旧作品から再放送と、文豪の作品から掲載する。
夕月綾人は新宿にある法律事務所に勤めている。
彩人は法廷に出る時以外は天秤の記章は付けない、規則は兎も角、身分を現わす様なものは好かない。
そこそこの家に育ったから、何の不自由も無しに此の年まで来たが、何か此のままで良いのかと考える今日この頃。
綾人は長期休暇を利用して旅行にでも行こうかと思ったのだが、海外にしても国内にしても大抵の所は行った事があるから行く所は無い。
かといって家に閉じこもっているのも。
事務所からの帰り道だった。
虎ノ門の駅まで歩いて行くと、道端の植木に縋るようにしている老女と老女の背中を擦っては「大丈夫?」と話し掛けている若い女性がいる。
丁度夕時で辺りは仕事帰りの人々で混雑している。
気が付かない者、拘わらない者、軽く声を掛けていく者もいる。
女性は気遣ってくれた人達にその都度、「ああ、済みません。ええ、大丈夫ですから・・」
と頭を下げるのだが中には、
「救急車呼ばなくてもいいかい?呼ぼうか?」
と親切な御仁もいる。
綾人が見る限りでは、老女の具合は決して良くは無いと思われる。
綾人も母が何年か前に病で亡くなったから、同じ病では無いだろうが他人事とも思えず。
痩せた背中を見せ喘いでいる老女の容態はかなり深刻だと思わざるを得なかった。
綾人は少し強引だとは思ったが仕事柄人を説得する事には慣れていたせいもあり、女性と同じ姿勢になり横に屈みこむと速やかに話を、
「私は医者だが・・これ以上悪くするといけない病院に行こう」
と言った途端、女性はびくっとし、
「病院?ええ・・」
とやや歯切れが悪い反応から、綾人は彼女が何かを心配しているのではと思いながらも、すぐに手を挙げタクシーを止める。
三人がタクシーに乗りこむと、綾人は女性に何の病気かと尋ね、自分が良く知っている総合病院の名を運転手に告げる。
女性は初めは老女がどんな病なのか、どんな症状なのかの説明を躊躇っていたのだが、其処は綾人も仕事柄上手く聞き出す事が出来た。
タクシーは運良く事務所と契約をしている会社の車だったから、カードを見せただけで運転手も丁寧な対応をする。
なるべく揺らせないように且つ迅速に目的地に向かって車を走らせた。
綾人が予め車の中から電話をし、何の病で救急だからと伝えてあったから病院の救急入り口に到着すると、既に看護師と事務服の女性が簡易ベッドを用意していてくれた。
看護師と老女が病院内に消えて行った後事務服の女性が、
「ご家族の方ですか?お孫さん?此れから治療をしますから後で病室の方に来てください」
と、女性を身内だろうと思ったようで病室名を告げてから院内に。
綾人は女性と院内を歩きながら女性は医療費の事でも心配しているのではと思う。
増してや救急扱いでは幾分割増しになる。
此の病院は大きな総合病院であるが、以前、綾人が知人の院長から或る相談を受けた事があった。
案件は結局、訴訟になり綾人が勝訴をしたという経緯に落ち着いたのだが、成功報酬には拘らずただ後日という事になっている。
綾人は女性に、この病院には知人の専門の医者がいるからと話した。
女性と並んで歩きながらエレベーターに乗る。
「私は菅原美枝と申します。祖母のたかを・・。宜しくお願いします」と。ついで綾人も名を名乗った。
二人が院内の看護師に病室の所在を聞きながらたかのbedに近づいた時には、既に先程の看護師が点滴をしている姿が窺えた。
病状に加え年齢的に疲労度が激しく、何種類かの点滴をするとの事。
別の看護師が病室に入って来ると、美枝に診察室で医師の説明がありますからと告げた。
二人が診察室のドアを開けると、綾人が顔馴染みである院長が、たかの病状について説明をし始める。
