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 連続企業爆破事件

 連続企業爆破事件(れんぞくきぎょうばくはじけん)とは東アジア反日武装戦線が旧財閥系企業、大手ゼネコン社屋・施設などに爆弾を設置し爆破した事件。1974年8月から1975年5月にかけて、東アジア反日武装戦線は日本国家をアジア侵略の元凶とみなし、アジア侵略に加担しているとされた企業に対し断続的に爆破事件を起こした。
 被害に遭ったのは企業ばかりでは無く、建物の下の車や人類などで、現場周辺での被害は甚大だった。
 企業の中でも、三菱重工はゼロ戦を作った会社でもあるが、再び政府の許可のもとに兵器を海外に輸出するにあたり、再び似たような事が起きる可能性がある。

 1974年8月30日 - 「狼」班による三菱重工ビル(現:丸の内二丁目ビル)爆破(三菱重工爆破事件)。8名が死亡、376人が重軽傷。
同年10月14日 - 「大地の牙」班による物産館(三井物産本社屋)爆破(三井物産爆破事件)。16人が重軽傷。
同年11月25日 - 「狼」班による帝人中央研究所爆発(帝人中央研究所爆破事件)。
同年12月10日 - 「大地の牙」班による大成建設本社爆破(大成建設爆破事件)。9人が重軽傷。
同年12月23日 - 「さそり」班による鹿島建設資材置場爆破(鹿島建設爆破事件)。
1975年2月28日 - 三班合同による間組本社ビルと同社大宮工場爆破(間組爆破事件)。5人が負傷。
同年4月19日 - 「大地の牙」班によるオリエンタルメタル社・韓国産業経済研究所爆破(オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件)。
同年4月28日 - 「さそり」班による間組京成江戸川作業所爆破(間組爆破事件)。1人が重傷。
同年5月4日 - 「さそり」班による間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破(間組爆破事件)。



 静岡駅前地下街爆発事故

 静岡駅前地下街爆発事故(しずおかえきまえちかがいばくはつじこ)は、1980年(昭和55年)8月16日に静岡県静岡市(現在の同市葵区)紺屋町にある国鉄(現・JR東海)静岡駅地下街でメタンガスおよび都市ガスの漏洩を原因として2度にわたりガス爆発が発生した都市災害である。
 この事故で15人が死亡し、223人が負傷する大惨事となった。



 
 原子力発電所事故等の一覧


 1940年代
1945年8月21日 デーモン・コア事故(アメリカ合衆国、ニューメキシコ州ロスアラモス)
1946年5月21日 デーモン・コア事故(アメリカ合衆国、ニューメキシコ州ロスアラモス)
1950年代
1952年12月12日 チョーク・リバー研究所、原子炉爆発事故(カナダ、オンタリオ州)/INESレベル5
1958年5月24日 チョーク・リバー研究所、燃料損傷(カナダ、オンタリオ州)/INESレベル?
1957年9月29日 ウラル核惨事(ソ連(現ロシア連邦)、チェリャビンスク州)/INESレベル6
1957年10月7日 ウィンズケール原子炉火災事故(イギリス、セラフィールド)/INESレベル5 - ウィンズケール施設は現在のセラフィールド施設
1958年10月25日 臨界暴走、人員の被ばく(ユーゴスラビア(現セルビア)、ヴィニツァ)/INESレベル?
1958年12月30日 セシル・ケリー臨界事故(アメリカ合衆国、ニューメキシコ州)/INESレベル?
1959年7月26日 サンタスザーナ野外実験所、部分的炉心溶融(アメリカ合衆国、カリフォルニア州)/INESレベル?
1960年代
1960年4月3日 ウェスチングハウス社実験炉、炉心溶融(アメリカ合衆国、ペンシルベニア州)/INESレベル?
1961年1月3日 SL-1爆発事故/INESレベル4
1964年7月24日 ウッドリバー臨界事故(アメリカ合衆国、ロードアイランド州)/INESレベル?
1966年10月5日 エンリコ・フェルミ炉炉心溶融(アメリカ合衆国、ミシガン州)/INESレベル?
1966-1967年冬(日付不詳) ソ連初の原子力砕氷船レーニン、冷却材喪失事故(場所不詳)/INESレベル?
1967年5月 チャペルクロス原子力発電所、部分的炉心溶融(スコットランド、ダンフリーズ・アンド・ガロウェイ)/INESレベル?
1969年1月21日 実験炉の爆発事故(スイス、ヴォー州)/INESレベル?
1970年代
1975年12月7日 グライフスヴァルト発電所1号機の火災(東ドイツ(現ドイツ連邦)、メクレンブルク=フォアポンメルン州)/INESレベル3
1977年2月22日 ボフニチェ発電所(en:Bohunice Nuclear Power Plant)A1炉の燃料溶融事故(チェコスロバキア(現スロバキア))/INESレベル4
1979年3月28日 スリーマイル島原子力発電所事故(アメリカ合衆国、ペンシルベニア州)/INESレベル5
1980年代
1980年3月13日 サン=ローラン=デ=ゾー原子力発電所2号機の燃料溶融、放射性物質漏洩事故(フランス、オルレアン)/INESレベル4
1981年3月 敦賀原子力発電所(日本、福井県)、放射性物質を日本海に放出、作業員超過被曝/INESレベル2
1983年9月23日 臨界事故(アルゼンチン、ブエノスアイレス)/INESレベル4
1986年4月26日 チェルノブイリ原子力発電所事故(ソ連(現ウクライナ)、キエフ州)/INESレベル7
1986年5月4日 en:THTR-300燃料損傷事故(西ドイツ(現ドイツ連邦)、Hamm-Uentrop)/INESレベル?
1987年9月 ゴイアニア被曝事故(ブラジル、ゴイアニア市)/INESレベル5
1989年10月19日 バンデリョス原子力発電所、タービン火災(スペイン、カタルーニャ州)/INESレベル3
1990年代
1991年2月9日 美浜発電所2号機蒸気発生器伝熱細管破断(日本、福井県)/INESレベル2
1991年4月4日 浜岡原子力発電所3号機原子炉給水量減少(日本、静岡県)/INESレベル2
1993年4月6日 セヴェルスク(トムスク-7)、爆発事故(ロシア連邦、トムスク州)/INESレベル4
1995年12月8日 もんじゅナトリウム漏洩火災事故(日本、福井県)/INESレベル1
1997年3月11日 動燃東海事業所火災爆発事故(日本、茨城県)/INESレベル3
1999年6月18日 志賀原子力発電所1号機、臨界事故(日本、石川県)/INESレベル2
1999年9月30日 東海村JCO臨界事故(日本、茨城県)/INESレベル4
2000年代
2003年4月10日 パクシュ原子力発電所、燃料損傷(ハンガリー、トルナ県)/INESレベル3
2004年8月9日 関西電力美浜原子力発電所3号機・2次冷却水配管蒸気噴出(日本、福井県)/INESレベル1
2005年4月19日 セラフィールド再処理施設、放射性物質漏洩(イギリス、セラフィールド)/INESレベル5
2005年11月 ブレイドウッド原子力施設(en:Braidwood Nuclear Generating Station)での放射性物質漏洩(アメリカ合衆国、イリノイ州)/INESレベル?
2006年3月6日 アーウィン(アメリカ合衆国、テネシー州)での放射性物質漏洩/INESレベル2
2006年3月11日 フルーリュス放射性物質研究所ガス漏れ事故(ベルギー、エノー州)/INESレベル4
2010年代
2011年3月11日 福島第一原子力発電所事故(日本、福島県)/INESレベル7
2011年3月11日 福島第二原子力発電所冷却機能一時喪失(日本、福島県)/INESレベル3
2011年3月18日 東海第二発電所非常用ディーゼル発電機用海水ポンプの自動停止(日本、茨城県)/INESレベル1
2011年3月29日 女川原子力発電所原子炉補機冷却水ポンプ等の故障(日本、宮城県)/INESレベル2
2012年2月6日 カットノン原子力発電所欠陥建築(フランス、モゼル県)/INESレベル2
2012年2月9日 古里原子力発電所全電源喪失(韓国、釜山広域市・蔚山広域市)/INESレベル2
2012年9月6日 東海再処理施設冷却機能一時喪失(日本、茨城県)/INESレベル1
2013年5月23日 J-PARC放射性同位体漏洩事故(日本、茨城県)/INESレベル1
2017年6月6日 日本原子力研究開発機構大洗研究開発センター被曝事故(日本、茨城県)/INESレベル2(暫定評価)
2020年代
2021年5月29日 日本製鉄瀬戸内製鉄所X線被曝事故(日本、兵庫県)/INESレベル3


