互に窺い、黙って椅子の横に立っていた。
そうして半刻もたたない内に。
「――! 目が覚めたんか?」
うっすら目を開け、意識の戻ったSKYは。自分を見ていたサキの視線に気が付く。
「……」
「――」
しばらく無言で、白い少女と黒い女が見つめ合う。
一人は当惑と混乱の中に、一人はやがて、不敵な微笑みを浮かべ……。
黒い女は体を起こして、白い少女にその手をのばそうとした。
「――待てよ」
パシっと、サキに向かってのびかけたSKYの手を、タツクが途中でキャッチする。
「……こんにちは」
SKYはにこりとタツクに微笑みかけて――そしてすかさず、無遠慮に要求する。
「悪いけど、邪魔なんだけど」
その気安さに違和感を持ちつつ、タツクは緊迫を崩さず相対する。
「今はここから動かないでもらおう。文句があればラスティが帰ってきた時に言え」
「そういうわけには、いかないんだけど……なるほど、そういう手できたか、ラスティ君」
胸の傷は何処吹く風か。くすくす、と黒い女が笑い始める。
サキはまるで、遠い世界の出来事とでも感じてるかの如く、ぼけっとしていたらしい。
「三対一で、しかも負傷中なら仕方ないかな。ちょっと仕込みを、使わせてもらいますか」
そう言って黒い女は、何処かに持っていたらしい、何かの携帯スイッチをあっさりと押した。
突然外から耳を潰しそうな轟音が響き、窓から吹き込んできた衝撃に室内は荒れ狂った。
「なっ……!?」
「きゃっ…!!」
その隙にSKYは逃げる……わけではなく、立ち上がっていただけで、部屋の入口近くで身体をのばし、いたた、と呑気に無茶をしていた。
慌ててベランダに出たタツクが見たのは、二階から上が吹き飛んだ向かいの廃ビルだった。
以前にオレを迎えに来た夜、ひょっとしたら爆弾でも仕掛けていたのかもしれない。
「なっ……何すんねんオマエぇ!」
あまりの驚きに、一気に地が出たらしいタツクは、
「――才蔵!」
SKYに向かって、自らの分身の「力」を放ったのだった。
この下宿は南北に縦長で、三人で住むにはギリギリの広さだが、南北方向で言えば部屋二つ分+中央の階段分の縦幅がある。
天井も高めで、二階の部屋は北をサキが、南をタツクが使っている。その南側から北に放たれた怪鳥の才蔵は奥まで突っ込み、爆発の衝撃で開いていたドアが壁ごと吹き飛んでいた。
ところが、そんな才蔵の直撃を受けたSKYは、全くピンピンしていたらしかった。
「……なー!?」
「残念。衝撃は魔除けで相殺できるし、精神干渉に関しては適性ってものがありまして」
あくまで実体ではない霊獣は、力の余波で物理的に干渉する以外、直接人体を損傷することはない。相手の気力を削ぐことには長けるが、SKYはびくともしないようだった。
「おとーさん……あのヒト、普通じゃ、ない」
呆然として動けないサキだったが、何とか自分なりに、状況を理解しようとしていた。
「仕方ないな……怪我人、しかも女相手に、手荒なことはしたくないが」
……と。タツクが構えをとろうとした瞬間。
「――お。いい武器だねぇ、これ」
間が悪いことに、サキの部屋に置かれたオレ製の新作武器にSKYは気付く。
「あっ……!」
駆け出そうとしたサキをタツクが止める。
「あの長物だったら狭いここでは不利だ。取り返してやるからオマエは動くな」
「う……うん……」
「その通りだけど。長物として使うとは限らないよ?」
その時点ではロッドのような形で長物型だったオレ製メイスを、SKYは片手でしっかり握る。
タツクが先制する前に一気に間合いを詰め、鳩尾に鈍い先端を叩き込んでいた。
「がっ……!?」
その動きの早さと精確さにタツクは改めて驚きつつ、すぐに反撃する。SKYはひらりとかわして後退したが、武器がある有利性を活かして、じわじわ距離を詰めてくるのだった。
「……!」
狭い所は不利だ、とタツクは言ったが。それはどちらかというとタツク側のハンデだった。霊獣とのコンビ攻撃に慣れたタツクには特に。
既に室内は無茶苦茶だったが、才蔵が思う存分飛び回ると、この下宿自体が崩壊する恐れもある。
先の爆発で廃ビル前にも人間が集まってきており、騒ぎとの関連を気付かれないようにするには、何とか室内にいるままSKYを取り押さえるしかなかった。
「言っても……」
「無理があるでしょ、さすがにそれはね」
「全くだ。ラスティの奴、覚えてろ」
それでもタツクは、至って平静だった。色々計算して自分を相手しているらしいSKYに感心はすれど、タツク側はまださっぱり、本気を出した状況ではないのだ。
何度かメイス対肉弾戦、たまに才蔵特攻を繰り広げると、SKYは元々の傷もあってか息が上がってきていた。
……そこでサキに異変がなければ。この勝負はタツクに軍配が上がっていただろう。
「ぁっ……!」
「――サキ!?」
あるいはそれも、SKYが引き起こしたのかもしれない。この後に続いた状況を思えば。
「何だ……!?」
サキの周囲から急激に、黒い炎のような渦が巻き起こった。
隣接する物を全て弾き飛ばして、サキを取り囲むように旋回を続ける。
「暴走か……!?」
ここ最近、ヴァシュカを具現化できなくなっていたサキの不調。タツクが初めて焦り顔となった。
サキは渦の中心で訳がわからずに両耳を塞ぎ、黒い力を抑えようとする。
「何これ……やだ、止まってェ!」
「――サキ! 無理するな!」
SKYはそれを見つめながら、明らかに隙だらけなのに攻撃に転じようとはしなかったという。
サキにそれ以上近寄らずにタツクは、意を決してSKYに向き直った。
「……なるほど。それを使われたら確かに、あたしには勝てない」
わかりきったことだったけど、とSKYが笑う。
そのすぐ目の前、突然タツクは姿を消した。
……数瞬後。黄金に輝き赤い翼を持つ大きな鳥が、タツクの立っていた場所に現われる。
SKYに向かってただ一飛びのみ、最低限の力で、強大な飛翔を見せ付けていった。
8:水沼の獣
「……あーあー。……大穴、開いちゃったぁ」
床に倒れながら、空を見上げたSKYが笑った。
タツクの喚んだ黄金鳥の飛んだ衝撃で、壁は大きく床と平行に削られ、天井はもうほぼ吹き飛んでいた。
その上黄金鳥は、向かいの廃ビルに火を放って強風を起こし、地面を抉って土壁を作った。そうして強引に周囲の人払いをしてのけていた。
霊獣族の奥義、実体化させた霊獣の代わりに実体を失い、消えていたタツクが再び現れる。
「……待てよ。何で無事なんだ、オマエ」
倒れているだけのSKYを確認し、不可解そうな顔で見下ろす。
「…………たから」
「――?」
「……に、守ってもらったから」
いつの間にかサキの周囲の黒い渦は消えていた。それを見たタツクにも余裕が戻っていた。
それでもくすくすくす、と。倒れたまま笑いを堪える女に、タツクが近づこうとした時だった。
「――えっ?」
それは、咄嗟に状況を理解できなかったサキが、ぽかんとした顔で思わず出した声だ。
「……な……に!?」
