USA史上本土攻撃された一日と再び起きる災いとは?似非平和・原爆の悲劇を・・がうたい文句に使用された
相変わらず時間が無いので要点と記事貼り付け。)
先ずは東京新聞記事から一記事と関連する要点を。
岸田君の故郷だから広島でやったというお祭り騒ぎで、一体どれだけの警察官~公務員なので税金を無駄使いした事になる。
先日の記事で取り上げた様に、5チャンネルTVで岸田君が苦労をした故郷広島で原爆の悲劇をとキャスターがウルトラ7を盛り上げようと必死だったが、記事中申し上げた事は、「岸田君の故郷である事とウルトラ7との間にどんな因果関係があるのか・・だった」
まさにその通りになった。
「先ずは核廃絶に興味が無い事が如実に描かれている理由だが、何回か申し上げているのだが、世界裁判所で55カ国が賛成し核廃絶の反応があった。其の時此の国は安部?~岸田タッグで猛反対をし一切触れなかった。理由はUSAの核保有に配慮をした結果、賛同できなかったというお粗末さが露呈した。ところが・・二国の争いが起きた途端にUSAとタッグを組み・・手のひらを返した様に・・【核廃絶・・】って、此れあまりにもお芝居過ぎて笑いも止まらない。更に、今回起きる事が分かっていたバイデンの態度にも見られる。『・・絶対に原爆投下に詫びるつもりは無い。此れは一国の代表者が・・其れも大人でいい年の者が決して言うべきでは無く・・そう思っていても黙っていれば良かっただけで・・化けの皮が剥げてしまった事になる。』わざわざ広島で行う必要が全く無かったことになり・・寧ろ東京で行っていれば経費の削減に繋がったのではと思われる・・警察官の給与だって税金から支払われているのだから・・ケチって一番費用が掛からない場所で行うべきだったとは・・人類でもintelligentsiaなら理解が出来ると思う。」
そもそも核保有国が参加し・・其れも保有数が二番目というUSAがリーダーシップをとり調子に乗って音頭をとったのは此の国の岸田等である。
あまりも国民を馬鹿にした過去の経緯と今回のお祭り騒ぎだと思わないだろうか?
USAが真っ先に全ての核廃棄を行うとの宣言があったのであればまだしも・・後ろ足で原爆被害者に砂をかける様な犬以下のバイデンの発言が実はIndiaやブラジル代表者はその旨をはっきり述べている。
そうすると・・此の国のTV局は一斉に・・「その発言の裏には・・農業国で・・資源が・・」と言い出すが、裏では無く表から本音を言っているに過ぎないという事実が存在する。
少なくとも此の国の岸田よりはマシで嘘をついていない。ああ、岸田事件の真相は明日以降載せるが・・兎に角時間が無い・・。え?反応?駄目出しをして来られずにはいられない人類・・頭脳が全て読まれているのだから・・仕方がないだろう・・。(笑)
では、ニュース記事より貼り付ける。
G7史上初なのに完全非公開 原爆資料館での首脳たちを見せない「中途半端さ」の裏側。
先進7カ国(G7)首脳が19日、史上初めてそろって被爆地・広島を訪問し、原爆資料館を視察した。ただ、視察の様子は完全非公開で、日本政府はメディアの館内取材を認めず、首脳らが見た展示品の詳細を明らかにしない姿勢に徹した。核兵器保有国の米英仏に対する配慮が際立った。 (川田篤志、曽田晋太郎)
◆オバマ氏は10分間だった
「G7首脳に被爆の実相を見てもらう」。岸田文雄首相は昨年に広島でのサミット開催を決定して以降、何度も繰り返してきた。
脳裏には7年前の経験がある。当時のオバマ米大統領が現職大統領として広島を初訪問した際、外相として案内役を務めたのが首相。原爆を投下した側の大統領が被爆地で演説し「核兵器なき世界」の追求を訴え、被爆者と抱擁した歴史的な出来事だった。だが、原爆資料館の滞在は入り口のある東館の玄関ロビーでの10分間にとどまり、館側が用意した折り鶴など数点の収蔵品を見ただけだった。
広島サミットでは、視察のテーマにずばり「被爆の実相」を掲げ、犠牲者の写真や遺品などが並び、それを最も感じられる本館での展示品を見てもらうことが必要だと考えていた。
◆「センシティブな問題」慎重だった米仏
だが、各国との調整は難航。外務省関係者によると、米国とフランスが特に慎重だったという。
フランスは1月、核兵器を「防衛の要」と位置付けた中期国防計画の骨格を発表。マクロン大統領は「抑止力がこれほど必要と思われたことは、かつてない」と核抑止への傾倒を強めている。広島で核兵器がもたらす「負」の側面に焦点が当たりすぎると、抑止力を強める立場と矛盾するとの論理が働いていると日本政府関係者はみる。
米国の場合、「戦争終結のために原爆投下は必要だった」との国内世論が根強いことが影響しているという。バイデン大統領が資料館をじっくり視察すれば、国内で反省していると受け取られて批判を浴びる可能性があり、日本の外務省幹部は「米側は見学の様子は見せたくない。センシティブな問題だ」と漏らす。