 では、此の国で発生した原子力発電所に於ける事故・故障・trouble。


 1.事故・故障・トラブルの分析統計
 日本原子力発電(株)・敦賀発電所1号機が、日本では初めての沸騰水型軽水炉(BWR)として1970年3月14日に、営業運転を開始した。2005年度末、営業運転している沸騰水型原子力発電所は32基である。トラブル等発生機器の所属システムを図1に、トラブル等の原因を図2に、トラブル等発生時の運転状況を図3に、およびトラブル等の発見方法を図4に示す。またBWRの発電所概要を図5に示す。
2.主な事故・故障・トラブル
 BWRプラントで過去に起きた大きな故障・トラブルとしては、1976−1978年頃に集中したステンレス配管の応力腐食割れや原子炉圧力容器ノズル部の熱疲労割れなどがある。また、つぎの2.1項に述べるような1989年1月に発生した福島第二原子力発電所3号機の再循環ポンプの損傷事故がある。
 主要な事故・故障・トラブルの内容、原因等について以下に述べる。
2.1 東京電力(株)福島第二原子力発電所3号機(110万kW)
発生年月日:1989.1.1(ATOMICAデータ参照)
内容・原因等:
 出力103万kWで運転中、原子炉再循環ポンプ(B)に振動が発生したため、ポンプを停止するとともに原子炉を停止した。同ポンプを分解点検したところ、水中軸受リング部分が軸受本体との接触個所で破損し、羽根車主板上へ脱落、これによって羽根車の一部が欠損、摩耗していた。羽根車等の摩耗によって生じた金属粉等は流出し、原子炉容器内に分散した。
 流出した金属粉等の量は、30-33kgと推定された。国際評価尺度:2相当
2.2 東京電力(株)福島第一原子力発電所3号機(78.4万kW)
発生年月日:1990.9.9(図6参照)
内容・原因等:
 定格出力で運転中、「中性子束高」の信号により原子炉が自動停止した。原因は、4系統ある主蒸気管の各々に2台ずつ設置されている主蒸気隔離弁のうち、1台の弁体と弁棒との接合部に使用している回り止めピンの取付けが不十分であったため、蒸気流の振動により止めビンが疲労破断し、弁体が弁棒より脱落して主蒸気管を閉塞した結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」に至った。
 本事象は、「中性子束高」の信号により安全保護系が正動作して原子炉が自動停止したものであり、原子炉施設の安全性に影響を与えるものではないが、これに関係する事象なので、INESレベル2と評価された。国際評価尺度:2
2.3 中部電力(株)浜岡原子力発電所3号機(110万kW)
発生年月日:1991.4.4(図7参照)
内容・原因等:
 定格出力で運転中、原子炉給水量が低下し、「原子炉水位低」の信号により原子炉が自動停止した。原因は、2台あるタービン駆動給水ポンプのうち1台の流量を制御するプリント基板に使用されているコンデンサの1つが短絡したことにより誤信号を発信し、当該駆動用タービンの蒸気加減弁が急閉したため、原子炉への給水流量が減少した。
 本事象は、原子炉給水流量が低下した結果、安全保護系が正動作して原子炉が自動停止したものであり、原子炉施設の安全性に影響を与えるものではないが、これに関係する事象なので、レベル2と評価された。国際評価尺度:2
2.4 東京電力(株)福島第一原子力発電所2号機(78.4万kW)
発生年月日:1992.9.29(図8参照)
内容・原因等:
 定格出力で運転中、「原子炉水位低」の信号により原子炉が自動停止したあと、さらに「原子炉水位低低」の信号により主蒸気隔離弁が全閉するとともに、工学的安全施設の一つである「高圧注水系」および原子炉隔離時冷却系が起動した。原因は、待機中の高圧復水ポンプ(C)の電源盤の遮断器の点検作業を行った際復帰作業を誤ったため、同ポンプの運転擬似信号が発信したことにより、高圧復水ポンプおよびタービン駆動原子炉給水ポンプが次々に停止し、終には全台停止し給水喪失となり、原子炉自動停止した。その後もさらに原子炉水位が低下したので、高圧注水系および原子炉隔離時冷却系が自動起動した。
 本事象は、運転員の誤操作に起因して原子炉給水が喪失した結果、安全保護系が正動作して原子炉が自動停止するとともに、非常用炉心冷却系(ECCS)が作動して炉心に冷却水が注入されたものであり、レベル0+とされるところであるが、品質保証計画に欠陥が認められたので、INESレベル1と評価された。国際評価尺度:1
2.5 東京電力(株)福島第一原子力発電所2号機(78.4万kW)
発生年月日:1992.11.9(図9参照)
内容・原因等:
 発電再開に向けて、原子炉を起動し、原子炉圧力7Okg/平方センチで原子炉高圧注水系の起動試験を実施したところ、高圧注水系駆動用のタービン入口弁が全開せず、また入口弁駆動用モータの故障を示す警報が発信した。このため原子炉を手動停止した。調査の結果、入口弁駆動用モータの起動トルクが設計上必要とされる値より小さかったため、弁の開操作時にモータが回転せず、過大な電流がモータに流れ、焼損した。
 本事象は、安全上の機能を有する機器である高圧注水系ポンプのタービン入口弁駆動用モータの不具合であり、レベル0+とされるところであるが、品質保証計画に欠陥が認められたので、INESレベル1と評価された。国際評価尺度:1
2.6 東北電力(株)女川原子力発電所2号機(82.5万kW)
発牛年月日:1994.12.11(図10参照)
内容・原因等:
 臨界後の試運転中、原子炉核計装系の起動領域モニタの定期試験を手順書にしたがい行ったところ、安全保護系が動作して原子炉が自動停止した。原因は、起動領域モニタの定期試験手順書の一部に不備があり、本試験実施中、「起動領域モニタ計数率高高」の信号が発信している状態で、「トリップA3バイパスSW」を「使用」の位置にしたため、原子炉自動停止に至る信号を発生させた。
