過去を振り返る事の重要さ。旧作の再々放送。夏目漱石夢十夜。

過去を振り返る事の重要さ。旧作の再々放送。夏目漱石夢十夜。


 良い過去をもう一度という雑談。旧作品を少し。文豪の作品から貼り付け等。




 本日も簡単に済ませる。
 フィッシングメールが二件とiPhoneにショートメール一件も、いい加減馬鹿な事はやめた方が良いと思うよ、一目で見分ける。(笑)Tpoint版その他。
 実はカクヨムからも度々こんな作品を読んでは・・と来るのだが・・残念だが、今の小説のlevelには全く興味がない・金は要らないし応募をする気も全く無い。漫画、animationものばかりで知性が窺えない。



 刑事ものドラマや韓国ドラマは詰まらない。
 火曜サスペンスは且つて面白かったが、竹内まりやの曲などもドラマを盛り上げる意味でもう一度見てみたいseriesと思う。
 まりやはミュージシャンとしては素晴らしい才能の持ち主であり、多数の曲の中でもドラマを彷彿とさせるものや、人類の社会の局面を曲に取り入れるのが上手。
 時代物では平尾昌晃も才能を発揮している。桃太郎侍の冒頭の曲は三波春夫歌唱で関心を持つ範疇でも無かったのだが、たった一ヵ所のコード進行に関心を持ち作曲者は誰だろうと・・やはり彼だった。
 所謂歌謡曲でもミーハー調のものには関心は無いが、メロディーが心地よいものや好みのものなどがある。
 例えば布施明の曲自身には関心は無かったが、数十年前のカラオケが流行った当時に全国の支店等を回った際に、経費は全て此方持ちなので、職員にせがまれてカラオケに誘われる事があった。
 お付き合いで程度では、決まった曲を歌う事が多かったが、まだ店のMachineには無いものもあったが、フィーリングの英語版なども其の内だった。
 その曲の此の国の歌詞が女性的で好みでは無かったので、そんな事になった。かと言えば、或るパブにカラオケ用の大きなstageがあったので、一時田園都市線方面で知人を訪ねた時に皆で数々の曲を歌った事があった。
 自分でもまさかと思ったのだが、北島三郎の、与作迄歌った時には我ながら呆れたが、歌唱力でいう技巧的には面白い曲とも言える。
 近頃懐メロや演歌歌手などが登場する番組も見られるようになったのは、現代の曲がリズム中心なのは、既に60~80年代に良いメロディーが出尽くしている事を考えれば面白いと言える。
 そういう点でもまりやの曲が衰えを見せないのは、流石にprofessionalと言える。
また、更に遡りジュークボックス全盛時代に、布施明の冬の停車場の間奏部分のテナーサックスが好きで百円玉を何回か入れていた時代もあった。
 次にあげるような曲は、好みも人類其々なので参考になるのかは分からないが極一部だけ挙げてみる。
 ビリーバンバンさようならをもう一度・加山雄三君の為に・丸山圭子どうぞこのまま・森山良子恋人・・その他にもいろいろあるが・・。
 『夜のヒットスタジオ』・・吉原真理の司会だったと思うが、その当時の歌手は勿論だが、ゲストも豪華だった。
 高中正義がまだ駆け出しの時代、YamahaのSGを使用する人だが、サンタナなども一時は使用。
 アイルランドだったか、ロックギタリストで有名な「ゲーリームーア」も登場した。
 70年にはDiscoboomで、当時TBSは赤坂にあったが、一ツ木通りに面した反対側に有名なDiscoがあった。
 ジーパン客はお断り、スーツ着用だったか・・先日亡くなったティナターナが登場・・「ティナ・タナ」の掛け声というか狭い店内は熱気で満ちあふれた。
 今の時代は此の国の歴史上はTV番組も貧困だと言えるのは間違いがない。
 まだ、TVが普及して間もない時代にはNHKの大河ドラマも二作目の赤穂浪士などは、討ち入り時の瞬間視聴率が50数%という凄さで、暫く大河が目を離せないという視聴者もいただろう。
 松本清張の映画版で・・「砂の器」加藤剛主演も、今では作成できない脚本・シナリオ・音楽・一流の出演者は、再現は出来ない。
 何せ、清張をして「此れは素晴らしい・・原作を超える・・」と言ったかどうか知らないが、絶賛された。
 彼の作品は多数映画になっており、最近の焼き直しとは全く比較にならない面白さがあるが、例えば「ゼロの焦点」だったかな・・何と言っても戦争直後の匂いが芬々(ふんぷん)とするのでなければ戴けない。
 今は、あらゆるものが貧相な時代と言え、此の国の自民も悪の度合いが秀でていたが今はやることなす事先が読まれてしまっている・・岸田事件もバレバレ、世界中の文化が貧しくなった。
 当然ながら・・キャストがいないドラマのようなもので・・筋書きは最悪の方向に進むのは明らかな事。
 若年世代の凶悪犯罪・ヤングの自殺者増・性感染症増の原因は性犯罪や、エロ動画氾濫などが原因・とマイナカードはお粗末過ぎ、来年秋など言っているが此の国は大混乱に陥るだろう。
 一年半から二年・・遅くとも五年後までには株価や不動産価額の暴落に、大災害の頻発で紙の保険証が重要なポイントになり、無ければ天と地がひっくり返るような大騒動から国の没落が一層進むだろう。
 人類には先が読めないという面や感情が突出してしまったという点などで、最早宇宙空間でも前代未聞の劣悪人類となるのは明白。
 歴史を紐解いたり、過去を顧みる、敗戦を振り返り糧にする、等が必要なのは無論で・・原点に戻る事が出来るかどうかが・・嫌でも救われる条件となるだろう。
 だが、残念な事に救世主なら理想的であった我々も、LGBTの逆の様に人類の男女共に関心を持たないようになった。
 尾上雄二が三千歳以上不明と言えば驚くだろうが、実際の寿命は他の生命体や生命と変わりは無いが、代々の記憶を引き継いでいる事による。
 同化した人類としては、平安時代の様子が窺えるなども愉快な事と言える。
 
 この辺りで終わるが、是非、夜のヒットstudioの豪華ゲスト部分の再放送・FM東京のジェットストリームに耳を傾け・砂の器初代映画版・火曜サスペンス等を見てみたいと思ったりもする。



