騎士女子❤仮面相談
Ⅰ
「あっ」
こちらも。
「あー」
共に。気まずいというより微妙な顔になる。
「こほん」
せき払い。先にとりつくろったのは。
「校長に用事?」
かすかながらも。
年上であり教師である余裕を見せようという態度だ。
騎士としても上位である。
そんな相手に対し。
「はい、用事です。パパに」
にっこり。
言う。
セリフの『パパ』のところを強調して。
「………………」
ぐぐっと。
ゆがんでいく。こらえようなく。
「……そう」
それだけ言うのがぎりぎりだった。
情けない。
思っている間もなく。
「ほな、失礼しますー」
「あっ」
止める。思わず。
「……なんです?」
「それは」
続かない。
「邪魔するんですか」
にっこり。したまま。
「意外といじわるなんですねー、フリーダ先生」
「っ!」
ひきつりがはっきり。
「ち、違う!」
ふるえる。
が、プライドでかろうじて押しとどめ。
「いじわるとかじゃなくて、あたしはただ」
「ただ?」
「ただ」
なんだろう。
それをはっきり認めることは。
「やっぱり」
にんまり。勝ち誇ったように。
「いじわるやないですか」
「っ」
言い返せない。
(く……)
屈辱だ。
しかし、それを認めることはより以上に。
(ああっ!)
うだうだと。うだうだが頭の中にはびこっている。
「なに、頭ふってるんです」
「こっちの都合だよ!」
言い放つ。
「シルビア!」
呼び捨てて。
「ここでの金剛寺さんは父親であるより先に学園長だ!」
「そんなこと」
言われるまでもない。余裕は保たれたままだ。
「なら!」
そこへ続けざま。
「学園の仕事で忙しいのもわかってるはずだろ! そんな金剛寺さんの邪魔になるような」
「おい」
やれやれと。
「あっ」
「パパー❤」
わざとらしく。語尾にハートまでつけて。
「っっ」
これ見よがしに抱きつかれ、どうしてもひきつりは抑えられない。
「おまえたち」
大きな手で。自分の顔を押さえながら。
「言っていた通り、ここは学校だ」
「ですよね!」
味方してくれた! そんな思いで身を乗り出すも。
「なら、もうすこし静かにするべきだろう」
「う……」
言い返せない。
「俺はな」
かすかに。その大きな身体に疲れをにじませ。
「学園長などという分不相応なことをさせてもらっている身だ」
「そ、そんな」
とんでもない。
適任。誰もがそう思っているだろう。
たとえ――
(……っ)
だめだ。
いまでも『そのこと』を思い出すたび、胸に痛みが走る。
(いやいや)
己を奮い立たせる。
本人がこうして堂々としているのだ。周りの者が気にかけることは、かえって侮辱するに等しい。
だからこそ。
「学園長」
こちらも。堂々として。
「いまのサン・ジェラールは学園長抜きには成り立ちません」
事実、そうなのだ。
〝騎士の学園〟があるこのサン・ジェラール島を中心にして起こった自分たち現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)と宿敵・来世騎士団(ナイツ・オブ・ヘヴン)の全面戦争――〝大戦〟。その傷はいまだに深く、世界中に散らばっている〝騎士団〟各区館も建て直しにかかりきりになっている。次代の騎士を育てるための〝学園〟ではあるが、とてもそちらにまで積極的な援助の手が及ばない。現状の人員でなんとかしていくしかない。
そんな中、教職員たちの精神的な『支柱』となれる人物は他にいない。
断言できる。
「フリーダ先生の言う通りや」
こちらも。そこに関しては同じ気持ちだと。
「ふう」
「!」
目を見張る。共に。
ため息。
そんな弱気な様はきわめてめずらしいと言っていい。
「シルビア」
「な、何?」
思わずと。抱きつくのをやめ、気をつけをする。
「何か用事か」
「いや、だって、ウチかてここの騎生(きせい)やし」
言いわけじみたことを口にしていると気づいたのだろう。
すぐに居住まいを正し。
「これ!」
「ああ」
渡された小さな包みに「そうか」という顔になる。
あらたな息が落ち。
「いかんな」
「そうや。パパのためにって愛情こめて作ったお弁当やで」
「えっ」
思わずの。
「あ……」
はっと。手を口に当てるも遅く。
「ふふーん」
勝ち誇ったように。
「気になりますー?」
「べ、別に」
「ですよねー。関係ないですもんねー」
「関係なくは」
ある。
「おい」
苦笑しつつ。
たしなめるように。
「自分が作ってきたように言うな」
「えへへー」
「えっ」
ということは。
「心配してたで。パパがみんなのお手製弁当忘れるなんて初めてやから」
(ああ)
そういうことか。
家族として共に暮らしているたくさんの子どもたち。それが〝父〟のためにと作ったものなのだ。
(そういえば、いつもお弁当だったよな)
早とちりに赤面する思いだ。
「しかし、なぜおまえが」
「忙しいパパの邪魔したら悪いからって。それでウチにタイミングのいいとき渡してほしいって。やー、さすが金剛寺家の子やね」
得意げに。
(タイミングの)
いいときなのか、いまが。
いや、自分もそう思ってこうして会いに来たのだが。
(う……)
結果としてだが、こんな『最悪』とも言えるタイミングに自分的にはなってしまっていた。
「おまえも」
大きな手が。頭の上に置かれる。
「金剛寺家の子だろう」
「そやね、パーパ❤」
またも。甘える声にどうしようもなく胸がざわつく。
「だったら」
かすかに険しい目で。
「教師に敬意を払うべきということもわかるな」
「えっ」
「フリーダ先生」
あえて。『先生』をつける。
「娘が失礼な態度をとった」
頭を下げる。
「パ、パパ」
あわてる。てきめんに。
「なんで、パパがあやまるん。悪いのは」
くっと。言葉につまるも。
「ウチやし」
小さく口にすると、さっぱりとした態度で。
「すいませんでした、フリーダ先生!」
言う。大きな声で。
「それで」
「えっ」
こちらを見られてはっとなる。
「何か用があってきたのではないか、先生も」
「あ、は、はい」
あたふたと。
「これです」
手にしていた書類を渡す。
「放課後の会議の資料で」
「そうか」
笑顔を見せる。
「あ」
思わず。
身体が前に出そうになる。
同じように。頭をなでてもらえるのではないかと。
(……って)
あり得ない。
自分はもう――大人なのだ。
「失礼します」
一礼して背を向ける。
(………………)
それでも。
「……っ……」
未練は。あった。
「学園長!」
ふり返る。
「自分は」
そこからが続かない。
(あたしは……)
言えない。
昔のように。
あのころのようには――
「お兄ちゃん!」
飛びつく。
「おっと」
驚いて。受け止める。
「おい」
困ったように。
それでも笑みを見せ。
「レディがすこしはしたなくはないか」
「家族だったらいいでしょ」
「家族……」
切なげに。目を細める。
「あたしたちは家族よね、お父さん」
ふり返る。
大柄な身体に似つかわしい無骨な顔にわずかな笑みが浮かぶ。
「すまないな」
「いえ」
満更でもない。そんな響きを感じ、うれしさのまま厚い胸板に顔をうずめる。
実際。『親子』に見えるくらい似ているとは思う。
どちらも肩幅の広いがっしりとした身体つき。端正とは言えないながら精悍とは十分に言える凛々しい顔。
そして、共に騎士なのだ。
「へへっ」
「なんだ?」
不思議そうに。
「なんでもない」
あらためて。胸に顔をうずめる。
父と娘の二人家族。
そこに現れた年上の〝兄〟は、それだけで心ときめく存在だった。
「金剛寺」
聞き慣れた低い声が届く。
「メシにするぞ」
「はい」
そっと。離される。
「あたしも!」
あわてて。夕食の準備に向かうその後に続く。
(うお……)
相変わらずと言っていい。
ほぼ作り終えられている父の料理は見事だった。
器用なのだ。
そこだけは違いと言っていい。
(あたしだって)
と言いたいところだが、とてもこのようにはできない。
「何をむくれている」
頭に手を置かれる。
(あ……)
変わった。思う。
父も。
一人の青年が槍技や体術の教えを請いにやってくるようになってから。
「アレックスさん」
言う。
「やはり、自分までこんな」
「つまらないことを言うな」
手が。
代わって置かれる。
「騎士が下の者の面倒を見るのは当然のことだ」
「そうだよ、お兄ちゃん!」
「いや」
思いがけず。
「おまえは違う」
「違わない!」
言い張り。
「ハッ!」
跳ぶ。
「お、おい」
驚く〝兄〟の肩に。
あざやかな宙返りでまたがってみせる。
「えへへっ」
得意げに。
「ふぅ」
やれやれと。頭をかかえられる。
「すこし前からこの調子でな」
「すこし前じゃない!」
ずっと。決めていたのだ。
「あたしも騎士になるから!」
二人と同じに。だって。
(家族だから)
噛みしめるように。これからもずっと――
「はぁーあ」
ため息。
(いかんな)
頭をふる。
学園長室前での出来事から。どうにも気持ちが沈みがちだ。
(よけいなことまで思い出して)
よけいなことでは決してないのだが。
しかし、いまは。
(あたしはここの教師で仕事中だ)
そして、騎士。
子どものころの夢を自分は実現させている。
けど、それは本当に――
「ああっ!」
頭をふる。油断すると、すぐまたうだうだにつかまってしまう。
「よし!」
パンッ。頬を叩いて。
「みんなの調子でも見に行くか!」
気合を入れる。
現在、直接指導をしている生徒――騎生はいない。その分、遊軍的に各指導にかかわっており、以前よりある意味では多忙と言える。
「よーし!」
再び。気合の声を放ったところで。
「ふふっ」
はっと。
それは聞き覚えのある――
「あっ!」
ふり向いた。その目が見開かれる。
「元気そうね」
とっさに。声が出ない。
「もうすっかり教師が板についた?」
「ネ……」
名前を呼ぶと同時に、
「ネクベ!」
飛びついていた。
Ⅱ
「ネクベ先生!」
飛びつく。
「はは……」
先ほどの自分とまったく同じ。さすがに傍で見ていて恥ずかしくなる。
「ちょっ……錦」
苦笑しつつ。
「もー、あなた、また大きくなったんじゃない」
「成長期ですから」
まだかよ、と心の中でツッコむ。得意そうにしているその様は確かに幼く見えるが。
「でも、元気でよかった」
微笑む。
「えへへっ」
こちらも。まさに親に接する子どものように。
(あーあ)
かすかに。嫉妬めいたものは感じる。
そもそも『代理』だった。
けど、それなりに教え子に対する愛着というものは育っていたのだ。
(ま、これで)
卒業、ということにはなるのだろう。
「フリーダ」
見られる。
「ありがとう、この子たちのこと」
「やめろって」
笑う。
「あたしとあんたの仲だろ」
「ふふっ」
笑みが返る。
「さてと」
「えっ」
「先生」
向けた背に驚きの声が重なり届く。
「どこ行くのよ、あなた」
「決まってるだろ」
やはり。胸の痛みは感じつつ。
「あんたのこと。金剛寺さんにはまだだろ」
「ええ」
「だったら」
背を向けたまま。
「引き継ぎってやつをな」
「待って」
止められる。
「わたしは」
わずかに。口ごもりつつ。
「ここに戻れるかどうか、まだ決まってない」
「えっ」
「ええっ!」
今度はこちらで驚き声が重なる。
「どういうことですか!」
詰め寄る。
「ぼく、だって、また先生に教えてもらえると思ったから」
「落ち着きなさい」
たしなめる。完全に子どもに対する親そのものだ。
(いや、まあ)
騎士としての『親』ではある。
学園から生まれたどこの区館にも属さない騎士。
その師匠であるのだから。
「あなたは」
言う。
「もう〝大騎士(アークナイト)〟なのよ」
「はいっ」
従騎士のような従順さで。うなずく。
「だったら」
諭す。
「次は〝権騎士(プリンシパリティ)〟を目指さないと」
「えっ」
思いがけない。
「フリーダ先生のもとでね」
「ええっ!」
重なる。またも。
「おいおい、ネクベ」
詰め寄りかけたところで。
「おい」
「えっ」
向きを変え。
「なんだ、おまえの『ええっ』は。あたしが教師じゃ不満か」
「ち、違いますよ!」
あたふたと。
「けど、フリーダ先生はネクベ先生じゃないじゃないですか!」
「あのなあ」
当たり前だ。
「はあ」
ため息を一つ。
「すまん、ネクベ」
あやまる。
「こいつがこんなアホのままで」
「アホじゃないです!」
ぷんぷんと。
「アホを矯正しきれなかった」
「しきろうとしてたんですか、先生は!」
ぷんぷん!
「ふふっ」
笑う。
(ネクベ……)
良かった。思う。
こんな風に快活に笑えるようになって。
「本当に元気ね、あなたは」
「元気です!」
(アホだ……)
やはり。思ってはしまう。
「まあ、アホ矯正の話は置いといて」
「置いておかないでください! どっかにやっちゃってください!」
「ネクベ」
真面目な顔で。
「どういうことだ」
「………………」
複雑な表情を見せ。
「アフリカ区館のことよ」
「けど、それは」
そう。
教職から離れることになったのは、所属する区館の『不祥事』が理由だ。
しかし〝大戦〟における全騎士一丸となっての奮闘で名誉を回復し、そのために教職復帰もかなってこうして戻ってきた。
そう思っていたのだが。
「正直、迷ってる」
そして。語り出す。
先日、アフリカ区館で起こった〝事件〟のことを。
「え……」
血の気が引く。
「生贄って」
それだけを口にし。絶句する。
正直、想像を絶していた。
「だから」
真摯な目で。
「支えたいという気持ちはある」
「それは」
その通りだろう。
「あたしも」
何か力になると言いかけ。
「っ……」
なれない。できることが思い当たらない。
それではあまりにただ無責任な言葉にしかならない。
「先生」
同じ気持ちなのだろう。雨に濡れた子犬のような目を見せる。
「いいのよ」
そんなこちらの想いは伝わっていると。微笑む。
「姉さ……館長は学園の力になりなさいと言っている。それが将来の〝騎士団〟のためだからと」
(ウアジェ館長)
立派だ。各区館で温度差がある中、設立当初から積極的な援助を惜しまなかったことは伝え聞いている。
「だったら」
身を乗り出す。
「その、やっぱり、先生には戻ってきてほしいと」
「錦」
肩をつかむ。
首をふってみせる。
「う……」
ますますしょげた子犬のようになる。
(ガタイはいいくせに)
いまここにいる三人の中で、最も長身なのはこの騎生であったりするのだ。
「で」
あえて。余計な負担を感じさせないような軽い調子で。
「おまえはどうしたい」
「わたしは」
言葉につまる。と、頭をふり。
「わたしがどうしたいかなんて問題じゃない」
「いや問題だろ、それは」
「問題じゃない」
くり返す。
「〝騎士団〟全体にとって何が大切かよ」
「大げさだな」
肩をすくめる。
「おまえは館長でも何でもない。わたしと同じただの〝主騎士(ドミニオン)〟だろう」
それは騎士の位階・四位。上位手前ではあるものの中位の騎士だ。
「『ただの』って何よ」
かすかに。むきになった顔で。
「どこの区館でも十分に幹部クラスよ。現に学園での指導だって任される立場で」
「それとも」
さえぎって。
「館長の妹だから特別だとでも思ってるの」
「はあ?」
険悪な。空気が漂い出す。
「えっ、せ、先生」
間に挟まれてあたふたとなる中。
「わたしがいつ『特別』なんて言った」
「けど、あんたはいつも『姉さん』『姉さん』だろ」
「それは、だって、姉さんだし」
「だから、その『姉さん』じゃなくてあんたはどうだって聞いてるんだよ」
「わたしは」
ぽつり。つぶやく。
「悔しかった」
「えっ」
思いがけない返答。
「ここにいられなかったことが」
言葉は続き。
「〝ヘヴン〟に攻めこまれて大変だったってときに。わたしは教え子たちのために何もできなかった」
「ネクベ……」
それは〝大戦〟の。
「あのときはどこも大変だったんだ」
「比べ物にならないわよ!」
声が張られる。
「ここには五百人の騎士しかいなかった。しかも、そのほとんどが下位騎士よ。そんな地獄みたいな戦場で」
「ネクベ」
心持ち。声を強めて。
「仕方がなかった」
言う。
「あのときは全員が必死だった。もちろんおまえもだ」
「でも」
「わたしは」
肩に手を置く。
「おまえの分まで戦ってたつもりだった」
「えっ」
「当たり前だろ」
笑う。
「ここの本当の教師はおまえなんだから」
「フリーダ先生も!」
あわてて。声が張られる。
「先生だよ。ぼくたちの」
「おう」
ぶっきらぼうに返すが、胸にしみるものはあった。
「……わたしは」
再び。口を開く。
「学園のために働きたいの。あのときの分まで」
「だから、それは」
「働きたいの!」
駄々っ子のように。
「だけど」
やはり子どものように。しょげて。
「姉さんの力にいまはほんのすこしでもなりたいって気持ちも……嘘じゃなくて」
「わかった、わかった」
鷹揚に。
「このフリーダお姉さんに任せな」
「同い年でしょ」
あきれる。
「いや、あんた、先天的に妹っ子かなって」
「何よ『妹っ子』って」
「たぶん、妹属性の強い人のことじゃないですか」
「って、真面目に言わなくていいわよ!」
「じゃあ、甘えん坊?」
「簡単に言いすぎよ!」
弾ける。笑いが。
「さてと」
ぽんぽん。頭に手を置く。
「あんまり、あせって決めるなって」
「あせってるわけじゃ」
そう言いつつ。表情がやわらぐ。
「……ありがと」
「いいって」
笑う。こちらも。
「なーんか」
笑みを返し。
「すっかり先生ってカンジね」
「はい! すっかり先生です!」
「おまえが言うな」
軽く小突く。
「ふふっ」
「なんだ。なに叱られて笑ってる」
「うれしいから」
やはり。子犬がしっぽをふるように。
「先生が二人になったから」
「なんだ、それは」
苦笑する。
「すまん。アホを」
「矯正しなくていいです!」
笑う。教師二人で。
「さてと」
肩を降ろし。
「とにかく、どうするにしてもあいさつは」
言いかけた。そこに。
「初めまして」
「あっ!」
「で、よかったかな」
大らかな。見た目同様、いつも聞く者を安心させてくれるその声は。
「だと思います」
頭を下げる。
「学園長」
「いやいや」
ごつごつとした顔の。その頭をふり。
「正直、そう呼ばれるのに慣れていない。それに、教師としてはキミのほうが先輩だ」
「あ、あのっ」
いまさらながらに。あわてて。
「こいつ……って言い方はないか。彼女っていうのもなんだかだし、この御仁は、ってそうじゃなくて」
「落ち着け」
「落ち着いて」
共に。言われる。
「落ち着いてください」
「だから、おまえまで言うなっての」
ぽかりと。
「しかし」
あたたかな眼差しで。
「やはり、似ているな」
「えっ」
「さすがは姉妹といったところか」
「あ、あの」
こちらもあたふたし出し。
「姉……でなく館長のしてしまったことは、大変に」
「いいや」
静かに。
「俺はそのことをどうこう言える立場にはないよ」
「ですが」
「ラジヤ先生」
見る。まっすぐに。
「学園はあなたの復帰を歓迎する」
「……!」
ふるえる。
「あ……」
「ありがとうございます、金剛寺さん!」
「って、あなたが先にお礼言わないでよ!」
「ありがとうございます!」
「錦も!」
弾ける。
「ところで」
軽くせき払い。
「ちょっといいか」
「えっ」
話をふられ、目を丸くする。
「今夜、都合はいいか」
「え……」
「すこしな」
言った。
「二人で話したいことがある」
Ⅲ
「あっかーーーーん!」
「ぶっ」
至近距離で。
「も、もー、やめてよー」
噴きかけられたお茶をあわててハンカチで拭く。
「シルビアさんが『あかん』だよ」
「ちゃうちゃうちゃうちゃう!」
激しく頭をふり。
「なんで、そんなことになってんの! ちゃんと説明しい!」
「いや、説明したけど」
顔を拭きながら。
「ネクベ先生がー」
「そこはどうでもいいっちゅーねん!」
「どうでもいいってどういうことー」
ぷくー。
「ぼくの大切な先生なんだよー。それをどうでもいいって」
「はいはい、そこは後で聞くから」
ぎろり。至近距離で。
「肝心のとこをちゃんと話せゆーてんねん」
「こ、怖いよ、シルビアさん」
圧に押されつつ。
「ネクベ先生のことだって、ぼくにとってはぜんぜん肝心だけど」
「せやから、後で聞くゆーてるやろ」
がしっ。
「ウチのパパが毒牙にかけられたらどー責任とるん? んー?」
「毒牙って」
あぜんと。
「大体、学園長先生のほうから」
「やめやめやめぇっ!」
またも激しく頭をふり。
「変な想像させんといて! 『パパのほうから』なんて!」
「どういう想像しちゃってるの」
やれやれと。
「どこや」
「えっ」
目を丸くする。
「とぼけるとタメにならんで~」
「ええぇ~?」
あたふた。していると。
「後輩やろ」
逃がさない。そんな目で。
「後輩が先輩に逆らうん? あーん?」
「いや、学園に来たのはぼくのほうが早くて」
「ああぁン?」
がしっ!
