すっこめホワイトデー
バレンタインという祭典がある。欧米では恋人たちが花束を贈ったり、ディナーを食べたりする素敵な祭典だが、ここ日本に、特に若年層においてはチョコレート会社の陰謀が浸透しきっているせいで、甘ったるくて物理的にとろけちゃうチョコレートというものが盛んに贈られている。これは実に忌々しき出来事であるから、私は今までの人生、バレンタインに浮かれる人々の目を覚まさせるべく様々な手を打っていた。結果は空振り、年々恨み言の演説も長くなっていたところで、今年はついに私にも勝利の女神が微笑んだ。同じ研究室の後輩にチョコレートを渡されたのだ。バレンタイン万歳、チョコレート万歳。甘いものは嫌いでないどころかむしろ大好きな私は、年々ぶっていた演説をひるりと翻すと、そのチョコレートを有難くいただいた。贈り物を無下にするなど、男のすることではない。
贈り物にはお返しがつきものである。この国においては、実におせっかいなことに、バレンタインの贈り物を返す日が決まっている。それが3月14日のホワイトデー。欧米ではそんな日存在しないだとか、バレンタインの時よりも市場規模が小さいだとか色々言われているが、そんなことは関係ない。貰ったからにはお返しをする。これ人間として当然のことなり。と、ここまで考えて思った。私は生まれてこの方女性に贈り物をした経験などない。適当に店舗に行き、よさげなものを買うという高等スキルもない。そもそもホワイトデーのお返しに何を買ったらよいのかすらも分かっていない、ないない尽くしである。
そうなったら一人で悩むのではなく、友人の力を借りるべきであろう。メッセージアプリの友達欄に燦然と輝く一人の名をタップし、用件を送ると「すぐ行くから図書館前広場で待っててよ」と、とても男らしからぬ返事が来た。思わずため息が出るが、あいつはそういう男……というか、そういう人物である。
待つこと二十数分。コーヒーチェーン店の新作フラペチーノを片手に現れたのは、フリフリのフリルスカートが魅力的な可愛い女生徒……と思ったら大間違い。こいつは女装趣味の男だ。憎らしいことにそんじょそこらの女性よりも可愛らしく、どう振舞えば男が「可愛い!」と思うかを熟知していやがるあんちくしょう。流石男だと言わざるを得ない。前にそれとなく「君は女性になりたいのかね」と尋ねたら「私は人をからかって遊んでいるだけだよ」と、これまた何とも言い難い返事が来たから、深入りは止めている。こいつとも長い付き合いだ。大学一年生の学園祭、ミスコン会場の近くをぶらついていたら目の前に現れた、ミスコン参加者よりも可愛らしい女生徒。こんな女生徒いたのかと歓喜し、彼氏の有無を聞いたところ、返ってきたのは「騙されてくれましたね。私は男なんですよ」という、まさに天国から地獄へ叩き落すようなセリフであった。思えば私はこいつのせいで恋愛を諦め、勉学に、そして研究に明け暮れるようになったのかもしれない。諸々事情はあるものの、こいつは私の友人であり、おそらくこいつも私を友人だと認識していることだろう。
「お待たせ~」
「人を待たせてフラペチーノとは良い度胸だな貴様」
「だって大した用事じゃないでしょう。ああ美味しい。でもラテにしておけばよかったかな~。それで何? ホワイトデーのお返し? 私だって暇じゃないのだけれど。知るかよそんなもんって言ってもいいかな」
「言っているぞくそったれ」
「ああつい本音が。それにしても、君なんぞにチョコを渡すなんて、相手は相当の偏屈か変わり者、もしくはその両方だろうねえ」
「お前に言われたくはないだろうな。この女装家」
「可愛い服を着て人をからかっているだけさ。大学を出たらこの趣味も終わりかな。ああ、私の春も終わる。新しい趣味を探さなくてはね」
「私の話を聞け、そして手助けをしろ」
「それが手助けをされる側の態度かな」
「くっ……」
痛いところを突かれた。確かにその通りである。この男は色々と規格外でありながら、時々こうやって真理をついてきやがるのだ。渋々、頭を下げる。