 時間が無くなったので、旧作の再々放送に、文豪の作品を貼り付けお終い。


「鐘の音」

 年末も迫った頃だった。飛行機にしようか電車にしようか迷ったが、昼下がりの新幹線に乗った。 
 大阪の梅田駅を降りた時靴擦れの痛みを感じたが、近くのコンビニで傷パッドを買って間に合わせた。
 考えてみれば三十年余り前にもこの場所で靴擦れを起こして参った事を思い出した。環状線の電車に揺られながらその当時の想い出を頭に浮かべていた。
 高校三年の卒業旅行で京都・奈良に来たのだが自由見学の時間に一人で大阪まで来て、地図を頼りに彼方此方名所を巡った。
 新調した革靴の感覚は同じ様な靴擦れの痛みを時間の経過を超えて蘇らせている。大正駅で降りて並んでいるタクシーに乗り運転手に行き先を告げた。
 安部雄二はA大手信販会社で法務室の室長なのだが、今日で事実上最後の勤めを終える事になる。
 会社が縫製機械等をリースした先の会社が倒産し、縫製機械などのリース物件が設置されている工場が不法占有者に占拠されているとの大阪営業所からの連絡があった。
 占有者と見られるのは広域暴力団Y組傘下のJ一家との事で、「物件を貸金のかたに預かっているが、五千万出せばそれらを渡しても良い」との条件を提示したので、雄二が何度か足を運び営業所長を伴って現地の工場に調査に行った。
 物件に貼られたシールの番号などを確認した際工場内にはそれらしき人影は見られなかったが、万全を期し管轄の大阪地裁に断行仮処分の申し立てをし、地裁の執行官室で執行官とも打ち合わせをした結果、本日の執行という事になった。打ち合わせどおり工場には既に大阪営業所員数名の他、執行官が臨場していて、十トントラックも数台到着していた。
 執行官が工場内から椅子を持ち出して来て腰を掛けて見守る中、所員と運転手により工場内の物件をトラックに積み込む作業が行われていた。
 三十分も経過して何事も無いかと思われた時、工場前の道路から土煙を上げて三台の黒塗り大型乗用車が工場の敷地内に滑り込んできた。
 ドアが開いて黒いサングラスに上下白スーツの大柄な男を先頭に数人が工場に向かって来る。身体を揺らす様に雄二の方に歩いて来た男はサングラスを外し素顔を見せると、「お前ら何じゃ?工場は俺らが預かっている。お前達、物件を勝手に運び出している様だが、許可してへんで。兄さんよう、ああ?」と今にも雄二の襟首を掴もうというばかりの形相だ。
 作業をしていた者達も暫し手を止め、一時その場の雰囲気は凍ついた様になった。執行官が椅子を蹴るように雄二の近くに駆け寄ると、両手で身分証と執行の文面を男の目の高さに掲げる。
 男の後ろに立ち並んでいた内の一人が上着の内ポケットに手を入れて何かを取り出す様な仕草をした。
 雄二は一瞬拳銃かなと思ったのだが、執行官は連中全員に聞こえる様に執行中である事をボディーアクションも伴って伝えた。
 雄二の目の前のリーダ格は後ろの連中を右手を水平にして制すると、ポケットに手を突っ込んだ。
 何が出て来るのかと一同緊張をしたのだが、男は煙草を取り出して指に挟んだ一本に金ぴかのライターで火を付けると、深く煙草を吸い込んでから雄二の顔に煙を吹きかけた。雄二は何の抵抗もしないで顔を少し反らしながらも視線を男の目から外す事は無かった。執行官が何か言いかけた時、男は二度は吸わなかった煙草の灰が落ちる前に指から吸い掛けを地面に落とすと、右手で後ろの連中に手を軽く上げると車のドアを開けてシートに座るなり運転席の男に顎で指示をした。
 其の時雄二は一瞬だが男の顔に見覚えがある様な気がした。記憶の彼方であの顎で指示した時の男の顔が・・。
 地面に落ちた吸い殻はまだ煙を昇らせていたが、三台の車が元来た方向に走り出し土埃に紛れて煙が見えなくなると同時に車の残像も消えていた。
 こういう事に慣れている者なら事の次第が分かったのだろう、その後物件は正式な判決に基づきA社の物として中古としてリースされたり売却されるのだが、雄二の役目は其れで終わりだ。
 誰が言うでも無い「お疲れさんでした」の言葉を置き去りにして営業所員の運転する車で駅へ向かった。
 車窓から海が見えては消えて行った。雄二の仕事ではこの様な事は珍しくは無いが・・、まだ先程の男の事が、場に似合わず古風に見えた男・・が、既に脳の片隅に記憶の断片として居場所を確保している様な気がした。



 大阪から快速急行で京都に向かった。京都支店のドアを開けると支店長が顔を覗かせた。其の時雄二は先程の古風に見えた男の事を思い出した。
 当時、支店長から依頼された案件は広域暴力団Y組傘下のK一家に貸した金銭トラブルであった。
 支店から電話や文書などの督促をしたのだが反応が無かった。組事務所にも社員が尋ねていったが体よく追いはらわれた。
 支店長同行で雄二が荒神橋近くにある事務所を訪れた。ドアを開けると数名の男達が出迎えたが、一番奥の壁の前に置かれた机に座った責任者と思われる男が他の男達に通路を開けるように指示をした。
 二人は男達の間を抜け机の前に向かうと、二人の椅子を持った男が中途半端な挨拶をしながら二人に腰かけるように。
 雄二が名刺入れから名刺を出し責任者らしき男に手渡すと男は名刺に一瞥を・・、「ほう、東京から・・、そりゃご苦労だな・・」別の男が盆に三人分の茶の入った湯呑みを載せてきて机の上に置いた。
 雄二は茶を一口飲むと男に話し掛けようとした。男は机の上の受話器で電話をし始めたが、一瞬振り返って壁に掛けられた額縁入りの古風な男の写真を見てから「もう一週間待ってもらえるか・・」。
 支店長がバッグからスマフォを取り出しカレンダーの数字を眺めた。結局カレンダーにマークを付けた日まで待つという事で二人は事務所を後にした。
 帰りの車の中で支店長が、「大丈夫でしょうね。もう年末も迫っているし締めに間に合えば助かるが・・」と、雄二が、「其れは彼方さんだって同じ事を考えているでしょう。多分・・」
 其の件は貸金の回収は出来たのだが、雄二は額の写真の男の事が気になっていた。大阪で出会った時も思った様に男の顔立ちは随分古風な・・まるで平安時代の絵巻物にでも出て来そうな・・。





