寅さんシリーズより幾つか。文豪作品から中谷宇吉郎「抗議をする義務」。
寅さんシリーズにも見る者により気に入った作があるだろう。中でも1976年7月24日に公開された日本映画。『男はつらいよ』シリーズの17作目。同時上映は『忍術猿飛佐助』。「夕焼け小焼け」は宇野重吉扮する日本画の最高峰画伯と寅さんのやり取りが面白い。
他にも人間国宝の京都の陶芸家を配した作品もあり、やはり少しでも芸術が絡んでいるものを好む傾向がある。
後者は鴨川の土手で片岡仁左衛門扮する人間国宝と寅さんが出会うのだが、鼻緒が切れて困っている国宝の鼻緒を寅さんが即席で間に合わせる所から始まる。
あじさいの恋のタイトルでマドンナはいしだあゆみ。国宝の住い・仕事場に弟子がいて其れが柄本明なのだが、演技が面白い。
元に戻るが、前者の二人の出会いは、居酒屋で爺さんが飲み終えた後、「金は持たん・・」と、飲食代金を支払わず店を出ようとして、当然ながら店の女性店員に追及され、あわや無銭飲食で交番にTEL・・。
其処に居合わせた寅さんがお得意の人情論で支払いの肩代わりをする。見掛け落ちぶれた老人を虎屋迄連れて来てから、家人に彼是苦情を言われる寅さん。
其の挙句、次の晩も帰ったと思っていた家人の前に帰宅をする老人・・すぐ後から追い掛けるように男性が・・。
「・・あのおじさんの代金ですが・・」
店で立替て事なきを・・6000円・・。
其の後のおじちゃんの台詞が気になった。
「・・我々額に汗して働く者は、鰻など月に一度か二度・・何かあった時くらいに皆で大騒ぎをして食べるもの・・」
土用丑の日でウナギを食べる家庭もあるだろうが、東京の魚の類は鮮度や味の点で不味いし、肉もAustralia・Canada産のステーキは固くて拙い・・かと言い、国産でもスーパーの物はやはり拙い。
未だに食べたいと思うのは、静岡市にあった「なか川」という鰻のみの店の鰻だが、特上でも当時は1900円でたれが秘伝であり、誰に食べさせても美味しいというくらいだったが、残念な事に娘が嫁に行き後継ぎがいなくなり廃業をした。
ところがどうやら同じ名の鰻屋が静岡市の安東というところにあるようで、「なかがわ支店」となっている。
そう言えば昔聞いたのは、弟子がいて店を構えているとの事だった。其れがネットで見ても未だ健在のようだ。
全く同じ味なのかは分からないが、食べてみたいものだ。値段には関係無く、又、浜松が鰻や餃子では有名だが、問題にならないと思う。
で、映画に戻るが・・家人全員に裏のタコ社長にまで嫌われたみすぼらしい老人~実は作務衣・さむいという作業用の着物の類を着ている~に、遂にタコ社長も手に負えず寅さんが説教をしだした。
「・・よその店で鰻なんか食べて来て勘定を払わせるってのは・・駄目なんだよ・・」
無銭飲食は刑法246条の詐欺罪相当で、いきなり懲役十年以下が法定刑・・。
「・・何?此処は旅館じゃないのか?」
「・・旅館な訳ないじゃないか・・こんな汚い店が・・」
おじさんは頭を掻き々・・。
「・・困ったな・・うん・・筆と紙を持って来てくれ・・?」
「・・何だよう・・横柄な爺さんだな・・」
階段を降りた寅さんがおばちゃんに・・。
「・・何か・・紙ないかな・・?」
「・・便所の紙なら・・」
結局、真面な紙が見つからず・・幼児の満男のお絵かき用の画用紙と筆を持ち二階に・・。
「・・酷い筆だな・・」
「・・贅沢言うんじゃないよ・・」
じいさんは画用紙にすらすらと何かを墨で書いた・・。
「・・なんだいそれ?たまねぎかい?」
