大局観とは?旧作品と文豪作品から掲載及びUSAの犯した大罪に付き。

大局観とは?旧作品と文豪作品から掲載及びUSAの犯した大罪に付き。


 大東亜戦も知らないBSフジ・プライムの番組表で見る限り、本日のお題目は「軍事学は必要か」だと・・(笑)。
 反町君・・早稲田の政経では、大東亜戦やEurope線の歴史を教えなかったようだね。
 同じ局でも「ドリフの大爆笑」の志村の方が・・思わず吹き出してしまう・・くだらないギャグなんだが・・其れが思い掛けなく受けるという面白さ。
 君の番組のキャスターは志村に限るよ・・って・・お亡くなりになったんだったな・・まだ若かったのに。
 要は、その番組は常に自民の反芻器官のようなものだから、東側を仮想敵国とした敵意を国民に強制したいという意図はよく分かる・・しかし、仮にも放送というものは誰もが見る事の出来る電波を利用しているという事を踏まえれば・・あまり、右翼的な思想を自国の戦争も知らない連中に植え付けようなど・・おこがましいギャグと言えそうだな(笑)
「軍事学と言ってしまうと、最も広い意味において「社会科学のみに有らずして、自然科学や・・要は・・総合的に見ると戦争、軍事力、戦略、戦術、統率、兵器さらに政治、地理、工学などのあらゆる事についてという意味になる」。
 少なくとも、日米韓協議ばかりやっているのでは遊んでいる様なものと言え、国民の糧(かて)にもならぬ茶番劇という事になる。
 茶番と言えば・・岸田君の事件だが・・その真相に付いて特集をした方が良いのでは?「威力業務妨害」って、せいぜい罰金や懲役刑でも三年以下が多いんだよ・・民事・損害賠償にも関連する事もあるが、総じて軽い刑罰と言える・・どうして「殺人未遂」としないのかは、勿論、動機や因果関係に容疑者の意思が最も重視される・・。
 安部君の事件には弁護団が付いているのに、この件では国選弁護人とは・・?
弁護人を付けたり外したりできるのは、刑事訴訟法で「国」だけとなっているのだが・・(笑)
「憲法九条の改正はあってはならず、此の国に軍事力など不必要であり、国民投票では絶対に政府の企(たくら)みに騙されてはならない」等、人類の自由であるから・・所詮支持率は20%台まで下がり続けているし・・言わずもがなである・・。 
 
 本日は全く時間が無いので旧作と文豪作品を貼り付けてお終い。


 

 George21~連合軍側の紫電改のコードネーム。


 山田幸雄は小学5年生。学校から帰って来ても、母は近くのスーパーでパートで働いているから一人ぼっちだ。父は一昨年病で亡くなった。
 母から、帰ってきたら宿題をやってから遊ぶ事と言われているので、宿題をやった。プラモデルを持って風呂に入った。給湯器で温められた湯に戦艦大和を浮かべて遊んでいたが、飽きて来たので大和を湯の中に沈めた後、「大和、発進!」と言いながら手を放すと、大和は湯の中からゆっくりと浮上して来た。
 あまり水を入れると壊れるかとちょっと心配しながら、風呂を出て母が作ってくれた遊び着に着替えた。シーンと静まり返った部屋は何となく寂しいので、テレビをつけた。「男の人が、先週・・国の航空機が飛来したので、スクランブル発進した自衛隊機がロックオンされた件で・・」
 幸雄はリモコンでチャンネルを変えたが、面白そうなアニメとかはやっていない。大和をタオルで拭いてから、乾かそうかと窓際に置いた。今度は、プラモデルの紫電改を持って表に出た。父が亡くなってから、この住宅に引っ越しして来たばかり、母が家賃が安いからと言っていた。だから、まだ一緒に遊んでくれる友達はいない。父が生きている間に一緒に作ってくれたものだから、二つのプラモデルには父の想い出が。
 父が作りながら、
「幸雄さあ。この紫電改と言う飛行機は、USAのF6F ヘルキャットに似ていたから、味方の陸軍機や大和からも間違えられて誤射される事もあったんだよ。昭和26年に来日した米空軍将校団の中にアメリカで紫電改をテストした中佐がいて、『ライトフィールドで紫電改に乗って、米空軍の戦闘機と空戦演習をやってみた。どの米戦闘機も紫電改に勝てなかった。ともかくこの飛行機は、戦場ではうるさい存在であった』って言っていたんだ。こんな話、幸雄にはちょっと難しかったかな。でもね、最後の飛行機として優秀だったんだよ」。
 幸雄は難しい言葉は理解できなかったが、優秀な飛行機だとは思った。