「ええ度胸してまんなー、ニシキはん」
「だから、怖いよ、シルビアさん」
ふるえる。
「ちょっと、ちょっと」
そこへ。
「なに、錦ちゃんのこといじめてるの」
「あっ」
「お茶のおかわりは? 錦ちゃん」
「わーい。ありがとう、ユイファお姉ちゃん」
「うふふっ」
眼鏡の向こう。満足げな笑みを見せ。
「本当に錦ちゃんは素直でかわいいわねー」
「えへへっ」
ほめられて。こちらもうれしそうに笑う。
「ニッシー」
猫なで声ながら不機嫌さむき出しで。
「いま、ウチと話してるところやろー。んー」
「だ、だって、シルビアさん、いじめるから」
「そうよ。いじめはやめなさい」
ぴしゃり。たしなめる。
しかし、まったくひるむことなく。
「ユイファはちょーっと引っこんでてなー」
「引っこんでられないわよ」
「ええから」
にっこり。圧のあるその笑みもすぐに消え。
「パパの一大事なんやで」
「えっ」
きょとんと。
「いや、金剛寺ファミリーの一大事と言っても」
「いやいやいや」
横で。首をふられる。
「だから、学園長先生のほうから誘ったんだって」
「やめーや、『誘った』とか!」
ヒステリックに。
「パパがいやらしいみたいやん! 中年のいやらしさむき出しやん!」
「シルビアさんがいやらしいんだよ」
あきれる。
「あっ、お姉ちゃんにも」
そこで思い出したと。
「あのね、ネクベ先生が」
言って。
「えーと」
詰まりつつ。
「学園に復帰するかもしれなくて、でもあんなことがあったから」
「ああ」
納得する。
「それで、わたしたちのところに」
「うん」
「優しい子ね、錦ちゃん」
なでなで。
「えへへー」
飼い主にかわいがられる大型犬のように。
「お姉ちゃん、大好き」
「わたしも」
「ぼくも金剛寺さんの娘になっちゃおうかなー」
「はあ?」
とたんに。
「調子乗ってまんなー、ニシやん」
「ニシやん!?」
「あー、ニシ坊か」
「いやいや、そんな呼ばれ方一度も」
「イチャついとる場合ちゃうねん。見せつけとる場合ちゃうねん」
「別にそんな」
「って、イチャついてたらどーすんねん! グズグズしてる場合ちゃうっちゅーねん!」
ますますヒートアップして。
「てゆーか、当てつけか!? 当てつけとるんか!」
「こ、怖いよ……」
「ほら、さっさと居場所吐きぃ! 早ぅ!」
「いい加減になさい」
パコッ。トレイで頭をはたく。
「ああン?」
熱し切った頭は冷めることなく。
「なんや? あんたも邪魔するん?」
「だから、落ち着きなさいって」
腰に手を当て。年の近い『姉妹』らしく。
「大体、知ってどうするの」
「そんなのもちろん」
「乗りこむ?」
「それは」
「できないでしょ」
「………………」
できない。
万が一にも、邪魔をすることで嫌われてしまったらと思うと。
「……フッ」
しかし。
「なめたらあかんで」
「なめてるわけじゃないけど」
「ウチにはな」
ぱん。力強く。
きょとんとされる中、その肩に手を置き。
「頼りになる〝家族〟がおるやろ!」
(うわー、うわー、うわー)
止まらない。興奮が。
「どうした」
苦笑される。
「食べないのか」
「あ、いえ、食べまッス」
おかしな語尾になる。
(なんだよ、なんだよ、これ)
ドキドキドキドキ。
やはり、どうしても落ち着けない。
(だって)
初めてなのだ。
いや、一緒に食事をすること自体はそうではない。
こうして二人きりというのが。
「おいおい」
ますます。微笑む気配が伝わる。
「そんなに緊張することはないだろう」
どきっ。
自分の気持ちが伝わってしまって――
「話を聞いてもらうんだ。これくらいは奮発させてくれ」
「えっ」
「思っているほど高級な店ではない。あ、いや、島にはおまえのほうが長かったな」
「あ、はい」
うなずきつつ。
(……ああ)
そういうことか。納得する。
「それで」
けどまだ緊張はしたまま。
「は、話って」
「実はな」
テーブル越しに顔が近づく。
「恥ずかしい話なのだが」
「!」
たちまち。
(恥ずかしい!? 金剛寺さんの恥ずかしい話!)
カーッと。
「だめです!」
「は?」
「聞けませんから! そんな話! 金剛寺さんの恥ずかしい話なんて!」
「おいおいおい」
こちらをなだめるように手をふり。
「あまり大きな声は」
「あっ」
あたふたと。
「……す……」
うなだれる。
「すみません」
穴があったら入りたい。こういうことなのだと痛いほど思い知る。
「落ち着いたか」
「……はい」
優しい。どんなときでも。
「実はな」
太く節くれだった指が組み合わされる。
「情けないことなのだ」
「情けなくなんて」
言いかけて口を閉じる。さすがに同じような失敗はくり返したくない。
それでも。
(情けなくなんて)
ない。
絶対ない。
「アレックスさんのことだ」
それは思いがけない。
父の名前だった。
『ねー、シルビアぁー』
通信機越しに。
『これ、いつまでやらないといけないのー』
「ええから。気ぃ抜かんとやりぃ」
『ちぇー』
不満そうな舌打ちを無視し、画像と音声に集中する。
「あのね、シルビア」
使用人姿に不似合いな巨大な機器を操作しつつ。
「いくら家族でも、のぞきは良くないと思うの」
「ちゃうやん。家族だからやん」
「え?」
「父兄参観や、父兄参観」
「いや、参観してるのが逆だと思うけど」
「ええから。あんたもしっかりやりぃ」
「もー」
口をとがらせつつ。なめらかに指を動かす。
「わー」
脇で感嘆の息がこぼれる。
「すごーい、お姉ちゃん」
「そんな」
素直な賛辞に、うれしそうながらも微妙な表情を見せる。
「自慢できるようなことじゃないから」
「そんなことないよ。ぼくなんてぜんぜん」
と、そこで。
「あっ」
気がつく。
「あ、あの」
あたふたと。
「ううん」
優しい笑顔で。
「気にしないで」
「うん……」
それでも。すまなそうにうつむく。
「よしよし」
逆になぐさめるようにその頭をなでる。
「ほらほら、よそ見せんと」
「もー」
まったくの頓着しなさにあきれるも、あきらめたというように再び指を動かし出す。
「あっ!」
モニターに顔を寄せる。
ちょうど、テーブル越しに身を乗り出したところだ。
「あかんあかん! パパ、そんなんあかん!」
「ちょっ……近づきすぎ」
「そうや、近づきすぎや!」
「じゃなくて、あなたが」
「ユイエン、近づきぃ! もっと!」
『無茶言わないでよ。見つかっちゃうでしょ』
「構へんから、近づきぃ!」
『構うよ。オイラまでオヤビンに嫌われたくないし』
「『まで』ってなんや、『まで』って! 誰が嫌われるっちゅうねん!」
『あのさぁ』
やれやれと。
『バレたら、全部シルビアが悪いって言うからね』
「はぁ!?」
『言うよ』
そこは。ゆずるつもりはないと。
「く……」
ぎりぎり。歯が食いしばられるも。
「わかった」
すとんと。自分を落ち着かせるように肩を落とし。
「バレん位置からでええ。そのまま続けて」
『オッケー』
仕方ないという息のあと、通信が切れる。
「シルビア」
真に。姉妹を思いやる顔で。
「本当にこのまま続けていいの?」
「ええっちゅうてんねん」
やかばヤケで。それでもはっきりと言う。
ため息一つ。
そして、再び操作に戻った。
「お父さんの?」
はっと。
「あ、いや、違って」
呼び方が昔に戻っていた。意味のない言いわけを口にしつつ、そんな自分にいっそうあわてて。
「なんでですか!」
声を。無意味に張ってしまう。
「アレックスさんはな」
難しい顔で。
「どうしても承知してくれないんだ」
「えっ」
何を。
「ああ、話していなかったな」
苦笑いして。
「俺は」
真剣な顔で。
「アレックスさんに学園長をやってもらいたいと思っている」
Ⅳ
アレックス・バルバロッサ。
騎士の主権実体たる〝現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)〟において現在は四人しかいない騎士の頂点――〝熾騎士(セラフ)〟の一人。
最も、彼らの中で『現役』と言えるのは、組織を治める総長(グランドマスター)の地位にある〝騎士心王〟リチャード・ウルフスタンのみ。〝伝説の騎士〟花房森(はなぶさ・しん)は〝大戦〟の最中、息子との闘いで閃光に消え、先代のサン・ジェラール学園長であった〝聖母〟アンナマリア・ルストラは事実上の引退とみなされている。
そして――〝槍鬼〟とあだ名される彼もまた。
前線からは長く遠ざかっている。
「な……」
とっさに。言葉がなかった。
「お父さんを」
また呼び方が戻っている。それを気にかける余裕もなく。
「や、だって」
「聞いている」
「……!」
固まる。
「それは」
目を伏せ。
「俺も同じことだ」
「………………」
言葉がない。というか何を言っていいかわからない。
思ってもいなかったことだから。
「……何て言ってるんですか」
かろうじて。
「金剛寺さんの話を」
「断られたよ」
息が落ちる。弱い笑みと共に。
「だったら」
「それでも」
視線が上がる。
「俺の気持ちは変わらない」
「っ」
「アレックスさんのほうが学園の責任者としてふさわしい。その思いはな」
「だから」
「ああ」
深々と。頭を下げられる。
「頼む」
「………………」
初めてではなかっただろうか。
こうして。何かを頼まれるなんてことは。
「あ……」
とっさに。
「あたしからも……お願いしてみます」
言ってしまっていた。
「なるほどね」
ぽん、と。
キーボードを操作し、音声の通信を切る。
「あ、何してんねん」
「これ以上、盗み聞きする必要ある?」
「それは」
「のぞき見もおしまい。ユイエン、帰ってきていいわよ」
『オッケー』
あっさり。そして。
『シルビア』
念を押される。
『これって、貸しだからね』
「いや、パパのことは家族みんなの」
『貸しだから』
言われて。通信が切れる。
「………………」
沈黙。
「いやー」
ごまかすように。頭をかきつつ。
「大変やねー、大人も」
「………………」
冷ややかな視線。眼鏡越しの。
「あははー」
こちらでは苦笑いが。
「あっ、でも、いいの?」
そこで気づいたように。
「学園長先生が学園長やめちゃって」
「それは」
一瞬。言葉に詰まるも。
「まあ、パパがそう思ってるんなら」
「んー」
考えこむ。
「いいのかなー」
「えっ」
はっとなり。
「ニシキ」
手を取る。
「あんた、ええ子やなー」
「え?」
「さすがはウチの後輩やー」
「いや、だから学園ではぼくのほうが先輩で」
「そうかそうかー。そんなにパパに学園長でいてほしいかー。先生でいてほしいかー」
「じゃなくて!」
「あ?」
とたんに。
「なに、力いっぱい否定しとんねん」
「ええっ!?」
「パパは学園長にふさわしくない言うてんのか。さっさとやめたほうがええ言うてんのか」
「言ってないでしょ、そんなこと!」
涙目で訴える。
「もー。だから、いじめないの」
パシンッ。
「えーん、お姉ちゃーん」
「よしよし。怖かったね、錦ちゃん」
「ふえーん」
「だから、じゃれとる場合ちゃうねん!」
怒鳴りつける。
「いいでしょー。錦ちゃん、かわいいんだから」
「えへへー」
「うれしがってる場合ともちゃうねん!」
じれったそうに。
「あんたら、ええんか! パパがこのままあっさりやめても!」
「って、シルビア、言ったじゃない。『そう思うなら』って」
「けど、なんかもやもやするやん! すっきりしないやん!」
「じゃあ、どうしたいのよ」
あきれてしまう。
「あっさりじゃないよ」
「え?」
「だって、ほら」
指摘する。
「断られてるんだよね。フリーダ先生のお父さんに」
「あ……」
言われればそうだ。
「だったら、しばらくやめるなんてことはないよ」
「け、けど」
言葉に迷いつつ。
「いつかはやめるかもしれないってことやん。その気ってことやん」
「それはそうだけど」
「せやろ!」
勢いが戻り。
「だったら、このままにしておけんやん!」
「もー。無茶苦茶だよー」
「そうよ。だから、どうしたいの」
「どうもこうも」
言って。やはり言葉をつまらせつつ。
「……おかしいやん」
「えっ」
「大事なことやん。仕事をやめるなんて」
「それはそうだけど」
「だったら」
顔を上げる。瞳がかすかに潤み。
「なんで、何もないんよ」
「え……」
「ウチらに」
うつむき。
「家族に……相談とかあってしかるべきやん」
「あっ」
そういうことかと。
「そうね」
なでなで。
「シルビアの言う通りだわ」
「せやろ」
素直に頭をなでられながら。うなずく。
「お弁当を忘れたり、ぼうっとしてることが多いって聞いてたのも、きっと引き継ぎのことを気にかけてたからなのね」
「せやな」
うなずき。
「よっしゃ!」
立ち上がる。
「つなげて!」
「えっ」
「ええから、早う!」
「う、うん」
指が端末の上を舞う。
『なーにー? もう帰っていいんでしょー』
明らかに面倒そうな声。
「引きとめときぃ」
『へ?』
「パパを! そこから帰らせたらいかんで!」
『ちょっ、なに言ってんの!?』
あわてふためく。
『そんなことしたら、オイラがここにいるってバレちゃうじゃん!』
「かまへんから!」
『かまうよ! ヤだよ、オヤビンに怒られるのは!』
「ええから! 絶対に逃がしたらあかんで!」
飛び出す。
「えっ、ちょっと、何するつもりなの! シルビア!」
「おわ!」
突然に。
「むぅ」
不可解そうな息。周りにもざわめきが広がる。
「停電か」
「みたいですね」
そう言いつつ。赤くなっていく顔が隠されたことに感謝する。
(ううう)
思わず。思った。
チャンスだったと。
暗くなった瞬間、「きゃっ」と悲鳴でもあげて飛びつけたのではないかと。
まあ、テーブルをはさんでいるこの状態では、まず不可能だが。
(にしたって『おわ』はないだろ、『おわ』は!)
ますます頬が熱くなる。
「どうしたものかな」
困惑のつぶやき。
食事を終え、ちょうど店の外に出ようとしていたところだった。無理をすれば歩けないこともないが、支払いなどはどうするのかという問題が残る。
「待つしかないな」
「はい」
「この後、何か用事は」
と、こちらに確認しようとした。
そのときだった。
「あーーーーはっはっは!」
響いた。笑い声。
「たあっ!」
何かが宙を舞う気配。
「!?」
たんっ。空いていたテーブルの上に誰かが立つ。
「あーーーーはっはっは!」
またもの。
「な……」
何なんだ、これは。
「っ」
部屋に明かりが戻る。そこで見たのは。
「月光きらめき颯爽参上!」
一人の――
「銀色の仮面美少女――そう、ウチは」
高らかに。
「シルバーランサーや!」
「………………」
あぜんと。
「ふぅ」
ため息。
と、こちらも我に返り。
「お、おい!」
立ち上がる。
「何してんだ、おま――」
直後。
「!」
間隙を突いて。一気に距離をつめられる。
「なっ」
何が? 頭が真っ白のところを。
「おわぁ!」
抱き上げられた。お姫様だっこで。
「なっ……なな」
何が!? もうまったく事態を把握できない。
でいるうちに。
「レディはいただくで! さらば!」
走り出される。
「なっ、な……なーーーーーーーーっ!」
絶叫。
それしかできなかった。
「な……おま、なっ」
ようやくと。言うべきか。
降ろされた瞬間、ただただあぜんとなっていた頭に血がのぼり。
「何してくれてんだ、コラーーーーーーーッ!」
絶叫する。
「しゃーないですやん」
仮面をつけたまま。
「素顔やったら、正体バレてまうし」
「そういうことを言ってんじゃない!」
いや、完全にバレていると思うが。
「何のつもりだ!」
「いや、はっきりさせたいなーって」
「はっきり?」
何をだ。
「半分以上は勢いですけど」
どういう勢いで仮面のヒーローにまでなるのだ。
「フリーダ先生」
仮面越しに。正面から。
「パパのこと、どう思ってます」
「!」
ふ、ふざけた格好して唐突になんてことを。
「バッ、おま、なっ」
「言うてください」
「………………」
汗が。
「そんなの」
しどろもどろで。
「言えるわけないだろ」
「なんでです」
「っ」
食い下がってくる。
「こ、こんなところで、しかも変な仮面つけたやつ相手に」
「わかりました」
あっさり。
「う……」
逃げられない。
「知りましたね」
「えっ」
「ウチの正体を」
「いやいや!」
そっちが勝手に取ったのだ。
「知ったのは確かですよね」
「う……」
逃げられない。
「ああ、わかったよ!」
ヤケだ。開き直り。
「あたしは! 金剛寺さんのことを!」
「学園長でいてほしくないと思ってるんですか」
止まる。
「……何?」
「言うたやないですか」
素顔の。眼差しで。
「『あたしからもお願いしてみます』って」
「それは」
と、そこではっと。
「なんで知ってんだよ、おまえが!」
「ヒーローやからです」
「ごまかされるか!」
再び装着された仮面に向かい。
「おまえ、盗み聞きしてたな! どこでだ! つーか、どっからだ!」
「ヒーローは秘密のヴェールに包まれている」
「包み隠すな!」
「そっちこそ、包み隠さず教えてください。実際のとこ、パパにどうなってほしいのか」
「う……」
反撃の芽はあっさり摘まれ。
「あ、あたしは」
しどろもどろに。
「金剛寺さんに頼まれたから」
「答えになってません」
「く……」
確かになってない。
どうなってほしいのか。それを聞かれているのだ。
しかし。
(……なんだよ)
むかむかと。
(こいつ、騎生のくせに。あたしを何だと思ってるんだ)
こっちは教師なのだ。
(……!)
はっとなる。
(いや)
友が復帰したら――自分は。
「だよな」
「?」
「あー、やめだ、やめだ」
あっさり。
「おい」
ずい、と。
「聞きたいんだったら話してやる」
「は、はい」
またも流れが変わる。
「あたしはなぁ」
ずずずいっ。
「やめてもらいたいなんてちょっとも思ってない」
「だったら」
「けどなぁ!」
ずいっ!
「金剛寺さんの頼みを断れるほど薄情な人間でもないんだよ!」
「っっ」
押しこまれる。
「それじゃ、結局どうするんですか」
「あたしはな」
言う。
「親父を説得する」
「えっ」
「断るなら断るでいい。だったら、ちゃんと金剛寺さんが納得するように説明しろってな」
「それは」
正しい。
「だから、おまえも」
逃がさない。そんな目で。
「説得しろ」
「ええっ」
「金剛寺さんのことを。いいな」
「そんな、急に言われても」
「娘だろ」
逃がさない。
「いいな」
「………………」
完全に。
攻守逆転されていた。
Ⅴ
「で」
聞かれる。
「どうするの、シルビア」
「どうするて」
視線をさ迷わせ。
「それは」
結局。
「どうしたらええ思う?」
「もー」
やれやれと息をつく。
「こういうことになるから、やめたほうがいいって言ったのに」
「いや、思わへんやろ、こうなるて」
「あなたが仮面で飛び出したことも含めてね」
再びのため息。
「なー、ええやーん。知恵貸したってー。お姉ちゃーん」
「こういうときだけお姉ちゃん扱いするんだから」
それでも気分は悪くないという顔で。
「まず、あなたはどうしたいわけ」
「どうしたいて」
しばらくの思案の後。
「パパにとって一番いい結果になる道を応援したい」
「そうよね」
にこっ。同じ気持ちと。
「そういう大切なことは家族みんなで考えたほうがいいわ」
「せやろ!」
身を乗り出す。
「まったく。パパが悪いんや。ウチらに秘密にしてるから。せやから、こないややこしいことに」
「はっきりしないうちに心配かけたくなかったんでしょ。お父さんらしいじゃない」
「それはそやけど」
しぶしぶ。認める。
「わたしとしては」
眼鏡にふれつつ。口を開く。
「お父さんには学園の仕事を続けてほしい」
「ウチかて!」
続くように。
「パパが同じ学園にいてくれたほうが安心できるっていうか」
「そういう理由だけじゃなくて」
たしなめる。
「お父さんに向いてる」
「せや!」
力いっぱい。
「パパ、先生に向いてるやん! みんなに優しいやん!」
「うん。だからこそ」
はっきりと。
「学園長じゃなくていいと思う」
「はあぁ!?」
まなじりがつり上がる。
「どういうこと? 向いてる言うたやん!」
「言ったよ」
「せやったら」
「学園長じゃなくてもいい」
言い直す。
「先生を続けるなら」
「あ……」
そういうことか。
「むしろ、普通の先生のほうが騎生とじかに触れあえるんじゃないかな」
「ええやん!」
目を輝かせる。
そこに。
「えー、オイラは反対だなー」
「はあ!?」
信じられないと。
「ユイエン、あんた、パパが向いてないて」
「じゃなくて」
あきれ顔で。
「いま、学園じゃ、オヤビンが一番偉いんでしょ」
「そらそうや。学園長先生やし」
「だからー」
もどかしそうに。
「イヤじゃん」
「は?」
「だって、一番じゃなくなっちゃうんだよ。オヤビンの上にそれより偉い人ができちゃうんだよ。なんか、イヤじゃん」
「まあ」
わからなくはない。
「それにさー」
にやり。
「学園長じゃなくなるってことは、普通の先生になっちゃうんだよね」
「そらまあ、そうやな」
「近くなっちゃうよー」
「は?」
「ほら、学園長とただの先生だと距離があったけどー。同僚になったら一緒にいる時間が長くなったりー」
「!」
青ざめる。
「あかんやん、そんなの!」
「じゃあ、どうするのー」
「どうするて」
あたふた、あたふた。
「ユイエン」
たしなめる。
「お姉ちゃんをからかったりしないの」
「へへー」
いたずらそうに。
「なんや、冗談やったんか」
ほっと。
「や、可能性としてはぜんぜんあり得るよ」
「あかんやん!」
あたふた、あたふた。
「もう」
やれやれと。
「落ち着いて、シルビア」
「せやかて」
「落ち着いて」
ぴしゃり。
「先走りすぎ。お父さんがどうすべきかもそうだけど、相手次第ってとこもあるんだから」
「あ、せやな」
うなずく。
「向こうがどうしてもうなずかなかったら、パパが続行ってことになるもんな」
「でしょうね。お父さん、責任感が強いから」
「せや」
大きく。うなずいて。
「だったら、それでええやん」
「けど、お父さんの気持ちもあるし」
「あーもー」
がしがしと。
「どーせーっちゅうねん」
「いまのところは様子見じゃない? 進展があったら、お父さんが話してくれると思うし」
「消極的やなー」
「無駄に積極的だから、昨夜みたいなことになるんじゃない」
「せやけど」
納得できていない。そんな顔だ。
「だったらさー」
またも。おもしろがるように。
「無駄じゃなく積極的に行ってみたら」
「はあ?」
「ちょっと、ユイエン」
けしかけるような言葉にあわてるも。
「どういうことや」
食いつく。
「だからー、どっちに転んでも大丈夫なようにー」
ひそひそと。耳元で。
「そっか!」
一気にやる気に。
「それならええやん! 合法やん!」
「ちょっと、シルビア」
悪い予感しかしない。
「ユイエン、あなた何を」
「じゃあ、行ってくるねー」
「ちょっと!」
昨夜とは違い、乗り気で出ていくその姿に。
「……はぁ」
やはり、悪い予感しかしないのだった。
「ぷる」
「だよなー、モーリィー」
ため息まじりに。
「あたしってさー」
愛馬に。泣き言をこぼす。
「なんで、言わなくていいことまで勢いで言っちゃうんだろうなー」
「ぷるぷる。ぷる」
「ははっ」
なぐさめられて。笑みをこぼす。
「優しいよなー、おまえは」
たてがみをなでる。
「おまえのほうがぜんぜん先生に向いてるって」
事実、幼い馬たちに教育を施す『先生』であったりする。
「まあ」
ぽつり。
「ネクベが復帰したら、代役も終わりってことになるんだろうけど」
だからか。大胆にあんなことを言ってしまったのは。
(どうせ、教師じゃなくなるんだ)
それでも。
騎士である。
騎士に虚言は許されない。
「はぁーあ」
憂うつの。
「説得っつったってなー」
「ぷるっ」
いささか厳しく。
「わかってるよー」
注意された。さすがは先生だと、いまだ先生の身ながら思ってしまう。
「けどなー」
やはり、どうしても気は乗らない。
「なに、ため息ばっかりついてるの」
「あっ」
そこに。
「盗み聞きとかしてんなよ」
「ため息をどう盗み聞くのよ」
あきれる。
「どうだったの、昨夜のデート」
「デ、デートとかじゃ」
あわてて言って。
「はぁーあ」
またものため息。
「その様子じゃ、うまくいかなかったみたいね」
「うまくいくとかいかないとか」
それ以前の問題だ。
「あたしって」
ため息交じり。
「子どもにしか見てらえないんだよなー」
「はあ?」
けげんそうに。
「いやいや、十分育ってるけど」
「十分育ってる女が」
やはりため息。
「あっさり、お姫様だっこされるかよ」
「ええっ!」
目を見張る。
「金剛寺さんってだいたーん」
「いやいやいや」
と、そこではっと。
(う……)
言えない。
年下の、しかも、女子にされたなんて。
「おやおやおやー」
照れていると思ったのだろう。さらにからかう調子で。
「あなたにもそんなところがあったんだー」
「なんだよ、『そんなところ』って」
「ううん」
真剣な調子になり。
「よかった」
「………………」
面はゆい。いまさら『違う』とは言いづらい空気だ。
「ていうかさ」
仕方ない。話題を変える。
「おまえこそ、どうなんだよ」
「あたし?」
あっさり。
「何にも」
「……そうかよ」
これまたコメントがしづらい。
会話が途切れる。
「あー」
場の空気をごまかすように。
というか、それは真に聞きたかったことでもあるのだが。
「おまえさ」
「ん?」
「姉貴……ウアジェ館長に話があるときって」
とたんに。
「………………」
「あ」
さすがに立ち入りすぎたか。
と。
「姉さんは」
さらり。
「尊敬できる人よ」
「あ、ああ」
それにはうなずく。
「だよな。立派な人だし」
「立派よ」
目を伏せる。
「立派すぎるくらい」
「それは」
その通りだと。
「はぁーあ」
ため息が。向こうにうつる。
「だめね、わたしって」
「おいおい」
今度はそっちがへこんでどうするのかと。
「だって、そうじゃない」
顔を上げ。
「あなた、わたしのこと、どう思ってる」
「どうって」
とっさに言葉につまる。
「ほら」
苦く。笑う。
「姉さんみたいに立派でも何でもない」
「それは」
これからだろう。言いかけるも。
「わかってるから」
受けつけない。
「向いてないのよ」
一人。こぼす。
「教師にだって、きっと」
直後。
「バカーーーーーッ!」
ドーーーーン!
