あるグリフォン使いの悩み
「あたっ!」
うとうとしていたところを、背後から小突かれて僕は目が覚めた。目が覚めて思い出す、自分が剣を磨いていたことに。このまま寝ていたら危ないところだった。僕は剣を鞘に収め、振り返る。
「ありがとう。でももうちょっと優しく起こしてくれても……って」
そこにいたのは人ではなかった。嘴をカチカチと鳴らすそれは、グリフォン。しかも特別なグリフォンだった。
「モイラ?」
僕が名前を呼ぶと彼はぐっと頭を下げ、お辞儀のような仕草をした。他のグリフォンよりも少し色素の薄い翼を持つ彼の名はモイラ。僕が忠誠を誓う人の、特別な騎士。仕草までまるで人間の騎士のようだ。
「アルシェラ様はどうしたの?」
そう聞くとモイラはグルルと唸り声を上げた。聞いておいてなんだが、なんとなく彼がひとりでいる理由は察していた。軍議でもしているのだろう。ティレア様や元騎士団長のキリエ様、軍師セオドリカ様と共に。
アルシェラ様が軍議に参加することを思うと、僕の胸はちくりと痛くなる。アルシェラ様が剣を持って戦うことを思うと、もっと胸が痛くなる。僕はアルシェラ様に、できることなら戦ってほしくない。かつてのようにグリフォンたちに囲まれて、鎧なんて着ないで野原を駆け回ってほしいのだ。ユスティーア王国にいたアルシェラ様には、国王レライエ様のおかげでそれが許されていた。でも彼女は、それを自ら捨てて剣を取った。国を変えるために。
そんなアルシェラ様に僕ができることは何だろう。少なくとも居眠りではない。モイラはそれを教えてくれる。僕自身、ユスティーア王国側ではなく革命軍に入り、こうして剣を磨いている。最初はアルシェラ様を王宮に連れ帰るつもりだったのだが、失敗した。彼女の決意が本気であることがわかってしまったから。だから僕に、彼女に戦ってほしくないなんて言う権利なんて、無い。僕はただ、アルシェラ様のおそばにいる方法がここにいることだから、それを選んだまでだ。
「モイラ。どうしたらもっと、アルシェラ様のお力になれるだろう」
問いかければ、モイラは首を横に向ける。自分で考えろという意思が伝わってくる。ああ、聞くんじゃなかった。僕は正直モイラに嫉妬している。アルシェラ様の一番近くで、彼女を守っているのは間違いなくモイラなのだから。
「ごめん、今のは無し」
「何がですか?」
「うわっ!?」
唐突にモイラの後ろから聞こえた声に僕は飛び上がる。僕の大好きなやわらかく澄んだ声。
「アルシェラ様! 会議は終わったのですか」
「ええ、半刻後に皆さんにセオドリカが作戦をお伝えします。シージ、モイラと何を話していたのですか?」
「な、内緒です」
「そんなあ。気になります」
アルシェラ様は微笑みながら、モイラの首筋をぽんぽんと撫でた。いいなあ、と思ってしまう自分に嫌気がさす。僕がグリフォンなら、アルシェラ様に触れてもらえたのだろうか。そう考えたところで、僕は思い出す。
「シージ、私と共に来てください。私にはあなたが必要です」
僕が王宮を出奔したアルシェラ様と再会した時に、アルシェラ様はそう言いながら僕の手をその両手で握った。小隊を引き連れ、彼女の仲間に武器を向けた僕に対してだ。アルシェラ様の手は、あたたかかった。そうだ、僕がするべきことは嫉妬心でも嫌気でもない。彼女を僕なりに守るために何ができるかだ。僕なりに彼女の力になることだ。わかっていたじゃないか。僕が戦うことで彼女を守れるなら、きっと僕は何でもできる。革命軍の一員として、祖国に刃を向けることだって躊躇いたくない。
「モイラは? もう、モイラも教えてくれないのですね」
「……アルシェラ様」
「シージ? どうかしましたか?」
首を傾げるアルシェラ様に、僕は手を差し出す。
「僕の手、もう一度握ってくれますか」
僕は臆病者だ。彼女を守りたい心、戦いを躊躇いたくない心と裏腹に、手が震えている。僕だって本当は戦いたくない。朝日が昇る頃に起きてグリフォンたちの世話をする、そんな生活が、今では懐かしく恋しい。
「はい。……震えていますね。何かあったのですか?」
「何も、何もないんです。何もないけど震えてしまうんです」
「……シージ」
「僕は臆病者です。本当は戦うのが怖い。でもこんな僕でも、あなたのおそばにいたいんです」
「……シージ。私も、今でも怖いですよ。慣れることはきっとないでしょう。でも、私には兄さんがいる、モイラがいる。セオドリカたち仲間がいる」
「アルシェラ様」
「そして今はシージ、あなたも。だから大丈夫なんです」
アルシェラ様はその紫の瞳で僕の目をじっと見つめた。優しい瞳だ。そうやって仲間を集めてここまできたのだろう。僕にはわかる。人の心を掴んで離さないまっすぐな瞳だ。
「シージ。大丈夫、大丈夫ですよ」
「アルシェラ様……」
「さあ、そろそろ時間です。シージ、行きましょう。あなたは私の部隊に入ってもらいますからね」
そう言うと、アルシェラ様は僕の手を引く。モイラが満足げに首を振り、歩き出したアルシェラ様と僕の後ろを歩く。
「待って、言わせてください。アルシェラ様」
「なんでしょう」
「ありがとうございます。アルシェラ様、あなたのいる場所が、僕の居場所です。精一杯お守りします」
「……ありがとう、シージ」
繋がれた手をぎゅっと握り返す。僕は僕の心を信じたい。そう思いながら、足を進めた。
あるグリフォン使いの悩み