「どうかわたくしめにお知恵を貸してください、お願いします」
「よろしい。……って言っても、ホワイトデーのお返しなんてなぁ。チョコは受け取る方だったけど、お返しなんて考えたことなかったよ?」
「この人間のクズ」
「ひどい言い様だなぁ」
けらけらと笑う。ウィッグが陽光を反射して、きらきらと輝いた。その瞬間を写真に撮ってばら撒いても、誰もこいつが男だとは思わないだろう。生まれ持った美貌の無駄遣いとはまさにこのことだ。この野郎。
「それに私は君にチョコを渡した変わり者のことを全く知らないからね。君の方が詳しいでしょう? 彼女――失礼、彼女とは限らないね、相手の好みそうなものを贈れば良い。それが難しいのかな」
「ひとつ。相手は貴様とは違いまごうことなき女性だ。ふたつ。それが出来たら苦労はしない。お前なら分かりそうなものだがな、女性の好むものとか」
「いやぁ、私よりも可愛くない女性に興味なんてないからね」
「この人間のクズ」
「二度も言うことかな」
人選を間違えたとようやく気付いたが後の祭りだ。というかそもそも選択肢はほとんどない。私には友人が少ない。そして数少ない友人の多くは私と同じく、女性への贈り物など経験がないやつらばかり。早い話非リア充だ。だからこそ見た目だけは可愛いこの男に頼んでみたが、やはり駄目だったか。
「もういい」
「お、やっと諦めたか」
「違う。お前も付き合え。中身はともかく見た目は女なのだから、ホワイトデーに何を買うか悩んでいるカップルに見えないこともないだろう」
私の提案にあいつは目を丸くした。
「本気で言ってる?」
「本気でなかったらこんなこと言わないさ。それほど重大なんだ、私にとっては」
「正直なところ君とカップルに見られるくらいなら舌を噛んで死ぬ」
「この野郎」
「本心さ。さぁこれで交渉決裂。私は新しいワンピースを買いに行くから、これで」
「待て! 人でなし!」
「随分な言われようだなぁ。ああそうだ、ブレンドティーなんてどうかな、贈り物にぴったりだよ」
あいつは二つ隣の駅の駅ビルの名前を口にした。そこの3階に入っている紅茶店はブレンドティーを専門に取り扱っているらしく、老若男女から人気を博しているらしい。そういうことは先に言え。
スカートをひるりと翻し、あいつは立ち去った。かすかに香るのは間違いなく女性向けの香水。あいつ香水までつけているのか、と面食らった。
紆余曲折あって贈り物のブレンドティーを手に入れた私は、いつになく緊張していた。今日はホワイトデー。おそらくきっと多分、後輩もお返しを期待していることだろう。いやどうだろう。彼女は私と同じ学究の徒、お返しなど渡しては迷惑だろうか。いいや、贈り物を無下に扱うなど男、否人間にあらず。ホワイトデーには一切触れず、それとなく渡せば気恥ずかしさも多少は無くなるだろう。
「はい先輩。今日はチョコモカが切れていたのでココアです」
コトン、と音がして、私の前にマグカップが置かれる。何度となく繰り返した、いつも通りのやり取り。そのはずなのに胸は異様に高鳴って、顔が熱くなり、発汗する。喉はからからに乾いてしまったから、もしココアがホットでなかったら一息に飲み干していたところだろう。
「ありがとう。と、ところでその……君に贈り物があるのだが」
「先輩から私に? 珍しいですね。ありがとうございます」
「良かったら飲んでくれ。要らなかったら、捨ててしまっても構わないから」
精一杯の虚勢を張って、ラッピングされた紅茶を手渡す。手は少し汗ばみ、震えていた気がするが、彼女は何も言わなかった。
「ありがとうございます、先輩。……これ、ホワイトデーのお返し、って考えても良いですか?」
そうやって笑う彼女の顔は、今まで見たことがなかったほど眩しかった。だから、少し目を逸らして「ああ」としか言えなかった。
すっこめ、ホワイトデー。これはただの、日ごろの感謝の気持ちだ! 私はそう心の中で声を上げた。
すっこめホワイトデー