雑談と旧作からお洒落な神。文豪作品を一作。
<span style="font-size:1.96em;">Dios de moda 邦題 お洒落な神 </span>
<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200221/16/europe123/51/89/j/o0324045014716603690.jpg"><img width="324" height="450" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200221/16/europe123/51/89/j/o0324045014716603690.jpg"></a>
<span style="font-weight:bold;">西洋美術館を出てから、都美術館も見ようと一人で上野の森を歩く。夏枯れと言って夏は絵画展は行われない。秋が最も展覧会が多いし、芸術の秋でもある。
どんな絵でもいいというのなら、常設展でも用は足りるが、やはり、其々好みというものがあるから、何年に一度来るか来ないかの展覧会を待つか、思い切って洋行をするかの、何れかを選択する事になる。
ダリ展をやっていたので見る事にしたが、本当は印象派の画家達の作品が一番好きだ。先程の西洋美術館でも睡蓮の小さなモネの絵があった。
此の国の美術館では写真撮影を禁止しているところが多い。海外では、フラッシュを焚かなければ撮影はできる。そのあたりが、よく分からない。光が絵の具を痛める事は分かるが、撮影禁止はケチっているのか、何だろうと思う。
大きな美術館だから、ゆったりとしていてのんびりと時間を潰す事が出来る。大きなものから小さなものまでいろいろな額があるが、大きな額の前で、女性が熱心に見ている様で、立ち止まったまま動かない。
神谷武夫は、絵は好きではあるが、他にやる事が無いからという意味もあり、上野までやって来た。今日は会社は休みで、のんびりできる。絵もさることながら、目の前の女性の風貌に感心している。此の国の女性では無いような、かと言って、白色・黄色・ニグロ・アラブと頭に浮かぶ限りの、何れにも該当しそうが無い。
少なくとも、此の国の人間では無い。ゆっくりと女性に近付くと、自分の腕の色と女性の其れを較べてみたが、何色というのか。
周りにいる人達は、順繰りに絵を見ては回廊を移動していく。武夫もそのつもりでいたのだが、丁度近くにあったソファに腰掛けて、女性を暫く眺めていた。考えてみれば、女性の風貌からは絵に優るとも劣らない美しさと意外性を感じる。
女性が同じソファに腰を掛けた。美術館だから、お喋りには気を使うが、思い切って小声で話し掛けてみた。
「この絵、気に入られたんですか?」
女性は、何の抵抗感も無く絵を見たままで、「ええ、見た事のある絵なので、というか、見覚えのあるものが描かれているので、つい」と、武夫はかなりこの作家に詳しいのかななどと思った。
「何かお詳しそうですが、ひょっとして彼方の方ですか?」
女性は、初めて武夫の顔を見ると、「ええ、そうです・・ね」、と、武夫は彼方とは欧州の事を言ったつもりだったのだが、何か、反応は、頼り無さそうでもある。
「そうですか、Spainですか?」と、念の為。
女性は、微笑むと、「まあ、そんなところです。Spainには面白い方がいらっしゃいますね」
と、武夫はやはりそうかと思い、「面白いとは、ピカソの事でも・・」、女性は、「ああ、その方も面白いけれど、キリコさんってご存知?」、武夫はあれ、違うなと思いながら、「ええ、確かITALYの」と口には出したが、女性が返事をした彼方とは何処だと思ったのかという事に執着し始めた。
まあ、同じ欧州で近くでもあるから、大まかに欧州の事を彼方と言ったのかも知れないとも思った。
其れからは、何処でもいい、まあ会話を交わす事が出来たのだからと、女性の腕を見ながらもう少し話を続けたいと思い、「かなり、お詳しいようですね。お綺麗な腕ですね・・」の後半は呟きに変わり次第に消えて行く。確かに、女性の腕は白人ともまた違い、もう少し透き通っているような気がする。其れに、白人は産毛の様なものが見られる事もあるが、女性の其れは映像の様に腕をかたちどっただけの別のものの様にも見える。
