サラ 作

女を最寄りの新幹線の駅で降ろしたあと、男は駅前のロータリーをぐるりと廻ると、高速道路につながる国道へと車を走らせた。
女は駅構内にはすぐに入ろうとはせず、車から降りた付近に佇んで、男が乗った車をしばらく目で追っていた。
途中、車は赤信号で、一旦、停止した。
すると、男が、運転席の窓から身を乗り出すようにして、腕を大きく振っているのが見えた。
女は、そんな男に、見えないと判ってはいたが、胸の前で小さく手を振ってみせた。
やがて信号は青に変わり、男の車は、左右から押し寄せた何台もの車の群れに紛れて見えなくなってしまった。
男は、車で、家族の待つ東の街へと向かい、女は、新幹線で、やはり自分を待つ家族の元へと西の街に向かった。
陽はまだ高かった。
だが、女が自宅に辿り着かなければならない時間を逆算すると、既に限界の時刻だった。


この日、男と女は、三ケ月ぶりに逢った。
「海を見たい」
女の申し出に、男は快く従った。
二人は、或る半島の岬を訪れた。
岬の突端に位置する展望台からは、太平洋が一望できた。
展望台のはるか下には、押し寄せた波が、白波を立てていた。
女は、手すりから身を乗り出すようにして、崖下に押し寄せては崩れる波を見つめていた。
「吸い込まれるみたい」
女が呟いた。
男は黙って、女の背中を見つめていた。
つい数分前、男は、女から、別れ話を切り出された。
男は、予想だにしなかった女からのその話に戸惑った。

「どうして?」

「何かあったの?」

男がいくら尋ねても、女はそっと微笑むばかりで何も答えなかった。


「ねえ・・」
断崖下の海を覗き込むように、手すりから身を乗り出していた女が、男を振り返った。
「どうした?」
「ここから・・」
「ここから?」
「そう・・ここから・・
 一緒に飛び込んで・・って言ったら、あなた、どうする?」
男は女の目を見つめた。
女も男の目を見つめ返した。
男はしばらく黙っていたが、やがて女に言った。
「僕に、どう言ってもらいたいの?」
女は、男の言い廻しに、心の中で小さく溜息をついた。
女はくるりと男に背を向けると、再び、断崖の下を覗き込んで
「ちょっと言ってみただけ・・・」
そう呟くと、ふふ、と笑った。

男と女が出逢って5年の歳月が流れていた。
お互いの過去を全て語り尽くした二人だった。
語られていないのは、この先のことだけだった。
そのことに拘ったのは女の方だった。
男は、女に言った。
「今、と言う、瞬間、瞬間を、過去として捉えるのではなく、瞬時に凝縮させることによって、それは未来をも示唆する。
つまり、僕らが、今、この瞬間、存在していること自体が、既に未来でもあるんだよ」
女は、男のその言葉に、静かに、頷いた。
男は、女を納得させた自分の言葉にたいそう満足感を覚えた。
女は、男の、いつもの独りよがりなもの言いに疲れ切っていたので、ただ、もの解りのよい大人の女を演じただけに過ぎなかった。


女は、電車の窓ぎわに張り出した小さなテーブルに頬杖をついて、傾きかけた弱々しい陽を浴びていた。
すると、メール着信の知らせが携帯を振動させた。
男からだった。

>今日の話、また、いつもの君の気まぐれだよね。今度、いつ逢える?

女は、その短いメールを何度も何度も繰り返し読んだ。

男の笑顔を思い浮かべようとした。
だが、あの優しい眼差しを思い浮かべることができなかった。

男の温もりを思い出そうと、両腕で自分の身体を抱きしめた。
だが、冷えて乾いた皮膚は何も感じるものはなかった。

女は目を閉じて、意識を集中した。
それでも、やはり、笑顔も、温もりも、思い出せずにいた。

女は、そんな自分に心から安堵した。

これでようやく解放された・・・

思い出そうとした女の脳裏に甦ったのは、今日、岬で見た、断崖を這い上がるように寄せては砕け散る、あの波しぶきだけだった。

或る話です。

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  • 全年齢対象
更新日
登録日 2013-01-03

CC BY-SA
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