突然背後から、タツクは黒い犬に飛びつかれて首元を噛まれた。血煙を上げて押し倒される。
サキはただ、真っ白になった頭で、
「……ヴァシュカ……!?」
と。タツクを襲った黒い犬を見つめながら、泣き出しそうな目で呟いていた。
「ぐぁっ……!?」
背後からの奇襲に地面に打ち付けられ、そのままうつ伏せに自分を押さえつける存在に、タツク自身混乱を隠せないでいた。
「悪いけどこれ以上、霊獣は使わせない」
起き上がっていたSKYは、黒い犬の方を見て微笑む。黒い犬はそのまま、タツクの首元にもう一度深く噛み付き、骨ごと噛み砕いて周囲の組織と共にひき千切った。
「がぁぁ!!?」
「君の霊骨は、隆椎の棘突起かな。しばらく預からせてもらうとしますか」
大丈夫、邪魔できなくしたら命はとらない、と。
呆然としているサキに、SKYはキレイに微笑みかける。そのまま黒い犬からタツクの骨片を受け取っていた。
「何で知っ……オマエ、一体……!?」
霊獣の媒体となる霊骨。それを強引に取り出された負荷で、身体が動かず、意識が落ちかかるタツクだったが……黒い犬をお供に立ち上がったSKYを見て、認めたくないある結論に辿り着きつつあった。
都市会館を後にしたオレが、ようやく下宿の近くまで来た時だ。タツクの黄金鳥が出現し、人払いをしていく姿を目の当たりにした。
「って……そこまでする状況かよ!」
慌てて周囲の建物に手持ちのダガーを走りながら投げ刺す。少しでも人間を遠ざけるよう、急拵えの結界を仕込んでいく。
「それはさすがにないだろ……!」
負傷したSKY相手に、タツクが「実体化」までして手こずるカラクリ。それがわからず、動揺が倍化する。
「……躊躇ってる余裕はないってことか」
ようやくオレの覚悟も決まった。
そっと、左肩に身につけた装具を、本格的に起動するしかなかった。
「……ヴァシュカ……どうして……!?」
SKYに付き従う黒い犬だけを見つめ、サキが震える声で問いかける。
黒い犬はその声が届いたのか、一瞬すっと、漆黒の毛並みが灰色に変わりかけたが……。
「せっかく実体化したのに、戻しちゃうの?」
くすくす、と笑うSKYの声で、すぐにまた漆黒に戻ってしまった。
段々とサキの方へ、SKYが黒い犬と共に歩みを進めてくる。
サキは怯えというより、ひたすら放心して動けなくなった感じだった。
「あなた……だれ…………?」
「奇遇だね。あたしもそれを、ききたかった」
ぺたんと座り込んだサキの前までくる。膝を抱え込むようにしゃがんで目線を合わせる。
「え……?」
漆黒の目でサキを射抜く。
SKYはその時、幸せそうに笑いながらこう呟いたのだと、後にタツクは言った。
「あなたに会えて、やっとわかった…………あたしが誰なのか……」
「今」しかわからないその力では、自分の過去を知ることはできない。
それでも、自分に近い誰かが何処かにいるなら。それが何者であるのか、その命に直接触れてでも感じ取ればいい。
サキに出会ってSKYが得た答が、それだったのだ。
「……こんにちは。あたしは、あなたの残りかす」
それだけ言うとSKYは楽しそうに……サキに向かい一瞬で、スティレット型の短剣を、胸の中心に深く突き立てていた。
ようやくこの下宿まで帰り着き、もう一度二階に跳び上がった、オレのすぐ目の前で。
……知らず。姉貴が殺された前後のことが、走馬灯のように頭を駆け巡っていた。
あの日からオレは呪いを受けた――誰に向けても治まることは無い、真っ赤な憎悪の鼓動。
いくつもの夜を、発作と共に眠りについて、闇の中をさまようことしかできなかった。
それでも飽きずに毎朝、引っ張りあげてくれる誰かがいたのだ。……本当に、飽きるほど、毎朝毎朝。
「……サ……キ……」
本当にオレはいつも、誰かを巻き込んで……辿り着いた時には手遅れなんだろうか……。
姉貴にしたって、サキにしたって。
もしかしたら、まだ助けられそうな状況に見えても。昔と違って今のオレでは、助ける手段さえもが錆び付いている。
SKYの短剣で胸を貫かれ、霊獣族の証である霊骨を、サキは胸骨角から抉り出された。
崩れ落ちる寸前にオレが抱きとめ、瞬時にSKYから引き離す。
腕の中でぴくりとも動かずに、サキは硬く目を閉じている。どんどんと赤く染まる白い服に、頭がどうにかなりそうだった。
「あれれ。左手、動いてるね、ラスティ君」
短剣の先の霊骨を抜き取りながら、虚ろ気な黒い女が、呑気なことを言ってこちらを見る。
「その肩当ての効果かな? この一ヶ月、頑張って造ってたものね……つまりようやく、悪あがきする決心がついたんだねぇ」
女の言うことは全て妥当だった。それでもサキの止血をしようと必死なオレには届かなかった。
コートの裾を破って胸をきつく縛る。一瞬だけサキは顔をしかめたが、すぐまた硬い寝顔に戻っていった。
「こら、起きてるなら眠るな、サキ!」
その様子を見て、オレの意識にも火が入る。
即死でなければ助かるかもしれない。オレさえその気があるのだったら。
「起きろってーの! 寝起きだけはいいのがオマエのとりえだろ!」
タツクがやられて、サキも死にかかっている、考えられる限り最悪に近い状況。せめて誰か一人だけでも、助けることができるとしたら。
その誰かを、今、選べと言われるのなら。こいつが目を開けてくれないことには、オレとしてはどうしても踏ん切りがつかなかった。
無駄だとわかりきっていることに、イチかバチかの賭けはできない。
……こいつがまだ生きていて、目をあけるだけの命が残されているなら。オレの残った命を使い切ってでも、精霊の力を使ってみることはできる。
ただそれで、本当に助けられるのか……。今のオレに精霊がそこまで制御できるのか、それだけが問題だった。
そしてその後、オレが倒れてから、SKYが手をひいてくれるのかもわからない。
タツクが無力化された上に、オレがくたばって、サキも動けなければただの全滅だ。
「おいこら、バカ娘! ……暴れ者のお嬢!」
最後の声に、サキも五年前を思い出したらしい。ふっと、薄く目を開けていた。
「……サキ!」
「…………」
サキはようやく、その彩の無い眼にオレを映した。
束の間、オレを視ていた後に、僅かに不思議そうな表情を浮かべた。
「……手……ラス、ティ……」
オレの左手が動いて、サキの体を支えていることに気が付いたらしい。
SKYと同じことに気が付いたわけだが、この期に及んでヒトのことばかり気にするこいつに呆れる。
サキは何故か、SKYを彷彿とさせる笑顔で、かすかに微笑んでいた。
「――サキ?」
「…………」
ふわりと笑いながら、胸から流れた血が滲む右手で、ゆっくりそっと、サキがオレの左肩に触れる。
その後、力なく落ちる右手と、閉じられてしまう両の眼。
それでも確かにその直前に、左肩を何か温かいものが伝っていった。
「……おい!」
――全身をまた。数時間前のような怒気が、慌しく駆け流れていった。
……オレはいったい、いつまで何を迷って……何を躊躇っているのだろうかと。
――おはよー、ラスティ。よく眠れた?