 その日、雄二は東京に戻ろうとしたのだが、新幹線が関が原の辺りの積雪で止まっている。
 仕方なく適当に八条近くのホテルに予約をした。大きなホテルだから年末でも空き部屋が取れた。夕食はホテルでとりたくなかったから、駅を通り抜けて北口の居酒屋が並んでいる繁華街の辺りで暖簾を潜ってみたのだが、何処に行っても年末の忘年会の連中で一杯だと首を振られた。
 数軒も廻ってから場所を替えてみようと思い、地下鉄の四条烏丸から四条通りを歩き、此れと言った目ぼしい店が無いだろうかと通りの両側を見ながら探している内に、鴨川の四条大橋まで来てしまっていた。
 京都も雪模様で橋の上にも足跡がついている。前方を見たら大きな番傘を持った着物姿の女性が此方に背を向けて立っているのに気が付いた。
 この辺りはタクシーも忙しそうに走っている。タクシーを掴まえて移動しようかなどと考えたが空車は見つかりそうもない。稼ぎ時なのだろう。
 雄二は寒さで我慢も限界に達していたのだが、雪で辺りを通る人影も少ない。大きな番傘でよくは分からないが此方に背を向けて立っている先程の着物姿の女性に、声を掛けてみようと思った。
 可能性は無いかも知れないが、京の女性なら何処か心当たりがあるかも知れないという微かな期待を抱いた。
「あの、お尋ねしますが・・」
 黙って振り返った女性の顔が街灯の灯りに浮かび上がった。
 夜目にも色の白い細面の・・目が微笑んでいる。
 雄二が話し掛けようとすると、「そないな格好でいたら濡れてまうますで。傘に入ったら如何どすか?」と、雄二は一瞬躊躇ったのだが「其れではお言葉に甘えて」と差し向けてくれた傘におさまった。
 女性があまり美しいので暫し店を探していた事を切り出すのに間が開いてしまった。雪が降っているのに誰かと待ち合わせをしていたのかなどとますますあらぬ方向に・・、それほど美しかった。
「・・お店なら案内しまひょか?探してはるのとちゃいます?・・」
 雄二は新手の客引きなのかなどとは思わなかった。彼女の目がそれを物語っている。それにしても、どうして自分の考えている事が分かったのかと考え始めたが、やめた。黙って任せようと・・。
 狭い横丁の一番奥の突き当たりに料亭があった。如何にも高級な・・店内から女将が出迎えて丁寧に挨拶をした。雄二は接待には慣れているが、予約無しというのは今まで無かったし女将の視線は自分と女性を交互に行き来している。
 雄二はそこで女性とはお別れだと思っていたのだが、女性は雄二の目を見て、「もし良かったらご一緒させて貰うたらいけませんか?」と言うから雄二は一瞬驚いたが、一人よりは二人の方が楽しいだろうと・・、そう思わせたのはそれだけでは無かったが。
 閑静な個室に二人で向かいあって座り、雄二が京に来た理由を話し始めた。女性は加賀綾子という名で上京区九軒町に住んでいるという。
 大阪から京に来た仕事の内容については話しても意味がないし、暴力団が絡んでいる事などを話せば酒も不味くなる。
 綾子が選んでくれた京料理は美味かった。雄二はビール党だったが綾子は酒を選ばないようだった。ほんのりと赤みを帯びた綾子の顔はその美しさに色香を添えている。
 京の観光名所などをツマにして雄二が気に入っているところを挙げれば、綾子が穴場を説明したりして話は盛り上がっていた。
 幾らかアルコールが回ってきた雄二が鞄から地図を出した時に、其れに貼りついたように写真が顔を出した。
 雄二のタイピンにはカメラが付いているから、交渉相手によっては写真を撮っておくことがある。
 今回も玄人相手だからと一応写真を撮ったのだが、大阪の男つまり京の組の壁にかかっていた額に入った男の写真。
 雄二はすぐに鞄に戻したのだが、部屋に冷えた空気が・・一瞬入り込んだ。綾子が其の写真に反応したように窺えた。
 雄二は仕事柄、人の表情の変化は見逃さないことが多いのだが、綾子に聞いてみた。「何か、気になる事でも?」と写真をもう一度取り出すと綾子の視線が其れを捉えてから・・逸れた。「知っている人?」
 綾子は中途半端に頷くと、「・・酒呑童子のお話はご存知どすか?都に現れては暴れまくり貴族の娘をさらっていった言われとる・・」「ええ、確か源頼光が退治したとなっている話を聞いてはいますが」
「頼光の邸宅と晴明様の邸宅は向かいどうしで、其の退治する前の事や、酒呑童子に娘を奪われた池中納言様は陰陽師の清明様を召して占わせた、その後頼光達は目出度う打ち取る事出来た。
 それくらい朝廷は晴明様を頼っとったんどす・・」
 雄二は綾子の話を聞いている内にどうしてそんな話をしだしたのかと疑問に思う一方、何か綾子にはそんな話が似合いそうな神秘的な魅力と何かの才能の様なものを感じた。
 雄二はグラスのビールに口をつけた後綾子に酒を勧めると、綾子は猪口を両手で受け止め飲み干し、話を・・。
「晴明様は子供の頃から鬼やらは寄ってたかっても叶わへんほどの力を持ってましたさかい、何言うても怨霊退治は清明様でしか似合わへん言うてもええ程お話になるんどす。
 都の北東は鬼門言われとったんどすけど、陰陽師を配置したのもそないな事からどした。尤もうちん祖先の住まいもそないなとこにおましたけど・・」
 雄二はその先を聞く前にスマフォのオーバーレイマップで地図を見てみた。荒神橋は北東に有り、紫式部の邸宅跡も更に北に上った九軒町にあるが・・。雄二は何となく綾子が式部なら面白そうだなと思った。
 綾子は話が上手いというかまるで物語を語るようにスラスラと話をする。此れなら源氏物語でも書けるのではと・・。其れに式部は晴明を尊敬していた様な事を聞いた事がある。京料理がアルコールとマッチして心地よく腹に入って行く。
「晴明様、怨霊と対峙した事は幾度とのうあるんや。その昔、上御霊神社やらは,早良親王,井上大皇后,他戸親王,藤原吉子,橘逸勢, 文屋宮田麿,火雷神,吉備真備の「八所御霊」て呼ばれる多うの霊を祀ってますが、ほんで・・」
「そして・・?」
「その写真の男性他戸親王と瓜二つやさかいびっくり致した。此れからの話は祖先から言い伝えられてきたさかいどす・・」
 雄二は綾子の話がまるで映像の様に脳裏を駆け巡る気がした。
「桓武天皇は長岡京を怨霊の為に放棄せざるを得えへんくなり平安京をつくられたんどす。藤原氏に仕えた晴明様はその後実力を思う存分発揮なされ何れ三大怨霊とも戦う事になるんどすけど。八所怨霊の一人である他戸親王は、藤原式家の企みで井上内親王と共に無実の罪で処され怨霊となったんどす、その当時は晴明様はまだお生まれで無かった。後に八所御霊は京の北東から京の都に近付いてきた。朝廷から命を受けた清明様がそれらと戦うた訳どす。其れは都中の鐘が一斉に鳴りだしたところから始まり、やがて鐘は強風に煽られ、皆、糸の切れた凧の様に宙に舞い上がって行き、北東の空が俄かに黒雲に覆われると都に雷光が煌めき、怨霊は至る所に雷と火災を発生させたんどす。代々都の被害ちゅうものは殆どが火災と疫病の流行や原因不明の病どした。晴明様は式神を対峙させた。紙にスラスラと何やら書き息を吹きかけると十二天将が次々に現れたんどす。青龍・騰虵 ・朱雀・青竜 ・白虎其れに北東を守る主神である貴人やら六將との壮絶な争いとなった。白虎は巨大化すると主に地上から上空目掛けて攻撃すると同時に、火炎を吹き飛ばし消し役ともなったんどすけど、白虎はもっとも強い言われてましたさかい、どっしりと構えて戦うした。蛇の形や羽がある者は遥か上空まで瞬時に昇るや、上空から怨霊に青い光を吹きかけ攻撃したかと思えば、怨霊を包み込む強靭な幕を発生させたり、宙を飛びながら羽の巻き起こす猛烈な風で怨霊を吹き飛ばし、身体をくねらせて怨霊を守ってる周りの霧状の鎧を破壊したりしたんどす。主神である貴人はそれらにますます勢いをつけてと、十二天将の力はこの世のものやあらしまへんさかい怨霊と雖も叶わへんかったんどす。ところが一体だけ逃げ出した怨霊があったんどすけど、其れが其の・・男性のおそらく祖先の怨霊やったのかも知れまへん」
「そうなんですか?此の写真の男は怨霊の化身とでもいうところだったという事になり・・、だから、古風に見えた訳で、現代でもやはり悪行に身を染めているという・・訳か。ところで、一条戻り橋に隠してあったと言われている十二天将の話は私も興味がありますね。映像で見た事はありますが、野村萬斎という役者は何か晴明にうってつけでしたが、十二天将の姿は出て来ませんでした。仏教の十二神将とは違うようですね、インドや中国の神も其の中に数えられていますが」
「ようご存じどすなぁ・・」と綾子は紅の口に真っ白な手の甲をあて微笑んだ。
「絵巻か何かで見た事がある様な気がしていたのですが・・、怨霊は晴明の敵ではなかったのだが他戸親王の怨霊だけは逃げてきた・・、其の子孫。実は私は今の仕事は今年一杯で仕事納めで、来年から別の会社に勤めるんで、もうその男と会う事は無いとは思いますが」
 綾子はくすっと笑うような素振りで雄二の目を見た。
「・・けっこうどすな、其れは其れは・・。せやけど怨霊ちゅうものはいっぺん縁があると何時またお目に掛るか分からへんもんどすさかい・・」
「私も今までは現代の怨霊と言ったらオーバーですが随分質(たち)の悪い連中とやり取りをしてきましたが、本物の怨霊とは・・お目に掛った事が無いですね」
 雄二が料理を摘まんでグラスに手を近づけると、綾子がビールを透明な小振りのグラスに注いでくれる。
 自分で注ぐ方が楽だという場合もあるが、今宵は綾子の注いでくれたビールの味が格別に美味しい様な気が・・。
 二人の間には、既に互いの個人的な事を話すまでの雰囲気が漂っている・・。
 綾子の家族が総合商社を経営している様で京の不動産から寺社関係の建設工事その他古物商の様なものまで幅広い事業に携わっているようだが、実際にそれらの業務を取りしきっているのは社長で綾子は顧問の様なものらしい。
 雄二は其れで・・綾子が、雪の中で誰ぞを待っていたのかと思ってはみたのだが・・そんな身分であれば表にいるというのもおかしい。
 一体何をしていたのかと思ったら聞いてみたくなった。「あんな寒そうな場所で何をされてたんですか・・?」
 綾子は一旦雄二の目に焦点を合わせてからあらぬ方を見るように、
「・・人を待っとったんどす」
 と言うからよっぽどの事情があったのか其れとも・・何某かの、と思ったがそれ以上は聞こうとは思わなかった。
 ただ、綾子が
「貴方に連絡をするとしたら・・」
 と言うからスマフォの番号を教えたら、綾子も住まいと電話番号を教えてくれた。綾子が、
「・・明日も電車は不通・・」
 と言うから、
「・・どうかな?この雪からすると関が原辺りは無理だろうか・・」
 と、
「・・明日もお会い・・できる・・?」
 と聞かれて鼓動を打つ音が聞こえたのが半分、まだ京にいるとすれば・・白い端正な美面に・・会えるとなれば、との思いが半分だった。
 店を出たら人通りの少ない路地には雪がかなり積もっていた。綾子は下駄だから足袋が濡れてしまうだろうななど思いながら二人並んで四条口で別れた。




