まほうの時間
もしもあなたと一か月つきあえたら・・・
4月6日の土曜の夜、突然電話のベルが鳴った。
「もしもし、松嶋?」
その声は力強くてさりげなくてさわやかで、知らない人の声だったにもかかわらずどこかで聞いたことのある声で、私はとても懐かしい気持ちになって何かの予感に胸の奥がざわめくのを覚えた。
「えっ?」
私がためらって一瞬の沈黙が流れると、またその声の人が言った。
「桐生ですけど」
まさかと思った。
少しだけそんな気がしてて、でもそんなはずはないと躊躇して息をのんでいた矢先のことだったから。
私は名前を聞き終わるか終わらないかのうちにドキンと心臓が高鳴って、体中が上気して顔や手がジーンとしてボーッとしてきた。
桐生ですけど・・・桐生ですけど・・・。
信じられないこの名前を、頭の中で何度も反芻する。
私が二の句をつげないでいると、相手がまた言った。
「松嶋だよね?」
「は、はい」
慌てて返事する。
「こんばんは」
「こんばんは」
礼儀正しいこの言葉が、何度も頭の中に駆け巡った。
「突然電話なんかしてごめん。元気だった?」
「はい」
私はどうして気の利いた言葉を返せないのだろう。
はいしか言えなくて、その次の言葉を言い出せないでいる自分がもどかしい。
何か言おうと考えている一瞬のうちにも時間は動き出していて、長い沈黙のように思える。
「今までいろいろとありがとう。BDカードとかクリスマスカードとか、全部ロスに送られてきて、全部読んだよ」
少し照れたような口調で御礼を言う俊一朗さまの声をとても不思議な気持ちで聞いていた。
「今何処にいるんですか?」
「鹿児島」
「帰ってきてるんですか?」
「そう」
「いつ帰ってきたんですか?」
「3日前」
私のいつものクセで質問攻めが始まりそうだ。
いろいろ聞きたいことがあったけど、ここで少し一呼吸おいた。
「手紙に、連絡くださいって書いてあったでしょ?だからかけたんだよ」
私は思わず息をのんで、受話器を握りしめた。
「俊一朗さまですよね?」
私は信じられない気持ちで相手の名前を確認した。
「そうだよ」
俊一朗さまは私のそういう反応に予想がついていたかのように、少し冷静に笑いを含んだ声でそう言った。
「もうずっと、鹿児島にいらっしゃるんですか?」
「ううん、一ヶ月」
「一ヶ月・・・」
私はがっかりした声でつぶやいた。
「そう、一ヶ月。だから、その俺の一ヶ月を、松嶋にあげるよ」
「えっ?」
さっきから私は何度信じられない言葉を耳にしただろう。
私は俊一朗さまの言っている意味がわからない。
わかってはいても、俊一朗さまの言っていることがあまりにも自分にとって都合のいい解釈で、そんなはずはないと疑って否定している。
「俺は一ヶ月しかこっちにいないけど、その一ヶ月の俺を、松嶋の思う通りにしていいよ。それが俺からの松嶋へのプレゼントのお返し」
「じゃあ、一ヶ月間、私の彼氏になってくださいって言ったら?」
「いいよ」
私はそのセリフを遠いところで感じていた。
自分自身の心が今ここにないようだ。
体中がふわふわと落ち着かない。
「それじゃ、さっそく明日の・・・そうだね、11時くらいに迎えに行くから、準備しとくんだよ」
俊一朗さまは少し冗談っぽく命令口調でそう言った。
「昼ご飯まだだよね」
本当に11時に俊一朗さまが迎えに来て、私達は3号線を天文館に向かって走っていた。
「まだです」
「じゃあ、どこかへ食べに行こう。何が食べたい?」
こういうときは本当に困ってしまう。
即答しなければと気ばかりあせってしまって、何も思いつかない。
「俊一朗さまのおすすめのところでいいです」
「う~ん、俺はあんまり鹿児島知らないからねー。松嶋のおすすめってどっかないの?」
私はまたもや深く悩んでしまった。
こういうときに限って思い出せない。
日頃あれほど食べ歩きを楽しんでいるのに、なぜどこも思いつかないんだろう。
俊一朗さまにふさわしくて、そこまで気負わなくて、おいしくて、満足できて・・・、気に入ってもらえるところ。
「城山のスカイラウンジなんてどうですか?日曜もランチやってるんですよ」
「うん、いいんじゃない?」
ちょうど3号線の途中から城山に上った。
私達はホルトの駐車場に車を止めて、本館の方へと向かった。
車を降りて、駐車場の道を通り抜け、ホテルの中を歩いている自分がとても信じられなかった。
エレベーターに乗って最上階で降りると、私達は窓際の席に案内された。
天気がとても良くて、空が青々としてて、遠くまで景色が見える。
「きれいだね」
俊一朗さまがそう言って、私はとてもうれしかった。
私はつい2・3週間前に友達とランチを食べに来て、この景色を見ながら俊一朗さまのことを考えていた。
この景色と、この雰囲気の似合う人は俊一朗さま以外あてはまらないと。
俊一朗さまとこの景色を下に向かい合えたら、どんなに素敵だろうと・・・。
フルコースの料理が次々に運ばれてきて、私は俊一朗さまのナイフとフォークを優雅に扱う仕草に見とれた。
細い指先がとても綺麗で素敵だった。
城山の坂を下りきったところで、俊一朗さまに「右に行く?左に行く?」と聞かれて、とっさに「右」と言って目的地もなく車を走らせていた。
ドライブといえば指宿が妥当だし、どこか自然の綺麗なところで景色を見ながら思い出が作れればいいなと思っていた。
だけど途中で、それだったら高千穂牧場に行けばよかったと後悔した。
あの、行った!という気分になれる目的地の名称と、景色のよさと、ソフトクリーム。
あそこに行ければ、かなり強烈な思い出が作れるに違いない。
私は思い切って言ってみた。
「私、俊一朗さまと行ってみたい所があったんです」
「どこ?」
「でも、逆方向なんです。もう一度来た道引き返すの面倒くさいですよね?」
「そんなことはないけど・・・、でもそんなに今日いっぺんにまわらなくても、来週も再来週もあるんだから、ひとつずつ行ってみればいいよ」