ここで、自分の命が無駄遣いになったところで、何だというのだろう。
――今は……ラスティに生きててほしいな。
助かったかもしれないサキを見殺しにして、死ぬほど後悔するよりはずっとマシだ。そう考えると、不思議と気持ちが楽になった。
「……ゴメンな、サキ……姉貴……」
魂からの願いにそっと耳を傾ける。それだけで良かったんだ。
精霊との話し方を、その時思い出した気がした。
「……お」
サキから奪った霊骨を握りしめて座りながら、何故か成り行きを見守るSKYは、オレの変化に気付いたようだった。
「そっか……ついに精霊、使っちゃうのか」
傍らに立つ黒い犬をもさもさと撫でて、感慨深いような顔で呟く。
「まだ守るものが残ってるのに、死んでもいいって思えちゃったか。……往生際が悪いのが、ラスティ君のとりえだったのにね」
黒い犬にそうして何かを囁くごとに、それは、より深く濃い黒色になっていくようだった。
まるで何かの、旧い制約が解かれるかのように。
薄れゆく意識の中で。少し前の誰かの言葉が不意によぎった。
――……そっか。ラスティくらい強くっても、不安になっちゃうこともあるんだね。
当たり前だ、と言いたくなりつつ、かっこ悪いので黙っておいたバカな一言。
――……そうだよね。……でもきっとラスティは、そういうの、嫌なんだよね。
……悪あがきはしたくない、とずっと思ってるつもりだった。
でもその思い自体が悪あがきだった。実際のオレは、いつでも諦めが悪いんだから。
弱っていく自分を突きつけられるたび、抵抗しようとする思いと、何ともならない現実。その両方に打ちのめされて……手を差し伸べてくれる奴は沢山いすぎて、無様なこの姿に、オレ以上に打ちのめされたような顔をするから。
だからディアルスを後にしたのに……頼みもしないのにこいつらは追いかけてきた。
当たり前、という顔で図々しく住み込んだこいつらは、オレがどれだけふてくされようが、いつも笑ってそこにいてくれた。
……ありがとう、と、まだどちらにも言えてなかったから。
ここで消えるのは嫌だ、なんて、往生際の悪いことをまた思ってしまう。
オレのそんな思いを、知ってか知らずか。
左肩がぽわんと温かくなっていくと……懐かしいヒトの声が聴こえた気がして、故郷の精霊はそうして久々に息を吹き返した。
――……大丈夫……。
精霊と話をするのは久しぶり過ぎて、何から話せばいいか全くわからない。
左肩も命の流出に激しく痛み出し、赤い鼓動が目を覚まそうとする。
せっかく感じていた精霊の吐息が遠ざかる……こんなんじゃサキを助けられない。
「頼むから今だけは大人しくしてくれ……!」
……サキを離してしまいそうになるほどの痛みの中で。
大丈夫だ、と……何度も、柔らかな声で繰り返したのは、一体誰だったんだろう。
――……大丈夫……――ちゃんは、精霊さんと話すの、とても上手なんだから……。
その微かな声と共に、やがて、左肩に温かみが戻る。
――……一人じゃ、ないから……。
そのまま、強く願うだけでいいんだよ……と。
泣き出しそうな一瞬の白いユメが過ぎて……――
次にオレが目を開けた時には。サキの胸の傷はすっかり、塞がっていたのだった。
「……い?」
久々に使った精霊の力の実感と。今ここにある自身への妙な違和感に、座り込みながらオレは思わず全身を見回していた。
「……え?」
隣で倒れているサキは、傷は治っているのに、ぴくりとも動かない。
そして精霊をついに使った、オレ自身の体調はというと。
「……何とも、ない?」
――ちょっと待て、と。焦ってサキの方を向く。
「オイ! ほんとに生きてるのか、サキ!」
自分が何ともないということは、やっぱり失敗してしまったのか。必死にサキを揺さぶる。
対象の命が残ってなければ、いくら精霊でも傷を癒すことはできない。だから治療自体は確かに、サキが生きてる間に成功したはずだ。
……それでもサキが、息をしてないのは……どういうことなんだろう?
くすくすくすと、サキの霊骨とはまた違う骨片をいじりながら、SKYが笑った。
「どうでもいいけど。そっちの男のことも、ちょっとは心配してあげたら?」
オレもハタとして、サキを抱えながら、うつ伏せに倒れている奴の所まで駆けよる。
「――おい。生きてるのか、タツク」
「……死んどるわ! ……悔しいけどいっこも動かれへん……」
「サキが息をしてない……傷は治ってるのに……霊骨が戻ってないからか?」
「……それは違うで。多分あいつに引っ張られとるんや。あいつ、サキの力を奪いよったみたいやからな」
「――!?」
SKYの方を振り返ると、不敵に笑う女の後ろで、黒い犬の姿がゆらゆら揺らめいていた。
「――うん。時間をくれたから、あたしの方もうまいこといったよ」
心なしか、SKYの姿が、ざざ……と薄れる。
「サキの力を奪ったって、どういうことだ!?」
「あいつ、霊獣の力を持っとる。多分サキと同じように造られた、誰かさんのクローンや……ヴァシュカを強引にあいつ仕様に塗り替えてもーた」
「は!? ……似てねーし!?」
それでもあの黒い犬が、ヴァシュカの成れの果てやで、と。
言ってるそばからそれは、ゆらゆら灰色になったり、黒いまま猫の姿になったりと、不安定な変態を繰り返し始めた。
「……うーん。凄く惜しいけど、クローンと言われると、多分違うんだな。同じ源の力を分けてて、あのコの方があたしより沢山持ってったから、今までコレも使えなかったけど」
SKYの背後で揺らめく黒い犬は、段々と空気まで黒く染めていくような勢いだった。
「そこの男が言うように、同じ悪魔の所にいたことは間違いがないよ。……多分あたしの方が、オリジナルに近いけれど」
その言葉を証明するかのように……揺らめく黒い犬が、突然巨大な咆哮をあげる。
「――まさか!?」
「――嘘やろ!?」
黒い犬は、最早犬というより、狼のような激しい形でどんどんと増大していく。
「そんな……! 何で……!?」
期せずしてタツクとオレは、あれは……!? と、全く同じタイミングで呻いた。
「まさか――……『フェンリル』……!!?」
崩れた壁の外に現われつつある、巨大な黒い、狼型の実体化霊獣。
それは紛れもなく、サキのオリジナルの本性と同一の獣。死んだはずのヒトが還ってこない限り有り得ない、訳のわからない悪夢の具現。
そしてそれを実体化したかわりに、SKYは実体を失いつつあった。
「ラスティ君がこれ以上仕事の邪魔をしないと言わない限り、あたしも本気でお相手をしなきゃね」
本来の標的であるオレに向き直る。かつて同じ黒い狼を駆った、あのヒトとは似ても似つかない笑顔を浮かべる。
「……でも今、他に武器がないし。それならあたしも……戦い方を変えるしかない」
それだけ言い残すと、そいつは……場から完全に消え去り、黒い狼に後を任せたのだった。
*
おまえなぁ……! と。タツクとサキを抱え、狭い部屋と瓦礫を盾に逃げ回るオレに、容赦なく黒い狼の鉄拳が乱れ撃ちされる。
「怪我してんなら寝てろよ! ここまでやってあんなトンデモ政策叶えるような必要性、何かあるのかよ!」
それは、「契約」自体に重きを置くSKYにとって、意味のない問いだとわかってるオレだが……こうも勝算のない状況に放り出されると、グチの一つも叫びたくなってしまう。
「ようわからんけど、何でオマエがそんなことに関わっとんねん……!?」
「やめさせよーとしてるのがオレで、邪魔する奴は殺すって言ってるのがこいつ!」
無茶苦茶やな……と嘆くタツクの勢いが拙い。あの謎の黒い狼を目の当たりにしたせいだろう。
「ラスト、もうええからおれは置いとけ! このままやったら共倒れやろーが!」
「ふざけろ! 霊獣のことはオマエらの方が詳しいんだから、何か対策考えてくれよ!」
オレの精霊は攻撃には向いてない。他にある武器といえば、こんなデカブツ相手にダガーとか悲し過ぎるし。
――くそっ、息が上がる……!
足がもつれて絡む。それでも昔の勘か、逃げながら効率良く動け、何とか喋れてはいた。
……と言ってもさすがに、ヒト二人抱えての逃避行が、そんなに長く持つわけもなく。
「――っっ!!」
左肩が一瞬強く痛み、体の動きがそのせいで鈍まる。
黒い狼の前足がかすり、その衝撃は魔除けでも抑え切れず、タツクとサキを抱えながら吹っ飛ばされて壁にぶち当たった。
「大丈夫か、ラスト!?」
咄嗟にサキをかばい、衝撃はほとんどオレが受けて、タツクのことも手放してしまった。三人で壁際に追い詰められ、黒い狼が空に向かって戦慄の咆哮をあげる。
「ったく、こんな単純攻撃しかできんよーな出来の悪い実体、おれなら絶対負けへんのに!」
黒い狼が再び前足を振り上げる。追い詰められたオレ達に向かって勢い良く振り下ろす。
「っのやろ……サキに当たるだろ!!」
痛みと怒りのままオレの躊躇いも吹っ飛び、奥の手を取り出し、久々に解放の力を込めた。
「ラスト、それ……!?」
負傷したSKYが置きっ放しにしていた双鎌。携帯型をとっていた武器を元の姿に戻し、黒い狼の前足を受け止めたオレを見て、改めてタツクは色々びっくりしているようだった。
「……ぐっ……!」
精霊の時は大丈夫だったのに、双鎌に力を込めた途端に、左肩の悪寒が厳と目を覚ました。
――やべー……これ、まじで死ねる……!
じりじりと押してくる前足を気合いで何とか跳ね除ける。口の中に鉄の味がこみ上げてくる。
「ッは……!!」
ダメ元かつヤケクソで、いつもの薬を一気に三錠、赤いものごとのみこんだ。
「――っっっっ!」
体が沸騰し、意識が何処かに飛びかけていく。思ったよりそれは効果的で、熱がそのまま力に変わった。
けれどその後も繰り返される狼の鉄拳は、段々と精度を上げてきていた。
SKYは当然、この狼を使い慣れていないが、
――あいつなら例の能力ですぐに慣れるはず……!
