箇条書き各TV局番組の良し悪し判定と消費者庁に厳重注意は違法コマーシャルの摘発及び全てのものを監視す

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 先ずは、番組表から本日分のTV番組の判定をしてみる。
 NHKのニュース報道から、小国が17キロ平米回復・・なのだが、此れを16とすると一辺が4キロの正方形になる。
 4キロは一里で昔から徒歩で一時間の目安にされていた。進軍の速度としては殆ど問題にはならない。
 今の世代は何も知らないし、又、自公も国民に大東亜戦をタブーとしているので、全く知識が無いと思って良いだろう。
 此の国が築いた大東亜共栄圏は「北は満州国・・東南アジア諸国を下がり・・海上ではミッドウエイ海戦で空母を失うまでに広大なエリアを占領していた事になる。USA本土の西海岸では、大型で航続距離が長い伊号潜水艦が浮上し、砲撃を与えた。
 因みに、ミッドウエイとはアングロサクソン五兄弟のお膝元である、ニュージーランドのすぐ近くにあたる。
 ついでにBS朝日の夜間番組である日経番組のタイトルだが「ついに食料を・・」なのだが、戦争と「資源」「食料」は武器以上に大事なものである。
 此の国の歴史上は、水攻め・火責め・敵に塩を送る・等が行われた。その意味は戦争では手段は択ばずという事である。
 特に、武器よりも大事なのが前の二つであり、此の国が大東亜戦で敗北を帰した原因として「制空権」を挙げる者もいるがそうではない・・其れはミッドウエイ以降の戦況の事に過ぎない。
 どうして「塩」なのだが、人類は水と塩が取れなければ死亡する・・争いどころではない。
 増してや、USAの支援や制裁に対処するのに、あらゆる作戦をとらなくてはならず、日経の様に平均株価でさえ景気とは全く関係が無いのとはおおちがいというもの。
 戦時中は国民も米が無く代替え食料を食べざるを得ず、戦後は貨物列車の貨物車両が地方に芋の買い出しに向かう国民で溢れかえったくらいだった。
 だから、USAは考えが足りないと言え、トランプゲームで言えばついに・・はこちらの方が先になるが、カードとして、クラスターを供与した事が、あらゆる手段を講じて良い事に繋がってしまったという事になる。
 既に何でもありでfreeなのだから・・キエフ空爆が最も小国の敗戦におびき寄せる近道となり・・最終的には「キエフに核使用」もやむを得ない事になる。
 其の時のために、NATO諸国に向けての核攻撃の準備が隣国で行われた訳である。核を保有する国は限られており、例えばUK/France・ブリュッセル等に同時に核弾頭を分離させて着弾が可能である。
 同様に、USA本土に対しても本格的な核戦争に至れば、宇宙空間から分離型の弾頭を搭載し、防空システムにより迎撃をするmissileを識別し避けて本土に着弾する事が可能になっている。
 勿論、USAからもICBMで似たようなものが発射されるが、USAの州が数十あろうと一挙に多数の州に着弾をする事になり、想定でUSAの東海岸を中心とする攻撃目標が一斉に消滅をする事になるだろう。
 核の世界中の総数を見る限り、東側諸国が圧倒をしている。また、潜水艦などはどこからでも核攻撃が出来るので、所在を掴みにくいと言えるが、所詮本土が消滅をすれば何処にいようと単独では限界があり降伏をせざるを得なくなる。
 ついでに、北朝鮮が気にしている米韓軍事演習についてなのだが、韓国は核を所持していない。
 北が制裁措置としてミサイルを発射するのは自由だが、此れに付き幾ら岸田君が抗議をしようと何等意味も無い事になり、寧ろ頭を回転させるのであれば、北に近づいた方が手っ取り早いが・・先ず見え見えの茶番をやっている様では知能的には無理だろう・・。
 北は抗議の一つとして、核に対する抗議をするのであれば、USAの原子力潜水艦や空母は動く原子炉にあたるので=危険であり・・狙うのであればこれ等を撃沈させれば、原子炉も核爆発をする事になる。
 その意味では、佐世保島に寄港する第七艦隊の原子船は此の国にとっても極めて危険であり、本来は住民が抗議をした方が良い事になる・・若し攻撃をされたらどうするのか・・?

