メルヘン

 体育祭の借り人競走で、先輩が女子生徒に腕をつかまれて駆けていくところを見て、あ、と思った。先輩が女の子と走ってる。先輩と同じクラスなのかな。あの女子生徒の引いたお題は何だろう、手に大きなカードを持って走っているけれど、遠くてよく見えない。好きな人とか書いてあったらどうしよう。あー、わたしがさっき走った時、メガネの人っていうお題で、丸メガネの里帆を引っ張ってったけど、別に先輩、メガネかけてないから、そのお題ではないだろうし。
 わたしはわたしの感情がみにくいのを知っている。みにくい。でも、こんな時でさえ、先輩って走っててもかわいいんだな、と、のんきに思ってしまう自分もいる。えくぼがかわいいのはもちろんだけど、笑った顔も笑っていない顔もかわいい。今日は赤ハチマキをしていてかわいいけれど、していなくてもかわいい。わーとかきゃーとか、がんばれーとか走れーとか、そういうもっともな歓声の中で、わたしだけがみにくくて、幼稚。
 借り人競走の後は、昼休憩に入った。女の子に連れられていく先輩の姿を思い出しながら食べるお弁当は、作ってくれた母には申し訳ないが、おいしくはなかった。たまごやきは、わたしの好きな海苔入りバージョンだけど、甘かったかしょっぱかったか、飲み込んでしまうともう思い出せない。デザートの、タッパーの中のりんごは、そんなにしゃきしゃきじゃなくて、ぬるくて水っぽい味がした。あーあ、これが毒りんごだったら、この場で死ねるのにな。そのあと隕石が降ってきて、地球の人はみんな、先輩も死んじゃって、わたしだけ隕石で死ななくて良かったって思うんだ。わたしだけが、いつか目覚めるかもしれない白雪姫のまま、生き永らえることができて、良かったって。そういう無意味な空想ばかりする。ねー、聞いてる? と、膝を並べて昼食を食べていた里帆に言われて、はっと横に顔を向けた。「ごめん、何?」
「大丈夫? 意識飛んでたけど熱中症?」
「ねっ、ちゅーしよ、ってこと? いいよ」
「そんな冗談言えるなら大丈夫か」笑う里帆のツインテールが揺れる。わたしと同じ白いハチマキをしていた。「飲み物買いに行こうかなーって思ってて」
「わたしも食べ終わったら行きたい」
「じゃあ待つー」
 残りのりんご一切れを口に放り込んで、もぐもぐしながら、早急に弁当を片付けた。わたしたちは立ち上がって、運動場を出て、自販機へ向かった。里帆はただの麦茶を買った。財布を見たら、五百円玉の他には十円玉しかなくて、とりあえず五百円玉を投入する。麦茶でいいかなあとか思いつつ、レモネードも気になる。爽やかになりたい気分なので、レモネードにしよう、と押そうとした時、隣の里帆が、あー、ねえ見て、と言った。
「何?」わたしは里帆の方を振り向きながらボタンを押した。がこんとペットボトルが出てくる音と、おつりがちゃらちゃら出てくる音がする。
「合唱部で集合写真撮ろうって、ライン来てる」と、里帆がスマホのトーク画面を見せてくれた。
「どこに集まるって?」と答えながら、わたしはおつりを財布に入れて、取り出し口から冷えたペットボトルを取り出して――そこで気付く、これ、レモネードじゃない。ぶどうジュースじゃん。わたしは慌てて上を見上げた。レモネードの隣に、ぶどうジュースのボタンが並んでいる。よそ見したから押し間違えたのか?
「手洗い場の近くだってー。行くかあ」里帆はスマホをポケットにしまった。「あ、ぶどうジュースにしたの?」
「間違えちゃった」
 えー、どんまい、と言われながら、運動場のはずれの手洗い場に向かう。一年生も二年生もちらほらいたけど、三年生はまだ誰も来ていない。まだみんないないし、トイレ行っていいかな、とか言って、里帆は一旦消えた。同学年の二年生も男子が三人いるだけで、集まって話しているので、ちょっと声かけにくい。とか思っていると、先輩が一人で来た。
「おつかれさまー」ぽけー、とぶどうジュースを持って突っ立っている自分に、先輩は声をかけてくれた。クラスTシャツを着ているレアな先輩を、わたしは間近で見ることになった。「そういえば、借り人競走、走ってたよね」
 ここで、借り人競走の話が出て来るのか。わたしはへへ、と笑いながら、言う。「お題がメガネの人だったから、里帆を連れて走りました。先輩も走ってましたねー」
「そう、自転車通学の人、っていうお題で、行って来いよーって、友達に押されてさあ。走るなんて思ってなかったのにな」
 先輩がはにかむように笑う。やっぱりえくぼができる。わたしは、どこかほっとした。みにくさがほぐれていくこと自体がみにくい。でも、綺麗な恋なんかどこにもなくて、みんな、恋をしながら失恋している。たぶんそう。みにくいあひるは白鳥になんかならなくて、ただずっと、深いえくぼに突き落とされたまま、永久に這い上がれない。しょうがない。
 ペットボトルを持つ手指に、結露した水滴がつつ、と伝った。わたしは思いつきで口を開いた。
「先輩、ぶどうジュース好きですか?」「好きだけど」「じゃあ、あげます」
 わたしはペットボトルを差し出してみた。
「え、いいの」
「さっき間違えて買っちゃったんですよ。開封はしてないです」
 ええー、じゃあ、ありがたく……と、先輩は受け取ってくれた。
「間違えちゃったって、何と?」
「レモネードと」
「色全然違うじゃん」はは、と先輩が笑う。「写真撮り終わったら買ってあげよう」
 えー、いいんですか。飲み物ないと死ぬでしょ、暑すぎて。とか、やりとりしているわたしの顔は、傍から見るとたぶん、にこにこで、でろでろで、残暑にあっという間に溶けてしまうんだろうな。太陽、今、わたしを溶かしきって、この時間を、永遠のものにしてください。そう願うわたしは、まぎれもなく、みにくいあひるのこだった。

メルヘン

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-05-22

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