 都ホテルは混んでいた。部屋の窓から外を眺めると一面真綿を薄く拡げた様な平原が広がっている。
 大阪と京都での出張報告を書きながら思った。「何れも怨霊の成りの果てに縁があるとは奇異なことだな。それにしても彼女いろんな事を知っていたが、総合商社の経営者ともなると幅広い知識が必要なのかも知れない。しかし、晴明や怨霊を含め平安時代の事まで詳しく知っているとは・・、やはり何か書き物でもしていそうな雰囲気があったが、式部の子孫だと言っていたからな・・」
 などと勝手に思いを巡らしたのだが、最後に、待っている・・雪の・・風情が・・頭に浮かんだ。
 其の晩は、二件の案件をこなしたという満足感から心地よい疲労があっという間に雄二を眠りの底迄辿り着かせていた。
 明け方結構な夢を見た。綾子が紫式部で、怨霊が現れた時に晴明が登場するという、何か辻褄があわない様な其れでいて何処か昨晩の話を要約したようなものだった。
 朝食をとって部屋に戻った時に内線電話が鳴った。
「加賀様というお客様がお見えになっています」
 窓の外に未だ銀雪が一面に積もっているのを見てからロビーに降りた。昨晩の綾子がしなやかな会釈をして出迎えてくれた。
 立ち話でもと取り敢えずホテルを出てカフェに行くという事に。綾子の案内で四条通りに出ると、琴の音が流れているカフェに入った。
「よく、私が泊まっていたホテルがおわかり・・」
 と言いかけて昨晩話したのかなと思い、
「ニュースでは今日も電車は不通の様ですね。もう一泊になるのかな・・、まあ、どちらにしても会社は今日から休みに入っていますから。年明けまでは仕事はありませんからいいんですがね・・」
 ホテルの朝食の時は何とはなしにコーヒーは飲まないでいたから、朝のコーヒーは格別に感じられた。




 綾子がホテルまで来たのには訳があったようだ。不動産を巡って紛争が起きているという事だった。
 話を聞くうちに又かと思ったのだが、昨日の写真の男の組が絡んでいると言う。二人はカフェを出て係争中の現場まで向かった。
 綾子に顧問会社の者から切迫したような内容の電話が入っているようだ。現場は一条如水町で上杉景勝の屋敷跡がある場所、電車から降りて歩いて幾らも無いところだった。
 二組の男性達が睨み合った様に集団で立っているのが見えた。
 何方が綾子の会社の者かは着ているものからもすぐに分かった。対する集団は如何にも玄人らしき有り体だ。
 其の中にいる頭らしき男が雄二が歩いて来る事に気が付く、雄二には覚えがあり過ぎる顔が・・。
 綾子の会社の者達が、大きな声で怒鳴っている玄人集団と今にも衝突しそうだ。
 頭の男は他の男達を制するようにしてから、雄二に近付いて来る。大阪の案件と同じ様な状況になりそうだった。
 しかし、御用納めで裁判所は休みだ。其れに不動産の断行仮処分となると費用も時間も比較にならない程掛かる。
 話し合いで何処まで言い分が通るか。と、男は不思議な事に雄二に一言何かを呟いて背を向けた。
 男達に指示をすると、まさかと思われたのだが現に連中は一斉に車に分乗し去って行く。




 綾子はその様子の一部始終を見ていたが、
「見て、もう其処一条戻り橋、ほんで、すぐ近うが清明様の邸宅跡やで・・」
 と、確かに晴明神社が見えるのだが・・、見覚えのある微かな記憶が・・。
 雄二は偶然とは言え、あの男と二日連続してあった事と綾子の話が次々に脳裏に浮かんで流れて行くのを感じた。
 雄二の感では法的措置を執るまでも無く此の件は終結したと思われる。あの男は素人では無い、下っ端が起こした案件で担ぎ出されたものの、事の次第が分かったのだと思う。




 其の晩昨日とは異なる鴨川に近い料亭で雄二と綾子は会食をした。酒とお晩菜は此の店もまた格別に美味しい。
 雄二は昨晩は聞けなかった事を聞いてみる事にした。
「ああ、良かったら君が待っていた・・相手は・・と、聞いても良かったかな・・」
「晴明様。言うのんは・・、言うてもええのちゃうかな・・」
「と言われても・・、まさか・・?」
「・・あなた、安部雄二はんやん?ひょっとして祖先は安部晴明とちゃいます?」
「そういう話は・・、あ?そういえば家系図があるとは・・聞いた事はあるが・・」
 二人は再度乾杯をした。紫式部と安部晴明・・?
 綾子が白い端正な顔にほのかな赤みを浮かべると言った、
「今日のお宿はホテルで無おして・・うちん住まいでは如何どすか・・?」
 ビールを飲み空になったグラスを卓に置いてから雄二は、
「ホテルの予約はとって無いが・・其れなら予約・・取らせて貰う事にしようかな・・・」




 二人は雪の薄い道を歩き、四条烏丸から地下鉄に乗ると綾子の住まいへ。
 何時の間にか、雪は止み空には星が浮かんでいる。



 垂れ幕を垂らした様な真っ黒な夜は歳が開けるのを待っている様だった。
 大きな月が遅まきながら顔を出し、もうじき・・と呟いた時、時空が歪むと・・都の彼方此方の除夜の鐘が鳴り始めた。



「Left behind by an enemy. subtitle. Falling flowers and two men and women.邦題 ある仇が残したもの。サブタイトル 花の散り際と二人の男女」


 
 東海道を東に向かい旅をしている。
 男女二人連れだからと、夫婦に間違う者もいるだろうが、夫婦ではない。
年齢は二回りも異なるが親娘でもない。
 親を亡くした女性と知り合ったのが旅の始まりだった。
 何処にも根を張る事の叶わぬ植物に例えれば、名も無き老木(ろうぼく)と瑞々(みずみず)しく美しい花のようなものだ。
 市川総司にとり全く縁も所縁(ゆかり)もない女性なのだから、一緒に旅をする理由(わけ)も無い筈なのだが・・。
 二人の間に因縁というものがあるのかは・・。
 娘の話では、母親は病で倒れ父と二人住まいだったとの事。そしてその父も亡くなった・・と。
 憐れと思ったところで・・何とも致しかねる。
 両親を亡くした娘が暮らしを立てんと志したところで、其の身を売るか、将又(はたまた)良き伴侶にでも恵まれるしか無かろうが、そう上手くいかないのも世の常。
 総司が道中、峠の茶屋で休んでいた折出会ったのがその娘・美鈴。
 単身しかもおなごであるにも拘わらずその身を旅姿で包んだ美鈴・・茶店で食事を馳走したのがそもそものきっかけとなった。
 