女性は立ち上がると、次の順路に進んでいく。武夫もつられるように立ち上がり、後に続いて歩く。暫くし女性が立ち止まったから、武夫も。
先程の絵との共通点は、時計の絵が描かれている。勿論、ダリの時計は、垂れ下がっていたりするのだが、時計には違いない。
二度目にソファに座った時、武夫はそれとなく、「休憩しませんか?若し良かったら」、女性は頷く様な素振りを見せた。
武夫は順路もそろそろ終わりだから、もう、見る絵も幾らも無いと思い、すぐ先のカフェに向かった。テーブルを挟んで正面に座った。
コーヒーが二つ運ばれてきた。何方からともなくカップに口を付けて、茶色の液体を啜るように味わう。少し熱かったが、飲めない程では無い。女性も同じ様に味を楽しんでいるようだ。なかなか美味しいなと思っただけで、言葉にしたのでもないのに、女性が頷きながら武夫の目に視線を。
「Una imagen engañada」と彼女が話し掛けたのに、武夫はその意味が朧げにしか翻訳できなかった。多分、「騙し絵」の様な意味ではなかったか。
其処で、その意味に変に拘り出す。何の事だろう。騙すという言葉は此の国の言葉ではあまり良くない意味として使われているが、比喩的な使い方をすれば、或いは芸術的な意味あいでは、好ましく騙している、とでも解釈できそうだ。
例えれば、女性が男性に、上手く騙してと言えば決して悪い意味には解釈できない。
其れにこじつけてみれば、騙し絵とは、非常に魅力的で巧妙な絵だという意味に取れない事も無い。
今までの彼女の雰囲気からさっすれば、そんな解釈であっても芸術的で素晴らしいと・・お洒落に的を絞るが如き表現だと・・。
其処から武夫は聊か背伸びをしても、少し洒落た会話をしてみようかと思い始めるが、残念ながら貧弱な語学力故、話し掛けるきっかけが掴めない。
そんな武夫の心配をよそに、女性は先ずは名を教えてくれた。「an」という名のようだが・・Englishであるのならセカンドネームなどは無いのかと思った。
europeのある国の皇族ならセカンドネームは無いのだが、其れでは目の前の女性は皇族?
と、アンとでも?でも皇族では無いわよ、と、言われるに及び、何か自らの思うところを読まれているような・・。
「とっても良い趣味なのね。こういうものを楽しめる武夫さんって」
武夫は、とってつけたような照れ笑いを浮かべながら、「同じじゃない。其れだから此処に・・?」
武夫はどうして自分の名を知っているのかなど思ったのだが、つい自ら口にしたのかも知れず。
しかし、此れだけでお別れするのでは何か味気ないような気がし、暫しこのまま・・と。
「同じ趣味では・・」と、意味も無い口実を付け足し始めたのだが、
「・・誘ってくれるのならロマンティックに・・」と、いきなり意味不明。
其処で、武夫は気が付く。
先程から、自分が考えては其れを口にする以前に、彼女も予め予測していたかの様に・・。
よっぽど気の利いた女性であれば・・いや、そういう問題ではないのであって・・何とも・・。
容姿端麗であるのは見ての通りだが、いったいぜんたいどこの国の、少なくとも此の国で無い事は間違い無い。肌の色が唯一のヒントのようでもあり・・は当て外れ。
頭の中で腕を組み始めた武夫はふと彼女に目を遣る。
彼女・・まさか武夫の表情から・・。まるで武夫の事を憐れんでいるかのように見つめながら、
「Ashur ・・?何処って?Babylonってお分かり?」
武夫は相変わらず謎かけなのかと思いながらも、彼是(あれこれ)記憶を辿り。
「・・バビロニアなら知っているけれど・・」
彼女は満更でも無いという表情を浮かべ、
「ええ、そんなところ・・でも少し違うけれど。Mardukがいたところと言われているよう・・此処では。・・街は更に其処よりもっともっと高いところにあって・・其処に立ち寄って来たって言ったら、其れもおかしいわね。兎に角おかしなところから、なら、いいかしら?」
「おかしなところ・・っか。それなら・・要は何処でもいいって事?」
何にしても、誘うのならロマンティックになら・・正にロマン。
兎も角、此れから二人一緒に何処かに行くとすれば・・其の何処が何処か?と考えてみたのだが・・。
「君、先程、キリコがって言ってたけれど、キリコに興味があるようだね?でも、残念な事に、今何処の美術館でもキリコ展の催しはないし、無理か・・」