多分、戦闘が長引けば長引くほどに不利だった。実体化までいきなりできているのがそのいい証拠だった。
「とにかく、これじゃ勝ち目ナシだろ!」
「おれを囮にしてこいつを足止めでどうや!」
そんなの論外だ。ただ確かに、このデカブツの動きを一度止めないことには活路はない。
「――あかん! 次の攻撃、溜め技で来るで!」
タツクの言う通り、狼は一度わずかに後退し、一呼吸置くと前足の周囲が揺らぎ始めた。
「……!」
黒い渦のように変わる前足に、オレも双鎌にありったけの力を込める。
それでも実体という密度とこの体勢では、「対『力』」の双鎌での応戦も限界があった。
――っつか……もう力、残ってねぇし。
今までの攻撃を防ぐのがやっとだった状態で、本当にアレを受け止められるのか。
……迫り来る終結を早々に悟ると、心が冷えた。
それでも盾くらいにはなる、と心を決め、気取られないよう、力強く双鎌を構える。
SKYもわかってて、とどめなのかもしれない……オレが落ちれば、こいつらを深追いする理由もないはずだ。
今となってはもう、あいつのそういうカタブツさに期待するしかない。
来る! と、タツクの緊張の掛け声と共に、狼の前足が振り落とされる。
……まぁ、オレ、頑張ったよな、と。
自分でも驚くぐらい平静な気持ちで、迫りくる黒い渦を両目に受け入れていた。
9:仕事の終わり
……。
…………。
オレを双鎌ごと蹴散らし、タツクやサキにも余波が及ぶはずだった黒闇の鉄拳。
それは立ち上がって前に出た、白い少女の直前で……その小さな掌底だけで止められていた。
「……サキ……!」
――生きてたのか、と。オレの中を一気に、安堵の思いが駆け巡る。
それはタツクも同じようで、うおぁー! と無理ムリに顔を上げて奇声をあげる。
「ごめん……遅くなっちゃった」
てへ、と苦笑しながらサキは、何処か今までより大人びた顔で、オレ達の方に振り返った。
「――バカ、下がれよ!」
ヒトの前に出たサキの更に前に出る。サキはすぐにオレの腕を、凛とした顔つきで掴んだ。
「……ラスティ。私を手伝って」
「――えっ?」
「おとーさんの霊獣を取り戻すの。私があのコを止めるから、ラスティはその後をお願い」
その真剣な眼差しは、今までのサキからは考えられないくらい、強い意志に満ちていた。
「って……何言うとんねん、オマエ!」
オマエに何ができんねん、下がらんかい、とタツクが半泣きで叫ぶ。どうやらオレ以上に、サキの安否を気にしていたらしい。自分の口調のことも気付かないくらいに。
「おれかて慣れれば動けるくらいにはなる! オマエが無理することは何もあらへん!」
「でも私のヴァシュカがしたことだもの……いいよね? ラスティ」
「…………」
再び力を溜めている黒い狼の前で、四の五の言ってる時間はなかった。
「――わかった。勝算はあるのか、サキ」
「……ヴァシュカはとられちゃったけど……まだ私が、ここにいるから」
サキはそうして、黒い狼を悲しそうな目で見つめる。
「あのヒトに近くで触れて、私もわかったよ。私達は……同じことができるはずだって」
そう言ってサキは、力強いVサインをオレにしてのけた。それでオレまで根性が座る。
「はぐれ霊獣族サキちゃんの真の姿、ここで見せてあげる!」
ずん、と、オレより更に一歩前に出る。
自分の何十倍もの巨大な狼に向かい、腰を落として拳を掲げた戦闘の構えをとった。
――って、巨大猛獣相手に素手で立ち向かう気かあいつは!
サキならやりかねない、とオレが一瞬焦ったその時……唐突に、赤みに染まった白い服を着ていた少女は、場から消え失せていった。
「……!?」
その現象が示す事態に、オレとタツクは揃って驚きの顔を見合わせる。
一瞬の間の後……オレ達に再び黒闇の足を振り下ろした黒い狼を、その上半身ごと、一筋の白い光が弾き飛ばしていった。
そして、その白い光が地上に降り立った時。
「……まさか……実体化か!?」
そこにいたのは、ヴァシュカよりも大きく、白い体と黒い耳、尻尾、手足の猫型霊獣だった。
大きさ的には人間と同じ程度だが、その白黒猫は、SKYが「噛み付ける」黒い犬を連れていたように、確かに実体としてそこに具現されていた。
「霊骨もないのに何でやねん!? しかも……『バステト』やと……!?」
さらにはその白黒猫も、黒い狼と同様に、サキのオリジナルがこの世に具現させた霊獣とそっくりなのだ。
サキとSKYが同じ存在に繋がることを、改めて裏付けるその状況。タツクは半泣きどころか、歯を食い縛って大泣きを始める。
「どうなってんねん!? なあ、アシュー!?」
まぁ、無理もねーけど……惚れてたもんな、タツク……死んだそのヒトに。
サキのことを素直に娘って言えないのも、大方その辺がひっかかってるんだろーし。アイツ曰く、ふられたって話だったし。
あのヒトがタツクでもオレでもなく、違う奴を想ってたのをオレ達は知っていたから、最後までどっちも踏み出さなかったようなもんだし。
黒い狼を奇襲で一撃した白黒猫は、改めて、咆哮を上げる黒い狼に怖気づかずに相対する。
――私があのコを止めるから。
そのサキの台詞を、思い出しはしたものの、
「どうするつもりなんだ、あいつ……!」
正直、体格差の有り過ぎるあの状態で、期待しろという方が無理があった。
「――大丈夫! 私に任せてて!」
なっ!? と、タツクと二人してまたしてもぶっ飛んだ。
白黒猫が、サキとほぼ同じ声で叫ぶ。
「私をただの猫だと思ったら大間違いだから!」
と。……猫の姿のまま、喋りまくっている。
……えーと。あいつらにとって、霊獣を実体化して自分が消える時は、あいつらが存在する世界そのものが入れ替わるんだときいてんだけど。
だから変身して服が破れて、あいつらが戻った時、何も着てないことはないって話なんだけど。
何言ってんだか、要は異世界からサキが喋っても声、届くはずはねーと思うんだけど。
「れ……霊獣が喋るなんて、きいたことあるかあ!」
うん。長の家系が言うんだから間違いないよな。
どんな反則や、とツッコミつつ、未だにタツクは全く動けそうにない。仕方ないのでオレも、黒い狼が白黒猫と睨み合う隙に、もう一度癒しの力を使ってみる。
サキに対してやったように、気負わず精霊に話しかけると、今度は難を感じなかった。
「……お。……動ける、わ……」
霊骨がないため、霊獣は使えないが、ひとまず動くことに関しては支障なさそうだった。
タツクのその姿を見て、白黒猫もいっそうやる気が出たらしい。黒い狼に対して総毛を逆立てて腰をひき、跳びかかる寸前の体勢をとった。
「……!」
白黒猫のその体勢に、オレも先刻最後の力を込めた双鎌を握り直し、次の事態に備える。
四本足で地面を震わせ、我を忘れて咆哮する黒い狼。
「……そんなに暴れて……!」
サキの声より少しだけ、大人びて感じる声で白黒猫が唸る。
その体からまた白い光が発して、段々輪郭が揺らぎ出した。
「おとーさんとラスティを傷つけたこと、反省させてあげる!」
ついに白黒猫は、光と共に黒い狼に向かって全力で跳びかかった…………かに、見えた。
「……はい!!?」
白黒猫の上半身は、確かに黒い狼の胸元まで躍り上がっている。
――が。下半身は、地面に足がついたままで。
「これが私の真の姿……だったらいいな! 行くよ、猫竜ちゃーーん!!!」
その、今この瞬間もぐいぐい伸びて上半身についていく、長い長ーい胴体。
それが黒い狼の首を一周して着地し、足の間を上半身だけで駆け回り、力任せに縛り上げた。
「……って……ちょっと待てェーー!!!」
猫竜って何だぁぁー!! 何やねんー!!