「来週も、再来週もあるんですか?」
「そうだよ。一ヶ月間俺達は付き合ってるんだから、明日も明後日もその次も、いつだってあるんだよ」
そう言って俊一朗さまは私を見てニッコリ笑った。
明日もあさっても、いつだって・・・。
俊一朗さまからその言葉を聞いてとてもうれしくなった。
「一ヶ月間を松嶋にあげる」という言葉が現実になって、私の中におりてきた。
私はとても安心して、これから先の時間を、今日限りではないかという不安に怯え、今日限りという切なさに悲観しておどおどビクビクせずにのびのびと接することができるんじゃないかと思えた。
指宿に向かう海ぞいの車道を走りながら遠くを見ると、水面がキラキラと輝いていて、楽しい一ヶ月の始まりを予期していた。
私は電話の前で迷っていた。
昨日は俊一朗さまとランチを食べてドライブして、とても楽しかった。
信じられないくらい普通に話せてうれしかった。
だけど、昨日の今日で電話をかけてもよいものだろうか・・・。
連続だと、うっとおしがられて冷たくされるんじゃないだろうか・・・。
私はいろんなことを思い悩んだ。
どのくらい私は自問自答を繰り返して悩んでいただろう。
私は思い切って、電話してみることにした。
「はい」
その出方で相手がすぐに俊一朗さまだとわかる。
「もしもし、松嶋ですけど」
「うん、俺」
親しげな応対に安心した。
「すみません、突然電話なんかして。昨日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「いえいえ、こちらこそ。俺もね、もうすぐしたら電話しようと思ってたの。ごめんね、そっちからかけさせちゃって」
「えっ、そんな・・・。でもよかった。私、電話するのすごく迷ったんです。昨日会ったばかりなのに、今日電話なんかしたらしつこいと思われて迷惑がられるかなって」
「何言ってんの。そんなこと思わなくていいの。付き合ってるんだから、あたりまえのことなんだよ」
私はまたもや受話器を握りしめて心の中で感嘆した。
ああ、なんてスゴイことを言われてるのだろう・・・、信じられなさすぎる・・・。
私達は昨日のこととか、たわいのない話をした。
「そうだ、水曜日は花見に行こうか。ちょうど桜の季節だし、どっか穴場のところに夜桜を見に行こう」
「わっ!ホントですか?すごく行きたい!」
昨日ドライブしながら、水曜日は仕事が早く終わる日だと話したことを覚えていてくれたのだ。
「写真撮ろうね」
「夜桜はお化けが出るよ」
「ウソだ~」
「ホントだって、怖いんだよ~」
俊一朗さまはわざと怖い声を出して、私を驚かせた。
「じゃあ、やめます」
「冗談だけど。でも夜桜はなんかありそうだよね」
「なんだか私もそう思えてきました・・・。見に行くのも怖くなってきちゃった」
「大丈夫、俺がついてるから」
「そうでした。俊一朗さまがついていれば他に怖いものなんて何もないです」
「大げさだよ」
そう言って、俊一朗さまは笑った。
「明日は俺から電話するからね」
しばらくたわいのない話をしてから、切り際に俊一朗さまが言った。
「はい、じゃあ、待ってます」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
電話を切った後、私の心はとてもおだやかで落ち着いていた。
昨日は8時に俊一朗さまから電話がかかってきた。
「明日、松嶋が帰ってきたら電話して。そしたら迎えに行くから」と言われて電話を切った。
今日は一日中ソワソワしながら仕事をしていた。
7時に終わって、職場から「今終わりました」と電話を入れると、「30分で行くからね」と言われて、私は急いで家に帰って服を着替えた。
「こんばんは」
「こんばんは」
私はドキドキしながら車に乗り込んだ。
「穴場の夜景ってどこですか」
「近くだよ」
「近く?」
「そう、その辺ってカンジのところ」
「紫原の道路沿いの桜とか?」
「うーん、ちょっと違うけど、似たようなものかな。まぁ穴場というよりは近場というカンジ。着いたらなーんだここかってがっかりするかもね」
「まさか、そんなことは絶対にないです。俊一朗さまが連れてってくださるところなら、たとえ桜の木が1本しかなくても満足します」
「桜の木はたくさんあるし、多分キレイだとは思うよ」
俊一朗さまはおかしそうにそう言った。
「ちょっと歩くけどいい?」
俊一朗さまは市立病院の近くに車を止めて、私達は歩き出した。
「この辺、懐かしいんじゃないですか?」
「うん、懐かしいね」
歩道橋の階段をゆっくり上りながら、二人で遠くの景色を見た。
階段を下りて、甲突川が見えたところで、私はうれしくなって俊一朗さまを見た。
「もしかして穴場の夜桜ってここのこと?」
俊一朗さまは笑ってうなづいた。
「ちょっと手抜き?」
「とんでもない。すっごく今幸せな気分です。すっかり忘れてたけど、この場所も私の夢のひとつだったんです」
俊一朗さまは何のこと?というような顔をして私を見た。
「学生の頃はこの道を彼氏と歩くのが夢だったんです。学生の頃って車がないから、こういう道をぶらぶら歩いてデートするじゃないですか。卒業して車で遊ぶことを覚えていつのまにか忘れてたけど、この道私大好きだったんです。ここを俊一朗さまと歩けるなんて夢見たい。すっごく幸せ!」
私は興奮して言った。
俊一朗さまはニコニコしながら私の話を聞いている。
2人で歩調を合わせて、時折立ち止まって桜を見上げて楽しくおしゃべりしながら川沿いのつきあたりまで歩いた。
「今度は土曜日に遊びに行こうか、どこか行きたいところある?」
「飲みに行きたい。居酒屋とショットバー」
「いいね」
「ホント?やったぁ」
「じゃあ、居酒屋は松嶋の担当、ショットバーは俺の担当で、行くところを決めておくこと。いい?」
「はい、わかりました」
私たちは駐車場まで歩いて戻って、家まで送ってもらった。