「ぐふっ」
まともに突進を受け、そのまま押し倒される。
「バカバカバカバカバカバカバカッ!」
「おい」
さすがに。
「それくらいにしてやれ」
「だって!」
涙目で。
「向いてないとか言うんだもん! 教師に向いてないって!」
「だな」
気持ちはわかる。わかるが。
「フ、フリーダ」
苦しそうな息で。
「あなた、ずいぶんこの子を鍛えてくれちゃったわね」
「まあな」
「先生!」
さらなる涙目で。
「先生は先生だよ!」
「錦……」
「先生がいなかったら、ぼく、騎士になれなかった! 先生だから、ぼく、騎士になっていいって思えたんだ!」
聞いている。
旅先でたまたまスカウトしたのだという話は。
「先生が向いてなかったら、向いてない先生についてきたぼくまで向いてなくなっちゃうよ! そんな向いてないぼくが向いてる顔して向いてていいの!?」
意味が。
「あなたは」
諭す。
「向いてるわ」
「だったら!」
涙を散らし。
「先生も向いてるって言ってよ!」
「……そうね」
「ぼくたちの先生でいてよ!」
「………………」
答えない。
「ネクベ」
そこに。
「あたしさー、決めてることがあるんだ」
「えっ」
「なんですか、フリーダ先生」
「あたしな」
言う。
「先生、やめる」
「えっ」
「ええっ!」
驚きの声が響く中。
「そしたらさ」
言う。
「欠員を埋めなきゃ、って話になるだろ」
「あなた」
かすかに顔を青ざめさせ。
「やめて。そんなことで後押しされても、わたし、うれしくない」
「カン違いするなって」
なんでもないという顔で。
「もともとはおまえの代理なんだ。それにそもそも向いてなかったしな」
「バ――」
「おっと」
がしぃぃっ!
組み合った。そこを。
「ほっ」
「うわぁ」
ひねる。あっさり仰向けとなり。
「きゃっ」
叩きつけられる。
「ううう」
涙目のまま立ち上がり。
「なんで!?」
「こっちが『なんで』だ」
やれやれと。
「一々、教師にタックル仕かけてくるな」
「だって!」
駄々っ子のように。拳をふり。
「向いてないとか、やめるとか言うから!」
「そうだな」
なでなでと。
「確かに急だった」
「うん」
おとなしく頭をなでられる。やはり、大型犬のようだ。
「でだ」
あらためて。
「あたしはやめるから」
「バ――」
「だから、暴れるな」
あっさり。組み伏せられる。
「うー」
じたばたと。
「まったく、話を聞かないやつだ。誰が教育を」
「あなたでしょ」
「おまえもな」
顔を見合わせる。
「はぁーあ」
「ためイかないでください!」
「なんだ、『ためイく』って」
あきれる。
「とにかくだ」
あらためてにあらためて。
「あたしはやめる。そしたら」
ため息まじり。
「誰が、こいつの面倒を見る」
「それは」
「うー」
じーっと。まさに犬のような目で見つめる。
「……ずるいわよ」
ぽつり。言うもすぐさま。
「あなたが一緒に見てくれたっていいじゃない!」
「そーだ、そーだ!」
「こういう子なんだから」
「それなら」
ためらいなく。
「金剛寺さんがいる」
「えっ」
「学園長を辞めるようなことになっても、学園には残っててほしいだろ」
「えっ、辞める?」
「あ……」
まだ言っていなかった。
「ちょっと、辞めるってどういうことよ」
「それは、まだ」
あいまいに。
事実、まだ何も確定はしていないのだから。
ただ。
「向いてるんだよ」
「えっ」
「現場が」
そうだ。
そう思ったからこそ、自分は。
「説得しないとな」
立ち上がる。
「え、ちょっと」
「ありがとな」
「ええ!?」
「モーリィ!」
飛び乗る。
「行くぞ!」
応えて。いななき。
主の意をくみ駆けていく。
「行っちゃった」
あぜんと。
「ネクベ先生」
しっか。手を握る。
「やめないよね」
「えっ」
「先生、先生をやめないよね」
「あ……うん」
正直、そのことまでいまは頭が回らない。
「フリーダ先生も」
「っ」
「あのまま行っちゃって、そのままやめちゃわないよね」
「あのまま……ってことはないと思うけど」
さすがに。
けど。
(どういうつもりなのよ、フリーダ)
憤る。心の中で。
確かに『代理』ではあった。
それでも、いまではこうして騎生にも慕われている。
なのに。
「いいかげんなのよ!」
思わず。
「っっ……」
「あ」
突然の怒声に驚いたのだろう。あわてて、
「な、なんでもないのよ」
「……ケンカ?」
「そうじゃなくて」
あせあせと。やはり犬のようにつぶらな目で見つめられ。
(まったく)
誰に対する『まったく』なのかわからないまま。
「ふぅ」
どうなるのか。
それを待つしかないと肩を落とすのだった。
「あれー」
物陰で。
「どうしよっか」
「どうするも、何も」
共に身を隠したまま。
「どうすることもないやん」
本当に。どうすることもない。
なぜなら。
「あれー、うれしくないの?」
「えっ」
「だってさー」
にやり。
「ライバルが向こうのほうからいなくなってくれるんだよー」
「な、なに言うてん」
あわてて。
「うち、そんなずるいこと考えてへんし」
「考えてたでしょ」
あっさり。
「だから、こうして来たんでしょ」
「う……」
そうだ。
乗ったのだ。
『無駄じゃなく、積極的に行ってみたら』
つまり。
どちらに転んでも。
同僚になる。その相手さえいなければという。
「……最低やん」
「えっ」
「………………」
言えない。
「まー」
無駄に。笑いでごまかし。
「このままでええんちゃう」
「えー」
唇をとがらせ。
「せっかく来たのにさー」
「いや、やらんでええに越したことないて」
「だったらさー」
にやりと。またも悪い笑みを見せ。
「トドメ刺しちゃわない」
「あんた、えげつないこと言うなー」
「何それ。シルビアだって乗り気だったじゃん」
「大体、トドメって何するつもり」
「それはー」
またしても。
悪い笑みと共に耳打ちをするのだった。
Ⅵ
「ソニア!」
家に入るなりの大声に。
「わ」
あまり驚いた様子も見せず。読んでいた本から顔を上げ。
「騒々しいです、フリーダさん」
「悪い!」
ぐっと。頭を下げる。
「……で」
おそるおそる。
「親父は」
「師匠ですか」
やはり。平静とした顔のまま。
「珍しい」
「う」
「フリーダさんが師匠に会いに来るなんて」
「それは」
言いわけをするように。
「忙しいんだよ。学園のことでいろいろと」
「学園と言えば」
口を開く。
「先日もいらっしゃいましたね」
「!」
思い当たる。
「それでどうした」
「えっ」
「親父はなんて」
「さあ」
首をふる。
「わたしは師匠がいる場所を教えただけですから」
「それって」
聞いてはいた。
「〝槍の墓場〟かよ」
「………………」
うなずく。かすかに唇をかんで。
「おまえは」
言いかけて。飲みこむ。
(……そうか)
許されないのだ。
まだあの場所に同行することは。
「あたしはさ」
言う。
「詳しいことはあんま知らないけど」
鼻をかきつつ。
「おまえが邪魔……ってことじゃないと思うぞ」
「邪魔です」
あっさり。
「邪魔なんです」
「おいおい」
「未熟なわたしでは」
ぱん。手元の本を閉じる。
「というわけで、師匠に用でしたらこちらでお待ちください」
「いや、いつ帰ってくるんだよ」
「さあ」
「『さあ』って」
「数日こもられることもあります」
「マジかよ」
「マジです」
やはり真面目な顔で。
「マジかよ……」
座りこむ。
一方でチャンスかなという思いもちらつく。
そんな状態では、会うのはとても無理。話をするのもひとまず先延ばしではと。
「あ」
そこで気がつく。
「金剛寺さんが来たって言ったよな」
「そう名乗られましたね、学園の用で来たと言った方は」
「その方だよ、その方」
身を乗り出し。
「親父のいるところを教えたって言ったな」
「はい」
「じゃあ、会いに行ったんだな」
「行ったと思います」
「『思います』じゃないんだよ、行ったんだよ」
でなくては、断られることもない。
(チクショウ……)
行けなくなくなった。
「〝槍の墓場〟だな!」
「〝槍の墓場〟です」
そっけなく。言って、工具箱を手に立ち上がる。
読んでいたのは、騎士槍に関連する本。おそらく、学園の書庫から借りたものだろう。その知識をさっそく実作に活かそうというのだ。
(真面目だよな)
感心する。
(あっ)
騎士槍鍛冶の師弟。
それはつまり、教師と生徒という関係と同じではないか。
(てことは)
教師の素養がある、ということになるのだろうか。
そもそも、騎士も師弟関係が基本とは言える。一人前の騎士のその従騎士となることで学んでいくのだから。
(つっても)
正直、まともに何かを教えているところなど見たことがない。それでも、目の前の『生徒』は自主的に研鑽に励んでいるのだが。
(あ)
違う。
自分は――知っている。
その相手は。
「ああっ!」
「?」
「悪ぃ、驚かせた。そんな目で見るなって」
「どんな目でも見ていませんが」
「『どんな目でも』ってことはないだろ」
「じゃあ、見ません」
「いや、ケンカ売ってんじゃないんだから」
苦笑する。
「行くから」
「そうですか」
どこへとも聞かない。
わざとそっけなくしているのではない。こちらを嫌っているのでもない。
目に入らない。
最高の騎士槍を創りあげるということ以外。
そこに『想い』がこめられているのも知っている。
至上の槍を。
託したい相手がいるという。
(なんか)
うらやましい。素直に。
まぶしい。
(それに比べて)
自分は。
いま何を目指すべきなのだろうかと。
「おーーい!」
声を張る。
見上げるように大きな石碑の前で。
「親父ーーーーーっ!」
返事は。ない。
「くっ」
イラッと。意図的にこちらを無視しているのではないのだろうが。
(親父ぃ)
わかっていても、イライラは募る。
帰ろうかという思いが頭をよぎるが。
(金剛寺さんは)
気づく。
(どうにかして、親父と会ったんだよな)
どうにかして。
その『どうにか』がわからない。
「あーっ!」
頭をかき。
「当たって砕けろだ!」
言って。
「う……」
突撃しようとした寸前。
さすがに止まる。
「はぁ」
おかしくなっている。
(ていうか)
ここは。
神聖なる場所――
〝槍の墓場〟。
その名の示すがごとく。
「………………」
神妙な想いが胸に染み入る。
折れた騎士槍と共に、戦場を駆け抜けていった騎士たちの魂が眠る地。
自然と。
頭を垂れる。
「あたしは」
つぶやく。
「あんたたちみたいに」
顔を上げ。教えを請う目で。
「槍に、自分を賭けられるんだろうか」
答えは。
ない。
「ハハッ」
自嘲の。
「何やってんだろうな」
止まらない。
「そもそも、あたしの相手なんてするわけないだろ。あの親父だぞ。あたしのことなんてもうちっとも」
そこで。
「……?」
気がついた。
「おい」
近づいていく。
「あっ」
向こうもこちらに。
「バカ! なんで見てないの、シルビア!」
「せやかて、あんたがおかしなモンがあった言うて」
「おい」
にっこり。
「何をしている」
「えーと」
しれっと。目をそらしつつ。
「人に物を教えるんは、教師の仕事やと思いますけどー」
「そうだな」
にっこり。
「う……」
がしっ。頭をわしづかまれる。
「教えてやらないとな」
「な、何をです」
「何だと思う」
にっこり。
「知らんでもいいかなー」
「遠慮するなよ」
ぐぐぐっ。
「たーっぷり教えてやる。カラダでな」
「カラダって、やーん、エッチー」
「まずはその口を利けないようにして」
「おーっと、待った」
そこに。
「いますぐシルビアを離したほうがいいよ」
「ああン?」
「こっちには人質がいるんだからね」
「何」
人質?
「あ、物質か」
「モノジチって」
「写ってるのは人なんだけど」
「!」
かかげてみせた。それは。
「お、おい!」
あせる。
「おまえ、いつどこで」
「昨夜に決まってるでしょー」
一枚の写真。そこに写っていたのは。
「場所も言うまでもないよねー」
「ぐ……」
隠し撮りされていたのだ。
気づかなかった。
いや、気づけるような状況ではなかったのだが。
「おい」
急速に。猫なで声になり。
「人質交換といこうじゃないか」
「いいよ」
あっさり。
「はい」
「おわっ」
無造作に放られたそれを。
「うらーーーーっ」
横っ飛び。
見事にキャッチし、回転しながら地面にすべりこむ。
「ハァッ……ハァッ……」
まったく、とんでもない。
(こんなもの)
抹消したい。昨夜の記憶ごと。
「ようやったでー、ユイエン」
「まーねー」
ハイタッチが交わされる。
「おまえらなぁ」
怒りに満ち満ちた視線が注がれる。
(教育だ)
二人そろって。徹底的に『教育』をしてやらねば。
「あ、それと」
「あっ!」
取り出される。
「お、おい」
次から次へ。
「だましたな、ガキぃっ!」
「えー、どういうことー」
心底。けげんそうに。
「約束通り交換したでしょー」
「ぐぐ……」
言い返せない。
「ふっふっふー」
さらに悪そうな笑みで。
「この写真どうしよっかなー。いーっぱいプリントしちゃったしー」
「よーし、いい子だ、ガキ。持ってる写真とデータ、洗いざらいこっちに渡しな」
「えー、それってカツアゲー?」
信じられない。おびえるように胸の前で拳を握り。
「大人がー。こんなカワイイ子ども相手にー」
「ぐぐぐ……」
やはり『教育』だ。徹底的に。
「オヤビンに言うよ」
「ぐ!」
一転して。するどい目で言われ、またも思考停止に陥る。
「お、おいっ」
思わず助けを求めるような調子で。
「シルビア! 姉貴だろ! だったら下のやつの教育をもっと」
「先生」
目を座らせて。
「今回はえげつなく行かせてもらいます」
「何ぃ!?」
「パパとディナーとか、やっぱ調子乗ってると思うんで」
「おまえ……!」
「大丈夫だよー」
またも。悪意をたっぷり感じさせる明るい声で。
「腕ずくでどうとか思ってないからー」
「当たり前だ!」
騎士なのだ。二人がかりだろうと束になって来ようと、自分より下位の者や子ども相手にどうこうされたりは。
「精神的に」
「!?」
「立ち直れないダメージを与えちゃおうかなーって」
「ぐぅっ!?」
タチが悪すぎる!
「まさか」
無差別に! 写真をバラまこうとでもいうのか!
「ふふーん」
そんなこちらの恐れを見透かしたように。
「なんで」
「!?」
「ここにいると思う」
「えっ」
言われてみれば。
「あ……」
とんでもないことに思い至る。
「ま、まさか」
「うふふー」
最悪だ! 最悪すぎる!
「無理だからな!」
焦りを隠せないながら。
「あたしだってどうすれば親父に会えるかわからないんだ!」
「隠し扉」
「!」
「みたいなものだよねー、たぶん」
詳しいことは知らないのか。胸をなでおろしたのもつかの間。
「得意なんだ」
「えっ」
「結構、そういうの探したりするの」
「っっ……!」
まずい。まずい、まずい、まずい!
「させるかぁっ!」
「おっと! ここは任せとき、ユイエン!」
立ちはだかる。
「どけぇ!」
「そら、ウチは騎生でそっちは先生。実力の差は明らかや。けど」
不敵に笑う。
「正面から戦うだけが能やない」
「何ぃ!」
騎士のくせにとんでもないことを。
(正面から以外って)
事実。
いま冷静さはこれ以上なく欠いている。
「あっ」
「!」
あっさり。
「しまっ……」
背後を指さされ、とっさにふり向いた。直後、失態に気づいたがすでに遅く――
「っっ!」
――はなかった。
というか、それどころではなかった。
「な……」
いた。
周囲を圧するように上背も横幅もあるがっしりした肉体。それにふさわしいいかつい容貌に隙のない険しさに満ちた双眸。
それは。
「騒がしい」
一言。
「騎力(きりょく)が乱れる」
声を張り上げているわけではない。
しかし、そこには聞く者を伏すに足る以上の重さがあった。
「あ……」
とっさに。
「こいつら、金剛寺さんのとこの子どもで」
かばうように。前に立つ。
「先生……」
驚き。ゆれる心を感じる。
「金剛寺の」
不動かと思われた眉が動く。
「学園のことならかかわる気はない」
急ぐでなく。
しかし、留まることもないという動きで背を向ける。
「おい!」
たまらず。
「そりゃないだろ!」
吠える。
「金剛寺さんは本気なんだよ!」
「なら、当人が来るべきだ」
「もう来ただろ! それを、あんた、断ったんじゃないか!」
「せ、先生」
後ろから肩に手を置かれる。
しかし、それを払い。
「いいかげんにしろよな!」
「………………」
「こんなとこにずっとこもって何してるか知らないけど! 金剛寺さんのこともそうだし、ソニアだって放っときっぱなしで」
そのとき。
「うわぁーーーーん」
「えっ!」
泣いていた。
「おい」
あぜんと。
あの生意気だった『ガキ』が、まさに子どものように大粒の涙を流して。
「ごめんなさい、ごめんなさい。オイラたちが悪かったから」
「いや、なに泣いてんだよ」
あわてる。
「これももう捨てるから」
「あっ!」
捨てるのはいいが、そんな無造作にバラまいたら。
「あーーーーっ!」
一枚が。
ひらりひらりと宙を舞い、節くれ立った手のもとへ。
「!」
取られた。
「お、おい」
見られる。
(あ……ああ……)
最悪だ。
血の気が引いていく。
「あっ」
しかし。
何事もなかったように一切の表情の変化を見せず歩き出す。
現れたときに通ったであろう隠し扉の向こうへ、広い背中が消えていった。
「………………」
なんとも。
収まりのつかない感情にさいなまれる。
「あーあ」
「!?」
泣きじゃくっていたのが一転、そのふてぶてしい態度に目を剥く。
「リアクションうすーい。せっかくここまで来たのに」
「お……おまっ」
言葉もない。
「はぁっ」
一気に。力が抜ける。
「もういいよ。バラまくでも何でも好きにすればいいだろ」
面倒そうに手をふり。歩き出す。
(……あ)
いやいやいや。
まだ行くわけにはいかない。
「く……」
何も。できていない。
あの二人と違って、自分はここに何をしに来たのだと。
「先生」
そこに。
「えーと」
おそるおそる。
「さっきは、その」
「あン?」
いら立ちがそのまま顔に出てしまう。
「や、悪い」
さすがに大人げない。表情をゆるめる。
「いや、ええんです」
妙にしおらしく。
「ウチ」
口ごもりつつ。
「協力しますから」
「は?」
今度は何をたくらんでいるのだ。
「や、なんか違うなって」
偽りのない。反省を感じさせる顔で。
「先生が真剣なの見て……ウチがやるべきなのもこういうことかなって」
「おまえ」
軽く。胸に詰まる。
「えー、何それー」
こちらは相変わらず。
「なに、急にイイ子になっちゃってるのー。最初にオイラを偵察に行かせたの、シルビアじゃん」
「偵察?」
「ほら、昨夜のレストラン」
「!」
ということは、あの騒ぎが起きる前からずっとのぞかれていたのか。
「おまえなぁ!」
「すいませんでした!」
あやまる。力いっぱい。
「反省してます!」
「反省したからって」
と言いつつ、こう素直に謝られると強くは出られない。
「協力します」
顔を上げて再び。
「せめて、取りつく島くらいは作らんと」
言わんとしていることはわかる。
「………………」
無言で。
もはやそこに入口があったとは思われないほど完璧に閉ざされた〝槍の墓場〟を見つめるのだった。
Ⅶ
「で」
作業する手を止めないまま。
「わたしに何を聞きたいと」
「ソニアさーん」
抱きつく。
「もー、そっけなーい」
「どうも」
「冷たーい」
「冷たくはないつもりです」
そっけはないが。
「むしろ、暑いです」
「えー」
目を輝かせ。
「ぼくの愛で」
「無駄に大きなものが密着しているからです」
「もの?」
「………………」
ぐいぐいと。
確かに、ボーイッシュな見た目に反して、同年代女子より大き目な二つの塊が押しつけられている。
「しかも、この狭い空間で」
「えー、狭く」
否定しかけて。
「あるねー」
「あります」
抑えきれない。不快さがにじむ。
「いいかげんに」
言う。
「出て行ってくれませんか」
「えー」
「『えー』ではなく」
「だって、まだ何もしてないしー」
「十分にされています」
かすかに顔を赤らめて。
そこに。
「ちょい、ちょい」
狭い空間をさらに狭くしている同行者が。
「なんやねん。話違うやん」
「違わないよー」
ぷっ。頬をふくらませた後。
「ぼくとソニアさんは友だちだもんねー」
笑顔で。
「は?」
やはりの反応。
そして、何事もなかったように作業を再開――
「もーっ」
ぎゅうっ、ぎゅうっ!