 次の番組表からピックアップをすると・・今度はマシな番組とし・・。
 BSTBSの地球の温暖化はこのまま続くと・・青い惑星が消滅をするのか?なのだが・・すぐにどうという事は無い。
 だが、青い惑星と恒星に異常な変化がみられるのは事実だ。青い惑星は既に地軸が僅かに傾き始めており、其れに温暖化のbarrierが存在する為災害が発生する事に繋がる。
 恒星内部での異常はフレアーの発生に繋がり太陽系惑星に多大なる影響を与え、近距離の惑星では高温化され且つ、磁気嵐が起きる=人工衛星に影響をする程距離が近い。
 逆に、遠距離にある惑星は冷却が進み死の星となる。何れにしても太陽系の存続にかかわる影響が与えられる事になり、此れが進んで行くと衛星との距離が・・・現在でも少しずつ離れて行っているが・・加速をする。

 今度は、夏休みに相応しいNHKの番組表で、「上野の国立博物館」国宝・・がどうでも良いのだが、正に見て損はない程のボリュームの博物館と言え、此の国ではナンバーワンである。
 ありとあらゆる科学的な、宇宙・自然・恐竜・学問の宝庫とも言え、売店でお土産を購入する事はおそらく楽しい想い出作りに繋がるだろう。
 ただ、番組で見るよりは実際に上野で見た方が勿論良いので、家族連れのターゲットとしては相応しい。
 以前は世界四大文明の特集が行われ、四か所の建物で其々の文明の展覧会が行われたが・・今から二十年近い前の事で懐かしい・・多分、都美術館では「マチス展」が行われているか、此れからか分からないが、興味のある者は寄ってみれば良い・・また、上野動物園でパンダが見られる。

 番組表はこの辺りで終わりになる。

 季節なのだが・・実は夏は終りを告げようとしていると言ったら驚くだろうが・・7月を過ぎれば・・異常気象で8月は案外残暑厳しき折・・となり、9月の前倒しのような事になる。
 気になるのは「生態系の異常」であり、蝉を一匹見ただけで・・他の昆虫は未だ姿を現さない。
 昭和なら夏休みの宿題として昆虫採集が行われたが、今の子供達はゲームの方が夢中で、親は専ら体育競技ぐらいが楽しみなのだろう。
 生態系の異常は後に問題が発生をする事に繋がるので・・何れ又・・。
 災害が発生をするが、九月の台風が此の先どうなるのかがまっ先に注意をする事となる。
 人類の気象予報で報じられるように、初期の台風と後期の台風はコースが異なる。熱帯性低気圧の事で、太平洋に陣取っている高気圧の大きさや位置取りにより気象が変化をするので、Mongol高気圧と上下のバランスでも気温に変化などいろいろな影響が起きる。
 実に簡単な理屈で、台風は低気圧・・高気圧は苦手であるから避けて通過をする。人類の気象予報では先の事までは予測はつかない。
 本来は台風の「季語」は9月だろうが、数十年前にこんな事があった。11月に台風が発生し、地方迄出張に行った帰りに名古屋を過ぎた辺りで新幹線が止まってしまった。
 豊橋当たりの川が増水をし危険なためだった。複々線の個所では東京行きの二台の新幹線が横並びするという状況で・・まさかの出来事・・結局東京に着いたのは午前三時頃だったので、仕事は休みになった。
 台風と地震が同時に起きた事は珍しく、雨が降ると地震が起きにくくなる。
 最近集中豪雨に関連し「線状降水帯」という言葉が多く聞かれるようになった。昔から存在しており、積乱雲~雷雲~の連続が基本。台風との関連もあるが、
雨季・7月や夏は気温の上昇による発生が考えられる。 
 人類でもMSMやLFMである程度線状降水帯が発生するかどうか診断することができるが、実際にどの場所で発生し、どのぐらい停滞するか予測することは困難である。
 実際に線状降水帯そのものの発生頻度が増えているという統計解析は無いが、仮に増えている場合は、温暖化による海面水温の上昇に伴う水蒸気の蒸発量の増加と気温上昇による飽和水蒸気量の増加(水蒸気フィードバッグ)が、線状降水帯の発生を助けている要因の一つと考えられる。また降水系の動きが遅く、停滞して災害をもたらすような現象が増加している場合も何らかの気候変化が影響していると考えられる。
 また人類は、青い惑星の水蒸気輸送システムである「大気の川」と呼ばれる現象が温暖化によって強化され、線状降水帯に関係している可能性についても研究中。エアロゾルと呼ばれる大気汚染物質の微粒子の一つも関与が疑われているようだ。



