今と昔の違い。誇大広告を追求する。間違いを終わらせないNHKに受信料が不要なら、経営困難に陥るのだろ
昔、小学校でキャンプに行った時の話だが、3年生から6年生までが数人のグループをつくり一切を子供だけで行った。
今の世代と全く異なる事を挙げてみよう。
6年生のリーダーはしっかりものだった。
出発前にバスに乗り込む時にこんな事があった。
今の小学生なら、3年生の親は、教員に挨拶をするだろう。
当時は・・歯は親が6年生のリーダーに・・。
「・・あの、宜しくお願いします・・」
「・・ああ、いえ、ご安心下さい・・充分気を付けますので・・」
今の世界で・・こんな事あり得るのかい?
先ずはNHKが再び放送事故から。
戦争犯罪というものについての知識が無いので、禁止兵器を供与したUSAのバイデンが犯罪に該当する事を報道しないという、あくまでも政府・西側諸国を攻撃するものを何度も放送。
其れは良いが、同じミスを何回も繰り返す放送局は受信料を受け取る権利はない。
受信料とは支払いをしなくても何も犯罪にはならなく、支払ったものは却って損をするという仕組みになっている。
碌でもない番組は見る必要が無いのは言うまでもない。受信機を持っていれば支払の義務が生じるという意味のようだが、最高裁の判決は明らかに公序良俗に反しており、督促が来ても無視をすれば良いに過ぎない。
一切NHK関係者とは何も会話を交える必要もなく、完全に無視をすれば良く、NHKがとるべき方法は法廷闘争の場で争う事になり、人数分の相当高額な費用が掛かり、行く末はNHKの経営破綻となる。
次。
誇大広告に付き架電をしやめるか若しくは一部を訂正する等の方法まで警告をしているが、未だにやめない中でも、悪質なものを挙げてみる。
本日は、体に関係するものに付き二社挙げてみる。
山田養蜂所
商品名 ノンアルツビー
この会社の名を聞いた事がある方もいるだろうが、今回のこの商品はうたい文句は「認知機能を改善する・・」。
実を言えば、青い惑星のあらゆる動物に共通して見られるものに「老化現象」が挙げられる。
此れは生命体の宿命と言え、不老不死など有っては困るので、必ず老化が進んだのち消滅をする。
昔から「痴呆症」というものがあり、此れが「認知症」という名称に代わっただけであるが、此の認知症に関する人類の治療薬も予防薬も開発されていない。
エーザイがUSAの認可を受けたと、昨年あたりから報道がされたが、エーザイに架電し詳しいものに治療薬との意味はどういう内容なのかを確認した。
「・・進行を遅らせる薬です・・」
此れなら問題は無く、既に7年前に「アリセプト」という先発薬品が医学会から各病院で周知の上、医者の処方で手に入った。
どうして人類には認知症が謎なのかなのだが、脳の海馬という後ろ側の部分にある脳の一部の神経細部が壊死をしてしまい、此れが次第に広がって行き、最後は植物人間として死に至る。
壊死というのは細胞が死んでしまう事であり、生命体には致命的な現象と言える。何故なら、細胞が死んだのであれば、蘇生する事が出来無ければ元に戻せない事になるが、蘇生するの意味は・・分かり易く例えれば、「死んだものを蘇らせる」ことにも通ずることになる。
此れは・・人類には不可能な分野である。
にも拘らず、「老化現象」と「認知機能の低下」がごちゃ混ぜにされている事になる。
老化現象は、あらゆる動物に発生するが、人類に於いては昔からこんな笑い話があった。
男性が妻に、
「・・老い、俺の眼鏡が見つからないんだが・・困ったな?」
と、妻が笑いながら。
「・・あら・・貴方のおでこにありますよ・・掛けてるじゃない・・」
老眼や近眼になれば、近くのものが見えなくなるので、眼鏡を外すかずらす事はよくある事で、おでこの眼鏡を忘れてしまったに過ぎない。
電話をした後聞いた筈の相手の名前を忘れてしまった。此れもよくある事で心配ならメモを取れば良いに過ぎない。
この様な現象は老化現象と言えるが、認知症とは明らかに異なる。また、或る会社ではstudioに芸能人を三名呼び、女性が参人に一枚の絵を見せる。