 其れから総司は街道を東へと向かう先々で城内天覧試合に勝っては金子を手にし、また旅をするという繰り返し。
 暫くは二人が話をする事も其れ程無いまま、総司にとり他に此れと言った目的もなく只管(ひたすら)東へ。
 一度、娘が歩きながら口にした。旅に出る決心をしたのは、両親のいなくなった土地に身を置く事が耐えられなかったからと。至極当然。
 其んな二人の間に話を交わす事が次第に増えて来る。行く先々で出会う旅人などには、仲の良さそうな親娘の様に見えたのかも知れない。
 美鈴は旅立つ時、親の残した遺産とし僅かばかりの金子を所持していた。
 総司は天覧試合で手にした金子の殆どを美鈴のものとし手渡したが、総司としては其れが極自然な心情から来ていると・・そんな気がする。
 其れがどういう意味があるのかは自(みずか)ら考えない事にしている。
 亡くなった妻との間に子供はいない。それ故か何れは美鈴にも嫁入りをさせたいからとの思いがあった・・としても身の程知らずとし夢に終わるかも知れず。
 天覧試合が真剣と言う事が殆どだったのは、城主にとっては剣術に優れた者同士であるからさぞかし素晴らしい技が見られるという楽しみの意味と、剣士と雖も生死の境目に置かれている人に過ぎず・・であらば或る意味死にざまをありありと目にする事が出来るという聊か趣味の悪い権力者の本性なども含まれていたのやも知れぬ。
 片や、剣士にとっては一つ間違えば命取り、故(ゆえ)腕に頼る他(ほか)無いのは無論だが、只管勝ちに出るしかないという忘我の境地に至り・・場合によっては運が左右する事もあり、なおかつ公然に人を殺すという・・無情の舞台とも言える。
 総司も元は然(さ)る藩の剣術指南役を仰せつかっていた身であるから、相応の剣の使い手と言える。
 其の身分を放浪の身に代えさせたのは妻の病死。女々(めめ)しい輩(やから)と罵(ののし)られようとも・・何故か。
 そればかりの事で自暴自棄になった自らの愚かさに気付いてはいるものの、最愛の者を失ったという命の価値をつくずく考えさせられた。
 其れであれば誠に矛盾すると思われる二つの思想が存在する事になる。つまりは妻の命と剣士の命とが同等ではなくなる。人類の持つ嵯峨なのであろうか? 
 しかも・・只管命懸けの試合に勝つ事という勢いを以(もっ)てし、全ての過去・・何もかもを記憶の彼方に追いやる事だけを考えているが、此れにつき近頃は何か疑問に感ずる事もある・・。
 



 次々に試合をしていくうちに年月も経って行く。自らの老いは兎も角、ふと、美鈴の婚期が遅れたらと考える事がある。
 しかし、老いを感じないのが本来ではなく、美鈴の良き伴侶に巡り合うまでという生甲斐を持つに至ったせいがあったのかも知れない。
 そして・・何時かは敗れる事になるやもと思った事はある。現にあわやという事もあった。
 其れでも、試合を続けないのであれば・・全ての道への門が閉ざされてしまう。



 箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川・・の言(こと)の葉通り、大井川を渡る際には長雨による増水で何日か足止めを食った。其れでも東へ向かい箱根山を越え、更に東へと進むうちに二人は江戸城下迄辿り着いていた。
 其処から先は奥州か越後にでもと・・少なかれ頭に浮かんだのは・・実は本心ではない。
 全ては予定通りに運んでいる。
 それ以前に考えた事。それは、
「此れから先は都落ちの如く寂れた城下ばかりが目に浮かぶ。其れであれば美鈴の良き伴侶を探すには此の大江戸でしか無い」
 と思った。
 其処で、旅籠(はたご)ではなく下町に小さな住まいを構える事にした。
 屋敷の周りには武家屋敷もあれば、大店(おおだな)もある。
 其れであれば何某かの弾みで、良家の子息などもいるのではと期待する。
 其れで、近所での評判が悪くならないようになど気を使ったのだが、後々(のちのち)美鈴が嫁ぐときに後ろ指を刺されぬようにという配慮からだ。
 だが、それだけでそう上手くいく訳は無く、やはり自らが仕官をしなければならず素浪人如き身分では誰も相手にしまいと。
 かといい、幕府になってから・・既に時は元禄。平和が長く続き武士の時代とも言えなくなってきている。
 今までの試合で手にした金子はかなりあり、美鈴にその大方は渡してあったのだが、金で身分が買える訳でない事は重々承知。
 この時代、お家おとり潰しになった大名家も少なからず浪人も少なくない。
 運よく他人を介し召し抱えられるという時代ではないし、元から江戸にいたのではないからその様な付き合いにも心辺りは無い。
 やはり、総司の唯一の取柄(とりえ)である剣術で勝負をする以外に術(すべ)は無いし、仮にあったにしてもそう簡単に手に入るものではない。
 そう考えていた時だった。思い掛けなく江戸城内で天覧試合が行われるという報が・・運に賭けるしかない。 
 天覧試合とは言え今までの相手とは腕が違うだろうとも。
 城内での天覧試合。
 当初は、真剣という事だった。何れかの勝者には江戸城での指南役の道が開けると聞いてはいた。
 しかし、自分にはやり遂げなくてはならぬ事がある・・と考えている。



 天覧試合の当日。
 城下もその噂でもちきりだった。誰が勝つかは兎も角、少なくとも剣術での頂点に立つのであれば、全ての勝負に勝たなければならない。
 そういう意味では真剣である事は惜しい人材を失う事にもなる。流石に今迄の藩とは違い天下の江戸幕府の考えた事は違った。
 其処で、大目付から将軍に忠言がなされた。
「上様。今回は、真剣ではなく木刀での試合となさるべきでは・・?幾ら武士の世も平安だとは言えやはり、心強き武士達がお傍に控えていた方が上様の御身にとり・・」
 その意思は将軍にも通じたようで勝敗に係わらず、最後の試合の何方が勝ったにせよそれ相応の身分を与える・・と言う御沙汰があった。
 考えてみれば江戸城ともなれば今までの城とは雲泥(うんでい)の差は当然であり此の国の頂点なのだから。
 其れに、古くは大阪城の戦で活躍し幕府の指南役となった剣豪である柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)がいた。
 それ以降も柳生新陰流を伝える者達が指南役となっている。
 其れを逆に考えれば、真剣でなく木刀でという事も既に優れた者が指南役に付いているのであるから此処は試合を楽しめ場良いとも読める。
 総司としても其処まで考えたところで、頭にはやはり幾らかでも幕府の役職に付きたいという事しか浮かばなかった。自らの事はさておき・・。



 天覧試合の日。
 手始めから兎に角勝ち進む事しか道は無い。総司にとっては今までの実績があることくらいだが、此処に至ればやって見なければ分からず。
 最高峰に立てるかどうかは組み合わせの運もあり分からないが・・?
 そう思う間もなく・・幸い悉(ことごと)く相手を討ち取って来れた。
 終盤に至り、いよいよ手強(てごわ)い相手同士の試合となっている。
 其れも、此処までは総司に運が転がりこんだ様で既に相手は限られている。
 そろそろ・・最後の剣士かと場に臨んだ。此処までくれば総司とし、此の試合は自らの方が優勢であると思いこむしかない。
 ところが、そう運が良い訳でもなし・・とも思った。総司と相手の剣士が向かい合う。
 立ち上がれば試合が始まる。
 其の時、総司は・・。
「例え敗者となるとしても致し方がない・・訳がある・・」
 と相手の面(おもて)を見た。
 今までにないような感覚が、思い、が浮かんでくる。
 立ち合いの経験が多いだけでなく、腕の立つものには相手が読めるもの。
「・・腕の立つ・・良い青年だが・・?」
 其の時頭に浮かんだのはある事。
 試合は総司が優勢のまま終わるだろうと誰もが思った・・勿論、総司にも手ごたえは感じられた。
 総司は此処までで・・先は考えず・・と思う。
 たった一つの事を除けばだが・・。
 切り結ぶうちに・・いよいよあと一歩・・青年には僅かな隙があると気が付くや否や打ち込もうとしたのだが・・。
 少なくとも総司には・・読めていた・・瞬・・脚を止め・・。