「パブロ・ピカソ」
~(1881年10月25日−1973年4月8日)は、スペインのマラガ出身の画家。 絵画だけでなく彫刻や版画、陶芸、舞台芸術、詩人としてなど幅広く活動。 「キュビスム」という新しい美術表現を創造し、20世紀最大の画家と評されている。
武夫は、幼少時には其の奇抜さで関心を持った事があったが、現在では特段好きな画家でもない。
本場スペインはバルセロナの美術館まで行かなくてもParisにも小さな美術館があり、地下鉄8号線Saint-se(umlaut)basutien Froissartからでも歩けば近い。
キリコは其のピカソが最も怖れた画家と言われているが、どういう意味で怖れたのかは分からない。おそらく、其の才能と言うか、一部の絵を見れば分かるように、ぞっとしない(今の此の国ではぞっとするに変わっている。)不気味さを持っている絵が少なくない。
<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20191226/11/europe123/aa/e8/j/o0407050014685187933.jpg"><img width="407" height="500" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20191226/11/europe123/aa/e8/j/o0407050014685187933.jpg"></a>
「Mystery and Melanch」という絵の少女の行く手に見える大きな影。見えないものや分からないものと言うのは、人類にとり往々にして恐怖であったりする。
「デ・キリコの絵は「どこかでみた風景」とよく言われる。精神分析に「既視感」とか「既体験感」といった言葉があるが、デ・キリコの作品は似たような反応を呼び起こし、不安や郷愁で困惑させられ不思議な力で惹きつけられる」また、この作風は「形而上絵画」と名付けられているが、「人類の持てる感覚の五感の限界であるで捉えられる現実を超えた、物事の本質を表現している」とキリコ夫人のイザベラさんが語っている。兎に角絵画は、考える事を必要としない。感情を捨て感性を磨く事に通じる。
武夫は思った。「アンがキリコが気に入っているという意味が何となく分かる様な気がした。というのも、アンにしても、武夫の考えを先読みしたり、分からないところがあるから」
「ねえ、難しい事は又にしましょう。何処へ行きましょうか?」
其の言葉で我に返ったような武夫は自分の土俵に近付いたような気が。
「そうね。僕なんかが知っているのは、ごく普通の街、銀座や横浜や・・」
アンがeuropeに最も近いのは何処と言うから、海の向こうに近いのなら横浜かなという事で、横浜にまで向かう事にした。上野からなら山手線から京浜東北・根岸線に乗り換えれば桜木町まで一本のようなもの。
横浜の晴れた日の爽快な気分は何とも言えない。アンもそんな雰囲気を感じ取ったようで、結構気に入ってくれた。此の国でありながら、何処か異国情緒を感じさせてくれたり、海の匂いも良いし、ベイブリッジの向こうには海が拡がっている。
マリンタワーに上がってみる事にした。眺めもさることながら、帰りにブリキのおもちゃが飾られているFloorに寄ったら、アンは喜んだ。稼働時間が決められていて、その時間になると、幾つかあるコーナーのショーウインドーの様なガラス越しにおもちゃが順番に動き出すのが見られる。ノスタルジックな感じになる。正に、現代にいながら、レトロな世界に戻れた様な、其れでいておもちゃの滑稽な事、子供でも大人も年齢に関係無く楽しめる。
アンは、十五分?ごとに、次々に動き出すおもちゃを見て楽しんでいた。帰りは階段で降りる事も出来、表に出たら浜の。アンは何故か隣の人形の館には、行きたがらなかった。考えてみれば、人形というものは案外、見方によっては怖い感じもする。
マリンタワーに紫の照明が灯る頃、二人は近くのホテルで夕食を共にする事になった。返照(へんしょう)~光が照り返すことや夕映えのこと。や、夕影~夕陽・影等を現わす~という言葉等を覚えればいろいろな表現が出来る。