ぎりぎりの調整で、日本政府としてG7首脳が館内をどう回り、本館に足を運んだのかも明らかにしない対応に行き着いた。滞在はオバマ氏より長い40分間だったが、首相は19日夜も記者団に詳しい内容を説明せず「準備の過程で非公開にすることになった」と話した。館内でのG7首脳と被爆者の面会も非公開で、被爆の実相に触れてもらったとしても発信は抑制的になった。
上智大学の前嶋和弘教授(米国政治外交)は取材に「G7首脳が訪問したのはすごいことだと思うが、本館に行ったかどうかを含めて公開していいはず。核なき世界を訴える機会としては残念だった」と指摘。「核廃絶がG7の優先順位のトップに行かない難しさが、今回の中途半端さにつながった」と分析している。
◆世界中で高まる核の脅威
岸田文雄首相はG7広島サミットをきっかけに、「核兵器のない世界」への機運醸成を狙うが、核軍縮や核廃絶の動きは減速どころか逆行しているのが現実だ。
被爆者団体「怒りに震える」「広島開催の意図はどこに」 G7の核軍縮文書を批判
核の惨禍を踏まえた成果が注目された先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)に関し、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のメンバーは、G7が核軍縮に関する共同文書「広島ビジョン」で核保有を正当化し、核抑止論を強調したなどとして「期待を裏切られた。怒りに震える」と失望感をあらわにした。一方、英国のスナク首相は帰国前の記者会見で原爆資料館の視察について「深く心を揺さぶられた」と語った。
スナク英首相が視察で見たと明かした三輪車。爆心地から1.5キロの自宅前で、当時3歳の鉄谷伸一ちゃん(写真右)が遊んでいたときに被爆し、死亡した(父の鉄谷信男さん寄贈)=広島市中区の原爆資料館で
スナク英首相が視察で見たと明かした三輪車。爆心地から1.5キロの自宅前で、当時3歳の鉄谷伸一ちゃん(写真右)が遊んでいたときに被爆し、死亡した(父の鉄谷信男さん寄贈)=広島市中区の原爆資料館で
被団協はサミット閉幕後の21日午後にオンラインで会見を開いた。13歳の時、長崎で被爆した田中熙巳てるみ代表委員(91)は「(G7自身が核軍縮を)どう努力していくかくらいは出してほしかった。残念でならない」と吐露。木戸季市すえいち事務局長(83)も「核抑止論や核の傘の下で戦争をあおるような会議となって怒りを覚える。核兵器廃絶への希望を完全に打ち砕かれた」と厳しく批判した。
「広島で開催された意図はどこにあったのか」と疑問を呈したのは浜住はますみ治郎事務局次長(77)。共同文書は核兵器禁止条約に触れず、防衛目的での保有を容認する内容で「核抑止や核の傘を強調し、被爆者の一人として憤っている」と話した。和田征子まさこ事務局次長(79)も「核なき世界を目指すという文言はあるが、具体的なプロセスが一つもない」と失望した様子だった。
G7首脳の原爆資料館視察も内容が詳しく公表されず、田中さんは「大したことができなかったのでは」と首をかしげた。一方、スナク首相は会見で、3歳で犠牲となった鉄谷伸一ちゃんの焼けた三輪車や血だらけでボロボロになった学生服を見たと明かして「ここで起きたことを忘れてはならない」と振り返った。
記事は以上までとするが、今の世代では・・世界中を含め・・どうしてUSAに配慮をしたのかが理解できないと思う。
此れも、以前載せた事で何回も同じ事を申し上げているのに理解が出来ない人類のlevelと言える。
あの記事でこんな質問をしている。
「どうして東京に原爆を落とさず・・京都にも落とさず・・二県に落としたのか?で、答えは申し上げていない・・少しくらいは理解できると人類に遠慮をしたのだが・・」
ずばり申し上げる。
アインシュタインもIsraelの専門学者も同じ事を言い、アインシュタインは後に反省をしている。
人類では頭の良い部類のEinsteinが反省をし、頭の悪い・・自分の子供が薬中毒になっても何ともできないバイデンなのだから・・こんなのが時期大統領選に出ている事態が・・呆れてものが言えない・・。そういう国なのは後程・・。
