連日のフィッシング詐欺メール。教育今昔と自殺者を考える。文豪作品掲載等
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「支払日当日に支払通知が来る事は無い」
「アドレスが意味不明」
「支払い可能な時間を明記するのは本物は無いのでは?詐 欺犯は兎に角入金をして貰いたいので支払に関する事に は熱心になるのは当然」
詐欺罪とは刑法246条にあたり(無銭飲食も詐欺罪。)科料でも罰金でも 禁固でも無く、いきなり「懲役十年以下」。
また、延滞をすると事務手数料のくだりは、催促の意味なのかも知れな い。
外れるが、所謂銀行などでは「金利」という言葉を使い、例えば「早期 完済~ローンなどで契約上の最終期日を待たず、お金の融通が付いた 場合などに、一括で残額を支払う事により、金利の部分が減額される。
では、信販会社のクレディット契約等で、早期完済をしても銀行のよう には戻しが多くないのだが・・。
其れは、金利ではないからで、「手数料」の名称で意味が異なるから。
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万博もオリンピックも且つて行われたし、再び行われるようだが、昭和時代に見た行った感想はどうだろう?
五輪は丁度ブラウン管白黒TVの普及と重なり、当時は何処の家庭でも新聞をとっていたので、チラシが入って全日程が記載されていたので、壁などに貼って気になる種目を見た。
国内では水泳が盛んで山中選手などを神宮プール迄見に行った事もあった。五輪では外国選手には敵わないケースが多く、多分、背泳の田中聡子選手位が入賞したのではないだろうか。
何と言っても、誰もが見逃さなかったのは鬼の大松監督率いる「東洋の魔女」であり、当時はバレーボールだけでなくUSSRが体操でも強く、USAは黒人選手の陸上等では無かったか。
期待通りで決勝戦に臨んだ時の視聴率は決して低くは無かっただろう。見事に「回転レシーブ」を駆使して優勝をした。
体操で「ウルトラC」という言葉が使用されたが、跳馬や鉄棒など・・。自衛隊選手が活躍した重量挙げ三宅選手とマラソンの円谷選手。
マラソンはエチオピアのアベベがダントツの走りで見る者を驚かせた。此の人も軍人でその後事故で亡くなった事も報道された。
ゴールである国立競技場までは二位につけていた・・とはいってもアベベには到底敵わないのだが・・国民は健闘をしている円谷選手に期待をしていたのだが・・競技場内のトラックで背後から近づいて来たUKのヒートリーに群衆は何方を応援するのか迷った事だろう。
あろうことか・・最後の最後に・・ヒートリーに抜かれた円谷選手は倒れるようにゴールインした。
次の四年後までの彼に対する期待が、彼を死なせてしまったのは誠に残念である事。
親に書き残した心境を綴った手紙の文面は素朴で素直であり、退会後再び彼の名を知らしめると言う皮肉な結果になってしまった。
総じて、外国人選手が活躍をした種目が多かった大会と言えそうだ。其のすぐ後に大阪万博が行われた。
会場には「芸術は爆発だ」の言葉で有名な岡本太郎氏の太陽の塔も建てられたが、その上に立て籠もった男の事件も起きた。
夏の暑い時期にわざわざ万博に行った感想としては、二度と行きたくはない、だったが、実際何処のパビリオンも人・・人・・人・・で、今回行えばvirus感染者が増えるだろうが・・マスクは全く役に立たない・・人混みはvirusにとり最も環境が適しているに過ぎない。
はっきり言って、五輪も万博も必要は無い・・。五輪については、どうしてもやるのであれば・・・十年~から二十年に一度の開催で充分だろう。
人類はsportsに於いてでさえ・・自らを失うほど感情の動物であるが・・今の世代はその傾向に一層拍車が掛かっている。
同時に・・国同士の差別までが取り入れられているなどは・・最早スポーツ・競技会ではなく・・単に感情をむき出しにするための自己満足の場に過ぎない。
気が付いた時に出ないと忘れてしまうから・・。
アジサイで思い出したが、鎌倉の紫陽花寺も良いし・・房総の茂原もあるようだが・・ああそうだ、南房総や茂原なら・・車で橋を渡るのでなく・・今は無いのかな?川崎から茂原まで湾岸フェリーで行くのが最高で・・子供だけでなく大人でも船の後ろの波の迫力に圧倒される・・。
実は穴場でも無いが・・京王線本線と多摩モノレールが交差をする駅に「高幡不動」がある・・勿論車で行っても小さな駐車場はあるが・・子供だけでなく高齢者でも高いところを走行するモノレールには大喜びだった・・。
境内のアジサイもさることながら・・不動が祀ってある社殿内に入る事が出来る。勿論人数制限があるので、並んでいれば順番に二十人程度ずつ中に入る事が出来る。
不動明王をすぐまじかで見られるのが、迫力があり面白い・・別に宗教には関係が無く・・気持ちの良いものだよ・・。
京王相模原線の多摩センターから北に上り西武線か何かの方まで伸びているし、多摩センター方面に向かえば「多摩動物園」のすぐ近くで降りられるから・・子供には受けると思う・・。
次。
何か自宅に火を放ったとかの放火事件があったようだが、放火は「現住建造物」と「非現住建造物」で罪が変わって来る・・自己所有かどうかは関係無い。
同じ様に、車の事故につき、例えば対向車と衝突をした等の際、相手を傷つけたという罪だけでなく・・自分の車に同乗していた家族等に怪我をさせても運転手の罪は重くなる。
では、本日のテーマである、教育の変遷と自殺者の増加。
戦後こんな事も言われた。
「・・6・3制よりは戦前の方が良い・・」
戦前は小学校の次は旧制中学に五年間通う事になっていた。USAの干渉で天皇制や憲法だけでなく、そんな事にも影響が及ぼされた。
五年の間に、先輩から後輩迄が自らの教育を体験できた。
師範学校や高等師範と呼ばれたものもあった。