オレとタツクの何度目かのツッコミタッグも、そのぶっ飛び反則娘には届くことはない。
そのまま自身の体で、黒い狼の巨体の頭と四本足をまとめて封じ、凄まじい振動と共に倒れ伏させた白い猫竜……もとい、物凄く胴の長い化け物猫だった。
「……――!」
あまりにツッコミ所の多い事態ではあったが。オレも自分の役目を忘れたわけじゃない。
「よし、よくやったぜ、サキ……!」
今の自分に残った力を全て込めた双鎌を、体が左肩の呪いで崩れ落ちる前に構え直す。
この黒い狼は間違いなく、負傷したSKYの切り札なはずだ。
それならオレも、ここで躊躇う理由は何もない。
「あんたが死者をも駆り出す死神なら……オレの命もくれてやるから、好きにしろよ!」
倒れ込んだ黒い狼に向かい、後先など考えずに全力で跳躍する。
……双鎌が、自分の一部みたいだった頃を思い出す。
それに引き換え、この黒い狼からSKYの気配は、僅かにしか感じられなかった。
いくらあいつが、負け知らずの説明書能力の持ち主だったとしても。実体化した霊獣まで完全に同じ感覚にできるわけじゃない。
黒い狼の首元から骨盤まで――内部に満ちている力ごと、巨体を大鎌で縦断して切り開いた。
その先に一瞬見えたあのヒトに、心の中で謝ってから……その黒い残骸に、オレはそっと別れを告げた。
*
「……――?」
その頃、都市会館では大変なことが起きていたらしい。
本日の会議の後半を終えて、総会初日を曖昧過ぎる決意の状態で過ごした都市長は……コンコンと居室がノックされている音に気が付く。
恐る恐る部屋を開けると、訪室した相手を確認し、安堵の顔をして相手を迎え入れた。
……それが、彼の失脚の始まりになるとは夢にも思わずに。
「……あーあー……」
最早、どう取り繕いようもないほどぼろぼろになってしまった、下宿の二階の床で。
自分がそこに倒れていることを確認するように、狼から戻ったSKYが拙く声を出した。
「あーー……痛いねぇ、これ……」
彼女は指を動かすこともできなかったらしい。それ以上何かをするつもりはないように見えた。
実体化した霊獣と、本体は感覚を共有している。双鎌のダメージは黒い狼を通し、SKYにも届いているはずで、意識があるのが不思議なくらいだ。
「……やっぱりなぁ……ああいう反則さん達には、かなわないねぇ……」
オレやサキも、SKYと近からず遠からずの動かない体で、ばらばらに倒れこんでいた。
意識のないサキの元にはタツクが駆けつけ、SKYから引き離していた。
SKYのすぐ近くで倒れていたオレの方にはどうやら来てくれそうになかった。多分、サキの安全確認と応急処置が終わるまでは来ないつもりだろう。
正直オレ今、死にかけてると思うけどさ。薬やら戦闘やらでもう全身ぼろぼろだし。
「それにしてもラスティ君……酷くない? ヒトにくれた武器でヒトのこと攻撃するとか……双鎌返さない約束違反で殺していい?」
「ぬかせ。勝手にケガして倒れたあんたからの預かり物を、ちょっと借りただけだ」
大体……とオレは、ぴくりとも動かない体で、空だけを見上げる。
「ヒドイなんて言うの、今更だろ。……オレ、あんたに酷いことしかしてないんだから」
それもそうか、と、SKYも笑ったようだった。
千族同士、体は動かないほどの深刻なダメージでも、話をするくらいはできるのだった。
「んーで……都市長のおっさんからは、手をひいてくれるんだろ」
このダメージじゃまず絶対に、三日間の総会の間にSKYは復帰できない。
彼女の不在のせいで、この最初の総会で契約通りに法案が通らないなら。依頼不履行の責任は都市長ではなく、彼女に帰するはずだった。
「そうだねぇ……これは護衛としてのあたしの不始末でもあるしねぇ」
「……へ?」
……しかしSKYはオレの思惑とはまた違う、失敗の原因について考えているようだった。
「残念だけど、ラスティ君。君の健闘も空しく、都市長はついさっき失脚されちゃったよ」
「……は?」
「バンさん、あたしも君も会館にいないことに気付いちゃったみたいだね。都市長が結局、総会が始まって説得タイムリミットが迫っても、あの政策をやめるって言わないから……愛のムチをくれちゃったみたい」
……SKY曰く。都市長はバンさんから、あの巨斧による両膝砕きを見舞われたとのこと。
「別に殺さなくたって、総会に出席させなければ、法案はそもそも審議できないでしょ。やばいなぁとは思ってたんだけどな……予想通り、痛い事態になってしまいました」
ここでのこともあるが、都市長を守り切れなかったので、今回の契約は無効、と何でも屋がのたまう。
「……バカじゃないのか、あんた。何で今まで、知っててバンさんを見逃してたんだ」
色々言いたいことはあるが……一番大きなツッコミは一つだった。
「っつか今朝、オレをかばわなければ、都市長の護衛だって穴は開かなかっただろーに」
甘いね、と彼女は、くすくす笑いながらけろりと返答する。
「だから、バンさんには敵わなかったの。あのヒトも大概、反則なヒトだからねぇ」
「……何が言いたいんだ?」
「バンさんはずっと、あたしとラスティ君をマークしてたよ。都市長に何かをする時には、最大の障害になるってね」
……へー、と思わず、あのおねえ口調の筋肉男の顔つきを、必死に思い出していた。
「同時にとても、気に入ってくれてましてねぇ。今朝みたく、あたし達を自然に始末するタイミングを窺いながら、都市長には良い護衛だと凄く売り込んでくれてたし」
「……何だソレ」
何というか……バンさんが矛盾だらけな善人で、かつ外道なのはわかった気がするが。
「バンさんがいるから、防衛面であたしは、ラスティ君をスカウトしたわけだったけど」
それは都市長の文字通り失脚を防ぐ意味、つまり、護衛としてのSKYの目的で。
「後々、アナタが障害になるのもわかってたよ」
「……じゃあ……何で」
「バンさんやアナタが敵に回って、都市長を説得するならさ。それはそれで良かったんだ」
「……どーいうことだよ?」
――その方が仕事、増えるからね、と。
今までほとんど聴いたことのない冷めた声で。SKYはそう呟き、嘲笑うように続けた。
「でもバンさん、あたしもラスティ君も退場したもんだから、行動に出ちゃったわけだ」
SKYはあえて、それを一人勝ちとは言わなかった。
バンさん本人はきっと、本意でそうしたわけではないんだろうから。
「惜しいなぁ……あたしも不在で、ラスティ君だけが会館に残っていれば。バンさんは嫌々、ラスティ君を襲ってくれただろうに」
その光景も見物だったろうにね、と笑う。
そのSKYの言い草は、要するに……。こいつは結局、この結末を喜んでいる。
バンさんも都市長もオレも……ともすればサキやタツクと、もしかしたらこいつ自身も含めて。大勢が痛みを受けたこの成り行きに。
それがわかってしまったオレの中に、急速に、得体の知れない感情が湧き上がっていた。
「……?」
SKYが不思議そうにする通りに。ほとんど動かないはずの体にまた火がともった。
必死に上半身を起こし、後ろで倒れていたSKYの顔を自分の肩越しに見る。
SKYは実際、口調とは裏腹に顔は笑っておらず、力なく横たわったまま、ともすれば哀しげにも見える黒い目で空を見ていた。
「あんたさ……仕事を口実に、それだけ周囲に嫌がらせして。結局何がしたいんだよ」
「…………」
さぁ、ねぇ……と。
オレの問いかけがこいつ自身の疑問でもあったのか……目を閉じてしばらく、マジメに考え込んでいた。
「望むことを、為せと言われて……それでこうなったなら……これが望みなんじゃない?」
やっぱり、仕事なんだろうなぁ、と。その回答は全然よくわからなくて。
「そんなに仕事がしたいなら、あんた……」
「……?」
その声に再び黒い目を開ける。
そいつは空虚な笑顔も消して、黒いだけの眼差しでオレを見つめた。
だからオレは必死に起き上がって、はっきりと顔を逆に覗き込めるよう、彼女の両肩辺りに手をついてから――
オレは本当に全力で、アホみたいなことしか言えなかった。
「そんなに暇なら……オレんところに永久就職しろよ」
……こいつでなくても意味、わかると思うけど。
早い話、うちに嫁にこいという結論。
「……――……」
彼女は、へぇ……とだけ。
ただ、微笑んでいた。
終幕
時間が止まったような気がするほどに。