(1945年(昭和20年)3月19日343空は初陣で米艦上機160機に対し、紫電7機、紫電改56機で迎撃して、米軍機58機撃墜を報告した。日米双方に戦果誤認はあったが、日本最後の大戦果となった。343空の活躍で戦後は「遅すぎた零戦の後継機」として認知され、零戦、隼、疾風と並ぶ代表的な日本軍機として一般に認知される。米技術雑誌『ポピュラーメカニック』では、米空軍の試験で紫電改のマグネットを米製に替え、100オクタン燃料を使って空軍で飛行した結果、速力はどの米戦闘機にも劣らず、機銃威力は一番強いと紹介された。 ピエール・クロステルマンの著書「空戦」では、紫電改が高度6,000mでP51マスタング44年型と同程度のスピードを発揮したことからマスタング44年型のカタログスペックを基準とした最高速度時速680km説を採用しており、当時の連合軍の空軍関係者はその程度の速度と認識していた。)



 一人で遊んでいる内に、幸雄はおかしな事に気が付いた。
 周りが止まって見える。人や公園のブランコも。
 見た事も無い様なスクリーンの様なものが、幸雄の目の前の空間に浮かんでいる。
 スクリーンには何処かの国の飛行機が何機か飛んでいる映像が。突然、幸雄の持っている紫電改と同じ飛行機の編隊が、30機くらい雲の中から次々に姿を現し、それらの飛行機の正面に。画面はアップされ、その飛行機の操縦席にいる何処かの国の人がビックリしている、紫電改を見て急回避する。何機かの紫電改は旋回をして相手の飛行機の後ろにピタリとつけた、あとの紫電改は相手の飛行機を周りから取り囲んでいるから、相手の飛行機は動くに動けない、接触しそうなくらいに近付けている。紫電改にしては、速度が異常に速すぎる。幸雄の持っているモノと違うところは日の丸の赤が見えない。
 突然、画面が変わった。(北緯30度43分 東経128度04分、長崎県の男女群島女島南方176km、鹿児島県の宇治群島宇治向島西方144km)。海中から巨大な戦艦が浮上して来た。46cm主砲3基9門を備えているから、多分、大和だろう。それにしては、先端に菊の紋章が無いし、後方の海軍旗が無い。
 幸雄は笑いながら、「何だ、さっきのお風呂と同じじゃない」。
 大和は空に向け、主砲を次々に発射、凄まじい音がする。幸雄は、それを見て耳を両手で塞ぎながらも感動している。一方、何処かの飛行機は、あっという間に遠ざかって行った。
 夕闇が迫って来る。何時の間にかスクリーンはその闇に溶け込むように無くなり、母が幸雄を呼ぶ声がする。
「お帰り」。幸雄は、買い物袋を重そうに持っている母に近付くと、一緒に袋を持ってやりながら、「宿題は全部済ませたからね」と言うと、母はニコッと笑った。
 母はテレビをつけた。「・・来季の防衛予算は・・」
 リモコンのチャンネルを変えた、「天皇交代に使用する車は8000万円・・」。
 またチャンネルを変える。「・・UKと言えばバッキンガム宮殿を思い浮かべる方も多いでしょうが、世界でも珍しい現役の宮殿ですが。実際、エリザベス女王は平日はここに住み、実務に当たっています。(週末はウィンザー城に滞在。)要は女王の家を一般観光客に公開しているわけで、寛大な王室だと言われておりますが、この一般公開の入場料も、立派なイギリス王室の収入源。
 ちなみに、中で売っているグッズも立派なイギリス王室の収入源。
 実は、イギリス王室は、こういった観光収入や不動産収入により、自分たちで稼いだお金で生活してるんですよね。(日本の場合は、皇室の費用は国家予算で賄われてます。)今日は評論家の・・さんをお招きしてこういった事について伺いたいと思いまして・・」。



 母は、すぐにテレビを消しながら、「生活するだけで精一杯、関係無い・・」と言いながら、腰を叩き、背を伸ばす。
 幸雄は学校で、「天皇は象徴」と習った。そこで、母に、「母さん、象徴って何?総理大臣とどっちが偉いの?」
 母は、室内を忙しそうに歩きながら、「ええ?天皇?戦争中はね、兵隊さんが「天皇陛下万歳」って言って死んでいったそうだよ。本当は、「母さん」って言って死ぬ人が多かったらしいけどね。そういう事はお父さんが生きてればね、詳しかったんだけど。でも、総理大臣ってのは、始終変わるから、頭のいい人が総理大臣になってくれれば、生活も楽になるかも知れないけど、まあ、無理だね。金の無駄遣いばかりして、全く役に立たない人間ばかりだね」



