いつかあなたと
「女の子はみんな、あなたみたいなお方を好きになるんだわ。ティレア様」
エディーナはそう言うと、ティーカップを傾けた。彼女の言葉を聞いた目の前の青年、ティレアは首を傾げた。
「そんなことはないよ。どうしてそう思うんだい? エドナ姫」
「そんなことあるわよ。だって、だってね、ティレア様」
ティレアはエディーナを愛称で呼ぶ。エディーナはそれが嬉しかった。彼女を愛称で呼ぶのは兄だけであったから、兄の友人であるティレアが自分をそう呼ぶことが、嬉しかった。
「ティレア様って、王子様なんだもの」
「……? 僕はもうあなたの兄と同じ王だよ、王子ではないんだ」
「そうじゃないわ。物語の中の王子様みたいってこと」
「ああそういうこと……そう、かなあ」
「そうよ。ティレア様は私を助けてくれた、私にとってティレア様は、王子様なの」
「もう五年も前の話じゃないか」
「そうね、私、その時まだ五歳だったわ」
五年前、まだこの世界が神の手元にあった時、エディーナは誘拐されたことがある。ユスティーア王国に、アーシェス王国に対する人質として。それを救ったのがティレアたち革命軍であった。ティレアはエディーナの恩人である。
あの大きな戦いも終わり、国と国がようやく手と手を取り合い、こうして王と姫であるお互いが茶会を開くことができるようになった。その間に五年の歳月が経っていた。
「そうだね。大きくなったね、エドナ姫。きっと兄君……マディールも誇らしいと思っているよ」
「ティレア様、子ども扱いしてる?」
その五年でエディーナはようやく大人になれたと思っていたが、ティレアはもっと大人になっていた。十九歳と十歳。九年の歳の差を埋める術は、無い。
「ごめんごめん。エドナ姫はマディールの大切な妹君。だから僕にとっても、妹のような存在だから」
「ティレア様の妹はアルシェラ様でしょう」
「……怒ってる?」
「別に怒ってないわ。ティレア様、お茶のお代わりをどうぞ」
「う、うん。ありがとう」
ティレアはエディーナの顔を窺い、困ったように眉を下げた。エディーナはそれすら愛しかった。彼の色んな表情が見たいという気持ちがあった。妹扱いは癪だが、困った顔のティレアも愛おしい。そう思うほど、エディーナはティレアに、恋をしている。恋をしているのである。
「ねえティレア様。私ね、ティレア様が助けてくれた時の気持ちをずっと忘れられないの。どんな気持ちだったか、聞いてくださる?」
「……うん。聞くよ」
「物語の王子様みたいって思ったのはもちろんそう。でもね、もうひとつだけ……」
エディーナはすうと息を吸って、吐いた。ティレアは黙ってまっすぐにエディーナを見ている。紫水晶のような瞳だ、とエディーナは思った。その瞳は、どんなものからも目を逸らさず見てきたのだろう。喜びからも、悲しみからも。そんな瞳が今は自分を見つめている。そのことが、エディーナはただ嬉しかった。
「光、だって思ったの」
「光……」
「そう、光。やわらかくてあたたかな光」
「エドナ姫は僕をよく褒めてくれるけど、なんだか照れちゃうな」
「まあ、もっとよくお顔を見せて、ティレア様」
「恥ずかしいよ」
同じ王でも時に苛烈さを見せる光を抱く兄とは違う、いつだってやわらかく優しい光を、ティレアは持っている。エディーナはそう感じていた。ティレアは無言でティーカップに口をつける。困ったような表情は相変わらずだが、頬が少し赤みを帯びている。
愛おしい人だ。エディーナは椅子から立ち上がり彼に抱きついてしまいそうになる衝動をなんとか堪えた。そんなことをしたら、ティレアはどうしたのと言って優しく頭を撫でるだろう。兄のように。テーブルを挟んだこの距離が、二人を対等な話し相手にしてくれている。いつか、テーブルを隔てなくても良い関係になれるだろうか。エディーナはそれを夢見ていた。ティレアと腕を組んで、歩いてみたいと。手を取り合って踊ってみたいと。それをするには、身長も年齢も何もかもがまだ足りない。彼女はそれがもどかしかった。
「ティレア様、私の光の王子様」
「エドナ姫」
「私、今にもっと大きくなるわ。だからその時は、私と踊ってくれませんか」
「……。……ダンスに誘うのは、男の方からだよ。エドナ姫」
「ティレア様?」
「練習をしよう。いつか人前で踊れるように、今から」
ティレアはそう言うと立ち上がり、エディーナのそばに近づいた。そして跪いて、エディーナを紫水晶の瞳で見つめる。差し伸べられた手を見て、エディーナは咄嗟に固まってしまった。
「僕と踊ってくれませんか、エドナ姫」
「……ティレア様が私のような小さな者と踊っているところを見られたら。子どもの遊びだと思われてしまいます。私、そんなの恥ずかしい」
「誰も見ていないよ。それにエドナ姫、あなたは立派な姫君だ。恥じる必要なんてないよ」
「……やっぱり、私の光だわ。ティレア様は。喜んで、お受けいたします」
「ありがとう、エドナ姫」
立ち上がると、エディーナの目線はティレアの肩にやっと届く程であった。
「ほら、エドナ姫。あなたは出会った頃よりずっと大きくなった」
「そうかしら。見上げないとあなたの顔が見えない」
「ふふ。もっと大きくなるんでしょう? 自分で言ってたじゃないか」
ティレアはそう言うと、エディーナの手をゆっくりと取り、足を動かした。どこかぎこちないその動きに、エディーナから思わず小さな笑いが漏れた。
「舞踏会でするような踊りはまだ不慣れだから、教えてほしいな」
「ティレア様……ええ、もちろん。……私からティレア様にできることがあるなんて」
「たくさんあるよ。僕はあなたともっと話がしたいし、あなたのことをもっと知りたい」
「まあ! ティレア様ったら。まずは、私の一番得意な踊りの足取りからね」
「うん。たくさん教えてほしいな、エドナ姫」
エディーナの心からもどかしさはいつの間にか消えていた。歳の差を埋める術は無い。だが互いに手を取り合える。ティレアはいつだってまっすぐエディーナを見つめている。いつか、そのまっすぐな瞳の中の特別な存在になれますようにと、エディーナは希望を抱くのであった。
いつかあなたと