「・・たまねぎじゃない・・宝珠と言って縁起ものだ・・」
全く訳が分からない寅さんにじいさんが・・。
「・・悪いが、神田のたいがどうという本屋に海坊主みたいな主人がいるから・・・其処に持って行って貰えないか・・?」
「・・冗談じゃないよ・・ゆすりたかりじゃないんだから・・」
「・・いや此れは決して・・そういう類のものじゃないんだ・・」
しぶしぶした表情の寅さんが神田を歩くscene・・。
本屋に入ったは良いが・・どうも怖気づいている寅さんに・・確かに海坊主らしき男が声を掛ける・・。
「・・何か探しものでも・・?」
「・・なんか・・うちにいるおじさんが・・持って行けって・・たいがどうって本屋に海坊主みたいな・・いえね・・俺が言ったんじゃないんだよ・・うん・・まあいいや又来る・・」
「・・まあ、そう言わず・・折角来たんだから・・見せてみなさい・・」
海坊主が手に取った画用紙を見ながら・・くすくす笑い出し・・。
「・・よりによって・・せいかんの名を語るとは・・日本画では何といっても最高峰の先生で・・しかも色紙の類を全く書かない事で有名な・・くすくす・・」
その笑い顔も・・じっと見ている表情に・・。
「・・あんた・・此れ何処で・・?」
「だから・・うちにいるおじさんが・・まあ、いいよ・・」
帰ろうとし、画用紙を取り戻そうとする寅さんより早く・・海坊主が・・素早く自分のものにし・・。
「・・あんた・・此れ売るって言うんだね?・・断っておくが高い値段じゃ買えないよ・・ちょこちょこっと描いた落書きのようなものなんだから・・」
落ち着かなそうな寅さんに・・。
「・・幾らなら・・?」
折角電車賃を使って来たから・・それじゃあ・・と指一本立てる。
「・・冗談じゃない・・そんな値段じゃあ・・」
「・・いや、俺もちょっと高いと思ったんだ・・」
「・・じゃあ、これでどうだい?」
海坊主が片手を示すが・・寅さんは訳も分からず・・黙ると・・。
「・・気に入らないかい?・・じゃあこれで・・」
と指一本を添える・・。
「・・うん・・まあ・・」
海坊主は後ろに座っている店員に・・。
「・・吉田・・6万円の領収書書いて・・」
寅さん・・勘違いで・・。
「・・おじさん・・今なんて言った?」
「・・よし・・じゃもう一本これでどうだ・・」
と指を一本追加し・・。
「・・𠮷田7万円の領収書書いて・・」
画面は変わり帝釈天参道を店へと駆ける虎の姿・・。
店にいたさくらに・・。
「・・これ・・」
「・・駄目よお兄ちゃん・・悪い事だけはしないで・・」
「・・何言ってんだよ・・あのおじさんが書いた・・もう、皆・・働かなくてもいいよ・・店もやめちゃえ・・あのじいさんにちょこっと描かせれば・・」
二階から掃除道具を持って降りて来たおばちゃんが・・。
「・・ああ・・やっと帰ってくれたよ・・」
「・・何?帰った・・?どうして帰したんだよ・・?」
其の晩、皆が揃っている居間では・・大騒ぎ・・。
其処に満男が・・。
「・・あのおじいちゃんに描いて貰ったんだ・・?」
ええ?っと・・タコ社長がその紙を奪い取るように・・寅さんが・・うちのものなんだぞ・・二人で引っ張り合ううちに紙は真っ二つ・・。
結局・・7万円を弁償するという話に・・社長も・・裏の工場を売ればいいんだろう・・?あれが、7万円で売れるのかよ・・。
三十年前の7万円が幾らになるのかは分からないが・・。
じいさんの名は桜も知っていた・・。
「・・いけのうちせいかん・・?」
どうしてそんなに有名な人が・・?