 打ちに出た総司より一瞬早く・・青年の木刀が総司を捉えていた。
 総司の鉢巻は切り落とされ、頭から血が流れている。
「勝負あった・・」



「やはり見抜いた通りの・・」
 そう呟いた次に・・連続して咳が止まらず・・総司の口から深紅の・・が吐き出された。
 総司の脳裏に浮かんでいるのは・・。
 丁度、妻が亡くなる頃の事だったが総司は労咳(結核)を患った。
 労咳は恐ろしい(法定)伝染病であるから容易く人にうつり、当時の医学では手の施しようもないと言われていた。
 明治の世になるまでは新選組の沖田総司なども其の病に臥せった。
 総司は其の事は承知の助で・・此処までは何としてでも身を持たせようと思っていた。
 自らの身に関わる事などが気になった訳ではない。別の・・訳がある・・其れが武士としてのせめてもの・・と思っていた。
 総司に駆け寄ったのは、ご意見番だけでは無かった。青年が・・開口一番。
「如何されたのです?どうして・・あそこで討って来られなかったのですか?拙者には・・勝ちが誰かはあの時・・」
 そう・・青年の言葉が聞こえた・・ほぼ同じ腕ゆえ彼には分かったようだ。
 しかし、総司はこう呟いた。
「・・やはり、動きはお点前の方が素早かった・・やはり、年の差なのだろう?・・仮に拙者がお点前を打ったにしても・・届いたかどうかは・・知る意味が無い・・茶番などでは無いから・・御安心召されよ・・」
 




 総司は既に生死の狭間(はざま)を見ていたのだが・・篭に乗せられ家まで運ばれた。
 青年には・・暫くし・・最高の栄誉が・・。青年は後程総司の家にやって来た。
 青年は美鈴の美しい姿を見、美鈴も青年の姿を見、双方とも初対面にしては・・お似合いのようだ・・。
 







 青年は取り敢えず・・後日、再びと言い残し帰宅した。
 総司は息も細くなり・・今わの最後に・・。
「・・此れでやっと親の仇(あだ)がとれたな・・此れは本望(ほんもう)というもの・・実は・・お前には何時でも打たれよう・・と思っていた・・どうしてなのか・・?ずっと考えていた・・何時か何時かと・・な?」
 美鈴は泣き崩れ・・。
「・・本当は・・ずっと何時か仇を・・と思っていたのですが、どうしても出来なかったのです・・」
 総司は息を引き取る前に・・、
「・・知っていた。そうなる事を望んでいたが・・此れでその必要も無くなった。あの青年と仲睦まじく・・何時までもな?幸せに・・俺には良き妻と・・其れに・・娘がいた・・美鈴と言う・・」
「父上・・?」
 其の声が・・総司に聞こえたのか・・。
 総司が・・微かに頷いた・・様に美鈴には思えた・・。




 
 縁組にはあまりある程の大金が娘に残された。
 総司の・・武家の家に嫁いだら・・引け目を感ずる事の無いように・・との思いだ・・。
 江戸の町は・・二人に取り・・幸せを運んできてくれたようだ。
 娘には誰も家族はいなくなったが、二人の父と母の位牌それに・・優しい夫がいる。
 総司には幻となった・・江戸幕府剣術指南役・・という名と共に・・。


 総司の遺体は荼毘(だび)に付され、その遺骨は・・遥か彼方にある総司の妻の眠る墓に埋葬された・・。  



(因みに、仇討ちは目上の者の仇に対しては行われるが、弟など目下の者ではできない。また、仇討ちの証明書を貰ってから全国を探して回る事も少なくなかった。返り討ちになる事も多い。例外とし、天覧試合などの前に「お咎めなし」とされている場合には、出来なく武士の公の場ではそういう事もあった。江戸時代約二百数十年間だけに行われた事である。)



「夢十夜 第六夜」


 こんな夢を見た。

「蝋燭の火が・・」

 何処から吹き込んで来るのか、僅かな風に蝋燭の火が揺れている。
 昔から、蝋燭を人間の寿命に例えるという話がある。
 目の前には何本もの蝋燭がある。
 若し、此れが寿命に関係するものであれば、私は其の蝋燭の火が消えたりする事で人の生死を知る事が出来る訳だが、一体何の因果があってそんな事に係り合っているのかと疑問に思う。
 部屋の中が暗いからそんな事を考えるのかと思って、障子を開けた。
 目の前の蝋燭が見えなくなった。
 やはり、幻だったのかと思った時、玄関から人の声が聞こえた。
 私が重い腰を上げ玄関まで歩いて行くと、紫地に白い大きめの芯の赤が目立つ花が幾つも描かれている浴衣を着た女が立っている。
 異常なくらいに色の白い細身の女で驚くほどの別嬪だ。
「此方は物書きの方のお住まいだと伺いましたのですが・・」
「如何にも、私は物書きだが、さて何の御用でいらしたのかな?」
「実は私をお話の中に書いて戴きたいと思いまして」
 何やら事情がありそうな様でもあるし、玄関では何だからと部屋に上がるように勧めたのだが、我ながらどうして縁も無い人間が、まさか我が著書の愛読者でもあるまいに・・。
 女性は自分は安形澄子だと名乗った後に、作品の中に盛り込んで貰いたい理由を話し始めた。
「私は、夏目漱石の作品の中で那美という女性が自分が池に身を投げて浮いている姿を絵に描いてくれと言う、画家は物足りないから絵にならないと言ったが、最後に出征兵士を見送る那美の顔に「憐れ」が浮んでいるのを見て『それだ、それだ、それが出れば絵になりますよ』と那美の肩をたたき『余が胸中の画面はこの咄嗟(とっさ)の際に成就したのである』との部分を拝見してから、絵では無く文章の中に盛り込んで貰いたいと思いまして」
「絵では無く文章に・・何か思いついた理由などはあるのですか?」
 澄子は私の顔は見ずに、何故か憂いの浮かんだ表情で庭を見ながら、「私はもうじき嫁いでいくのですが、その前に想い出にと思いまして」
「ほう、嫁いでいかれるのならおめでたい事ではありますが、それなら写真屋に行って記念写真を取って貰った方が宜しいのでは?」と、自分なりの考えを話してみたのだが、どうやら其の縁談というのは、事情があって本人の意思ではない様だ。
「其れでは、あなたは縁談に乗り気がしないが断れる事情では無いから心境を書き写して貰いたいとでもお考えなんですか?」
 澄子は今度は私の顔を見て頷いた。
 其れでは深い事情や心境などを聞こうと思ったのだが、澄子は懐から紙を出すと私に見せる。
 私は其の紙に書き綴ってある文面を読みながら、「此れは・・なかなかお上手ですね。私が書き改めるまでも無く、此のままでも立派な短い作品になっているのでは?」と尋ねると、澄子は、「そう仰って頂いて大変有り難いのですが、貴方の文章の間に挟み込むようにして頂ければ存分なのですが」と言いながらまた庭の池に目を移した。
 私は其れで良いのかと念を押したがそれでいいと言う。
「其れでは早速今晩から書き始める事にしましょう・・何か、庭に興味がおあり何ですか?」
 澄子があまり庭に関心を示す様だから、私も澄子と庭を交互に見る様に聞いてみた。
 澄子は縁側に視線を移すと、「宜しかったらご一緒にお庭に出てみませんか?」と謂うから、私は「ええ、こんな庭で宜しかったら」と、縁側から下駄を履こうとして気が付いた。
 女物の下駄が既に揃えておいてある。
 まさか澄江が素早く置ける様な暇は無かったし、一体誰が並べてくれたんだろうと思いながらも、何となく嬉しい様な気がした。
 私をそんな気持ちにさせたのも、澄子の美しさ故かという思いが脳裏を掠めたし、さて、庭に出てどうするのかという事などはどうでも良い様な気がした。
 二人で庭の芝の上を池の縁迄歩いて、風も無く透き通った水面を見た時に、澄江が「綺麗な池だこと、中に入っても宜しいでしょうか?」と言うので、私は少し驚いたが、「どうぞ、この時分だから水も冷たくは無いでしょうから・・」と下駄を脱ぐ澄子の後ろ姿を見ていた。
 澄子は浴衣の裾を端折る様にすると段差のある池の端から慎重に浅瀬に入って行った。
 私は色の白い脚が水面に波を作っていくのを見て、何とも言われぬ清楚な色香を感ぜざるを得なかった。
 私は池の畔で此れは文になるなと思い、ゆっくりと池の真ん中あたりまで行って此方を振り返った澄江を見つめていた。
 澄江は私に微笑んだまま、池の中に佇んでいる。
 私が澄江から目を反して、脚もとの水面を見た時に、何やら水中に波に揺れる顔の様なものが見えたから、何だろうと・・。
 この池には僅かばかりの小魚や小さな亀がいるだけで・・と、「ひょっとしたら、亀が水中に潜ってしまって甲羅が顔の様に見えたのではと思ったが、亀は水面を泳ぎはするが水底には・・。
 魚が優雅に泳いでいる静かな池の少し黒っぽい水中に・・、どうしても年配の男の顔の様に見えて仕方が無い。
 澄江が此方を見て、「何か作品のお考えでも浮かんだのですか?」と言いながら一瞬憂いに満ちた顔で、其の顔の様に見える影に視線を移した時、幾らか風が出て来たようで池に細かい波が立ち始めていた。
 水中の影のように見えたものは波に掻き消されるように消えていた。
 私は暫し其の事に囚われていたので、澄江が此方に近付いて来て池から上がろうとしている事に気が付かなかったが、既に私のすぐ傍まで来ていた澄江は私の目を見て微笑みを浮かべ首を傾げた。
 私は恰も子供に何かをねだられた様かのような気がしてはっと気が付き、手を差し伸べて澄江の手を取りそっと引っ張り上げようとした。
 澄江は私の手に摑まり芝迄上がろうとしている。
 突然動きがスローモーションに・・私は、澄江の脚が・・そして、一瞬真っ白な肌に薄っすら青筋が浮かんでいるかのような腿が露わになっているのを見て息を呑んだ。
 私は何か悪い事をしたかのように芝迄上がった澄江の目を覗き込むように見た。
 澄江が・・濡れているから、私は我に返って縁側に戻ると端に置いてある籐の籠からタオルを取り出すと池の縁迄駆け寄って澄江に渡した。
 私は考えも無く二枚持って来たのだが、一枚を手に取った澄江が自らを拭きながら何気なく私の顔を覗き込んだ時、私はもう一枚のタオルで無意識のうちに澄江の脚を拭いている自分に気付き手が止まりそうになった。
 二人は縁側から座敷に上がり卓台の両側に向き合い座った。
 陽は暮れかけようとしていたから障子を閉めようとしたが、ハッとある事に気が付き後にする事にした。

