修正版【随時】

1:転生したのにお受験落ちた

 俺には前世の記憶がない。
 俺がそう思い込むことに決めたのは、お受験の不合格通知を読んだ『今世の』母親が、立ち尽くす俺のことを抱きしめた時だった。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。俺は、母親の腕の中でまるで走馬灯でもみるように自身の短い人生を振り返り始めた。



 
 状況証拠を見る限り、俺には生まれ出てすぐの時点で『前世の記憶』があったようだ。
  
 「しょーちゃんは自分のアルバム見るの好きねえ?」
 「うん!」

 幼稚園に入って1年ほどたったある日、俺は母親に適当に返事をしながら、両親がまめに作っている『我が子の成長アルバム』を読んで推理していた。俺の小さな手では持って開くのも一苦労な重いアルバムには、非常に短いスパンで撮られた写真が所狭しに並べられていて、写真が貼っていない部分にはその時々にあった出来事が俺の身長とともに書き連ねてあった。その、きっと『我が子の成長を記録する権利』を取り合ったのであろう、代わりばんこに字体が入れ替わっている文章の中に、こんな記述を見つけた。

 『0歳11ヶ月! パパ、ママに続いてどんどん言葉を覚えていく翔くんだけど、翔くんの面白い癖?を発見!なぜか翔くん、おうちの電話の子機を見るたびに「うわお!」と驚いた後、電話の子機に怒り出すのです?電話の何が彼を惹きつけるのでしょう?目が離せません! パパ』

(これ、スマホがいじれなくてイラついてるんじゃないか?)

 我ながら随分なクソガキである。その後、俺が今の自意識に目覚めるまでの間に作られたアルバムの中には、明らかに『前世の記憶』に由来した固有名詞を話す様子が頻発して記録されていた。大体はテレビで覚えたのかな、とか滑舌が悪くて可愛いけどわかんないや、などと両親にスルーされていた。が、一般名詞である「スーパー」を、俺が本来みたことないはずの地方のローカルスーパーの名前で呼んでいたり、この時期にあったコンビニをなぜかそれだけ別の企業と合併した後の名前で呼んでいたりと予言スレスレのものまで混じっているのには戦慄した。
 父さんと母さんには悪いが、俺の正体がバレてしまいそうな部分は後でいい感じに書き換えておこう。そう密かに決意するとともに、俺は、改めてこの『前世の記憶』というものが俺の人生の足を引っ張る厄介者であることを再認識した。



 俺の『前世』は、一言で言い表すならば『恥』であった。今世における俺の名前は番家翔(ばんかしょう)であるが、前世の『ソイツ』は葛葉潜(くずのは もぐり)という名前だった。彼のことを思い出すとき、俺は葛葉のことをわざわざ『ソイツ』と頭の中で呼ぶことにしている。別人として扱わなければ耐えられないほどの無能だからだ。ソイツの記憶がフラッシュバックのように頭によぎるたび、あまりの惨めさに脳の裏側をかきむしりたくなる。
 とにかく、ソイツの人生は負けていた。他人に負け続けていた人生であるというのはもちろん、自身を取り巻く環境に負けていたし、自分の無能も負けていた。そうして最後に自分に負けて死んだ。俺に押し付けられた最後の記憶は、一斗缶に迫るほどの酒を飲んだところだった。それで終わり。
 コイツが前世でもうちょっとだけ頑張ってさえいれば、今世の俺の人生は同世代に対してものすごく有利になったはずである。最後まで役立たずなやつだ。しかも、コイツはそういう俺に有利な知識とか経験は残さなかったくせに、自分の失敗を他人のせいにする思考の癖とか、ネガティブな部分ばかりを本来無垢であるはずの『俺』に置き土産のように引き継がせていった。
 
 本当にコイツは何一つ、と考えたところで、俺は鼻で自分の前世のことを嗤った。俺は小学生向けの計算ドリルをリビングの机の下から取り出すと、今日の分を解き始めた。

 (いや、一つあったな、いいところ)

 偉いわねえ、なんていう母親の声を背に受けながらこんなことで褒められるなんて楽勝だな、と俺は思った。
 アイツは、俺の人生にとって最高の反面教師になった。前世の俺は2桁の計算をするとき、驚くべきことに大人になってもくりあがりで指を使っていた。つまり、現時点で俺はアイツに勝っているのだ!こんな簡単に達成感を得ていいのだろうか?
 普段からアイツは考えることを半ば放棄していたから、本来できるはずのあらゆる行動が退化していた。常に無能と無力感に苛まれ、短絡的な思考が空回り、周囲の物や人にあたってはただでさえいない知人をなくし続けていた。それに比べてこの体のスペックと、俺が持っているものはどうだ!
 