後半はうって変わって背広姿のせいかんが・・雨情の歌で有名な「赤とんぼ」の辰野~赤穂浪士も歩いたという・・田舎町の町長や観光課のさくらいせんりや宇野重吉の実の息子である寺尾聰などから歓迎され・・「我が郷土が産んだ・・」とそれは賑やかな事になった。
マドンナは太地喜和子扮する芸者ぼたんも・・東京に来・・二百万の貸金が焦げ付き・・相手は元会社社長で、破産をし・・ところがマンション住まいの上ゴルフ三昧・・。
結局、回収は出来ないのは仕方が無い・・。
寅さんが池ノ内青観の邸宅に行き・・絵を描いてくれと縋るが・・芸術はそういうものでは無い・・。
最後は再び兵庫県辰野で、ぼたん宛に絵画が届くが・・牡丹の花が書かれている・・。
「・・二百万でも・・絶対に売らへん・・」
辺りで・・お終い・・。
作品中こんなsceneも。
せいかん(勿論妻がおり立派な邸宅に住んでいる。)が、町長たちを避けお忍びで尋ねたのは・・若き日の彼女だったようで・・今はおばあさんだが・・。
「・・いや・・貴女には申し訳無いと思って後悔をしている・・」
何があったのかは分からないが・・。
其の女性は、華道の師匠の様でやはり弟子がおり・・先生と呼ばれている・・上品な・・岡田嘉子(1916~1986。此の人はRussiaと此の国でアナウンサーと女優をやっていた。)扮する志乃という・・が、問答を・・。
「・・それでは・・仮にですよ・・さんが後悔をしないもう一つの道を歩んでいたら・・本当に後悔はしないと言い切れるでしょうか・・?」
シリーズでもいろいろな作品が見られるが・・泣かせるのなら・・「寅次郎物語」で、極道の香具師仲間の妻であったが、凄い暴力で逃げ出さざるを得なかった・・五月みどり扮する母親を探して旅をする寅さんと秀吉という名~この名は寅が名付けたという・・子供・・。
旅館を彼方此方探しまわるが・・何処でもやめました・・。
途中子供が熱を出し・・田舎町の小さな旅館の隣の部屋に泊まった、秋吉久美子・・此の人はずっと若い頃・・シラケが流行した1970年、語録には「お腹を傷めないで子供を産む」とか「面白くもないのにカメラの前で笑ったり、俳優ってバカみたい」などもあるようだ。
この作品では、寅さんと気が合い、互いにお母さん・お父さんと呼びながら、高熱で危ない子供の面倒を見た。
泣かせは・・最後のsceneで、無事母親に預けられた寅さんが帰るからと船に乗る時、小港を出て行く小さな船・・。
乗船前に「おじちゃんと一緒に行く」と駄々をこね怒られるのだが・・。
船を追い掛けるように港の岸壁を走り回り・・。
「・・兄やん・・兄やん・・」
と叫ぶ・・船長が寅に「・・可哀想じゃないか・・戻ってやれば・・」
「いいんだ・・どんどん行ってくれ・・」
のsceneは非常に好評であるようだ・・。
次に・・どこだったかな・・再び香具師として商売に来ている寅と相棒のポンシュウ:関敬六が隠れた前を親子ずれ三人が歩いて行く。
母と秀吉と・・あの船長・・。
「・・船長がてて親か・・いいな・・あいつなら・・」
の辺りで映画はお終いになる・・。
松村達雄扮する医者の「お尻出して・・」に勘違いした秋吉だが・・「・・子供のだよ・・」確か・・医者の役は以前にも・・若尾文子がMadonnaの作品でも人類好みの少し美女好きな演技のsceneが見られた。
この様にseriesでも面白いものは幾つかある・・また何れ・・。
其れでは、文豪の作品から・・。
「抗議する義務」
中谷宇吉郎
畏友Y兄から、いつか面白い言葉をきいたことがある。それは「日本人はどうも抗議プロテストする義務を知らないから困る」というのである。
これはなかなか味のある言葉で、何か不正なことがあった場合に、それに抗議を申し込むのは、権利ではなくて義務だというのである。
例えば、電車に乗る場合に、乗客が長い列を作って待っている。やっと電車が来て、乗客が順々に乗り込む。その時脇からうまくその列に割り込んで、電車に乗ってしまう人がよくある。そういう時に、特に婦人の場合などには、自分の前に脇から一人くらい割り込んで来ても、一寸いやな顔をするくらいで、そのまま黙ってその人について乗ってしまうことがよくある。
この場合、その人はもちろん「横から割り込んではいけません」と抗議を言うべきなのである。それを、ずるずるに黙許してしまうことは、一つの道徳的な罪悪であることを、よく承知すべきである。一人くらいのことに、無闇とやかましく言うことを、何となくはしたないように考えるのは、大変な間違いなのである。これははしたあるとかないとかいう問題ではない。実は非常に利己的な考え方が、その人の心の底に意識されないで潜んでいるのであって、その点によく注意しなければならない。
