白花片と魔法の町 ためし読み
1
赤煉瓦造りの駅舎に降り立つ。ガラス張りの天井から見える空には、水に垂らしたインクのような雲が広がっていた。
暑かったのは列車の中だけだったらしい。容赦なく照りつける太陽は苦手だが、じりじりとした日差しがないのも物足りない。などと考えつつ、荷物から薄手のジャケットを引っ張り出した。
しかし通行人の服装は夏そのものだ。濃いピンク色やレモン色のシャツは花のようで、どんよりした天気のもとでより一層鮮やかに見える。中には、自身の背中にある大きな翅で風を起こしているものや、けものに似た毛並みを入れ墨のように刈り込んでいるもの、複数ある腕に扇子を持ったものもいた。
「……ところ変われば、ね……というか」
迎えを寄越すと言われていたが、集合場所の指定はなかった。
辺りを見渡しながら歩いていると、柔らかな壁にぶつかった。上を見ればそれは、私の倍以上の身長がある男性の脚だ。謝罪を述べ、慌てて退ける。
うろついていては通行のさまたげになってしまう。どこで待とうかと場所を探していると、
「君、留学生? 待たせたかな」
突然横から話しかけられた。色付きレンズの眼鏡をかけた痩身のひとが爽やかに微笑んでいる。白いシャツに濃紺のタイ、胸元にバッジ、編み上げブーツという出で立ちは、私のものと同じだ。
「俺はヒースだ。君の迎えを頼まれた」
請われるままに握手をする。彼は、ネストの寮で班長を務めているという。
駅がある町の中心からネストまでは別の交通機関を使わなければならない。ヒースの案内のもと、バス乗り場へ移動する。
「時間通りに着いて良かった。この路線はよく遅れるから」
夕暮れにはまだ早い時間だが、外はオレンジ色の灯りで照らされている。石造りの外壁や歩道に、様々なかたちの薄い影が落ちている。
ヒースは私より身長があるぶん、歩くのも早い。遅れまいと歩速を早めようとして、よろけたところを支えられてしまった。
「おっと。気を付けて」
「ありがとうございます……」
「緊張している?」
「少しだけ。……自分のネストを出たのは初めてだし。案内は今日中に?」
「そのつもりだよ、留学生くん」
「モクレン」
「失礼、モクレン。良い名前だよな。では俺はマグノリアと呼ぶことにしよう」
「―え、いや」
それはなんというか、恥ずかしい。
しかしヒースに気にしている様子はまったくなかった。
「皆色々と教えてくれるだろうから、心配をすることはないさ。慣れないこともあるだろうが、そこはおいおい」
「慣れるものかな」
「君が受け入れるのなら」
駅舎の西側出口には、バスプールと休憩所がある。休憩所の噴水の周りでは、ゆったりとくつろいでいるひとも見えた。
水と共に―青や赤、黄色の光が、まるでクラッカーのように勢いよく吹き出しているのも。
足を止めてしまう。
何だ、あれ。
「誰かがいたずらで仕掛けたんだな。なかなか綺麗だね」
この光景は日常的だと言わんばかりの口調で、ヒースは目を細めている。
「あ……あれは、どういう」
「魔法だよ?」
彼の背後で、お辞儀をするように外灯が揺れた。
「ようこそ、魔法と共存する山麓の町へ、マグノリア」
2
ネストと呼ばれる教育施設は各地に存在する。子供を保護し、生活に必要な知識を学ばせる場として、これ以上にうってつけな名前もないだろう。
異常気象を発端とした世界的な争いが収束したのち、子供は貴重な資源とされるようになった。しかし地域によってネストの運営方法は異なる。それが多様性ではなく格差になってはいけない、自由な学びが与えられるべきだ、というのが、留学制度設立のきっかけとなった考え方だそうだ。
「ここは特殊な土地ですから、留学生の受け入れには当初反対だったんです」
シンプルな黒いドレス姿のネスト管理長は、穏やかな口調でそう説明した。
「忙しい人だから」と、ネストへ着くなり案内された管理長室は、歴史を感じさせる壮厳さをたたえており、管理長そのひとの雰囲気とはまるで正反対だ。
「ですがあなたが所属するネストから、是非にとお声掛け頂きまして。そこまで熱心にしてくださるなら、と……素敵な建物でしょう?」
「え? えっええ、はい」
きょろきょろと部屋の内部を見渡していたことを咎めず、管理長は続ける。
「ここの領主さまが暮らしていたお屋敷を改築しているの。使えるものを大切に使わせていただく。それが、古くからの教えです」