 一軒家に住んで、将来的には自分専用なるであろう子供部屋がある。前世は学生が住むようなアパートに毛が生えたようなところに4人で住んでいたのに。
 家にあった小説を読んで目が滑ってイライラしたり、いちいち漢字が読めなくて気分が悪くなったりしない。というか家に小説が常備されているのがまずカルチャーショックだった。テレビの討論番組を見て、全然意味はわからないけど、そもそも何を喋っているのかをある程度記憶できていた。いつか意味もわかるようになるだろう。そもそも、そういうことを筋道立てて考えることができるということに気づいた瞬間、俺は思わず泣いていた。
 暗がりから見た光が一層眩しく感じるように、過去のソイツの失敗が、今世の人生のあらゆる経験を輝かせていた。

 俺は両親が保管していた郵便物を漁って、その中にクレジットカードの督促状の類がないことを確認した後、習い事をやってみたいと言った。
 それは、前世で馬鹿にされ続けていた文字の下手さを補うための硬筆教室。
 俺は今回の人生は惨めに過ごさない、最初から最後まで。


 幼稚園に入ってから1年半以上が経った。前世の存在に感づいたあたりからの俺の人生は一気に速度を増したように感じる。俺は幼稚園の遊び時間に書写をしながらしみじみと考えていた。
 
 とにかく全てが楽しいのだ。幼稚園の授業なんて文字通りお遊戯みたいなものだったし、何をやっても周りの子供より上手くできた。概ね優等生として褒められるのは前世にはほとんどない経験だったから、その快感は脳をとろかした。外の散歩に出歩く時も交通ルールとかを守っているため、保々さんたちからも扱いやすい子供として重宝されていた。なんなら逆に放って置かれていたような気もするが、その間は一人で文字の練習をしていたので問題はない。周りの子供たちとは、まあ、話が合わなくて。というか話を合わせているはずなのだが、俺と彼らの間でいまいちテンポがあわないらしい。園の子供たちとはそんなに話すことはなかったけれど、どうせ幼稚園の頃の友達なんかすぐ縁が切れるものだろう。前世のアイツはそもそも幼稚園でもトロくていじめられてたみたいだからそれと比べれば全然いい。
 休日だって、親がデパートとか海とかに連れて行ってくれる。前世の親はそもそも日中寝てたから、そういうことは全くなかった。まあ正直、子供の頃に高い入場料のテーマパークに連れてかれても、ほとんど息子(ルビ:おれ)の記憶には残らないと思うが。俺が特別じゃなかったら、両親に損をさせるところだったな。
 俺はそう自分を褒めて手元を見ると、いつの間にか今日の分の書写が終わっていた。手持ちぶたさに鉛筆を指の上で回す練習をしていると、

 
「あー、また一人でべんきょーしてる!そとあそびじかんはお外であそばないとだ目なんだよ!」
「俺どう見ても遊んでただろ」
「外じゃないじゃん!」

 俺の目線を遮るように手を眼前に晒しながら甲高い声を耳元で叫ぶガキ。面倒くさいなあ、と思って顔を上げれば、思った通りの金髪の子供。
 俺と目があって何が面白いのか笑顔になったソイツの胸についたワッペン。チューリップの形をした名札には、ふぃーな、と太字のペンで書かれていた。
 
 瀬良・フィーナ。彼女は幼稚園に入ってから、なぜか俺に付き纏ってくるハーフのガキ。趣味は俺のミスをあげつらうこと。特技は自慢。コイツはその俺のどんな微かなつまづきも見逃さないねちっこい指摘癖やその学年で唯一の金髪青目が災いしてか、すぐに周囲から浮き、敬遠されるようになった。
 
 「バンカ何やってたの!やってたこともいっかいやりなさい!」
 「ええ、何もやってねえよ」
 「またうそつき!うそつきはドロボウの始まりなんだよ!」
 「うっさ」
 「うるさくない!」