かなり重度の肺炎で、ほうっておくと命取りにもなりかねないとの事。
結局たかはそのまま病院に入院する事になった。
診察が終わった後、院長が綾人に話を。
美枝は、入院と聞き支払いの事でも気になったのかも知れないが・・一方綾人が口にしたようにすっかり医者だと信じ切っているようだ。
二人の話が終わると看護師がたかを一人用の病室に連れて行ってくれた後、美枝が綾人の目に話し掛けた。
「あの~、綾人さんはお医者さんですよね?」
「いやあ、実は・・ああでも言わなかったら、君達・・病院に来るのが遅れるのではと思って・・僕は医者ではないが、此の病院は僕がちょっとした訳ありの病院だから・・何も心配する事は無い」
「ああ・・タクシー代をお返ししなければ。それに・・」
「その事なら貴女が心配するまでもない・・降りる時に支払いなどしなかったでしょ。タクシー会社は仕事で契約している先出し、病院関連の出費は、僕が良く知っている院長で話は済んでいるから一切心配は無い」
「いえ、そういう訳にもいきませんからお支払いは後程必ず・・」そういう彼女に合わせるように・・綾人は明るい表情で頷いた。
二人が病室まで戻るとたかの視線が二人に注がれた。単に行きずりで知り合った綾人にお礼を言おうと思ったのとそれ以上は・・と気にしている様でもある。
其れで、彼女もその表情を見てとり・・もう一度綾人に同じ事を・・。
「いや・・本当に気は使わないで・・病院とは心配するような間柄では無いのだから・・」
美枝も其処まで言われそれ以上同じ事を言うには・・?と思った様で、
「・・何から何まで済みません。其れではお言葉に甘えさせて頂き、後日必ず・・」。
美枝から安堵の表情が窺える。
救急の治療が功を奏したようで、たかはすっかり寝息を立てている。
其の寝顔を見ながら綾人が美枝に・・。
「取り敢えずは大丈夫そうで良かった。そういえば君、まだ食事済ませて無いのでは?此処の食堂で良かったら行かない?」
ミレーヌもひとまず落ち着いたからと・・腹の虫が泣きそうだったのか。
「ええ、すっかり忘れておりましたが・・そう致しましょう」
二人揃い院内の食堂に向かう。
食事をしながら美枝にもようやく安堵の念が窺えたように話が・・。
彼女の母親は既に亡くなっており、たかの面倒は自分が見ているという事のようだ。
綾人は美枝を最初に見た時に、此の国の生まれではない様で綺麗な人だと思ったのだが、ハーフだと聞き成程と思う。
「此れで取り敢えずは治療に専念するという事でまあ先ずは・・何かあったら此れは僕のiPhoneの番号だから連絡してくれて構いませんから。僕も今はそんなに仕事が忙しくは無いから、良かったら病院との話のついでにまた顔を出してみるつもりだけれど?」
と綾人が名刺を彼女に手渡す。
肩書の書いて無い名刺を貰った美枝は、
「私は祖母の面倒があるので、毎日都合をつけ面会時間に来ていますから・・」
と言いながら、肩書の無い珍しい名刺に一瞥(いちべつ)をくれてからバッグにしまう。
其れからニ、三週間した頃綾人が病院に立ち寄る。美枝がたかのベッドの脇の椅子に座っていたので、たかの容態をそれとなく聞いたりした。
其れからも綾人が何回か病院に行く機会があった。
たかの顔色を見ながら、
「だいぶ良くなって来たんじゃない?良かったね?」
と、美枝の顔に目を遣る。瞳に笑みを湛える美枝。
「お陰様で。お医者さまも今のところ特に心配もいらなさそうで、此のまま順調なら・・と言ってくれたんです」
綾人は、以前診察室でたかのカルテがちょっとだけ見えた時、住まいが大体どの辺りなのかは分かったのだが、個人情報でもあるし美枝に聞いてみた。
「・・君の住いはO線のT駅の近く?だったら、僕の家も近い。僕は同じ線のM駅だから」