というのは、脇から誰かが割り込んで来ても黙許してしまう場合は、自分もその人について電車に乗り込めることが明白な場合に限るからである。もしその人が乗ったら自分が乗れなくなる場合だったら、恐らく抗議を申し込むにちがいない。それをずるずるに黙許するのは、被害が自分に及ばないからである。しかしその被害は誰かには及ぶのであって、一人くらいといっても、そのために最後に誰か一人は取残される組にはいって、また次の電車まで長い間待たなければならない。
それでこの場合、抗議をすることは、立派な義務なのである。正直に公衆道徳を守って、列の最後の方についている未知の一人の友人のために、抗議をする義務がある。きまりが悪いということは、たしかにあるが、それくらいのことは押し切って、遂行すべき義務なのである。少し意地悪くいえば、被害が自分に及ばない場合には、きまりが悪いというくらいのことと、正直な人を助ける義務とを、無意識的にバランスにかけて、前者をとっているのである。この頃「正直者が損をする政治はいけない」ということがよくいわれるが、そういうことを立派にいえる人は、案外少ないのではないかと思われる。
それに自分がよくないと考えた場合に、抗議を申し込むことは、何も悪いことでもなく、生意気なことでもない。極めて当然なことである。列の中に割り込むというような、明白に悪いことに対してはもちろんのこと、それほどはっきりしていない場合にも、自分で正当と考えた抗議は、平気ですればよいのである。もし先方にも理窟があったら、その釈明をするだろうし、それが納得出来たら、さっさと抗議をひっこめればよい。
それについては、面白い話をきいたことがある。札幌の或る大銀行の支店長で、今度の大戦の初めに、ロンドンでドイツ空軍の大爆撃を体験して来た人の話である。
ダンケルクの引揚げ後か直前くらいのことか、あの時代の英国空軍は、ドイツにくらべては、ずいぶん劣勢にあった。それで大急ぎで飛行機を揃えて、航空兵の大量訓練を始めた時代があった。ロンドン郊外の飛行場からは、夜となく昼となく、訓練機がとび上がって来て、ロンドン上空に絶え間なく爆音をとどろかせていたそうである。
その頃のことであるが、その人が或る日新聞をみていたら、空軍省への抗議という一文が出ていた。この頃のようにのべつ幕なしに飛行機にとばれては甚だ迷惑である。特に夜間の訓練は安眠妨害になって、翌日のわれわれの能率を著しく阻礙そがいする。せめて夜間の飛行くらいは止めてもらいたいという意味の抗議であったそうである。今度の戦争中の日本のことを思うと、一寸考えられない話であるが、大体そういう意味の抗議文が新聞に出たことは確からしい。
ところでさらに驚いたことには、数日したら、この抗議に対する空軍省からの返答が、その同じ新聞に出たそうである。くわしいことは忘れたが、何でも英国の空軍がドイツに比して如何に劣っているかという説明があって、差し当ってはどうしても昼夜を通じて猛訓練をしなければならない、今しばらくの間であるから我慢をしてほしいという意味の返答であったということである。
それからドイツ空軍によるロンドンおよび近郊都市の爆撃が盛んになってからのことであるが、ドイツの飛行機を英国都市上空で撃墜するのは困るという抗議が出たこともあったそうである。撃墜するのは、英国の上空にはいらぬ前にやってもらいたい、都市上空で墜すと火事が起きて困る。現にわれわれの街でも、そのために何軒とかの家が焼けて、甚大な被害を蒙ったというのである。それに対しても、空軍省からの真面目な返答があったということである。
あまり話が面白すぎて、作り話のようであるが、話し手が教養の高い英国風の紳士で、ロンドンの支店長をながくつとめた人のことであるから、満更の嘘ではあるまい。それに私の短いロンドン生活の体験からも、そういうことは有り得る話だと思われる。日本とは、全くひどいちがいである。
この例には及びもつかぬとして、日本人にはとかく正当な抗議さえもしない傾向が多いという点について、少し考えてみる必要がある。こういう場合の説明として、長い間の封建制度の遺風という言葉がよく使われる。或いは言論の自由がなかったからというような説明をする人もある。しかし私には商売柄、これは科学的な精神の問題に帰するのではないかと考えられる。