「誰もが知っていると思っていたのだが・・あの当時此の国は既に敗戦をしたのも同然で死に体だった。其処に原爆を落とした理由は・・人体実験目的で行ったからだ。其れが何より証拠には・・其の後もUSAは原子爆弾投下実験や、放射能が人体に与える影響を知りたいが為に・・何度も人体実験を行ってき・・これは且つての世代のNHK特集にも収録されているが・・放送法など訳の分からないものに拘り受信料を聴取している程度で、NHKは本来視聴率など関係無く真実を報道すべきであり、視聴率が問題になるのは民放局で、そうで無いとスポンサーが逃げてしまうからという事。それ以前にも東京大空襲をはじめ、散々無差別大量殺戮を行ってき・・とどめが原爆だった。二国の争いなど問題にならないレベルで・・一例だけ・・東京大空襲に限っても、二時間で十万人が消滅し・・焼け野原になった大地には空になり蓋が開い金庫がゴロゴロ転がっていた。原爆でも7万~9万という壮絶さが此の国の全国至る所で行われた。500キロ爆弾だけでなく焼夷弾も雨霰と落とされた。人道?そんなものは存在しない・・甘すぎるよ人類は・・我々は人類の最後を観察する為に訪れたが、人類自らの悲劇になる」
時間が無いので次の貼り付けに移るが・・過去何回も同じ事をやって来たので・・まあ、見ている者はいないだろうからいいだろう。
USA本土が被害に遭ったこの事件は今の世代でも30代以降なら良く知っているだろう。
アメリカ同時多発テロ事件。
長くなるので途中までにするが全て、(Wikipedia)を丸写しした。
アメリカ同時多発テロ事件(アメリカどうじたはつテロじけん、英: September 11 attacks)は、2001年9月11日(火)の朝にイスラム過激派テロ組織アルカイダによって行われたアメリカ合衆国に対する4つの協調的なテロ攻撃[4][5][6]。9.11事件(きゅういちいちじけん)と呼称される場合もある[7]。
一連の攻撃で、日本人24人を含む2,977人が死亡[8]、25,000人以上が負傷し、少なくとも100億ドルのインフラ被害・物的損害に加えて、長期にわたる健康被害が発生した[9][10]。アメリカの歴史上、最も多くの消防士および法執行官が死亡した事件であり、殉職者はそれぞれ343人と72人だった[11]。また、この事件を契機としてアフガニスタン紛争 (2001年-2021年)が勃発し、世界中でテロ対策が強化された。
概要
2001年9月11日火曜日の朝、アメリカ合衆国北東部の空港からカリフォルニアに向けて出発した旅客機4機が、アルカイダのテロリスト合計19人にハイジャックされた。
ワールドトレードセンターへのテロ攻撃
そのうちアメリカン航空11便とユナイテッド航空175便の2機はロウアー・マンハッタンのワールドトレードセンターへと向かい、午前8時46分(日本時間で午後9時46分)にアメリカン航空11便がノース・タワー(北棟)に、午前9時3分(日本時間で午後10時3分)にユナイテッド航空175便がサウス・タワー(南棟)にそれぞれ突入した。
南棟は突入から56分後、北棟は1時間42分後に崩壊し、破片とそれに伴う火災は、47階建ての7 ワールドトレードセンタータワーを含むワールドトレードセンターの他のすべての建物の一部または完全な崩壊を引き起こしただけでなく、周囲にある他の10の大規模構造物に大きな損害を与えた。
ペンタゴンへのテロ攻撃
3機目のアメリカン航空77便はバージニア州アーリントン郡のペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)に墜落し、建物の西側が部分的に崩壊した。
テロ攻撃の失敗
4機目のユナイテッド航空93便はワシントンD.C.に向かって飛行していたが、乗員乗客がハイジャック犯の拘束を試みた結果、ペンシルバニア州ストーニークリーク郡区の野原に墜落した。
ワールドトレードセンターとその周辺のインフラの破壊は、ニューヨーク市の経済に深刻な打撃を与え、世界市場に大きな影響を与えた。アメリカとカナダの民間空域は9月13日まで閉鎖され、ウォール街は9月17日まで閉鎖された。さらなる攻撃への警戒や恐れから、多くの閉鎖、避難、キャンセルが続いた。
捜査の結果アルカイダと指導者であるウサーマ・ビン・ラーディンに嫌疑がかけられ、アメリカは2001年10月に対テロ戦争を開始してアフガニスタンに侵攻し、アフガニスタンからのアルカイダの追放と、指導者であるビン・ラーディンの引き渡しという自らの要求に従わなかったタリバンを退陣させた。ビン・ラディンは当初、関与を否定していたが、2004年にはテロ攻撃の責任が自らにあることを認めた[12]。
アルカイダとビンラディンは、アメリカのイスラエル支援、サウジアラビアにおけるアメリカ軍の存在、イラクに対する制裁を動機として挙げた。ビンラディンは10年近く捕縛を逃れ、パキスタンの国境付近に居を構えていたが、2011年にアメリカ軍の急襲により殺害された。