「今日はありがとうございました。帰り気をつけてくださいね」
「いえいえ。じゃおやすみ。明日も電話するよ」
「はい、おやすみなさい」
角を曲がって、見えなくなるまで俊一朗さまの車を見送った。
「どこに行くか決めた?」
土曜日7時に俊一朗さまが迎えにきてくれて、車を走らせながらそう聞かれた。
「屋台村はどうですか?」
私は自信がなくて少し小声でうかがうように言ってみた。
「いいんじゃない?」
俊一朗さまが笑顔であっさりいいといってくれたので私は安心して、胸をホッとなでおろした。
実は屋台村に決まるまでに、たくさんの店で悩んだ。
おしゃれな洋風居酒屋にするか、和食の居酒屋にするか。
おいいしいところでいえば、「コパンコパン」とか「鴨葱酒飯店」を思いついたけど、なんとなくおしゃれなところよりも、騒々しくて活気のあるところに行ってみたかった。
人が大勢いて、その中で私と俊一朗さまと肩を並べて座ってビールを飲む。
なんか粋がよくて楽しそうに思えた。
「何処に座る?」
「Hamayasu」
私たちはオムレツの店のところに座った。
たくさん食べて、たくさん飲んで、たくさんおしゃべりした。
「そろそろ2次会に行きましょう」
私がそう言って、屋台村を出た。
少し歩いて、天文館から少し離れた「BB13Bar」というところに着いた。
おしゃれなショットバーで、私たちはカウンターに座った。
「久しぶりだね、元気してた?」
マスターが俊一朗さまに話し掛けた。
「ここね、兄貴のよく来るお店なんだ」
マスターに笑ってうなづきながら、私にそう説明してくれた。
「マスターこの子、俺の彼女」
「へぇ、そうなんだ」
マスターは驚いたようにそう言った。
私も驚いて、俊一朗さまを見た。
俊一朗さまはおだやかな笑顔で私を見ている。
私はとてもうれしかったけど、信じられない気持ちで一杯だった。
一ヵ月間のお芝居のような私たちの関係を他人に普通に話してしまっていいのだろうか。
その言葉を真に受けて、素直に喜んでいいのだろうか。
私はあまりにもうれしくて有頂天になりそうな心を抑えるために、少し冗談っぽく切り返すことにした。
「前の彼女と違います?」
いたずらっぽく上目づかいにマスターにそう言って、俊一朗さまを見ると、
「そんなこと言わないの」
俊一朗さまは一瞬のうちに私の葛藤を悟ったかのようにコラというような目で私を見て、そして笑った。
私も笑って2人でカクテルを注文した。
「俊一朗さま、明日も遊べますか?」
「もちろん、明日は高千穂牧場に行くんでしょ」
「えっ、ホントに?」
「こないだ言ってたじゃん。行きたいって」
「行きたいです、連れてってくれるんですか?うれしい!私、お弁当作ってきてもいいですか?」
「うん。楽しみだね」
「腕振るいますから、楽しみにしててくださいね」
「じゃあ明日は朝早く出発して、一日中遊ぼう」
俊一朗さまはすこしだけ赤い顔をして子供みたいに笑って言った。
日曜日、私は8時に起きた。
俊一朗さまは10時に迎えに来ることになっている。
私は悪戦苦闘してお弁当を作った。
10時になって慌てて出かけると、車のなかで俊一朗さまが笑っていた。
「間に合った?」
「なんとか」
俊一朗さまが家を出るときに電話がきて、その時私はあせっていて、準備がまだ出来ていなかった。
時間遅らせようかと言われてとんでもないと断って、急いでようやく間に合った。
「髪の毛はねてるよ」
「えっ」
私が慌てて手をやると、
「ウソウソ」
笑いながらそう言った。
今日は気持ちのいいくらい晴れの日だ。
高千穂牧場に着いて、駐車場に車を止めて歩きながら、とても心がウキウキした。
すぐにソフトクリームを買って、芝生の上に座って食べた。
俊一朗さまが腹減ったと言って、お弁当も食べた。
おいしいと言ってたくさん誉めてくれて、とてもうれしかった。
そのあと、神話の里公園と、まほろばの里に寄って帰った。
「今度は土曜日ですね」
「うん、でもその前に、水曜日くらいにご飯食べに行こうか」
「ホント?やった~」
「今度の土曜日はどこに行きたいの?」
「カラオケ」
俊一朗さまはOKOKというように何度もうなづいて笑った。
土曜日は少し早めに天文館で待ち合わせした。
少し暗くなるまでアーケード街を歩き回って、いろんなところをブラブラとあてもなく見てまわった。
「ここ、昔よく来てたジーンズ屋さんですよね」
ある一角の2階の窓を指差して私がそう言うと
「なんで知ってるの?」
驚いたように俊一朗さまがそう言った。
「だって昔、ここに入っていくところ見たことあるもん。その時ね、俊一朗さまのこと離れたところからずっと追跡してたの。店員と仲良く話してるところも見てたんですよ」
「そんなことしてたの?」
「はい、いつも見かけたときは追っかけしてました」
「コワイ奴」
「うわっ、ひっど~い」
私がぶつ真似をすると、俊一朗さまはあははと笑いながら身をかわした。
「カラオケはどこに行く?」
「ビッグエコー」
私たちは浮き足たってアーケード内の方のビッグエコーに行った。
「私、俊一朗さまに歌って欲しい曲がたくさんあるんですけど」
「何?」
「まず、長淵剛の歌でしょ、それから夜明けのブレスと、TrouLoveと、抱きしめたいと、いとしのエリーと離したくはない・・・」
「そんなにあるの?」
「長渕剛は私の昔からの夢だったんです。ずっと前、カラオケの18番はなんですかって聞いた時、俊一朗さまが長淵剛って言って、じゃあ、今度激愛歌ってくださいねって言ったら、激愛としょっぱい三日月の夜は練習中って言ったんですよ」
「俺、そんなこと言った?」
「うん、乾杯は歌えるって言ってましたよ。歌ってくださいね」
「いいよ」
「私にリクエストありますか?中山美穂?」
「なんで中山美穂なの?」
「だって昔、好きだって言ってましたよね」
「昔はね」
「今は違うんですか?」
「嫌いじゃないけど、昔ほど好きでもない」
