地下都市の暮らし

夫が私の部屋で寝てしまった。人と添い寝ができない私は仕方なく布団を出て、夫の寝室で寝ようと思い、夫の部屋の襖を開けようとした。開かない。襖は、びくりともしない。なにか強い接着剤で上下左右をびっちりと固定されたかのように、びくりともしない。仕方が無いのでコタツで寝ようと思うが、リビングの襖も開かない。先程と同様に開かない。昼間は暖かいが朝晩はまだ少し冷える、長野県の5月中頃。寝てる夫を叩き起こそうとするが、一向に起き上がる気配がないので、仕方なく冬物のコートを2枚、敷く用と掛けるように引っ張り出し、床で眠った。
3日ほどそんなことが続くと、あまり眠れていないために何もかもが嫌な気持ちになり、荷物をまとめて実家に帰った。1週間しっかり眠り、羽を伸ばした。帰ってきて、あの襖の様子をいの一番に確認したが、やはり開かない。色々確認してみたが、開かないのは襖だけ。お風呂にもトイレにも行けたし、冷蔵庫も開く。キッチンと廊下を隔てるガラスの引き戸はガラガラと動いた。押し入れの引き戸も開け閉めができる。念の為確認したが、ガスコンロのグリルも開く。「襖」に隔てたリビングと夫の寝室だけのようだ。
その夜、やはり床で眠っていた。深夜トイレに目が覚め、起き上がると、ひんやりと風が吹き込んでいることに気付いた。どこからだろう、風向きを確認する。夫の寝室の方。または、玄関が開いているのか。玄関の戸締りを確認したあと、夫の寝室と向き合い、じっと眺めた。ドアがほんの少しの隙間程度に開いている。私は、その隙間が刹那に閉じてしまう気がして、やや焦ってその隙間に手を入れ、力強くドアを開け放った。パン!と、深夜に出してはいけない音を立て、襖は開いた。
そこには、「地下都市への入り口」と書かれた看板が建てられ、部屋が下に続く階段になっていた。

「ここは3階だけどね」と思いつつ、1週間ほどあれこれと考えながら支度をし、道具を集め、私は旅立つことにした。大きなバッグに荷物を詰めて、その階段を降り始めた。半日ほど歩いた頃、「1/500」と書かれた看板を見つけた。ちっともだ!まだまだあるのか!!と半ば絶望したが、戻るのも悔しいので、おにぎりと飲み物で休憩を取り、更に先へ進む。そろそろ外は夜だ。疲れもあり、眠くなってきたので、寝袋の中に入り込み、階段の上で眠った。階段の幅は狭いが、人1人が横になるだけの広さはあった。しかし、眠っている途中、ガクンと落ちる感覚で目が覚めるやいなや、私はその階段を転がり落ちた。止まらない。寝袋に入っており、身動きが取れず、全身を打撲し続けている。痛みが徐々に増していった。このまま下まで降りられるかもしれないが、そんなことをしていたら死んでしまうと思い、身を捩り寝袋を脱ぎ、なんとか転がりを止めることが出来た。
どれくらいの時間が過ぎたのだろう、混乱していて、よく分からなかった。
そして、おにぎりもランタンも、全て、置いてきてしまった。暗くて何も見えない。どこまで落ちてきたのだろう。不安で胸がギュッとなった。

眠りを不意に打ち砕かれた上に全身が打撲痛で、私は寝袋を抱きしめながら途方にくれていた。もう戻ることもできないが、どの程度進めばその「地下都市」にたどり着くのか見当もつかず、せめてもう少し眠りたいと思い、階段に座り込み、うとうとと目を閉じていた。
ふと、ポケットに入れてあったはずのスマホと飴玉の存在を思い出した。探検の為に買ったカーゴパンツにはポケットが6箇所あり、スマホや飴玉の他には絆創膏やタバコも入っていた。命からがらタバコに火をつけ煙を吸うと、急激に気持ちが落ち着いた。スマホのカバーに隠してあった紙幣も見つけたが、果たして地下都市で役立つものだろうかと、しまい直した。スマホの画面はある程度粉々になっていたが、電波こそ入らないものの充電も残っており、弱めの設定でライトを灯すことはできた。
チェーンスモークしながら階段を下ると、すぐのところに「10/500」の看板が見えた。全身打撲も無駄にはならなかったわね、と思いつつ、それでもまだちっともである。ワープ穴でもあればなあ、と、階段を降りながら壁をペタペタと触っていると、突然壁が崩れ落ちた。その拍子に私は体のバランスを崩してしまい、その崩れた壁の中へ吸い込まれるように落ちていった。