ワールドトレードセンター跡地の清掃は2002年5月に完了し、ペンタゴンは1年以内に修復された。1 ワールドトレードセンターの建設は2006年11月に始まり、2014年11月にオープンした[13][14]。ニューヨーク市の911メモリアル&ミュージアム、バージニア州アーリントン郡のペンタゴンメモリアル、ペンシルバニア州の墜落現場にある93便ナショナルメモリアルなど、多数の慰霊碑が建設されている。
ハイジャックされた旅客機
ハイジャックされた各旅客機の飛行ルート
2001年9月11日朝(現地時間)、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系の集団によってほぼ同時にハイジャックされた。彼らは操縦室に侵入し、操縦士を殺害した後、自ら操縦して、2機(アメリカン航空11便、ユナイテッド航空175便)をニューヨーク・マンハッタンへ、残り2機(アメリカン航空77便、ユナイテッド航空93便)をワシントンD.C.へ向かわせた[15][16]。
なお、乗っ取られた4機のうち2機が米ボーイング社製のボーイング767型機で、残りの2機がボーイング757型機である。この2種類の機体は、運行する航空会社の操縦士に互換性を持たせるために、操縦室の操縦システムは基本的に同じ物が使われており、いずれも2人のみで操縦できるため、意図してこれらの機体が運行されている便が選択されハイジャックされたと考えられている。
また、実行犯のリーダー、モハメド・アタをはじめとする一部のハイジャック犯たちは、アメリカ合衆国内にある民間の航空学校(ホフマン飛行機学校[17])で小型機の自家用操縦免許を取得した後に、これらの機体の操縦方法を事前にフライトシミュレータで訓練していたことが明らかになっている[18]。
これら4機がいずれも北米大陸横断ルートという、アメリカ合衆国国内線の中では長距離飛行に入るルートを飛行する便であったのは、長距離便のために燃料積載量が多く、衝突後の延焼規模を多くすることを狙ったと推測する者[要出典]もいる。なお、ハイジャックされて激突・墜落させられた旅客機の乗客・乗員は全員死亡している[19]。
アメリカン航空11便
詳細は「アメリカン航空11便テロ事件」を参照
アメリカン航空のボーイング767-200ER(N334AA) アメリカン航空11便の飛行経路
アメリカン航空のボーイング767-200ER(N334AA)
アメリカン航空11便の飛行経路
ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便(AA011; ボーイング767-200ER型機・機体記号N334AA)は、乗客81名(日本人1名を含む)・乗員11名を乗せ、午前8時00分頃にローガン国際空港を離陸し、ロサンゼルス国際空港に向かった[20][21]。その後、11便は午前8時14分頃に始められたハイジャックにより、コックピットを乗っ取られた[22]。11便は午前8時27分に進路を南向きに変え、午前8時46分にニューヨーク・ロウアー・マンハッタンのワールドトレードセンター・ツインタワー北棟(110階建)に突入し爆発炎上した[22][23]。角度、速度ともに浅い離着陸時の事故と違い、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。
11便がWTC北棟に衝突する瞬間は、ニューヨーク市消防局Ladder Companyの取材をしていたフランスの映像作家、ノーデ兄弟(英語版)によって撮影されていた[24]。また、ホームビデオや定点カメラに写り込んだ映像も存在する[25]。
ユナイテッド航空175便
詳細は「ユナイテッド航空175便テロ事件」を参照
ユナイテッド航空のボーイング767-200(N612UA) ユナイテッド航空175便の飛行経路
ユナイテッド航空のボーイング767-200(N612UA)
ユナイテッド航空175便の飛行経路
ボストン発ロサンゼルス行きユナイテッド航空175便(UA175; ボーイング767-200ER型機・機体記号N612UA)は、乗客56名・乗員9名を乗せ、午前8時14分にローガン国際空港を離陸し(アメリカン航空11便でのハイジャック発生とほぼ同時)、ロサンゼルス国際空港に向かった[26][27]。午前8時42分頃、UA175便のパイロットは離陸直後に耳にした不審な内容の無線(ハイジャックされたアメリカン航空11便からの無線だった)について管制官に報告したが、それから午前8時46分までの間にUA175便もハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた[22]。その後、UA175便は午前8時58分にニューヨークへ進路を変え、午前9時03分にWTC・ツインタワー南棟(110階建)に突入し爆発炎上した[22][23]。南棟では北棟の爆発を受けて多くの人が避難を開始していたため、人的被害は北棟よりも少ないが、先に突入を受けた北棟より早く南棟が崩壊している[28]。