「えっ、そうなんですか?」
「それに、それって一体何年前の話?」
「6年」
「それって、あきらかに時効じゃない?」
俊一朗さまはあきれたように笑ってそう言った。
「そうだね・・・、俺からのリクエストは・・・」
私が口を尖らせていると、笑いながら真剣に考えてくれた。
「うれしいたのしい大好きと、未来予想図と、雪のクリスマスと・・・」
俊一朗さまはありったけの恋の歌をリクエストしてくれた。
私はその選曲がとてもうれしかった。
交代で歌いあって、その曲の歌詞をしみじみと聴いてとても幸せだった。
君のことを守りたい そのすべてを守りたい そして君を証にしよう 誰のためでもなく
君のことを守りたい そのすべてを守りたい そして今を共に生きよう 誰のためでもなく
涙がでそうになるくらい幸せな夜だった。
4月21日、日曜日。
私たちは映画を見に行こうと約束して、11時に高プラの前で待ち合わせした。
「何が見たいですか?」
私が尋ねると、少し迷ってから「ベイブ」と言った。
ちょうどすぐ上映時間で、私たちは慌てて中に入った。
1時過ぎに終わって、映画の感想を語り合いながら、おなかすいたねと言い合って、「Tea-L」に行くことにした。
「このあと山形屋に付き合ってもらえますか?」
「いいよ」
「山形屋でいろいろ見てまわるの。買わないけど、買うならどれがいいかとかアドバイスしてね」
私がそう言うと、俊一朗さまはニッコリ笑ってうなづいた。
「アニエスbは着ないんですか?」
アニエスbのある入口から入って店を通り過ぎながらそう尋ねると「う~ん着ないねぇ」俊一朗さまは少し考えるようにそう言った。
いろんなものを順番に見てまわって、お互いにこの中でだったらどれを選ぶ?と聞き合って意見を交換した。
香水の匂いもひとつひとつ確かめて、どれが好みかと言うことも語り合った。
「私の一番好きな匂いはね、クリスチャンディオールのディオリッシモなの」
私はこっちこっちと、ディオールまで俊一朗さまの腕を引っ張った。
ディオリッシモをシュッと紙にひと吹きして俊一朗さまに渡した。
「どうですか?」
「うん、そうだね、いいんじゃない?」
「前に友達が2万円するほうの香水を持ってたんだけど、そっちのほうはもっといい匂いだったような気がするの。いつか欲しいとは思ってるんだけど、なかなか買えないですよねー」
私はそう言ってその場を離れて、アクセサリーコーナーへ向かった。
「男の人とアクセサリー見てまわるのって夢だったんです。モスキーノやソニアリキエルのアクセサリー見ながら、いつも彼氏が出来たら買ってもらいたいなぁって思ってたの。なんかプレゼントの定番じゃないですか、このへんのブランドって」
「そうだね」
「でも、私が彼氏に買ってもらうアクセサリーは4℃のって決めてるんです」
「どうして?」
「んーなんとなく、4℃がかっこいいかなーと思って」
「4℃はどこにあるの?」
「こっちこっち」
私はまた俊一朗さまの腕を引っ張った。
4℃のコーナーに行くと、綺麗なガラスケースの中に素敵なアクセサリーがたくさんディスプレイされていた。
「この中ではどれがいと思ってるの?」
私はまえから目をつけてあったアクセサリーのところに俊一朗さまを呼んだ。
「これ、かわいいと思いません?」
「うん、かわいいね」
ゴールドのイルカが小さなパールを抱えていて、ゴールドの細いチェーンが2重に細く重なりあっているネックレスを指差した。
「すみません、これ見せてもらえますか?」
俊一朗さまが店員にそう言った。
ケースから取り出すと、俊一朗さまがそれを受け取って、私の胸元にあててみた。
「つけてみてもかまいませんか?」
「どうぞ」
店員にそう言われるかいわれないかのうちに、俊一朗さまの指先が私の首筋にふわっと触れた。
「似合ってるよ」
「ホント?やっぱりかわいいいよねー」
動揺を隠すように鏡を覗き込みながら、私は突然の出来事にドキドキしていた。
ネックレスをはずして店員に渡すと、
「すみません、それ包んでください」
すかさず俊一朗さまがそう言った。
「えっ?」
私が驚いて俊一朗さまを見ると
「俺からのプレゼント」
そう言ってニッコリ笑った。
「でも・・・」
「彼氏が出来たら買ってもらいたかったんでしょ?」
俊一朗さまはもう一度ニコッと微笑んだ。
店員から受け取った箱をポンと手渡されて、私たちは歩き出した。
「本当にありがとうございます。一生の宝物にします」
私は興奮して、何度も何度も御礼を言った。
歩きながら包みを開けて、ネックレスをつけてみると、心地良い風に吹かれて、首元でサラサラと幸せの音をたてた。
次の土曜日、私たちはご飯を食べに行った後、夜景を見に行くことにした。
「今夜は知ってる限りの夜景を見に行こうか?」
桜ヶ丘にある夜景の見える洋風居酒屋「どんぱ」でピザを食べながら俊一朗さまがそう提案した。
私は興奮して賛成した。
「松嶋はどこの夜景を知ってるの?」
「城山と、長島美術館と、川辺峠と、国分のテクノパークと城山公園でしょ、それから・・・」
私は知ってる限りの夜景の名所を挙げた。
「じゃあ、そこに全部行こう」
「えーっでも、そんなにたくさん行けるかなぁ?」
「大丈夫。夜明けまでにはまだたっぷり時間あるよ」
俊一朗さまにいたずらっぽくそう言われて、私はワクワクしてきた。
「南のほうから下ってこよう」
どんぱを出て、私たちはさっそく魚見岳へ向かった。
魚見岳から川辺峠に行って、長島美術館、城山、国分へと向かった。
すべての夜景がキラキラとまぶしく美しく、この幸せな気持ちと重なり合って言いようのない至福感に包まれた。
何かしらの思い出を秘めていた夜景が、今全てを消去して、俊一朗さまだけの思い出となった。
「俊一朗さま、もうひとつ究極の、私の中で大切に大切にしまわれていた夜景があるんですけど、そこはあまりにも特別なので、後日改めて連れてってくださいませんか。連れてって欲しい日も決めてあるんです」