 それで、そういう意地悪をしない俺にいつの間にか付き纏うようになった。まあ、精神年齢は俺の方が何周か大人だから当然だが。あの忌々しい前世の記憶の中にも、歳の離れた弟がいたからフィーナが俺の中における庇護者的なポジションに上手く嵌まり込んだのかもしれない。

 (まあ弟は受け子やって捕まってからどっかいっちゃったけど)

 「ふふっ、どろぼうのうそつきじゃん」
 「?」
 「なんでもない」
 「あっ!それまたやってるの!もうひらがななんかとっくにおぼえてるじゃない!」
 「覚えるためじゃなくて、上手になるためにやってんの」
 「……ふーん」

 俺の言うことに、その切れ長の目を右上に逸らしながら考え込むフィーナ。そうして数秒彼女は固まった後、

 「たしかに、大人になって文字が下手だと、そこで何かバカにされそうだし、それは良いことかもね」

 と言って首を大きく振って納得しかけて、いや、でも先生のいうことはききなさいよ、と今度はやわらかく俺を注意した。
 俺がフィーナを完全に邪険に扱いきれない理由はここにある。彼女は周囲の子供に疎まれているが、それはただ注意魔であるからというだけではない。それは、彼女の視野や考え方の広さが悪い方向に出たというだけに過ぎず、本質的には周囲の子供と会話の高さが合わないのが本質的な理由なのだ。
 
 例えば先月。何日かは忘れたが、結構強い雨が降っていた日。彼女が同じ組の男の子が園の外に出るのを必死に止めていることがあった。まあ、それはいたずら好きのヤンチャなガキ相手に注意好きの彼女がよくやっていることでわあったのだが、その時はタイミングがおかしかった。時間は14時を回っている。とっくに幼稚園の保育時間は終わっていて、しかも男の子の隣には迎えに来た母親がおろおろとしているばかりだった。俺はまたなんかくだらないことをやってるなあ、と思ってぼうっと外野から見ていた。
 が、俺は、彼女の幼児らしくない血気迫る表情を見ていると背中から汗が滝のように流れ出てくることに気づいた。
 その歯を食いしばって何かに耐えるようなそれは、顔立ちも年齢も状況もまるっきり違うのに、それは、前世の、アイツを、何とかしようとした母親のようなーー。
 
 「どーしたの?」

 俺はフィーナにその顔をどうしてもやめさせたくなり、雨の中でママさんが困惑から迷惑そうな顔に変わる前に天真爛漫な天使のようなガキを装って彼女に話しかけてやった。彼女は、普段の俺の様子との落差にギョッとした表情に変えたが、すぐに元の硬い表情に戻って、

 「あとさんぷん……」
 
 とぼそっと呟いた。何がだよ、ちゃんと説明しろ、と思ったものの俺はなんとしてもその辛そうな顔を俺の思考の外へどかしたい。適当に引き止められているママさんに話しかけ、正直名前もほとんど知らねえような子供のことを褒めちぎった。
 そうしていると突如、幼稚園の門の外からブレーキ音と何かを削るような音、破裂音が重なって周囲に鳴り響いたのだ。
 
  
 びっくりしてその場の全員で飛び出ると、門の前の縁石に車が乗り上げ、バンパーがベコベコに凹んでいた。しかも、車の乗り上げた側、タイヤが前後ともパンクして空気が抜け続けている。大惨事だった。自席で運転手がハンドルを握ったまま放心していた。




 いつの間にかポツポツ降りになった雨に比較して、ワイパーが間抜けなまでに激しく揺れている。

 「警察を呼んでいただいてもいいですか?」
 「え、あっ」

 俺も思わず敬語を出してママさんに通報をお願いしてしまった。ママさんが子供の手を引いて急いで園内に戻っていく。その背中を追っていると、何事かと集まってくる園児たちを保母さんたちが必死に園内に押し留める様子が遠目に見えた。
 視線を人形みたいに固まって動かない運転手に戻す。結果から逆算すれば、フィーナはこの状況を予期してあそこまで彼らを強く引き止めていたのだということは分かった。だがしかし、そこには当然の疑問が絡んでくる。

  どうやって?