「う……」
「ねーねー、友だちでしょー」
「だ、だから、押しつけるのは」
「もーっ!」
「牛ですか、あなたは!」
二つの意味で。
「まー、仲ええのはわかったわ」
ぱたぱた。手で顔を仰ぎながら。
「とりあえず、三人とも外出ぇへん」
「嫌です」
あっさり。
「出るなら、あなたたちだけで」
「ほー」
狭い車内で膝を進める。
「せやったら、ここでええわ」
「………………」
再開される。断続的な金属音。
「大したもんや」
間近で。見つめる。
「騎士槍って、こう作られるんやな」
「創る、です」
微妙なニュアンスの違いに気づいたのだろう。訂正が入る。
「創る……」
「はい」
心持ち。頬が赤らみ。
「一期一会」
「?」
「すべてがこのときだけの出合い。ここにしか生まれ得ないもの」
声がはずみ。
「創生されるものなのです」
「ほー」
感心の息。
「そういう顔も見せるんやな」
「っ」
表情を引き締める。
「まーまー」
気安い調子で。肩を叩く。
「やめてください」
こちらはあくまでそっけなく。
「手もとが狂います」
「おっぱいはええのに?」
「お……!」
硬い表情がさすがに崩れ。
「いいなんて言っていません! 出て行ってください、二人とも!」
結局。
押し出されるように、二人とも『工房』からの退散を余儀なくされたのだった。
「話が違うやん」
再び。
「どない責任とってくれるねん」
「ええっ!?」
すごまれるとあわてて。
「ぼくのせいじゃないよ! ソニアさん、ちょっと人見知りするっていうか、恥ずかしがり屋さんっていうか」
「友だちなんやろ。友だちに人見知りするってどーゆーことや」
「だって、シルビアさんがいたし」
「ああン?」
ぐぐっ。
「ウチのせいや言うん? それって責任転嫁と違うん」
「や、やめてよ、かわいい後輩に」
「学園では自分のほうが先輩や言うてたやん」
「けど、学年的には後輩なわけだし」
「せやったら、キリキリ働きぃ!」
ぐぅっ!
「もー、乱暴モノだよー」
最後にひときわ強くつかまれた前髪を手で直す。
「『もー』はええちゅうねん。いくら牛でも」
「牛じゃないよ!」
「しっかしなー」
難しい顔で。腕を組み。
「師匠が取りつく島ない思うとったら、弟子もまったく同じやん」
ちらり。
「ここにおっきな島は二つもあんのに」
「セクハラだよ!」
胸を隠しながら。言う。
「なー、もう一度やってみん」
「えっ」
「今度はあんたら二人きりで」
にじり寄る。
「『ねぇーん、優しくしてぇー』なカンジでじっくりねっとり」
「できないよ!」
「さっきは、ほぼそれに近いことやってたやん」
「やってないよ!」
声を張る。
「ソニアさんは真面目なんだから! いいソニアさんなんだから!」
「せやから、色仕かけに弱いんやーん」
「仕かけないよ!」
言い張る。
「とにかく、おかしなことはだめ! 真面目なんだから!」
「真面目はわかったっちゅーねん」
と、はっとなる。
「真面目……」
「今度はどんな悪いことを考えたの」
「アホ」
ぽかっ。
「誰がいつ悪いこと考えてん」
「だって、いじめるし」
頭をさすりながら。
「だめだよ、ソニアさんまでいじめたら」
「いじめんて。その代わり」
かすかに目を細め。
「ちょっと、二人で話してくるわ」
「だから、だめだって!」
あわてる。
「二人でケリつけるとか!」
「言うてへんて」
「タイマンとか!」
「言うてへん!」
ぽかっ!
「痛ぁーい」
「まったく。無駄に背ぇ高いからどつくのも大変やわ」
「だったら、どつかないでよ」
「無駄におっぱいでかいから」
「それ、関係ないでしょ!」
真っ赤で。
「ええから、ウチにまかせとき」
「大丈夫かなー」
「心の声を口に出すんやない」
ぽかっ。
「もー。だから痛いってー」
唇をとがらせつつ。それでも、戻っていくその背をおとなしく見送るのだった。
「ソニアちゃーん」
「!」
猫なで声に。
「出ていってほしいと言ったはずですが」
「戻ってくるなとは言うてないやん」
「では」
あらためて。言おうとしたとき。
「っ!?」
つつつー。背中を指でなぞられる。
「何をするんです!」
「ええなー。職人の背中ってゆーの? 背中で語るみたいな」
「そんなことは聞いていません! なれなれしくするのはやめてください!」
「ニシキとは仲良くするのに?」
「していません」
「やっぱ、巨乳のほうが」
「何を言っているんですか!」
爆発する。
「まーまー、カッカせんと、ソニアちゃーん」
「……一ついいですか」
せき払い。
「わたしのほうが年上だと思うのですが」
「せやった?」
「そうです」
言い切る。
「ほら、まー、ウチってフランクやから。フリーやから」
「一方的にフリーにされても迷惑なだけです」
言い切る。
「せやったら」
ばっと。両手を広げる。
といっても、せまい空間の中では限界があるが。
「ほら」
「……意味がわかりません」
「もー、照れんとー」
自分を抱きしめ、身体をくねらせ。
「ウチを自由にしてー、好きにしてー、ってことやん」
「………………」
沈黙。
背を向ける。
「もー」
つつー。
「っっ」
飛び上がる。
「やめてください、それは!」
「してほしそうに、背ぇ向けるから」
「ほしくありません!」
またも爆発する。
「何なんですか、本当に! わたしをからかって楽しいですか!」
「めっちゃ」
「っっ!」
「というのは置いといて」
ずい。距離を詰める。
「な、何ですか」
今度は何をされるのか。あきらかな警戒の眼差しが向けられる。
「まーまー」
そんな反応をなだめるように笑顔を見せ。
「槍を創ってほしい」
「!」
思いもかけない。
「や……」
とっさに。言葉がない。
たたみかけるように。
「騎士槍鍛冶なんやろ」
「っ……そうです」
表情を引き締め直し。
「わたしは騎士槍鍛冶です」
「ほやったら」
顔を近づけ。
「創ってくれるんやろ」
「っ」
そらせない。
「簡単にというわけにはいきません」
「ふーん」
「大体、あなたはすでに自分の槍を持っているはず」
「うん」
あっさり。
「で?」
「『で』……とは」
動揺を隠せない。
「創れんの」
「創れないとは」
口ごもりつつ。
「非常識と言っているんです。すでに槍を持ちながら、さらになんて」
「創れんの」
引かない。
「く……」
憎らしい。そんな目で。
「何が目的ですか」
「目的なんてー」
あっけらかんと。笑う。
「ごまかさないでください」
「ごまかすなんてー」
「マーロウさん!」
バン! 激昂のあまり、手をひざ元にたたきつける。
「あかんやん」
「っ」
手を。取られる。
「職人やろ。大事にせんと」
「な……」
何なのだ、本当に。
「ウチはな」
真剣に。
「ホンマにあんたに創ってもらたいと思ってんねん」
「だ……」
今度は見つめ返せず。
「だから、あなたはすでに」
「ウチのと違う」
「えっ」
思いがけない。
「では、誰の」
「パパの」
言う。
「パパの〝金剛の槍〟を復活させてほしいんや」
Ⅷ
「やっぱりいじめた」
ぷーっ、と。
「いじめてへんゆーてるやん」
「ぶー」
まったく信じていない。そんな目で頬をふくらませ続ける。
「ねー、お姉ちゃんからも何か言ってー」
「あらあら」
今日も使用人服姿でお茶を運んできた『姉』に。
「またいじめられたの」
「ふぇーん」
「よしよし。まったく、悪いシルビアね」
「誰が『悪いシルビア』やねん」
あきれる。
「ウチはいついかなるときでもええ子やろ」
「いじめるくせに」
「つげ口とはええ度胸やなー」
「ほらー」
「もう。やめなさい、錦ちゃんをいじめるのは」
「ぼくじゃないの」
「えっ」
「ソニアさんなの」
「だから、違う言うてるやん」
やれやれと。
「でも、なんだかへこんでたし。シルビアさんと二人きりでシメられたあとで」
「シメてへんて」
「タイマンのあとで」
「タイマンもしてへん!」
ぽかっ。
「ほら、いじめたー」
「はーあ」
何度も説明したはずなのだが。
「ウチはただ槍を創ってほしいて言うただけや」
「おかしいよー。なんで、そうなるのー」
確かにおかしい。
しかし、強引に。
「騎士槍鍛冶やろ。槍創ってもらうんは当たり前やん」
「当たり前じゃないよー」
眉根にしわを寄せ。
「大体、なんでそういう話になっちゃったのー。ぜんぜん違うでしょー」
「………………」
確かに。
もともとは、師匠に口利きしてもらいたいということだった。
学園のことについて話合いの場を持ってほしいと。
「まー、ノリやな」
「ノリ!?」
間違ってはいない。
もうすこし正確に言うと〝刺激〟された。
背中に。
鍛冶職人として。
ただ一筋に目の前の仕事に打ち込む姿に。
重なった。
(パパ……)
そして、思惑を超えたところで言葉が口をついて出た。
槍を創ってほしい――と。
「正直わからん」
「はああ!?」
(けど)
心のどこかに。ずっとその想いはあったのかもしれない。
父に。
この世で自分が最も尊敬する騎士に、再び槍を手にしてもらいたいと。
(無理やのに)
自分は。
とてつもなく残酷なことをしているのかもしれない。
「はぁーあ」
「え? え?」
目を丸くして。
「今度はシルビアさんがしょげてる……」
隣の『姉』と。顔を見合わせるのだった。
「無理です」
つぶやく。
「………………」
無理だ。
けれども。
「わたしは」
断らなかった。
断れなかった。
何かが。それをさせなかった。
(プライド……)
違う。そんな簡単に言い表せるものではない。
だいたい。
(自分は)
未熟。心の底から思い知っている。
なのに。
「……はぁ」
逃げたくない。どうしても。
そう思ってしまったのだ。
「無理です」
くり返される。
無謀なことを引き受けてしまったくせに弱気な自分が情けない。
(どうしてなんです。どうして)
聞いている。
彼女の『父』は騎士槍を扱うことができない。
それは。
(師匠と……同じ)
だからこそ。
それが〝理由〟になったのかもしれない。
「けど、無理ですって!」
狭い工房に。情けない叫びがこだまする。
「う……」
工房。
心の中で口にするのも恥ずかしい。
いまさらながら。
クラシックなワゴンを改造しただけの、最低限といえる道具と設備しかない騎士槍創作のための〝工房〟。
(こんなところで)
はっと。
(いいえ)
創った。自分は。
(そうだ)
創り上げたのだ。
最高。
とは言えないかもしれない。
けど、自分が創った槍は年端も行かない少女たちの手に握られ、あの過酷な〝大戦〟を戦い抜く力となった。
(そうだ)
自分は。できたのだ。
できるのだ。
その可能性がわずかでもあるのなら。
(でも)
再び弱気にとらわれる。
(違う)
そう、大いに違う。
少女たちへの槍は、一からの己の創意であった。
しかし。
(わたしは)
知らない。
失われたという。
創るべき〝金剛の槍〟のことを何も知らないのだ。
「おーい、ネクベー」
「はいはい」
情けなく。すがりついてくるのを、よしよしとあやす。
「あたしはさー、口ばっかりなんだよなー」
「そうでもないと思うけど」
「そうか?」
「手も出るし」
「おい!」
目を吊り上げるも、すぐまたしょげ返り。
「なんかさー、ダメなんだよなー」
「はいはい」
「騎生にばっかりがんばらせてさー。あたしはぜんぜんなんだよー」
そこへあっさり。
「がんばればいいじゃない」
「う……」
「あなたも」
笑顔で。逃げ場のないプレッシャーを。
「あなたのお父さんなんでしょ」
「だったらさ」
負けじと。
「おまえだって、ネクベ館長に意見とかできるのかよ」
「う……」
お互いに。言葉を失う。
そして、同時に。
「はぁーあ」
「どうした、二人してため息とは」
「!」
あわてて。
「何でもないっス!」
「何なのよ、そのキャラ」
あきれる。
「……ああ」
複雑そうな顔で。あごをなでる。
「やはり、難しいか」
「っ」
「無理はしなくていい。学園の仕事を第一に考えてくれ」
「え、いや、あの」
あせって。
「大丈夫です!」
言う。
「手伝ってくれてますから!」
「手伝って……」
「シルビアが!」
軽く。驚きの気配が伝わる。
「さすが」
複雑な想いを感じつつ。
「娘……ですよね」
「そうか」
どう反応していいか。そんな顔で。
「迷惑をかけなければいいが」
「迷惑なんて」
かけられた。これまでは。
しかし。
「娘ですから」
「そうか」
再び。うなずいて笑みをこぼす。
「ありがたいものだな」
「っ……」
あたたかな想い。それは。
「絶対」
口にする。
「なんとかしてみせます」
その言葉は。何に対して向けられていたのか。
「………………」
立っていた。
「ふぅ」
息を一つ落とし。
深呼吸。
「すー。はー」
胸に手を当てる。
「………………」
まったく。動悸は収まっていない。
「う……」
情けない。
自分は弟子なのだ。
師匠のもとを訪れるのに、なぜこれほど気後れする必要がある。
(やはりお邪魔に)
はっと。
逃げを打とうとする自分に気づき、頭をふる。
(だめで元々)
いや、そんな気持でもだめだ。
(わたしは)
向かいあうのだ。
(騎士槍鍛冶として)
この道を志した。その想いを曲げないためにも。
「師匠!」
胸を張って。呼びかける。
返事はない。
それはわかっている。
「失礼します」
言って。
閉ざされた扉に手を伸ばす。
「……!」
気がつく。
「これは」
感じたというわけではない。
自分にはそんな、騎士の〝騎力(きりょく)〟のようなものはない。
あらかじめ合図を知らされてあった。
「………………」
いない。
しかし。
「どこへ」
行ったというのか。
「っ」
それは。
「アレックスさん」
深々と。
「ああ」
軽く。ただうなずき。
「学園か」
視線をめぐらせる。
「なるほどな」
「恐縮です」
頭を下げる。
並んで立つ巨体。その姿は親子、いや兄弟と言えるほど似通った空気を漂わせていた。
ゆるぎのない。
そして、どこか老成したものを。
「金剛寺」
口を開く。
「はい」
目を合わせる。
次に放たれる言葉の重さを予感したように。
「学園のこと」
言う。
「考えてもいい」
Ⅸ
「なに考えてんだ、親父のやつは!」
「まーまー、よかったじゃない」
いきり立つところをなだめる。
しかし。
「いつの間にか学園に来てよ! あたしたちがどうこうしようとしてたのは一体なんだったんだよ!」
「どうにかなったんだからいいじゃない」
言い聞かせる。
「どうにか」
なったのだろうか。
「………………」
「フリーダ?」
「あのさ」
真面目な顔で。
「何を話したんだ」
「えっ」
「あの親父が」
かすかに。深刻さもにじませ。
「何もなしで頼みを聞くなんて考えられない」
「なんてこと言ってるの」
軽く。小突く。
「〝熾騎士(セラフ)〟である方なのよ」
「そんなこと」
関係ない。とはさすがに言えない。
それは、騎士の最高位であるのだから。
「けど」
消えない。もやもやとしたものが。
「納得いかない」
「言ってなさい」
あっさりと。
「それと、これからは『学園長先生』って呼ぶのよ」
「ええっ!?」
それは。
「当たり前でしょ。『親父』なんて許されないわよ」
「許されないのかよ」
「許されない」
だったら。
「シルビアの『パパ』も許されないだろ」
「はあ?」
「や」
何を。
「聞かなかったことに」
「してもらえると思う?」
「うう……」
縮こまるしかない。
「ま、まあ」
強引に。話を戻し。
「様子見ってことになんのか、しばらくは」
「ソニアさん、ありがとー」
「きゃっ」
抱きつかれる。
「あなたにお礼を言われるようなことは」
「もー、照れちゃってー」
むぎゅぅ~。
「お、押しつけないで!」
実際に。
(わたしは何も)
できていない。
なのに、いつの間にか事態は進行してしまっていた。
(信じられない)
いまでも。
(師匠が)
自分から学園長になることを承諾したなんて。
(……何か)
裏が。
そこまではいかなくとも『理由』はあるはずなのだ。
(でも)
わからない。
(そもそも)
あの〝槍の墓場〟にこもった理由。そこからもうはっきりと聞かされていない。
それは、今回の決断にもかかわってくることなのだろうか。
「ソニアさーん」
むぎゅぎゅぅ~。
「きゃあっ」
「ごめんね」
「えっ」
「なんだか、師匠さんのこと、取っちゃうみたいで」
「取っちゃう……」
「それで元気ないんだよね」
「あ、いえ」
何と説明すればいいのだろう。
「師匠はわたしだけの師匠ではありませんから」
「そうだよね。みんなの師匠だよね」
意味がわからない。
そこに。
「にーしーき」
ぎゅうっ。
「痛たたっ」
「あ……」
胸をなでおろす。
「冴ちゃん~」
「聞いたよ。ソニアさんに迷惑かけてるって」
「かけてないよー。仲良くしてるだけで」
「仕事の邪魔をしてるっていうの、こういうのは」
「えー」
不満そうに。頬をふくらませる。
「ごめんなさい、錦が」
「いえ。助かりました、五十嵐さん」
「もー、ぼく、悪くないよー」
ぷくっ、と。
「ソニアさんのことだって、シルビアさんに頼まれたんだしー」
はっとなる。
「あの」
思わず。
「マーロウさんは」
「まーろーさん?」
「シルビアさんのことでしょ」
「あ、そっか」
「マーロウさんは」
あらためて。
「何か」
「何か?」
「………………」
言葉に。出せない。
「あっ」
思い出したと。
「そうだよ。ソニアさん、シルビアさんにいじめられたんだよ」
「えっ」
「ええっ!?」
「二人きりでタイマンとか。だよね?」
「いえ、あの」
「いいかげんなこと言わない」
ぽかっ。
「シルビアさん、優しいんだから。いいお姉さんなんだから。イジメなんてするわけないでしょ」
「えー。ぼくのこと、いじめたよー」
「怒られるようなことしたんでしょ」
「そうかなー」
納得いかないと。
「あっ、冴ちゃんもお姉ちゃんだよね」
「そうだけど」
「じゃあ、シルビアさんの分までかわいがってよー。お姉ちゃんの責任としてー」
「どういう責任よ、それは」
あきれるも、慣れていると言いたげにその頭をなでる。
「えへへー」
ほほえましい光景。
しかし、こちらの気持ちは晴れない。
「ふぅ」
「やっぱり、いじめられたの?」
「!」
気を抜けない。
「ため息くらい」
つきたいときもある。
「大げさです」
それだけ。言うのが精いっぱいだった。
「良かったわね」
笑顔で。
「お父さんもよろこんでるでしょ」
「せやな」
「?」
「や」
取りつくろうように。
「よろこんでるはずやな。うん、思う」
「………………」
きょとんと。
「どうしたの」
聞く。
「あなただってがんばってたじゃない。それが」
すこし口ごもり。
「まあ、役に立てたかっていうと微妙なところだけど、結果オーライでしょ」
「うん……」
「それとも、まだ、お父さんが学園長をやめることに納得してないの」
「そうやないけど」
なんだか。
「ざわざわするっていうか」
「ざわざわ?」
「うーん……」
説明しようがない。自分でもうまくわかっているとは言い難い。
(ただ)
嫌な予感。
一言で表せばそうなるが、その根拠となるとはっきりしない。
ざわざわする。
そうとしか言いようがないのだ。
「はぁ」
「ええっ!」
目を見張られる。
「シルビアがため息!?」
「なんや、それ」
口をとがらせ。
「ウチかてため息くらいつくし。乙女やし」
「乙女って」
ますます絶句される。
「あー、もう!」
反動というのか。
「やっぱ、ウチ、はっきりさせてくる!」
「え、ちょっと」
どこへ行くとも言わず飛び出したその背中を見送り。
「乙女ねえ」
その〝姉妹〟として、こちらも嘆息するのだった。
何かが。
何かがつながっている。
騎士槍鍛冶。
〝槍の墓場〟。
二人の〝父〟――
(何か)
それは。
「!」
唐突に。
「あ……」
気がついてしまった。
しかし、それがいまの事態にどうつながるのかがわからない。
(ちょっと落ち着きぃ)
足を止める。
(ウチは)
期待していたのだろうか。〝それ〟を。
しかし。
(無理やん)
無理なのか。
即座の自問自答。
(ウチは)
やはり、それを期待しての。
「マーロウさん」
「あっ」
思いがけない。
「出るんやね」
「えっ」
「あの車の中にしか生息せんもんかと」
「ヤドカリですか、わたしは」
ジト目になり。
「帰ります」
「いやいや、そんな急いで巣に戻らんでも」
「ヤドカリですか!」
「あれって巣なん? 殻やなくて」
「えっ」
一瞬、詰まるも。
「巣でも殻でもありません」
すくなくともこの自分に関しては。
「けど、生物学的には」
「あなたと生物学の話をするつもりはありません!」
言い放って背を向ける。
「ていうか、話しかけてきたの、そっち違うん」
「あ」
足が止まる。
「う……」
もじもじと。恥じ入るそぶりを見せた後。
「あなたに提案された件についてです」
「提案て」
「提案でしょう。まあ、依頼といいますか」
「硬い」
「硬……」
そんなことを言われても。
「とにかく」
強引に。
「わたしとしては、やはり」
認めたくない。
しかし、それは認めざるを得ない現実なのだ。
せめて言いわけにならないよう。
「今回のことはお断りを」
「なあ」
そこへ。
「なんか聞いてへん」
「えっ」
唐突な。
「何を」
「何でもええんよ」
支離滅裂な問いかけと裏腹の真剣さで。
「ホンマ、何でもええから」
「な……」
何を言えというのだ。
「パパやねん」
「えっ」
ますますわからない。
「ウチが」
こちらの困惑をよそに。
「こんな気持ちになってるのは」
「こんな……?」
「なあ!」
「っ」
肩をつかまれる。
「何でもええんや! 隠し事せんと!」
「え……ええっ?」
「水くさいやろ! ウチらの仲で!」
どういう仲だ!