教員養成機関でもあるが、東京高等師範は東京教育大学・今の筑波大の前身。
県立高女などと言われた戦前・・戦後は県立城北高校になったが・・。
今の時代では、教員希望者が若干減っているのかも知れない。
其れが空前のベビーブームの時代であれば、大変な事になっただろう。
まあ、其れはどうでも良いが、尾上雄二達が見た戦後の学校に付き・・。
雄二は国立大学付属小学校・中学校を経て高等学校に進んだ。
何れも入学試験があり、学区の学校はその様なものはない。
第一次ベビーブームの時には出征数が約2百90万人で雄二の時代・・第二次ベビーブームが約2百万人で1973年。
其処からは減少する一方で2019年には86万五千人・・其の後は分からない。
自殺者は適当なものも無いのでわからないが、戦後増加したと仮定をする。
では、結論に至る前に当時の状況から・・。
学区の小学校は一学年15クラス等で各クラスに50数人だが、雄二たちの学校は学年で三クラス各50人。
付属学校は、言ってみれば学区の学校の教育指導に先駆けて、モルモット的な事件学校だったとも言える。
行(おこな)った結果が、全国の一般学校に反映されていった。
例えば、毎月会社や工場その他ありとあらゆる施設などを見学する日が一日以上あった。遊びに行っているようなもの。
夏季には富士山五合目辺りでキャンプが行われ、対象学年は3年生から6年生までで、randomにキャンプの為の班が設けられた。
自然林の中に班ごとにテントや生活に必要な食器その他様々な道具を持って行きテントの周囲に水はけの溝をつくりテントを張った。
全て児童の手により、教員が作ったものは手作りのトイレが一か所とブランコが一つ。
あり合わせで作られていたから、ブランコの縄が切れてすっ飛び後頭部を強打する事もあったし、トイレは汚かった。
火をたく事から始まり、飯盒に米と水を入れ手のくるぶしで計って火にかけたが、簡単に火はつかない。
おかずは当然缶詰のコンビーフにカレー粉でカレー・・缶詰程度でその他の面倒なものは作れない。
水はペットボトルなど無かったし、教員が何処からか引っ張って来た布で巻かれた水道がくねくねと曲がりながらついていた。
狭いテントの中でごろ寝をし寝た。
事前に教室で準備するものなどを考え打ち合わせをしたが教員は一切関わらなかった。
勿論、ナイフなどの凶器になる様なものからスコップ・ランプや懐中電灯など・・寝具は毛布程度で朝方に掛ける事が多かった。ライターなど無くマッチだから湿気たら火が付かなくなるので各人が持って行った。
広大な原始林であるから、縄でエリアをつくっている訳でも無し・・奥に立ち入れば死を意味する事になる。
野生動物や昆虫も侵入する事がある。蚊取り線香も持って行ったかな。気温は五合目なので比較的暑くは無かったが、問題は豪雨で・・テントから出られないどころかテントは指で触ってはいけない・・水漏れの原因になる・・漏れだしたら手に負えないがどうしようもない。
子供だけでテントを張るのも結構大変だったが、高学年になれば毎年行っていたから容量は教えて貰えた。
当然だが、班長は6年生で責任があるので無茶な事や危険な事には注意をしていた。
人類であるから内紛も起きる。だが、班長に逆らうものは無い・・というのも、逆らって何処でどうするのか?という事になる。
喧嘩をしても何も意味は無く、泣き出す者もいなかった。
増してや三年生は初めてで、おっかなびっくり。ケガ人は先ずいなかったと思うし、病人も出なかった・・そんな事言っていられないからだ・・。
或る意味子供の軍隊のようなもので、自衛隊と異なるのは武器を所持していないに過ぎない。
実際に、バス数十台を連ねて富士山に向かう途中で休憩をしたが、自衛隊の演習場で、見張りもいなく只ロープが見えただけだった。
当然ながら・・弾丸の風切り音が聞こえたかと思うと・・すぐ近くに着弾したりしたから・・爆発音が凄かった。
戦車だけでなく、キャノン砲・迫撃砲のようなものや航空機・・当時の最新はF86Fセイバー・プロペラ機やヘリが飛び交っていた。
現在の自衛隊と異なるのは、演習場は二か所あり実弾演習だったが、先頃行われたような8億円も無駄使いをして敵もいないのに演習をする事は無かった。
自由に見物が出来たから、滅多にいなかったが大人同士で車で見に来る人達もいた。
中学になると本栖湖の奥の山林になったが、其処では湖で泳ぐ事や、極めて簡単ないかだをつくり湖に転落する事もあったが、泳げるものしかそういう事はしない。
時間が無くなって来たので簡単に・・。
人類の欠点である感情移入は限られた環境の中にいる時にはあまり無くなり、喧嘩をしたにしても口論ですぐ終わるし、やる事があり過ぎた。
勉強はしたが、塾に行く事は無く、中にはいたのかも知れないが、雄二の両親は教員だったので・・逆に中学・高校になれば家で塾をやっていた母に教える事もあった様だ。
ああ、其処で、いろいろ事を思い出してくれたので代わる。
教員の中にもいろいろなものがいれば、小学生から高校生までの間にはいろいろな生徒もいた。
それらを列挙してみる。
levelの低い教員では。
・子供が小学校の同じクラスの時だったが、普段は勉強が出来無いのに、決まって全国一斉のテストの点だけが良く、親が教員だったので予めヒントをだしていた。
雄二の父に其の話をしたら、「・・ああ、そうだよ、そういう性格の人だよ・・・」と笑っていた。
・雄二をよく褒めてくれたのが低学年当時の担任だったが、父の話では頭は良いのだが、酒を飲んで他の教員と揉める事があった。
・期末に父母面談があった際・・母が担任から成績や行動などを聞いていた際の事・・「・・先生・・其の成績表の名前・・うちの子ではないですよ・・?」。
いい加減な担任で三~四年の時には苦労をしたが・・家に帰る途中で後ろからカブに乗って来たその教員が「・・おう・・乗って行けよ?」で、後ろの荷台に跨ったが・・違反じゃないか?
