そして夜が明ける
○公園 夜
ゆかり 私の住む家から道を下ること五分、踏切を超えた所に大きな木の立つ公園がある。ここでむかし首つり自殺をした人がいて、その幽霊が出るという噂で夜中は誰も近づかない。大変おあつらえ向きだと思い、そこに決めました。信号の音、幾度となく聞き、その度に私を不快にさせたものですが、これが最後と思うと不思議な愛着が沸いてくるのでした。もうすぐ終電の時間なのです。
電車の音、ガタンゴトン。
「そして夜が明ける」
○公園 夜
ゆかり 公園に着いたら、持ってきた台を木の根元に置いて、丁度いい感じの枝に、いい感じに縄を結びつけたら準備完了。あとは足を蹴り出すだけ。それでおしまい、私のクソな人生。運命というものに翻弄され続け、何も為し得ず、残せなかった人生ですが、その最後くらいは私の望むとおりにしたい。何処かの誰かにされるがままで終わりたくない、思い通りになりたくない。鉛みたいな夜空に舌を出して死んでやる「あっかんべー」だ。
葵 こんな時間に、こんな場所に来るには若いんじゃないの?
後ろから声をかけてきた女性が一人。青く長 い髪を後ろでくくりあげて前に下ろしている。ゆかり ナンパですか?
葵 こんな状況で性欲沸くほど拗らせてはないかな?
ゆかり ならなんです? 幸薄い美少女を見殺しにするのは心が痛む、ってやつですか? お気遣いどうも、必要ないです。さっさと何処かに去ってください
葵 えらく敵意剥き出しじゃないの。そうカリカリしないでさ、お話ししようよ。まだまだ夜は長いんだからさ
ゆかり あなた誰です?
葵 私は幽霊。ここらで噂のお化けだよ~ん
ゆかり そうですか
葵 あ、ノーリアクション……
ゆかり もうすぐ私も同類になるんですからね、怖がる道理なぞ無いわけです。あ、注釈入れておきますけど、同類になったからって仲良くする気はさらさら有りませんよ
葵 あらやだこの子、擦り切れちゃってるわ
ゆかり からかいたいだけならもういいですか? 別に急いではないですけど、一刻も早くこの世界からおさらばしたいのです
葵 どうして?
ゆかり あなたには分からないですよ
葵 話すだけならタダじゃん
ゆかり 話すだけ無駄です
葵 いいじゃないの~聞かせてよ~最後に人生を振り返ると思ってさあ
ゆかり もう散々振り返りましたよ。十分すぎるくらい
葵 ワッチューミーン?
ゆかり、懐から紙束を取り出して葵に渡す
葵 これは?
ゆかり 小説です。半分自伝みたいな……これまでの人生を基にして書いたのです
葵 へえ、文豪様でしたか
ゆかり 遺書代わりにするつもりでしたが、これも最後に自分を小説として呼んでくれる人がいれば浮かばれるでしょう
葵 詩的な文句じゃないの、キュンとしちゃう
ゆかり あなたみたいのでも、読んでくれるなら大切な一読者です。読んでくれますか?
葵 もちろん! 読ませていただきます!
ゆかり そうですか。あなた、嫌味な人ですけど、いい人ですね
葵 そりゃどうも
○小説の世界
幼い頃のゆかりが砂場で遊んでいる
葵 なに?
ゆかり 幼い頃の私です。砂遊びをしていますよ、かわいいですね
葵 ソウデスネ
ゆかり ローマ式水路を作っていますよ
葵 どんな子供だよ
ゆかり こんな子供です
葵、幼いゆかりの笑顔を見る。
葵 …幸せそうじゃん
ゆかり そうですね、幸せでした。しかし、この二週間後、彼女の両親はこの世を去ります
仏壇で一人泣いているゆかり
ゆかり 泣いていますよ。ああ、なんて可哀想な美少女でしょうか
葵 先生、さっきから美少女推しが気になって集中できないです
ゆかり この後私は親戚の家に引き取られ、その家で暮らすことになります
葵 あ、無視ですかそうですか
ゆかり もともと口の回る方ではありませんでしたが、学校でも家でも発言に気を遣う毎日に、私は少しずつ話すのが億劫になっていきました。私にとって会話とは、国語の記述問題のように正しい回答をすることです。それは苦痛でしかなく、ついには誰とも話さなくなりました。しかし、自分の気持ちは出所を求めて胸の中で渦巻くのです。だから私は書き始めました。最初はただ思いの羅列を、次にポエムのようなものを、そして小説を。年が明けて中学一年生になったときには友達なんて一人もおらず、窓際の席で外を眺めながら空の青さとか、テロリストの撃退法だとかに思いを馳せる孤独な美少女になっていました。
葵 特殊な環境から、えらくステレオタイプな進化をしたもんだね
ゆかり 小説にも一層熱が入り、中学生の癖に生意気にも人生の意味とか真理とか言い出してみたり
葵 あ、それ私も会ったわ~。デカルトとか読んでみたりドストエフスキー読もうとして挫折したり。
ゆかり 分かります?!
