マウンダーリ

 朝、物音に目が覚めて、暈けた意識と綱引きをしていると、マウンダーリが部屋へやって来て、柔らかな掛け布団を僕の上から剥ぎ取りながら、なにやらボソボソと語りかけてくる。
「    」
 僕はマウンダーリ達が使う言葉を理解することが出来ない。ただ彼が僕を起こそうとしていることはわかってる。彼らとはもう十何年の付き合いだから。
 目を擦って、誘われるまま居間へ行くと、簡素な朝食が用意されている。
 僕とマウンダーリは向かい合ってテーブルに座って、朝のニュースを観ながら静かにそれを食べる。
 耳に流れるニュースは、僕にはなんだか難しくて、映る男がなにを話しているのか実はよくわかってない。
 『日曜日』『道路』『公園』『雨』『東京』『猫』『明日』
 簡単な単語を拾ってはみるけれど、うまくそれらを繋げて飲み込めない。
 ただいつも映る男の声が、というよりはその話し方が、なんだか変に気持ち良くて、僕は毎朝そのニュースを観ながら朝食を食べた。
「雨」トーストを食べる手を止めて、拾えた単語をつい言葉にする。
「      」
 マウンダーリは少し笑って、僕にまたなにか呟いた。それからまたよくわからない言葉とジェスチャーを交えて、早く食事をすませるように促しているようだった。


 食事を終えて暫くすると、別のマウンダーリがやって来て「     」と、多分僕に挨拶をしている。
 会釈で返すと彼の表情は少し和らいだから、きっとそれで合ってたんだろうと思う。
 それから彼らは互いになにか言い合って、トーストを焼いた方のマウンダーリは帰っていった。

 彼らは僕が物心ついたときから自然と周りにいて、ぎこちない僕と社会の間をよく取り持ってくれる。
 彼らが何処に住んでいるのかも知らないし、どれだけいるのかも知らない。ただいつも決まった時間に入れ違いで交代をする。
 優しいマウンダーリもいれば、なんだかいつも不機嫌なマウンダーリもいる。けれど、だからといって好き嫌いはできない。やってくるマウンダーリはいつも規則性を持っていなかったから。
 笑顔が素敵なマウンダーリが来たと思えば、一回きりで二度と来ないこともある。
 まあけれど、そんなことも含めて彼らは僕に社会を教えてくれているんだと思う。いつも行くコンビニの店員が、気がついたら全然変わってるみたいなもので。

「       」
 交代したマウンダーリが、僕に向かって話しかける。
 さっぱりなにを言っているのかわからないけれど、言葉を使わなくても少しわかることもある。
 彼ら全体には規則性はないけれど、彼ら個人には性格みたいなものがやっぱりあるから。
 例えば朝いたマウンダーリは、いつもトーストを焼く。パスタしか作らないマウンダーリもいる。僕に話しかけるときに必ず手を肩に置くマウンダーリや、10分ピッタリお昼寝をするマウンダーリもいる。
 この交代した彼は、いつも僕を公園の散歩へ誘うマウンダーリだった。
 ためしに玄関を指差してみれば、彼はやっぱりニッコリ笑って、いそいそと出かける準備を始めた。
 
 僕は家の外へ出ることが嫌いだった。というよりは人が嫌いだった。そこでは社会性みたいなものを必ず要求されるから。
 挨拶だとかそういう簡単なことは勿論そうだけど、何より自分が人にどう見られているかを考えてしまうことが億劫でしょうがなかった。
 僕は相手の言葉を理解するのにとても時間がかかる。心内でいろいろと考えは巡っているけれど、それを外へ発すること、それと外部の情報を咀嚼することが昔から苦手だった。
 マウンダーリはそんな僕と社会を取り持ってくれる。けれど相手は(社会は)マウンダーリではなく僕の目を見て、なんだか不思議そうな顔をする。そんな間が嫌いだった。
 そんな僕に(言葉もわからないのに)気を遣ってか、マウンダーリはいつからか人のいないだだっ広い公園へ僕を誘うようになった。

 ボートを浮かべるような広い池の周りを囲む公園は、時間を選ぶと人の気配がシンと消える。たまにランニングをしている人が黙々と横を通りすぎていくけれど、それもひとりかふたり程度で、背中を見送ると彼らは道の先に消えて二度と現れない。
 マウンダーリと僕も並んではいるけれど、ただ池を横に黙って歩く。別に気まずくて話さないわけでもなくて(話したところでその内容は理解できないが)、彼は彼なりに踏みしめる落ち葉の感覚を楽しんでいるようにみえるし、僕は僕で途中池に浮かぶアヒルや、茂みをコソコソ動く野良猫との会話を、彼を後ろに待たせてそれぞれ楽しむ。

 人と話すのと違って、公園に住む動物と話をするのはとても面白い経験だった。彼らは決して僕を不審がったり、馬鹿にしたりしてこなかったから。
 猫も犬も鳥も、みんなどこか超然としていて、なんだかいろんなことを割り切って生きている。そして彼らは僕に沢山のことを教えてくれる。言葉もそうだけど、砂漠みたいに広い意味での生き方みたいなものを。
 そんな彼らの前では言葉に詰まることもなくて、僕は自然に振る舞えるような気がした。