中学では・・三年時・・当時は同じ学年の生徒の数が60万人・・今は6万人だが・・市内一斉のフル科目の結果は市内で常に十番以内・・は、人類と異なっても当然だろう・・。
そんなレベルの学校だから・・社会の授業がすぐに時代物に代わる・・忍者や武士や姫が教室狭しと飛び回り・・華やかだった。
高校の時。
同じクラスに悪がおり、後ろの席だったが、鞄から物を出しては窓から下に投げる。
取りに行き戻れば再び別の物を落とす・・。そんな事も相手にしなければ・・飽きるからいやになってやめた。
当時最新の魔法瓶を応用したほっかほっか弁当が盗まれた。夜間は夜間で教室が夜間学校に代わるから・・大人もいた。
金銭に苦労をし昼は働き夜間学校に通う連中だ。最初は其の連中に盗まれたのかと思い、担任に話をしたが担任は「・・絶対そんな事はありません・・」の一点張りだったが、確かに其れは正しかった。
月謝も盗まれたが・・犯人は同じ奴で・・担任も知っていたし、クラスメイトも薄々知っていた。
そいつが、大学時代に小耳に挟んだ話だが・・友人と二人で中年の創価学会員の女性と交尾をしたそうで・・仏壇を拝んでは・・という話をしていたが・・相変わらずだな・・としか思わない・・。
高校は甲子園の常連校だったから・・大人になっても始終、甲子園応援の寄付が廻って来ていた。
進学校だったからそいつも馬鹿ではないが、低レベルの大学に進学・・家が印刷会社だったが、寄付が二重に・・。
そいつの名前で・・寄付を呼び掛けていたが・・すぐばれるに決まっている・・・其のうちやめた・・。
いじめなどは・・相手にしなければ時間が経てばおさまる・・其処に今のモンスターペアレンツが関われば子供のlevelは下がるに決まっているし・・場合によっては登校拒否に繋がる・・。
ついでにこんな例を・・。
体育の授業時に・・体育の教師が運動場のトラックを一周するように指示したが・・皆。スタートしてから既に1コーナーで歩き出す。
一周歩き戻って来た時には・・教師は何も言えない・・生徒の意志が勝ったからだ・・。
要は、親が出て来ては子供は駄目になる。全て自分で判断させ行動させる事が肝要。
勉強が出来ようと運動が出来ようとそうで無かろうと・・関係は無い・・努力をする事に意義があるだけという事。
時間が無くなったので・・自殺も何もこんな事が関係している・・。
子供により性格も環境も異なるのは当然だ・・が、今の時代と当時と全く異なる事がある。
「・・常に戦争・・敗戦の状況や気持ちを聞き・・雄二達は体験をし・・育った世代・・。TVも・・学校でも戦争の話ばかり・・放課後も軍隊ごっこでグループが別れたり・・ゲームも軍隊将棋・・」
今の時代は全く逆・・。
政府は自衛隊に軍備を増強させ・・増強の費用増大・・。ところが・・政府も国民も自衛隊員も戦争の事を知らない。
此処で勘違いをしているのは・・平和に慣れ過ぎて社会が経済も政治も司法も皆・・たるみ過ぎている・・。
其れでは・・自殺に関与している最大の犯罪者は・・政府であり・・放送局や新聞社が以前は・・特にNHKはよく報道特集で戦争の報道をしていた。
今は、朝から晩までコマーシャルだけでなく・・二国の争いを馬鹿の様に繰り返し・・細かい状況を知りたくて仕方が無いのだ・・。
他国の事は・・はっきり言ってどうでも良い・・自国がどういう状況でどう敗戦をし・・USAが何をしてくれたのか?
未だに隷属国は此の国にGermany・韓国・・要はUSAの基地で守られている国ばかり・・。
その癖・・軍国主義にまっしぐらに進んで行っている・・。
目を覚まさなければ駄目だ。
都庁では小池が・・折角東京大空襲の体験談を提出して貰ったのに・・も見潰している・・。
政府もUSAに気を使い・・戦争の体験談を・・報道管制をしているようなもの・・ 。更に・・NHKをはじめとする放送局・新聞社は一言も過去の話をしない・・から・・自殺も増えるし・・生きている事がどういう事なのかを知らしめない・・。
今の教師が・・猥褻罪なら其れは良くないが・・あまり教師に負担をかければ教師になろうというものはいなくなるし・・生徒も親の方が教師より正しいと思いだすが・・迷いだす・・。
マイナカードなどやめた方が良いに決まっている・・国民を管理するのではなく・・自分達も知らない世界の事を大いに報道させ・・先人はこんな人たちだったんだ・・と知らしめることにより・・社会は変わっていく・・。
戦争を知らない子供達と言う歌が且つて歌われたが・・正に今の世代・・つまりは60代以下は戦争を知らない子供たちなのだ・・。
此れは・・先が読める雄二達が最も重視をしている事であり・・進んだ文明から見れば・・人類が退化していっているのが歴然として分かる事に繋がる・・。
大谷選手は優秀だ。
NHKは番組表に「大谷出場・・」と毎日明記。
確かに視聴者受けを狙えばそうだろうが・・また、ベイブルースを取りあげるのなら・・だが、此の国の優秀な選手だった巨人の永久欠番・・沢村投手・・いいかい?オーバースローから戦争で肩を痛めてアンダースローに変え・・其れでも急速は落ちたが・・抜群のコントロールを駆使し再びノーヒットノーランを・・・其れでも再び戦争に従軍しアンダースロー・・遂にはUSAの潜水艦シーデビルに撃沈されて海の藻屑と化してしまった・・伝説の名選手・・残念ながら、沢村の家族は巨人にも社会にも決して笑顔を見せなかった・・。
偽善はやめろ・・。
先人の足跡を追ってみる事から・・始めれば・・必ず自殺者も減って来る・・。教師のせいにする前に・・はっきり言おう・・親が間違っている・・政府や社会が・・USAのバイデンなど相手にするな・・!