自分がよくないと思うこと或いは迷惑になることがあったら、まず抗議を申し込む。先方に理窟があり、または何か事情があったら、それに返答があるはずである。その返答がなるほどと納得出来たら抗議をひっこめる。納得出来なかったら先方が悪いのである。極めて当り前な話である。何も学問の要る話でもない、教養がどうとかいうような問題でもない。あまりにも当然なことなのである。
しかしそういうあまりにも当然なことが、日本ではなかなか行われない。当然なことを当然にいったりしたりすることは、実はそう易しいことではないのである。第一何が当然なことであるかを「自分で考える」人がいない。というよりも、日常すべての問題について、自分の頭でものごとを考える人があまりいないといった方がいいかもしれない。自分の頭で考える考えないを通り越して、自分の眼で物を見ることの出来る人さえ少ないようである。
「牛の顔を見たことがあるか」ときくと、大抵の人は馬鹿にするなというような顔付をする。しかし「それなら角と耳とどっちが前にあるか」ときくと、全然知らない人が大部分である。牛の顔くらいのことはどうでもかまわないが、日常生活すべてのことに、見ているのか見ていないのかわからないような、どんよりと濁った眼をただあけているのでは心細い次第である。そういう人に自分の頭でものごとを考えよといっても無理である。
ところでそういう人たちは、ものごとを考えないのかというと、却って始終考えごとをしている人が多い。ただその考えが陰気で内攻的で、じめじめしていて、さらりと筋を通して考えるということがない。他人ひとの思わくとか、今までの習慣とか、少し意地悪い言い方になるが、潜在的利己心とかいうものが、いつでも頭の何処かにあるようである。もっともそれが人間の本性なのであって、未開人の心理は大抵そういうものらしい。理窟が合えばなるほどと思うとか、筋が通れば納得するとかいうこと、すなわち当然なことを当然と思うことは、実は人類の長い訓練の末に出て来た考え方なのである。そして科学的な考え方というのは、その本質がここにあるのではないかと思われる。
筋が通った話には納得するということと、筋の通らない話には抗議をすることとは、同じ頭の作用の両面である。それで抗議をしない国民は、真実に対しても心から納得の出来ない国民なのである。日本に本当の科学が生まれて来ない原因は、かなり深いところにあるようである。
もっとも抗議を立派に申し出るということは、なかなかむつかしい。それにはことがらの正邪を本能的に識別する精神作用が必要である。識別するというのは、鑑別するという意味ではない。正邪の判断を誤ることは少しも差し支えないので、正邪ということが第一義的に頭に働いて来ればよいのである。自分の判断が間違っていたら、さっさと訂正すればよい。
こういうふうにいうと、この頃のいわゆる民主主義を振り廻す摘発業者の行為を、抗議する義務を果しているものと考える人もあるかもしれない。しかしああいう行為は、大抵は私心が含まれているので、本当の抗議にはなっていないものが多い。ああいう連中の大部分は「押すな押すな」と制止しながら、自分だけするりと電車に乗り込む連中である。
日本人の大多数の人間が、抗議する義務を本当に身につけるまでには、まだまだ長い年月が要りそうである。科学日本の建設はその先のことであり、日本の復興はまたその先のことである。
(昭和二十二年十月)
「金を作るにも三角術を使わなくちゃいけないというのさ。義理をかく、人情をかく、恥をかく、これで三角になるそうだ。夏目漱石」
「阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。芥川竜之介」
「取らねばならぬ経過は泣いても笑っても取るのが本統だ。志賀直哉」
「大将というものはな、家臣から敬われているようで、たえず落ち度を探されており、恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているものよ。徳川家康」
「「事機」が有利に展開しているのに、それを生かせないのは、智者とはいえない。「勢機」が有利に展開しているのに、それに乗ずることができないのは、賢者とはいえない。「情機」が有利に展開しているのに、ぐずぐずためらっているのは、勇者とはいえない。軍師諸葛亮孔明」
「by europe123 」
https://youtu.be/K2baVzlE3to
寅さんシリーズより幾つか。文豪作品から中谷宇吉郎「抗議をする義務」。