 今日もまた鳥や猫と話をしてまわりながら、池に浮かぶマガモを眺めていると、パチと目があった。
「いつもふたりで、仲良しだね」マガモが池から僕らに言葉を投げ掛けてくる。
「そうかな? そうみえる?」僕は柵に肘を置いてマガモに訊いてみる。「僕は彼の言っていることが少しもわからないんだ」
「       」
 マウンダーリは後ろから僕に向かって何か言った。相変わらずなにを言っているのかさっぱりわからない。
「ねぇ、今彼がなんて言ったのか君はわかる?」
「雨が降りそうだってよ」マガモが言った。
「ほんとに?」僕は曇った空を見上げながらマガモに訊いた。「君はわかるんだ。彼の言ってること」
「まあ、おおむね」
「おおむね?」
「大体ってこと」
 僕は緑色にテラテラ光るマガモの頭に視線を戻して、ちょっと意地悪気味に言葉を返してみる。
「君の方が彼とうまくやれそうだね」
「そうでもないよ。言葉がわかったって、そんなことどうってことないんだから」
「どうして?」
「だって君、他の人とうまくやれてる? 別に言葉がわかったって仲良くなれるかは別のことだよ」
 マガモがそう言うと、細い雨がポツポツと降ってきて池へ項垂れる僕の首を濡らした。
 するとマウンダーリは「     」と、なにか言って、折り畳み傘を取り出して僕の頭の上へスッとさした。
「ね、仲良くみえる」
 マガモはそう言って、頭の雫を振り払って何処かへ飛んでいった。

 
 濡れた服を洗う洗濯機の振動を感じながら、マガモが言っていたことをグルグルと考えてみる。
 マウンダーリ達の使う言葉と違って、僕は別に人の言っていることを全く理解できない訳じゃなかった。ただ理解するのに時間がかかるだけで。
 けれど確かに、僕は言葉の通じる人が嫌いで避けているくせに、全く言葉の通じないマウンダーリとふたり並んで公園を歩いている。
 ただそれは関わった年数が長いだけで……みたいなことも少し思う。あの舌打ちをするコンビニの店員も、あの問いかけに答えてくれない駅員も、みんな十何年も一緒に過ごしてみれば意外といい人達なのかもしれない。
 それよりもマガモとがそうであるように、僕は動物とならいくらでも話せるけれど、そこに関係ってないんだろうか? なんて思う。恋人だとかそういうのは無理だとしても、友達くらいにはなれるんじゃないか? 彼は僕をどういうふうに思っているんだろうなんて考える。
 けどそこまで考えると、普段自分がどう思われているか考えることが億劫だから人を避けているくせに、それを動物に求めている自分に気がついて、なんだか不思議な感覚になった。
 
「      」
 洗濯機をジッと見つめる僕に、マウンダーリはなにか話しかける。
 意識を思考から感覚に割いてみると、居間からなんだかいい匂いがして、彼が僕に食事を促していることがわかる。

 夜のニュースを横で流しながら、少し早い夕食を取る。
 マウンダーリは僕の好きなものから、食べることができないもの、ただ嫌いなだけなものを全て知っている。
 それをどうやって知ったか僕にはわからない。伝える手段がないから。ただ、きっと僕がこれまで自然と残してきたものとか、アレルギーとして症状が出たものをキッチリ覚えているんだろうと思う。僕が彼らひとりひとりの性格を知ってるみたいに。
 暖かいスープを啜って息を吐いてみれば、マウンダーリは嬉しそうにニコニコ笑う。
 
 夕食を終えて、ひっそりとした夜の時間を過ごしながら、相変わらずマガモのことをぶつぶつと考えてしまう。考えても仕方ないことなのに。
 ただ、さっきの夕食や公園での出来事を思い返してみれば、案外マガモの言っていることが本当にちょっぴりわかったような気にもなる。言うなら他者との関係性みたいなものを。
 マウンダーリは僕のことをよくわかってる。僕も彼らについてよくわかってる(と思う)。
 それは付き合ってきた年月の長さにもよると思うけど、きっとそこにはマガモにも、コンビニの店員にもなかったなにかがあるはずだから。
 例えば雨が降ったら僕に傘をさしてくれるような、そういうことが。

 
 チャイムが鳴って、また交代のマウンダーリがやってくる。
 僕にはわからない言葉を交わしたあとに、新しく来たマウンダーリが「    」と、僕に向かって微笑んだ。
 きっと挨拶だと思うから、僕も軽く会釈をしてみる。
 するとマウンダーリはズカズカ僕の前にやってきて、肩に手を置くと「     」と言った。
 僕は彼がなにを言っているのかも、その置かれた手にどんな意味があるのかも、さっぱりわからなかった。

マウンダーリ

マウンダーリ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-06-07

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