美枝は、
「そうなんですか?偶然ですね。尤も何時までいられるか分かりませんが・・」
と、顔を曇らせた。
綾人は勘を働かせ、何か悩みがありそうな美枝の表情を眺めているうちに、もう少し詳しい事を聞いてみようと・・。
現実問題、金銭抜きで気のおけない弁護士など3割にも満たない。ふと・・何か役に立てればなど・・。
「・・何か事情でもありそうだね?困っている事があるのなら、弁護士にでも相談してみたらどうだろう?」
「・・弁護士ですか・・?お金が必要なんでしょう?」
「・・一番安いのは、役所の法律相談で無料だが、30分しか無くあまり優秀な弁護士はいない。其れに30分ばかりでは相談をしているうちに追い出されてしまうし・・。弁護士会も法律相談を受け付けているが30分5000円と高いな・・他に法テラスなどもあるがやはり同じ様に便利だとは言えないだろう?」
其れを聞いていた彼女の表情は、増々乗り気でなくなってきたようだ。
「もし、良かったら、何時でもいいけれど一度M駅辺りまで来れる?知り合いの弁護士ならお金は掛からない・・尤も気が向いたらだけれど・・其れに相性もあるだろうから?」
どうも、弁護士と聞き今一つ気が進まないような彼女だったが。
「・・ええ、そんな弁護士さんがいらっしゃるのですか?・・ううん・・でも、行くだけ行ってみます」
「まあ・・知り合ったのも何かの縁かも知れないし・・君達の事も気になって、余計なお世話だとは思うけれど」
美枝はハッとしたように、「今まで彼是お世話になったのに、その上いいのかな・・?」という思いが一瞬脳裏を掠めたが、かといい綾人が悪い人だとは思えなかったから、「あの、ご迷惑で無かったら・・」と。
後日M駅前の街の喫茶店で待ち合わせをする事になった。
たかの病院には美枝が毎日の様に通い、たかの病状が良くなるようにと祈る日が続いている。
たかのベッドの脇のテーブルの上。たかの若かりし頃の素敵なDance姿の写真が何枚かポートレートにおさまっている。
綾人も、約束をした日は事務所は休みだから、知人の弁護士を伴いゆっくり話を聞くつもりだ。
定刻より先に来て弁護士を待っていた美枝は、綾人の店に入って来る姿を見つけ挨拶をし迎える。
「・・やあ、お待たせ・・」
「・・どうも・・お知り合いの弁護士さんは後ほど・・?」
綾人はおどけた表情を笑顔で取繕うと、彼女の目の前で、右手を少し上げ手のひらを折る仕種をする。
「何時かやってたNHKの、セサミストリート・・よく知らないが、縫いぐるみがこんなことして無い?」
思わず何だろうと首を傾げる彼女も、セサミストリートは知っていたようだ。
「口パク・・。嘘ついて御免なさい。知人は生憎だが来ない。此の人では・・?」
と、先日とは異なった肩書の書かれた名刺をテーブルの上に。
名刺を見る前から、彼女はひょっとし・・とは思っていたのだが・・瓢箪から駒・・。
「・・ええ・・先生だったんですか?」
「・・いや・・其の先生はやめて欲しいな・・【先生と呼ばれる程の馬鹿で無し】ってね?教師だった父の口癖で?法曹界・医者・議員などに教師は先生と呼ばれるのが常だが・・其の中で教師は先生・・其れでも父はそう呼ばれる事を嫌った・・知恵遅れの児童の特殊学級と通常の学級の両方を交互に見ていた人だったから・・人類のその様な傾向には疑問を感じたのだろう・・裕仁氏~昭和天皇・夫妻~とも面識があったがね・・」
戻るが・・最初は彼女が話を進め、綾人が一つ一つ質問をしながら美枝に確認するというパターン。
美枝の住まいに付いての事案だった。
地主の土地の上に且つて亡き父が建ててくれた築年数の古い戸建てが建っており、そこに住んでいるのだが、地主から立ち退きを迫られているという。