葵 分かる分かる! 読めもしない洋書を机に置いてみたり
ゆかり そうそう! それで私はほかの奴らとは違うって嘯くんですよ!
葵 うわぁ~めっっっっっちゃ痛くてキモいね!
ゆかり わたしやっぱりあなた嫌いです
葵、泣く
ゆかり この反応は予想ついたでしょ!
ゆかり …そうして書き始めた小説でしたが、人間欲が出るものです。私の書いた世界を誰かに見てもらいたい、認知されたい、あわよくば評価されたい。さて、全自動承認欲求拗らせ装置ことウェブ小説サイトに出会ったのはこのときのことです。百人に見てもらえたらなあと最大限謙遜して放った小説の閲覧数は0。寝て起きても、0。0、0、0――0
葵 ASMRですか?
ゆかり 蹴っていいですか?
葵 ごめんなさい
ゆかり 私の小説は存在していないも同然でした。郷には入れば郷に従えです。流行に便乗し、サイトの文体に合わせて書いた小説――17。ただ、自分を信じてやれなかったという負い目だけが残りました。よく聞く自身の作風と見られる作風の取捨選択というのは才能ある人にだけ許されるものなのだと、理解させられました。
葵 分からされちゃったってやつですか?!
ゆかり 黙っててくれませんか?
葵 すいません
ゆかり それでも、どうして書くのをやめられるでしょうか? もはや小説は私の人生を肯定する唯一の手段となっていたのです。毎朝毎晩書き続け、その投稿数を増やしていきました。が、努力は実りませんでした。誰にも見られず、顧みられず、評価されず、これは間違いなく虚無でしかない。それじゃあこの虚無に打ち込む私の人生はなんだ? 私は思うように書けなくなりました。そしてそんな自分に腹を立てて物に当たり、自分に当たり、すべてが厭になってきて、私は――筆を折りました。本当に何もしない毎日でした。生きているという実感がありませんでした。昨日が欲しい、私が確かに存在していたと保証してくれる何かがほしい。小説でも、現実生活でも得られなかったもの、他の人が当たり前に持っているものが、私にはどうしようもないほどに眩しく思えたのです。そんな時、ツイッターに流れてきた自殺のニュース。女子高生で、精神的な問題から自殺を選んだと、遺書が公開され多くの人のコメントが寄せられていました。死んだおかげでその生を認知されるほど皮肉な物はありませんね。しかし、私はこの非常に単純かつ短絡的な解釈に深く魅入られました。だって、私が血を流すほどの努力をしても手に入れられなかった物が、たった一度人差し指に力を入れれば手に入るのです。これが魅力的でなくて何だというのでしょう? でも、それは逃げでしかない。だから私は、最後に挑戦しようと思ったのです。少なくとも一回は見てもらえて、評価してもらえる。私のこの何も為し得なかった苦悩まみれの人生を基に小説を書こう。私のすべてを詰め込んだものを、そしてその人生が無駄だったかどうかは、誰かが決めてくれるでしょう。机の上の埃を払い、椅子に座ってデスクライトの灯りをつけました。
○公園
ゆかり 結果は一次選考落ち。つまり、私の人生に価値などなく、それはこのしょうもない紙切れ百数枚に尽きるということです。だからこんな風に――
ゆかり、原稿用紙を放り上げる
原稿用紙は雪の様に揺揺と宙を舞って落ちる
ゆかり 投げ出すのも、こんなに容易いのです。もういいですか? すごく恥ずかしいです…、穴があったら入りたい気分。おや、あんな所に丁度いい穴があるではありませんか! …なんですか、急に妙な表情浮かべて、そんなに面白くなかったです?
葵 いや、そんなことないよ
ゆかり やっぱり分かってくれましたか! 穴があったら入りたいって、それは首を入れることじゃねえよ! っていう激うまギャグで…
葵 そっちはクソ寒かったよ
ゆかり 蹴っ飛ばしますよ?
葵 どうしてアレにそこまでの自信を持てるの? んんん、ん。違うの、あなたの作品は面白くなくなんてないって言ったの
ゆかり そういうの一番いらないです
葵 正直言ってバカにしてたよ
ゆかり でしょうね
でも、今は本気で話してるよ。こう見えてね
ゆかり いよいよ腹立ちますねあなた。他人の不幸話に寄り添うのはさぞかし気持ちいいでしょうね。最悪の選択肢です。ギャルゲならゲームオーバーです
葵 うん、そうだね。失敗だ。ずっと失敗し続けてきた。だからあなたの小説が心に響くんだよ
ゆかり 意味が分かりません。それっぽいこと言って自分に酔いたいだけなら一人でやってくれませんか?