 このトラブルは、原子炉施設の安全性に影響を与え得る事象であるので、0+とされるところであるが、当該試験の手順書に不適切が認められたので、INESレベル1と評価された。国際評価尺度:1
2.7 中国電力(株)島根原子力発電所2号機(82万kW)
発生年月日:1995.1.30(図11参照)
内容・原因等:
 定格出力で運転中、「スクラム排出容器水位異常高」の発信により、原子炉が自動停止した。原因は、廃棄物処理建物において、復水スラッジ分離水を床ドレンタンクヘ移送する際、トーラス水受入れタンク出口切替弁の1つが閉状態のままであったため、この分離水が機器ドレンタンクに接続しているスクラム排出容器ドレン配管を通じてスクラム排出容器内に逆流し、スクラム排出容器の水位が上昇した。
 このトラブルは、「スクラム排出容器水位異常高」が発信し、安全保護系が正動作して原子炉が自動停止したものであり、原子炉施設の安全性に関係しうる事象であるので、レベル0−とされるところであるが、この操作に係る手順書に不備があったので、INESレベル1と評価された。国際評価尺度:1
2.8 日本原子力発電(株)敦賀発電所1号機(35.7万kW)
発生年月日:1997.10.24(図12参照)
 定格出力で運転中、制御棒駆動系の定期試験において、制御棒73本のうち1本が挿入動作しないことが確認されたため、原子炉を手動停止した。原因は、制御棒に膨れが発生し、燃料集合体と接触、挿入動作しなかったため。
(1)当該制御棒の製造工程時にブレード上端部付近に局部的な加工ひずみ等が生じ、原子炉の運転に伴う中性子照射誘起応力腐食割れ(IASCC)が発生し、同割れから炉水が浸入した。
(2)炉水とボロンカーバイト等の反応により水素が発生し、ハフニウムの水素化・膨張を誘発、当該ブレード表面に引張り応力が生じてIASCCが発生し、これらの割れを通じて原子炉停止後炉水が更に浸入した。
(3)炉水とボロンカーバイト等が反応して生成した化合物が原子炉再起動後の温度上昇に伴い固化、充てん孔を閉塞した。
(4)炉水の気化等の発生により内圧が上昇、充てん孔間のリガメントが破断し膨れが発生。国際評価尺度:1
2.9 東京電力(株)福島第二原子力発電所1号機(110万kW)
発生年月日:1997.12.5(図13参照)
 制御棒パターン調整を行っていたところ、制御棒の引抜き操作において、1本の制御棒の動作不調が確認されたため、原子炉を手動停止した。原因は、2.8と同様である。国際評価尺度:1
2.10 中部電力(株)浜岡原子力発電所1号機(54万kW)
発生年月日:2001.11.7(図14参照)
 非常用炉心冷却系の一つである高圧注入系の定期手動起動試験を実施したところ、同系統の駆動蒸気配管から分岐する余熱除去系配管(外径約165mm、肉厚約11mm)が破断し、放射性物質を含む蒸気(約2トン、8×108Bqと推定)が漏えいした。水の放射線分解によって生じた水素が配管内に蓄積し、この水素が急速に燃焼し、配管内部の圧力が過大に上昇した結果、配管が破断した可能性が高いと推定されている。国際評価尺度(暫定評価):1
2.11 東京電力(株)福島第一原子力発電所6号機(110万kW)
発生年月日:2006.2.1(図15参照)
内容・原因等:
 2005年12月21日より定期検査中のところ、1月9日、制御棒の動作確認の準備作業中、ハフニウム板型制御棒1本の表面にひびらしきものを確認した。同型の制御棒(全17本)について外観調査を行い、9本の制御棒のシース部およびタイロッド部にひび(うち1本はめくれ)を確認した。2月1日、本事象が法律に基づく報告対象に該当するとの報告があった。
 点検調査として、熱中性子照射量を含む関連パラメータとの相関整理、製造履歴・運転履歴調査、モックアップ試験、オンサイト試験、ひびが確認された制御棒から切り出した試料を用いた照射後試験施設における調査(外観観察、破面観察、断面観察、硬さ測定、化学成分分析、腐食生成物分析他)およびひびの進展解析調査等を実施した。これらの結果、シース部およびタイロッド部のひびは、以下の通り、発生・進展したものと推定される。
 ハフニウム板型制御棒においては、その使用によって、シースとハフニウム板間、およびシースとタイロッド間において腐食生成物が堆積してすき間環境になりやすく、そこでひびの起点となりうる粒界腐食が発生した。また、コマ溶接部およびスポット溶接部の溶接残留応力が存在する部分において微小なひびが発生した。さらに、これら要因により発生したひびや粒界腐食が、シースとハフニウムの間の摺動抵抗の増加とハフニウム板の照射成長との複合要因により発生した応力下で、IASCCにより進展した。本トラブルは、ハフニウム板型制御棒に固有の問題と結論付けられる。なお、発電所外および発電所内における放射性物質の影響はなかった。国際評価尺度:1
2.12 東京電力(株)福島第一原子力発電所3号機(78.4万kW)
発生年月日:2006.3.3
内容・原因等:
 原子炉冷却材再循環ポンプ(B)軸封部の取替のために停止した3号機において、ハフニウム板型制御棒(全18本)の点検を開始したところ、3月3日、うち1本のシース部にひびが確認され、また、他の1本にタイロッドおよびシースにひびが確認されるとともにシースの一部が破損し欠損部があることが確認された。その後、点検を進めたところ、その他3本のシースにひびが確認された。
 点検調査等の結果は、上記の6号機の場合と同様である。国際評価尺度:1
(前回更新:2003年12月)
<図/表>

