
好きだった 2
ユウナギ
焼き芋の思い出
飲み歩いた時期があった。母が亡くなったのは私が二十歳の時。寂しかったのだろう。社交ダンスを習っていたのでその仲間とよく踊りに行った。
酔って電話ボックスに財布を忘れた。
交番に行くと届けてくれていたけど……
面倒くさい。警察署に行き、届けてくれた人に連絡をし、会って書類を書いてもらい、また警察署に行かなければならない。面倒くさいが、順番にやらねば。
拾ってくれたのは私より5歳くらい年上の男性だった。勤め先は六本木のレストラン? 電話の声はよかった。声は素敵だった。人もよかった。わざわざ電車に乗り私の地元の駅まで来てくれた。拾ったのはその駅の電話ボックスなのだ。彼はその駅に友人がいた。
駅で待ち合わせをし喫茶店に入った。コックさん、なるほど太め。人のよさそうな……話しやすかった。新潟から出てきてコックになった。店は……
「店は有名だよ。芸能人が食べに来る。松坂慶子が来た」
そう、本で調べた。庶民には手の届かない高級レストラン。私は気に入られたようだ。喫茶店代も払ってくれ、落とし物を拾った礼は受け取らず、そのあと、近くの有名な神社に行った。
カッコいい人ではないから上がることもなく、気取ることもなく普通に話せた。ケーキ作りが趣味の私にいろいろ教えてくれた。夕飯もご馳走になり、次は映画の約束をした。
この人と、観た映画は思い出せない。それまで男性と観に行ったのはミア・ファローの『フォローミー』素敵なデヴィッド・ヘミングスの『サスペリア2』これもデヴィッド・ヘミングスの『パワープレイ』あとは『ベルサイユのばら』
それ以降は夫とだ。夫は映画館では酒を飲みトイレに行き眠る。
レストランに食べに来いと言われ、姉夫婦と行った。六本木など滅多に行かない。小学校の友達が通っていた私立の中高を案内された頃は、昼は静かな街だった。
レストランは小さかった。おまかせで出てきたコース料理。ワイン。会計はかなり、かなり安くしてくれた。彼が負担するのだろう。
彼は、ケーキを作って持ってきてくれた。好意がわかった。働き者で優しく人がいい。友情なら続いただろうが、好意が負担になる。そのうち、頻繁にかかってくる電話には何度か居留守を使った。わかったのだろう。最後に会って駅で別れる時、屋台の焼き芋屋で最後のプレゼントを買ってくれた。
誇り高き男はそれきり連絡してこなかった。
かたおもい
ユニークな人だった。仕事の先輩の弟で、映画がなにより好きで週に何本も観に行っていた。当時は名画座で2本立てで300円だった。
短い付き合いは映画の話題から始まった。私の中でいまだに一番の映画『ベニスに死す』
Kは私以上に詳しかった。脚本の学校に通っていた。
Kは初めてその映画を観て、終わったあと感動でブルブル震え、しばらく立てなかったという。表現が面白いのだ。私も何度か観に行き、詳しいつもりだったが……
「最初に出てくる船の名前がエスメラルダ、あとで出てくる女の名前もエスメラルダなんだ……」
私はOL。初めてふたりで観に行った映画は『フォロー・ミー』
ミア・ファローが魅力的。なんということもない、平和な映画だったのか?
覚えているのは上流階級の夫が、妻になった、ヒッピーだった気ままな女にいろいろ教える。マーラーの交響曲は……
覚えているのは、上流階級の男女の集まりの会話。減らない泥棒をどうしたらいいか? 野蛮な時代は手を切り落とした。では、減らない性犯罪はどうすればいい? ミア・ファローが言う。切っちゃえばいいのよね……
隣で観ていて恥ずかしかった。
そのあと、コーヒーを飲みながら映画の話。Kは学生。ご馳走してくれたけどね。
Kの一番の映画は『突然炎のごとく』
そのタイトルは知っていた。『巨人の星』で不良少女のお京さんが飛雄馬に会って口にする。そういえば、左門の境遇を思い、飛雄馬が泣きながら投げるシーンでは、Kも泣けた、そうだ。
のちに、娘が高校でフランス映画部なんてのに入り、フランス映画を観て感想を書く羽目になったときにビデオを観た。想像していた女性とは違った。ジャンヌ・モローが演じるような、開放的で奔放な女が好きだったのか? 何度かKは言った。
「愛する女が死んでくれてホッとした」
『突然炎のごとく』
調べたら、カトリーヌのモデルはアポリネールの恋人のマリー・ローランサンだそうだ。アポリネールの小さな太陽、マリー。マリーと別れてあの有名な『ミラボー橋』が誕生した。
私が『わが青春のとき』を観たい、と言ったら、コマキストなの? と聞いた。好きだったのは山本圭。この映画は誰と観に行ったのか? Kではない。誘ってはくれなかった。
当時は固定電話。Kからかかってくることはなかった。いつも私からかけた。女からかけるなんて……我慢して我慢して……かけた。巨人戦、見てるときはかけないでね、と言われていた。ほとんど毎日だろうに。
本をたくさん読んでいて、話題になったものは読んでみた。トーマス・マンの『魔の山』、ゲーテの『ファウスト』、それを熱く語るのだ。リルケの『秋』を教えてくれたのもKだった。
「ただひとり この落下を 限りなく優しくその両手に支えている者がある」
ひどく感動していた。
1冊だけ私も勧め、熱く語った。本も貸した。江戸川乱歩の『孤島の鬼』、今で言うBL。
歌ではないが、電話してるのは私だけ。あの人からくることはない……
消滅。
結婚して子供ができて、先輩の家で再会した。数人が集まった。少しドキドキした。夫がKと飲んでいた。
「Cちゃん、いい人見つけたね」
……そうですか? Kは私の息子にせがまれ絵を描いた。しつこくせがまれいくつも描いた。うまい……なんてものではない。先輩の家にはKの描いた大きな油絵がかけてある。
Kは絵を描いていた。定職に付かず近所の葬儀屋で仕事があるときだけ働いていた。運もよかった。小さな家がO駅のすぐ近くにあって、地下鉄が通るのでとてつもなく高く売れたのだ。現金は多くはないが、跡地に建てるマンションを兄弟で2戸もらった。その1戸にひとりで住み、絵を描き、葬儀屋でバイトをして、1度も結婚しなかった。映画の女優と比べられたら無理だろう。
今、いくつ?
先輩の弟だから情報は入ってくる。絵の展覧会で入選した。売れているのだろうか?
好きだった 2