  俺は車を見つめた後、フィーナに仮説を兼ねた質問を投げかけた。

 「タイヤのパンク、両方とも朝からあったのか?」
 「!」

 俺の疑問を聞いて、なぜかフィーナは急に顔を輝かせた、ように思えた。
 すぐ真剣な顔に戻って彼女は答えた。

 「両方はなかった!後ろだけ!」

  フィーナは教えてしんぜよう、とばかりに芝居がかった動作でその場を自慢げにぐるぐる回りながら周囲を指さして説明を始めた。服が濡れるのを気にした様子はない。

 「あの車の下の、あのえんせきの先の部分にはさいきん同じ形の黒いこすりキズがついてて、それがだんだん大きくなってたの」
 「それで、この車のナンバーはいつもぴったりこの時間にようちえんの前をとおって、そこの角を曲がるの、ほんとうにピッタリに!」
 「だから、このえんせきについただんだん大きくなるキズのつき方と、このくるまがそこを曲がるというじじつから一つのしんじつをみちびき出しました!」
 「この車のうんてんする人はつねにさいそくを求めてかどを曲がるときにブレーキをふんでない!」

 そういえば、いつも14時前くらいに帰りに明らか60km以上で走ってるやべえ車いたなあ、と思っていたが、別に車が何かに掠ったような音が聞こえていたような覚えは全くない。

 「それで?」

  顎でしゃくって続きを促す。彼女は興奮した様子で早口で続きを捲し立てる。

 「今日は雨で、あの車のうしろのタイヤがあさパンクしてて、しかも2時になってもまだ来てなくて、だから」
 「だから、あさに走ってきた車の後部のタイヤがパンクしていることに気づいて、今日はあそこの曲がりでミスするかもしれないから、引き止めてた、と」
 「そう!」
 「はあ?」

  馬鹿じゃねえのか?と俺が思ったことを顔から読み取ったらしいフィーナが声を出した。

 「えっ」
 「え、じゃないだろ」

  俺は呆れていた。フィーナの行動原理が理解できるけど納得できなかったのだ。ただでさえ変わり者扱いというか、普通に厄介者として排斥されかけてるのに、それであんな奇人みたいなことして車が来なかったらどういうつもりだったのだろうか。
 ただ、子供に嫌われてるうちはともかく、その親から嫌がられると印象の巻き返しは不可能じゃないのか。
 家で彼女のことが話題に出るたびに、「ああ、あの」という態度を取られると、まるで鏡写しのように子供に「コイツはいじめていいやつだ」という名分を何度も与えてしまうことになる。そうなれば、彼女自身のへんな奴、という印象を払拭することはもう絶対不可能になると思う。それが分からないような奴ではなかったはずだ。いや、幼稚園生に求める話では全くないが、実際そこらへんのことを理解していたから、彼女はあそこまで悲痛な表情でことを起こしていたのではないのか?

 だって、車が乗り上げた位置は別に園の真ん前というわけでもないし、さっきの家族は車で迎えに来ていた。買い物ついでか何かなのだろうか?俺でも気づくことはフィーナなら全部読みきってそうだ。だから俺は聞きたいことだけを彼女に聞いた。

 「お前、今日あの車が来てなかったら、というか車が事故んなかったら今度こそハブになってたんじゃねえのかよ」
 「それはあの子をひき止めないりゆうにならないわ」

 分かるでしょ、と彼女は言って強く笑った。もうすでに雨は止み、雲の隙間から天使の梯子が彼女の後ろで降り始めていた。そのうちの一つが彼女の真上から降り注ぎ、彼女の切れ長の瞳に光の輪を灯したように見えた。
 瀬良・フィーナ。名前の由来は天使様から来ているの、と彼女は昔自慢げに言っていた。そして、彼女は名前の通りの人間なのだろう。でも、それじゃあ俺がムカつく。

 「じゃあそっくり言い返すけどよ、言えばいいじゃねえかよ理由をよ!」
 「じゃあ、バカはワタシが、『今日はいろいろなりゆうがあってさいきんここらへんを走ってるくるまがそこのほ道につっこんでくるからその車がくるまでみんなを外に出さないでください』って言って信じるの!?信じないでしょ?」
 「今、俺のことバカって言ったか?」
 「言ったわよ、バンカだからバカよ、それくらい良いでしょ?」
 「今、俺のことバカって言ったか?」
 「だから」
 「今!俺のこと!」
 「……ごめん」
 「いいよ(怒)」