頭を下にして、滑り台を急降下していく。昔の漫画で町興しのために巨大な滑り台を作ったが、公開するや否や死者が出て、町興しが失敗に終わる話がある。それを思い出した。しかし、人一人分の幅しかない滑り台の上で滑り落ちながら方向転換はできなかった。私は「このまま死ぬのか」と諦めていた。人生の中の四半世紀程度は死にたいと思いながら生きてきたので、未練のようなものは感じないまま、冒険者として死ぬのはまあまあ悪くないなと思っていた。心残りのようなものはないわけではないので、どうせ死ぬなら色々なことに思いを馳せたまま死のうと思い、家族や友人の顔を思い浮かべた。先週面接を受けたバイトの合否のことも考えていた。夫に内緒にしようと思って冷蔵庫の奥に入れておいたプリンのことも考えた。(腐るだろうか?それまでに食べてもらえればプリンとしても本望だろう。)
そうやって色々なことを考えていると、急に視界が拓けた。そして私は空間に浮き上がっていた。虹色の空間だった。これは神の国ではないか?幽体離脱やチャネリングをしているうちに紛れ込んでしまった人の話を読んだことがある。すなわち、これは死か?しかし自分の実体的な感覚は持っており、宇宙空間に浮かぶとはこんな感じだろうか、と思考を巡らす。そしてその間、私はゆっくりと吸い寄せられるようにどこかへ向かっていく。方角も上下も、なんだかよくわからないまま、小さな丸い窓が現れ、そっと開いた。

「窓の開閉、異常なしであります!」「大成功ですぞ!」「やったー!」たくさんの歓声と拍手喝采の中、私は軟体動物のように窓から部屋の中に滑り落ちた。「おべ!!」よりによって顔から落ちてしまった。見たところ、古い木造建の家の中のように思えるが、見たこともない機械が壁沿いに並んでおり、そして、歓声と拍手をやめようとしない人々はみな小さく、その姿はおとぎ話に出てくるコビトたちのようだった。「あのお、ここは?」声をかけるが、返事もせず、今度は胴上げが始まった。3つのグループに分かれ、代わる代わるに胴上げをし続ける彼らの邪魔ができず、私は床に座り直し、その様子を眺めていた。
この小さい生き物たちが、この窓を作ったのだろうか?しかしこの部屋は妙に天井が高く、出入り口のようなものはこの窓の他にもドアが数カ所に3つずつある。すごく大きなドアと、それより少し小さめのドア、そして、とても小さなドアが、1組になっているようだった。一番小さなドアは、この小さな人たち用のドアだと思うが、一番大きなドアがあるということは、すごく大きな人がいるということだろうか。

地上にて_手紙

切手の貼られていない手紙が届いた。宛名はしっかり書かれており、封筒の裏面には規則性のよくわからない英数字と、妻の名前が書かれていた。筆跡から察するに、彼女がリラックスして書いた文字のように感じる。開封すると2枚の便箋に、誤字と誤字を書き直されたひらがなを主体とする、なんとも雑な文章。インクの色はピンク。
メモ用紙に書き置きを残して、寝ている俺より先に家を出る彼女を思い出す。彼女が働いていた頃はそのようにして、メモ用紙の下半分は不自然に空白にされており、俺がその空白を埋めるようにメッセージを書き残して仕事へ出る。そういう毎日だった。彼女が仕事を辞め、しばらく経った頃。数ヶ月経った頃だっただろうか。春の日、まだ肌寒く、雨も続く頃。長袖を着て過ごしていたのを思い出す。

Hくん、お元気ですか。
今私は、机の仕事をしています。机を作る仕事です。
地下都市は今、数年ぶりの夏が来ました。私がこの土地に来て初めての夏で、ここいらは原則冬〜春〜秋を繰り返しています。その方がエネルギーの効率がいいそうです。よくわかりませんが。
地下都市にきて3年〜?か4年くらいになると思いますがHくんが寂しくて泣いていないか心配です。私は結構泣いて過ごしましたが、この土地の人はいい人が多いので、それなりに楽しく過ごしています。
地上への戻り方はまだわからないのですが、もっと頑張ってあの扉の向こうにいけたら、わかるらしいのでそれまで頑張ってみます。
地上への戻り方がわかったら、また手紙を書きます。その時はぜひ友達を連れてこちらに遊びにきてください。そしてみんなでまた地上で暮らせたらいいなと思います。それまで、どうぞお元気で。私も頑張ります。
Yより。

地下都市への階段は、まだ俺の寝室にある。「戻り方がわからない」「わかったら教えるからその時はみんなを連れて遊びにきて」以上を踏まえると、今行っても意味がないので来るな、という意味が暗に伝わってくるようだ。
俺はあれから、妻の部屋で眠っている。周囲では「奥さん突然でてっちゃったんだって」と囁かれているが、あまり気にしていない。出ていっちゃったこと自体は間違いとも言い切れないし、何より「地下都市の入り口を見つけたんだ」と言われ、二人でそれを確認した時、「私は行ってこようと思うんだがね」という彼女に「Yが一番やりたいことをするべきだ」と言ったのも俺だ。
旅立ちの朝、起きると彼女はすでに地下都市への階段を降り始めていた。テーブルのメモ用紙には「不足はないと思います。なるべく頑張る。Hくんは、この家を守っていてくれよな。いってきます。」と書かれていた。下半分には、いつも通りに空白があった。

地下都市の暮らし

地下都市の暮らし

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-07-06

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