 八月の人類の大移動を目前にし、「virusの感染もじわじわと迫りつつある」・・・皇室でも感染者。
 其れと、人類ではまだ関連性が報告されていないが、所謂、ワクチンの接種の副症状~副反応というよりは~として、慢性アレルギーが起きる事があり、そもそも、アレルギーとはダニや食物・その他によって起きる症状であるが、その中に此れも原因とされるが、全員に必ず起きる事では無いので案ずることは無い。
 ただ人類にとり、科学・医学・薬学は半分以上未知の分野であるので、ワクチンの種類や接種の頻度によっても影響が異なると思われる。
 virusも次第に複合的に人体に影響を及ぼす様になってきており、Coronaだけでは無いので、その点は注意を要する。
 virusの大きさは平均してもMaskの網目の50分の一程度なので、感染予防としてはマスクは全く効果は無い。
 この件については医師でさえ間違えている事が少なく無く、例えば眼科なのに何が何でもマスク着用を要求する医師~此の者は義塾の信濃町附属病院出身の後輩であるが、頑として云う事を聞かない。
 人類は分からない事でも名称を宛にする傾向があり、所謂、慶応病院・東大病院に限らず、TV局や政府はよく専門家という言葉を多用するが、それ程宛にはならない。
 現在は何処の施設に於いても、政府の指示により五類に移行し各人の判断で・・・の張り紙が至る所で見られるが決して良い事とは言えない。
 例えば、マスクで唾液の飛沫を防げる・・なのだが、virusは宇宙空間に於いては数え切れなく存在する。
 virusや菌は動物の体内がより住みやすいので、防げるものであれば治療で治せるが、一旦、マスクの網目から体外に・・或いは着用していなければ其のまま体外に排出される。
 だが、体外に出たvirusは菌程悪さをせず、例えばテーブルに付いた唾液は即死滅する為感染力は無い。
 菌は接触感染によるものが少なく無く、病院はどんな菌が存在するのかは不明なため、手洗いやアルコール消毒を励行すれば良い。
 ただ、マスク着用の有無にかかわらず、近くに感染者がいれば感染するので、却ってマスク着用で安心をする事の方が危険と言える。
 結核菌のようなものは法定伝染病であり、一般の総合病院では治療は出来ない。特別の結核専門病棟では、マスクの着用が義務付けられるが、大昔から存在していた「労咳」であり、保健所で気にする程、感染力は強くない。
 人類は何でも大騒ぎをする動物であり・・其れは分からない事が多過ぎるからである。
 例えば、松本清張の「砂の器」に登場をする「ハンセン病」~癩病~も、あの映画で見られるように、人類社会では差別をされた。
 鼻がとれるなど・・。
 ところが最も気にすべきは「性感染症」であり、菌による接触感染である梅毒は鼻がとれる・・。
 更にウイルス性の「エイズ~免疫不全症候群~」となると、早めに検査をしないで、放っておくと死に至る。
 つまりは・・勿論既に病のある高齢者や弱者は兎も角、コロナウイルスは人類同士の接近で感染をし、はしかも然り・・つまりは人類同士のconnection・contactが関係している事になり、其れをマスク着用に結びつけるのは・如何に人類の医学が遅れているのかを意味している。
 私達の仮称同化している人類はCoronavirus発生より現在に至るまで五年間程一切マスクを着用した事は無いが感染もしない・・慈恵医大病院は大病院だが、着用はされていない。
 ただ、此処のところ医師が様々な病で休業する事が次第に増えて来た。正に・・・人類の医学は半分以上仮説である事を裏付けている。
 


 
 最後に、物価の高騰はまだ継続をしており、スーパーの価額が相変わらず高騰中だが・・中には一部に便乗値上げも無い事も無い。
 以前から申し上げている様に、ペットボトルの水は各家庭で蓄えておいた方が良い。人類は塩分と水分だけでも幾らかは生存が可能。更にチョコレートなど。
 家族なら箱で購入すれば良いし、単身で自炊無しなら二本で一週間以上持つ。
「忘れた頃に災害はやって来る」