「……それは魔力もですか」
よく勉強していますね、と彼女は頷く。
「遥か昔、この山麓一帯には魔法が―魔力が満ちていた。時が経つにつれ周辺地域では力が弱まっていったけれど、ここには今も地下水脈のように魔力が流れ続けている。ご先祖様の時代と比べるべくもない弱々しさで、だけど確実に」
「作物がよく育つとか、災害が少ないとか。そういうことも、魔力の影響ですか?」
来る道すがら、見かけたものを思い出す。豊かな作物が実る畑や活気に満ちた市場は、向こうでは見ることができないものだ。
「その通り。魔力によってわれわれの生活は支えられています。さきの争いでさほど被害を受けなかったのも、この点が関係しているとか」
「それは―」
ずるいですよね、と言いそうになり、とどまる。
瓦礫や崩れたアスファルトに囲まれた自分の街を、みすぼらしいと認めてしまうことになる。
このひとに言って、どうにかなることではないのに。
「―管理長、いらっしゃいますか!」
口を噤んだ私の代わりに声を発したのは、ドアの向こうの誰かだった。管理長が促すのを待たず、二つの人影が勢い良く入ってくる。
一人はネストの職員だ。襟のかたちが特徴的なジャケットは何度か目にしている。
もう一人は職員に片腕をがっちりと掴まれている。上下真っ白な衣服に大量の埃が付いており、茶色の髪もぼさぼさになっていた。不服そうに力の抜けた姿勢で立っていたが、職員に促されて直立する。身長は私と変わらないようだ。しかし長い手足のせいか、上背がある印象を受けた。
「……ミレ、今日はどちらにお出掛け?」
「図書室の、禁書庫の……でも汚したり壊したりはしてないですよ、探し物があって」
ミレと呼ばれた埃まみれは、凛とした声を張り上げる。切れ長の目は、真っすぐに管理長を睨みつけていた。
「それともあそこには疚しいものでもあるっての?」
「……その反論は、不適切、の意味を狭義に取り過ぎていますね。繊細な古書もあると分かっているでしょうに」
ペナルティはいつものように、と管理長は職員に告げ、「そうね」と手をたたく。
「このまま紹介さしあげましょう。モクレン、こちらが、あなたと同室となるミレです」
よろしく、と挨拶したが、別室へと引きずられていく彼は、顎をしゃくって返すのみだった。
「まず、自分が一本の木だと思うんだ。その中心に、丈夫な芯が通ってるイメージ」
「……想像できたよ」
「じゃあ次は、そこに集まったり伸びたりするエネルギーのイメージ」
「えっ? ど、どんな……?」
それ以上でも以下でもないんだけどなぁ、と、魔法の演習でペアになったラダンは首をひねる。
「土地からもらった魔力を吸い上げて伸ばすんだ。木なんだよ、木。木と水の関係だよ」
初めて受ける魔法の講義に、ミレの姿はなかった。ラダンは隣室の寮生で、寮の使い方などをこれまでも教えてくれていた。
今も、懇切丁寧に魔法を使うこつを教えてくれているのだが、初歩的なイメージもままならない状態だ。
「魔力が土地に染み込んでるから、外から来た人にも影響はあるはずなんだよね。力を分けてもらって、これまで出来なかったことができるようになるとか」
「ずいぶん怪しい言い方だね……?」
「っはっはっは! そう聞こえちゃうかあ!」
ラダンはその特徴的な太眉をはねさせて、
「魔力も型によるんだ。おれの大気操作は……圧縮は、氷の粒や木の枝を集めるイメージ。膨張は、火花や新芽が伸びるイメージをするんだ。見た目だけじゃなく、温度や音、匂いもね。自分の想像力を全部使って、その木が本物だと思えるようになったら魔法が使える合図」
「なるほどね……」
実践してみようとするとなかなか難しい。別のことを考えればすぐにイメージは霧散してしまう上に、万遍なく五感を使おうとしても、どれかひとつに偏ってしまう。
唸りながら何度も試していると、ラダンから肩をつつかれた。
「おれの。見る? こんな感じ」
テーブルの上には、宙に浮いているペンがあった。空気の流れを変えて浮かせているらしい。テーブルの上には、ほんのりと暖かい空気が流れていた。指を伸ばすと、毛布にくるまりはじめたときのようなぬくもりを感じる。
「そういう風に使うんだね……。冷暖房が要らないね。あったかくて気持ちいい」
「便利道具にするには不安定なんだ。ずっと使ってると疲れちゃうしね。そっちのネストには魔法が全然ないんだっけ?」