「ちょ、落ち着い……だ、誰か」
思わず助けを求めてしまう。
そこに。
「たぁーーーーーっ!」
とどろく雄たけび。
「!」
飛びこんできた影が間に割りこむ。
「やめろおっ」
共に息をのむ。
さっそうと。登場した人物の顔には。
「仮面……!」
このパターンは。
「突けば湯が湧く――ユウガランサー!」
がくっ。膝が折れる。
「何やねん、そのキャラ設定!」
ツッコミが入る。
そこを、逆にビシッと指さし返し。
「ユウガランサーだよ!」
「いや、名前はわかったけど」
「槍で突いたところから温泉が噴き出す神秘の騎士なんだよ」
「確かに神秘やけど。つか、御大師様か!」
やはりツッコむ。
「突いちゃうよ」
「脅しか!」
「ぶっ」
噴いてしまう。
「ほら、噴き出した」
「温泉違うやろ! ウケたんやろ!」
「やったー」
「なんで、ガッツポーズやねん!」
どこまでもツッコむ。
「つか、何やねん!」
「そっちこそ、何やねん」
「真似すんなや!」
キレる。
「ウチは真面目に」
「ええっ!」
走る衝撃。怒りに満ちて。
「真面目にイジメ!? 最低だよ、シルビアさん!」
「どういうことや!」
立て続けでツッコミも粗くなる。
「あー、もう!」
あっさり。
「仮面の美少女ヒーロー、なめんなや!」
言い放ち。
「はぁっ!」
跳躍する。
その姿が逆光に包まれ。
「!?」
現れる。
「愛と正義の美少女騎士! シルバーランサー!」
(な……)
何が起こっているのだ、いま目の前で。
向かいあう仮面騎士。
「はぁぁぁぁーーーーーーっ!」
始まる。
突き結ぶ。互いの騎士槍を閃かせ。
「逃げて、レディ!」
「えっ」
思いがけない。
「悪しき騎士はぼくが食い止めます!」
「誰が『悪しき騎士』や!」
「『あしききし』。下から読んでも」
「『しききしあ』や、それは!」
「惜しい」
「知るかぁっ!」
「『あしききしあ』だったら」
「最後の『あ』は何なんや!」
「『A』って書いて『あ』と」
「匿名かーーーーーっ!」
本気なのか、ふざけているのか。
(何なの……)
結局。
逃げることも忘れ、ただあぜんと立ち尽くすのだった。
Ⅹ
粛々と。
秘密の空間に突き立つ無数の折れた騎士槍に頭を下げる。
「アレックスさん」
顔を上げる。
「………………」
ただ。視線を注ぐ。
「どうした」
背中越しに。
「不安か」
「正直」
うなずく。
隠したりごまかしたりするような間柄ではない。
「平気だとは言ってやれんな」
こちらも。微笑の気配も見せずに。
沈黙が満ちる。
無駄に言葉を弄するようなタイプでは、二人ともない。
だからこそ。
「始めるぞ」
その一言で。すべてが――
後に取り返しのつかないことだったとわかる事態の一歩が踏み出された。
「おかしいよ」
真顔で。
「でしょ」
「………………」
「シルビア!」
こちらの反応のにぶさに早くもいら立ち。
「帰ってこないんだって、オヤビン! 学園長やってたころなら忙しいからってみんな納得してたけど、もうやめたんでしょ!」
「せやな」
「何それ! 心配じゃないの!?」
「心配て」
笑う。自分でも力ないとわかる。
「パパやで」
言い聞かせるように。
「ウチらが心配することなんて何もないやん」
冷える。
こちらを見る目が。
「シルビアは知らないんだ」
「ん?」
「オイラは」
かすかに。小さな身体がふるえ出す。
「見たから」
はっと。
「それって」
〝父〟が――騎士でなくなったときの。
「パ、パパは」
声のうわずりを抑えられないまま。
「そのときのことは……もう」
「忘れられないよ!」
激昂。涙が散る。
「オヤビンがあんな、あ、あんな」
「ユイエン」
抱き寄せる。
「ごまかさないでよ」
「っ」
冷え切った声に身体を離す。
「シルビア」
静かに。沈んだ瞳が見すえる。
「やめてよね」
「何を」
答えない。
「言っておくよ」
そして。
「今度はないから」
言い捨て。その身をひるがえした。
「………………」
一人残されて。
「ウチかて」
つぶやきを落とす。
「平気なわけないやん」
けど。
認められない。
(だって)
それを認めてしまうことは――
「認められない」
言ってすぐ。
「あー」
無意味な息。
「いい湯だなー」
「………………」
何と言っていいかわからない。
「わかってるよ」
すると、唐突に。
「シルビアさんはいいシルビアさんだ」
断言される。
やはり、すぐにはどう反応していいかわからない。
「……だったら」
ようやく。嘆息しつつ。
「背中くらい洗ってあげたら」
「だよね!」
湯船から立ち上がる。
「ち、ちょっと」
思わず目をそらしてしまう。
すごいのだ。
美男子を思わせる凛々しい顔立ちに手足のすっと伸びた引き締まった長身。
ながら、その部分だけは。
女子の自分も照れさせるほどに、やはりどうしてもそこは『女子』で。
「あ、ちょっ」
こちらのあせりをよそに、大きな足取りで浴室の外へと。
「身体くらい拭きなさい!」
あわてて追いかける。
「えー」
「『えー』じゃないの!」
本当に身体や『そこ』ばかり大きな子どもだ。
「急がないと」
「何を」
「背中だよ」
「えっ」
それはつまり。
「や、わたしは」
いつか機会があったらくらいのつもりで言ったのだが。
「善は急げだよ!」
無駄に。相変わらず空回り気味の気合をみなぎらせ。
「たーーっ!」
「『たーっ』じゃないの!」
追いかける。
「待ちなさい! せめて服は着なさい!」
「服はなくとも心は錦だよ!」
意味が。確かに『錦』らしいと言うべき無茶苦茶さではあるが。
「って、心はいいから身体ーーっ! せめてタオルで隠しなさーーい! こらーーーーっ!」
「はぁ」
ため息。完全に困った子どもの面倒を見る母親の気持ちだ。
「いいかげんにしなさい、錦」
「ごめんなさい」
素直に。あやまる。
「背中を流してあげられなくて」
「だから」
それはいいと言っているのだ。
「あっ、代わりに冴ちゃんの背中を流してあげてれば」
「いいから」
「ぼく、うまいんだよー。温泉でみんなにやってあげてたから」
実家は温泉旅館だ。
「いいから!」
声を張る。
「本当にいいかげんにしなさい。子どもじゃないのよ」
「めざし」
「は?」
本当に唐突すぎて。
「な、何が」
「知らないの?」
きょとんと。
「カルシウム」
「それが……何?」
「冴ちゃんに」
にこっ。
「怒りっぽいときはカルシウムがいいんだよ」
「………………」
そんなことが言われていた時代もあった気がする。まあ、即効性にはあまり期待できないらしいが。
「それって」
ひくひく。こめかみがふるえるのを感じつつ。
「わたしがただ怒りすぎだって言ってるの? 自分は何も悪くないって言ってるの?」
ぎゅぅぅ~~。
「ふぇっ。ひ、ひはいほ、はえは~ん」
「あらあら」
そこへ。
「だめよ、ケンカなんてしたりして」
いつものように。にこやかにお茶――でなく湯あがりの牛乳を差し出しつつ。
「仲良しなんだから」
「はーい」
「はぁ」
無邪気に手をあげられる一方で、こちらは疲れた息を落とすしかない。
「仲良し姉妹なんだから」
「はいっ」
「い、いやいや」
あわてて。
「違いますから」
「えー」
二人の『えー』が重なる。
「いやいやいや」
頭が痛くなる。
「だめよ、いじわるは」
「いじわるとかじゃないです」
「イジメ?」
「でもないです」
「ぼく、冴ちゃんにいじめられてるの?」
「錦」
軽くにらむ。
「あー。いまの目、イジメっぽーい」
「あのね……」
もはや何を言えば。
「もー、姉妹じゃない」
「なんで姉妹なんですか、先輩」
「えっ」
とたんに。
「聞き間違いかな」
「は?」
「『先輩』って」
「あっ」
圧が。
「いえ、その」
「んー?」
「う……」
「冴ちゃん」
にこにこしながら。
「もう一度」
逆らえない。
「お」
口にする。
「お姉……ちゃん」
「ほらー」
うれしそうに。抱きしめる。
「これでわかったでしょー」
「えっ?」
「わたしがお姉ちゃん。二人は妹」
「は、はあ」
「だから、姉妹じゃなーい」
いや『じゃなーい』と言われても。
「姉妹でしょ」
またも。
「でしょ」
こうなれば。
「はい」
うなずく。他ない。
「姉妹は仲良くしないとだめよ」
「はい……」
そこへ。
「お姉ちゃーん」
こちらは何のためらいもなく〝妹〟で。
「牛乳もいいけどめざしはー?」
「えっ」
きょとんと。
「お風呂上りにはめざしでしょ」
「だから」
そんな習慣、聞いたことがない。
「ねー、めざしはー」
「えーと、あったかしら」
「従わなくていいですから」
頭を抱えて。
「けど、かわいい妹のお願いだし」
「ねー」
「甘やかさなくていいです」
厳しく。
「甘やかすばかりがお姉ちゃんじゃないはずです」
「でも、カルシウムが」
「錦は黙ってて」
ぴしりと。
「冴ちゃん、こわーい」
「ううん」
首をふられる。
「そうよね」
「えっ」
「時には厳しいのがお姉ちゃんだものね」
にっこり。
「さすが、冴ちゃん」
「は、はあ」
「わたしと同じお姉ちゃんだけある」
「いえ、あの」
またもペースに飲まれそうな気配に。
「ここでは、その、ユイファさんが『お姉ちゃん』ですから」
「冴ちゃん!」
抱きしめられる。
「きゃっ」
「うれしい! わたしのことをそんなにお姉ちゃんだなんて!」
「『そんなに』って何ですか!」
困り果ててしまう。
「あー、ずるーい。ぼくもー」
ぎゅぅ~。
「ちょ、錦、苦しっ……」
「ぼくだって、冴ちゃんのこと、大好きだもん」
「わかった! わかったから!」
「わかってないよー」
ぎゅぅうぅ~。
「冴ちゃん、いつもぼくのこと怒るし」
「それは、友だちだから」
「友だちだけなら、そんなに怒らないー」
「だから、お姉ちゃんなのよ」
「あ、そっか」
「って、安易に納得しない!」
もうどこにどう怒っていいのか。
「ユイファさん! 錦!」
怒る。しょうことなく。
「いいかげんにしてください! 抱きしめないでください!」
「えー」
またも『えー』が重なる。
「かわいいのにー」
「やわらかいのにー」
「やわらかくなんて」
むしろ、いま自分の感じてるもののほうが。
「い、いいかげんにしてくださーーーーーい!」
安易に。
結局、叫ぶしかないのだった。
「あかんやん」
こぼれる。
「ウチ」
一人。
「ぜんぜんやなあ」
頭をかく。
屋敷を離れ。何をするでもない。
ただ。
「ウチは」
くり返される。
「何がしたいんや」
「したいようにすればいいのではないですか」
「!」
ふり返って。
「あ……」
反射的に。つくろうように笑みを見せる。
「やるやーん。ウチの後ろを取るなんて」
「………………」
静かな眼差しで。
「やりたいように」
くり返す。
「やることにしました」
「えっ」
予想外の。
「あなたに頼まれた件です」
「……!」
再びの。とっさに理解が追いつかない。
「決めましたから」
そんなこちらに構わず。言って、背を向ける。
「ちょちょ、待ちい!」
あわてて。
「え、その、どういうこと」
「どういうこと?」
心底。けげんげに。
「依頼を受けると言っただけですが」
「………………」
どんな顔をすればいいのか。
「あ……」
意識せず。それでも口から出た言葉は。
「ありがとう」
「それは槍ができた後に」
言って。歩き出す。
「いや、待ちいて!」
止めたものの。
「えーと」
何を言えばいいのか。
「ふぅ」
落ちるため息。
「どうしたんですか」
「っ」
「あなたらしくない」
どきっと。
「そう言えるほどあなたを知っているわけではありませんが」
「せ、せやん」
意味のない。
「あんたにウチの何が」
「そういう言葉」
ぴしゃりと。
「やっぱり、あなたらしくないです」
「う……」
「失礼します」
今度は。さすがに止める言葉は出なかった。
「………………」
しばし。
「何やろ、ウチ」
頭をかく。
「はぁーあ」
ため息。
「確かに」
かすかに。目に力が戻る。
「ウチらしくないわな」
「頼もぅ!」
声を。張り上げる。
それは夜の空気をふるわせて。
「………………」
無反応。
「まー」
わかっていた。そんな不敵な笑みで。
「一応、筋は通したで」
にやり。不敵さが増す。
「さてと」
取り出す。
「また行かせてもらうわ」
装着する。
「シルバーランサーがな!」
「わーーーーっ!」
颯爽。
「ちょ、おま、なーーーーっ!」
絶叫が。夜気をふるわせる。
「なんでだーーーーっ!」
「なんででもや!」
お姫様だっこの。そのままで。
「先生はウチがもらいます」
「はああ!?」
「このシルバーランサーが!」
なんでだ! 全力で。
「おま、なっ」
今度は何を。
「ふっふっふー」
不敵な笑い。
「期待しててくださいねー」
「できるか!」
「これから、とーっても楽しいとこにつれてってあげますから」
最悪な予感しかしない。
「ていうか、先に降ろせーーっ! いいかげんにしろーーーーっ!」
「父がお世話になってます」
丁寧なおじぎ。
「あ……うん」
つれてこられた。
そこは。
「姉が失礼しました」
「これ、良かったら羽織ってください」
「着替えがあればよかったんですが。うち、大人の女性の服がなくて」
あくまで丁重に。
とても、年端の行かない子どもたちの応対とは思えない。
「えーと」
いまさらながら。
「あたしこそ、こんな格好で」
思わずと。かしこまる。
いや、自分が悪いわけではないのだが。
「問題ないと思います」
あくまで。にこやかに。
「パジャマが考案されたのは、戦時中、夜でもすぐ逃げられるようにってことだったそうですから」
「へー」
知らなかった。
(まあ、逃げてきたってわけじゃないんだけど)
こういう事態にはなってしまっている。
寝ているところを襲われるとは、さすがに予測できなかった。
「で」
大人げないとは思いつつ。
自分は腹を立ててもいい立場なのだと。
「その『姉』はどこにいるんだ」
「シャワーです」
がくっ。
「なんでだよ!」
「先生の前で失礼がないように」
すでに失礼に失礼を重ねまくられている!
「大丈夫です」
何がだ!
「きちんとした姉に仕上げますので」
にっこり。
「う……」
やはり。
見た目通りの感じの良いただの子どもたちではないのだ。
「わ、わかったよ」
悔しまぎれに。腕を組んで椅子にふんぞり返る。
(う……)
やはり大人げがない。
と、そうこうしているうちに。
「お待たせしました」
はっと。
「あ!」
珍しく。と言っていいだろう。
年頃の少女らしく着飾って現れた姿に。
「おい!」
たまらず。怒りを爆発させる。
「こっちはパジャマだぞ!」
言っていて、自分で情けなくなってくる。
「しゃあないですやん」
格好とは裏腹の。いつも通りの砕けた口調で。
「先生が好きで来てるんですから」
「好きでって」
そういう問題じゃないだろう。
「ハァ」
こんなことを話していても無駄だ。
「手短に」
にらみつけ。
「言え。今度は何が目当てだ」
「人質になってもらいます」
一瞬。
「は?」
言われたことと意味とが頭の中でつながらない。
「待遇は保証しますよ」
「え、いや」
どういう話が進められている。
「人質って」
何の。誰に対するだ。
「お世話はうちの子らがさせてもらいますから」
「い、いやいや」
そういうことを心配しているのではなくて。
「ほーら、一名様ご来店やでー」
「はーい」
たちまち。
「どうぞ、こちらに」
「えっ、あ、おい」
「さ、お召し物はこちらに」
「ええっ!」
脱げと!? 脱衣かごを前に出されてあぜんとしていると。
「ちょうどいい湯加減ですよー」
風呂!?
ひょっとしてシャワーというのもこの準備のための口実か。
「おい!」
どこへこの憤りをぶつけていいのか。やはり、子ども相手には抵抗があると。
「シルビア!」
「ウチもご一緒します?」
「な……!」
たまらず。
「されてたまるか!」
「ほな、お一人で」
(ハッ)
はかられた!
「入らないんですか」
「せっかく準備したのに」
「お疲れになってるだろうからって」
さらに涙目の子どもたち。
「くっ」
断れない。しかも最悪なことに。
(わかってやっている!)