「いつ?」
「5月5日」
約束の1ヶ月が終わってしまう前の夜。
俊一朗さまはそれを察したかのように、優しくうなづいた。
日曜日は12時に迎えに来てくれて、そのまま「ホルト」でランチを食べた。
少しだけ展望台で昼間の景色を見ながら話をして、天文館に行った。
今日もあてもなくブラブラと歩いて、目についた店にどんどん入って、いろんなものを見てまわった。
「ここ、私がよく服を買うところなんです。私が持ってる服って、ほとんどここのなんですよ」
天文館のアーケードをまっすぐ通り抜けて、「ルーニィー」の前を通りかかったとき、私はそう説明した。
今日もウインドウには素敵なワンピースが飾ってある。
「このワンピースかわいいと思いません?すっごく私好み」
「うん、いいんじゃない?あの中に掛かってるニットのスーツもいいと思うよ」
「あ、ほんとだ」
私は店の中を覗き込んだ。
「入ってみれば?」
「いいの?」
私たちは店の中に入った。
「あっ、こんにちは~」
私の大好きな福田さんが私を見つけてきてくれた。
「まぁ、めずらしく松嶋さん、今日は男の方と一緒なんですねー」
福田さんが冗談っぽくそう言ったので
「私の彼氏なんです~」
私も冗談っぽく返した。
「あっそうだ、春物の服が入ったんだけど、見てみません?」
春物のコーナーに案内されて、私が見ていると
「彼氏さんは松嶋さんにどの服が似合うと思います~?」
すかさず福田さんにそう言われた。
俊一朗さまは腕を後ろに組んでゆったりと立って微笑みながら、うーんと考え込んでいた。
「わっ、松嶋さん、すごく素敵な方と一緒ですね~」
外から店長さんが帰ってきて、いつものように大げさな声でそう言った。
「松嶋さんの彼氏なんですって」
福田さんが説明する。
「へぇーそうなんだ~。さすが彼氏さんも松嶋さんと同じでおしゃれさんですね~」
「外にあるあのワンピースかわいいですね」
「あー、うん、松嶋さんが好きそう」
福田さんがそう言うと
「うーん、似合いそう!」
後ろから店長がそう言った。
「着てみたらどうですか?試着して、彼氏さんに見てもらったら?」
「いや~、でも~」
着てみたい気持ちはあったけど、俊一朗さまと一緒だから・・・とためらって俊一朗さまのほうを見た。
「着てみたらいいよ」
にっこり笑ってそう言われて、試着してみることにした。
「似合う~~」
試着室から出てくると、店長が真っ先に褒めたたえた。
福田さんも冷静にコメントしてくれて、俊一朗さまも似合うんじゃないと言ってくれた。
「ねー、松嶋さんはこの手のワンピース似合いますよねー」
店長が俊一朗さまにそう言った。
「ホントに似合う?」
私がそう尋ねると
「うん、似合ってる」
俊一朗さまは微笑んでうなづいた。
「う~ん、また欲しくなってきちゃった。試着すると必ず欲しくなるの」
私は鏡の前で横を向いたり後姿を見たりして悩んだ。
「買ってあげるよ」
「えっ?」
私は驚いて、ニコニコ笑ってそう言う俊一朗さまの顔をじっと見つめた。
「うわ~、よかったですね~、松嶋さん」
無邪気に福田さんにそう言われて、私は何と言おうかと迷った。
「いいなぁ、松嶋さん、早く着替えてこないと~」
また福田さんにそう言われて、私はもう一度俊一朗さまを見た。
「早く着替えておいで」
俊一朗さまにそう言われて、
「いいんですか?」
私は窺うように尋ねた。
再び俊一朗さまにニッコリうなづかれて、私はすごくうれしくなった。
「私も俊一朗さまに何かプレゼントしたいんですけど、何がいいですか?」
「えっ、いいよ」
ルーニーィを出てブラブラ歩きながら私は思いついてそう言った。
「だって、私ばっかりもらってますよ~。私も俊一朗さまにプレゼントしたいんです。靴なんてどうですか?」
「靴ねぇ・・・」
俊一朗さまは立ち止まって深く考え込んだ。
「そうだ」
突然パチンと手をたたく。
「2人でおそろいの時計を買おうか。おそろいのスウォッチを買おう」
「おそろいのですか?」
おそろいというのがうれしくて、私は目を輝かせた。
「そう、おそろいのを買って、俺がロスに帰るまでは、交換してはめとくの」
「すごいっ、それいい!!」
私はものすごくうれしくて、周りをぴょんぴょん跳びはねて喜んだ。
「じゃあ、これからたっくさん店まわるよ。覚悟しなさい」
「ハイッ!」
俊一朗さまにいたずらっぽくそう言われて、私は元気よく返事した。
何軒店を行ったり来たりしただろう。
たくさんのお店をまわって、2人で意見を交換し合って、とてもいいものを見つけた。
シルバーとゴールドのペアースウォッチ。
男物がシルバーで、女物がゴールドのすごくおしゃれな時計。
「じゃあ、俺がこれを買ってくるから、松嶋はこれを買っておいで」
俊一朗さまが、お互いのをそれぞれ買うようにと言った。
私は俊一朗さまへのシルバーのスウォッチを手にして少しためらっていた。
「これ、たったの6500円しかしないから、他にも何か選んでください」
私がそう言うと
「金額じゃないの」
そう言って俊一朗さまは優しいまなざしで私を見て笑って、頭をぽんとたたいた。
「ほら、早く買っておいで」
俊一朗さまに背中を押されて、私はレジに並んだ。
私たちはお互いの包みを持ったまま外に出た。
「ハイ、プレゼント」
俊一朗さまがポケットから箱を取り出して渡してくれた。
私も慌てて差し出す。
「おっ、かっこいいじゃん!」
すばやく包みを破って、4本指に通してクルクル回して陽にかざしながらそう言った。
そして、すばやく時計をはめた。
「今日1日は自分のをはめて気をためといて、明日になったら交換しようね」
そう言って、俊一朗さまは私を見てニッコリ笑った。
「ほら、松嶋も早くはめないと」
俊一朗さまに見とれていた私は、慌てて時計をはめた。
「俊一朗さまの腕見せて」
私は自分の腕と並べて、ニンマリ笑った。
「これ、かっこいいね」