講師が順繰りに席を回りはじめたのを横目に見ながら、ラダンは控えめな声量で問う。
「そう。正直、魔法が存在するとも思っていなかった」
「にしては順応が早いなあ。前からここにいるみたいだよね、モクレンは。外から来た人ってもっとびびっちゃうもんだと思ってた」
「初日はびっくりしたよ。でもそれだけ」
中庭に突如として大木が出現しても、廊下の隅を駆けていく二足歩行の小さなけものがいても。講義で近くの席になったひとが薄衣のような翅を持っていても、それはそれとして、すんなりと受け入れられた。
「しっかりしてるっていうか達観してるっていうか。だから班長もミレと同じ部屋にしたのかも」
「……朝から見ていないんだけど、大丈夫かな」
「ミレ? 大丈夫だよ、日常茶飯事。そのうち講義にも顔出すって」
「寛容すぎるよ」
「ここのネストはみんなおおらかなんだ」
風土の特徴か、ネストの人数の少なさか。穏やかな気質は寮生に共通するように思えた。
ミレはネスト内の有名人だった。遅刻やさぼりの常習犯として上級生にも下級生にも名が知れ渡っている。むしろ、講義に出ているほうが珍しいとラダンは言う。
「……最近は度が過ぎてる感じもするけどねぇ」
前はちゃんと出ていたの? と訊き返す。ラダンは浮いていたペンをつまみ、左右に振った。
講師が部屋全体を回るより先に、講義終了の鐘が鳴った。続々と廊下へ向かう人波に紛れ、寮までラダンと並んで歩く。
「ちゃんと、じゃないにしても今ほどじゃなかった。おれもミレと同じ部屋だったことがあってさ。そんときはよく一緒に遊んでたし、講義でも隣に座ってた」
「……そうなんだ」
講義に出ず、部屋へ帰って来る時間も遅い。そんな現在の彼から、他人とほがらかに過ごしている様子を想像するのは難しかった。
「ま! ミレが出たいって思えるようになったら出てくるよ。きっと」
「おおらかだ……」
「それまでは、講義で分からないとこがあれば聞いてよ。部屋にいないやつにはどうやったって聞けないんだし」
「それもそうだね。ありがとう」
正直なところ、魔力に関する講義は話についていくだけで精一杯だ。
「だけど、試験もハンデありなんだろ、留学生は」
「うん。でも折角だから、基礎知識はきちんと身に付けておきたくて」
魔法の知識を身に付けるのは、自分の身を守るためでもあり、自分以外のものを傷付けないためでもある。
「それに、知らないことが分かるようになる過程も好きなんだ」
大変だけど楽しいよ、と笑うと彼も苦笑した。
部屋へ戻ると、なぜか窓にはカーテンが引かれていた。その他に変わったところはないが―窓際に椅子とテーブルが二揃い、ベッドは左右対称に壁際へ二組設置されている―左側のベッドに腰掛けていた人影が、ドアを開けるなり近付いてきた。ものが散らばっていてとにかく乱雑な床を、でこぼこ道を歩くような足取りで。
「ミレ? きみ、今日はどこに―」
無言で距離を詰め、ミレは「別棟」と小さく呟く。
「付いて来て。見せたいものがある」
脈絡なく言うと、数歩下がって床板を叩き始めた。ぽかんとその様子を眺めていると、不意に床板が大きく跳ね上がる。
こっち、と手招きされて寄れば、そこには薄暗い地下へと続く梯子が伸びていた。
相変わらず無言の彼を追い、梯子を下りる。
「地下室? きみが使っているの?」
ミレは頷き、片手を宙で軽く振る。あたたかな光を放つ球体が足元と頭上に現れ、部屋全体の様子を見ることができた。二人でいるには十分な広さだ。四方の壁は全て本棚になっており、図鑑や古びた小説などが収められている。なにかを書き付けたノートや雑貨が置かれたローテーブルは、刺繍が施されたクッションの山のすぐそばに―
「―痛っ、な、何⁉」
足払いをされた、と気付く頃には、クッションの山の上で天井を見上げていた。ミレは素早い動きで、起き上がろうとするこちらの肩を押さえつける。馬乗りで、長い脚で胴体を固定されてしまっては、なすすべがなかった。
「ペナルティをこなしてるうちに時間かかっちゃった。あんたに頼みがあるんだ、モクレン」
無表情ともとれる真剣な顔つきで、ミレはささやく。近付いた顔の端から流れた髪が頬に当たり、くすぐったかった。
「―人にものを頼む態度じゃないでしょ」
「こうでもしないと聞いてくれないと思って。あんたにしか頼めない」
町に来たばかりの人間に、いったい何を頼む?