<関連タイトル>
日本の原子力発電所における事故・故障・トラブルの推移(2005年度まで) (02-07-01-01)
日本におけるPWR原子力発電所の主要な事故・故障・トラブル(2005年度まで) (02-07-01-03)
わが国においてECCSが作動した事故・故障 (02-07-02-01)
福島第二原子力発電所3号炉の原子炉再循環ポンプ損傷事象について (02-07-02-08)
軽水炉における応力腐食割れ (02-07-02-15)
浜岡原子力発電所1号機余熱除去系配管破断事故 (02-07-02-19)
原子力施設の故障・トラブル・事故の国際評価尺度 (11-01-04-01)
<参考文献>
(1)経済産業省 原子力・安全保安院 原子力保安管理課(編):原子力発電所運転管理年報 平成14年版(平成13年度実績)、火力原子力発電技術協会(2002年9月)
(2)原子力安全委員会(編):原子力安全白書
(3)(財)原子力工学試験センター原子力発電安全情報研究センター:平成2年度の我が国の原子力発電所における故障・トラブル等について(1991年11月)、p.19-20
(4)(財)原子力発電技術機構安全情報研究センター:平成3年度の我が国の原子力発電所における故障・トラブル等について(1992年11月)、p.13-14
(5)(財)原子力発電技術機構安全情報研究センター:平成4年度の我が国の原子力発電所における故障・トラブル等について(1993年11月)、p.27-28、p.31-32
(6)(財)原子力発電技術機構安全情報研究センター:平成6年度の我が国の原子力発電所におけるトラブルについて(1995年10月)、p.27-28、p.35-36
(7)通商産業省資源エネルギー庁(編):原子力発電所のトラブルの国際評価尺度−トラブルの大きさをみんなが理解できるように−、原子力発電技術機構(1996年3月)、p.12
(8)(独)原子力安全基盤機構:JNES−トラブル等情報データベース
(9)(独)原子力安全基盤機構(編集発行):原子力施設運転管理年報 平成18年版(平成17年度実績)(2006年9月)、p.464-465、p.641


 まあ、此れは兎も角、7)通商産業省資源エネルギー庁(編):原子力発電所のトラブルの国際評価尺度−トラブルの大きさをみんなが理解できるように−、原子力発電技術機構(1996年3月)、p.12
 なのだが、人類にはミスは付き物という事はあらゆる面で過去の実績が物語っている。
 
 問題はトラブルや事故・時間の経過による機器などの摩滅・劣化は事実上防ぐ事が出来ないと言える。
 
 現在、政府が強引に推し進めている・・何とかカード程度で大騒ぎになっており・・様々なトラブルにより国民の知られたくない情報がいとも簡単に流出をしている。
 それで国民に多大なる迷惑をかけている状況から推測をすれば・・・当然ながら「何らかの理由により原発に異常が生じても全くおかしくは無い」と言っても過言では無く、カードと同様・・発生した後にどうなっているのか?
 相手は人類だけでなく、人類が開発した「モノ」に起因する被害であれば、同じ人類である政府や関連機関が即座に対応できるのかの確率は・・残念ながらInternational Atomic Energy Agency(IAEA). 国際原子力機関にしても同じ人類である事を勘案すれば、果たして何処まで期待できるのか?人類の脳力には限界がある。