SKYは何も表情を浮かべず、そのままの虚ろな笑顔で、オレよりはるかに遠くの何かを見ていた。
「――……何とか言えよ。……何でも屋」
恥ずかしまぎれのその一言が余計なのは、自分でもよくわかってたけど。
「……何でも屋」
何かを思い出したかのようなSKYが、横たわったまま両目を穏やかに閉じる。
無様だね、と。珍しく、眼前のオレにやっと届く拙い声で、無表情に薄く目を開けた。
「……前に、話したことがあったよね、ラスト」
自分には何でも屋以外、することがない、と。
それをもう一度口にしてからSKYは、動かない自分の全身を改めて見つめる。
「何でも屋じゃなきゃ、叶えられないような願い……この黒い獣の骸は、そんなヒトの宿業だけを糧に、イキモノとして成立してきたけど」
でもね……と。光を持たない眼差しでも、この時だけはまっすぐにオレの目を見て……彼女は満足そうに笑った。
「でもね。だからこの体には、それしか叶えられるものはないんだよ」
ヒトの愚かな願いしか、自分には理解できない。空ろな黒い女はそう言いたいように、自らの真情を呟く。
「……この体で目を開けて、気が付いた時。ここにあったのは、バカな誰かを傷付けたい……その思いだけだったから」
「誰かを……傷付けたい?」
「それだけが唯一の望みで……でもそれすら、理由なんてない空っぽの混沌。だからあたしには……『真心で求められた願い』は、叶えることができない」
だから彼女は、依頼に応えたくても、応えるための真心がないと。そう、淡々と口にしていた。
「……だから……ありがと、ラスト」
「――SKY……?」
覗き込むオレを見つめて、黒いだけの女が再び表情を消す。
「その願いは、あたしには叶えられない」
今日の仕事の結果もそうだけど……と。ただ彼女は、自らを嗤い飛ばす。
「依頼にこたえられない何でも屋なら………ここに存在している意味はないから……」
だからあたしは、消えるしかないね、と――
ふわりと微笑む。
それは、これまでのどんな笑顔より儚げで、同時に清らかなサヨナラだった。
「……って、そんなのアリか、オイ!」
思わず見とれてしまった場合じゃなくって。
「できないこと依頼されたら逃亡するとか、ガキかあんたは――!」
どんな仕組みか洒落にならないが、両手両足から彼女が灰になっていく。その姿は、さながら日の光を浴びた吸血鬼のような潔さだった。
「断りゃいーだろ! それくらいの権利はあんだろ!? ただの仕事なんだから、今まで生き物やってきたんだから!」
やわらかく目を閉じて崩れさっていく姿。何でもいいからただ必死に呼びかけ続ける。
「オレとの契約、他にも残ってるだろ! SKY……!」
――あんた、誰なんだ、と。その姿にオレは最後に叫んでいた。
その声に彼女が目を開けたと同時に、全身が崩れ落ち……その灰すらも霧散していく。
……あまりのあっけなさに、これで彼女が消えてしまったとは、とても思えない一瞬の退場だった。
「…………」
崩れ落ちる直前の、あどけない表情が目に焼きついていた。
彼女は確かに目を開けて、呟いたのだ。
いつかのように、無自覚な目をして。
――……ずっと……。
……一緒に、と。
その後をつなげているのは、あくまでオレの勝手な願望だろうけど。
「……誰かを傷付ける。そんなことしか、したいことがなかったのか、あんたは……」
それがさっきのオレの問いかけへの、彼女の本当の答だったんだろう。
後に残ったタツクとサキの霊骨を拾って眺めながら、不思議なほど冷静に呟いていた。
「それなら別に……何でも屋でなくたってできただろうに。……律儀過ぎるだろ、代償を取立てるためとか、そーいう大義名分」
……あいつはあの時、自分をサキの残りかすだと言った。
それならあいつは、サキに欠けてた、悪意とか不平の塊なんだろうか?
それにしたって足りないものが多過ぎる、空ろな彼女の微笑みが頭をよぎる。
……とりあえず。一度は息絶えたはずのサキが、ああして唐突に生き返ってるわけだし。
霊獣使いは元々消えるのが仕事だし、単に何処かへ去っていっただけだ、と。
これはあいつ流の鮮やかな退散に違いないとして、オレは深く考えないことにして……あいつの答通り、ここで一旦別れを告げることにした。
あの根っから黒い空ろな女を相手に、この程度のことでめげるくらいなら……あんな言葉は、そもそも口にはしないのだから。
そして、サキの方が一段落して、タツクが戻ってくるまで……オレはただ、崩れ落ちた下宿の壁に持たれかかって。
段々と黒ずんでいく空と雲を、静かに見つめていた。
*
それから数日。
都市長の急な負傷と共に、うやむやになって終わった新政策の決議総会が過ぎた。
下宿があまりに酷く壊れてしまったので、都市長の護衛陣を狙った爆弾テロとか何とか言って、弁償は都市長にまわすように借り元と交渉する羽目になった。
その後オレ、タツク、サキの三人は、ウェイドの自宅に転がり込んでいた。
「ラスティくーん……大丈夫―……?」
ここを選んで失敗だったなと思う。それから毎朝、心配でやつれて死にそうな顔で様子を見に来る、オマエこそ大丈夫かというウェイドの姿があった。
「……うるせー……生きてるから頼むから、寝かせててくれ……疲れてんだよ」
「そっかぁ……よかったぁ……。君の住んでた所のことは、僕がちゃんと話をつけておくから……心配せずに、休んでるんだよぉー……」
よろよろと出て行くその後ろ姿に、いや、いいから……と、何度も遠慮するオレ達ではあった。
ウェイドはそれも構わず、メリナの病院にも皆勤を続けながら、仕事だけはさすがに、初めての有給休暇をとっているのだった。
あの後、サキは単に、疲れて眠り込んでいただけで、タツクもオレが回復してたし、重態だったのはオレだけだという話だった。
「いやぁ、面目ない。ラストって意外に結構しぶといし、大丈夫かなって思ったんやけど」
オレよりサキを優先して連れていったタツクは、別にそれで良かったんだけど、何度も申し訳なさそうに謝ってきていた。
「何謝ってんだよ。そもそもオマエらを巻き込んで、迷惑かけたのはオレの方だろ」
「それもなぁ……力になれんで、すまんかったなぁ。せっかくラっ君が、珍しく自分から頼ってきてくれたのになぁ……」
「――はぁ?」
ぶすー……とひたすら無愛想に答えるオレに、タツクはうるうると涙腺が緩み過ぎだった。
「ラストがちょっと、元気になってきたって思たのに……おれが不甲斐ないせいでっ……」
「オマエさ……霊骨がまだくっついてねーもんだから、情緒不安定になってないか……」
まあ、フェンリルまた消えた。それを伝えたせいでもあるんだろーけど。
……タツクは明後日、ディアルスに帰ることが決まった。
首の傷はオレが治してしまったものの、霊骨をきちんと戻そうと思えば、ディアルスでしっかり治療を受けなければいけないからだ。
別に霊骨は、サキのを使って黒い狼を実体化したSKYのように、体の外で使うこともできるみたいなんだけど。タツクはそれでは落ち着かないらしく、帰国を決意したようだった。
「――私? ……帰らないよ?」
元気になったサキはあっさり、タツクに対してそう口にすると。何やら昨日あたりから、突然長旅の準備を始めているようだった。
「でもサキ……オマエは今後、どうするつもりやねん?」
「ラスティがもう少し回復したら、私もここを出るよ。いつまでもお邪魔してたら、何かウェイドさん、過労で死んじゃいそうだし」
サキの霊骨はオレが渡した新武器に、サキが自分で取り付けて自己解決している。無理に体に戻す気はないようだった。
……何故か結局、霊骨が戻ってもサキのヴァシュカは二度と現われなかった。代わりにサキが普段連れている霊獣は、実体化の時と同じ白黒猫になっていた。
それは要するに、サキ自体の変化を表しているのかもしれない。
サキはあれからめっきり、何と言うか……しっかり? してしまった節があった。
「一人でオマエ、どっか行ってしまうんか?」
一緒にディアルスに帰らないんかー……と。だーっと涙して、もうすっかり以前の口調は忘れてしまったようなアホのタツク。
サキはアハハ、と軽く受け流して笑うと、
「ごめんなさーい。私、ディアルスって実はちょっと苦手なんだぁ」