11便とは異なり、175便の突入時には、既に多くの人に事態が認識されていたことから、突入の瞬間の映像や写真が多数記録されている[29]。なお、105階に居たエーオン副社長のケビン・コスグローブ(南棟の崩壊時に死亡)が、南棟が崩壊する瞬間まで911番へ電話で状況を伝えていた音声が録音されており[30]、この録音はザカリアス・ムサウイの裁判において証拠として用いられた[31]。
アメリカン航空77便
詳細は「アメリカン航空77便テロ事件」を参照
アメリカン航空のボーイング757-200 アメリカン航空77便の飛行経路
アメリカン航空のボーイング757-200
アメリカン航空77便の飛行経路
ワシントンD.C.(ダレス国際空港)発、ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きアメリカン航空77便(AA077; ボーイング757-200:機体記号N644AA)は、乗客58名・乗員6名を乗せて、午前8時20分に出発した。午前8時50分頃までにハイジャックされコックピットを乗っ取られた。直後に進路を北向きに変えた後、南へ転回、その後東へ進路を変えた。最初の進路離脱から3分間は管制塔と機長が交信していたが、その後通信不能となった。
そして午前9時38分、バージニア州アーリントンにあるアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突し、爆発炎上した。激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録されており、また付近を通行中の多くのドライバーや歩行者によって降下し激突する瞬間が目撃された。
防犯カメラなどの映像によると、機体は水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突していたが、高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。
ユナイテッド航空93便
詳細は「ユナイテッド航空93便テロ事件」を参照
ユナイテッド航空のボーイング757-200(N591UA) ユナイテッド航空93便の飛行経路
ユナイテッド航空のボーイング757-200(N591UA)
ユナイテッド航空93便の飛行経路
ユナイテッド航空93便の墜落跡地にできた穴
ニューアーク(ニューアーク空港)発サンフランシスコ(サンフランシスコ国際空港)行きユナイテッド航空93便(UA093; ボーイング757-200、機体記号N591UA)は、午前8時42分、乗客37名(日本人1名を含む)(乗客37名中4人はテロリスト)・乗員7名を乗せて、滑走路の混雑で30分遅延で出発した。
乗客の機内電話からの通報によると、午前9時27分にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。オハイオ州クリーブランド付近で進路を南に変え、さらに南東へ向かった。ワシントンD.C.へ向かうことを管制官に通告、標的はアメリカ合衆国議会議事堂かホワイトハウスであったと推測されている。
午前9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪還に乗り出す。午前10時03分、93便は490ノット (563マイル毎時 (906 km/h)) の速度でペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィル(ワシントンD.C. 北西240キロの場所)に墜落した[32]。離着陸時の速度の倍以上の高速で地上に衝突したため、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。なお、地震計のデータから墜落の時刻を午前10時06分と公式記録と異なる報告がなされたが、後にこの時刻を算出した地震学者本人により撤回されている。
乗客たちがハイジャッカーたちに反撃した際に「Let's Roll.(さあやろうぜ・よし、皆かかれ)」を合図にしたと言われている。この「Let's Roll」は、9・11事件以降のアフガニスタンでの「報復戦争」において一種のスローガンとして用いられた[33]。9・11事件の調査委員会は乗客は操縦室内に進入できなかったと結論づけているが[22]、一部の遺族はCVR音声に乗客が操縦室に進入した証拠が記録されていると主張している[34]。なお、離陸からハイジャック、墜落までの乗員乗客の行動を基にした映画『ユナイテッド93』が2006年に公開された[35]。
