巡礼(再掲)
2021年9月24日にアップした記事を一部修正し、再掲したものです。
巡礼
一
ズビニェク・セカル氏の『死の顔』という作品の核はうろんな目や魂を手放すように抵抗なく半開きになった表情にあるのではない。その顔を見るために、こちらから覗き込まなければならないように維持されたその角度にあると私は思う。すなわち、『死の顔』を見る者は自らの顔を上から被せるようにしてその表情に対面しなければならない。意思を持ち、無意識に息をして生きている生身の人間として見れば見るほど、対面する一人としてその表現から手放されたその者の魂を必ず体内に吸い込む関係が明確になる。その表情の最後を看取る役割を見る者が必ず担わされる。だから、あの顔は見られるから死ぬ顔だ。そして見られなくても、死に向かいつつある顔なのだ。
二
道徳や倫理は「そのように生きる」ものだと私は思う。道徳や倫理は生来的に人に備わっているものではない。だから、人間性の底が抜けたような事実が実際に頻発しても私は不思議に思わない。道徳観や倫理観というネジを回して自らの人間性の底が抜けないよう努力するかは、結局各人が自分のために決めることだと考えるからである。
ここで持ち出されるであろう常識といった事柄は、構成員個人に対する社会的評価などの事実上の取扱いを背景に、道徳的又は倫理的に妥当とされる内容を含めて集団内部にひとつの模範を広められる。何気ない場面で個々人が従うべきと判断する規範として内心に根付く。秩序維持の点でこの自然な学び方は重要だろう。しかしながら、それぐらい緩い規範であるが故にその決まり事は状況次第で容易く破られる。ズビニェク・セカル氏が経験したホロコーストはその最たる例に挙げられるだろう。
常識などを通じて個々人が内心で抱いていた「世界」の共通点という支えの崩壊、自身の世界で大切にしていた事柄が他の個体のそれにおいては塵の如く吹き飛ばされるという衝撃。自身を含むおよそ「人」が共に暮らしているはずの「世界」の脆さ、実在の無さを思い知るという個人的世界の瓦解が非人間的振る舞いによりもたらされ、それ以前に簡単に戻れなくなる。ここで選択を強いるのは、非人間的振る舞いを行う者ではない。大切にするものを忘れられない自分自身である。だからこの選択は辛く、そして誰よりも「私」にとって大事なものになる。
三
対象を情報化する言葉は一般化を免れない。ここから、大切なことを言葉で語るということが「私」において常に適切な選択にならないと考える。なぜなら、そこには論理を介して対象を理解できる他者が入り込んでいる。この他者は私ではない。再起にむけて瓦解した「世界」を巡るのに同行者が必要になるのは私が無闇に迷わないように、また「世界」の内奥にのめり込まないようにするためである。この役割を果たす同行者は存在していればいい、傍に居てくれればいい(それが最善の救いになる)。同じことを違う形で語れる意思主体としての他者は、だからかかる役割を果たすには余りにも雄弁だ。
巡りの目的は足踏みをすること。時間をかけて、その足踏みを繰り返すことでいつしか弾力的になった「世界」の土の上に雨あられと命を降り注ぐ語りを行えるのは私だけだから、私の「世界」の出来事を私のために行う。その権能を私が有する、私のみが有する。この点でも、他者が共に語り出す言葉は「世界」の自生に適切な方法といえない。私の「世界」が再び根を張り、固有のものとして動き出すために私が「私」として語れるものが強く求められる。
『死の顔』を表現したズビニェク・セカル氏の始まりに何が込められたのか。『死の顔』に表れる死は自然のものか、人為的なものかと今ここで初めて浮かぶ疑問に私は戸惑う。展示空間で『死の顔』を見ていたとき、わたしはそんな疑問を抱きもしなかった。『Walls&Bridges』で知り得た事実とその顔の印象から後者だと判断していた、と振り返る事はできても死につつあるその顔に自然の死期が与える一種の安らぎを見出せたとは思えない。その無気力はすべき抵抗を捨てていた。そういう諦め方をしていた。だから冒頭に記したことに繋がる。とどめを刺す執行人はその『死の顔』を見る者だ。
そしてその顔を最初に見たのは間違いなく、『死の顔』を作品として完成させたズビニェク・セカル氏である。氏はこの作品を見る者として『死の顔』を初めて殺した。また一方で、氏は作り手の立場から『死の顔』を作品として破壊し、作品として殺すことができる立場にあった唯一の者である。しかし氏はこの死を、その「世界」で実行することはしなかった。他の作品を実際に破壊した事実が氏にはあるのに、である。氏は『死の顔』を作品としてこの世に生み出す選択をした。かかる選択に認められる生死の重なり合い。私はこの選択を絶対に無視できない。
四
能面は見る角度によってその顔つきを変える。
来日したズビニェク・セカル氏が正面から見て美しいと思った能面をもう一度見に戻ったとき、こちらを哄笑する表情を見つけたという。そのことに疑問はない。だから、私が能面と氏を巡るエピソードに引っかかる部分があるとすれば、氏が発したとされる次の言葉だ。すなわち、さっきまで美しいと思った能面が哄笑する顔を氏に見せつけたとき、氏は自身を「愚か者」だと笑い、「学べよ」と言ったという。
何を?脆く儚い人間性をか?
この疑問に対する短絡な答えを冷静に断ち切る力を私がこの両手に込められるのは、『死の顔』から始まったズビニェク・セカル氏の表現者としての長い道程に触れた有難さを手放したくない。そう決意する私自身の執着である。
例えば『白い十字架』とはまた違う、横方向に積み木が重なっていく『無題』の作品を私はもう見てしまった。その細かなベクトルに静かな鼓動は動かされる。ケンタウロスと可愛らしく愛を交わす人の姿の形象には、『Walls&Bridges』では窺えなかった氏の温かさを知れた。『死の顔』と同じ空間に置かれていた丸みを帯びたフォルムを有する『胎児』にだって、私はまだ心からのお別れを済ませていない。
死をも創れる表現に認められる事実と、私はいまこの時も生きているという事実が重なる。けたたましいハウリング。そこに語りはない。その表現はすっかり鳴り響いた。ズビニェク・セカルと名乗ることができないぐらいの『死の顔』という産声を上げて。
『セガールの思い出』。小規模ながら中身の濃い展覧会が、渋谷区にある私設美術館であるギャラリーTOMで開催中である(2021年10月11日に終了)。
巡礼(再掲)