この作業は、認知症であるかどうかの診療に使用される事がある。認知症の場合には紙に書かれた動物や乗り物や遊具などの数は5~6点に過ぎず、一度見せてから、隠し、十分ほど通常の会話をする。
再び患者に、「先程見た紙には何と何がありましたか?」と聞くと、認知症であれば、殆ど思い出せなくなっている。
studioでは一枚の紙に10以上のものが書かれており、十分後に三人の芸能人に質問をする。
三人は順番に思い出していくのだが、最後にどうしても思い出せないものがある。女性が残った二つ程度に付き種証をする。
コマーシャルであるから、驚く芸能人達に女性が笑いかけ、「認知機能の低下が原因ですね・・このような時に・・此の薬が有効なんですね・・」
って、此れは明らかな「老化現象」であり認知機能の低下であっても、人類は簡単に開発した薬程度では治す事は不可能・・其れが生命体の宿命。
昔から起きていたこの現象は人類だけに起きるものでは無く、他の動物にも発生をするが、「認知症」に限っては人類にしか発症しないもの。
しかも、壊死は治せない。
コマーシャルでは、この部分を補う台詞が存在する。
「・・USAの・・大学の教授の誰さんが・・認知機能の低下は誰にも起きる現象であり・・現象が起きた時から使用すれば有効なのです・・」
或いは、別の製品の場合には、グラフを見せ、「此方が通常ですが・・此れを呑めばこの線の様に明らかに記憶力が低下をしません・・」
というのも、嘘であり老化現象は薬だろうと訓練だろうとほぼ効果は無いに過ぎず、若し、此れを証明するとなれば、法廷では書証を幾つも証拠として説明しながら詳細に亘り判事に納得をしてもらう為に苦労をしても、まず無理と言える。所謂「医療訴訟」の難しさは相当のものがあり、コマーシャルでUSAの学者に来て貰い援護射撃をして貰わなければならないどころか、今度は此方側から認知機能の専門医が反論をする事になる。
三審制で控訴・上告となれば、地裁から出発し最高裁まで争う事になる。先ず、被告が勝訴する事は不可能。
大体、常識で考えても、そんなものがあれば「ノーベル賞」ものであり、コマーシャルでは無く報道機関が一斉に報道をするだろうし、肝心なUSAで既に開発がされている筈。
同じ様な薬・アプリのコマーシャルを、本日別の会社が始めていた。会社名は「株・・・・カタカナ五つだったが、聞いた事も無い名称・・」
こちらはこのようなうたい文句。
「・・古来銀杏の葉は認知機能の改善に効果があると言われてきました・・」
或いは。
「・・脳に酸素を送るには血流を良くしなければなりません・・」
此れなのだが、血流が酸素を含んでいる事は知られている。一般的に心臓より高い位置に脳がある為血行が良くないという説明をすることがあるが、血流を良くしたとしたら、海馬の壊死が治るのであれば、どうして同じ位置にある他の頭脳の神経細房も同じ様に壊死をしないのか?という疑問にぶつかる。
その上・・他の動物は認知症にはならない・・銀杏の葉を食べている?
四つ足だから?
運動をしているから?
血流の問題で解決をする?
全ては・・謎である。
大手の会社も以前はやったが、警告をしたらすぐにやめた・・流石に一部上場の大会社であるから・・。
最後に・・天下のNHKが以前大特集番組を放送し、「認知症の将来は明るい」とやってしまった。
此の時に、実際に重度の認知症であった人類を多く見てきたが、当然、権威のある認知症専門医の紹介も受け話した事があった。
医者にNHKの話をすると・・黙っていた専門医は・・。
「・・誰が?NHKの誰がそんな事を言ったの?何という名前のひと?・・明るい?明るくない明るくない・・」
医者の表情が冷静であるだけに・・厳しい病だな・・とつくずく思わざるを得なかった。
時間が無くなったのでお終いにするが・・NHKの報道は常に政府や西側諸国にべったりであり・・他の思考形態を持とうとしない。
従い、攻撃目標は大国でありChinaばかりになる。同じ事を記事にするのが、マイクロソフトの子会社である「MSNニュース」であり、右翼の広告を平気で載せるし、とんでもない嘘も取り上げている・・のは、所詮USAの会社だからに過ぎないという事。
そんなNHKに受信料など支払う事がどうなのかは・・?