被害
ワールドトレードセンター(WTC)
ユナイテッド航空175便がツインタワー南棟に突入した瞬間
NASAが宇宙から撮影したテロ攻撃の様子[36]
自由の女神の背景で炎上しているツインタワー
午前8時46分40秒、ハイジャックされたアメリカン航空11便がワールドトレードセンター北棟 (1 WTC)の北面、93 – 99階の部分に衝突した[37][38][39]。衝突によってハイジャック機のジェット燃料が引火したことで北棟の高層階では爆発的な火災が発生し、また燃料がエレベーターシャフトを通じて落下したことで地上ロビー等の低層のフロアでも爆発が起こった[38][40]。
衝突から間もなく火災と黒煙は周辺階に広がり始め、8時52分には、過酷な状況に耐えかねて高層階から飛び降りる人々も現れた[41][42]。この時点では、北棟への航空機の突入は(テロ攻撃ではなく)事故であるとの見方が大勢を占めていた[43]。当時の大統領ジョージ・W・ブッシュも第一報を受けて「これはパイロットエラーによる事故だ」と発言した[44]。9時00分までに、ニューヨーク市消防局の消防車やニューヨーク市警察のヘリコプターが現場に到着し、救助を試みていた[45]。
午前9時02分59秒、ハイジャックされたユナイテッド航空175便がワールドトレードセンター南棟 (2 WTC) の南面に突入し、南棟は爆発炎上した[46]。ハイジャック機は機体を傾けながら南棟の77 – 85階の部分に衝突しており、当時78階のスカイロビー(英語版)でエレベーターを待っていた数百人に及ぶ避難者の多くが死傷した[45]。この衝突によって南棟が負った構造的ダメージは、北棟と比較してより深刻だった[28]。2機目のジェット機が南棟に衝突した瞬間は既に多数の報道カメラが記録を始めており、一般者も含めた数多のカメラによって様々な角度から捉えられた[29]。この時点で、一連の出来事が事故ではなく故意に起こされた攻撃であることが広く認識された[43][44]。
午前9時37分、ハイジャックされた旅客機(アメリカン航空77便)がペンタゴンに突入した[47]。9時42分、連邦航空局 (FAA) はアメリカ合衆国大陸部内のすべての民間航空機を離陸禁止とし、すでに飛行中の民間機にはただちに着陸するよう指示した[22]。
午前9時59分、ユナイテッド航空175便の南棟突入から56分後、ワールドトレードセンター南棟が崩壊した[48][49]。その直後の10時03分11秒、ハイジャックされたユナイテッド航空93便がペンシルベニア州で墜落した[50]。10時28分、アメリカン航空11便の北棟突入から1時間42分後、南棟に続きワールドトレードセンター北棟が崩壊した[48][49]。
ワールドトレードセンターのツインタワーは、航空機の衝突による大規模な構造的ダメージに加え、ジェット燃料が引き起こした火災の熱で構造部材(鉄骨柱・床トラス部材等)の強度が著しく低下したことで崩壊したと考えられている[51][52]。アメリカ国立標準技術研究所の報告書によれば、火災によるダメージは(ジェット燃料ではなく)主にオフィス内の可燃物によるものであり、それらの可燃物が火災を増長しなければ、ツインタワーは崩壊を免れていた可能性がある[53]。ツインタワーは、建設当時に世界最大のジェット旅客機であったボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたが、漏れ出したジェット燃料とそれによる大規模火災の影響は設計上考慮されていなかった[51]。日本の鹿島建設は事件の翌年にWTC建物内部の損傷について独自のシミュレーションを実施し、崩壊が火災によるものであることを裏付けた[54]。
北棟の崩壊時の瓦礫が隣接する7 ワールドトレードセンタービル (7 WTC) に降り注ぎ、7 ワールドトレードセンターは損傷、さらに火災が数時間にわたって発生し、ビルの構造的健全性は失われた。午後5時21分、7 ワールドトレードセンターは倒壊した[55][56]。
各旅客機のツインタワー両棟への突入の様子