「独裁者Hitlerは・・共産主義国では育たない・・野放図な自由主義でしか有り得ない・・二国の争いに制裁・支援などやったお陰で・・君の国はどうなったのだ?見せかけの自由主義は・・化けの皮が剥がれるのだ・・認知機能が低下しているから仕方が無いが・・。
本当は・・バイデンこそが世界を傾かせた独裁者である・・」
其れは、そういう環境で育ったものと広大な宇宙の生命にしか分からない近い将来の予言である・・。
戦争はある局面では大事な事であり・・安易に平和に甘んじているだけでは・・・退化が進むだけに過ぎない・・。
アメリカ合衆国の戦争犯罪
第二次世界大戦中の無差別都市爆撃(とりわけドレスデン爆撃・東京大空襲)や日本への原子爆弾投下(広島・長崎)などは戦争犯罪ではないかと主張されることもあるが、戦勝国であるアメリカ合衆国が裁かれることはなく、責任者も処罰されていない。また、無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイ自身が「もし我が国がこの戦争に敗北していたら、私は戦争犯罪人として処罰されていただろう。幸運なことに、我々は勝者になった」と語っている[1]。
他にも、少なからず人種差別的感情に起因すると見られる日本兵に対する猟奇行為(切断や一部の持ち帰りなど遺体のトロフィー化)や虐殺(わざと捕虜にせず攻撃を加えるなど)が太平洋戦争では珍しくなかったという。さらに、ベトナム戦争においては、非戦闘員の虐殺、捕虜虐待などがアメリカ国内でも問題にされたほどであった。その後もイラク戦争などにおいても、非戦闘員を巻き込む戦闘行動や捕虜虐待など戦争犯罪と疑われるべき行為が報告されている。ここでは、正式に裁かれることはないが、被害者や第三者の側から戦争犯罪であると主張される事柄について述べる。
第二次世界大戦以前
『10歳以上は皆殺し』(挿絵上部)。『犯罪者、なぜなら彼らは我々がフィリピンを手に入れる10年前に生まれたから』(挿絵に付された説明)ニューヨークジャーナル(1902年5月5日
アメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)に対する虐殺(ウンデット・ニーの虐殺等)、インディアン戦争
南北戦争で北軍が行った海への進軍などの焦土作戦
ハワイ王国の併合・傀儡政府「ハワイ共和国」樹立・併合。ただし、時の政権は併合を認めず、現地アメリカ人の行為を糾弾している。
米墨戦争:いったんは独立を承認したテキサスの内政に干渉して、先に軍事行動を起こしたのはメキシコであることに注意。
米西戦争
米比戦争(虐殺多数)
第二次世界大戦
阿波丸事件:アメリカと日本が安全を保障していたが、2000人強が乗る貨客船阿波丸を撃沈。ただし、日本は協定を破って戦略物資を積み込んでおり、正当な攻撃目標とする意見もある。
ぶゑのすあいれす丸撃沈:1000人強が乗る病院船を爆撃し撃沈。
日系人の強制収容:アメリカ市民権を持つ持たないに関わりなく日系アメリカ人を強制収容し、中米、南米の日系人もアメリカに移送、強制収容した。
ドイツ人捕虜への不当な扱い(ダッハウの虐殺など)
投降した一般市民への不当な扱い、虐待・殺害・略奪・放火・強姦等。サイパンの戦いにおける民間人への凶行・虐殺が田中徳祐(陸軍大尉・独立混成第47旅団)の著作『我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実』により記述されている。
無抵抗の敵兵員に対する不必要な攻撃行為、撃沈された艦から脱出した敵兵に対して銃撃を加えるなど。
無制限潜水艦作戦による非武装民間船舶に対する不当な攻撃(これは潜水艦を有する参戦国のほとんどで実行された。)
モンテ・カッシーノの戦いに代表される歴史・文化遺産に対する不当な攻撃
ビスマルク海海戦:日本人漂流者に対して機銃掃射及び、救助の放棄。
マニラ大虐殺:少なくとも4万人以上のマニラ市民がマニラの戦い時にアメリカ軍の重火砲により犠牲となった。ただし、占領地の民間人の安全は占領している側の責任となるため(そうでなければ「人間の盾」が許容されてしまう)、アメリカの責任とするには無理がある。またこの時抗日ゲリラを掃討しようとした日本軍による民間人虐殺事件も起きている。
レイプ(戦時性暴力):ノルマンディー上陸作戦時にフランスやドイツで多数のフランス人・ドイツ人女性がアメリカ軍兵士 (多くはアフリカ系の黒人兵士であったという)にレイプされる事件が多発した[2][3]。
無差別戦略爆撃
東京大空襲等に代表される日本諸都市への無差別絨毯爆撃(日本本土空襲[4][5])
ドレスデン爆撃等に代表されるドイツ諸都市への無差別絨毯爆撃
漢口大空襲に代表される同盟国市民もろとも敵軍を焼き払う無差別絨毯爆撃
日本への原子爆弾投下 - 広島市への原子爆弾投下・長崎市への原子爆弾投下[6]
国際法の上で定義される非戦闘員や非軍事施設に対する不必要な攻撃行為(列車や家屋、民間人に対して銃撃を加える、など)[注釈 1]
機銃掃射
機銃掃射による民間人、赤十字車両への攻撃
湯の花トンネル列車銃撃事件
大山口列車空襲
筑紫駅列車空襲事件
那賀川鉄橋空襲
多治見空襲
保戸島空襲
毒ガス使用
バーリ港事件→ドイツ軍が先に使用した場合に備える、と言うことで持ち込まれたガス弾を運んでいた輸送船が撃沈され、溶け出したガスによって生存者と救助隊が被災。積極的に使用したのではないことに注意。