この子どもたちは。
「けど、あれだろ。大人用の服が」
「縫いあげます」
「はぁ!?」
「お風呂に入っている間に」
にっこり。
(は……)
はかられた。やはり思ってしまう。
「どうぞ、こちらにー」
「こういうの初めてですかー」
「って、おい!」
さすがに。
「おまえな! 兄弟にどういう教育」
はっと。
(教育は)
親の仕事だ。基本は。
「……おい」
真剣な顔で。
「金剛寺さんに関わることなのか」
子どもたちも。息をのむ。
見つめる。自分たちの〝姉〟を。
「………………」
一言。
「はい」
「そうかー」
どっと。息をつき。
「わかった」
男らしく。腕を組む。
「人質にでも何でもしろ」
「さっすが」
笑みを見せ。
「話のわかる先生やわー」
「最初から話せ、そう思ってるなら」
やれやれと。
「ほーら、みんな」
パンパン。手を叩く。
「一名様、ごあんなーい」
「ゆっくりしてってくださーい」
「サービスしますからー」
「だから、そういう言い方は……おいっ」
小さな手に引かれ。つれられていく。
「さてと」
それを見送って。
「引き締めていかんと」
ふざけたような状況と裏腹の。緊迫した顔がそこにあった。
Ⅺ
「えーと」
途方に暮れたように。頬をかく。
「フリーダ先生、誘拐されちゃったの?」
「されちゃったの」
こちらも。肩をすくめるしかない。
「助けに行ったほうがいい?」
「平気みたい」
「平気なの?」
「監禁中だって」
「へ?」
「連絡があったから」
「あったの?」
「あったの」
うなずくしかない。
「………………」
さすがの彼女でも。絶句してしまう。
「えーと」
再び。困ったように。
「何もしなくていい?」
「さてね」
複雑な。
(フリーダ……)
知っていた。
父親が学園長の件を承諾したと聞いたときから悪い予感に苛まれていたこと。そして、それを押し隠していたことを。
(お父さん……だものね)
やはり。認めたくはなかった。
父が、家族が『何か』を画策しているようなことなど。
痛いほどにその気持ちはわかった。
(アレックス・バルバロッサ……)
フリーダの父。
直接会ったことはなく、知っていることもほとんどない。
ただ。
姉から聞いている。
自分が騎士になる以前に起こった〝大戦〟。
まだ〝権騎士(プリンシパリティ)〟であった彼女は、他の下位騎士たちと共に後方待機を命じられた。
その場所が、このサン・ジェラール島だった。
そして、未来ある若き騎士たちを守るため共に残ったのが。
唯一の上位騎士――〝座騎士(ソロネ)〟であった彼なのだ。
(ここでも)
姉は多くを語らない。
だが、前線の上位・中位の多くが討たれ、〝騎士団〟そのものが崩壊の危機に瀕していた中で無事でいられたはずはないのだ。
そして、先日の新たな〝大戦〟において、島は激闘の中心となった。
(そんな)
様々な因縁を強く感じている者の一人であるはずなのだ。
「錦」
「はいっ」
不意に呼ばれ。背筋を伸ばす。
「あなたは」
聞けない。
彼女もまた島での過酷な戦いを潜り抜けた騎士なのだ。
「………………」
「先生?」
やっぱり何でもない――と言いかけて。
「言っておく」
腹をすえる。
「わたしは〝騎士団〟のために動く」
「けど、それは」
そっと。自分より長身な教え子の頬にふれる。
「あなたを守ることでもあるから」
親友の父と同じように。
(そう……わたしだって)
信じている。
信じたい。
かつて、多くの後輩の命を背負って戦った人の想いを。
「槍は」
語る。
「魂だ」
それは。
事実であり、事実でない。
「槍を失っても」
触れる。
「俺たちは生きている」
ぴくりと。
感じる。
命を。
「………………」
己の胸に。手を当てる。
「俺たちは魂を失ったのか」
それは。
事実であり、事実でない。
「金剛寺」
謝罪の言葉は。
ない。
いまさらだ。
自分は。
「約束は果たす」
言って。
もの言わぬ〝それ〟に背を向けた。
「ソニアさん」
声をかけられ。
「五十嵐さん」
わずかに。微笑む。
自分でも珍しい反応だとは思う。
しかし、周りにいる者たちの中で数少ない〝良識を持った〟相手に対し、むしろ自然とも感じる。
「どうしました」
「いえ、その」
珍しく。口ごもるようなそぶり。
さらにつくろった印象の笑みまで。
「おめでとうございます」
「えっ」
「で、いいんですよね」
ピンとくる。
「師匠のことですか」
「はい」
やはり。どういう顔をすべきかという迷いをにじませ。
「そうですね」
こちらも口ごもりつつ。
「わかりません」
「えっ」
「そういうことです」
強引に。
「はあ……」
戸惑うも。うなずく。
「ソニアさんを見かけたから、何かお話でも聞けたらって思って」
「そうですか」
またもそっけなく。
「……すいませんでした」
頭を下げられる。
何も悪くはない。そう言いかけたところで。
「あの」
こちらから。
「師匠は」
口にして。すこし気まずげに。
「許してください」
「えっ」
「わたしには『師匠』という呼び方しかないものですから」
「あ、いえ」
そういうことかと。あわてて。
「そうですよね。学園長先生になっても、ソニアさんの師匠さんであることには変わりないですもんね」
「………………」
変わりない。のだろうか。
「変わりは」
口を開いて。
「ありますか」
「えっ」
「学園に」
続ける。
「新しい学園長が来るということで」
「それは」
どう答えれば良いのか。ためらいを見せるも。
「大きな変わりは、その」
「………………」
「わたし、医療学部ですし。こちらに直接指導に当たられることはないですよね」
「なら」
目つきが険しくなる。
「どうして、師匠のことを聞きたいと」
わかっている。八つ当たりだ。
こちらに理解のできない行動を取られている。
そのことへの。
「いえ、あの」
案の定。怒らせてしまったかという顔で。
「ごめんなさい」
「いえ」
こちらも気まずい。
「悪くないですから」
「えっ」
「あやまる必要はないということです」
今度は。言って。
「五十嵐さん」
付け加える。
「あなたは、いい子です」
「ええっ!」
目を見張られる。
自分でも何を言っているのかと。思うも止まらず。
「だから、必要以上にかしこまる必要はありません。堂々としていていいんです」
言い切る。
「………………」
あぜんとした。空気が伝わってくる。
と。
「ふふっ」
笑われた! 当然といわれれば当然なのだが。
「ソニアさんって」
笑いながら。
「ユイファ先輩みたいなことも言うんですね」
「え……」
思い出す。常に眼鏡の奥で優しい笑みを絶やさない彼女のことを。
「わたしは」
同じような笑顔を。向けられるような人間ではとても。
「やっぱり、お姉さんなんだなあって」
「う……」
面はゆさにたまらず。
「やめてください」
「ふふっ」
ますます。笑われてしまう。
「安心しました」
「何が」
「これからも」
言う。
「いままで通りの学園なんだなって思って」
「え……」
唐突な。
「だって」
はにかむように。笑い。
「ソニアさんの師匠さんなんですから」
「はあ」
「きっと、わたしたちにとってもいい『師匠(せんせい)』になってくれますよね」
それは。
「正直、ちょっと不安だったんです」
続ける。
「今日から、新しい学園長先生がいらっしゃるってことが」
「えっ!」
驚きの声をあげる。
「今日から?」
「はい」
きょとんと。
「知らなかったんですか」
「………………」
言えない。けどそれは言っているも同然で。
「行きます」
「えっ」
「わたしも」
もはや気恥ずかしさを意識する余裕もなく。
「学園に行きます」
「まあ!」
目を丸くされる。
「ソニアさん!」
手を取られる。とびきりの笑顔で。
「そうなんですね!」
「?」
何なのだと。
「ようこそ、学園へ!」
「はあ」
「ご入学、おめでとうございます!」
「は!?」
目を丸くする。こちらが。
「入学……」
誰の。
「たしか、手続きは事務部のほうで」
「いやいや!」
わけがわからないまま話が進められている。
「どうして、そうなるんですか!」
「え?」
きょとんと。
「入るんですよね」
「入りません!」
「あ」
うっかりしたと。
「そうですよね。ごめんなさい」
「ふぅ」
わかってもらえた。思ったのもつかの間。
「新学部ですね」
「……は?」
「そうですよねー。騎士槍職人のソニアさんが医療学部って、ちょっと違いますもんね。それはそれで大歓迎ですけど」
「いえ、その」
「そうかー、騎士槍学部かー」
一人合点が止まらない。
「あの、先輩」
こちらでも見ていられないと。横から口をはさみかけたところに。
「んー?」
眼鏡の奥から。笑顔で圧を放たれる。
「ユ、ユイファ『さん』」
「んー」
だめか。そんな緊張の中。
「そうよね」
にっこり。
「ここは学園だものね。公私のけじめはつけないと」
「は、はい」
公私? いや、『私』でもと思いつつ、何よりもまず公共の場での『お姉ちゃん』は許してもらいたい。
「リュウさん」
そこへ。今度はこちらがかばうように。
「急いでいますので。行きましょう、五十嵐さん」
「あ、はい」
「ええっ!」
ショックを。
「ソニアさん!」
詰め寄る。
「ひどいです!」
「え……?」
話を切り上げることがそんなにも。
「妹を! 冴ちゃんを奪おうだなんて!」
「い……」
いやいや! しかし。
「あの」
確かめる。
「奪われたんですか」
「ええっ!?」
今度はこちらで悲鳴があがる。
「なんで、わたしに聞くんですか!」
「いえ、そちらでその認識の可能性もあると」
「ありません!」
とたんに。
「冴ちゃーん❤」
抱きしめる。
「きゃっ」
「もー、『きゃっ』だなんて。他人じゃないのに」
「それは」
他人。とは言わないが、いきなりこんなことをされれば驚く。
そう言いたそうなところへますます。
「冴ちゃん、かわいー❤ さすが、わたしの妹ね❤」
「い、いえ」
またも言葉を飲みこむ。
無駄だ。早々に悟ったのだろう。
「ふぅ」
ここにいるのも無駄かもしれない。
背を向ける。
見捨てていくような気もしたが、命まで取られることはないだろう。
目的の場所も、案内図などを頼りにすればなんとかなるはずだ。
「………………」
かすかに。
胸の奥にうずくものを感じる。
(自分は)
この『姉』のように。あけすけに好意を示すようなことはできない。
それは。
(どうして)
その答えは、自分でももう思い出すことはできなかった。
背筋が伸びるものはあった。
自分たち騎士の最高位である〝熾騎士〟。現在は名誉称号的にその位階にあるとはいえ、重みは決して無視できるものではない。
自分が知る学園長。〝聖母〟と呼ばれたアンナマリア・ルストラも同じ〝熾騎士〟ではあった。加えて、騎士として人間として、誰よりも年月を重ねた偉大な人物だ。
だが、それを意識させないまさに聖母というべき優しさがあった。
包みこまれるようなという言葉がふさわしい。
敬意を向けられながらも、年齢や立場を超え、わけへだてなく周りと接した。
とても身近に感じられる人。その印象が強い。
しかし、新学園長に対しては、そうはいかないだろう。
(フリーダのお父さんでもあるのよ)
くり返し。自分に言い聞かせ。
「失礼します」
ノックのあと。許可を得て、学園長室に入る。
「あ……」
かすかに。驚きの声がもれる。
仕事をしていた。
いや、当然のことではあるが、がっしりとした大柄な男性が机の前に座って書類にペンを走らせている姿は、やはり違和感を覚えるものだ。
「用件は?」
「えっ、あ……」
なんとか平静を取り戻そうとする。
それにしても、これが初日とは信じられない。
すべてが唐突だった。
学園長の交代を知らされたのも急だったが、一言のあいさつもなく金剛寺が姿を見せなくなり、同じく何のあいさつもなくこうして『新』学園長が赴任した。
「あの」
教師たちを代表する思いで。事実、長期で離れていたとはいえ、学園において自分は古株の一人だ。
「何かお困りのことは」
「ない」
「………………」
言葉がない。
そんなことはないだろう。言いたかったが、事実、書類に目を通し必要な手続きを取っていくその動きによどみはなかった。
(えーと)
どうしよう。さすがにそんな思いを抱いていると。
「他には?」
「え、あのっ」
とっさに。
「金剛寺さんは」
ペンを動かす手が止まる。
「その、どうされているかと」
「すでに」
口にする。
「学園とは関係のない人間だ」
「えっ!」
切り捨てるような言い方に目を剥く。
「ですが、その」
つい。
「学園長は金剛寺さんと親しかったと。それで今回のことも承知されたのでは」
「余計な詮索だ」
またも一言。切り捨てられる。
「………………」
こうなれば。もうこちらからは何も言い出せない。
「……失礼します」
「金剛寺は」
思いがけず。去りかけたところに。
「もう教師に戻ることはない」
「えっ!」
たまらずふり返る。
役職を降り、後進の育成に専念する。敬愛する者たちはみなそう考えていた。
「学園長! いまおっしゃったことは」
しかし。
「う……」
答えない。その気もない。
再び黙々と書類に目を通し始めた姿からもそれは明らかだった。
(どういうことなのよ)
何が起こっているのか。それを。
(フリーダ……)
いま一番相談したい。その相手は――
「うまい!」
心からの。
「もう一杯!」
突き出される茶碗に。
「ふふっ」
笑みがこぼれる。
「うれしいです。こんなによろこんで食べてもらえて」
「だってさ」
さすがに。照れくささに頬をかきつつ。
「うまいだろ。間違いなく」
しかも、作っているのは子どもたちだ。まさに大人顔負けである。
「ありがとうございます」
応対がまた子ども離れしている。
「あ、すみません。おかわりでしたよね」
いそいそと。
茶碗を受け取り、おかわりをよそい始める。
(いいのか、これ)
思ってしまう。
人質なのだ。一応は。
(大体)
何に対する人質なのだろう。完全に見失われている気がする。
(つっても)
正直。
いま戻るのもしゃくだ。
外と自由に連絡できるという前代未聞な人質待遇のおかげで、現在学園がどういう状況なのかはこちらの耳にも入っていた。
(親父……)
あり得ない。真面目に学園の仕事をしているなんて。
(どういうつもりなんだよ)
わからない。それがこちらをいら立たせる。
「あの」
おそるおそる。
「何かお気に召さないことが」
「あ、いや」
あわてて首をふる。
「遠慮なさらずおっしゃってください。人質さんなんですから」
「う……」
やはり、あり得ない。
「えーと」
何を言おうか。考えていると。
「大変だーっ!」
大きな声で。
「大変だ、大変だ、大変だーっ!」
どーん! 扉を。
「先生、てーへんだ!」
「岡っ引きの子分か、おまえは」
「とにかく大変なんだよ!」
いつものキャラに戻り。
「学園長先生……じゃなかった、金剛寺さんが」
「えっ」
続く話を聞き。
「なにーーーーーーっ!」
負けじと声を張り上げる。
「どういうことだよ! なんで、親父がそんなこと言うんだ!」
「わからないよ。ぼくもネクベ先生から聞いただけで」
顔がくっつくほどに詰め寄られ、おろおろと瞳を泳がせる。
(親父ぃ~~!)
わなわなと。
「行ってくる」
「だめです」
あっさり。
「人質ですから」
「く……」
まだ生きているのか、その設定は。
「あっ。先生、人質だった」
「おい!」
こっちまで。
「大丈夫!」
身をひるがえす。
「!」
ふり返った。その顔を見て。
「突けば湯が湧く――ユウガランサー!」
(またか……)
「ちなみに『わく』と言っても、沸騰するほうの『沸く』じゃないから」
「知るか!」
もういい、仮面は!
「お待たせしました、とらわれのレディ」
待ってない!
「さあ、ぼくと共に」
「だめです」
立ちふさがる。
「人質ですから」
「う……」
自分よりはるかに小さな相手を前に。しかし、明らかなひるみを見せる。
「だ、だめだよー、悪いことは」
にっこりと。笑って。
動かない。
「うう……」
ますます困ったという声がこぼれる。
そこへさらに。
「わー、ヒーローだー」
「カッコいー」
「ええっ!?」
小さな影が次々と。取り囲んでくる。
「ねーねー、何ランサー?」
「ユ、ユウガランサーだよ」
「すげー」
「ユウガランサー、カッケー」
「そ、そうかな」
満更でもないと。
「ねーねー、ポーズ決めてー」
「名乗ってー」
「はぁっ! 我が名はユウガランサー!」
「わー」
パチパチパチバチ!
「えへへー」
すっかり乗せられている。
「はぁ」
頼りにならない。
いや、生徒をあてにしてどうするのかと。
「だめです」
やはり。立ちふさがる。
「行かせることはできません」
やわらかに。しかし、そこに下手な大人よりゆるぎないものをにじませ。
「姉の許可が出るまでは」
「仕事中なのだがな」
たんたんと。
叱りとばすでなく、怒鳴りつけるでなく。
書類に落とした目を上げることなく。
「ええですやん」
こちらも。落ちつき払った態度で口にする。
「娘さんを預かってます」
「………………」
「返してほしかったら」
ぐっ。机越しに顔を近づけ。
「パパのこと、話してもらいます」
答えはない。
構わず。
「なんで、学園長になることを承知したのか。そのためにパパと何を取り引きしたのか」
「取り引き」
かすかに。視線が上がる。
「なぜ、そう思う」
「だって、そうですやん」
肩をすくめる。
「パパはまっすぐな人や。駆け引きなんてことようせん。それは」
静かな目で。
「学園長先生もそうですやろ」
「………………」
答えは。ない。
「パパはどうしてますの」
「何も聞いていないのだろう」
「それは」
「なら、俺の口から話せることはない」
言葉に詰まる。
しかし、すぐに。
「なんでや!」
バン! こらえていたものが噴き出す。
「気にかけたっていいやん! 家族なんやから!」
「それは自由だ」
「そういう問題やなくて!」
「金剛寺は」
言う。
「自分で選んだ」
「……!」
「すくなくとも俺はそう思っている」
「そやかて」
引き下がれない。
「それをウチが知りたいと思うのも自由やろ」
「教えたくないという意思があってもか」
「っ」
「話はこれまでだ」
立ち上がる。決済が終わったと思しき書類の束を残して。
「ウチは!」
父を思わせる――
大きな身体を隙なくスーツで覆ったその広い背中に。
「娘なんや」
「………………」
「娘なんや!」
心からの。声を。
しかし、部屋を出ていく足が止まることはなかった。
「師匠!」
迷っていた。完全に。
高をくくっていた。
しかし、驚くほどに校舎内では人とすれ違わなかった。
医療学部とはまったく違う。あちらは筆記具や実習道具を手にあわただしく行きかう生徒たちで満ちていたというのに。
そこで思い出した。
医療学部の実習は当然のように屋内がメインだが、騎士学部はそうはいかない。
基本、屋外。
馬を駆る騎士なのだからそうなるのは自明だ。
あまり必要とされないのか案内図らしきものもない中、ただひたすらに静まり返った屋内を歩いて回った。
そんな状況での、偶然の遭遇だった。
「………………」
ちらりと。こちらを見ただけで。
「し、師匠」
あわてて。
「そのお姿は」
見慣れない。というより見たことのないスーツ姿に目を見張る。
「そのような服もお持ちだったのですね」
「用はそれだけか」
「あ……」
そんなわけはない。服のことなどどうでもいい。
「師匠に伺いたいことが」
「またか」
「えっ」
「金剛寺のことだろう」
まっすぐに。見すえられ。
「その通りです」
おずおずとうなずく。が、すぐさま。
「わたしは!」
勢いよく。顔を上げ。
「あのことが、その、金剛寺さんと何か」
「………………」
「わたしが!」
声を張る。
「金剛寺さんの槍を創りたいと言ったことが!」
Ⅻ
「無理だ」
創りたい。とは言っていない。
「はい」
うなだれる。
〝槍の墓場〟から姿を現したところをたまたまつかまえられた。普段から、食料など日用品を運んでいたが、こうして面と向かいあえることはきわめてまれだった。
相談した。
槍を創ってほしいと言われたことを。
即座に。
無理と言われた。
「なぜですか」
つい。
「わたしでは力不足だと」
「金剛寺は」
そこで。言葉が止まった。
「………………」
「師匠?」
「……いや」
珍しい。それは何かを取りつくろうような。
「あっ、師匠」
何も答えることなく。
大きな背が再び隠し通路の奥に消えていった。
「………………」
あぜんと。そして。
(何なんですか)
むやむやと。消化しきれないものが胸にたまっていく。
「わたしでは」
力不足。なら、はっきり言ってくれれば。
すでに騎士でない人の騎士槍を創る。
土台が無理ということはわかっている。
しかも、自分はまだ一人前とはとても言えない。
それでも。
(マーロウさんは)
言ってくれた。創ってほしいと。
(なら)
自分にそう言われるだけの何かがあるのではないか。そう期待してしまっても仕方ないではないか。
「わたしが」
ぐっと。拳を握っていた。
「わたしが……」
そのとき、心は決まっていた。
無理と言われても、許さないと言われたわけではないのだから。
(それが)
いまさらながらに。重要な記憶となってよみがえる。
槍のことを相談した。
それから間もなくだ。アレックスが学園長になることを承諾し、前後して金剛寺が姿を消したのは。
(何が)
起こっているのか。
わからない。
それでも原因の一端が自分にあるような思いで居ても立ってもいられず。
「ソニアさん」
「っ」
そこに。
「どうしたの」
近づいてくる。
「ごめんなさい、ソニアさん」
頭を下げ。
「案内の途中で」
「いえ」
あれは、自分のほうから先に行ってしまったのだから。
「もー、だめだよ、冴ちゃん」
なぜかこちらが。腰に手を当て。
「一人で行かせちゃったりしたら。ソニアさん、引きこもりなんだから」
「鏑木(かぶらぎ)さん」
誰が、引きこもりだ。
確かに『工房』にこもっていることが多いのは事実だが。
「引きこもりな人ががんばって外に出ようとしてるんだよ。ちゃんと見守ってあげないと」
「鏑木さん」
どこまでも。
冷ややかな視線がさすがに怒りをはらんだものに変わる。
しかし、さすがに年上として。
「無理を言ったのはこちらです。五十嵐さんが多忙ということは承知しています」
「そうだよ、冴ちゃん、授業で忙しいんだから。引っ張り回したらだめだよ」
(この子は)
一体どちらの味方なのだ。
「錦」
さすがに。たしなめるように頭を小突く。
「ごめんなさい、うちの錦が」
「いえ」
あらためて。苦労がしのばれる。
「それで」
顔を上げ。
「学園長室にはもう」
「……っ」
そのことは。
「いいんです」
「えっ」
「だめだよ、あきらめたら!」
またも。
「外に出るのをあきらめたら、いつまでも引きこもりのままで」
「錦っ!」
ぎゅうっ。
「痛っ。つねらないでよー」
「仕方ないでしょ。いちいち背伸びするの大変だし」
そんなやり取りに。
「ふぅ」
ため息。
あきれたというより、いまのこちらの気分とかけ離れていて。
「行きます」
「あっ、ソニアさん」
「ごめんなさい、怒らせてしまって」
「いいえ」
かすかな気遣いの言葉。それが精いっぱいだった。
「イラつくわー」
ねちねちと。
「先生、自分の父親にどういう教育してますのん」
「あのなー」
流されつつ。
「おまえ、あたしを何だと思ってるんだ」
「ねーさん❤」
ぺたっ。
「ひゃあっ」
ぞくぞくっ。
「しなだれかかるな!」
「ええですやん、女同士」
「むしろ問題だろ!」
裏返った声で。
「まったく」
大事な話があるからと。
なぜか、風呂場に引きずりこまれてしまい。
「ふっふっふー」
「っ!」
不気味な笑い声にびくっとなる。
「後ろは取った」
「い……いやいやっ」
さすがにあわて。
「そういうことじゃないだろ!」
背中を流すと言われたから。
「先生は」
つつー。
「っっっ!」
「ウチの思うがままや」
「だからやめろ、そういうのは!」
またも声が裏返る。
「おまえ!」
いつまでふざけているつもりだ。
そう声を張り上げ、ふり返ろうとしたそのとき。
「し、失礼します」
「!」
思いもかけない。
「おー」
驚きと感嘆の息。
「これは意外と」
「見ないでくださいっ」
きゅっと。身体に巻いたタオルを持つ手に力をこめる。
「ソニア……」
あぜんと。
「何してんだ」
「入浴です」
言わずもがな。そんな何でもない風を装うが、さすがに無理がある。
「ほな、どうぞこちらに」
「結構です」
「ほらほら、先生、どいて」
「ええっ?」
強引にどかされ。その代わりに強引に。
「お客様、ごあんなーい」
「お客様では」
あるのだが。
「お背中流しまーす」
「きゃっ」
取り払われる。
「な、何を」
「いや、こんなモンあったら背中洗えんし」
「洗わないでくださいっ」
「え……」
がく然と。
「洗わないんや」
「ええ」
「お風呂に入って身体を洗わない」
「えっ」
「肌を傷めないようにとかはあるんやろうけど、それでも女の子としては」
「ちょっ、なんてカン違いを」
「そうだぞ。風呂入って洗わないんじゃなくて、そもそも風呂自体に」
「フリーダさん!」
いきり立たれるも、苦笑し。
「冗談だって。いくら引きこもりでも風呂くらい」
「フリーダさん」
「冗談だよぉ」
逃げるように湯船に入る。
「ははっ」
広い浴槽の熱に身をゆだね。
笑う。
「笑っている場合ですか」
結局、背中を洗われながら。恨めしそうに言う。
「わたしは」
視線が沈む。
「もうどうしていいかわからないのに」
「なんで?」
「……!」
背中を洗いながらの無神経な発言に。
「あっ、あなたが」
「ウチが?」
「あなたが」
途切れる。
「………………」
だめだ。意味がない。
それどころか。
「ソニア」
顔を上げる。
いつの間にか。湯船から上がったそこに仁王立ちで。
「そんな顔してんなよ」
「あなたに」
この人まで。大体、自分は。
(……だめだ)
だめすぎる。
責任を人にかぶせようとしている。その時点で。
「おまえはあたしの妹だ」
「……!」
予想もしない。
「だから」
ぐっ。
「腹割って話せよ」
「フリーダさん……」
さすがにこの人だけは。『バルバロッサさん』とは呼べない。
「身内だろ」
身内――
「………………」
そうか。
「ふふっ」
自然と。笑みが。
「そーそー」
くしゃくしゃっ。
「な、何を」
「いいじゃん。あたしの妹みたいなもんだし」
「妹……」
くしゃくしゃっ。
「あの、だからと言って髪をそのように」
「シルビアが背中だから、あたしは頭洗ってやろうかなって」
「ええっ!」
「それとも、前を」
「前は結構です!」
「じゃー、頭な」
「う……」
反論できないまま。頭を洗われる。
背中も続けて念入りに磨かれ。
「ほーら、キレイになってきたでー」
「別に普段汚くしているわけでは」
「そやなくて」
言う。
「キレーイな身体で行かんとな」
「えっ」
それは。
「ええかげん」
凄みがこもる。
「ケリつけるときやと思うし」
「ちょっ」
それはまさか。
「師匠のもとに」
「パパのところにや」
すかさず。
「島の中は全部探した」
「全部……!」
「ウチの家族はそろって優秀やからな」
にやり。
「映像データも手あたり次第。島から出た様子もなかった」
「では」
この島で。人目につかないところといえば。
「あ」
実際には、いくつか候補が上げられるだろう。
しかし、とっさに浮かんだのは。
「槍の……」
「せや」
うなずく。
「いるんや」
確信を。持って。
「パパも」
「でも……!」
なぜ? その答えがまったく出ない。
「槍……」
「!」
心持ち。苦さのこもったつぶやきにはっとなる。
「金剛寺さんは」
語る。
「あそこに……〝槍の墓場〟にいなきゃならない理由があるんだ」
「何を」
それは。
「関係が」
あるのか。
「………………」
それ以上は。安易に口にできない。
「まー」
ぽん、と。こちらの気持ちを察したように。
「行ってみればわかるし」
「……わたしも」
身体を。洗われた時点でそういうことなのだとは思ったが。
「行きます」
言っていた。
ごくり。
無意識につばをのみこんでいた。
「なんで、夜なのよ」
「昼間は学園に来るやないですか」
「それはそうだけど」
三人。石碑の前に立つ。
「ソニア」
「はい」
覚悟はできていた。
すぐさま、地下への隠し扉を開く作業にかかる。
「フリーダさん」
手を動かしながら。
「わたしからも呼んだほうがいいのでしょうか」
「?」
「『お姉さん』と」
「なっ!」
うろたえる気配が伝わる。
「いや、風呂でのあれはな」
恥ずかしかったのか。
柄にもない。
たくさんの弟妹たちを持った〝姉〟に影響でもされたのか。
「ふふっ」
「笑うなよ」
やはり。
「お姉さん」
「う……」
「嫌ですか?」
「す、好きにすればいいだろ」
そっぽを向く。やはり、柄にもなく照れている。
「あかんな」
「えっ」
思いがけない。脇からのクレーム。
「いけませんか」
「あかん、あかん」
手をふり。
「『お姉ちゃん』」
「ええっ!」
「それが難しいなら『お姉さま』、あるいは『お姉たま』」
「より難しくなっています!」
絶叫する。
「『お姉たま』って、そこまでは」
「検討しないでください!」
「まー、意外にそそられるものも」
「興味を持たないでください!」
声も枯れよと。
「ハァハァ……」
荒くなった息を落ち着かせ。
「はぁ」
あらためて。ため息。
(この人たちは)
しかし。
(そもそもは)
自分が。らしくない軽口をたたいてしまったせい。
「はぁ」
「なに、ため息ばっかついてんだ。湿っぽい」
肩に腕を回し。
「妹だ」
「っ」
「言ったよな」
「は、はい」
力強く。
「守るから」
「……!」
「お姉たまがさ。守ってやるから」
「いえ、あの」
はっきりと。
「その呼び方をする予定は」
「なんだよー。人がせっかくカッコつけてんのに」
「呼称が台無しにしています」
そこへ。
「はぁー」
あきれたように。ため息をつかれる。
「あかんな」
「ですね。もっと真剣に」
「そう、真剣に!」
熱がこもり。
「ツッコミはもっと勢いよく! バーンと頭シバいて!」
「って、漫才の指導ですか!」
ビシッと。
「そーそー、それでいいんや」
「ありがとうございます!」
もう何が何やら。
「すこしは」
笑って。
「ほぐれたか」
「あ……」
そういう。
「フリーダさん」
だけでない。
「軽くやで、軽く」
こちらも。
「……はい」
いままでにない。
つながりがいまはっきり感じられていた。
(わたしは)
いままで。なぜあのように頑なでいたのだろうか。
(師匠)
この人のもとで学ぶと決めたとき。
自分は心も何もかも解き放ち飛びこんでいったはずなのだ。
(だから)
できる。いまこのときも。
「っ」
開いた。
「よーし」
肩に手を。
「リラックスしていくぞ」
「はい」
うなずいた。
「慎重に」
慣れている。というほどではない。
それどころか初めてだ。
こうして〝槍の墓場〟の深部へ降りていくのは。
「慎重に」
くり返す。なかば自分に言い聞かせるように。
「リラックスやでー」
後ろからささやかれる。
それもまた、己自身にも向けられた言葉のようだった。
「ふー」
息を。つく。
「わかりました」
返す。
ほっと。そんな気配が伝わってくる。
「……!」
下りの段が終わる。
そこに。
「………………」
静かに。息をのむ。
聞いてはいた。知っているつもりでいた。
しかし、それは。
(こんな)
騎士でない自分にも。
いや、騎士槍鍛冶ではあるのだ。その心がゆれないはずがない。
目の前に広がる――
「っ」
気がつく。
騎士二人が共に目を閉じ、胸に手を当てていた。
(哀悼……)
はっとなり。あわてて自分も倣う。
(ここは)
神聖なる場所。
数多くの騎士たちの魂が眠る場所。
あらためてその重さを感じる。
(自分は)
場違いなのではないか。そんな思いにとらわれるも。
「!」
すぐさま。
「師匠」
気がつく。
「………………」
こちらに。
向けられる険しい視線。
「ソニア」
「っ」
ふるえる。
続く言葉はない。しかし、言わんとしていることは如実に伝わる。
なぜ。ここに。
だ。
(あ……)
その視線が自分の後方に向けられる。
「親父」
うめくような。
それでいて。引かないという意志をにじませた。
「許されないんだよ」
前に出る。
「半端な気持ちでさ」
「約束を違えることはしない」
引かず。
「金剛寺とのな」
「っ!」
ふるえる。
「金剛寺さんと」
声に。振動が伝わり。
「何をどう約束したってんだよ!」
「学園長を務めること」
「それは」
「代わりに」
言う。
「俺の槍を手に取ってもらう」
「えっ!」
驚きの声を。
「どういうことですか、師匠!」
身を乗り出す。
「それはわたしが」
「………………」
沈黙。
「まさか」
そういうことなのか。
「師匠は」
悔しい。
「否定はしない」
静かに。
「きっかけになったのは確かだ」
やっぱり!