7 WTC以外にも、ワールドトレードセンター・コンプレックスと周辺の多くのビルが壊滅的な被害を受けた。全壊した施設には聖ニコラス聖堂も含まれていた[57]。1 WTC(北棟)、2 WTC(南棟)と同様に、3 WTC(マリオット・ワールドトレードセンター(英語版))と7 WTCは跡形もなく破壊された。4 WTC(英語版)、5 WTC、6 WTC(英語版)(合衆国税関ビル)、ウエスト・ストリートを渡る2つの横断歩道橋は激しく損壊した。リバティ・ストリートを隔てたドイツ銀行ビル(英語版)は部分的に損壊し、2007年より始まった解体作業で取り壊された[58][59]。ウエスト・ストリートを隔てたワールドフィナンシャルセンターの2棟のビルもダメージを被った[58]。ワールドトレードセンター・コンプレックスの地下にはPATHトレインのワールド・トレード・センター駅が位置していた。ツインタワーの崩壊時、この駅は完全に破壊され、この駅からハドソン川の下を通ってニュージャージー州ジャージーシティのエクスチェンジ・プレイス駅へ向かうトンネルも水没した[60]。
北棟の崩壊により、北棟の屋上に設置されていた通信アンテナも破壊された。一時的に多くのTV局・ラジオ局の放送が断絶したが(WCBS-TVのみがエンパイアステートビルにバックアップ用の通信装置を持っていた)、それらの放送局はすぐに別ルートでの通信を確立し、放送を再開することができた[57][61]。ワールドトレードセンターの敷地における火災は、テロ事件から100日後の12月20日にようやく鎮火された[62]。この事件以降、ワールドトレードセンター・コンプレックス跡地は「グラウンド・ゼロ」や「ワールドトレードセンター・サイト(跡地)」とも呼ばれている。
WTCの人的被害
ブルックリン側から見たツインタワー南棟 (2 WTC) の崩壊
ワールドトレードセンター (WTC) へのテロ攻撃による死者は合計で2,763人だった。その内訳は、事件当時WTCに居た民間人が2,192人、消防士が343人、警察官が71人、ハイジャックされた旅客機の乗員・乗客が147人、ハイジャック犯のテロリストが10人となっていた[63]。
WTCのツインタワーにおける民間人死者の90%以上は、ハイジャック機による衝突を受けた階以上のフロアで発生した[64]。北棟ではハイジャック機の衝突時に数百人が即死したほか、直撃を受けた階以上のフロアに1,355人が閉じ込められ、煙の吸引・タワーからの落下・最終的なタワーの崩壊などの理由によってその全員が最終的に死亡した[38][64]。北棟の3つの非常階段すべてがアメリカン航空11便の衝突の際に破壊されており、上層階から人々が脱出することは不可能だった。一方で、(北棟において)直撃を受けた階より下のフロアで死亡した民間人は107人とされている[64]。
南棟で死亡した民間人は計630人であり、北棟の半分以下の数字だった[64]。南棟では、北棟へのジェット機突入の直後から多くの人々が自主的に避難を開始していたため、死者の数は大幅に抑えられた[65]。一方で、『USAトゥデイ』は最初のジェット機突入後に南棟に居た全員を避難させることができなかったことを「事件当日に起きた大きな悲劇のひとつ」と評している[66]。南棟では、ユナイテッド航空175便の衝突の後も非常階段のひとつ(A階段)が崩壊を免れており、このA階段を利用することで18人(直撃を受けた階から14人、それより上の階から4人)が生還した[67]。
ジェット機の衝突によって北棟・南棟ではエレベータが停止し、多くの人が閉じ込められた。『USAトゥデイ』の推定では、最小で200人、最大で400人がツインタワーのエレベータに閉じ込められた状態で死亡したとされている[68]。エレベータに閉じ込められたものの、そこから自力で脱出した生還者は21人のみだった[68]。エレベータにおける死者は、ケーブルの破断によるエレベータ籠の急落下や、エレベータへの火炎の侵入によって死亡しており、それらを免れた者もタワーの崩落時に死亡した[68]。
上空から見たWTC跡地(2001年9月17日撮影)
ツインタワーからの転落もしくは飛び降りによる死者は最低でも200人と推定されている[69]。そのほとんどが北棟で発生したものであり、南棟からの転落・飛び降りによる死者は12人に満たなかった[69]。北棟から落下した人々の多くは、タワーに隣接する道路や広場(トービン・プラザ)および3 WTCビルの屋上にたたきつけられて死亡した[69]。消防士の1人は落下してきた人の巻き添えとなり死亡した[69]。
北棟の101 – 105階を占めていた投資銀行のキャンター・フィッツジェラルド(英語版)では、他の雇用主を大きく上回る658人もの従業員が犠牲となった[70]。キャンター・フィッツジェラルドの直下、北棟の93 – 100階を占めていたマーシュ・アンド・マクレナンでは358人の従業員が犠牲となった[71][72]。南棟のエーオンでは175人の従業員が犠牲となった[73]。