バカと言われて普通に頭に血が上ってしまった。輝かんばかりの善性は別として普通に口悪いなこいつ。
 
 「理解されないと思って口に出さないことと、口に出して理解されないことは違うだろ」
 「……おんなじ、おんなじだよ」
 「それは、お前が上手くやらないからだろ」
 「上手くってなに!なんだよ!」
 「上手くってのは、こう、上手くだよ!」
 「言えないんじゃない、バンカのバカ!」
 「」

 随分思うところがあったらしく、フィーナはバカバカ、と言って俺のことを無闇に叩いてきた。痛えな。
 でも、何となくこいつの考え方に納得がいった。あんな扱いを受けていてなぜ、と俺は彼女の精神構造の方を疑っていたが、なんのことはない、単に我慢していただけだったのだ。あのウザい指摘癖もきっと、言わなくて何か起きるくらいなら、言って嫌われた方がいいから、みたいな考え方から繰り返してるのだろう。それで自分が疲れてちゃ世話ないと思う。ましてや、今回はほとんど予知の類にすら思える内容で、裏を返せば根拠があまりにも薄いほとんど嘘みたいな話だ。流石に、言ってどんな反応が返ってくるかを想像すると怖かったのかもしれない。

 「今回は、確かに上手くやる、って言うのは難しかったかもしれないな」
 「やっぱりそうじゃない!」
 「だから、もっと前提の部分を確かめにいくぞ」
 「え」
 「言わなくて理解されないのと、言って理解されないのはどっちが良いと思うよ?」




  嫌がるフィーナの手を掴み、とっくに晴れた青空の下を歩く。いくつかの水溜りを俺たちはその小さな足でめいいっぱい跨いで、警察が到着するのを外の遊具に腰掛けて待っている保母さんの前に俺は立った。フィーナが俺の着たモックを掴んで背中に隠れる。先生はフィーナの珍しい自信なさげな様子に目を丸くした。

 「あら、ふたりともどうしたの?」

 (ねえ、ほんとうに言うの?)
 (じゃなきゃ結果がわかんねえだろうが)

  ここにきて怖気付いたフィーナの背中を突き飛ばすようにして保母さんの前に追い出す。

 「先生は、わたしが明日、車がつっこんでくるからなんとかしてほしい、って言ったら、信じた?」
 「な、なるほどね。うん、うーん。そうだなあ」

 と保母さんは唸った。随分と長く。そして、一瞬フィーナではなく、俺の方に目を向けた。俺は頷いた。保母さんが何を求めて俺の方を見たのかは分からない。
 でも、俺は、首を振るよりは頷く方がいいと思った。保母さんにとって、言いたいことの方が誠実な選択肢であってほしいと思ったから。先生は、しゃがんでフィーナと同じ目線になってから口を開いた。

 
 「多分、先生もフィーナちゃんが急にそんなこと言っても信じられなかったかもしれないわ、勿論理由を説明されてもね」
 「やっぱり」
 「でも、フィーナちゃんに気をつけて、って言われたら私は多分、そうだなあ、園の前の歩道に張り紙はするかな」
 「え?」
 「フィーナちゃん、あなたの言うことが信じられないということと、あなたを信じないということは全く違う話よ」

 「あなたが危険だと思っているなら、それを信じて向き合うのが先生の、いや、私の義務よ」
 
  また、何か思ったことがあったら遠慮なく言ってね、と先生は遠くから聞こえてきたサイレンを聞いて話を打ち切ると門を潜って外へ出ていった。
  
  まあ、今回は実際に事故が起きてるし、先生の意見も肯定的な感じになるよな、と一人で納得している俺をよそに、彼女は何かを噛み締めるように上を向いていた。
   
  「えぐ、ひ」
  「泣くほどかぁ!?」
  「だってえ」

  と言うか泣いていた。なんだか冷めたことを考えている俺自身がこの場に場違いみたいじゃないか。どうすれば良いのか分からなくなった俺は、フィーナを泣くに任せてただ隣に立っていた。彼女の真似をして上を向くと、雲が流れぴかぴかに晴れた青空には虹がかかっていた。きっと彼女の目の中には今は虹が映っているのだろう。

修正版【随時】

修正版【随時】

  • 小説
  • 短編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-05-21

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