 幸雄は両手にプラモデルを持ちながら呟いた。「あれは、きっと、お父さんが見せてくれたんだな」
 幸雄は、晩御飯の支度をしている母の背中を見ながら、「お母さん。明日休みだったよね」
 母は菜を刻んでいる手を止め振り返ると、「ああ、偶には休まなきゃ、これだよ」と、肘枕の仕種をする。
 幸雄は微笑みながら、「ならさあ、明日の朝はゆっくり寝てなよ。それから、お父さんのお墓参りに行こうよ」
 幸雄は布団に入ってから、横に寝ている母を見た。よっぽど疲れているのだろう。もう寝息をたてている。
 幸雄はそんな母に、「有難う。僕の為に一生懸命働いてくれて」。
 そして、眠くなったから良くは分からなかったけれど、父がこちらを見ていて、ニッコリ笑いながら、「どうだった?少しは面白かったか?」と言ったような気がした。
 幸雄は眠くてもう限界だ、「父さん明日、会いに・・お休み・・」と言いながら、夢の底に落ちて行った・・。


 まん丸な月が、小さな窓の開いている隙間から、光を注ぎながら、
「頑張れよ!俺も見ているから」。


 戦争責任者の問題

 伊丹万作



 最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏ほきようにつとめていたのであろう。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱せいじやくな自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
 しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
 たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
 しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
 なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)


 アメリカ合衆国の戦争犯罪

 第二次世界大戦中の無差別都市爆撃(とりわけドレスデン爆撃・東京大空襲)や日本への原子爆弾投下(広島・長崎)などは戦争犯罪ではないかと主張されることもあるが、戦勝国であるアメリカ合衆国が裁かれることはなく、責任者も処罰されていない。また、無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイ自身が「もし我が国がこの戦争に敗北していたら、私は戦争犯罪人として処罰されていただろう。幸運なことに、我々は勝者になった」と語っている[1]。

他にも、少なからず人種差別的感情に起因すると見られる日本兵に対する猟奇行為(切断や一部の持ち帰りなど遺体のトロフィー化)や虐殺(わざと捕虜にせず攻撃を加えるなど)が太平洋戦争では珍しくなかったという。さらに、ベトナム戦争においては、非戦闘員の虐殺、捕虜虐待などがアメリカ国内でも問題にされたほどであった。その後もイラク戦争などにおいても、非戦闘員を巻き込む戦闘行動や捕虜虐待など戦争犯罪と疑われるべき行為が報告されている。ここでは、正式に裁かれることはないが、被害者や第三者の側から戦争犯罪であると主張される事柄について述べる。


 大東亜戦争(第二次世界大戦)
阿波丸事件:アメリカと日本が安全を保障していたが、2000人強が乗る貨客船阿波丸を撃沈。ただし、日本は協定を破って戦略物資を積み込んでおり、正当な攻撃目標とする意見もある。
ぶゑのすあいれす丸撃沈:1000人強が乗る病院船を爆撃し撃沈。
日系人の強制収容:アメリカ市民権を持つ持たないに関わりなく日系アメリカ人を強制収容し、中米、南米の日系人もアメリカに移送、強制収容した。
ドイツ人捕虜への不当な扱い(ダッハウの虐殺など)
投降した一般市民への不当な扱い、虐待・殺害・略奪・放火・強姦等。サイパンの戦いにおける民間人への凶行・虐殺が田中徳祐(陸軍大尉・独立混成第47旅団)の著作『我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実』により記述されている。
無抵抗の敵兵員に対する不必要な攻撃行為、撃沈された艦から脱出した敵兵に対して銃撃を加えるなど。
無制限潜水艦作戦による非武装民間船舶に対する不当な攻撃(これは潜水艦を有する参戦国のほとんどで実行された。)
モンテ・カッシーノの戦いに代表される歴史・文化遺産に対する不当な攻撃
ビスマルク海海戦:日本人漂流者に対して機銃掃射及び、救助の放棄。
マニラ大虐殺:少なくとも4万人以上のマニラ市民がマニラの戦い時にアメリカ軍の重火砲により犠牲となった。ただし、占領地の民間人の安全は占領している側の責任となるため(そうでなければ「人間の盾」が許容されてしまう)、アメリカの責任とするには無理がある。またこの時抗日ゲリラを掃討しようとした日本軍による民間人虐殺事件も起きている。
レイプ(戦時性暴力):ノルマンディー上陸作戦時にフランスやドイツで多数のフランス人・ドイツ人女性がアメリカ軍兵士 (多くはアフリカ系の黒人兵士であったという)にレイプされる事件が多発した[2][3]。
無差別戦略爆撃
東京大空襲等に代表される日本諸都市への無差別絨毯爆撃(日本本土空襲[4][5])
ドレスデン爆撃等に代表されるドイツ諸都市への無差別絨毯爆撃
漢口大空襲に代表される同盟国市民もろとも敵軍を焼き払う無差別絨毯爆撃
日本への原子爆弾投下 - 広島市への原子爆弾投下・長崎市への原子爆弾投下[6]
国際法の上で定義される非戦闘員や非軍事施設に対する不必要な攻撃行為(列車や家屋、民間人に対して銃撃を加える、など)[注釈 1]
機銃掃射
機銃掃射による民間人、赤十字車両への攻撃