ロマンティックに・・、は結構smoothのような気がした。初対面で、此処までという感じは何故かしなかった。其れは、アンの持っている何かが影響していたのかも知れない。
二人は、時間も忘れて、のんびりと食事やドリンクを味わいながら、華やか過ぎる浜の波間の揺れる光から視線を上げベイブリッジの光華(こうか)~美しく光ることやその輝きを楽しんだ。
武夫は、こんな事がまたあったらいいなと思い始めている。其れは、アンが何処から来て何処の人なのかに限らず、何時の日にか再びこんな時を過ごせたらとの希望。
アンが武夫の話に合わせてくれ、難しい事抜きで盛り上がった。アンは、europeの何処かに関係があるかも知れないが、今は、此の国の事を好きになってくれているようで、武夫は、「心がおおらかなんだ」と思った。食事は美味しいし、ドリンクが五臓六腑に染み渡って行く様な気がした。
店を出て海岸沿いの道路を歩きながら、武夫は最高の気分だったから、アンに、
「また、良かったら、こんな時間を一緒に過ごせたら・・」
と言いながら、アンの透き通った腕を見た。
アンの身体全体がまるで深海魚の様に透き通っているような気がした。中でも、其の瞳は何色と表現して良いのか分からないが、綺麗なaquamarineのようだ。
アンは、武夫が何か言うまでも無く、武夫の考えている事は分かっている様で、
「また、会いましょう。上野公園でも何処でもいいわよ。また、二人で絵を見たり楽しめればいいわね」
と言ってくれた。アンは珍しくスマフォは持っていない様だったから、待ち合わせ場所を、やはり、出会った場所、上野公園のJR公園口に決めた。
桜木町の駅で二人は別れた。武夫は、アンの家が何処にあるのかは聞かなかった。また、会えれば其れでいいと思った。
電車は街の灯りに溶け込む様に小さくなり、レール音が去って行く彼方で根岸線の尾灯が寂しそうに幕を閉じた。
武夫は、其の日、家に帰ってから遅くまで、パソコンで調べ物をした。勿論、アンから聞いた地名などを探してみた。なかなか、europeの言語では、見つからない。
かなり、時間が掛かったが、要約、其れらしきものを見つけた時は心臓が止まる思いだった。
時は人類の期限まで遡っていきそうだ。メソポタミアと出てくる。シュメールと言う言葉が画面に浮かんだ時、謎の一つが解けていった。
絵文字から文字に代わった当時の遥か昔。
「あった」
アンと気安く呼んでいた言葉が信じられなかった。
シュメール語では「an」とは最高位の神で天空神。その都市はUrukと。更に、バビロンの神はMardukとなっている。此れは、もう、人類の範疇では無いところまで近づきつつある。
しかも、Ashurとはe2 - kur - ki - shar - ra 宇宙の山の家 となっている。アンは其処に寄って来たような事を言っていたが、もっと高いところと言っていたが、そうなると、宇宙としか考えられない。
人類の遥かな昔の物語に登場する神、という事は宇宙から此の星にやって来たのかも知れない。
いずれにせよ、此れでは簡単に説明など出来る訳は無い、其れでアンは面倒になったのかも知れない。
何となく幾分でも分かってきたにも拘らず、武夫はどっと疲れを感じた。僅かでも宇宙の神の身近にいられたとは・・。
かろうじて、言葉に関しての、
「シュメール人は此の国の人類の遠い親戚ではないか?という説が出てくるのも頷けるほど、此の国の言語と共通する特徴が数多く見受けられます」
という解説を目にした時、幾らかほっとした。
しかし、アン本人はシュメール人では無く、天空の神なのだろうか。
武夫は、パソコンを閉じて椅子に凭(もた)れかかった。
こりゃあ、もう会う事など出来る訳は無い。其の晩は、寝付かれず、やっと眠りの底に落ちた時、おかしな夢を見た。
アンが、天女の様に宙に舞い上がって行く。手を振っている。彼女が「さよなら」と何語かで言った時には絶望という名の淵に立っているような気がした。
待ち合わせの当日の事、武夫は行くのをやめようかとも思ったが、足は上野に向かっていた。
あても無しに誰かと会う約束をした事など初めてだった。増してや、人類では無いのだから。
公園口は行き交う人類で混んでいた・・が、次第にはっきりしてくる姿・・まさしく・・・アンでは無いだろうか。
武夫は、片手で目を擦(こす)ってから其の姿に焦点を合わせる。