「俺は」
語る。
「考え続けてきた」
「何を」
「騎士と槍のこと」
当然。しかし、そこに。
「なぜ、騎士でない者は槍を持つことができないか」
「えっ……!」
正確ではない。だが、真実である。
(師匠)
この人は。
理不尽ともいうべき現実を誰より実感している。
そして、その思いを共有している――
「パパに」
その〝娘〟が。
「何を持ちかけたんや」
こちらからも。ふるえを。
「………………」
短い沈黙の後。
「試した」
「!」
「俺は」
抑えた声に確かなつらさをにじませ。
「やつを利用した」
瞬間。
「あっ」
止まらない。
なかば駆けるように踏み出していく。
「パパを」
怒りではない。むしろ、やりきれなさで。
「パパはあんたを」
「知っている」
はっと。
足が止まる。
「………………」
視線を向けた。そこに。
「パパ……」
涙が入り混じる。
「なんでや」
ふらつきつつ。
「なんでやの。みんな、ほんまに心配してて。けど、ウチらのパパやからって」
「近づくな!」
するどい。
「っ」
とっさに。こちらは動きを止めたものの。
「あ……」
止まらない。
「シルビアさ――」
閃光。
地上から月明かりを取りこんでいる地下空間。
その光を照り返すように。
「……パパ」
驚愕にゆれる瞳の先。影をまとって立つその人物の手に――
騎士槍があった。
ⅩⅢ
動けない。
誰もが。
「………………」
薄闇の中の沈黙。それを破ったのは。
「なんでや」
なかば自らにも向けられた。
「パパが」
ふるえる脚で。
「槍をなんて、そんなこと」
近づいていこうと。
「っ」
止められる。
「あ……」
大きな身体が。背後から抱きすくめるようにして。
「未練はないと」
苦しげに。
「本気で思っていたか」
「!」
衝撃が。
「そんな」
ふるえる声が。
「そんなわけないやん」
止まらない。
「けど、パパが。そんな自分を見せたくないって。わかったから。わかってたから。だから、ウチらは」
「あたしもだ」
横に並ぶ。
隣を――父のほうを見ないまま。
「これだから、男は」
舌打ちを。
「なんでも自分たちだけで抱えこんで」
あてこするような言葉に。
しかし、返答はなく。
「構えろ」
「……!」
「俺にも」
汗が。険しい顔に。
「どうなるかはわからんのだ」
「あんた……」
たまらず。
「何をしたんだよ! 金剛寺さんに!」
「これからだ」
静かに。
「始まっているのだ」
「始まって」
何が。
それを口にする間もなく。
「!」
動いた。
「パパ!」
「金剛寺さん!」
共に。我に返ったように前に。
「動くなと言った!」
声を張る。
「っ」
出る。
二人に先んじて。
「くっ!」
ガッッ!
「!」
衝撃が空気をゆらす。
止めた。
いや、くり出される前に抑えこんだというべきか。
「金剛寺」
耳元で。
「おまえは金剛寺鎧(がい)だ」
答えは。ない。
「パパ……」
耐えきれないと。
「どうしたん? ウチや。パパの」
かすかに。言葉につまるも。
「娘のシルビアや。せやろ?」
答えは。
「!」
力がこもる。槍を持つ手に。
「金剛寺!」
懸命に。
そしてこちらに。
「行け!」
険しい顔で。
「ここを出ろ! 早く!」
「親父……」
がく然と。
「なんだよ……どういうことだよ」
「フリーダ!」
娘の名を。
「行け!」
「でも」
「仮にも教師だろう!」
はっと。
「生徒を……子どもたちを」
「わ……」
うなずいていた。
「わかった」
すぐさま。
「シルビア! ソニア!」
「けど、パパが」
「行くぞ!」
問答無用。
「マーロウさん」
ここは。
「く……う……」
行けない。それでも。
「パパに何かあったら許さへんから!」
走った。
共に。
地上へと向かって。
「ハァ……ハァ……」
時間にして三十分も経っていない。
しかし。
「何なんだよ、あれは!」
叫ぶ。
「………………」
「………………」
答えられない。誰も。
「パパ」
崩れるように。
「何やの、あれ。どうなってんの」
「シルビア!」
立ち上がらせる。
「しっかり――」
「そないなこと!」
にらみつける。
「言われたない!」
「っ」
腕をつかむ力が弱まる。
「そうだな」
目を伏せる。
「それでも」
すぐに。顔を上げ。
「あたしには責任があるんだ」
「………………」
「大人として。先輩の騎士として」
「せやったら」
冷めた。いや、それをはるかに超える冷たい目で。
「パパをなんとかしてください」
「……っっ」
「できるんですよね」
凍った。眼差しのまま。
「先生なんですから」
「………………」
答えられない。
「……パパ」
再び。力が抜ける。
「わからんかった」
こぼれる。
「パパ……ウチのこと、わからんかった」
「何を」
そんなはずは。言いかけて。
「く……」
言えない。
言えるだけの確かなものが。
「っ!」
気がつき。あわてて。
「ソニア!」
戻ろうとしていた。その背に向かって声を張る。
「おい!」
駆け寄る。
「何してんだ!」
「わたしは」
うつろに。
「戻らないと」
「おい!」
「でも」
はかなく。ゆれて。
「わたしが」
「おまえが」
言葉を重ね。
「何をできる」
「……!」
「や、悪い」
すぐさま。
「あたしにだって、その、何がなんだか」
「わたしには」
言う。
「わかります」
「えっ!」
「ホンマか!」
共に。身を乗り出す。
「槍です」
「!」
「あれは」
心持ち。声を落とし。
「きっと……師匠が望んでいたもの」
「親父が」
と、横から手が伸び。
「どういうことや」
乱暴に。襟元をつかむ。
「それで、なんでパパがああなるん」
「お、おい」
いつにない態度に。
「何してんだ!」
「何でも」
言う。
「何でもしますよ、ウチは」
目をすわらせ。
「ほら。知ってること、早ぉ言い」
「わたしは」
苦しそうな息の中。
「あなたに」
「あ?」
「槍を創ってほしいと言われて」
「……!」
瞳がゆれるも。
「それが何やっちゅうねん! ウチはただ」
「ただ?」
「ただ……」
言葉が。途切れる。
「………………」
無言のまま。
手で顔を覆う。
「……わからん」
こぼれる。
「わからへんねん」
「シルビアさん……」
「けど、ウチの言ったことでパパが……そやったら、ウチ」
「おい」
手を置く。
「もういい」
「よくは」
「ないけども!」
言い切り。
「誰のせいでもない」
「……っ」
無責任な! にらみつけるも。
「く……」
続かない。
はかなく瞳が落ちる。
「何なんや」
こぼれる。
「ほな、誰が悪いんや。どうすればよかったっちゅうんや」
「終わってないだろ」
肩をつかむ手に力がこもり。
「そういうことはさ」
言う。
「全部終わってから考えることだ」
「先生……」
「おう」
先生。その呼びかけが素直に受け止められる。
「おまえら」
二人を。見て。
「なんとかするぞ」
がくっ。
「な、何や、それ」
「だから、なんとかするんだよ」
「それでは何の解決策にも」
そこに。
「話は聞いたよ!」
颯爽。
「あっ!」
驚く。間もなく。
「突けば湯が湧く、勇気湧く!」
がくぅっ。
「勇気百倍! ユウガランサー!」
「って、パクリか!」
「鏑木さん……」
「じゃなくって、ユウガランサー!」
「どっちでもええねん!」
いきり立ち。
「こっちは遊びにつき合ってる場合や――」
「遊びってどういうこと!」
いきり立たれる。
「ぼくはいつでも真剣だよ! 真剣にユウガランサーだよ!」
「それはそっちの好きに」
「真剣に騎士だよ!」
はっと。
「真剣に……」
「騎士だよ」
くり返す。
「シルビアさんだってそうでしょ」
「………………」
投げかけられたその言葉を。かみしめる。
「先生だって」
「っ」
「騎士だし。先生だし」
「言われるまでも」
ない。
「なんとかしよう!」
拳を握り。
「よくわからないけど!」
がくっ。またしても。
「よくわからないのに言うてたんかい!」
「わかってるよ!」
あらためて拳を握って。
「騎士だってこと! 騎士は逃げないってこと!」
「――!」
ふるえる。
「せやん」
うつむき。自分に。
「逃げたらあかんやん」
口にする。
「ウチの大事な……パパなんやから」
「そうだよ」
そこに。
「あ……」
目を見張った。
「ハァッ……ハァッ……」
なんとか。
あらがうことをやめた巨体を前に、弱々しく息を切らす。
「情けない」
一人ごちる。
「金剛寺」
返答はない。
「く……」
悔恨。しかし、すぐさま。
「馬鹿な」
吐き捨てる。
わかっていた。
いや、わからなかったからこそ。
(俺は)
自分たちは。
賭けた。
(それが)
いや、まだだ。
「金剛寺」
再び。呼びかける。
「おまえは、金剛寺鎧だ」
そうだ。
共にあの〝大戦〟の地獄を生き延びた。
なりたての〝騎士(ナイト)〟でありながら、先達に負けない勇猛さと果敢さをもって戦い抜いた。
それが。
(なぜ)
貫く。慣れようのない痛み。
どうして。
騎士でなくなってしまうことに。
(花房……森〔しん〕)
〝聖槍(ロンゴミアント)〟――
己もまた。
同じ痛みを分かち合っている。
(……いや)
自分のこと以上に。
あの純粋な瞳を持った少年がその魂の基を断たれたことが哀しかった。
(魂の)
それは。
「………………」
槍を。
魂とする。
自分たちと同じ。いやそれ以上に本質的な。
(人造騎士)
そう呼ばれる存在。
その槍を。
自分は。
「く……」
再びこみあげる後悔の念。
(だが)
他に手はなかった。
我が身を捧げることにもためらいはなかった。
しかし。
「金剛寺……」
きっかけになったのは確かだ。
金剛寺の槍。
そのことを聞いたとき。
「俺は」
いや、いまさらすべては言いわけだ。
いらない。
必要がない。
ただ。
「成し遂げるのみ」
口にする。
と。
「……!」
ゆらぎ。
「むぅ」
伝わる。
自分の騎力は失われていようとも。
抱きとめている身体を通じて。
「去れと言ったが」
意外という思いはない。
むしろ。やはりと。
「………………」
どのような顔をしていいかわからない。
しかし。
「このままでは」
強すぎるのだ。
〝力〟は。
ここに。
(生ある騎士が近づくのは)
ゆっくりと。抵抗がないのを確かめつつ。
「待っていろ」
言い残し。
導かれた月明かりの差す中を歩き出した。
「……!」
そこに。
「ちょうどいま行こうとしてたとこや」
仮面。
しかも、一人ではない。
「だめだよ、フリーダ先生のお父さん!」
びしりっ!
「なんでもかんでも秘密にしてたら! みんな、困っちゃうでしょ!」
(……おまえは)
どうなのだと。言いたくなる。
先生と呼ぶ。
ということは、騎生の一人のはずだ。
はっきりとは言えない。
なぜなら、やはり。
「おい」
こちらも。
「カ、カン違いするなよ」
何を言ったわけでもないが。
「これは、つまり、流れで仕方なくだな」
「見苦しいで」
「えっ!」
「ヒーローが!」
びしりっ!
「うだうだ言いわけなんてあり得へん!」
「あ、あり得へんか」
「あり得へんわ!」
言い切る。
「あの」
おそるおそる。
「わたしはヒーローでは」
「ヒロイン希望?」
「でもなく!」
必死に。
「わたしは騎士槍職人です!」
「ええやん、職人ヒーロー」
「職人ヒーロー!?」
「カリスマ職人みたいな」
「カリスマ……」
「お、その気に」
「っ! そんなことは」
「ちょっと、みんな! グダグダになっちゃってるよ!」
「おっと、あかんやん」
「あかんよ!」
「まだ、名乗りもあげてへんのに」
「あげる!?」
「名乗り!?」
「ほら、アゲアゲでいくで!」
横一列に。並び。
「銀光の美少女ヒーロー! シルバーランサー!」
「突けば湯が湧く! ユウガランサー!」
「え、えーと」
「『えーと』やなくて!」
「わかったよ!」
ヤケで。
「月下の戦刃! アクセルティーチャー!」
「………………」
「ほら、シメ!」
「い……いえ……」
「『いえ』も『ハウス』もなくて!」
「大体、透明の仮面など仮面の意味が」
「ごちゃごちゃ言わんと!」
「っっ……」
こちらもヤケだと。
「蒼空かたどる鍛冶少女! クリアエアリア!」
「四人そろって!」
いっせいに。
「………………」
「?」
「シルバーランサー?」
「……あー」
ポリポリと。
「決めてへんかったなー、チーム名」
がくぅっ!
「シルバぁー」
「まーまー、こういうこともあるて」
「あってたまるか、こんなことが何度も!」
まったく緊張感のない中。
「それで」
たんたんと。
「何をするつもりだ」
投げかける。
「くっ」
動揺のない態度に。逆に侮辱されたと。
「あたしはな! 教師だ!」
「ティーチャーやし」
「横、うるさい! こんな格好をしてんのもな! 逃げないっていう気持ちを見せたっていうか」
「まー、ここまでして逃げられんわなー」
「だから、うるさいっつってんだろ!」
漫才かと。
「とにかく、こうなんだよ!」
「どないやねん」
「わかった」
わかったのか!? という顔の一同に。
「去る気はないということだな」
構えた。
「え……!」
あぜんと。
「あんたまで」
槍――
「どうなってんだよ、弟子!」
「こ、これは」
質問を向けられ。
「っ」
はっとなる。
「……そうだったのですね」
「なに、一人で納得してんねん」
「あなたが」
仮面の向こうから。
「わたしに金剛寺さんの槍をと」
「い、言うたけど」
「それはきっと」
言う。
「感じ取るものがあったから」
「えっ」
「師匠が」
見る。
「創りあげようとしているものを」
思いがけない。
「……そうか」
つぶやく。新鮮な驚きで。
「娘ということだな」
「っ」
娘――
「そないなこと」
言われるまでもないと。
「聞いている」
「えっ」
「触れたのだな。おまえも」
どういうことか。けげんな顔を続けるところへ。
「ザ・ロウに」
「!」
強張る。
「……見届けただけや」
複雑そうに。
「友だちではあった。けど、いまは」
「ヒーローなのだろう」
はっと。
「ならば」
重ねる。
「いますべきことは、何だ」
「いま……ウチは」
静かに。
「逃げへん」
「違うだろ」
隣で。
「ウチ『ら』だ」
「ティーチャー」
「いや、その呼び方は」
口もとを引きつらせるも。
「……ヒーローだもんな」
すぐに。
「あたしらは」
並ぶ。四人。
「そうか」
仕方ない。そんな息で。
「俺は」
構える。
「〝熾騎士〟だ」
「……!」
「中位や下位の騎士たちが」
にらみすえ。
「あらがうには不遜だと思わないか」
ふるえる。
と。
「そうさせたのは」
前に出る。
「あんただ」
「………………」
「それにあたしたちは!」
完全に吹っ切れたと。ポーズを取り。
「ヒーローだからな!」
「……そうか」
ならば。
「為すがいい」
「!?」
「為すべきことを」
もはや。言葉はない。
その空気にこちらの表情も引き締まる。
「行くで」
「おう」
「わかった」
「わたしは何を」
「職人やもん、槍を創るに決まって」
「いまここでは無理でしょう!」
「えー。じゃあ、何のためにいるん」
「あなたがこんな格好をさせたんでしょう!」
そこに。
「!」
近づく。
「槍を……」
言われるまでないと。
「やあっ!」
ガッ! 組み合った。
「先せ……じゃなかった、ティーチャー!」
「あたしは」
言う。
「ティーチャーだ」
正面から。目をそらすことなく。
「生徒に先にやらせるわけにはいかないんだよ」
責任感。
それは教師であるというだけでなく。
「うおらぁっ!」
振るう。
〝月斧(げつふ)の槍〟。
槍身に斧の刃が取り付けられたそれは、突きを主体とする騎士槍でありながら、凪ぎ払い断ち切る攻撃をも可能とする。
もちろん、通常の斧とは長さそのものが違う。
ただ騎士槍を扱う以上の膂力がなければ、飾り以下の邪魔物でしかない。
それを。
「たぁっ!」
振るう。気合と共に。
ゆるぎない軌道で。
それを。
「ふっ!」
キィィィィィィン!
受ける。槍身で。
当然、真横でまともに受ければ両断、すくなくともひずみやゆがみといった損傷は避けられない。
たくみな角度で。
反らす。力を逃がす。
大柄で無骨な見た目と裏腹の繊細な技だった。
「その槍……」
攻める手を止めないまま。
「あの〝王覇(おうは)の槍〟と同じかよ!」
それは――
そもそもは〝騎士団〟総長のために創られ、現在も正式には彼が所有している。
他の槍にはない。
特殊な力がそこには付与されていた。
いや〝力〟そのものが特殊と言っていい。
騎士の力――騎力を注いで振るわれるのが騎士槍。その根本たる力を〝蓄える〟ことを可能とする。
それが自身であろうと、他者のものであろうと。
そのような異質な力が求められたのは、ある槍に対抗するため。
〝聖槍〟――〝騎士団〟の至宝であり至高である騎士槍。
それと対峙する者、いやただ触れただけでも騎力を奪われ騎士としての器を破壊される。
ただ一人。〝伝説の騎士〟花房森を除いて。
それと拮抗するための圧倒的な、個人の器を超えた騎力。
その実現を目指した槍だった。
一方で。
騎力を蓄えるという特性のため、それは騎力なき者でも扱えるようになった。
その槍と。
同じなのかと。
「違う」
しかし。
「これは」
掲げる。
「槍そのものが騎士なのだ」
「は!?」
あぜんとなり。
「!」
がく然と。
「まさ……か」
「………………」
無言。それが。
「てめえぇーーーーーーっ!!!」
血を吐くような絶叫。
「その槍は! じゃあ!」
「人造騎士の」
あっさりと。
「槍だ」
ぞわり。嫌悪感に青ざめる。
「それが……何だか……」
「あの者たち」
たんたんと。
「そのものと言っていい」
「それを知って……」
言葉が。続かない。
「ティーチャー!」
「っ」
我に返るも。
「ぐあぁっ!」
吹き飛ばされる。己の攻撃顔負けの一閃で。
「どうした」
あくまで。冷徹なまま。
「戦いを求めたのはおまえたちだ」
「ちょっと!」
前に出る。
「なんでこんなことするの! お父さんなのに!」
仮面越し。涙まじりの声で。
「シルバーランサーだって、お父さんのことが心配だから! だからなのに! どうしてこうなっちゃうの!」
「ユウガランサー」
静かに。
「ええんや」
「シルバー……」
「ウチは」
ひるむことなく。
「これも騎士のあり方や思うてる」
「騎士の……」
「ウチは騎士の娘」
胸を張り。
「パパの娘や!」
ダン、ダン、ダァァーンッ!
撃ち放たれる。
「む……!」
足が止まる。
続けざまの銃撃に。
「火力を合わせ持つ騎士槍。銃剣の類いと同じ発想だな」
「余裕やんか」
突先を。そこに並ぶ銃口をも共に向けて。
「ウチの〝銀火(ぎんか)の槍〟。狙いは外さへんで」
「構わん」
踏みこむ。
そのためらいのなさに、一瞬、反応が遅れる。
そこに容赦のない突きを。
「シルバー!」
横合いから。
「はっ!」
キンッ! 金属とは異なる澄んだ音。
「ほう」
感嘆の。
「木製の騎士槍か」
「〝木霊(こだま)の槍〟だよ!」
声を張る。
「神木の魂がこもってるんだから!」
「魂」
口にして。
手中の槍に目を落とす。
「同じと言ったところか」
「一緒にするなぁーーーーっ!」
カンカンカンカンッ!