遺体損壊
米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断
第二次世界大戦後
朝鮮戦争
老斤里事件
ベトナム戦争
枯葉作戦(枯葉剤)
ソンミ村虐殺事件
北爆(捏造したトンキン湾事件を根拠とした)
アメリカ軍によるドミニカ共和国占領 (1965年-1966年)
リビア爆撃 (1986年)
パナマ侵攻
イラク戦争[10]
アブグレイブ刑務所における捕虜虐待
アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)[11][12]
シリア空爆 (2019年)[13]
カブール空爆[14]
脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ 軍が守る防守地域・軍に利する建物や、交通網への爆撃は認められている[7]。民間人への規定がされたのは、1977年のジュネーブ条約 第一追加議定書51条[8]。これにはアメリカをはじめ24ヵ国は締約しておらず[9]、枢軸国の無差別爆撃も空戦法規違反で起訴されていない。
出典
^ 鬼塚英昭『原爆の秘密「国内篇」昭和天皇は知っていた』117頁、成甲書房
^ 沈黙という問題 --占領軍兵士によるドイツ女性の強姦 著者:Grossmann Atina 訳:萩野美穂「思想」898:136-159
^ 兵士とセックス 第二次世界大戦下のフランスで米兵は何をしたのか? 著者:メアリー・ルイーズ・ロバーツ 訳:西川美樹 発行所 明石書店 ISBN 978-4-7503-4234-4
^ INC, SANKEI DIGITAL (2015年3月5日). “【戦後70年〜大空襲(1)】なぜ米軍は東京大空襲を機に無差別爆撃に踏み切ったのか?(1/3ページ)”. 産経ニュース. 2023年1月30日閲覧。
^ “東京大空襲とは – 東京大空襲・戦災資料センター”. 2023年1月30日閲覧。
^ “山本太郎議員の国会質問がまた話題 「原爆投下や大空襲は米軍の戦争犯罪では?」”. J-CAST ニュース (2015年8月26日). 2023年1月30日閲覧。
運
芥川龍之介
目のあらい簾すだれが、入口にぶらさげてあるので、往来の容子ようすは仕事場にいても、よく見えた。清水きよみずへ通う往来は、さっきから、人通りが絶えない。金鼓こんくをかけた法師ほうしが通る。壺装束つぼしょうぞくをした女が通る。その後あとからは、めずらしく、黄牛あめうしに曳ひかせた網代車あじろぐるまが通った。それが皆、疎まばらな蒲がまの簾すだれの目を、右からも左からも、来たかと思うと、通りぬけてしまう。その中で変らないのは、午後の日が暖かに春を炙あぶっている、狭い往来の土の色ばかりである。
その人の往来を、仕事場の中から、何と云う事もなく眺めていた、一人の青侍あおざむらいが、この時、ふと思いついたように、主あるじの陶器師すえものつくりへ声をかけた。
「不相変あいかわらず、観音様かんのんさまへ参詣する人が多いようだね。」
「左様でございます。」
陶器師すえものつくりは、仕事に気をとられていたせいか、少し迷惑そうに、こう答えた。が、これは眼の小さい、鼻の上を向いた、どこかひょうきんな所のある老人で、顔つきにも容子ようすにも、悪気らしいものは、微塵みじんもない。着ているのは、麻あさの帷子かたびらであろう。それに萎なえた揉烏帽子もみえぼしをかけたのが、この頃評判の高い鳥羽僧正とばそうじょうの絵巻の中の人物を見るようである。
「私も一つ、日参にっさんでもして見ようか。こう、うだつが上らなくちゃ、やりきれない。」
「御冗談ごじようだんで。」
「なに、これで善い運が授さずかるとなれば、私だって、信心をするよ。日参をしたって、参籠さんろうをしたって、そうとすれば、安いものだからね。つまり、神仏を相手に、一商売をするようなものさ。」
青侍は、年相応な上調子うわちょうしなもの言いをして、下唇を舐なめながら、きょろきょろ、仕事場の中を見廻した。――竹藪たけやぶを後うしろにして建てた、藁葺わらぶきのあばら家やだから、中は鼻がつかえるほど狭い。が、簾の外の往来が、目まぐるしく動くのに引換えて、ここでは、甕かめでも瓶子へいしでも、皆赭あかちゃけた土器かわらけの肌はだをのどかな春風に吹かせながら、百年も昔からそうしていたように、ひっそりかんと静まっている。どうやらこの家の棟むねばかりは、燕つばめさえも巣を食わないらしい。……
翁おきなが返事をしないので、青侍はまた語を継ついだ。
「お爺じいさんなんぞも、この年までには、随分いろんな事を見たり聞いたりしたろうね。どうだい。観音様は、ほんとうに運を授けて下さるものかね。」
「左様でございます。昔は折々、そんな事もあったように聞いて居りますが。」
「どんな事があったね。」
「どんな事と云って、そう一口には申せませんがな。――しかし、貴方あなたがたは、そんな話をお聞きなすっても、格別面白くもございますまい。」
「可哀そうに、これでも少しは信心気しんじんぎのある男なんだぜ。いよいよ運が授かるとなれば、明日あすにも――」
「信心気でございますかな。商売気でございますかな。」
翁おきなは、眦めじりに皺しわをよせて笑った。捏こねていた土が、壺つぼの形になったので、やっと気が楽になったと云う調子である。
