ハイリ ハイリホ(17)(18)

一―九 パパ・二―九 僕

一―九 パパ

 おうちの服か。なかなかいい表現だ。今は、夏だから、窓もあけっぱなしで、下着姿みたいだが、秋に向けては、カーテンなんかを模様替えして、少しはおしゃれをしなくては。しかし、しつこいようだが、ローンがまだ二十年も残っているのに、屋根にまで大きな穴をあけてしまった。
 あと、二十年、俺が退職してもまだ五年間も残っているこの現実はなんだ。最初からローンを組むときからわかってはいたが、実際、家を建てるときなんか、まず、家を買うことが頭の中にあるから、後はなんとかなるだろうという気持ちのため、突き詰めて、自分が退職したときの姿なんて思い浮かべていなかった。
 毎日、毎日仕事に行き、年を取り、体が老化すること、家も同様に古びてガタがくること、そして、家のローンを返済しきったとき、家主の俺はあの世行き、家もひょっとしたら、次世代の要望に答えられず、取り壊しの運命にあるかも知れない。うーん、一体、家を建てるということは、俺にとって、何の意味があるのか。俺がこの世に存在しているときの、単なる欲望の発散場なのか。
 結果的には、建築会社や、カーテン屋、電気店、銀行などに金を払っただけだ。それを功徳と言えば功徳、善行と言えば善行だ。だが、これまでの俺の行為も、こうして巨大化した結果、すべて御和算にしてしまった。また、もう一度、建築会社やカーテン屋、電気店、銀行などに金を払って、この家を修繕・建設しなければならないのか。せめて、保険でも、自然災害として認定してくれないだろうか。
 好きで、俺は巨大化した訳ではない。自然に、そう自然に身長が伸びた結果、家の屋根に穴を開けてしまったのだ。穴を開けてしまったなんて可愛いものではない。家を破壊してしまったのだ。これこそ、自然災害以外のなにものでもない。生命保険や傷害保険だって、巨大化する人間への精神的・肉体的苦痛に対して、なんらかの慰謝料がでるんじゃないだろうか。知り合いの弁護士に相談してもいい。
 そんなことを考えているうちにも、背は伸び続け、家の近くの神社の神木と肩が並ぶほどになった。神社は、俺の家からほんの百メートルほどの距離にあり、神木は、市の重要文化財に認定されている古木のけやきだ。胴回り三メートルほどで、大人二人で手を回せばなんとか抱きかかえられる。小学生なら三人は必要だ。 そんな巨木も、巨大化した俺にとっては、背の高さだけは同じの、お友達になった。友達と言っても、年齢は、向こうが大先輩。こちらは、たかだか四十年余りの若造。ひよっこのピヨピヨ。決して、俺が先輩になることはない。俺の子供の竜介、その子供、そのまた子供、そのまたまた子供、と世代を超えた長いつきあいが必要だ。お近づきのしるしにあいさつに伺う。
 今までは、かえって近すぎることもあって、あまり神社に足を運ぶことはなかった。行くとしても、正月の初詣と秋祭り、それに子どもと一緒に行く蝉取りだ。信心深かったわけでない。だが、身長が巨大化し、自宅を自らが破壊するという不幸の状況に陥ったからには、神仏にすがりたい気持ちが、不幸の大きさ分だけ沸いてくる。さあ、進もう。右足を一歩、左足を一歩踏み出し、失礼して、鳥居を一跨ぎで、もう、こんにちはだ。
 神社を見下ろしながら頭を下げる。しかし、あんまり近すぎるのもよくない。せっかくやってきたという気持ちが沸かないし、相手だって、すいませんねえ、遠い所にようこそなんて言えないじゃないか。こんなに、近けりゃ、共に、赤面して、うつむくしかない。それとも、全く、感情なしで、思ってもいない言葉、おはようございます、今日はいい天気ですね、なんてしらじらしく、相手の目を見ずにしゃべるかだ。その時の視線は、斜め四十五度。少し視線は下向き加減。俺の最も得意とする角度だ。すべてのことをはすにかまえる態度は、俺の人生そのものだ。絶えず傍観者でいる。物事には、近すぎて遠くなること、親しみが憎悪に変わること、親切が仇になることが往々にしてある。俺のこれまでのささやかな人生経験を踏まえて、俺自身がつつましく生きていくための方法なのだ。
 おっ、こんなところにクマゼミだ。巨人になる前の、大人の俺にとっても、手を伸ばしても、網を持っても、届かないところで、おい、くやしいかい、くやしかったら、ここまでおいで、あっかんべーと放言を繰り返しているように鳴いている奴だが、今なら、俺の腹ぐらいのところに止まっている。今までの恨みをはらさん、と手のひらをいっぱいに広げ、幹全体を被った。暴れる、暴れる。
 少し、くすぐったい。だが、所詮、お前は、孫悟空だ。いくら暴れたところで、俺の手の世界から逃げ出すことはできない。いつも、足元からしか攻撃を受けていないから、まさか頭上から、捕獲されるとは思わなかったのだろう。あまいぞ、クマゼミ。どうだ、参ったか。だが、蝉を生け捕りにしたものの、巨大化した俺の指では、こんな小さなものを掴むことはできない。へたに掴もうとしたら、押しつぶしてしまう。いくら恨み骨髄の相手でも、ひねりつぶすのはよくない。まして神社の中で、殺生するのは気が引ける。ただただ、捕獲あるのみ。
 竜介に叫ぶ。網を取ってくれ。今なら、蝉が取り放題、掴み放題だぞ。知らない間に俺の後を着いて来ていた竜介が返事をした。


二―九 僕
 パパは昔、どんな子どもだったのだろう。今と同じようにテレビゲームやカードゲームがあったわけじゃないから、どんな遊びをしていたのだろう。パパが時々しゃべる言葉を聞くと、今の僕と同じように、マンガの週刊誌や月刊誌はよく読んでいたみたいだ。
 その他には、学校から帰ってくると、近所の公園で、いいや、パパが子どもの頃は、まだ今のように公園は整備されていなかったようだ。海岸の埋立地やまだ家の建っていない空き地で、ソフトボールや鬼ごっこなんかをして遊んでいたみたいだ。今の僕たちは、それぞれがDSやPSPなどの小型のテレビゲームを友だちの家に持ち寄り、個々が勝手に遊んでいる。
 時には、友だちがどこまでステージをクリアしているか覗き込んだりもする。一緒にいるようで、一緒にいない。友達の家がゲームセンターになっている。大きな器の中の、小さな世界。別々にいるようでも、友達と同じ空間で、同じ体験をしているという仲間意識は生まれてくる。
 だけど、ゲーム上でこれだけ脳が擬似体験をしてしまうと、体が本当に経験する必要がなくなってしまう。体験のコンビニエンス化。なんでも、手軽に、すぐ手に入る。いいことだ。だから、僕の将来の夢は、ゲームをプログラムする人、プログラマーだ。僕が与えられたように、僕の未来の子ども達に夢を与えるんだ。夢は、夢で恩返しをする。僕の想像の範囲内の夢を。パパにも僕の夢を分けてあげよう。
「うん、わかった、パパ」

ハイリ ハイリホ(17)(18)

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パパと僕の言葉を交わさない会話の物語。一―九 パパ・二―九 僕

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-04

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