ちゃんと言いたいことの言える……というより、言いたいことがあることを自覚できている、少しは年齢相応になったような雰囲気で返していた。
「私もしばらく、一人旅に出てみたいんだ。霊獣もちゃんと実体化できるようになったし……もう私、一人前でしょ?」
にこにこと笑いつつ、わりと凄いことを平然と言う。
「アホか、外の世界は危険が一杯やねんぞ!」
「わかってるよ~。だから修行にもなると思うし……色んな出会いもあると思うし」
……うぇぉ? とタツクは目を点にする。
その真意については、サキはオレには、本音を語って聞かせてくれていた。
「もう私、ラスティとおとーさんには愛想をつかしたのだー!」
えへん、という感じで、ベッドサイドで突然そう言い出したサキ。
オレは、はぁ、と。よくわからず眉間に皺をよせるしかなかった。
「……あのね、ラスティ。ラスティは私のこと……何て思ってくれてるかなぁ?」
「……?」
ちょっと恥ずかしげなところは前と変わらず、それでもマジメにきいてくる。
「何って……単に、仲間だろ」
今更何を、と呆れつつ……それでもオレなりにマジメに返答してやる。
……するとサキは。
「――ほら、やっぱり!」
鬼の首をとったように、おとーさんと同じことを言う! と、何故か胸を張っていた。
「仲間でも十分嬉しいんだけど! 私だって一人ぐらい家族が欲しいもん!」
……なるほど、と頷くオレに、でしょ? とサキは、嬉しそうな顔をして話を続ける。
「私はこれから、私のこと……家族って言ってくれるヒト、探しにいくって決めたんだ」
その決意を口にした時、サキの奴は。
サキが変わったことのきっかけ……黒い彼女についても、思う所をオレに語った。
「……あのヒト……多分、無理やり起こされた誰かなんだよ。心が空っぽだったもの……私、本当に近くまでいったからわかったよ」
自分を空っぽの状態で叩き起こした何か。目に映る全てに八つ当たりしたかったんじゃないか。サキはそう、哀れむように呟いていた。
「あのヒト、ちゃんと、自分の霊獣持ってた。でも霊骨がなくて使えなくて、ヴァシュカを取り込めば解決するって、何でかなって。実際それで、実体化も成功しちゃったみたい」
サキとSKY……二つの本体が無理やり一体扱いになり、はみだした分の霊獣が実体で現われたのが、元々あの黒い犬らしい。
「私の霊骨は、あの黒いコからヴァシュカを切り離すのに必要だったんじゃないかな」
黒い狼をSKYが普通の霊獣として使うために。足りないものはそれだったのだと告げる。
一方で、サキも思いついてしまったのだ。
「私とあのヒトも、二人で一カウントだったから……あの時ならあのヒトが向こうにいたし、ヴァシュカ……バステトも出て来れるんじゃないかと思って」
つまりあの猫が喋ったのは、本体のサキと入れ替わらずに、融合したのに近い状態らしい。
「にしても、フツーそんなんできるのか?」
「ううん。私とあのヒトだったからだと思う」
白黒猫は、今もサキの体の一部として実体化し続けていた。それはSKYもしくは黒い狼が、「向こう」にいる証明でもある。
「向こう」にも誰か、一体はいなければいけないのだから……つまりあいつはやっぱり、生きてると思っていいんじゃないだろーか。
「私まだ、自分のこと、よくわからないけど……あのヒトは確かに、私にとても近かった」
そういうヒトが、一人でもいたっていうことは、とサキが明るく笑顔を浮かべる。
「もう一人くらい、いてくれてもいいんじゃないかな。私が誰なのかも含めて、ちょっとしばらく家族探しをしてみたいの」
……それはいつかサキに、冷たい現実を突きつけるかもしれない。
自分は人工的に育まれた命で、家族など存在しないこと。けれども既にサキは、近いことを感じ取っているような気がした。
「……別にそんなの。オレに断るまでもなく、行ってきたらいーだろ」
口調とは裏腹に、サキに対してふっと笑いかけてしまったオレに、
「えへへへ。……だって、ラスティは前に、わたしにきいてくれてたから」
いつかのオレの問いかけ……それに対して、見つかった願いなのだと、嬉しそうに報告してくるのだった。
「……でももう……あのヒトに会えるとは、思わないけどね」
サキはその時は、最後にそんなことを言って、困ったように笑っていた。
それは近い存在のサキでも、どうにもできないことなのだと。消えた奴の意思を代弁するように。
とりあえず今後の方針が立って、せわしなくなったサキやタツクとは裏腹に、オレの体調はすっかり悪化していた。体を半分起こすのもやっとな日々が続いていた。
……一つだけオレも、あの後、自分の変化に気が付いたことがあった。
「……なくなっちまったな……オレの精霊」
それは別に、オレが精霊を使えなくなったわけではなく、加護もそのまま受けられている。むしろ前より少し使いやすくなった状態に、そっと左肩を、自前の肩当てごとさすった。
タイミング的には、この装具を本格的に起動した時なのだろうか。
それとも何となく、サキがオレの肩に触れた時じゃないか、という気がしている。
「まさか精霊も引越すなんて……世も末だな」
精霊はどうやら、サキを回復するより前にオレの中から、オレの左肩に埋め込まれていた姉貴の魂へ住処をうつしていたらしい。
多分、使ったら死ぬとびびって最低限しか霊力を与えてなかったオレに、愛想をつかしたのかもしれない。
姉貴は死んでいるが、魂が在るために、材料はオレの命だけど姉貴の存在からも霊力が生じる。今までは無駄になっていたその力が、精霊に渡ってくれたというわけだ。
そしてそのために、今は消耗してはいるが、前より少しだけオレには余力ができていた。
元々は、一つの体にオレ、姉貴、精霊と、三つが住んでる無茶な状態で、オレと姉貴で半分個でこの体の命を使ってたわけだ。
オレの方は精霊もいるので、実質オレが使えた命は四分の一。
そのための衰弱だったが、今回精霊が姉貴に遷り、オレは命の半分を何とかフルに使えるようになったのだ。
「そうでなきゃあの時……あんなに戦えるなんて有り得なかったもんな……」
どう考えても、途中で死んでたろうな、と思う。
姉貴の魂をオレに埋め込んだ悪魔は、何を思っていたんだろうか。
二十年以上を経てようやく、本来主となるべき姉貴の元へ精霊が還ったことは、オレの中から色んなものを軽くしてくれていた。
「これからはオレの代わりに、精霊のこと。よろしく頼むぜ…………姉貴」
そう左肩に話しかけると。心なしか蜘蛛の足は、毒々しさが減った気がした。
きっと、今回の件の体の負担がもう少し癒えれば、少なくとも後一度くらいはオレも旅ができる体になってるだろう。
だからタツクも、そしてサキも。それぞれ心を決めてくれたのかもしれない。
そしてあっという間に、二日後……タツクの出立の日がやってきた。
何とか自力で立ち上がれるようになり、肩を貸してくれるサキと、タツクを外玄関まで見送りにいく。
「……本当に大丈夫なんかいな、ラっ君」
今更苦笑するアホに、当たり前だと答える。
「サキもあんまり、無理すんなや。ラストはこー見えて図太いねんから、適当にほっとき」
「うん。私もそろそろ、いつラスティのこと捨てて旅に出ようか考えてるよ」
「……何かひどいな、オマエら」
三人で一しきり、笑ったり苦笑ったりしつつ。
最初からずっと暑苦しい男が、オレとサキの両方を見る。年齢相応の大人びた顔で微笑んでから、穏やかに言った。
「……おれの仲間はみんな、おれの家族や。……だから……」
サキもラストも、何かあればいつでも遠慮なく相談しに来い、と笑う。
「…………」
そこで、ついに耐え切れなくなってしまったのか、サキの表情が硬くなった。ぽろぽろと大粒の涙を溢し始める。
「アホかいな。ついてこんってゆーたの、オマエやんけ」
心配をかけまいと強がっていたサキの気持ちなんて、最初からわかっていたタツクは、落ち着いた顔で泣いている少女の頭を撫でる。
「元気にしてろや、サキ。バイバイってのは何も、無理に言わんでえーもんやねんから」
どうせまたすぐ、何かあったら会うんやからな、と旅慣れている男は語る。
それはオレも全く同感で、腐れ縁の相手に、いーから早く帰れとだけ悪態をついた。
「…………」
段々と遠ざかっていくタツクの姿。必死に我慢するサキの頭をぽんぽん叩く。
「……いたぁい。何するのよ、ラスティ」
