草原での出会い

 大学在学中、Kが若く未熟だったころ、彼はモンゴルへと向かう船にいた。神戸から天津へのルートを、二泊三日の船旅である。

汽笛を鳴らして港を離れる船のデッキで、女性が一人で海を眺めていた。

青空の様な海に日差しがきらきらと映り、じとっとした潮風が彼女の髪をなびかせている。陸から離れていく船の上で、彼女の隣に立って挨拶もせずにこう言った。

「これでもう、しばらく日本に戻ることはできないね」

彼女はただ笑顔だった。それからしばらくの間は言葉を交わさなかった。離れていく神戸港を見てぼーっとしている彼女に、Kは言った。

「じゃあ俺、下に降りてみんなとも話してくるね」

 旅の目的は特になかった。この旅はモンゴル乗馬キャラバン。

主に大学生達が集まり、モンゴルの草原を馬で駆け抜ける。Kは見聞欲と冒険心に駆られて参加を決意し、今船内には彼と同じような仲間たちが三〇人程集まっていた。

しばらくして船内レストランで、交流のための自己紹介が始まった。

デッキで会った彼女はS子という名前だと分かった。大学三年生で、参加した理由はKと同じようなものだった。船旅の中、Kは仲間たちと様々な会話をしたが、S子と話すことはなかった。
 

 草原に着いて初めての夜、宴があった。そこででたまたまS子と相席したので、Kは色々なことを話した。

乾いた草原の中の小さな村の、歴史を感じさせるゲル(テント)の中、繰り返される歌と踊りと相まって、二人の会話も次第に盛り上がっていった。

旅行にきた理由や、馬について。草原の風景や現地の文化について。

そこでふと彼女が漏らした。Kの苗字は珍しく、有名な会社で同じ名前のものがある。

「うちの家の近くにもあなたの苗字と同じ〇〇という、会社の御曹司たちが住んでるよ。毎年冬になると電飾で家をライトアップしてて綺麗で、いつもこっそり見に行ってたんだ」と彼女は言った。

Kは驚いてこう言った。

「君、それは俺の家だよ」

よくよく話を聞くと、彼女はKと同じ小学校と中学校の先輩で、彼の二つ上だった。生徒会長を務めた立派な女性で、彼の耳にも覚えがある名前だった。

まさか同じ学校の先輩と遠いモンゴルの地で会うなんて、誰が想像できるだろう?

日本にいるならまだしも、海外という広い世界の中で、ましてやこの草原で再び会うことになろうとは、運命的なものを感じずにはいられないのではないか?

二人は驚きながらもどこかおかしくて、地元のことをたっぷりと話した。 


 それからキャラバンも幾日か経ち、馬の扱いに四苦八苦しながらもだいぶ慣れてきた頃、一行は草原の丘の上の木々が風にそよぐ、長閑な場所で休憩していた。

Kは仲間の場所を離れて周りを散策していると、石が積み上げられた塚を見つけた。そこでぼうっとしていると、S子が来た。

KとS子はそこで思う存分語らった。とても楽しい時間だった。

遊牧民が馬頭琴を鳴らす音が遠くから聞こえ、馬のいななきや風の音、見たこともない虫が飛ぶときに鳴る羽擦れの音を楽しみながら、彼女が奏でる美しい言葉にKはいつしか酔いしれる様な気分になっていた。 

キャラバンが終わり北京の市内に行った時、デパート地下の本屋で彼女と会った。

それからというもの、彼らは決してお互いに会う約束などはしていなかったが、ともかく行く先々で姿を見つけあっていた。

Kがロレックスを五百円に値切っている時や、ホテルの廊下やロビー、そして寂れた遊園地にKが訪れた時も、S子の姿を見たものだ。
 

 船が天津を出て神戸港に着く時、彼女はやはりデッキにいた。Kは同じように彼女の横に立ち、言った。

「やっと日本に帰って来たね」

彼女は笑顔だった。そして彼女はこんなことを言った。

「もし、解散してからもどこかで会えば、それはきっと運命だね」

Kは、確かにお互いの間に運命の存在を感じさせる強い結びつきを発見していた。

彼女との出会いは、Kにとってはいつも不思議で新鮮だったのだ。


 そして一行は解散して散り散りに帰って行った。Kはすぐに家には帰らず、神戸で時間を潰してから家に向かった。

そして最寄り駅で降りずに、一度昔よく通っていた中学校のそばの駅で降り、そこから歩いて帰ろうと思っていた。

その駅についたとき、信じられるだろうか?S子が電車に乗って来たのだ。

理由はわからないが、ともかくKはこれほど運命の出会いを感じる瞬間を今まで一度も味わったことがなかった。

Kは彼女の姿を見つけると、急いでホームに降り、逃げるようにして去った。

というのも、神に誓って言うが、彼女は善良で見かけも醜くはなかったのだが、神が授けた彼女の欠点の項目の一つには、こう書いてあったのだ。

笑うときに口角泡が見える、と。

Kはこれほどまでに神が運命というものを軽く扱ったことに対して、うんざりしていた。

道端の小石を蹴飛ばして、Kは心の中でこう呟いた。

「もしまたどこかで会うような事があれば、その時だって全力で逃げてやる。運命の糸だって知ったことか。俺は信じないぞ!」

草原での出会い

草原での出会い

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-04

CC BY-NC-ND
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