 私は池の底の顔の様なものがまだ気になっていたのだが、おそらく私の見間違いではと考えていたら、澄江がそろそろお暇しなければと言うので、玄関まで送って行った。
「文章は書いておくから、また明日にでも来てくれ」と言ったら、澄江は、「宜しくお願い致します」と頭を下げ、門から出ると夕暮れの道を忙しそうに通る人々に紛れる様に見えなくなった。
 部屋に戻った私はもういいだろうと呟きながら障子を閉めた。
 やはり、思った通り蝋燭が何本か見える。
 朝方と違い、外は風が出て来た様だ。
 障子の隙間から入りこんで来る風に蝋燭の火が揺れている。
 気持ちが悪い様な気がしたから、部屋の電燈を付けようとした。
 高さが疎らな蝋燭の短めの一本の火が風に揺れるとふっと消えた。
 その瞬間私は、即座に電燈を点けた。

 翌日の昼頃までに文章を書き終えたから、午後の何時まで暇を潰していたか・・、陽が落ちようとする頃、玄関から覚えのある声が聞こえた。
 白地に花柄の浴衣を着た澄江が、昨日とは打って変わった明るい顔をして、玄関燈の灯りに溶け込むように立っていた。
「原稿が出来たから、ああ、上に上がって」と私が・・、澄江と奥の部屋の卓台の両側に座り、原稿を渡した。
 澄江が其れを読み始めた時、庭の上空の模様がおかしくなって風が強くなってき、雨も激しく降り始めた。
 私は障子を閉めた。
 しまったと思ったのだが、障子が閉まっても昨日の様な蝋燭は見えなかった。
 部屋の電燈の下で、熱心に原稿を見ていた澄江が、一通り読み終えて、顔を上げて私に話をし出した。
「実は、昨日お話をした縁談の話なんですが、破談になったんです」
 私は澄江の顔を見たが、目からは昨日の様な憂いが窺えないから、どうしたんだろうと思った。
 澄江はそんな私の好奇心を満たす様に話を続けた。「其の相手の方と言うのは高田金蔵と言いまして町の金貸し屋さんを営んでいまして、奥様がいらした当時から私は妾として囲われていたのですが、其の奥様が亡くなられてしまったので、私を正式な妻としてめとるという事になったのです。其れが昨日心臓の発作とかで急に倒れたまま二度と息を吹き返す事は無くなったのです。ですから、私は言ってみれば自由の身というか・・」
 高利貸の妾から後妻の話まで、澄江本人は望まぬところだったのだが、親の借金の為に仕方なく嫁いでいく寸前に運命は変ったという事のようだ。
 ところで、どうして私のところなどに祝言の前日に来たのかと聞いてみたら、 以前から私の事は知っていた。其れは、澄江も同じ様に物書きになりたいと思っていたからということと、漱石や谷崎潤一郎・田山花袋などや私の著書が好きでよく読んでくれていたそうで、自分も物書き志望で幾つも作品を書いていたという事だった。
 私は、天才漱石や文豪と名を並べられるなどはとんでもない事でと困惑したのだが、其れで昨日の澄江の文章が優れたものであった理由が分かった。
 もう一つ、あの水底の顔と、火が消えた蝋燭は幻ではあったものの、高利貸の死と一致した偶然が奇妙に思えた。

 二人が話に夢中になっていた時、雨は一層激しさを増し、雷鳴が響き・雷光が鋭く閃きだした。
 私は急いで障子の更に外のガラス戸と雨戸を閉めた。
 私は縁側から近い澄江の向かいに座りながら、「梅雨が別れを告げている様な最後の嵐だ。此れで暑い夏が来るな・・」と。
 澄江が私が座るのを見届ける様に、「あの・・文章を一部分変えて貰えませんか・・」と、私が、「どの部分かな?」と尋ねた。
 私は澄江の文章は殆ど覚えていたのだが、一体どの辺りを変えるのかと思って自分でも此処だろうかと思われる部分を頭の中に描いていた。
 漱石は兎も角、谷崎潤一郎の「痴人の愛」や田山花袋の「蒲団」には共通する主人公の痴情と言っても良さそうな情念や行動が描かれている。
 果たして如何ようにと思った時、澄江が書き改めたい文面を述べた。
「如何様にもならぬと思えば、憂いは脳裏を駆け巡るだけで無く、身にも其の感情を植え付けようとする」と言う箇所を挙げた。
「晴れて自由の身になればこそと思う意識は解放感を乗り越え、我が胸を騒がせると身に由々しき情念を齎そうとして・・」
 


 一段と雷光が光ると遅れてまるで地面を突き上げるような雷鳴が轟きわたった。

 停電の様だ。部屋の電燈は消え、闇が全てを支配したようだった。


 真っ暗闇の中で、すぐに行燈(あんどん)に灯りが灯った。
 あの蝋燭の炎が消えた時の為に・・行燈の油は満たされており・・傍に置かれていたマッチに手を遣るのには訳も無かった。
「・・あの・・此れからも教えて頂けますか?」
「・・いや、貴女には既に・・天賦の才が・・」
「・・え?才とは・・物書きの・・という意味でしょうか?」 
「然有り」
 瑞々しい一輪の花が・・一段と・・。
 彼女は週に一度ほどやって来ては、私と共に漱石の「夢十夜」の続きを考えるようになった。
 弟子というのでもないのだが・・今までの不遇な身から見事に立ち直り・・物書きの才を見せてくれるような気がする・・。
 ああ、ついでなのだが、彼女がこさえてくれる食事は私にとり、正に楽しい夕餉とでも言おうか、彼女が家庭を持つまでは見守ってあげたく候(さ~そ・う)らえ・・。


 梅雨は、不意の嵐を伴って一層激しく、そして本意に委ねるが如く開けていこうとしていた。 


 参考に、現在はほぼ使われないので、少し難しい事に思えるかも知れないが、文中の「然有り」とは、「然(さ)有(あ)・り」であり、そのとおり、そうである、という意味の言葉で、眠狂四郎の様な武士なら「左様~さよう」とか「如何にも」と使用するのと同意語と思っても良いだろう。