 其れでは、文豪の作品から掲載をする。


 「一本のわら」

 楠山正雄



     一

 むかし、大和国やまとのくにに貧乏びんぼうな若者わかものがありました。一人ひとりぼっちで、ふた親おやも妻つまも子供こどももない上に、使つかってくれる主人しゅじんもまだありませんでした。若者わかものはだんだん心細こころぼそくなったものですから、これは観音かんのんさまにお願ねがいをする外ほかはないと思おもって、長谷寺はせでらという大きなお寺てらのお堂どうにおこもりをしました。
「こうしておりましては、このままあなたのお前まえでかつえ死じにに死しんでしまうかも知しれません。あなたのお力ちからでどうにかなるものでしたら、どうぞ夢ゆめででもお教おしえ下くださいまし。その夢ゆめを見みないうちは、死しぬまでここにこうしておこもりをしておりますから。」
 こういって、その男は観音かんのんさまの前まえにつっ伏ぷしました。それなり幾日いくにちたっても動うごこうとはしませんでした。
 するとお寺てらの坊ぼうさんがそれを見みて、
「あの若者わかものは毎日まいにちつっ伏ぷしたきり、物ものも食たべずにいる様子ようすだが、あのまま置おいてかつえ死じにに死しなれでもしたら、お寺てらの汚けがれになる。」
 とぶつぶつ口小言くちこごとをいいながら、そばへ寄よって来きて、
「お前まえはだれに使つかわれている者ものだ。いったいどこで物ものを食たべるのか。」
 と聞ききました。若者わかものはとろんとした目めを少すこしあけて、
「どうしまして、わたしのような運うんの悪わるい者ものは使つかってくれる人もありません。ごらんのとおり、もう幾日いくにちも何なにも食たべません。せめて観音かんのんさまにおすがり申もうして、生いきるとも死しぬとも、この体からだをどうにでもして頂いただこうと思おもうのです。」
 といいました。坊ぼうさんたちはそこで相談そうだんして、
「困こまったものだな。うっちゃっておくわけにもいかない。仮かりにも観音かんのんさまにお願ねがい申もうしているというのだから、せめて食たべ物ものだけはやることにしよう。」
 といって、みんなで代かわる代がわる、食たべ物ものを持もって行ってやりました。若者わかものはそれをもらって食たべながら、とうとう三七二十一日にちの間あいだ、同おなじ所ところにつっ伏ぷしたまま、一生懸命いっしょうけんめいお祈いのりをしていました。
 いよいよ二十一日にちのおこもりをすませた明あけ方がたに、若者わかものはうとうとしながら、夢ゆめを見みました。それは観音かんのんさまのまつられているお帳とばりの中から、一人ひとりのおじいさんが出でてきて、
「お前まえがこの世よで運うんの悪わるいのは、みんな前まえの世よで悪わるいことをしたむくいなのだ。それを思おもわないで、観音かんのんさまにぐちをいうのは間違まちがっている。けれども観音かんのんさまはかわいそうにおぼしめして、少すこしのことならしてやろうとおっしゃるのだ。それでとにかく早はやくここを出でていくがいい。ここを出でたら、いちばん先さきに手てにさわったものを拾ひろって、それはどんなにつまらないものでもだいじに持もっているのだ。そうすると今いまに運うんが開ひらけてくる。さあそれでは早はやく出でていくがいい。」
 と追おい立たてるようにいわれたと思おもうと、ふと目めを覚さましました。
 若者わかものはのそのそ起おき上あがって、いつものとおり坊ぼうさんの所ところへ行いって、食たべ物ものをもらって食たべると、すぐにお寺てらを出でていきました。
 するとお寺てらの大門おおもんをまたぐひょうしに、若者わかものはひょいとけつまずいて、前まえへのめりました。そしてころんだはずみに、見みると、路みちの上に落おちていた一本ぽんのわらを、思おもわず手につかんでいました。
 若者わかものは、
「何なんだわらか。」
 といって、つい捨すてようとしましたが、さっきの夢ゆめに、「手にさわったものは何なんでもだいじに持もっておれ。」といわれたことを思おもい出だして、これも観音かんのんさまのおさずけものかも知しれないと思おもって、手の中でおもちゃにしながら持もっていきました。