あまり無いケースで、民法の「使用貸借」にあたるのだが、同じく民法の典型契約である「賃貸借」のように賃貸料を延滞して無ければとても強力な契約で、簡単に出ていけとは言えない・・のとはまったく事情が異なる。
賃貸借であれば、どうしても地主が言い張るのであれば、同等の不動産を地主が用意しなければならないとか・・だが先ずそれは無いし、というのも、相当額の立退料を地主が支払わなければならなくなるなど。
どうやら、地主はその土地を他の事業で使用するという目的のようだ。
其れが、更にかなり昔からの戸建てが何軒もずらっと並んでいるとなれば、中途半端な金額や手間では無い事になる。
話を聞くうちに、亡き父と先代の地主とは親族同様であり、確たる使用期限の決めは無かったようだ。其れが、先代からその子に引き継がれた事で、事情が変り立ち退きを迫られたという事のようだ。
其れを聞いた綾人。
(賃貸借であれば一か月の時代延滞では先ず先例でも借地権が消滅する事は無く、三回が目安だとされる。
ただ、地代だけでなく更新料も遅滞なく支払わなければ同じ事になるが、其れは無いのが常識。
一月分の地代を滞納しただけで、敷金もおさめてあることだし、遅れた分を支払えば全く問題は無い。ただ、借地に盛り土などを施し工場などを建てていて、延滞が度重なり立ち退きを迫られれば状況も異なり、地主との程度問題だが原状回復の末に遅延している金員を支払ったうえの判決で立ち退きとなる事は充分ある。)
使用貸借では案外仲の良かった親族同然の関係でも代が代わり破綻を迎える事がある。
綾人はいろいろ話を聞いていくうちに、二人が理不尽だと思うようになってきた。病気で治療費もやっとだというのに、住まいも無いのでは・・其れでは安息の日々を送る等・・現実・・難しい。
綾人はテーブルにカップを置くと、「あの、若し良かったら色々な件僕に全てを任せて貰えないかな?決して悪いようにはしないからどうだろう?」
美枝は、今までの経緯からして、頼りにしても良い人間かどうかを疑う事をしようなどお首にも浮かばなかったし、弁護士であれば・・。
結局、綾人が全権を委任されいろいろな事にあたる事になったのだが、勿論委任状や着手金・報酬などは必要無い。
あくまでも、 綾人は知人とし・・いや、親族同様なきがしたのも、先代の地主は現在も健在で、交渉をする事は出来たが・・。結論は変わらない。
子は弁護士に依頼をしたようだ。先代としては自主的に退去を望んでいたのだが、子には頭が上がらないようで、「・・何かうちの子は裁判をすると決めた様だよ・・」と脅し迄かけてきた。
結局、申立人代理人弁護士から調停の申し立てが行われ・・綾人の指示通りに美枝が裁判所に於き相手をする事になった。訴訟とは異なり一々面倒な準備書面や答弁書などは必要無く、最高裁が選出をした調停委員など二名が両者の間に入り進めていく。
当然、すぐに完勝だと侮っていた弁護士は調停申し立ての前に美枝を事務所に呼び、揺さぶりをかけた様だ。だが、裁判所に申立てをしたからには脅しでは済まない。
其処に思いも掛けない事が起きた。
其れ迄健在であった先代の地主が美枝の家の前を自転車で走って行き、振り返った時の事だった。偶々その場に居合わせた綾人がその顔を見た時、あろうことか「死相」が浮かんでいるのに気が付いた。
死相というものは、後に善幸を行ったりすれば消える事も無いとは言えないが・・驚くべき事に・・其の夕刻の事・・陽も落ちて行き薄闇が降りて来た頃の事だった。
美枝から綾人宛に電話があった。
内容は・・「突然サイレンを鳴らし赤色灯を回転させた車の赤い光だけが少し先の住宅の辺りで回転しており、音は聞こえなくなったという・・其の住宅とは地主の住いで・・」。