「神仏の御考えなどと申すものは、貴方あなたがたくらいのお年では、中々わからないものでございますよ。」
「それはわからなかろうさ。わからないから、お爺さんに聞くんだあね。」
「いやさ、神仏が運をお授けになる、ならないと云う事じゃございません。そのお授けになる運の善し悪しと云う事が。」
「だって、授けて貰えばわかるじゃないか。善い運だとか、悪い運だとか。」
「それが、どうも貴方がたには、ちとおわかりになり兼ねましょうて。」
「私には運の善し悪しより、そう云う理窟の方がわからなそうだね。」
日が傾き出したのであろう。さっきから見ると、往来へ落ちる物の影が、心もち長くなった。その長い影をひきながら、頭かしらに桶おけをのせた物売りの女が二人、簾の目を横に、通りすぎる。一人は手に宿への土産みやげらしい桜の枝を持っていた。
「今、西の市いちで、績麻うみその※(「廛+おおざと」、第3水準1-92-84)みせを出している女なぞもそうでございますが。」
「だから、私はさっきから、お爺さんの話を聞きたがっているじゃないか。」
二人は、暫くの間、黙った。青侍は、爪で頤あごのひげを抜きながら、ぼんやり往来を眺めている。貝殻のように白く光るのは、大方おおかたさっきの桜の花がこぼれたのであろう。
「話さないかね。お爺さん。」
やがて、眠そうな声で、青侍が云った。
「では、御免を蒙って、一つ御話し申しましょうか。また、いつもの昔話でございますが。」
こう前置きをして、陶器師すえものつくりの翁は、徐おもむろに話し出した。日の長い短いも知らない人でなくては、話せないような、悠長な口ぶりで話し出したのである。
「もうかれこれ三四十年前になりましょう。あの女がまだ娘の時分に、この清水きよみずの観音様へ、願がんをかけた事がございました。どうぞ一生安楽に暮せますようにと申しましてな。何しろ、その時分は、あの女もたった一人のおふくろに死別しにわかれた後で、それこそ日々にちにちの暮しにも差支えるような身の上でございましたから、そう云う願がんをかけたのも、満更まんざら無理はございません。
「死んだおふくろと申すのは、もと白朱社はくしゅしゃの巫子みこで、一しきりは大そう流行はやったものでございますが、狐きつねを使うと云う噂うわさを立てられてからは、めっきり人も来なくなってしまったようでございます。これがまた、白あばたの、年に似合わず水々しい、大がらな婆さんでございましてな、何さま、あの容子ようすじゃ、狐どころか男でも……」
「おふくろの話よりは、その娘の話の方を伺いたいね。」
「いや、これは御挨拶で。――そのおふくろが死んだので、後は娘一人の痩やせ腕でございますから、いくらかせいでも、暮くらしの立てられようがございませぬ。そこで、あの容貌きりょうのよい、利発者りはつものの娘が、お籠こもりをするにも、襤褸つづれ故に、あたりへ気がひけると云う始末でございました。」
「へえ。そんなに好いい女だったかい。」
「左様でございます。気だてと云い、顔と云い、手前の欲目では、まずどこへ出しても、恥しくないと思いましたがな。」
「惜しい事に、昔さね。」
青侍は、色のさめた藍の水干すいかんの袖口を、ちょいとひっぱりながら、こんな事を云う。翁は、笑声を鼻から抜いて、またゆっくり話しつづけた。後うしろの竹籔では、頻しきりに鶯うぐいすが啼いている。
「それが、三七日さんしちにちの間、お籠りをして、今日が満願と云う夜よに、ふと夢を見ました。何でも、同じ御堂おどうに詣まいっていた連中の中に、背むしの坊主ぼうずが一人いて、そいつが何か陀羅尼だらにのようなものを、くどくど誦ずしていたそうでございます。大方それが、気になったせいでございましょう。うとうと眠気がさして来ても、その声ばかりは、どうしても耳をはなれませぬ。とんと、縁の下で蚯蚓みみずでも鳴いているような心もちで――すると、その声が、いつの間にやら人間の語ことばになって、『ここから帰る路で、そなたに云いよる男がある。その男の云う事を聞くがよい。』と、こう聞えると申すのでございますな。
「はっと思って、眼がさめると、坊主はやっぱり陀羅尼三昧だらにざんまいでございます。が、何と云っているのだか、いくら耳を澄ましても、わかりませぬ。その時、何気なく、ひょいと向うを見ると、常夜燈じょうやとうのぼんやりした明りで、観音様の御顔が見えました。日頃拝おがみなれた、端厳微妙たんごんみみょうの御顔でございますが、それを見ると、不思議にもまた耳もとで、『その男の云う事を聞くがよい。』と、誰だか云うような気がしたそうでございます。そこで、娘はそれを観音様の御告おつげだと、一図いちずに思いこんでしまいましたげな。」
「はてね。」
「さて、夜がふけてから、御寺を出て、だらだら下りの坂路を、五条へくだろうとしますと、案の定じょう後うしろから、男が一人抱きつきました。丁度、春さきの暖い晩でございましたが、生憎あいにくの暗で、相手の男の顔も見えなければ、着ている物などは、猶なおの事わかりませぬ。ただ、ふり離そうとする拍子に、手が向うの口髭くちひげにさわりました。いやはや、とんだ時が、満願まんがんの夜に当ったものでございます。
「その上、相手は、名を訊きかれても、名を申しませぬ。所を訊かれても、所を申しませぬ。ただ、云う事を聞けと云うばかりで、坂下の路を北へ北へ、抱きすくめたまま、引きずるようにして、つれて行きます。泣こうにも、喚わめこうにも、まるで人通りのない時分なのだから、仕方がございませぬ。」