     二

 しばらく行くと、どこからかあぶが一匹ぴき飛とんできて、ぶんぶんうるさく顔かおのまわりを飛とび回まわりました。若者わかものはそばにある木の枝えだを折おって、はらいのけはらいのけして歩あるいていましたが、あぶはやはりどこまでもぶんぶん、ぶんぶん、うるさくつきまとってきました。若者わかものはがまんができなくなって、とうとうあぶをつかまえて、さっきのわらでおなかをしばって、木の枝えだの先さきへくくりつけて持もっていきました。あぶはもう逃にげることができなくなって、羽はねばかりあいかわらずぶんぶんやっていました。
 すると向むこうから、身分みぶんのあるらしい様子ようすをした女の人が、牛車うしぐるまに乗のって長谷寺はせでらへおまいりにやって来きました。
 その車くるまには小ちいさな男の子が乗のっていました。男の子は車くるまのみすを肩かたにかついで、たいくつそうにきょろきょろ外そとのけしきをながめていました。すると若者わかものが木の枝えだの先さきにぶんぶんいうものをつけて持もって来くるのを見みて、ほしくなりました。そこで男の子は、
「あれをおくれよ。あれをおくれよ。」
 と、馬うまに乗のってお供ともについている侍さむらいにいいました。
 侍さむらいは若者わかものに向むかって、
「若わかさまがそのぶんぶんいうものをほしいとおっしゃるから、気きの毒どくだがさし上あげてくれないか。」
 と頼たのみました。若者わかものは、
「これはせっかく仏ほとけさまからいただいたものですが、そんなにほしいとおっしゃるなら、お上あげ申もうしましょう。」
 といって、すなおにあぶのついた枝えだを渡わたしました。車くるまの中の女の人はそれを見みて、
「まあ、それはお気きの毒どくですね。ではその代かわりに、これを上あげましょう。のどがかわいたでしょう、お上あがりといって、上あげておくれ。」
 といって、大きな、いいにおいのするみかんを三つ、りっぱな紙かみにのせて、お供ともの侍さむらいに渡わたしました。
 若者わかものはそれをもらって、
「おやおや、一本ぽんのわらが大きなみかん三つになった。」
 とよろこびながら、それを木の枝えだにむすびつけて、肩かたにかついでいきました。

     三

 するとまた向むこうから一つ、女車おんなぐるまが来きました。こんどは前まえのよりもいっそう身分みぶんの高たかい人が、おしのびでおまいりに来きたものとみえて、大おおぜいの侍さむらいや、召使めしつかいの女などがお供ともについていました。するとそのお供ともの女の一人ひとりが、すっかり歩あるきくたびれて、
「もう一足ひとあしも歩あるけません。ああ、のどがかわく。水みずが飲のみたい。」
 といいながら、真まっ青さおな顔かおをして往来おうらいに倒たおれかかりました。侍さむらいたちはびっくりして、どこかに水みずはないかとあわてて探さがし回まわりましたが、そこらには井戸いどもなし、流ながれもありませんでした。そこへ若者わかものがのそのそ通とおりかかりますと、みんなは、
「もし、もし、お前まえさん、この近所きんじょに水みずの出でる所ところを知しりませんか。」
 とたずねました。若者わかものは、
「そうですね。まあこの辺へん、五町ちょうのうちには清水しみずのわいている所ところはないでしょうが、いったいどうなさったのです。」
 と聞ききました。
「ほら、あのとおり歩あるきくたびれて、暑あつさに当あたって、水みずをほしがって死しにそうになっている人があるのです。」
「おやおや、それはお気きの毒どくですね。ではさしあたりこれでも召めし上あがってはいかがでしょう。」
 若者わかものはそういって、みかんを三つとも出だしてやりました。みんなは大たいそうよろこんで、さっそくみかんをむいて、病人びょうにんの女にその汁しるを吸すわせました。すると女はやっと元気げんきがついて、
「まあ、わたしはどうしたというのでしょう。」
 といいながら、そこらを見回みまわしました。みんなは水みずがなくって困こまっていたところへ、往来おうらいの男がみかんをくれたので助たすかったことを話はなしますと、女はよろこんで、
「もしこの人がいなかったら、わたしはこの野原のはらの上で死しんでしまうところでしたね。」
 といって、真まっ白しろな上等じょうとうな布ぬのを三反さんたん出だして、
「どんなお礼れいでもして上あげたいところだけれど、途中とちゅうでどうすることもできないから、ほんのおしるしにさし上あげます。」
 といって、渡わたしました。
 若者わかものはそれをもらって、
「おやおや、みかん三つが布ぬの三反たんになった。」
 と、ほくほくしながら布ぬのを小こわきにかかえて、また歩あるいて行きました。