間違いない。
近寄ったら、突然舞い上がるのではと思ったりもした。
透き通った身体は間違い無く・・。
其れも、この前と同様に笑み満面で近付いて行けば、アンも微笑みを返してくれた。
正しく神の微笑みに相応しい、しかし、掴みどころのない様に大気でさえ躊躇している・・。
突然・・昨晩のpersonal computerの画面が空間に浮かんでいるのに気が付いた。どうという事でも無いのだが・・神に関する説明書きが・・変わっている。
「・・神が何かを創造するのではなく・・神こそが宇宙の文明の創造物であり・・・人類に送られた最古のpresentに過ぎない・・」
彼は・・その意味が分からなかったが・・何か不安になり・・視線をおそるおそる・・すぐ脇にいる筈の彼女に・・。
「・・どうしたの・・あまり考えないのも良い事よ・・考えて理解できる事など・・・所詮限界があるというもの・・人類には極僅か・・」
彼には・・彼女の言った事が半分しか聞こえなかった・・が、こんなふうに思った・・。
「・・そうだな・・理解が出来無い事なら・・よく聞こえなくて当たり前という事か・・」
彼は何だか・・随分気が楽になると・・少し宙に浮いているような気がした・・・・重力にせよ何にせよ・・力学などに限らず・・空間は如何様にも操れる・・・そんな気がしたのも・・おかしな事だが・・事実であると思った・・。
二人は前回同様、美術館に向かい並んで歩き始めた。今回は印象派展に代わっていた。
「不安げなキリコ展で無くて良かった・・」
武夫はそう呟きながら、遠慮がちにアンの手を握った。本物の人類の様だが。
彼女が。
「・・絵画は人類の最も素晴らしい感性を描写したものだから・・どんなものでも同じよ・・」
宇宙空間では遥か遠くからでも青い星を見る事が出来る。何処が良くてこんな星に来たのかは分からないが・・宇宙は限りなく拡がっているから、間違いの一つや二つあってもおかしくはない・・。
地球儀
牧野信一
祖父の十七年の法要があるから帰れ――という母からの手紙で、私は二タ月ぶりぐらいで小田原の家に帰った。
「このごろはどうなの?」
私は父のことを尋ねた。
「だんだん悪くなるばかり……」
母は押入を片付けながら言った。続けて、そんな気分を振り棄てるように、
「こっちの家はほんとに狭くてこんな時にはまったく困ってしまう。第一どこに何がしまってあるんだか少しも分らない」などと呟つぶやいていた。
「僕の事をおこっていますか?」
「カンカン!」
母は面倒くさそうに言った。
「ふふん!」
「これからもうお金なんて一文もやるんじゃないッて――私まで大変おこられた」
「チェッ!」と私はセセラ笑った。きっとそうくるだろうとは思っていたものの、明らかに言われてみるとドキッとした。セセラ笑ってみたところで、私自身も母も、私自身の無能とカラ元気とをかえって醜みにくく感ずるばかりだ。
「もうお父さんの事はあてにならないよ。あの年になってのことだもの……」
これは父の放蕩ほうとうを意味するのだった。
「勝手にするがいいさ」
私はおこったような口調で呟つぶやくと、いかにも腹には確然としたある自信があるような顔をした。こんなものの言い方やこんな態度は、私がこのごろになって初めて発見した母に対する一種のコケトリイだった。だが、私が用うのはいつもこの手段のほかはなく、そうしてその場限りで何の効もないので、今ではもう母の方で、もう聞き飽あきたよという顔をするのだった。
「もう家もおしまいだ。私は覚悟している」と母は言った。
私は、母が言うこの種の言葉はすべて母が感情に走って言うのだ、という風にばかりことさらに解釈しようと努めた。
「だけど、まアどうにかなるでしょうね」
私は何の意味もなく、ただ自分を慰めるように易々いいと見せかけた。こんな私の楽天的な態度にもすっかり母は愛想を尽かしていた。
母は、ちょっと笑いを浮べたまま黙って、煙草盆たばこぼんを箱から出しては一つ一つ拭ふいていた。
私も、話だけでも、父の事に触れるのは厭になった。
「明日は叔父さんたちも皆な来るでしょう」
「皆な来ると言って寄こした」
また父の事が口に出そうになった。
「躑躅つつじがよく咲いてる」と私は言った。
「お前でも花などに気がつくことがあるの」
「そりゃ、ありますとも」と私は笑った。母も笑った。
