結い

A4小説　#3

ふっと風が吹いて縁側の風鈴が鳴ると、その窓辺からお母さんが顔を出した。
「のんちゃん…おかえり。」
律儀に玄関脇には胡瓜の馬と茄子の牛が立っているけど、お尻の方が少し溶け落ちそうになってどこか頼りない。そういえば行きがけに、通り過ぎた女の子達が「今日、猛暑日だって」「最悪。汗でファンデ落ちるんだけど」と愚痴っていた。あの子達はきっと、私と同い年くらいだろう。

「え、お姉ちゃん？東京で頑張ってるよ」
「ふーん、そっか。一年振りに来たから、だいぶ家の中も変わったね」
「向こうはどうなの？こっちより暑い？」
「暑くはないかな。別に寒くもないけど。」
一年振りに見た母の顔は五十路相応といったところだろうか。皺がいくらか増えた気もするし、もう毛染めは諦めたのか、遠目でも分かるくらいに白髪が生えていた。黒髪の綺麗さは変わらないから余計に目立って見える。
「一人で寂しくない？」
「もう私大人だよ？それに、とっくに慣れたし」
「母親としては、寂しいって言ってくれた方が嬉しいんだよ」
「でも最近お菓子とかくれないじゃん」
「ごめんね、忘れてた訳じゃないんだけど」
そう言うとお母さんは台所に戻り、何かないかなとお菓子を探していた。今日はお父さんもお姉ちゃんも家にいないらしい。平日だからそりゃそうか、と私は勝手に納得した。
「来週、のんちゃんの誕生日だったよね」
「あー」
私はそういえば、来週二十歳になるのだった。もうそういうのに無頓着になって長いから、母親の言葉で初めて気づく。誕生日、というのも表現が正しいのか分からないのだけど。
「もう、20年なんだね…。…産んだ時のことは、やっぱ忘れられないな…」
誕生日の話を持ち出してから、母はより感傷に浸っているように見えた。そして「冷凍庫にあったの見つけちゃった」と懐かしいメロンアイスを私の前に出して、蓋を開けた。ひんやりと冷えた空気が立ち昇って私の周りにまとわりつく。
「ねえのんちゃん、もう今日帰っちゃうの？」
「まあ。それよりのんちゃんって…子どもっぽいよ」
「私にとっては、今も昔ものんちゃんなんだよ」
そっか…と私は静かに相槌を打った。私はきっと、理解することがないだろう親心。「私はあれだけど、お姉ちゃんがきっと孫を産んでくれるよ」と意地悪な答えを母に返してしまったことを少し後悔した。
「ほら、これ、覚えてる？…って、覚えてる訳がないんだけどね」
お母さんは小さな木箱を奥から持ち出した。手のひらに収まる大きさのそれは、私が何度も見たことがあるものだ。白い包み紙に入った黒い塊。私とお母さんを繋いでいたもので、…私が確かに一度ここに居たという証でもあった。ずるいなあと思う。こういうのを見せられたら、水の中から目を開けて、胸いっぱいに息を吸い込んでみたかったなあと思い出してしまうから…。
「また、来てね」
母は小さくなった体で私をそっと抱きしめた。この人が居なくなったら、私も居なくなってしまうんだ。そう思い知らされるハグは、いつもいつも優しかった。だからまた、帰ってきてしまう。

そしてその下で、食べられなかったメロンアイスが溶けていた。