私達宇宙の文明や、仮称同化した人類には嘘がすぐに見ぬけてしまい、世界をとってみれば、西も左も差別はしない。
本日のNHK・・。
「・・大国の橋がテロ攻撃を受けた・・食料品の輸出を禁止した・・プーチン大統領は国際裁判所の判決で、戦争犯罪人・・」・・其れがどうしたの?何か問題?大国の実力が分からないからと言い国民に偏った報道をする事が・・公共放送の役目なのだろうか・・?
では・・USAのバイデンが小国に供与をした禁止兵器であるクラスター弾については何故、バイデンが戦争犯罪人であると報道をしないの?
おかしな公共放送だね?
子供でも分かる理屈が分からない愚かなNHKと言い捨てるに過ぎない。其れを毎日やるのだから・・馬鹿も休み休み・・にしておけば?となるのも道理と言える。ああ、国家転覆罪の者は・・処刑・・。
せめて・・統一教会と国会議員の癒着位を報道しなければ・・弁護団も付いているんだよ・・(笑)
時間が無くなったのでお終い。
TV局でも程度が低いのは・・他にもあるが・・東京MXTVだね。
此れについては明日にでも出来たら、特集をしてみよう。
其れでは、文豪の作品から・・。
ラプンツェル
グリム
中島孤島訳
むかしむかし夫婦者ふうふものがあって、永ながい間あいだ、小児こどもが欲ほしい、欲ほしい、といい暮くらしておりましたが、やっとおかみさんの望のぞみがかなって、神様かみさまが願ねがいをきいてくださいました。この夫婦ふうふの家うちの後方うしろには、小ちいさな窓まどがあって、その直すぐ向むこうに、美うつくしい花はなや野菜やさいを一面めんに作つくった、きれいな庭にわがみえるが、庭にわの周囲まわりには高たかい塀へいが建廻たてまわされているばかりでなく、その持主もちぬしは、恐おそろしい力ちからがあって、世間せけんから怖こわがられている一人ひとりの魔女まじょでしたから、誰一人たれひとり、中なかへはいろうという者ものはありませんでした。
或ある日ひのこと、おかみさんがこの窓まどの所ところへ立たって、庭にわを眺ながめて居いると、ふと美うつくしいラプンツェル((菜の一種、我邦の萵苣(チシャ)に当る。))の生はえ揃そろった苗床なえどこが眼めにつきました。おかみさんはあんな青々あおあおした、新あたらしい菜なを食たべたら、どんなに旨うまいだろうと思おもうと、もうそれが食たべたくって、食たべたくって、たまらない程ほどになりました。それからは、毎日まいにち毎日まいにち、菜なの事ことばかり考かんがえていたが、いくら欲ほしがっても、迚とても食たべられないと思おもうと、それが元もとで、病気びょうきになって、日増ひましに痩やせて、青あおくなって行ゆきます。これを見みて、夫おっとはびっくりして、尋たずねました。
「お前まえは、まア、何どうしたんだえ?」
「ああ!」とおかみさんが答こたえた。「家うちの後方うしろの庭にわにラプンツェルが作つくってあるのよ、あれを食たべないと、あたし死しんじまうわ!」
男おとこはおかみさんを可愛かわいがって居いたので、心こころの中うちで、
「妻さいを死しなせるくらいなら、まア、どうなってもいいや、その菜なを取とって来きてやろうよ。」
と思おもい、夜よにまぎれて、塀へいを乗のり越こえて、魔法まほうつかいの庭にわへ入はいり、大急おおいそぎで、菜なを一つかみ抜ぬいて来きて、おかみさんに渡わたすと、おかみさんはそれでサラダをこしらえて、旨うまそうに食たべました。けれどもそのサラダの味あじが、どうしても忘わすれられない程ほど、旨うまかったので、翌日よくじつになると、前まえよりも余計よけいに食たべたくなって、それを食たべなくては、寝ねられないくらいでしたから、男おとこは、もう一度ど、取とりに行ゆかなくてはならない事ことになりました。