「2人で選んだからね」
私はとってもうれしくて、何度も何度も時計を見た。
4月29日、私たちは朝早くから出発して、宮崎方面へドライブした。
日南の海岸線をずっと走った。
「今日はお兄さん、サーフィンしてないの?」
「どうかなぁ、俺が出かけるときはまだ寝てたけどね」
私たちは車を止めて、波打ち際ではしゃいで遊んだ。
「なんか海辺で遊んでると、演技してるみたいですよね」
「なんで?」
「だってよく、ドラマとかカラオケの画面に出てくるじゃないですか、砂浜で遊んでるところが。サンダル持って裸足で追いかけっこしたり、砂山を作って向こうとこっちから掘って遊んだり」
「何言ってんの」
俊一朗さまは、あははとあきれたように笑った。
「砂山作って掘ってみる?」
ニヤリと笑ってそう言われて、私はわざと大げさにうなづいた。
「作りたい!そして掘り終わって2人の手と手がつながって、砂の中で手を握りしめ合って、お互いドキンとして、そこに太陽の光が降り注ぐんですよ」
私はわざと冗談めかして話を作って、大げさに身振り手振りで話した。
「ドラマの見すぎ」
俊一朗さまは体をくの字に折り曲げて大笑いした。
自分で言いながら、私もおかしくて、2人で大笑いした。
「あの中に混じって、サーフィンしたいでしょう」
少し離れたところで水しぶきをあげて楽しそうにしている人たちを見て、私は言ってみた。
「そんなことないよ、今こうやって松嶋といることのほうが楽しいから」
俊一朗さまはとても真剣な目をしてそう言ってから、急に顔を崩してぷっと吹き出した。
「俺は、役者にはなれないね~」
「え~っ、今の演技だったんですか?本気にしたのにぃ~」
私は意外な俊一朗さまの発言におかしくなりながら、わざとらしくとがめた。
「いやいや、気持ちはホントホント」
俊一朗さまはニヤニヤしながら慌ててそう言った。
「信じます」
私もニヤニヤしながらそう言うと、俊一朗さまは大きくうなづいて、微笑みで返した。
夜になると、私たちは小林の蛍で有名な場所に行った。
闇の中をふわふわと飛び交う蛍はとても神秘的で、私たちをとても神妙な気持ちにさせた。
「蛍がこんなにきれいだとは思わなかった」
私がそうつぶやくと、
「そうだね」
そう言って俊一朗さまは静かに微笑んだ。
とても静かで澄み切った気持ちのよい夜だった。
4月30日、約束の1ヶ月が残り1週間になった。
「お願いがあるんですけど、今日からは毎日会ってもらえませんか?」
最後の日まで毎日会って、充実した悔いのない日々を送りたかった。
「いいよ、じゃ、今から行くから」
俊一朗さまはすぐに返事をしてくれて、1時間後に私たちは会うことになった。
「無理言ってごめんなさい。行くところもないのに会おうなんて言ってしまって・・・」
ドライブしながら、目的地のないことに気づいて私は急に申し訳なくなって言った。
「行くところなんて、別になくてもいいんだよ。会うことに価値はあるんだから」
俊一朗さまは慌ててそう言って、優しく笑った。
「今日はどこに食べに行く?」
「ロイヤルホスト」
私は少し迷ってから、そう答えた。
誰もが行くお店、私がいろんな人と行ったことのある場所、そんなところに行ってみたかった。
そのあと私たちは健康の森に行って、駐車場に車を止めて、ずっと歩いて展望台に上って夜景を見た。
フェンスにもたれて、静かに語り合いながら、桜島と市街地のネオンの海をぼんやりと眺めていた。
5月1日、私が仕事から帰るとすぐに、俊一朗さまから電話がかかってきた。
「今、近くにいるよ」
そう言われて、私は慌てて家を飛び出した。
「グッドタイミングだったでしょ?」
私がうなずくと
「今までの統計から、そろそろじゃないかなーと思ってた」
そう言ってニッコリ笑った。
「今日は天文館でご飯を食べて、久しぶりに天文館を歩こうか?」
「じゃあ、そのあとは中央公園でベンチに座ってジュースを飲むなんてどうですか?」
「いいね」
私たちは、セラに車を止めて歩き出した。
「ハンバーグとイタ飯と居酒屋、どっちがいい?」
「ん~、ハンバーグ」
「じゃ、山下に行こう」
俊一朗さまに連れられて、「ビーフハウス山下」に行った。
とても高級な店で、ハンバーグもとてもおいしかった。
そのあと私たちは缶コーヒーを買って、中央公園のベンチに座ってくつろいだ。
「このあと、磯に行きたいな」
私がそう提案して、磯の海水浴場に行った。
少し離れた駐車場に車を止めて、砂浜まで歩いた。
「なんか若い人たちのデートコースですよね、今日のコースって」
波打ち際に2人並んで座って、遠くの黒い波と小さな灯ぼんやり見つめながら、私はしみじみとそんなことを思った。
中央公園でのデートも、磯海岸でのデートも、夜遊びをはじめたての頃に憧れていたこと。
私の願望はあの頃まま、ずっとうけつがれてきたのだ。
夢がやっと叶って、やっと成長できた気分になった。
「花火もしたかったなー」
私がぽつりとつぶやくと、俊一朗さまはうしろから私の頭を優しくぽんぽんとたたいた。
5月2日、明日からGW、最後の日まであと5日。
私たちは昨日、明日は焼肉を食べに行こうと約束して別れた。
「明日から休みだから、今日は思い切り遊べるね」
俊一朗さまがそう言ってくれて、私はとてもうれしかった。
私たちは、与次郎の「焼肉なべしま」に行った。
2人でテーブルを挟んでお肉を焼いて、お肉の取り合いをして、たくさん笑って、とても楽しかった。
「ゲームしない?」
なべしまを出て、車に乗り込みながらそう言われて、私たちは近くのセガワールドに行った。
エアーホッケーとカーレースとテトリスとバーチャファイターをして、全部負けた。
エアーホッケーは、5回勝負して、1回だけ勝った。
2人とも汗だくで息切れしてて、それがおかしくてあとで笑った。
そのあと、クイズもして占いもした。
「私たち、相性いいんですよ。今まで何回もしたことあるから。俊一朗さまとの占い」