葵 だって君、お姉ちゃんによく似てる
ゆかり …姉がいたんですか?
葵 まあね、優しくて、君みたいに少し頑固で、大好きなお姉ちゃんだった。
ゆかり だった?
葵 お姉ちゃん、死んじゃったの。丁度そこの枝にぶら下がってね
ゆかり それは大変お気の毒に
葵 私もね、小さい頃に両親を亡くして、親戚の家で暮らしてたんだ。わたし、すごい人見知りでさ、その上この通り、口の素行が悪いもんだから学校でも家でもあまり歓迎されなかった。お姉ちゃんは私とはまるで反対で、口もよく回るし、明るいし、みんなの人気者だった。でも、私の悪口とか聞くと友達相手でも容赦なく怒ってよくトラブルになってた。私よく聞いたの、どうして自分の立場が悪くなるのに私をかばってくれるの?って。そしたらお姉ちゃん、頭にハテナを浮かべてこう言うの「姉ちゃんが妹守るんは当たり前やろ?」って、そんな人だった。ある日、酷く喧嘩しちゃってね、些細なことだったんだけど二人とも熱くなっちゃって、それで私お姉ちゃんに酷いことを言った。お姉ちゃん泣いちゃってさ、しまったって、悪いことを言っちゃったって、分かってたんだけど、その日はなんとなく謝りづらくてさ、明日謝ろうって、その日はそのまま。――明日は来なかった。ずっと後悔してる。どうしてさっさと謝らなかったんだろう、どうしてあんな酷いこと言ったんだろう、私お姉ちゃんになんて言ったと思う?「大嫌い、死んじゃえ!」だよ。最低だよね。今は同じ言葉を過去の自分に向けて叫び続けてるよ
ゆかり なんて言ったらいいんでしょうか? 分からないです
葵 何も言わなくていよ、ただ、思い出したから話してるだけ。せっかくだから最後まで話そうか。あれから私、夜になるといつもここに来て考えるの。どうしたら良かったんだろう、謝っていれば、どうなってただろうって。そうタラレバ考えていたら、知らないうちに噂が立っていた。ここで死んだ少女の幽霊が出るって。笑えるね、実際ここにいるのはその子を死に追いやった方、化けられる方なのに。お姉ちゃんもギリギリの所で生きていたんだ、私を守らないとって使命感で自分を奮わしていたんだ。お姉ちゃんと似てるって言ったのはそういう所。自分の心を支えていた物が崩れて、生きていく力が無くなっちゃったってところ
ゆかり まるでカウンセリングの先生みたいですね
葵 あなたの小説を読んで思ったことだよ。こんなことを考えさせてくれる小説の、どこがつまらないって言うの?
ゆかり ……
葵 それにさ、この小説の主人公の、実力の伴わない万能感とか(ゆかり、胸を押さえる)、その勘違いの通りに事が運ばないことに腹を立てる浅はかさとか(頭に何かが刺さる)、すぐに他人を見下げようとする小物感とか(胸にでかい槍がぶっ刺さる)、まるで私みたい。(顔を上げる)
葵、原稿を拾い集める
葵 だから面白いと思ったの。そんな救いようのない人が主人公だからこそ、私は惨めにならずに自分と向き合えた。ずっとそっぽを向いていたことに向き合わせてくれた。だから、少なくとも私にとってこれは、価値のある物だよ。それに、この話の最後、主人公がまたペンを取るところで終わっている。本当は、まだ書きたいことがあるんじゃないの?
ゆかり だって、悲しいじゃないですか、不幸に苦しんで、自分の無能に煩悶して、それでようやく生きてきたのが、全て無駄だなんて。せめて、話の中でくらいは希望を持たせて終わらせたかった。それが、すぐ後に砕かれる物でも
葵 現実で、その先を描いちゃだめなの?
ゆかり 残念ですけど、もうそんな気力残ってないです
葵 とか言いながら、本当はあれだけ啖呵切った手前、引き下がれ無くなっちゃてるんでしょ?
ゆかり 楽しいですか? 苦しんでいる人を馬鹿にして
葵 だって君、ずっと足が震えてる。怖いんでしょゆかり ……
葵 ねえ、生きていくのにそんな大層な理由が必要? 死ぬのが怖いから生きていちゃだめ? 魚に餌をやるとかじゃダメ? 明日のパンは、生きていく理由にはならない?