 例えば、7/6(木) 7:05配信 Yahoo!ニュース
 「日本の福島汚染水放流問題と関連し韓国など周辺国が敏感になる理由のひとつは食品安全問題だ。国際原子力機関(IAEA)の4日の最終報告書は福島産水産物の安全性に「大きな問題はなかった」と結論を下した。
 IAEAの報告書には東京電力が1日平均190グラムと魚を多く食べる日本人を代表に選定して放射能影響評価を進めた結果が載せられた。乳児(97グラム)・嬰児(39グラム)もやはり平均より多く食べる事例を基準として放射能の影響を測定した。IAEAは「『水産物摂取による影響はわずかだった』という日本側の結論は国際基準に合致する。魚を多く食べる成人基準で放射線年間有効線量は最大0.000032ミリシーベルト水準で、東京電力が年間放射能制限の線とする0.05ミリシーベルトよりはるかに低い」と明らかにした。
 普通胸部エックス線撮影をする際にさらされる放射線量は0.01~0.04ミリシーベルト、自然状態では年間3ミリシーベルト程度被ばくするという。IAEAはヒラメとカニ、海草類に対する放射能の吸収線量調査でも「1日最小吸収線量の1ミリグレーより大きく低かった」という日本側の主張が妥当だとみた。
 韓国政府は「汚染水放流と水産物輸入禁止は別個」という立場だ。韓国原子力安全委員会と海洋水産部などは4日の会見で「2013年の輸入規制は2011年の福島事故当時に放出された放射性物質の潜在的リスクが相変わらずだということに基づいたもの。これは日本政府が計画した未来の汚染水放流と無関係なことで、輸入禁止措置は維持される」と明らかにした。世界貿易機関(WTO)も2019年に福島産水産物の安全性の有無とは別個で韓国が自国民の健康などを総合的に考慮して輸入禁止措置を取ったのは正当だと結論を下した。
 日本政府は汚染水放流に向けた客観的土台は用意したが韓国・中国だけでなく自国内でも提起される懸念の声を乗り越えなければならないという課題を抱えることになった。これに先立ち中国外交部は「日本が独断的に汚染水を放出すればあらゆる結果を甘受しなければならない」として報復の可能性まで暗示した。韓国と太平洋島嶼国も汚染水の安全性問題を提起している。
 日本の漁民も一部否定的な反応を見せている。福島県の漁師、三春智弘さんは5日、毎日新聞に「国が処理水の安全性を強調するために(IAEAの報告書を)必要としているのだろう。だが、私たちを納得させるのが先ではないか」と話した。CNNも汚染水海洋放流が始まれば福島の漁業が再び萎縮しかねないという現地漁民の懸念を伝えた。
 環境団体などでは「IAEAが日本の国際的影響力を考慮して偏向した結論を下したのではないのか」として日本のIAEA財政分担金寄与度を取り上げたりもする。しかしIAEAが公開した資料を見ればIAEA分担金の割合が高い国は米国が25.1%、中国が14.5%、日本が7.7%の順だ。韓国は2.5%ほどだ。
 IAEAのグロッシ事務局長は5日に福島県いわき市の汚染水対策行事で「処理水の最後の1滴が安全に放流される時までIAEAは福島にとどまるだろう」と話したと共同通信が報道した。」


 毎日新聞

「IAEAお墨付きでも高いハードル 処理水放出、消えぬ風評被害懸念

 東京電力福島第1原発の処理水の海洋放出に、国際原子力機関(IAEA)のお墨付きが出たことで、今後は「夏ごろ」としている政府の具体的な放出時期の判断に注目が集まる。だが、漁業者の風評被害への懸念が払拭(ふっしょく)されたとは言い難く、中国や韓国など海外からも反発の声が上がっており、放出に向けたハードルはなお残る。
 漁業者「私たちを納得させるのが先では」
 「IAEAは(海洋放出の計画について)『大変結構な計画ですね、じゃあバイバイ』と言っているのではない」。IAEAのグロッシ事務局長は安全基準に合致しているとした包括報告書を岸田文雄首相に提出後、東京都内で開かれた記者会見でそう話した。海洋放出の安全性を確保するため、IAEAが継続的に携わることを強調した。
 海洋放出以外の選択肢はないのかと記者から尋ねられると、「中国含め韓国やフランスなど多くの国で海洋放出が行われている」と説明。数十年の放出期間の安全性をどう保証するのかという質問には、第1原発内にIAEAの事務所を設置することを踏まえ、「そこに居続けてレビューを継続する」と答えた。
 一方、福島県漁業協同組合連合会の鈴木哲二専務理事は報告書について、「想像の範囲内だが、そもそも我々が口を挟めるものでもない。これまで通り、福島の海で漁を続けることを海洋放出反対の意思表示と抵抗の証しとしたい」と話した。放出設備の工事完了を受け、県漁連は6月30日の総会で、「(海洋放出に)反対であることはいささかも変わらない」とする特別決議を全会一致で採択した。
 福島県相馬市の漁師、三春智弘さん(64)は「『海洋放出ありき』で、ことを進めてきた国が処理水の安全性を強調するために必要としているのだろう。だが、私たちを納得させるのが先ではないか。それとも私たちの意見など最初から聞く耳を持っていないのか」と憤る。
 全国漁業協同組合連合会(全漁連)も6月22日の総会で改めて海洋放出反対の特別決議を全会一致で採択している。福島県近隣の宮城、茨城両県のほか、海産物を多く輸出する北海道の漁業者の反発も根強く残る。以下有料記事。」

 東京新聞では、逆に。

「米国務省がIAEAの報告書を「歓迎」 福島第一原発の処理水放出巡り」

 となるが・・USAは所詮他人ごとであり、基地の問題でも「発癌性物質は基地と無関係」と主張している。

 ところが、東京新聞でも昨年10月末に次の記事では。

「全国の米軍基地周辺で有機フッ素化合物汚染が頻発 実態暴いた記者ミッチェルさんは嘆く「もっと学んで」
 PFASのリスクを訴えるジョン・ミッチェルさん=川崎市で
 発がん性が疑われる有機フッ素化合物(PFAS)が、全国の米軍基地周辺で相次いで検出されている。沖縄県の深刻な汚染をはじめ、米軍由来とみられる汚染の実態を暴いてきたのは、川崎市在住の英国人記者ジョン・ミッチェルさん(48)。米国の情報公開制度を使い、粘り強く米軍の内部資料を入手してきたジャーナリストは、日本ではリスクがあまり知られていない現状を、「政治とメディアの失態」と指摘する。相次ぐ米軍からのPFAS流出。でも、ミッチェルさんは「全く驚かない」と話す。
 厚木基地からのPFOS放出は今回が初めてではない。ミッチェルさんが入手した米軍の内部資料によれば、2011年6月に厚木基地と三沢基地(青森県)で放射性物質も含む汚染水12万リットル以上を下水道に流していたことが判明している。ミッチェルさんは18年7月、特約契約を結ぶ沖縄タイムスでこの件をスクープとして報じた。「(米軍基地は)これまでも何度も汚染された水を流している」と指摘する。
 ミッチェルさんは昨年12月、神奈川県内3つの米軍施設で高濃度のPFASが検出されたことも報じている。これは米軍が18年に調査したもので、厚木基地内の貯油施設でPFASの一種のPFOA1リットルあたり1億8500万ナノグラム▽横浜市内の根岸住宅地区の軍消防署ではPFOS同121億ナノグラム▽同市鶴見区の貯油施設でPFOA同8920万ナノグラム―がそれぞれ検出されていた。
 米軍の報告書によると、厚木基地では09~16年に大規模な火災などが少なくとも5件あり、PFASを含む泡消火剤が使われた可能性が高いことも分かったという。
 実際、環境省は20年6月に蓼川が合流する引地川から、暫定目標値の4倍以上にあたるPFOSを検出したと発表している。
 東京都の米軍横田基地周辺でも高濃度のPFOSとPFOAが検出され、東京都が19年に調査に乗り出した。そのきっかけもミッチェルさんの報道だった。」