そう言いつつ、今日も何種類もの占いを試してみた。
「でも、この結果よりも俺達の相性はいいと思うよ」
相性76%という結果表を見ながら、俊一朗さまは笑顔でそう言った。
「98%くらいですか?」
「ううん、100%」
そう言って、俊一朗さまはもっと笑った。
5月3日、最後の日まであと4日。
今日の私たちは、動物園に行く約束をしていた。
絶対に行ってみたいデートコースだったけど、ひとつだけ気になることがあって、それが私の心をためらわせていた。
恋人同士で行くと、別れてしまうというジンクス。
けれども今の私たちにあてはまるのだろうか・・・、そういう思いもあって、動物園でのデートを決意した。
動物園の近くに来た時、やっぱり少しだけ気になって
「動物園に行くと別れるって言うけど、今の私たちには関係ないですよね」
そう言って、俊一朗さまを見た。
「カンケーないよ。あんなのは信じる人がそうなるんだよ」
俊一朗さまはそう言って、明るく笑い飛ばした。
私はとても安心した気持ちになって、雲が晴れたみたいに明るく楽しい気分になった。
動物園館内の長い道のりは、私たちをより親密にさせ、楽しく充実した気分にさせた。
5月4日、最後の日まであと3日。
「今日も私の夢を叶えてくれますか?」
「もちろん」
私の願望のひとつ・・・、ダイエーとかBIGⅡ、ニシムタに行くこと。
2人でいろんなものを見てまわって夢を買うこと。
家具を見て、電化製品を見て、安いものを捜し歩いて生活用品を見てまわるのは、私の長い間の夢だった。
「パソコン欲しいよね」
ダイエーでパソコンコーナーをゆっくりと歩いて真剣な瞳でそれらを見ている俊一朗さまの横顔は、とても知的でかっこよかった。
「私はデジカメが欲しい」
「デジカメもいいね」」
俊一朗さまはそう言って、パンフレットを手にした。
「いつか欲しいですね」
「いつかね」
俊一朗さまは笑顔でうなづいて、その場を離れた。
私たちはそのあとたくさんの店を渡り歩いて、たくさんの時間を過ごした。
日が暮れて、どこも閉店の時間になって、ごはんを食べに行った。
そのあと谷山のどこかのだだっ広い港に車を止めて星空を見上げて話をした。
5月5日、最後の日まであと2日。
今日は、約束の錦江高原ホテルの夜景を見に行く日。
この日私は、俊一朗さまに買ってもらったルーニィのワンピースを着た。
昼間は指宿方面をず~っとドライブして、日が暮れるのを待った。
「7時に、ジュセールに予約入れてあるんだよ」
俊一朗さまにそう言われて、私はびっくりした。
錦江高原ホテルには、ただ夜景を見に行くだけのつもりだった。
それが、まさか憧れの夜景の見えるフランス料理店にまで行けるなんて。
私はすっごくうれしかった。
私は今になってやっと、昨日俊一朗さまが私にルーニィーのワンピースを着ておいでと言った意味がわかった。
私がまだ一度も着てないからだと思っていたけど、そこで食事をするためだったのだ。
ルーニィーのワンピースと私の中で一番綺麗な夜景と高級なフランス料理店。
これらが重なり合って、この上ない感慨深い思い出となった。
「こないだ見に行ったどの夜景よりも、綺麗だと思いません?」
私がそう尋ねると
「俺もそう思う」
俊一朗さまは、静かに微笑んでうなづいた。
次々と料理が運ばれてきて、とても優雅に味わいながら最後のデザートとコーヒーが出てきて一段落ついた時に、俊一朗さまはおもむろに細長い包みを取り出して、テーブルの上に置いた。
私がなんだろうと思って、不思議そうな顔をしていると
「開けてみて」
優しく笑ってそう言った。
私はためらいがちに包みを開けて、驚いて息を呑んだ。
出てきたのは、クリスチャンディオールのディオリッシモだった。
私が欲しいと言っていた、2万円する香水。
私はビックリして、慌てて言った。
「もう貰えません、こんな高価なものばかり・・・。もう、充分すぎるくらいいただきました」
「今回全部貰ったと思うから高いんだよ。これは、松嶋の10年分だと思ってくれたらいいよ。10年も付き合ってたら、普通このくらい貰うでしょう?」
そう言って、俊一朗さまはニッコリと微笑んだ。
外に出て、さっそく香水を耳の後ろに少しつけてみると、少し肌寒い春の夜風になびかれて、心地良い香りがした。
「いい匂いがします」
「俺にも伝わってくるよ」
俊一朗さまはまた優しく笑った。
5月6日、約束の1ヶ月が残り1日になった。
その日目覚めた時、私は一日中俊一朗さまの傍にいようと決めた。
そして、最後の望みを叶えてもらおうと思った。
俊一朗さまの部屋に招待されること。
それが私の、最後の望みだった。
私は始発のバスに乗って、俊一朗さまの家に行った。
昨日「迎えに来るよ」と言ってくれた俊一朗さまに、「最後は私が行きます」と言ったら、「じゃあ始発に乗っておいで」と言われたのだ。
私はその言葉がとてもうれしかった。
俊一朗さまが朝早くから会おうとしてくれている事、最後の一日を大切に思っている私の気持ちをわかってくれていること・・・。
俊一朗さまの部屋は家具もほとんどない殺風景な部屋だった。
フローリングに青いクッションと白いクッションがあって、俊一朗さまは青いクッションを抱えて寝っころがっていた。
私は肘をついている俊一朗さまの横にぴったりくっついて座った。
いろいろと話をしながら、ずっと前にこれと同じような夢を見たことがあることを思い出した。
「私、今のシチュエーションとそっくりな夢を見たことがあるんです」
「どんな?」
「こんなふうに俊一朗さまは寝ころがってて、私はその横に座っていろいろお話してて、俊一朗さまが今度の休みはスペースワールドに行くって言って、私も行きたいって言ったの。それとね、そのあと私が俊一朗さまの顔をジッと見てたら、「何?僕の顔がそんなにかっこいいの?」って言ったんですよ」
私がそう言うと、俊一朗さまは照れくさそうに笑った。