木刀を思わせる硬く乾いた音が響く。
「なぜ、違うと言える」
引かず。
「人造騎士に魂はないというのか」
「えっ」
止まる。
「あんた!」
立ち上がり。
「知ってるだろう! 知ってるはずだ! あいつらがこの島に」
「知っている」
うなずき。
「だから、魂がないとでも言うのか」
「なっ……!」
絶句する。
「そういう……そういうことじゃ」
「ならば、どういうことだ!」
不意の。
「!」
突き出される。
「あっ!」
「ティーチャー!」
間に合わない。驚愕の言葉による衝撃が反応を遅らせた。
突先が今度こそ――
「!?」
キィィィィィィィィン!
「あ……」
持つはずでない者が。
「ほう」
しかし。それは弾かれたほうも同じこと。
「ソニア」
「ク、クリア」
口ごもりつつも。
「エアリアです」
言い切る。
持ち慣れない騎士槍を手に。
「その槍……」
息をのみ。
「ひょっとして! パパの!」
「はい」
うなずく。
「あなたに言われて。わたしが試作した槍」
掲げる。
「〝金剛の槍・改〟です!」
ⅩⅣ
「か……」
驚き。
「改!?」
「………………」
正確には異なる。
すでに改修は為されている。
聞いている。かつての槍は一度手を加えられ、その特殊な力をオミットする形で復元されたことを。
その槍も、いまはない。
だからというわけではないが。
元の〝能力〟に近づけた。
それをもって自分の中では〝改〟とされている。
「あんた」
あぜんとしつつ。それでも。
「約束……守ってくれたんやな」
「約束をしたわけではありませんが」
そっけなく。
それでも面はゆさは隠せない。
「そうか」
たんたんと。
「おまえが金剛寺の槍をな」
「……!」
来る。
「下がりぃ!」
あわてて。言う。
それはそうだ。
騎士槍鍛冶でしかないのだから。
騎士ではない。
師は違う。
騎士であったのだ。
そして、現にいま騎士槍を振るっている。
それでも。
「わたしは」
引かない。
(はっきりと)
示してみせる。
「下がりぃて!」
必死さが増す。
「!」
振るわれた。
「はぁっ!」
初めての。
騎士のごとき気合。
「――!」
キィィィィィィン!
金属音と共に伝わる衝撃。
「っっ……」
さすがに。
身をすくめないでいるのは無理だった。
それでも。
「やっ……た?」
疑問形。
「やった!」
確信をもって。
「ほう」
感心の。周りからは驚きの眼差しが。
「あんた……」
「〝改〟でしょう」
かすかな誇らしさと共に。
「〝改〟やな」
認める。
〝金剛の槍〟――それは格闘能力の高さを活かすため、槍と使い手との一体化を実現した騎士槍。
それを推し進め。
「にしても」
苦笑まじり。
「槍って言うてええの?」
「それは」
一瞬。言葉に詰まるも。
「いいんです」
言い切る。
「わたしは騎士ではありません」
「それは」
そうやけども。言いかけたところで。
「そんなわたしを」
触れる。
「守ってくれました」
槍――いや『槍だったもの』と言うべきか。
突先が迫る寸前。
分裂し、身体の各所を守るように装着された。
さながら、鎧のように。
「〝改〟です」
あらためて。言う。
「ですが」
顔を上げ。
「レディを守る。その騎士の魂は変わらずここにあります」
「おお……」
その言葉に。感動し。
「そうやん! 〝改〟やん!」
「〝改〟です」
やはり面はゆそうながら。
「〝改〟か」
こちらも。
「師匠……」
「騎力の助けなしで」
と、言いかけ。
「いや」
頭をふる。
「形に宿る」
「?」
「あるのだな」
一人。納得したようにつぶやき。
「これもまた騎力のあり方か」
構える。
「見せてもらう」
「……!」
腰を据えて。対峙され、さすがにひるみは隠せない。
「ようがんばった」
すかさず。割って入る。
「見せてもらったで、あんたの誠意」
「誠意と言われるようなことは」
「ほな、何?」
「当然のこと」
自然と。胸が張られ。
「騎士槍鍛冶として」
「そっか」
それで十分だと。
「さー、こっからはウチらが気張らな」
「気張ろうね!」
「おまえら、そんな軽い気持ちで」
「軽ぅなんてないし」
「ないよ」
「なら、いいけどさ」
「そっちこそ、平気なん」
「そうだよ。お父さんだよ」
「あたしは」
詰まるも。あらためて。
「ヒーロー。アクセルティーチャーだ」
「微妙やなー」
「えっ」
「ネーミング」
「は?」
「かわいくないやーん、『アクセル』って。もっと女の子っぽいほうが」
「女の子っぽい!?」
「はいはーい。だったら『あーちゃん』」
「『あーちゃん』っ!?」
「あっ、ええな。親しみやすそで」
「親しみやすすぎだ!」
「いいと思うなー、『あーちゃん』」
「おまえ、適当に」
「適当じゃないよ。『アクセルティーチャー』でしょ。略して『あーちゃん』」
「なるほどなー、それなら」
「『それなら』何だ! なしだ、なし!」
などと言いあっているところへ。
「あの」
あきれた様子を隠そうともせず。
「軽いと思いますよ、確かに三人とも」
「あっ!」
あわてて。
「そ、そうだぞ、おまえら! いまは戦いの」
はっと。
「親父……!」
膝を。いつの間にか。
「おい!」
駆け寄りそうに。
「……っ」
止まる。
「ティーチャー」
肩に。手が置かれる。
「く……」
ためらうも。
「親父!」
飛び出す。
「どうしたんだよ! おい!」
「……く……」
苦しげに。うめくばかり。
「師匠!」
遅ればせながら。
「! 槍が……」
脈動するかのように。
「こいつは」
にぶい明滅を。くり返す。
「やっぱり……」
「何が『やっぱり』だよ!」
「いえ、確かなことは」
「くっ」
とにかく。
「引き離すぞ!」
「えっ!」
「ほら、おまえも手伝え!」
「いえ、その、簡単に」
槍に触れる。
「!」
瞬間。
「あ……」
「ティーチャー!」
こちらも。
「……!」
それは。
「あ……あ……」
一瞬の。
「あーーーーーーーーーーーっ!!!」
自分は。
『お父さん』
いつからだ。
父を。
その呼び方で呼ばなくなってしまったのは。
『おとーさん』
甘えん坊だった。
恥ずかしいけれど。
認める。
(あ……)
感じた。気配を。
(よかった)
胸をなでおろす。
(胸……)
反射的に。こみあげる劣等感。
(いや、元々あたしの胸がないってわけじゃなくて)
すくなくとも、ないほうだとは思わない。
ただ、年下で男性的な見た目のくせにやたらと主張してくる存在が。
「あの」
「おわっ!」
思わず。間の抜けた声を。
「あの……」
あきれた感情が。
「何を考えていたんですか」
「何も」
考えては。いた。
「はぁ」
ため息。
「ティーチャー」
「お、おう」
そうだ。いまの自分は。
(あ……)
顔に手を当てた。そこに。
(………………)
仮面。
おかしくはない。
装着していたのだから。
仮面をつけたヒーローだったのだから。
しかし。
(……なんだ)
不確かな。
仮面が仮面でない。
(いや)
自分が自分でない。
(何だよ、これ)
戸惑う。
自分は。
何を。どうして。いま『ここ』に。
「ティーチャー」
しかし。
「あ、ああ」
感じる。それだけは。
はっきりと。
「エアリア」
「う……」
戸惑いと。照れの。
「そう呼ばれるんですか」
「いや、おまえも下のほうで呼んだから」
「おかしいでしょう、『アクセル』では」
「『ティーチャー』も大概だぞ」
「では、『あーちゃん』と」
「それはなしだ」
きっぱり。
「あっ」
そのときだ。
「………………」
いる。
この不確かな『ここ』に。
それは――
対峙していた。
どれだけ。
いや、時間は問題ではない。
(ここは)
そういった。
ものさしの通じない。
ただ、ここだけがある。
そういう場所。
場所、というのもあるいはふさわしくない。
(フッ)
無意味だ。
こんな感慨は。
(ただ)
ただ――
(交わし合う!)
槍をもって。
「はぁぁぁーーーーーっ!!!」
雄たけびが〝空間〟をふるわせた。
ⅩⅤ
キィィィィィィィィィィィン!
「はぁっ!」
ほとばしる。気合の咆哮。
それをも超えて。
(魂が)
吼えている。
ふるえている。
(どれほどの)
待ちわびていた。この感覚を。
(俺は)
騎士として。
駆けたい。
戦いたい。
(麓王〔ろくおう〕よ)
愛馬と共に。果てなく。
その気配も。
「はっ!」
共に。感じる。
駆り立てる。
相手もまた。
騎馬を駆ってこちらに迫る。
いや、乗騎そのものが己の一部なのだ。
(同じ)
いや、結びつきという意味では向こうのほうが強いのかもしれない。
(何を)
めらめらと。炎が燃える。
驚いていた。
こんな感情が。
内にまだあったことに。
(大人だなどと)
笑わせる。
上司だ、責任者だと。
似合わない人間。
(俺は)
一人だ。
どこまでも。
物心ついたときから。
家族と呼べるような者はなく、ただ我武者羅に己を磨き続けた。
向き合い続けた。
(一人)
そう、一人。
(ああ……)
なんと、爽快なことか!
孤独ではない。
馬と。
そして、槍と。
共に。
魂をも重ね合わせ。
「………………」
同じなのだ。向こうも。
(だからこそ)
昂ぶる。
負けられないと。
「おおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
吼えた。
「俺は!」
騎士だ。
この充足感。
他に何がいるだろうと。
「金剛寺さん!」
止まった。
「……う……」
途端に。
(俺は……)
何をしていた。
(俺は)
金剛寺鎧。現世騎士団に所属する〝座騎士〟で。
(違う!)
激しく。
(それは……もう)
違うのだ。
自分は騎士ではなくなった。
それが、何を。
(……そうか)
じわりじわり。思い出される。
提案。
それは。
人体実験と言い換えても良いものだった。
自分ではだめだと。
彼は言った。
無理を押しての若き騎士との戦いで。はっきり悟ったのだと。
だが、おまえなら。
言った。
騎士でなくなってからまだ長い時間は経っていない。
その通りだと。
はっとする思いだった。
そこに加え、取り引きを持ちかけられた。
以前からの頼み事。
こちらに協力をしてくれるなら、それを受けてもいい。
騎士らしくないやり方。
しかし、それはあえてだったのだろう。
己が悪を引き受けるための。
わかりつつ。乗った自分も変わりはしない。
それほどに。
(俺は)
騎士に。
騎士であるということに。
未練があった。
「金剛寺さん」
再び。
「く……」
見られない。そちらを。
確かめられない。
何より、こんな自分の顔を見られたくない。
「槍です」
「……!?」
思いのかけない。
「何と」
見た。
「キミは」
ソニア・オトタチバナ。直接の交流はほとんどなかったが、アレックスの弟子ということでその顔は承知していた。
しかし。
「むぅ」
鎧。いや。
「槍……なのか」
「はい」
うなずかれる。
「槍です」
違和感が。よりはっきり形を取り始める。
「キミは」
違うのだ。
ソニア・オトタチバナでは。
ない。
「槍です」
くり返される。
「あなたのための」
「!」
自分のための。
「何を」
自分の槍は。
「……!」
ない。いや。
(違う)
違和感の。それがはっきりと。
(俺には)
ない。
騎士槍が。
それは失われていた。
「く……」
ならば。自分は何を。
「!」
自分は。
「馬鹿な」
うめく。
「おまえは!」
それは。
「否定しないで」
言われる。
「魂を」
重ねて。
「彼らの」
「………………」
言葉もない。
胸に手を当て。
「それはわたしたちにもあるもの」
「っ」
そうだ。
「………………」
ゆっくりと。
手元に目を落とす。
「う……」
違う。
違うのだ。
(なぜ)
その答えは。
(わかっている……)
求めたから。
互いに。
(おまえも)
語りかける。
(共に)
でなければ。
「ふぅ」
息を。つく。
「わかった」
自分は。
「騎士ではない」
身じろいだ。そう感じられた。
「騎士ではないのだ」
痛みを。覚えながら。
「俺は」
言い切る。
「父親だ」
瞬間の――
「爸爸(パーパ)」
我に。
「………………」
返った。直後。
「パパ!」
「お父さん!」
次々と。
(ああ……)
そうだったのか。
「おまえたち」
ふるえる。手を。
「こんなところまで」
言葉はない。小さな身体がただすがりついてくる。
(そうだ……)
ある。
ここに。確かに。
(俺は……)
情けない。なんという情けない男だ。
そんな。
(俺のことを)
迷いが。完全に溶け去るのを感じた。
「おまえたち」
呼びかける。
「俺は」
しんと。息をつめて見るその視線を感じつつ。
「父親だ」
瞬間。歓声がはじける。
(おまえたち……)
もう二度と。迷うことはないだろう。
「金剛寺」
はっと。
「アレックスさん」
左右を。
弟子と娘に支えられつつ。
「俺は」
言う。
「このざまです」
他に。言葉がない。
「………………」
向こうも。
ただ。
頭を垂れるのみだった。
それで。
(アレックスさん……)
通じた。
自分たちは。
あせっていた。そのあせりが無理を招いた。
わかる。
鏡合わせのようにして互いの心が。
〝大戦〟――
あの激しい戦いにより、再び多くの若き騎士たちが倒れることになった。
自分たちは。
無力だった。
あのときほど強く。
共に戦えたらと思ったことはなかった。
しかし。
違ったのだ。
それは、子どもたちが示してくれた。
(戦えずとも)
戦っていた。
ユイファ。ユイエン。
傷ついた者たちを手当てするため、二人とも果敢に危地に飛びこんでいった。
それだけでなく。
より幼い者たちも。懸命にできることを為していた。
そして。
「パパ」
そこに。
「ごめんな」
涙を。見せて。
「ウチが」
それ以上は。
「そうか」
見透かされていたのだ。
無理に抑えこんでいた想いなど。
いや、わかっていた。
だから、自分は何も言うことなく。
「すまなかった」
頭を。下げる。
「ううん」
首をふる。
「パパやもん」
言う。
「なー、みんな」
「うん!」
一斉に。
「爸爸!」
「お父さーん!」
しがみついてくる。
「………………」
ただ。
「俺は」
いまだけは。何も考えることなく。
この幸福に。
ひたっていたかった。
ⅩⅥ
「結局」
にっこり。
「めでたしめでたし、ってことだよね」
「そんな簡単に」
あきれつつ。
「はぁ」
ため息。
「元気出してよ、ソニアさーん」
ばんばん。無遠慮に背中を叩かれる。
「痛いですから」
「あ、ごめん」
舌を出し。
「もう守ってくれる鎧はないんだもんね」
「っっ……」
「あ、違った。槍だったよね。ごめんね」
「……同じですから」
「同じじゃないよ。槍と鎧はぜんぜん」
「同じですから!」
ヒステリックな声が。
「わたしの、や、槍は」
壊れた。あっさり。
「わたしの創った槍は」
「落ちこまないでよー」
ばんばん。やはり無遠慮に。
「カッコよかったよ、クリアエアリア」
「や、やめてください」
さらなる羞恥に頬が燃える。
「あ、そうだよね。正体を簡単に明かしたりしたら」
「正体じゃありません、あれは!」
「あ、こっちが正体か」
「それは」
何と言えばいいのだ。
「もー、ソニアさーん」
機嫌を取ろうと。
「ホントにカッコよかったんだからー。ズバーンと攻撃を防いじゃって」
「壊れてしまいましたが」
そう、壊れてしまった。
そもそも無理はあった。
試作。
そのさらに試作というべきものを持ち出したのだから。
加えて、もともと大柄な人間の使用を想定していた。鎧状に変形したときも、実際はぶかぶかと言っていい有様だった。
一度とは言え突撃を防げたのは、完全な奇跡だった。
(でも)
あのとき。
感じた。
(槍が)
求めていた。
形を。
こうありたいと。
それが自分のように騎士でないものにも力をくれたのだと。
(……まさか)
苦笑する。
そこまでは。都合の良い夢を見すぎだ。
(でも)
感じた。
あの槍――
師が手にしていた。
それは結局、本来の力は引き出せていなかった。
そのこともあって、師の技量をもってしてなお、自分の未熟な『槍』でも防ぐことができたのだ。
師は語った。
人間は慣れるもの。
騎士でなくなった時間の長さが、魂から飢えをも奪っていた。
〝熾騎士〟。最高位の称号をいまだ保持し続ける自分に未練は十分あると感じていたが、それもまたごまかしでしかなかった。
しかし、苛烈なものにならなかったとは言え、残っていた念とでも言うべきもの――いや文字通り『魂』は持ち手の精神に影響を与えた。まだ十分に騎士の魂を残していた者にとってその反応はより苛烈となった。
一方で。
それは道ともなった。
成り行きで触れてしまったとき。
つながった。
そこへ。
本来の主であるべき相手のもとへ。
向かった。
感じたのだ。
「ソニアさーん」
むぎゅー。
「………………」
考え事を邪魔され。たちまち不機嫌になる。
「暑いです」
「あったかいでしょー」
「暑苦しいです」
でき得る限りのそっけなさで。言うも。
「ほら、鎧の代わりに。ぎゅーっ」
「求めていません! それに、鎧ではなく槍だと」
「あっ、硬さが足りない? 鍛えてるつもりなんだけど」
「そういうことではなくて!」
もはや何を言えばいいのだ。
「むしろ、あなたの場合はやわらか――」
何を言わせるのだ!
「はぁ」
脱力してしまう。
「ソニアさん、やわらかーい」
「あなたのほうが」
いまさらの。
「はぁ」
やはり。
ため息を落とすしかないのだった。
「覚悟はできてるんだろうな」
再び。
「最初からこうすべきやったわ」
向かいあう。
「がんばれー」
「負けるな、シルビアー」
脇からは子どもたちの声援が。
「フリーダせんせー」
「先生もがんばってー」
がくっ。
「なんでやねん、あんたら!」
「えー」
まったく悪びれず。
「先生、いい子だってほめてくれたしー」
「ごはん、おいしいって言ってくれたしー」
「ねー」
「あんたらなぁ~」
「はっはっは」
早くも。勝ち誇って。
「金剛寺家はあたしが掌握した」
「掌握すんなや!」
「おまえも」
にやり。
「すぐに掌握してやるよ」
「ほほー」
構える。
「余裕やん」
「ちょっと待った」
「えっ」
「忘れてるだろ」
「あ」
そうだったと。
同時に。
「ハッ!」
短い気合と共に。装着する。
「シルバーランサー!」
「アクセルティーチャー!」
歓声があがる。
「やっちゃえ、シルバーランサー!」
「返り討ちよ、アクセルティーチャー!」
場の空気に早くも興奮したのか〝地〟が出始める中。
こちらにもそれが伝染し。
「さー、血の雨見せたんでー」
「おいおい」
あぜんと。
「一応、ヒーローだろうが」
「日ごろとは違う姿を見せるのがヒーローやん」
「いや、悪いほうに行くなよ」
「ダークヒーローって言葉もあるし」
「ダークなのかよ!」
「なに言うてんの」
ビッと。凛々しさにかわいさも意識したポーズを見せ。
「ウチはシルバーランサー! シルバーヒーローや!」
がくぅっ!
「なんだ、シルバーヒーローって!」
「シルバーなヒーローやし」
「まんまか!」
「そっちは、ティーチャーヒーローやね」
「ティーチャーヒーロー……」
がっくりと。
「やっぱり、その名前はさー」
「じゃあ、あーちゃん」
「いやいや、それも」
「あーちゃん、かわいー」
がくぅっ!
「バ、バカ、かわいいなんて言われる歳じゃ」
「でも、かわいいよねー」
「そんなの関係ないよねー」
子どもたちの絶賛に。
「……そ、そうか」
悪くないという顔になる。
そんな有様を見て。
「はぁーあ」
やれやれと。
「いい歳して、簡単に乗せられて」
「うふふ」
「?」
「いえ、ネクベ先生ってお姉ちゃん気質だなって」
「そう?」
「わたしと同じですね」
「……はあ」
「あの、先輩、突然そんな話をしたら戸惑って」
「はい?」
「う……」
「『先輩』?」
「……お姉ちゃん」
「うふっ。なーに、冴ちゃん」
そんなやり取りに。
(何なのかしらねー、この子たち)
視線を戻せば戻したで。
「てめっ、遠くから攻撃すんのは反則だぞ!」
「いやいや、ウチの槍の力やし」
「だったら、あたしの槍の力もぉっ!」
「うわっ! 大人げないやん、本気出すなんて!」
実に。楽しそうに。
槍を交わしている。
まるで、姉妹がじゃれ合うように。
「はーあ」
悩んでいたのが馬鹿らしくなる。
(けど)
ほっとする。
〝大戦〟の傷跡がまだ癒えない。
そんな島だからこそ、自分が戻って働く意義があると思っていた。
(この調子なら)
大丈夫だ。
自分がいなくても。
「みんなーっ」
そこに。
相変わらずの無駄な元気さいっぱいで。
「いいもの持ってきたよーっ」
「えっ」
「いいもの?」
思わず。戦いの手が止まる。
と、その声を追うようにして。
「まっ、待ちなさーい! それは試作品にもなっていない創作途中の」
「ソニアさんがねーっ。こーんなに槍つくってたんだよーっ」
両腕いっぱいに。抱えたそれを。
「きゃっ」
つまずく。
「なっ!」
「おわーーーっ!」
ザスザスザスザスザスザスザスッ!!!
「………………」
あぜんと。
「こ……」
絶叫する。
「殺す気かーーーーっ!」
「ははっ」
笑いが。こぼれる。
「バッカだなー、あいつ」
こちらは心底あきれ顔で。
「やっぱ、無駄にデカいと、その分アホで」
はっと。
「あ、オヤビンは違うよ? オヤビンは大きいけど優しくてあと」
「ユイエン」
ぽんぽん。大きな手を小さな頭に置く。
「おまえも負けずに大きくなる」
「ホント!?」
目が輝く。
「オイラもオヤビンみたいになる?」
「俺のように」
「うん!」
心からの。笑顔で。
「……そうか」
すっと。
力が抜けた。
「そうか」
噛みしめる。
自分は。
ここにいることを許されているのだ。
そのままの。
何者でもない。
自分で。
「オーヤビン」
うれしそうに。こちらの胸に身体をあずける。
「大好き」
(俺も)
言葉に尽くせないその想いを。すべてこめるようにして。
「ふふっ」
手のひらの、その下で。
笑顔がこぼれた。
騎士女子❤仮面相談