「泣いてる暇があったら修行でもしてろよ。言っとくけどな、外の世界は本っ当に、いつ何があってもおかしくないんだからな」
わかってるもん、とサキはふてくされる。
「その状態で出てくこと考えてるような、無茶なラスティには言われたくないもん」
オレの考えくらいお見通しだ、と不服そうな涙目で、オレをじっと見返してくる。
「……ラスティはやっぱり、あのヒトと会える方法……これから探すの?」
「……」
黙って頷くと、そんなオレに対して、サキはふうっと大きな溜め息をつく。
「……賛成できないなぁー。ラスティ絶対、あのヒトに何か騙されてるって」
「そうだな。そこがいーんだろ、多分」
迷いのないオレに、がくっとサキは、こりゃダメだということを改めて悟ったらしい。
正直オレも、未だにわからないことだらけだ。
まずあいつは、いったい何者なのかとか。
何気なかったいくつかの言葉は……本当に空っぽなだけだったんだろうかと。
――わざわざあたしと話そうとするのなんて、ラストくらいだなぁって思って。
結局その真意は訊けないままだった。
訊いたところで答えないだろうし……多分あいつ的に、答は無かったんだろうし。
そこで思い出したのは――今回の仕事に誘われる前。
メリナが昏睡となってから護衛を辞めて、姿を消したあいつが帰ってきた時のことだった。
「――やぁ、久しぶり。……ラスティ君」
そんな呑気な声を出しながら、一ヶ月ぶりに顔を見せたそいつ。
ヒトの不機嫌さなど意にも介さず、部屋の窓をトントン気軽に叩いてきやがったのだ。
「何が、やぁ、だ。今まであんた、何処で何してやがったんだよ」
「何って、仕事に決まってるでしょ?」
「……こっちの仕事は放っておいてか」
「あははは。ラスティ君、すねてるんだ」
窓枠で頬杖をついている女を、オレは窓際に座って見下ろす。
「あたしはいない方が平和だったでしょ?」
「そりゃーな。ヒトを誑かした上に、昏睡に追い込むようなあくどい奴だし」
「昏睡自体はあたしの責任じゃないけど? メリナ様が単に、脆いヒトだっただけだし」
「……この外道」
あー、情けねー……と。
思わず溜め息をついていたオレに、彼女は何で? と軽く笑った。
「……ウェイドやメリナには悪いけど。……こんな外道なあんたが帰ってきて……」
顔を見て、少し嬉しくなってしまった自分が――
「……無様だっつー話」
そうなんだ? と、彼女は不思議そうに首を傾げていた。
タツクやサキだけならいざ知らず。こんな奴までいた方がいいオレは本当に弱くなった。
十歳で里を追われてから、一人で旅をしていた頃はそうじゃなかったのに。
「弱いってことが、無様だってこと?」
「……それ以外に、何が無様なんだよ」
「ヒトの言う無様って、弱いこととかそれそのものじゃなくて……弱いくせに棚上げしたり、履き違える醜態のことなんじゃないの?」
オレの内心なんて、何も口に出してはないのに。その女は諦めの悪いオレに微笑む。
「あたしも、無様なアナタに会いたかったよ」
それでこそ仕事がある、と言いたげな笑顔。
空ろというよりは……ただ、可愛かった。
……あいつがオレをかばったあの時。本当にあいつは、その後に言っていたように、
――アナタが敵に回って、都市長を説得するならさ。それはそれで良かったんだ。
なんて、一瞬で考えたんだろうか。
――よけたら、ラストに当たってた。
あの拙い声にも、心は無かったと言うのか。単にあいつが気付いてないだけじゃないのか、と。
「とりあえずはきちんと、双鎌を返さないと……契約違反で殺されるのはゴメンだしな」
そんなヒト探しの旅は、今までみたく意味の無い日々には決してならないだろう。
「もしもあんたが、また現われるなら……依頼を叶える方法、見つけられたんだろうし」
その日がもしも訪れるなら、それは幸せの日になってくれる。
たとえ残り少ない日々だったとしても、そう信じて楽しんでいけるのだから。
そうして図太く考えているオレは、サキからすると、相当浮き足立って見えるようだった。
「ラスティ……女のヒト、見る目ない」
「ほっとけ」
その上プロポーズしました、なんて言ったら、サキは心配のあまり、旅もやめてしまいそうだ。
「オマエも本当、早い所出てけよ。ウェイドが気ィ使い過ぎてハゲる前にさ」
「それは心配かけてるラスティの責任!」
「オレはいーの。アイツらに薬、造ってやってるんだから」
ずるーい! と何故か叫ぶサキはさておき、その足元をうろつく白黒の猫に。
……一年間、ずっと起こしてくれてサンキュー、とだけ、やっとオレは伝えたのだった。
「あ、良かった、みんな! 今日は何と、外出許可が出たんだよ!」
朝から病院に行っていたはずのウェイドの、えらく早い帰宅に、サキと二人でひょこっと振り返る。
「……あー! メリナさんだぁー!」
顔見知りだったサキが嬉しそうに、車椅子のメリナの方に、オレを放って駆けていった。
車椅子を押すウェイドの前でメリナは、寄ってきたサキを見ずに俯いていたが。
「こんにちは、メリナさん。ほら、挨拶して」
サキが促すと、白黒猫がメリナの膝に両前足を置き、額にごつんと頭を嬉しげにぶつけた。
「…………」
猫の方を彼女はゆっくり見ると……ふわりと。
「……あー!」
メリナさん、笑ったー! と、歓声をあげるサキや、慌てて顔を覗き込むウェイド。
メリナのその顔が、あまりにキレイだったから――
柔らかな微笑み、それだけでも贈り物になる、脆くて儚い生き物の価値。……弱さってヤツの意味が、オレにも見えた気がした。
何もかも無くしてしまったような人間でも、何もできなくなっていくヤツにも。
思わぬ所で誰かの喜びになったり、そのヒトがいてくれるだけで、何かの力になり得るということ。
そんなことはどうやら、有り触れているみたいだった。
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Cry per A. -arrestare-
千族化け物譚❖後夜 C1番外編 『ELIXIR』
~サビタカギ~
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了
エピローグ
黒闇となった混沌のケモノも、そうして夢を見る。
その意味もわからないまま、大切に抱える。
あなたに幸せになってほしい。あの日の依頼はそんな困難な願いだった。
依頼者はただ、黒いケモノが何も持っていないことに腹を立てていた。
その想いは依頼者自身に、囚われている憎悪の隙間から光を与える。
ケモノにとって、生きていくこととは単純。日々の糧を得るために動き、休息を繰り返す。心地良い時間は副産物に過ぎない。
ケモノとは多分そういうものだ。それでもヒトに近く見えることもある。動物に心を感じるヒトもいるから、それは珍しいことではない。
だから、ケモノ自身の幸せを望まれた時、ケモノにそれを叶える術はなかった。
先のない依頼者があまり意味のないことを望んだ。それがわかるケモノに何ができたのだろうか。
叶えられないなら、消えたいと望んだ。それだけは本能では有り得ない真心だった。
元々彩の無い混沌のケモノは何にでもなれる。心ある誰かと共に在れるのならば。
だから今はまた、出会えた縁の中で眠りにつく。
いつか、空っぽでなくなる日を待つために――
-Elixir- 千族化け物譚❖後夜
ここまで読んで下さりありがとうございました。
この話は星空文庫にUP済みの、Cry/シリーズ千族化け物譚(C1)と千族宝界録(C2)の間の物語で、DragonシリーズD3補完話です。
Cry/シリーズは長編ですが、最関連作C1本篇も本作も一応単独で読める仕様です。また星空文庫中別作『空夢』は本作の裏側で、本作公開中は作品数の都合で非公開としていますが、本作非公開後には再公開します。
本作の細かい設定がもしも気になれば、『空夢』をご覧下さい。
→『空夢』https://slib.net/119266
不定期公開の本作ですが、ノベラボでは本編を常時掲載しておりますので、よければご覧下さい。
初稿:2013.5.4→2016.3.15→2020.3.11
ノベラボ(Web縦書き)版→https://www.novelabo.com/books/6716/chapters