ゆかり ならないですね。ならないからこうしてここにいるんです
葵 どうしてそんな頑なに
ゆかり うるさいですね! あなたこそ、どうしてそこまで引き留めるんですか! 今合ったばかりの、他人のあなたが!
葵 だって、今の君の姿がお姉ちゃんと重なるから
ゆかり 姉の代わりに私を救って自分が救われたいってヤツですか! 情けは人のためならずとは言いますが、ここまで来るといっそ清々しいですね!
葵 それに、私とも。どうにもならないことを、どうにかしようとして、越えられない壁に弾かれては自分に毒づいている。
ゆかり ならどうすればいいんです? 私の不幸の、無能の、このどうしようもない感情の責任は誰が取ってくれるんですか? 誰も取ってくれないでょう! それなら自分自身に向けた方が、ずっと楽です。……そうじゃないですか?
葵 そういうところよ、私とよく似ているのは。だから私はこの話が好き。だから君には是非とも次回作を書いてほしい。こんな人はなんていうか? ファンというのです。一人のファンは一人の創作者の生きる意味にはなりませんか?
ゆかり 一時の感傷で無闇に言葉を吐かない方がいいですよ。そんなの、誰も救わないです
葵 本心だよ。だからこんなにも話してるんじゃないの
ゆかり そんなわけ無いです。だって、私の小説は暗いし
葵 それがいいんじゃない
ゆかり 展開もないし
葵 それでも私は楽しめた
ゆかり 救いもないし
葵 それはこれから君が書くことじゃいの? 私、続きが読みたいな
ゆかり、押し黙る
ゆかり ……実は、次回作。構想だけはあるんです葵 へえ
ゆかり あれから、結局だらだら生き続けた主人公がひょんなことから異世界のテロリストと戦うんですけど
葵 めちゃくちゃ路線変更するじゃん
ゆかり 最終的に宇宙まで飛び出てロボットバトルが始まって
葵 もしかしてさっきまでのシリアス全部フリだった?
ゆかり でも、そんなハチャメチャの中で主人公は考えるんです。自分がつまらない物とそっぽを向いていた世界は、案外悪い物じゃなかったんじゃないかって
葵 いい落とし方じゃん
ゆかり そうです。ハッピーエンドです。すごくすごく平凡でありきたりな物。私がずっとずっと欲しくて欲しくて仕方が無かった物です
葵 えぇ~なんかめっちゃ気になるじゃん、書いてよ~
ゆかり 本当に構想だけなんですよ。なんだか、考えてるうちにバカバカしくなってきちゃって…でも、それが私の書きたかったことなのかもしれませんね。あの、もしも…もしも書いてきたら、読んでくれますか?
葵 もちろん。ファンですから
ゆかり ほんとうに?
葵 葵ちゃん。嘘つかない。あ、名前言ってなかったね。私葵、琴葉葵。
ゆかり 結月ゆかりです。嘘、つかないでくださいね
葵 いやかな
ゆかり 素直にありがとうって言わせてくださいよ葵 どういたしまして。二千円になります
ゆかり あ、もう喋らなくていいです
葵 しまった、また失敗した。ああ、待ってよ…
ゆかり、すたすたと歩き去る
途中で立ち止まり、振り返る
ゆかり ……葵さん。ありがとうございます
笑っていたが、頬には涙が付いていた
葵、にこりと笑う
葵 うん。またね
ゆかりは立ち去り、公園には葵一人
葵 あーあ、私、何言ってんだろ。またね、だなんて、自分が何しに来たか忘れたのかな
葵の背中に回した手には縄が
葵 それにしても、同じ時間に、同じ境遇の、同じ悩みを持った二人が、同じ目的で、同じ場所に来るなんて、…なんて、なんて奇妙な話。馬鹿げてるとしかいえない。だけど、もし、この奇妙な出会いが、何処かの誰かが結んでくれた物なのだとしたら(枝に掛かる首つりロープ)、私はそれに応えたい。だからお姉ちゃん。今日はもう帰るよ。だって私、あの子の次回作を読んであげなくちゃいけないし、仕事に行かないといけないし、部屋の片付けをしないといけないし、壊れた本棚を直さないといけないし、賞味期限ギリギリのプリンを食べなきゃいけない……あ~あ、生きていくのって、面倒くさいなあ
葵、家に向かって歩き出す
背中を除く木の根元には、茜の花が咲いていた
時刻は五時。喧しく吠える信号。行く手を阻む警告色のポールの奥へと伸びる道路の涯からは、夏の早い朝日が昇ってきている。もうすぐ夜が明ける。始発の時間だった。
電車の行く音。
そして夜が明ける