「ただでさえ狭いのにこれ邪魔でしようがない。まさか棄てるわけにもゆかず」
母は押入の隅に嵩張かさばっている三尺ほども高さのある地球儀の箱を指差した。――私は、ちょっと胸を突かれた思いがして、かろうじて苦笑いを堪こらえた。そうして、
「邪魔らしいですね」と慌あわてて言った。なぜなら私はこの間その地球儀を思いだして一つの短篇を書きかけたからだった。
それはこんな風にきわめて感傷的に書きだした。――『祖父は泉水の隅の灯籠とうろうに灯を入れてくるとふたたび自分独りの黒く塗った膳の前に胡坐あぐらをかいて独酌どくしゃくを続けた。同じ部屋の丸い窓の下で、虫の穴がところどころにあいている机に向って彼は母からナショナル読本を習っていた。
「シイゼエボオイ・エンドゼエガアル」と。母は静かに朗読した。竹筒の置ランプが母の横顔を赤く照らした。
「スピンアトップ・スピンアトップ・スピンスピンスピン――回れよ独楽こまよ、回れよ回れ」と彼の母は続けた。
「勉強がすんだらこっちへ来ないか、だいぶ暗くなった」と祖父が言った。母はランプを祖父の膳の傍に運んだ。彼は縁側へ出て汽車を走らせていた。
「純一や、御部屋へ行って地球玉を持ってきてくれないか」と祖父が言った。彼は両手で捧げて持ってきた。祖父は膳を片づけさせて地球儀を膝の前に据えた。祖母も母も呼ばれてそれを囲んだ。彼は母の背中に凭よりかかって肩越しに球を覗のぞいた。
「どうしても俺にはこの世が丸いなどとは思われないが……不思議だなア!」祖父はいつものとおりそんなことを言いながら二三遍グルグルと撫なで回した。「ええと、どこだったかね、もう分らなくなってしまった、おい、ちょっと探してくれ」
こう言われると、母は得意げな手つきで軽く球を回してすぐに指でおさえた。
「フェーヤー? フェーヤー……チョッ! 幾度聞いてもだめだ、すぐに忘れる」
「ヘーヤーヘブン」と母はたちどころに言った。
それは彼の父(祖父の長男)が行っている処の名前だった。彼は写真以外の父の顔を知らなかった。
「日本は赤いからすぐ解る」
祖父は両方の人差指で北米の一点と日本の一点とをおさえて、
「どうしても俺には、ほんとうだと思われない」と言った。
祖父が地球儀を買ってきてから毎晩のようにこんな団欒だんらんが醸かもされた。地球が円まるいということ、米国が日本の反対の側にあること、長男が海を越えた地球上の一点に呼吸していること――それらの意識を幾分でも具体的にするために、それを祖父は買ってきたのだった。
「どこまでも穴を掘って行ったらしまいにはアメリカへ突き抜けてしまうわけだね」
こんなことを言って祖父は、皆なを笑わせたり自分もさびしげに笑ったりした。
「純一は少しは英語を覚えたかね」
「覚えたよ」と彼は自慢した。
「大学校を出たらお前もアメリカへ行くのかね」
「行くさ」
「もしお父さんが帰ってきてしまったら?」
「それでも行くよ」
そんな気はしなかったが、間が悪かったので彼はそう言った。彼はこの年の春から尋常一年生になるはずだった。
「いよいよ小田原にも電話が引けることになった」
ある晩祖父はこんなことを言って一同を驚かせた。「そうすれば東京の義郎とも話ができるんだ」
「アメリカとは?」彼は聞いた。
「海があってはだめだろうね」
祖父はまじめな顔で彼の母を顧かえりみた。
彼は誰もいない処でよく地球儀を弄もてあそんだ。グルグルとできるだけ早く回転さすのがおもしろかった。そして夢中になって、
「早く廻れ早く廻れ、スピンスピンスピン」などと口走ったりした。するといつの間にか彼の心持は「早く帰れ早く帰れ」という風になってくるのだった』
そこまで書いて私は退屈になって止めたのだった。いつか心持に余裕のできた時にお伽噺とぎばなしにでも書きなおそうなどと思っているが、それも今まで忘れていたのだった。球だけ取り脱はずして、よく江川の玉乗りの真似などして、
「そんなことをすると罰ばちが当るぞ」などと祖父から叱られたりしたことを思いだした。
「古い地球儀ですね」
「引越しの時から邪魔だった」
それからまた父の事がうっかり話題になってしまった。
「私はもうお父さんのことはあきらめたよ。家は私ひとりでやって行くよ」と母は堅く決心したらしくきっぱりと言った。私はたあいもなく胸がいっぱいになった。そうして口惜しさのあまり、