調停を目前に控えた夜・・先代の行方が知れず・・翌晩通夜が催されたという。
死因は一切開かされずその近所でも誰も何も知らされないまま・・通夜となった・・。あれ程元気で自転車で走りまくっていた姿からは到底考えられない出来事であった。「死相」とはそういうもの。
綾人の指示通りに調停事件は進んだ。
基本的には使用貸借となると次のようになる。
「自己所有の建物は建物所有者が自費で速やかに取り壊す事。賃貸借のような立ち退き料は通常では発生をしない。更に美枝の祖母であるたかが入院中であり・・其の回復を待つ事を条件に加えたので、向こう一年間若しくは祖母が亡くなった時の何方か早く到来した時を立ち退きの期限とする。」
事件内では、先ずは使用貸借を消滅させなくてはならなく・・新たに調書が作られる。
其ればかりではなく・・立退料とし金五百万円を支払う事も条件となったが・・通常かなり珍しいケースとも言える・・地主との仲が良く・・だが、其れでは争いにはならない。
その辺りの詳細は省略をする。
全ては綾人の指示通り事は運んだ。
襟に付ける筈のバッチも直接は登場せず、犠牲者迄出た事も人類としては想像もつかない範疇のlevelである。
この部分は此処で終わるが・・更におかしな事が起きた。先代の妻は元気そのもので、美枝家族を罵った嘲笑を浮かべていたのだが・・数か月後・・まさかの認知症を突然発症し施設に入所したまま帰らぬ人となった。
更に・・。
調停が済み調書が作られたのだが、当然ながら確定判決と同じ様に此の国では「一事不再理」と言い、判決や各種調書などが確定した後には再度同じ案件は取りあげる事が出来ない。
ところが、地主の子供からやんやの催促を受けた弁護士から事もあろうに「早く出ていけ・・さもなければ訴訟も辞さない」という通告~強迫文書が美枝宛に送られてきた。
其れを知った綾人は弁護士に忠告をした。
勿論穏便に済ませた方が良い・・というものだ。
弁護士会にでも上がれば・・此れに対し弁護士はこのように述べた。
「・・私は弁護士に向いていないと思う・・山登りが好きで・・」
この一件は落着した。
期限がくれば引越し先を見つけなければならない。
綾人は此れを美枝に話したが同感だと。
住まい探しを前提で、つまりは引越しをするという事で、二人で良さそうな物件を探してみようかという事まで発展していった。
病院に行った帰りだった。
二人共、たかの病状は、たかは何も話さないからどうなのかと気になったのだが、良くなるように願ってから、陽も暮れなんとする頃、二人は新宿の西口を歩いている。
時間の経過と共に二人の間には友情、いやそれ以上のものが生まれていたのかも知れず。
パークハイアットホテルの高層レストランで、二人は食事や飲み物を飲みながら話を続ける。
綾人が、紫色の薄布で覆いかぶされ、宝石をちりばめたような街の灯りが輝く街を見下ろしながら、
「ねえ、君も僕もお婆さんの病がきっかけで知り合う事になったんだけれど、いろいろ行動するうちに、君が何となく他人の様に思えなくなったんだ」
美枝はグラスワインに少し口をつけてから、
「それは、例えれば妹とかの様に気を使ってくれていてくれたと・・?」
と、綾人がグラスをテーブルに置き、
「妹・・?ああ、それでもいいだろう・・」
美枝が、「それでいい・・?」
其の時、下手な外人のバンドが演奏を始めた。
その前に、このホテルの常連である綾人が、コンシェルジェ(フランス語: conciergeが元であるが、Franceでは集合住宅の管理人と解されているが此の国では伊勢丹やJRなどでもこの言葉を使用している・・サービス業では御馴染みの言葉である。)に囁いたのは、ちょっとだけ電子楽器を弾かせて貰えないだろうか・・?