湯の花トンネル列車銃撃事件
大山口列車空襲
筑紫駅列車空襲事件
那賀川鉄橋空襲
多治見空襲
保戸島空襲
毒ガス使用
バーリ港事件→ドイツ軍が先に使用した場合に備える、と言うことで持ち込まれたガス弾を運んでいた輸送船が撃沈され、溶け出したガスによって生存者と救助隊が被災。積極的に使用したのではないことに注意。
遺体損壊
米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断
第二次世界大戦後
朝鮮戦争
老斤里事件
ベトナム戦争
枯葉作戦(枯葉剤)
ソンミ村虐殺事件
北爆(捏造したトンキン湾事件を根拠とした)
アメリカ軍によるドミニカ共和国占領 (1965年-1966年)
リビア爆撃 (1986年)
パナマ侵攻
イラク戦争[10]
アブグレイブ刑務所における捕虜虐待
アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)[11][12]
シリア空爆 (2019年)[13]
カブール空爆[14]
脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ 軍が守る防守地域・軍に利する建物や、交通網への爆撃は認められている[7]。民間人への規定がされたのは、1977年のジュネーブ条約 第一追加議定書51条[8]。これにはアメリカをはじめ24ヵ国は締約しておらず[9]、枢軸国の無差別爆撃も空戦法規違反で起訴されていない。
出典
^ 鬼塚英昭『原爆の秘密「国内篇」昭和天皇は知っていた』117頁、成甲書房
^ 沈黙という問題 --占領軍兵士によるドイツ女性の強姦 著者:Grossmann Atina 訳:萩野美穂「思想」898:136-159
^ 兵士とセックス 第二次世界大戦下のフランスで米兵は何をしたのか? 著者:メアリー・ルイーズ・ロバーツ 訳:西川美樹 発行所 明石書店 ISBN 978-4-7503-4234-4
^ INC, SANKEI DIGITAL (2015年3月5日). “【戦後70年〜大空襲(1)】なぜ米軍は東京大空襲を機に無差別爆撃に踏み切ったのか?(1/3ページ)”. 産経ニュース. 2023年1月30日閲覧。
^ “東京大空襲とは – 東京大空襲・戦災資料センター”. 2023年1月30日閲覧。
^ “山本太郎議員の国会質問がまた話題 「原爆投下や大空襲は米軍の戦争犯罪では?」”. J-CAST ニュース (2015年8月26日). 2023年1月30日閲覧。
^ 城戸正彦『戦争と国際法』(改訂)嵯峨野書院〈松山大学研究叢書 第21巻〉、1996年9月、174-176頁。ISBN 4782301715。
^ “ジュネーブ諸条約 第一追加議定書”. 外務省. p. 64. 2022年3月7日閲覧。
^ “ジュネーヴ諸条約等 締約国”. 外務省. 2022年3月7日閲覧。
^ “アメリカ軍、イラクで大量虐殺 住民880人殺害、1800人負傷 「虐殺支援」の自衛隊”. 長周新聞 (2004年4月15日). 2023年1月30日閲覧。
^ 「米兵のアフガン民間人殺害、部隊内では公然の秘密=米誌」『Reuters』、2011年3月29日。2023年1月30日閲覧。
^ “アフガン民間人殺害で軍法会議、駐留米兵の1人が有罪認める”. www.afpbb.com. 2023年1月30日閲覧。
^ “米軍がシリア空爆での民間人ら80人殺害を隠蔽か”. テレ朝news. 2023年1月30日閲覧。
^ “民間人10人を殺害したカブール空爆、米軍の責任は問わず 米国防総省”. CNN.co.jp. 2023年1月30日閲覧。
関連項目
連合軍による戦争犯罪 (第二次世界大戦)
極東国際軍事裁判(東京裁判)
ニュルンベルク裁判
軍事目標主義
アメリカ帝国 - 死の部隊


「愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ。夏目漱石」

「他人を弁護するよりも自己を弁護するのは困難である。疑うものは弁護士を見よ。芥川竜之介」

「金は食っていけさえすればいい程度にとり、喜びを自分の仕事の中に求めるようにすべきだ。志賀直哉」

「いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。徳川家康」

「事を謀るは人に在あり。事を成すは天に在り。軍師諸葛亮孔明」



「by europe123 」
https://youtu.be/N6mykOAclrI
 

大局観とは?旧作品と文豪作品から掲載及びUSAの犯した大罪に付き。

大局観とは?旧作品と文豪作品から掲載及びUSAの犯した大罪に付き。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-07-20

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