「ははあ、それから。」
「それから、とうとう八坂寺やさかでらの塔の中へ、つれこまれて、その晩はそこですごしたそうでございます。――いや、その辺へんの事なら、何も年よりの手前などが、わざわざ申し上げるまでもございますまい。」
翁おきなは、また眦めじりに皺しわをよせて、笑った。往来の影は、いよいよ長くなったらしい。吹くともなく渡る風のせいであろう、そこここに散っている桜の花も、いつの間にかこっちへ吹きよせられて、今では、雨落ちの石の間に、点々と白い色をこぼしている。
「冗談云っちゃいけない。」
青侍は、思い出したように、頤あごのひげを抜き抜き、こう云った。
「それで、もうおしまいかい。」
「それだけなら、何もわざわざお話し申すがものはございませぬ。」翁おきなは、やはり壺つぼをいじりながら、「夜があけると、その男が、こうなるのも大方宿世すくせの縁だろうから、とてもの事に夫婦みょうとになってくれと申したそうでございます。」
「成程。」
「夢の御告げでもないならともかく、娘は、観音様のお思召おぼしめし通りになるのだと思ったものでございますから、とうとう首かぶりを竪たてにふりました。さて形かたばかりの盃事さかずきごとをすませると、まず、当座の用にと云って、塔の奥から出して来てくれたのが綾あやを十疋ぴきに絹を十疋でございます。――この真似まねばかりは、いくら貴方あなたにもちとむずかしいかも存じませんな。」
青侍は、にやにや笑うばかりで、返事をしない。鶯も、もう啼かなくなった。
「やがて、男は、日の暮くれに帰ると云って、娘一人を留守居るすいに、慌あわただしくどこかへ出て参りました。その後あとの淋しさは、また一倍でございます。いくら利発者でも、こうなると、さすがに心細くなるのでございましょう。そこで、心晴らしに、何気なにげなく塔の奥へ行って見ると、どうでございましょう。綾や絹は愚おろかな事、珠玉とか砂金さきんとか云う金目かねめの物が、皮匣かわごに幾つともなく、並べてあると云うじゃございませぬか。これにはああ云う気丈な娘でも、思わず肚胸とむねをついたそうでございます。
「物にもよりますが、こんな財物たからを持っているからは、もう疑うたがいはございませぬ。引剥ひはぎでなければ、物盗ものとりでございます。――そう思うと、今まではただ、さびしいだけだったのが、急に、怖いのも手伝って、何だか片時かたときもこうしては、いられないような気になりました。何さま、悪く放免ほうめんの手にでもかかろうものなら、どんな目に遭あうかも知れませぬ。
「そこで、逃げ場をさがす気で、急いで戸口の方へ引返そうと致しますと、誰だか、皮匣かわごの後うしろから、しわがれた声で呼びとめました。何しろ、人はいないとばかり思っていた所でございますから、驚いたの驚かないのじゃございませぬ。見ると、人間とも海鼠なまこともつかないようなものが、砂金の袋を積んだ中に、円まるくなって、坐って居ります。――これが目くされの、皺しわだらけの、腰のまがった、背の低い、六十ばかりの尼法師あまほうしでございました。しかも娘の思惑おもわくを知ってか知らないでか、膝ひざで前へのり出しながら、見かけによらない猫撫声ねこなでごえで、初対面の挨拶あいさつをするのでございます。
「こっちは、それ所の騒さわぎではないのでございますが、何しろ逃げようと云う巧たくみをけどられなどしては大変だと思ったので、しぶしぶ皮匣かわごの上に肘ひじをつきながら心にもない世間話をはじめました。どうも話の容子ようすでは、この婆さんが、今まであの男の炊女みずしか何かつとめていたらしいのでございます。が、男の商売の事になると、妙に一口も話しませぬ。それさえ、娘の方では、気になるのに、その尼あまがまた、少し耳が遠いと来ているものでございますから、一つ話を何度となく、云い直したり聞き直したりするので、こっちはもう泣き出したいほど、気がじれます。――
「そんな事が、かれこれ午ひるまでつづいたでございましょう。すると、やれ清水の桜が咲いたの、やれ五条の橋普請はしぶしんが出来たのと云っている中うちに、幸い、年の加減かげんか、この婆さんが、そろそろ居睡いねむりをはじめました。一つは娘の返答が、はかばかしくなかったせいもあるのでございましょう。そこで、娘は、折を計って、相手の寝息を窺うかがいながら、そっと入口まで這はって行って、戸を細目にあけて見ました。外にも、いい案配に、人のけはいはございませぬ。――
「ここでそのまま、逃げ出してしまえば、何事もなかったのでございますが、ふと今朝けさ貰った綾と絹との事を思い出したので、それを取りに、またそっと皮匣かわごの所まで帰って参りました。すると、どうした拍子か、砂金の袋にけつまずいて、思わず手が婆さんの膝ひざにさわったから、たまりませぬ。尼の奴め驚いて眼をさますと、暫くはただ、あっけにとられて、いたようでございますが、急に気ちがいのようになって、娘の足にかじりつきました。そうして、半分泣き声で、早口に何かしゃべり立てます。切れ切れに、語ことばが耳へはいる所では、万一娘に逃げられたら、自分がどんなひどい目に遇うかも知れないと、こう云っているらしいのでございますな。が、こっちもここにいては命にかかわると云う時でございますから、元よりそんな事に耳をかす訳がございませぬ。そこで、とうとう、女同志のつかみ合がはじまりました。