 コマーシャルだらけの今の時代、高齢者をtargetとするもの以外にも、認知機能改善・マスクではvirusを防げない・その他人類の理論的な間違いについては、都度、誇大広告である事を告げ、何処が問題で其れをどうするべきかを連絡しているが、今のところ効果は出ているようだ。 


 さて、此処までにしておくが、何れにしてもUSAはいい加減であり、原発が危険な事には間違いがない。
 だが、カードも止められないlevelであれば、原発も同じ運命にあるとも言えそうだ。勿論、平和過ぎた時代にはうってつけの結論に至る。
 人類は自らと百八十度異なった意見を聞く事が出来ないものであり、其れが人類とし正しいとの思い付きにしか過ぎない。
 もう一つ・・人類で無いからにはそれなりの予見がある。人類が好んでやまない小国がこう言った。
「・・此の全責任は世界中にある・・」
 そうは思わないが、仕方も無い。
 相手が誰なのかを知らずにいるだけで、自らは自国の国民に如何にしてこれ以上の犠牲者を出さずに済むのかを思考すべきであり、突出した感情に溺れては、全てが好転をしないだろうが、其れは言わずもがななのかも知れない。
 何にしろ成すがままで気が済まぬなら、然有り(さあり~そうだろう)と・・。
 因みに、後期の堕落論にしても、必ずしも百八十度異なる者で有ろうと無かろうと、一向に気にならぬものと感ずる。
 

 