     四

 その明あくる日ひ、若者わかものはまた昨日きのうのようにあてもなく歩あるいて行きました。するとお昼ひる近ちかくなって、向むこうから大たいそうりっぱないい馬うまに乗のった人が、二、三人にんのお供ともを連つれて、とくいらしくぽかぽかやって来きました。若者わかものはその馬うまを見みると、
「やあ、いい馬うまだなあ、ああいうのが千両馬せんりょううまというのだろう。」
 と、思おもわず独ひとり言ごとをいいながら、馬うまをながめていました。すると馬うまは若者わかものの前まえまで来きて、ふいにばったり倒たおれて、そのままそこで死しんでしまいました。乗のっている主人しゅじんもお供ともの家来けらいたちも、真まっ青さおになりました。馬うまのくらをはずして、水みずを飲のましたり、なでさすったり、いろいろにいたわっていましたが、馬うまはどうしても生いき返かえりませんでした。乗のり手てはがっかりして、泣なき出だしそうな顔かおをしながら、近所きんじょの百姓馬ひゃくしょううまを借かりて、それに乗のってしおしおと帰かえっていきました。その後あとから、家来けらいたちが、馬うまのくらやくつわをはずして、ついていきました。けれどいくらいい馬うまでも、死しんだ馬うまをかついでいくことはできないので、それには下男げなんを一人ひとり後あとに残のこして、死しんだ馬うまの始末しまつをさせることになりました。さっきからこの様子ようすを見みていた若者わかものは、「昨日きのうは一本ぽんのわらがみかん三つになり、三つのみかんが布ぬの三反たんになった。こんどは三反たんの布ぬのが馬うま一匹ぴきになるかも知しれない。」と思おもいながら、下男げなんのそばに近ちかづいて、
「もし、もし、その馬うまはどうしたのです。大たいそうりっぱな、いい馬うまではありませんか。」
 といいました。下男げなんは、
「ええ、これは大金たいきんを出だして、はるばる陸奥国むつのくにから取とり寄よせた馬うまで、これまでもいろんな人がほしがって、いくらでも金かねは出だすから、ゆずってくれないかと、ずいぶんうるさく申もうし込こんできたものですが、殿とのさまが惜おしがって、手放てばなそうともなさらなかったのです。それがひょんなことで死しんでしまって、元もとも子こもありません。まあ、皮かわでもはいで、わたしがもらって、売うろうかと思うのですが、旅たびの途中とちゅうではそれもできないし、そうかといってこのまま往来おうらいに捨すてておくこともできないので、どうしたものか、困こまっているところです。」
 といいました。若者わかものは、
「それはお気きの毒どくですね。では馬うまはわたしが引ひき受うけて、何なんとか始末しまつして上あげますから、わたしにゆずって下くださいませんか。その代かわりにこれを上あげましょう。」
 といって、白しろい布ぬのを一反たん出だしました。下男げなんは死しんだ馬うまが布ぬの一反たんになれば、とんだもうけものだと思おもって、さっそく馬うまと取とりかえっこをしました。その上、「もしか若者わかものの気きがかわって、馬うまの死骸しがいなんぞと取とりかえては損そんだと考かんがえて、布ぬのを取とり返かえしにでも来くると大たいへんだ。」と思おもって、後あとをも見返みかえらずに、さっさと駆かけて行ってしまいました。

