昨日に戻って

昨日に戻って

A4小説 #2

昨日の夜、確かに彼女は俺の家に泊まった。「ん?」と俺を覗き込んでくるその顔は、昨夜とはどこか違う。これが女の子、というものなのだろうか。知らなすぎる。突き放したい訳では無いけれど、他人に好意を向けられるのが初めてで、俺はとてもむず痒かった。
「ね、次のだって。新幹線」
「ああ」
梅田からわざわざ新大阪まで来て、俺はホームに並んでいた。もうすぐで日曜が終わるから、人が大挙して次ののぞみを待っている。551の豚まんの匂いが左からも右からもして、彼女は「お腹減っちゃうね」と俺に言った。
「さっきカフェで甘いやつ、食べたじゃんか」
「えー、でも豚まんは別腹だよ」
俺よりも背が高くてすらっとした彼女のどこに、あのずっしりとした豚まんが入り込むのだろうか。でもこれで「本当に食べられるの?」とでも言ってみた暁にはムキになって言い返されるんだろう。付き合って、いやそれ以前から数えたらそこそこ長い関係性。スムーズに答えは読めた。
「来ちゃうね」
「え?」
「あっという間だったなー」
彼女が俺の方に1センチだけ近づく。それだけで異性の存在を感じて、左腕がピリピリとする感覚はまだ慣れなかった。
「今度、いつ会える?」
何なのだろう、カップルのようなこの会話は。未だにそう思ってしまう。自分の家に泊めておいて、俺は何を言っているのだろう。そして隣を向くと、彼女はどこか上を見ていた。綺麗な横顔で、儚い美しさで。電線に架かる夜光灯に照らされていた。もう、新幹線が来る。その事実が彼女をそうさせているのだろうか。不意に「もうすぐ時速300キロで俺と君は引き離されるんだね」なんて馬鹿げた台詞が浮かんだ。でも可笑しかった。本気で自分がそんなことを考えているんじゃない。自分も今、きっと彼女と同じ気持ち。ただ不器用だから、俺はひねくれた考えで照れを隠した。
「また、会いに来ていい?」
「え、まあ」
「興味なさそうなお返事で」
「いや、」
「東京にも来てよ?」
東京と大阪、500キロ。俺と彼女の距離はそれほどにも遠い。新幹線がホームに滑り込むと、並んでいた乗客が荷物を整え始めチケットをちらちらと確認した。彼女も「12のAだよ」と俺に見せつけて、足元に置いたリュックサックを肩まで上げた。
「じゃ、ね」
「ああ」という自分の返しに、それだけかよと自分を責めた。結局どんな時も尻込みして、変なプライドが歯止めをかけて、カッコつけていた。俺の中にも、離れがたい、そんな気持ちはあるはずなのに。
「…また、すぐ、なっ」
俺の振り絞った声は、ホームにこだました。だから彼女はふふと笑って、そのまま車内へ消えた。ドアが閉まり、走り出す。ゆっくりと、やがて俊敏に。列車の最後尾が遠い闇の中に消えていくと、彼女がもうここに居ないことを実感した。昨日の夜に戻りたい、俺はそう思った。そしてもっと言うべきことが、言いたいことがあったはずだと、今思い知った。

昨日に戻って

昨日に戻って

A4 1枚という制限の下で日々書き溜めている、短篇集です。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-07-05

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