そこで又また、日ひが暮くれてから、取とりに行ゆきましたが、塀へいをおりて見みると、魔法まほうつかいの女おんなが、直すぐ目めの前まえに立たって居いたので、男おとこはぎょっとして、その場ばへ立たちすくんでしまいました。すると魔女まじょが、恐おそろしい目めつきで、睨にらみつけながら、こう言いいました。
「何なんだって、お前まえは塀へいを乗越のりこえて来きて、盗賊ぬすびとのように、私わたしのラプンツェルを取とって行ゆくのだ? そんなことをすれば、善よいことは無ないぞ。」
「ああ! どうぞ勘弁かんべんして下ください!」と男おとこが答こたえた。「好すき好このんで致いたした訳わけではございません。全まったくせっぱつまって余儀よぎなく致いたしましたのです。妻かないが窓まどから、あなた様さまのラプンツェルをのぞきまして、食たべたい、食たべたいと思おもいつめて、死しぬくらいになりましたのです。」
それを聞きくと、魔女まじょはいくらか機嫌きげんをなおして、こう言いいました。
「お前まえの言いうのが本当ほんとうなら、ここにあるラプンツェルを、お前まえのほしいだけ、持もたしてあげるよ。だが、それには、お前まえのおかみさんが産うみ落おとした小児こどもを、わたしにくれる約束やくそくをしなくちゃいけない。小児こどもは幸福しあわせになるよ。私わたしが母親ははおやのように世話せわをしてやります。」
男おとこは心配しんぱいに気きをとられて、言いわれる通とおりに約束やくそくしてしまった。で、おかみさんがいよいよお産さんをすると、魔女まじょが来きて、その子こに「ラプンツェル」という名なをつけて、連つれて行いってしまいました。
ラプンツェルは、世界せかいに二人ふたりと無ないくらいの美うつくしい少女むすめになりました。少女むすめが十二歳さいになると、魔女まじょは或ある森もりの中なかにある塔とうの中なかへ、少女むすめを閉籠とじこめてしまった。その塔とうは、梯子はしごも無なければ、出口でぐちも無なく、ただ頂上てっぺんに、小ちいさな窓まどが一つあるぎりでした。魔女まじょが入はいろうと思おもう時ときには、塔とうの下したへ立たって、大おおきな声こえでこう言いうのです。
「ラプンツェルや! ラプンツェルや!
お前まえの頭髪かみを下さげておくれ!」
ラプンツェルは黄金きんを伸のばしたような、長ながい、美うつくしい、頭髪かみを持もって居いました。魔女まじょの声こえが聞きこえると、少女むすめは直すぐに自分じぶんの編あんだ髪かみを解ほどいて、窓まどの折釘おれくぎへ巻まきつけて、四十尺しゃくも下したまで垂たらします。すると魔女まじょはこの髪かみへ捕つかまって登のぼって来くるのです。
二三年ねん経たって、或ある時とき、この国くにの王子おうじが、この森もりの中なかを、馬うまで通とおって、この塔とうの下したまで来きたことがありました。すると塔とうの中なかから、何なんとも言いいようのない、美うつくしい歌うたが聞きこえて来きたので、王子おうじはじっと立停たちどまって、聞きいていました。それはラプンツェルが、退屈凌たいくつしのぎに、かわいらしい声こえで歌うたっているのでした。王子おうじは上うえへ昇のぼって見みたいと思おもって、塔とうの入口いりぐちを捜さがしたが、いくら捜さがしても、見みつからないので、そのまま帰かえって行ゆきました。けれどもその時とき聞きいた歌うたが、心こころの底そこまで泌しみ込こんで居いたので、それからは、毎日まいにち、歌うたをききに、森もりへ出でかけて行ゆきました。
或ある日ひ、王子おうじは又また森もりへ行いって、木きのうしろに立たって居いると、魔女まじょが来きて、こう言いいました。
「ラプンツェルや! ラプンツェルや!