 さて、時間が無くなったので文豪の作品から一作を貼り付ける。


 堕落論

 坂口安吾



 半年のうちに世相は変った。醜しこの御楯みたてといでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。
 若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋やみやとなる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。
 けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌いはいにぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。
 人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。
 昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角せっかくの名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。
 現代の法律にこんな人情は存在しない。けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままで終らせたいということは一般的な心情の一つのようだ。
 十数年前だかに童貞処女のまま愛の一生を終らせようと大磯のどこかで心中した学生と娘があったが世人の同情は大きかったし、私自身も、数年前に私と極めて親しかった姪めいの一人が二十一の年に自殺したとき、美しいうちに死んでくれて良かったような気がした。
 一見清楚せいそな娘であったが、壊れそうな危なさがあり真逆様まっさかさまに地獄へ堕おちる不安を感じさせるところがあって、その一生を正視するに堪えないような気がしていたからであった。
 この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で彼女達に使徒の余生を送らせようと欲していたのであろう。
 軍人達の悪徳に対する理解力は敏感であって、彼等は女心の変り易さを知らなかったわけではなく、知りすぎていたので、こういう禁止項目を案出に及んだまでであった。
 いったいが日本の武人は古来婦女子の心情を知らないと言われているが、之これは皮相の見解で、彼等の案出した武士道という武骨千万な法則は人間の弱点に対する防壁がその最大の意味であった。
 武士は仇討のために草の根を分け乞食となっても足跡を追いまくらねばならないというのであるが、真に復讐の情熱をもって仇敵の足跡を追いつめた忠臣孝子があったであろうか。
 彼等の知っていたのは仇討の法則と法則に規定された名誉だけで、元来日本人は最も憎悪心の少い又永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。
 昨日の敵と妥協否肝胆かんたん相照すのは日常茶飯事であり、仇敵なるが故に一そう肝胆相照らし、忽たちまち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。
 日本戦史は武士道の戦史よりも権謀術数の戦史であり、歴史の証明にまつよりも自我の本心を見つめることによって歴史のカラクリを知り得るであろう。
 今日の軍人政治家が未亡人の恋愛に就ついて執筆を禁じた如く、古いにしえの武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった。
 小林秀雄は政治家のタイプを、独創をもたずただ管理し支配する人種と称しているが、必ずしもそうではないようだ。
 政治家の大多数は常にそうであるけれども、少数の天才は管理や支配の方法に独創をもち、それが凡庸ぼんような政治家の規範となって個々の時代、個々の政治を貫く一つの歴史の形で巨大な生き者の意志を示している。
 政治の場合に於て、歴史は個をつなぎ合せたものでなく、個を没入せしめた別個の巨大な生物となって誕生し、歴史の姿に於て政治も亦また巨大な独創を行っているのである。
 この戦争をやった者は誰であるか、東条であり軍部であるか。そうでもあるが、然し又、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。
 日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったにすぎない。政治家によし独創はなくとも、政治は歴史の姿に於て独創をもち、意慾をもち、やむべからざる歩調をもって大海の波の如くに歩いて行く。
 何人が武士道を案出したか。之も亦歴史の独創、又は嗅覚であったであろう。歴史は常に人間を嗅ぎだしている。
 そして武士道は人性や本能に対する禁止条項である為に非人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点に於ては全く人間的なものである。
 私は天皇制に就ても、極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見るのである。
 天皇制は天皇によって生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。
 社会的に忘れた時にすら政治的に担かつぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。
 それは天皇家に限るものではない。代り得るものならば、孔子家でも釈迦しゃか家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただけである。
 すくなくとも日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼等は永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた。
 平安時代の藤原氏は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の下位であるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。
 天皇の存在によって御家騒動の処理をやり、弟は兄をやりこめ、兄は父をやっつける。
 彼等は本能的な実質主義者であり、自分の一生が愉たのしければ良かったし、そのくせ朝儀を盛大にして天皇を拝賀する奇妙な形式が大好きで、満足していた。天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、又、自ら威厳を感じる手段でもあったのである。
 我々にとっては実際馬鹿げたことだ。我々は靖国神社の下を電車が曲るたびに頭を下げさせられる馬鹿らしさには閉口したが、或種の人々にとっては、そうすることによってしか自分を感じることが出来ないので、我々は靖国神社に就てはその馬鹿らしさを笑うけれども、外の事柄に就て、同じような馬鹿げたことを自分自身でやっている。
 そして自分の馬鹿らしさには気づかないだけのことだ。宮本武蔵は一乗寺下り松の果し場へ急ぐ途中、八幡様の前を通りかかって思わず拝みかけて思いとどまったというが、吾神仏をたのまずという彼の教訓は、この自らの性癖に発し、又向けられた悔恨深い言葉であり、我々は自発的にはずいぶん馬鹿げたものを拝み、ただそれを意識しないというだけのことだ。
 道学先生は教壇で先ず書物をおしいただくが、彼はそのことに自分の威厳と自分自身の存在すらも感じているのであろう。そして我々も何かにつけて似たことをやっている。
 日本人の如く権謀術数を事とする国民には権謀術数のためにも大義名分のためにも天皇が必要で、個々の政治家は必ずしもその必要を感じていなくとも、歴史的な嗅覚に於て彼等はその必要を感じるよりも自らの居る現実を疑ることがなかったのだ。
 秀吉は聚楽じゅらくに行幸を仰いで自ら盛儀に泣いていたが、自分の威厳をそれによって感じると同時に、宇宙の神をそこに見ていた。これは秀吉の場合であって、他の政治家の場合ではないが、権謀術数がたとえば悪魔の手段にしても、悪魔が幼児の如くに神を拝むことも必ずしも不思議ではない。どのような矛盾も有り得るのである。
 要するに天皇制というものも武士道と同種のもので、女心は変り易いから「節婦は二夫に見まみえず」という、禁止自体は非人間的、反人性的であるけれども、洞察の真理に於て人間的であることと同様に、天皇制自体は真理ではなく、又自然でもないが、そこに至る歴史的な発見や洞察に於て軽々しく否定しがたい深刻な意味を含んでおり、ただ表面的な真理や自然法則だけでは割り切れない。
 まったく美しいものを美しいままで終らせたいなどと希ねがうことは小さな人情で、私の姪の場合にしたところで、自殺などせず生きぬきそして地獄に堕おちて暗黒の曠野こうやをさまようことを希うべきであるかも知れぬ。
 現に私自身が自分に課した文学の道とはかかる曠野の流浪であるが、それにも拘かかわらず美しいものを美しいままで終らせたいという小さな希いを消し去るわけにも行かぬ。
 未完の美は美ではない。その当然堕ちるべき地獄での遍歴に淪落りんらく自体が美でありうる時に始めて美とよびうるのかも知れないが、二十の処女をわざわざ六十の老醜の姿の上で常に見つめなければならぬのか。これは私には分らない。私は二十の美女を好む。
 死んでしまえば身も蓋ふたもないというが、果してどういうものであろうか。敗戦して、結局気の毒なのは戦歿した英霊達だ、という考え方も私は素直に肯定することができない。
 けれども、六十すぎた将軍達が尚なお生に恋々として法廷にひかれることを思うと、何が人生の魅力であるか、私には皆目分らず、然し恐らく私自身も、もしも私が六十の将軍であったなら矢張り生に恋々として法廷にひかれるであろうと想像せざるを得ないので、私は生という奇怪な力にただ茫然たるばかりである。 私は二十の美女を好むが、老将軍も亦二十の美女を好んでいるのか。そして戦歿の英霊が気の毒なのも二十の美女を好む意味に於てであるか。
 そのように姿の明確なものなら、私は安心することもできるし、そこから一途いちずに二十の美女を追っかける信念すらも持ちうるのだが、生きることは、もっとわけの分らぬものだ。
 私は血を見ることが非常に嫌いで、いつか私の眼前で自動車が衝突したとき、私はクルリと振向いて逃げだしていた。けれども、私は偉大な破壊が好きであった。
 私は爆弾や焼夷弾しょういだんに戦おののきながら、狂暴な破壊に劇はげしく亢奮こうふんしていたが、それにも拘らず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする。