 夏目漱石作


「夢十夜 第一夜及び第二夜 」 


 第一夜

 こんな夢を見た。
 腕組をして枕元に坐すわっていると、仰向あおむきに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭りんかくの柔やわらかな瓜実うりざね顔がおをその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇くちびるの色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然はっきり云った。自分も確たしかにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗のぞき込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開あけた。大きな潤うるおいのある眼で、長い睫まつげに包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸ひとみの奥に、自分の姿が鮮あざやかに浮かんでいる。
 自分は透すき徹とおるほど深く見えるこの黒眼の色沢つやを眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の傍そばへ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうに※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。
 じゃ、私わたしの顔が見えるかいと一心いっしんに聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。
 しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、埋うめて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片かけを墓標はかじるしに置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢あいに来ますから」
 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
 自分は黙って首肯うなずいた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍そばに坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
 自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸ひとみのなかに鮮あざやかに見えた自分の姿が、ぼうっと崩くずれて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫まつげの間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。
 自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑なめらかな縁ふちの鋭するどい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿しめった土の匂においもした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。
 それから星の破片かけの落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間まに、角かどが取れて滑なめらかになったんだろうと思った。抱だき上あげて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖くなった。
 自分は苔こけの上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、丸い墓石はかいしを眺めていた。そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定かんじょうした。
 しばらくするとまた唐紅からくれないの天道てんとうがのそりと上のぼって来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。
 自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔こけの生はえた丸い石を眺めて、自分は女に欺だまされたのではなかろうかと思い出した。
 すると石の下から斜はすに自分の方へ向いて青い茎くきが伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ゆらぐ茎くきの頂いただきに、心持首を傾かたぶけていた細長い一輪の蕾つぼみが、ふっくらと弁はなびらを開いた。真白な百合ゆりが鼻の先で骨に徹こたえるほど匂った。そこへ遥はるかの上から、ぽたりと露つゆが落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴したたる、白い花弁はなびらに接吻せっぷんした。自分が百合から顔を離す拍子ひょうしに思わず、遠い空を見たら、暁あかつきの星がたった一つ瞬またたいていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

第二夜

 こんな夢を見た。
 和尚おしょうの室を退さがって、廊下ろうか伝づたいに自分の部屋へ帰ると行灯あんどうがぼんやり点ともっている。片膝かたひざを座蒲団ざぶとんの上に突いて、灯心を掻かき立てたとき、花のような丁子ちょうじがぱたりと朱塗の台に落ちた。同時に部屋がぱっと明かるくなった。
 襖ふすまの画えは蕪村ぶそんの筆である。黒い柳を濃く薄く、遠近おちこちとかいて、寒さむそうな漁夫が笠かさを傾かたぶけて土手の上を通る。床とこには海中文殊かいちゅうもんじゅの軸じくが懸かかっている。焚たき残した線香が暗い方でいまだに臭におっている。広い寺だから森閑しんかんとして、人気ひとけがない。黒い天井てんじょうに差す丸行灯まるあんどうの丸い影が、仰向あおむく途端とたんに生きてるように見えた。
 立膝たてひざをしたまま、左の手で座蒲団ざぶとんを捲めくって、右を差し込んで見ると、思った所に、ちゃんとあった。あれば安心だから、蒲団をもとのごとく直なおして、その上にどっかり坐すわった。
 お前は侍さむらいである。侍なら悟れぬはずはなかろうと和尚おしょうが云った。そういつまでも悟れぬところをもって見ると、御前は侍ではあるまいと言った。人間の屑くずじゃと言った。ははあ怒ったなと云って笑った。口惜くやしければ悟った証拠を持って来いと云ってぷいと向むこうをむいた。怪けしからん。
 隣の広間の床に据すえてある置時計が次の刻ときを打つまでには、きっと悟って見せる。悟った上で、今夜また入室にゅうしつする。そうして和尚の首と悟りと引替ひきかえにしてやる。悟らなければ、和尚の命が取れない。どうしても悟らなければならない。自分は侍である。
 もし悟れなければ自刃じじんする。侍が辱はずかしめられて、生きている訳には行かない。綺麗きれいに死んでしまう。
 こう考えた時、自分の手はまた思わず布団ふとんの下へ這入はいった。そうして朱鞘しゅざやの短刀を引ひき摺ずり出した。ぐっと束つかを握って、赤い鞘を向へ払ったら、冷たい刃はが一度に暗い部屋で光った。凄すごいものが手元から、すうすうと逃げて行くように思われる。そうして、ことごとく切先きっさきへ集まって、殺気さっきを一点に籠こめている。自分はこの鋭い刃が、無念にも針の頭のように縮ちぢめられて、九寸くすん五分ごぶの先へ来てやむをえず尖とがってるのを見て、たちまちぐさりとやりたくなった。身体からだの血が右の手首の方へ流れて来て、握っている束がにちゃにちゃする。唇くちびるが顫ふるえた。
 短刀を鞘へ収めて右脇へ引きつけておいて、それから全伽ぜんがを組んだ。――趙州じょうしゅう曰く無むと。無とは何だ。糞坊主くそぼうずめとはがみをした。
 奥歯を強く咬かみ締しめたので、鼻から熱い息が荒く出る。こめかみが釣って痛い。眼は普通の倍も大きく開けてやった。
 懸物かけものが見える。行灯が見える。畳たたみが見える。和尚の薬缶頭やかんあたまがありありと見える。鰐口わにぐちを開あいて嘲笑あざわらった声まで聞える。怪けしからん坊主だ。どうしてもあの薬缶を首にしなくてはならん。悟ってやる。無だ、無だと舌の根で念じた。無だと云うのにやっぱり線香の香においがした。何だ線香のくせに。
 自分はいきなり拳骨げんこつを固めて自分の頭をいやと云うほど擲なぐった。そうして奥歯をぎりぎりと噛かんだ。両腋りょうわきから汗が出る。背中が棒のようになった。膝ひざの接目つぎめが急に痛くなった。膝が折れたってどうあるものかと思った。けれども痛い。苦しい。無むはなかなか出て来ない。出て来ると思うとすぐ痛くなる。腹が立つ。無念になる。非常に口惜くやしくなる。涙がほろほろ出る。ひと思おもいに身を巨巌おおいわの上にぶつけて、骨も肉もめちゃめちゃに砕くだいてしまいたくなる。
 それでも我慢してじっと坐っていた。堪たえがたいほど切ないものを胸に盛いれて忍んでいた。その切ないものが身体からだ中の筋肉を下から持上げて、毛穴から外へ吹き出よう吹き出ようと焦あせるけれども、どこも一面に塞ふさがって、まるで出口がないような残刻極まる状態であった。
 そのうちに頭が変になった。行灯あんどうも蕪村ぶそんの画えも、畳も、違棚ちがいだなも有って無いような、無くって有るように見えた。と云って無むはちっとも現前げんぜんしない。ただ好加減いいかげんに坐っていたようである。ところへ忽然こつぜん隣座敷の時計がチーンと鳴り始めた。
 はっと思った。右の手をすぐ短刀にかけた。時計が二つ目をチーンと打った。



「青年は真面目がいい。人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ。夏目漱石」

「我々人間の特色は、神の決して犯さない過失を犯すということである。人間の心には、互いに矛盾したふたつの感情がある。誰でも他人の不幸に同情しないものはない。ところが、その不幸を切り抜けてよくなると、なんとなく物足りなくて、少し誇張して言えば、もう一度同じ不幸に陥れてみたいような気持になる。芥川竜之介」

「自分を熱愛し自分を大切にせよ。金は食っていけさえすればいい程度にとり、喜びを自分の仕事の中に求めるようにすべきだ。志賀直哉」



「by europe123 加山雄三 君の為に 」
https://youtu.be/spjQtGl00TM

過去を振り返る事の重要さ。旧作の再々放送。夏目漱石夢十夜。

過去を振り返る事の重要さ。旧作の再々放送。夏目漱石夢十夜。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-07-02

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