「洋服見せてもらえますか?」
「いいよ」
私はクローゼットを開けた。
「昔の服しかないよ。最近のは全部ロスに置いたままだから」
「中3の頃着てた、パーソンズとかフランドルのトレーナーは?」
「そんなものもうないよ」
俊一朗さまはあきれたように笑った。
「え~っ、残念。あの頃の服は全然ないんですか?」
「う~ん、あったかなぁ」
そう言って、俊一朗さまは私の隣に立って、クローゼットの中を捜し始めた。
「あっ、それ!」
青いシャツを見つけた。
「それ、あの頃によく着てたシャツじゃないですか?」
私がそう言うと、俊一朗さまはそのシャツを取り出して広げてみた。
「う~ん、そうだったかも」
「やっぱり!」
私はうれしくなった。
「青いシャツって、あの頃の俊一朗さまのトレードマークだったんですよ。すごく懐かしい。これ着てる俊一朗さますごくかっこよかった。
私、昔こんな夢見たことあるんです。夢というか空想ですけど、私が俊一朗さまの家に遊びに行って、勉強教えてもらって、息抜きしてる時に、タンス開けてもいいですかって言って見せてもらって、私がいろいろ服をあててこんなの着てみたいって言ったら、俊一朗さまが・・・」
「あげようか?」
私の話をニコニコしながら聞いていた俊一朗さまが突然そう言った。
私が驚いて俊一朗さまを見ると
「って言ったんでしょ?」
と言って、いたずらっぽく笑った。
「何でわかったんですか?」
「もう付き合って、一ヶ月たつんだよ。松嶋の考えそうなことならだいたい検討つくよ」
そう言って、優しいまなざしで私を見た。
「それ、着てみれば?気に入ったらあげるよ」
「ホント?欲しい、すっごく欲しい、絶対欲しい!」
「じゃ、あげる」
私はさっそく今着ている服の上から、ジャケットみたいにはおってみた。
「似合いますか?」
「似合う似合う、今日の服にマッチしてる」
俊一朗さまは冗談っぽく早口でそう言って、笑った。
残りの時間が、一時間になった。
「握手してもいいですか」
「いいよ」
俊一朗さまは優しく微笑んで手を差し出した。
私は俊一朗さまの手をギュッと握りしめた。
ふんわりとあたたかいぬくもりが私の心に舞い降りてきた。
そして、これが今回の初めての肌と肌との触れ合いだった。
「ロスに帰ったら、何をするんですか?」
「ディズニィーランドに行く」
「いいなぁ、私も行きたい」
「一緒に行く?」
「うん、行きたい」
「じゃぁ、一緒に行こう」
「うん・・・」
ありえないとわかっていても、静かに交わされる言葉遊び・・・。
私は微笑んでうなづいた。
「あっ、時計・・・」
「そうだったね」
私たちはお互いの時計を交換して、元に戻した。
「その時計、ロスに帰ったら、時間を変えるんでしょう?同じ時計でも違う時間を刻むんですね。消えてなくなる時差の時間みたいに、私たちの1ヶ月も、不思議な空間として消えてなくなってしまうのかなぁ」
私は時計の文字盤をぼんやり見つめながら、ポツリとつぶやいた。
「それは違うよ。1ヶ月と数時間じゃ全然違うし、この1ヶ月は大切な思い出として俺の胸の中に確実に刻まれていくと思うよ」
「ありがとうございます」
俊一朗さまの優しい言葉に涙ぐみそうになるのをぐっとこらえてお礼を言った。
残りが1分になった。
時が止まり、静寂に包まれて、私は言葉を失った。
「またこうやって、会える日がきますよね」
「もちろん」
俊一朗さまはとびきりの笑顔で微笑んで、私はその顔をくいいるようにじっと見つめた。
最後の一秒・・・。
突然あたりに火花が散って、私の目の前に光が放たれた。
俊一朗さまの最高の笑顔にゴールドのオーラが光って、パッと散った。
夢から覚めたみたいに、私の周りには誰もいなかった。
そして、私は自分の部屋にいた。
ぐったりするような虚脱感の中で、重い頭を左右に振って顔を上げると、壁の時計が目に入った。
時計の針は、さっき彼の家で見た時と同じ時を刻んでいて、さっきお別れしてから1分しか過ぎていなかった。
私はハッとして自分の腕を見た。
そして、手探りで首のネックレスを探した。
そして、自分が着ているものを確認して・・・、深い息を吐いた。
私は俊一朗さまとおそろいのスウォッチをちゃんとはめていたし、もらった4℃のネックレスもつけていたし、青いシャツも着ていた。
確かに俊一朗さまは存在していたし、私の心の中に鮮明に焼きついているのだ。
私はうれしいようなせつないような何ともいえない気持ちをもてあまして、胸元のネックレスをギュッと握りしめて目を閉じた。
また会えますよね・・・、もちろん・・・。
たとえ夢だったとしても、私はこの1ヶ月をこの上ない幸せに思う。
そして、最後の一秒を、決して忘れないと思う。
もしも1ヶ月 あなたと付き合えるなら・・・
私はその1ヶ月を どういうふうに過ごすだろう
普通の彼氏と彼女になって いろんなことをしてみるだろう
今までに あなたに描いた人と付き合うという夢を
次々に実現して幸せになるだろう
あなたに愛されて 私は
世界一幸せな女になるだろう
もしもそれが 1週間だったとしたら・・・
私はその1週間を どういうふうに過ごすだろう
毎日あなたと会って やりたかったことを実現させるだろう
人と付き合うことにおいて 私がしてみたかったことに
的を絞って あなたをたくさん知るだろう
もしもそれが 1日だったら・・・
私は24時間あなたにぴったりくっついて離れないだろう
ずっとずっとお話して 知りたかったことを聞くだろう
もしもそれが 1時間だったら・・・
私はずっと手を握って あなたの話に耳を傾けるだろう
もしもそれが 1分だったら・・・
私はその間 じいっとあなたの顔をみつめるだろう
もしもそれが 1秒だったら・・・
たとえ一秒でも それはとてもとても長い時間で
その瞬間に見たあなたの顔を 私はとても鮮明に覚えていて
それは一生 私の心の中にとどまるだろう
完
まほうの時間