「その方がいいとも、帰らなくったっていいや、……帰るな、帰るなだ」と常規を脱した妙な声で口走ったが、ちょうど『お伽噺』の事を思いだしたところだったので、突然テレ臭くなって慌あわてて母の傍を離れた。
翌日の午ひるには、遠い親類の人たちまで皆な集った。
「せめて純一がもう少し家のことを……」
「そういうことなら親父でも何でも遣やりこめるぐらいな気概がなければ……」
「ほんとにカゲ弁慶べんけいで――そのくせこのごろはお酒を飲むとむちゃなことを喋しゃべってかえって怒らせてしまうんですよ」
「酒! けしからん。やっぱり系統かしら」
叔父と母とがそんなことを言っているのを私は襖越ふすまごしで従兄妹いとこたちと陽気な話をしていながら耳にした。私のことを話しているので――。
「この間もひどく酔って……外国へ行ってしまうなんて言いだして……」
「純一が! ばかな」
「むろん、あの臆病おくびょうにそんなことができるはずはありませんがね」と母は笑った。
「気の小さいところだけは親父と違うんだね」
客が皆な席に整うと、私は父の代りとして末席に坐らせられた。坐っただけでもう顔が赤くなった気がした。
「今日はわざわざ御遠路のところをお運びくださいまして……(ええと?)じつは……その誠に恐縮きょうしゅくなことで……そのじつは父が四五日前から止むを得ない自分自身(オッといけねエ)……ええ、止むを得ない自分用で、じつはその関西の方へ出かけまして、今日は帰るはずなのでございますがまだ……それで私が……(チョッ、弱ったな)……どうぞ御ゆるり……」
私はこれだけの挨拶をした。括弧かっこの中は胸での呟つぶやき言だった。ちゃんと母から教わった挨拶でもっと長く喋らなければならなかったのだが、これだけ言うのに三つも四つもペコペコとお辞儀ばかりしてごまかしてしまった。そしてこの挨拶のしどろもどろを取りなおすつもりで、胸を張ってできるだけもっともらしい顔つきをして端坐たんざした。だが脇の下にはほんとうに汗が滲にじんでいた。
「これが本家の長男の純一です」
父方の叔父が、まだ私の知らない新しい親類の人に私を紹介した。そして私の喋り足りないところを叔父が代って述べたてた。
だいぶ酒が廻ってきて、祖父の話が皆なの口に盛んにのぼっていた時、私は隣に坐っている叔父に、
「僕の親父はなぜあんなに長く外国などへ行っていたんでしょうね」と聞いた。今さら尋ねるほどの事もなかったのに――。
「やっぱりその……つまりこのお祖父じいさんとだね、いろいろな衝突もあったし……」
――やっぱり――と言った叔父の言葉に私はこだわった。
「何ぼ衝突したと言ったって……」
「今これでお前が外国に行けばちょうど親父の二代目になるわけさ。ハッハッハッ……」
「ハッハッハ……。まさか――」とわたしも叔父に合せて笑ったが、笑いが消えないうちに陰鬱いんうつな気に閉された。
翌日、道具を片付ける時になると母はまた押入の前で地球儀の箱を邪魔にし始めた。
「見るたびに焦じれったくなる」
「そんなことを言ったって、しようがないじゃありませんか」と私は言った。「どうすることもできない」
「たいして邪魔というほどでもない」
「だってこんなもの、こうしておいたって何にもなりはしない、いっそ……」
母は顔を顰しかめて小言を言っていた。
――今に栄一が玩具にするかもしれない――私はも少しでそう言うところだったが、突然またあの「お伽噺」を思いだすと、自分で自分を擽くすぐるような思いがして、そのまま言葉を呑みこんでしまった。
栄一というのは去年の春生れた私の長男である。
「色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず。夏目漱石」
「 好人物は何よりも先に、天上の神に似たものである。第一に、歓喜を語るに良い。第二に、不平を訴えるのに良い。第三に、いてもいなくても良い。芥川竜之介」
「金は食っていけさえすればいい程度にとり、喜びを自分の仕事の中に求めるようにすべきだ。志賀直哉」
「by europe123 」
https://youtu.be/N6mykOAclrI
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雑談と旧作からお洒落な神。文豪作品を一作。