お前まえの頭髪かみを下さげておくれ!」
それを聞きいて、ラプンツェルが編あんだ頭髪かみを下したへ垂たらすと、魔女まじょはそれに捕つかまって、登のぼって行ゆきました。
これを見みた王子おうじは、心こころの中うちで、「あれが梯子はしごになって、人ひとが登のぼって行いかれるなら、おれも一つ運試うんだめしをやって見みよう」と思おもって、その翌日よくじつ、日ひが暮くれかかった頃ころに、塔とうの下したへ行いって
「ラプンツェルや! ラプンツェルや!
お前まえの頭髪かみを下さげておくれ!」
というと、上うえから頭髪かみのけがさがって来きたので、王子おうじは登のぼって行ゆきました。
ラプンツェルは、まだ一度ども、男おとこというものを見みたことがなかったので、今いま王子おうじが入はいって来きたのを見みると、初はじめは大変たいへんに驚おどろきました。けれども王子おうじは優やさしく話はなしかけて、一度ど聞きいた歌うたが、深ふかく心こころに泌しみ込こんで、顔かおを見みるまでは、どうしても気きが安やすまらなかったことを話はなしたので、ラプンツェルもやっと安心あんしんしました。それから王子おうじが妻つまになってくれないかと言いい出だすと、少女むすめは王子おうじの若わかくって、美うつくしいのを見みて、心こころの中うちで、
「あのゴテルのお婆ばあさんよりは、この人ひとの方ほうがよっぽどあたしをかわいがってくれそうだ。」
と思おもいましたので、はい、といって、手てを握にぎらせました。少女むすめはまた
「あたし、あなたとご一しょに行いきたいんだが、わたしには、どうして降おりたらいいか分わからないの。あなたがお出でい[#「お出でい」はママ]になるたんびに、絹紐きぬひもを一本ぽん宛ずつ持もって来きて下ください、ね、あたしそれで梯子はしごを編あんで、それが出来上できあがったら、下したへ降おりますから、馬うまへ乗のせて、連つれてって頂戴ちょうだい。」
といいました。それから又また、魔女まじょの来くるのは、大抵たいてい日中ひるまだから、二人ふたりはいつも、日ひが暮くれてから、逢あうことに約束やくそくを定きめました。
ですから、魔女まじょは少すこしも気きがつかずに居いましたが、或ある日ひ、ラプンツェルは、うっかり魔女まじょに向むかって、こう言いいました。
「ねえ、ゴテルのお婆ばあさん、何どうしてあんたの方ほうが、あの若様わかさまより、引上ひきあげるのに骨ほねが折おれるんでしょうね。若様わかさまは、ちょいとの間まに、登のぼっていらっしゃるのに!」
「まア、この罰当ばちあたりが!」と魔女まじょが急きゅうに高たかい声こえを立たてた。「何なんだって? 私わたしはお前まえを世間せけんから引離ひきはなして置おいたつもりだったのに、お前まえは私わたしを瞞だましたんだね!」
こう言いって、魔女まじょはラプンツェルの美うつくしい髪かみを攫つかんで、左ひだりの手てへぐるぐると巻まきつけ、右みぎの手てに剪刀はさみを執とって、ジョキリ、ジョキリ、と切きり取とって、その見事みごとな辮髪べんぱつを、床ゆかの上うえへ切落きりおとしてしまいました。そうして置おいて、何なんの容赦ようしゃもなく、この憐あわれな少女むすめを、砂漠さばくの真中まんなかへ連つれて行いって、悲かなしみと嘆なげきの底そこへ沈しずめてしまいました。
ラプンツェルを連つれて行いった同おなじ日ひの夕方ゆうがた、魔女まじょはまた塔とうの上うえへ引返ひきかえして、切きり取とった少女むすめの辮髪べんぱつを、しっかりと窓まどの折釘おれくぎへ結ゆわえつけて置おき、王子おうじが来きて、
「ラプンツェルや! ラプンツェルや!