「打つ。蹴ける。砂金の袋をなげつける。――梁はりに巣を食った鼠ねずみも、落ちそうな騒ぎでございます。それに、こうなると、死物狂いだけに、婆さんの力も、莫迦ばかには出来ませぬ。が、そこは年のちがいでございましょう。間もなく、娘が、綾と絹とを小脇こわきにかかえて、息を切らしながら、塔の戸口をこっそり、忍び出た時には、尼あまはもう、口もきかないようになって居りました。これは、後あとで聞いたのでございますが、死骸しがいは、鼻から血を少し出して、頭から砂金を浴びせられたまま、薄暗い隅の方に、仰向あおむけになって、臥ねていたそうでございます。
「こっちは八坂寺やさかでらを出ると、町家ちょうかの多い所は、さすがに気がさしたと見えて、五条京極きょうごく辺の知人しりびとの家をたずねました。この知人と云うのも、その日暮しの貧乏人なのでございますが、絹の一疋もやったからでございましょう、湯を沸かすやら、粥かゆを煮るやら、いろいろ経営けいえいしてくれたそうでございます。そこで、娘も漸ようやく、ほっと一息つく事が出来ました。」
「私も、やっと安心したよ。」
青侍あおざむらいは、帯にはさんでいた扇おおぎをぬいて、簾すだれの外の夕日を眺めながら、それを器用に、ぱちつかせた。その夕日の中を、今しがた白丁はくちょうが五六人、騒々しく笑い興じながら、通りすぎたが、影はまだ往来に残っている。……
「じゃそれでいよいよけりがついたと云う訳だね。」
「所が」翁おきなは大仰おおぎょうに首を振って、「その知人しりびとの家に居りますと、急に往来の人通りがはげしくなって、あれを見い、あれを見いと、罵ののしり合う声が聞えます。何しろ、後暗うしろぐらい体ですから、娘はまた、胸を痛めました。あの物盗ものとりが仕返ししにでも来たものか、さもなければ、検非違使けびいしの追手おってがかかりでもしたものか、――そう思うともう、おちおち、粥かゆを啜すすっても居られませぬ。」
「成程。」
「そこで、戸の隙間すきまから、そっと外を覗いて見ると、見物の男女なんにょの中を、放免ほうめんが五六人、それに看督長かどのおさが一人ついて、物々しげに通りました。それからその連中にかこまれて、縄にかかった男が一人、所々裂さけた水干を着て烏帽子えぼしもかぶらず、曳かれて参ります。どうも物盗りを捕えて、これからその住家すみかへ、実録じつろくをしに行く所らしいのでございますな。
「しかも、その物盗りと云うのが、昨夜ゆうべ、五条の坂で云いよった、あの男だそうじゃございませぬか。娘はそれを見ると、何故か、涙がこみ上げて来たそうでございます。これは、当人が、手前に話しました――何も、その男に惚ほれていたの、どうしたのと云う訳じゃない。が、その縄目なわめをうけた姿を見たら、急に自分で、自分がいじらしくなって、思わず泣いてしまったと、まあこう云うのでございますがな。まことにその話を聞いた時には、手前もつくづくそう思いましたよ――」
「何とね。」
「観音様へ願がんをかけるのも考え物だとな。」
「だが、お爺じいさん。その女は、それから、どうにかやって行けるようになったのだろう。」
「どうにか所か、今では何不自由ない身の上になって居ります。その綾や絹を売ったのを本もとに致しましてな。観音様も、これだけは、御約束をおちがえになりません。」
「それなら、そのくらいな目に遇っても、結構じゃないか。」
外の日の光は、いつの間にか、黄いろく夕づいた。その中を、風だった竹籔の音が、かすかながらそこここから聞えて来る。往来の人通りも、暫くはとだえたらしい。
「人を殺したって、物盗りの女房になったって、する気でしたんでなければ仕方がないやね。」
青侍は、扇を帯へさしながら、立上った。翁おきなも、もう提ひさげの水で、泥にまみれた手を洗っている――二人とも、どうやら、暮れてゆく春の日と、相手の心もちとに、物足りない何ものかを、感じてでもいるような容子ようすである。
「とにかく、その女は仕合せ者だよ。」
「御冗談で。」
「まったくさ。お爺さんも、そう思うだろう。」
「手前でございますか。手前なら、そう云う運はまっぴらでございますな。」
「へええ、そうかね。私なら、二つ返事で、授さずけて頂くがね。」
「じゃ観音様を、御信心なさいまし。」
「そうそう、明日あすから私も、お籠こもりでもしようよ。」
(大正五年十二月)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年11月11日公開
2004年3月9日修正
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「運命は神の考えることだ。 人間は人間らしく働けば それで結構だ。夏目漱石」
「正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理屈さえつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。芥川竜之介」
「金は食っていけさえすればいい程度にとり、喜びを自分の仕事の中に求めるようにすべきだ。志賀直哉」
「by europe123 」
https://youtu.be/eVMQH16oLQA
連日のフィッシング詐欺メール。教育今昔と自殺者を考える。文豪作品掲載等