アメリカ国立標準技術研究所 (NIST) は、事件発生当時のワールドトレードセンター・コンプレックスには約1万7400人の民間人が存在したと推定している。港湾公社のターンスタイルによる記録では、午前8時45分には(通常は)1万4154人がツインタワー内に存在したことが示唆されている[74][75]。ジェット機が直撃した階よりも下のフロアに居た人々は、その大半が安全にタワーから避難することができた[76]。ツインタワー南棟の崩壊時、当時南棟に居た民間人、消防士ならびに警察官は全員死亡し、タワー周辺の道路やビルでも多数の死者が生じた[77]。北棟の崩壊時には、12人の消防士、1人の警察官、および3人の民間人が崩壊を免れた非常階段に守られる形で生き残ったが、それ以外に生存者はいなかった[78][79]。
国防総省本庁舎(ペンタゴン)
アメリカン航空77便が国防総省本庁舎に突入した瞬間の映像
炎上する国防総省本庁舎と突入したアメリカン航空77便の破片
午前9時37分45秒、ハイジャックされたアメリカン航空77便(AA077; ボーイング757)が、バージニア州アーリントン郡のアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に突入した[47]。アメリカン77便はビルの西壁に衝突して爆発炎上し、AA077便の乗客・乗員全員が死亡したほか、ペンタゴンに居た125人の国防総省職員(民間人70人、軍関係者55人)が死亡、106人が重傷を負った[80]。
AA077便の衝突と続いて発生した火災によってペンタゴンは激しく損傷し、ビルは部分的に倒壊した[81]。ペンタゴンに突入する直前、旅客機の翼は地上の街灯をなぎ倒し、さらに発電機に接触した[82][83]。77便はペンタゴン西側外壁の1階部分に激突したが、衝突の瞬間にボーイング757の胴体前部はバラバラになり、その後一瞬のうちに機体中央部と尾翼部が勢いを保ったまま外壁を突き抜けた[84]。最も深くまで到達したのは尾翼部の破片であり、5層ある外壁のうち3層を突き破り、94 m内側まで貫通していた[84][85]。その後10時10分には、衝突で損傷したビルの一部分が倒壊した[86]。ビルの倒壊部分は最大で幅29 m、奥行き15 mにわたった[87]。77便の衝突からビルの崩壊まで時間的猶予があったため、4 - 5階に居た職員は全員が安全に避難することができた[88]。旅客機の突入時、ペンタゴンでは約1万8000人が働いていたが、この数字は1998年に始まった改修工事によって通常より4,000人ほど少なかった[89]。
この直前に起きたワールドトレードセンター・ツインタワーへの他の飛行機の突入の影響で情報は錯綜し、最初の報道は単にペンタゴンが爆発炎上したというだけであったが、後に付近を通行中のドライバーや歩行者によってアメリカン航空機が北側から旋回して激突したとの目撃が証言され報じられた。さらに激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録された。
この事件についてはいろいろな説がある・・。
同じ事件は起きない。
既にご存知だろうが、マンハッタンは一枚岩なので、此の国の様な地震も起きないと言われている。
では・・USAに何も起きないのか・・と言えば・・NO・・必ず・・何かが起きる・・。本日悪戯半分でツイッターに似たような事を投稿した者がいたようだが・・悪戯は良くない。
アメーバには写真を載せるが星空文庫では見られないので悪しからず。
何れ予告通りのテーマと・・もう一つ・・失地回復が出来ない小国の代表が何故無事でいられるのか・・NATOなど全く関係は無い・・寧ろUSAはNATOを手名付けているくらいで・・テロなどせこい事では無く、当初から一瞬でキエフを消滅させるという一部の意見も出たが大国の代表は沈黙を守っている・・此れは大国から見ての状況・・変更する場合がある。
NATOとは北大西洋条約機構の事・・。太平洋では無い・・。
「人間は角があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ。夏目漱石」
「正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理屈さえつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。芥川竜之介」
「自由な、調和のとれた、何気ない、殊に何気ないといふことは日常生活で一番望ましい気がしている。志賀直哉」
「by europe123 test 10」
https://youtu.be/eVMQH16oLQA
USA史上本土攻撃された一日と再び起きる災いとは?似非平和・原爆の悲劇を・・がうたい文句に使用された