お前まえの頭髪かみを下さげておくれ!」
と言いうと、それを下したへ垂たらしました。王子おうじは登のぼって来きたが、上うえには可愛かわいいラプンツェルの代かわりに、魔女まじょが、意地いじのわるい、恐こわらしい眼めで、睨にらんで居いました。
「あッは!」と魔女まじょは嘲笑あざわらった。「お前まえは可愛かわいい人ひとを連つれに来きたのだろうが、あの綺麗きれいな鳥とりは、もう巣すの中なかで、歌うたっては居いない。あれは猫ねこが攫さらってってしまったよ。今度こんどは、お前まえの眼玉めだまも掻※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)かきむしるかもしれない。ラプンツェルはもうお前まえのものじゃア無ない。お前まえはもう、二度どと、彼女あれにあうことはあるまいよ。」
こう言いわれたので、王子おうじは余あまりの悲かなしさに、逆上とりのぼせて、前後ぜんごの考かんがえもなく、塔とうの上うえから飛とびました。幸さいわいにも、生命いのちには、別状べつじょうもなかったが、落おちた拍子ひょうしに、茨ばらへ引掛ひっかかって、眼めを潰つぶしてしまいました。それからは、見みえない眼めで、森もりの中なかを探さぐり廻まわり、木きの根ねや草くさの実みを食たべて、ただ失なくした妻つまのことを考かんがえて、泣ないたり、嘆なげいたりするばかりでした。
王子おうじはこういう憐あわれな有様ありさまで、数年すうねんの間あいだ、当あてもなく彷徨さまよい歩あるいた後のち、とうとうラプンツェルが棄すてられた沙漠さばくまでやって来きました。ラプンツェルは、その後ご、男おとこと女おんなの双生児ふたごを産うんで、この沙漠さばくの中なかに、悲かなしい日ひを送おくって居いたのです。王子おうじは、ここまで来くると、どこからか、聞きいたことのある声こえが耳みみに入はいったので、声こえのする方ほうへ進すすんで行ゆくと、ラプンツェルが直すぐに王子おうじを認みとめて、いきなり頸くびへ抱着だきついて、泣なきました。そしてその涙なみだが、王子おうじの眼めへ入はいると、忽たちまち両方りょうほうの眼めが明あいて、前まえの通とおり、よく見みえるようになりました。
そこで王子おうじは、ラプンツェルを連つれて、国くにへ帰かえりましたが、国くにの人々ひとびとは、大変たいへんな歓喜よろこびで、この二人ふたりを迎むかえました。その後ご二人ふたりは、永ながい間あいだ、睦むつまじく、幸福こうふくに、暮くらしました。
それにしても、あの年寄としよった魔女まじょは、どうなったでしょう? それは誰たれも知しった者ものはありません。
此れは青空文庫から貼り付けたのだが・・最近この様な文章を滅茶苦茶にする・・おそらく若者だろうが・・ボランティアの方々が苦労をして作成してくれているのに・・どういう了見なんだろう?
levelの低下でも無く・・犯罪にもあたるようなものだ・・。
「恐れてはいけません。暗いものをじっと見つめて、その中からあなたの参考になるものをお掴みなさい。夏目漱石」
「懐疑主義者もひとつの信念の上に、疑うことを疑はぬという信念の上に立つ者である。芥川竜之介」
「自分にも同じものが何処かにある、それを眼覚まされる。精神がひきしまる。こうしてはいられないと思う。仕事に対する意志を自身はっきり感ずる。志賀直哉」
「戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が。徳川家康」
「疎きは親しきを間てず(部外者は口を慎むべし)。軍師諸葛亮孔明」
「by europe123 」
https://youtu.be/ItfFsmBmeOE
今と昔の違い。誇大広告を追求する。間違いを終わらせないNHKに受信料が不要なら、経営困難に陥るのだろ