大都市の思い出の思い出

奇妙な天気の続く春の始まりの日、合川は目覚めとともにグレンの家を訪ねた。
いつも結露で窓を曇らせているのが特徴であるグレンの家の窓を爪でコツコツと叩いたが、ガチャリと鍵を閉める音が聞こえただけだった。
かぎ、あいてたのか。
合川はそう思いながら家に帰ろうと元来た道を辿った。
グレンは窓に親指を押し付けた。グレンの触れた部分だけ結露が取り払われ、その親指の大きさの穴からは外の様子がはっきりと見える。
やれやれと呆れた様子で歩く合川の後姿をグレンは見つめながら、大都市の思い出について考えていた。
大都市の思い出とは合川が書いた小説であるが、内容は合川自身の30年分の思い出を書き連ねた日記のようなものだった。
その30年分の半分である15年分は合川自身が勝手に想像したものであり、実際に合川が大都市の思い出を出版したとき、合川はまだ15歳の若造であった。

合川の出生からの全てが事細かに書かれている。
両親共働きだった合川は7つ離れた姉に育てられ、幼い頃から少し大人びた趣味をしていた。勉強が嫌いで宿題は全て優しい姉に押し付けた。一夜漬けが得意で、テストの成績だけは良かった。しかし受験ストレスから通常の食事をすることが出来なくなり、来る日も来る日もトイレットペーパーと砂利を食べ続けた。
無事高校に入学し受験から開放された彼女の食生活は改善された。友達も多くでき、勉強こそしなかったものの充実した毎日を過ごした。1年生のときに美術部に入部し、絵画の技術を身につけ、2年生の時には持ち前の感受性によって大きなコンクールで入賞し、周りの人間が大学受験の勉強に追われる頃にはすでに、国内でも一番有名な美術大学への推薦が決まっていた。
大学では友達も恋人も作らずただ一人で絵を描き続け、コンクールで賞をとり、周りから尊敬され続けた。そしてたった1年で大学を中退し、地元のパン工場に就職した。
合川はそれからただただ毎日パンをこね続けた。同僚にいやみを言われようと、上司に叱られようと、両親や姉に心配されようと、ただただ毎日毎日アンパンを作り続けた。

大都市の思い出が出版されてから5年が経つ。ハードカバーで上中下と解説を含む関連書籍を合わせてもまったくはやりもせず、おそらくこの書籍の存在を覚えている人間はおそらく自分くらいなのではないか。
グレンは、合川が自分の家を訪ねてくる度にそう考えた。そして本を開き、最初から読み直す。そして読み終えた頃、また合川がグレンの家を訪ねる。

大都市の思い出の思い出

2009年10月に書かれたもの。人生で初めて書いた短編。「大都市の思い出」と言っているのに大都市での思い出は作中では語られていない。

大都市の思い出の思い出

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-05-31

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