疑問を口にするより早く、ミレはことばを続けた。
「お願いだ。消えた友達を探すのを手伝ってほしい」
3
このネストがつくられた当時、魔法は今よりも強力であった。
一部の地域に強い魔法が偏在することのないよう、魔力―あらゆるエネルギーの利用方法を規定したのが、ここをネストに改築した当時の領主だ。
「今でさえ電力などを独立したものとして使っていますが、初めはどれも魔力ありきの仕組みでした。それを魔力と組み合わせ、他地域の技術を取り入れて……平等をもたらした功績は非常に大きいといえるでしょう」
歴史学の講義は座学が中心だ。船を漕いでいるものが多いにも関わらず、講師はどんどん話を進めていく。どこのネストにも、同じような講師はいるものらしい。
「技術協定が結ばれたのは……そう、この年。合わせて貿易協定も改定されています。改定は大きく四回、見直しがされたと先週確認しましたね。エネルギーの使用割合は時代によって異なるので、ここも要チェック。えーっと、それでは―モクレン?」
講師は「よかったら教えてくれる?」と前置きをし、
「あなたのネストがある地域では、どんなエネルギーが使われているのか」
眠たげだった室内の空気が、あっという間に硬質さを帯びる。
部屋じゅうの視線が自分に集まっているのを感じながら立ち上がる。深呼吸をすれば、意外にもしっかりとした声が出た。
「私のところは、地熱と風力による発電が大きな割合を占めています。昔は化石燃料がほとんどだったけれど、仕入れ値がとても高くて減ったと習いました。町の郊外には、風車がたくさん建っています。けれどネストで使っているのは、地熱が半分以上。大昔に作られた施設を再利用しているんです」
「ありがとう、大変詳しく教えてくれましたね。このように、土地の特徴に合わせた工夫がなされている。地域性も抑えておきたいところですね……それから」
講師は何とも言えない表情で、教室を見渡した。
「資源のための諍いは、二度と起こしてはなりません」
ネストがつくられたきっかけ。
異常気象を発端とした大規模な争い。
飽きるほど聞いていても、ことばはずしりと胸に重みを伝えてくる。
「話す言葉や見た目が違っていても、それは相手を斥けたり、虐げたりする理由にはなりません。人間には―生き物には、違いがあるものなのですから」
すっかり目が覚めた皆は、頷いたりメモをとったりしている。
生き物に違いがあるのは、大事なこと。そう、皆が認識していること。テストでは出題されないくらい基本的なことで、皆が知っていること。
けれど―同じ話を聞き、同じように相槌をうち、同じブーツを履いていても。
私は私を、皆からはずれたよそものだと思っている。
私が発言をすれば、好奇心と物珍しさが混じった視線が集中する。つい先日ここへ来たばかりなのだから、当然と言えば当然なのだろうけれど。
境界線を、否応なく感じさせられる。
「―モクレン、移動するってば」
ぼんやりとして、話をすっかり聞き流していたらしい。横から声をかけてくれたのは、つまらなさそうな顔をしたミレだった。がたがたと立ち上がる音が響く中で、慌てて立ち上がる。
「呼ばれてるよ」と、初対面時と同じく不機嫌そうな顔をして、ミレは出入口を指差した。
「ヒースが。約束してないから、時間があったらで良いって」
「わ―分かった。ありがとう」
「僕もいい?」
いい、とは?
疑問符を浮かべて固まった私に、ミレはずいと片手を突き出した。
「行こう。ルームメイトの僕もついてってやる」
白花片と魔法の町 ためし読み
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