 私は疎開をすすめ又すすんで田舎の住宅を提供しようと申出てくれた数人の親切をしりぞけて東京にふみとどまっていた。
 大井広介の焼跡の防空壕を、最後の拠点にするつもりで、そして九州へ疎開する大井広介と別れたときは東京からあらゆる友達を失った時でもあったが、やがて米軍が上陸し四辺に重砲弾の炸裂さくれつするさなかにその防空壕に息をひそめている私自身を想像して、私はその運命を甘受し待ち構える気持になっていたのである。
 私は死ぬかも知れぬと思っていたが、より多く生きることを確信していたに相違ない。
 然し廃墟に生き残り、何か抱負を持っていたかと云えば、私はただ生き残ること以外の何の目算もなかったのだ。
 予想し得ぬ新世界への不思議な再生。その好奇心は私の一生の最も新鮮なものであり、その奇怪な鮮度に対する代償としても東京にとどまることを賭ける必要があるという奇妙な呪文に憑つかれていたというだけであった。
 そのくせ私は臆病で、昭和二十年の四月四日という日、私は始めて四周に二時間にわたる爆撃を経験したのだが、頭上の照明弾で昼のように明るくなった、そのとき丁度上京していた次兄が防空壕の中から焼夷弾かと訊いた、いや照明弾が落ちてくるのだと答えようとした私は一応腹に力を入れた上でないと声が全然でないという状態を知った。
 又、当時日本映画社の嘱託だった私は銀座が爆撃された直後、編隊の来襲を銀座の日映の屋上で迎えたが、五階の建物の上に塔があり、この上に三台のカメラが据えてある。
 空襲警報になると路上、窓、屋上、銀座からあらゆる人の姿が消え、屋上の高射砲陣地すらも掩壕えんごうに隠れて人影はなく、ただ天地に露出する人の姿は日映屋上の十名程の一団のみであった。
 先ず石川島に焼夷弾の雨がふり、次の編隊が真上へくる。私は足の力が抜け去ることを意識した。
 煙草をくわえてカメラを編隊に向けている憎々しいほど落着いたカメラマンの姿に驚嘆したのであった。
 けれども私は偉大な破壊を愛していた。運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。
 麹町こうじまちのあらゆる大邸宅が嘘のように消え失せて余燼よじんをたてており、上品な父と娘がたった一つの赤皮のトランクをはさんで濠端の緑草の上に坐っている。
 片側に余燼をあげる茫々たる廃墟がなければ、平和なピクニックと全く変るところがない。
 ここも消え失せて茫々ただ余燼をたてている道玄坂どうげんざかでは、坂の中途にどうやら爆撃のものではなく自動車にひき殺されたと思われる死体が倒れており、一枚のトタンがかぶせてある。
 かたわらに銃剣の兵隊が立っていた。行く者、帰る者、罹災者りさいしゃ達の蜿※(「虫+廷」、第4水準2-87-52)えんえんたる流れがまことにただ無心の流れの如くに死体をすりぬけて行き交い、路上の鮮血にも気づく者すら居らず、たまさか気づく者があっても、捨てられた紙屑を見るほどの関心しか示さない。
 米人達は終戦直後の日本人は虚脱し放心していると言ったが、爆撃直後の罹災者達の行進は虚脱や放心と種類の違った驚くべき充満と重量をもつ無心であり、素直な運命の子供であった。
 笑っているのは常に十五六、十六七の娘達であった。彼女達の笑顔は爽さわやかだった。
 焼跡をほじくりかえして焼けたバケツへ掘りだした瀬戸物を入れていたり、わずかばかりの荷物の張番をして路上に日向ぼっこをしていたり、この年頃の娘達は未来の夢でいっぱいで現実などは苦にならないのであろうか、それとも高い虚栄心のためであろうか。
 私は焼野原に娘達の笑顔を探すのがたのしみであった。
 あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。
 猛火をくぐって逃げのびてきた人達は、燃えかけている家のそばに群がって寒さの煖をとっており、同じ火に必死に消火につとめている人々から一尺離れているだけで全然別の世界にいるのであった。
 偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。
 だが、堕落ということの驚くべき平凡さや平凡な当然さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間達の美しさも、泡沫ほうまつのような虚しい幻影にすぎないという気持がする。
 徳川幕府の思想は四十七士を殺すことによって永遠の義士たらしめようとしたのだが、四十七名の堕落のみは防ぎ得たにしたところで、人間自体が常に義士から凡俗へ又地獄へ転落しつづけていることを防ぎうるよしもない。
 節婦は二夫に見えず、忠臣は二君に仕えず、と規約を制定してみても人間の転落は防ぎ得ず、よしんば処女を刺し殺してその純潔を保たしめることに成功しても、堕落の平凡な跫音あしおと、ただ打ちよせる波のようなその当然な跫音に気づくとき、人為の卑小さ、人為によって保ち得た処女の純潔の卑小さなどは泡沫の如き虚しい幻像にすぎないことを見出さずにいられない。
 特攻隊の勇士はただ幻影であるにすぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないのか。
 未亡人が使徒たることも幻影にすぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないのか。
 そして或は天皇もただ幻影であるにすぎず、ただの人間になるところから真実の天皇の歴史が始まるのかも知れない。
 歴史という生き物の巨大さと同様に人間自体も驚くほど巨大だ。生きるという事は実に唯一の不思議である。
 六十七十の将軍達が切腹もせず轡くつわを並べて法廷にひかれるなどとは終戦によって発見された壮観な人間図であり、日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。
 生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。
 私はハラキリを好まない。昔、松永弾正という老獪ろうかい陰鬱な陰謀家は信長に追いつめられて仕方なく城を枕に討死したが、死ぬ直前に毎日の習慣通り延命の灸きゅうをすえ、それから鉄砲を顔に押し当て顔を打ち砕いて死んだ。
 そのときは七十をすぎていたが、人前で平気で女と戯れる悪どい男であった。この男の死に方には同感するが、私はハラキリは好きではない。
 私は戦おののきながら、然し、惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。私は考える必要がなかった。
 そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。実際、泥棒すらもいなかった。
 近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配はなく、暗闇の深夜を歩き、戸締なしで眠っていたのだ。
 戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない。
 そしてもし我々が考えることを忘れるなら、これほど気楽なそして壮観な見世物はないだろう。
 たとえ爆弾の絶えざる恐怖があるにしても、考えることがない限り、人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれておれば良かったのだ。私は一人の馬鹿であった。最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。
 終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。
 人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。
 政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。
 人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。
 戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。
 人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
 だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。
 人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
 人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。
 だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。
 そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
 政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

 



「人間は角があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ。夏目漱石」

「好人物は何よりも先に、天上の神に似たものである。第一に、歓喜を語るに良い。第二に、不平を訴えるのに良い。第三に、いてもいなくても良い。芥川竜之介」

「素人か玄人かは、その仕事に対する作者の打込み方の相違だ。金は食っていけさえすればいい程度にとり、喜びを自分の仕事の中に求めるようにすべきだ。志賀直哉」

「泣いて馬謖~腹心転じて即ち自ら~を斬る。時の流れがわからなければ、寛大であろうと、厳しくしようと、政治はすべて失敗する。最後に運命を決めるのは天である。中国の三国時代、蜀の軍師諸葛孔明」



「by europe123 」
https://youtu.be/N6mykOAclrI

高齢者宛その他お粗末なフィッシングメール。出来事より雑談と、文豪の作品から堕落論を貼り付け。

高齢者宛その他お粗末なフィッシングメール。出来事より雑談と、文豪の作品から堕落論を貼り付け。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-07-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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