一つ返事で、電子鍵盤を弾く事になった曲は・・。
「The Stylistics(スタイリスティックス)のCan't Give You Anything (But My Love)」
透き通った様に空を貫いて行くtrumpetで始まる名曲である。
邦題は「愛こそ全て」。
レストランの客からも・・アンコールの要求・・。
店内は綾人の即興livestageと化したが、そんな事よりも一番気になっていたのは美枝の表情であった。
美枝が綾人のグラスが空になっているのを見、
「同じでいいかしら、其れとも別のものに?」
と綾人に確認をしてからウエイターにワインをオーダーし、綾人に目を遣る。
綾人はワインが来る前に料理に手を付けてからフォークとナイフを皿に置いた。
今、目の前に赤いグラスワインが。
「そう、きざな言い方だけれど、此の赤ワインは僕の心が燃えているという意味かな?君という人の事を思うと・・いや・・気にしないで?」
「でも、私も祖母もお金がある訳では無いし、治療費や家にしても・・?」
綾人は、暫しはにかむように微笑むと話を始めた。
「あの、病院は僕とちょっとした関係があったから、僕に支払うお金があるんだけれど、其れをお婆さんの治療費などに使えばいいと思うんだ。だから、病気の事は安心し治療に専念すればいい。其れと、此れはあくまでも僕の勝手な言い分なんだけれど、住まい、良かったら、僕の家に来れないかな?僕の家は、家族はいないし親が残してくれた家だけれど、三人で住むには十分な広さだから。勿論良かったらだけれど?とは言っても急な話だからゆっくり考えてくれていいんだよ?」
美枝は綾人の目に視線を移すと。「私・・お礼ではなく・・。でも、何もかもおんぶにだっこでは、迷惑では無いかしら?」
綾人は一旦視線を窓の外に移してから・・。
星々が煌めいている夜空に負けじと・・宝石箱をひっくり返した様な街の夜景も燦然(さんぜん)と輝く色とりどりの灯りを披露している。
遠くには東京タワーや羽田から飛び立って行く航空機の点滅する灯りも見える。
それから視線をミレーヌの目に戻す。
「家族なのであれば何も遠慮はいらない。君もそんな事に気を使わないで?」
ミレーヌのiPhoneが振動した。
電話は病院からだった。
「たかさんの、具合が悪くなって、至急来て貰いたい」
ホテルに並んでいるタクシーに飛び乗り病院に直行する。
病室までの時間が長く感じられた。
病室には院長が。
「出来る限りの事はやったんだが・・」
二人はたかのベッドの脇に立ち、美枝はたかの手を握っている。
綾人もたかの目を・・。
二人共心の中で同じ事を考えていた。
どうか祈りが通じますように。
たかは二人に気が付いてるようだ。
静かな笑顔を見せる。
看護師が何かを言いかけた。
心電図に目を遣っている。
続けて弧を描いている・・。
たかが再び微笑む。
「・・ねえ、私が踊るんでは無く、二人で踊る時が来たようよ・・」
たかの瞳は何かを訴えている。
「・時・分・・御臨終です」
二人には何も聞こえなかった・・。
ただ、二人には一直線になった心電図が恨めしかった。
二人は今、Danceを踊っている。
綾人の家の中。
広いフロアーはまるでDance holeの様だ。
二人を見守るような小さめの仏壇。たかの写真が微笑んでいる。
二人を祝福している様。
そもそも、二人の縁を導いてくれたのはたかだった。
踊りながら、美枝の涙が頬を伝っていく。
綾人には少し別のものが見えている。
此れから三人の生活が始まろうとしているのだ・・。
たかは若い頃社交Danceが好きで・・。
Danceをやっている写真も備えてある・・。
そんな、たかだから、二人のDanceを見ていると思った。
綾人はステップを踏み回転しながら・・ペアを代える。
綾人はひざまずき、たかの手を取る。
ドレスのフレアーが舞っているたかと・・息が合っている綾人・・。
突然、たかの美しい声が・・。
「Last Dance 有難う・・」
「愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ。夏目漱石」
「あらゆる社交はおのずから虚偽を必要とするものである。最も賢い処世術は、社会的因習を軽蔑しながら、しかも社会的因習と矛盾せぬ生活をすることである。最も賢い生活は、一時代の習慣を軽蔑しながら、しかもそのまた習慣を少しも破らないように暮らすことである。芥川竜之介」
「幸福というものは受けるべきもので、求めるべき性質のものではない。求めて得られるものは幸福にあらずして快楽なり。志賀直哉」
「天下は天下の人の天下にして、我一人の天下と思うべからず。徳川家康」
「治世は大徳を以ってし、小恵を以ってせず。軍師諸葛亮孔明」
「如果把才华比作剑、那么勤奋就是磨刀石。才能は勤勉さによって磨かれる。中国の故事から」
「by europe123 」
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旧作品から再放送と、文豪の作品から掲載する。