     五

 若者わかものは、下男げなんの姿すがたが遠とおくに見みえなくなるまで見送みおくりました。それからそこの清水しみずで手てを洗あらいきよめて、長谷寺はせでらの観音かんのんさまの方ほうに向むいて手を合あわせながら、
「どうぞこの馬うまをもとのとおりに生いかして下くださいまし。」
 と、目めをつぶって一生懸命いっしょうけんめいにお祈いのりをしました。
 そうすると死しんでいた馬うまがふと目をあいて、やがてむくむく起おき上あがろうとしました。若者わかものは大たいそうよろこんで、さっそく馬うまの体からだに手てをかけて起おこしてやりました。それから水みずを飲のませたり、食たべ物ものをやったりするうちに、すっかり元気げんきがついて、しゃんしゃん歩あるき出だしました。
 若者わかものは、近所きんじょで布ぬの一反たんの代かわりに、手綱たづなとくつわを買かって馬うまにつけますと、さっそくそれに乗のって、またずんずん歩あるいて行きました。
 その晩ばんは宇治うじの近ちかくで日が暮くれました。若者わかものはゆうべのようにまた布ぬの一反たんを出だして、一軒けんの家いえに泊とめてもらいました。
 その明あくる朝あさ早はやくから、若者わかものはまた馬うまに乗のって、ぽかぽか出でかけました。もう間まもなく京都きょうとの町まちに近ちかい鳥羽とばという所ところまで来きかかりますと、一軒けんの家いえで、どこかうち中じゅうよそへ旅たびにでも立たつ様子ようすで、がやがやさわいでおりました。若者わかものはふと考かんがえました。
「この馬うまをうかうか京都きょうとまで引ひっ張ぱって行いって、もし知しっている者ものにでも逢あって、盗ぬすんで来きたなぞと疑うたがわれでもしたら、とんだ迷惑めいわくな目めにあわなければならない。ちょうどこのうちの人たちはよそへ行くところらしいから、きっと馬うまが入いり用ようだろう。ここらで売うって行いく方ほうが安心あんしんだ。」
 こう思おもって、若者わかものは、
「もしもし、安やすくしておきますから、この馬うまを買かって下くださいませんか。」
 といいました。するとそこのうちの人たちは、なるほどそれは有あり難がたいが、安やすく売うるといってもさしあたりお金かねがない。その代かわり田たとお米こめを分わけて上あげるから、それと取とりかえっこなら、馬うまをもらってもいいといいました。若者わかものは、
「わたしは旅たびの者ものですから、田たやお米こめをもらっても困こまりますが、せっかくおっしゃることですから、取とりかえっこをしましょう。」
 とふしょうぶしょうにいいました。
「そうですか。では馬うまをはいけんしよう。どれどれ。」
 と向むこうの男はいいながら、馬うまに乗のってみて、
「どうもこれはすばらしい馬うまだ。取とりかえっこをしてもけっして惜おしくはない。」
 といって、近ちかくにある稲田いなだを三町ちょうと、お米こめを少すこしくれました。そして、
「ついでにこの家いえもお前まえさんにあずけるから、遠慮えんりょなく住すまって下ください。わたしたちは当分とうぶん遠方えんぽうへ行って暮くらさなければなりません。まあ、寿命じゅみょうがあって、また帰かえって来くることがあったら、そのとき返かえしてもらえばいい。また向むこうで亡なくなってしまったら、そのまま、この家いえをお前まえさんのものにして下ください。べつに子供こどももないことだから、後あとでぐずぐずいうものはだれもないのです。」
 といって、家いえまであずけて立たって行きました。
 若者わかものはとんだ拾ひろい物ものをしたと思おもって、いわれるままにその家いえに住すみました。たった一人ひとりの暮くらしですから、当分とうぶんはもらったお米こめで、不自由ふじゆうなく暮くらしていきました。
 そのうちに人ひとを使つかって田たを作つくらせて、三町ちょうの田たの半分はんぶんを自分じぶんの食料しょくりょうに、あとの半分はんぶんを人に貸かして、だんだんこの土地とちに落おち着つくようになりました。
 秋あきになって刈かり入いれをするころになると、人に貸かした方ほうの田たはあたり前まえの出来できでしたが、自分じぶんの分ぶんに作つくった方ほうの田たは大たいそうよくみのりました。それからというものは、風かぜでちりを吹ふきためるように、どんどんお金かねがたまって、とうとう大金持おおがねもちになりました。家いえをあずけて行いった人ひとも、そのまま幾年いくねんたっても帰かえって来きませんでしたから、家いえもとうとう自分じぶんのものになりました。
 そのうちに、若者わかものはいいお嫁よめさんをもらって、子供こどもや孫まごがたくさん出来できました。そしてにぎやかなおもしろい一生いっしょうをおくるようになりました。
 一本ぽんのわらが、とうとう、これだけの福運ふくうんをかき寄よせてくれたのです。



 

「運命は神の考えることだ。 人間は人間らしく働けば それで結構だ。夏目漱石」

「古来賭博に熱中した厭世主義者のないことは、いかに賭博の人生に酷似しているかを示すものである。芥川竜之介」

「更にそこから生まれるもののなき博学はくだらない。知識のコレクションに過ぎない。志賀直哉」

「家臣を扱うには禄で縛りつけてはならず、機嫌を取ってもならず、遠ざけてはならず、恐れさせてはならず、油断させてはならないものよ。徳川家康」

「自分の心は秤のようなものである。人の都合で上下したりはしない。軍師諸葛亮孔明」



「by europe123 」
https://youtu.be/4--XjvMFAdo

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-07-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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