
同志
ユウナギ
同志連盟
小学校4年の時、ボクは三沢と同じクラスだった。同じ班に香っていう女の子がいて、香るっていう字。香るなのに動物臭くて虐められてた。同じ班で香は宿題やってこないからいつも残り掃除。香は口もきかず長い髪は汚くて、前髪が目にかぶさり上履きも小さくて、あれは育児放棄? 臭い臭いって虐められるのを助けたのはボクだよ。三沢じゃない。
ボクたちは香に宿題をやらせようと家に行った。庭の木は手入れされずお化け屋敷みたいだった。香は縁側でハムスターと遊んでいた。それはもう魅力的で三沢も目を輝かせてさわらせてもらった。
女の子が、ダメ、交尾しちゃう、なんて喋ってんの。そこにオヤジさんが帰ってきて、増えたハムスターを怒り処分すると言うと香は抵抗した。私も死ぬからねって。そのハムスターをボクたちはもらってきて育てた。
香のかあちゃんも男を作って出ていった。ボクたちは同志が増えたと喜んだ。母親に捨てられた三沢と香。父親に出て行かれたボク。ボクたちは同志連盟を作り、絶対親を許さない、親が死んでも泣かない、墓に唾を吐きかけてやろうって誓った。
ボクたちは香がいじめられないよう前髪を切ってやった。うまくいかず香は泣き出した。しょうがないから三沢のおかあさんに切ってもらった。新しいおかあさんは世話好きだから、シャワーを浴びさせ服を洗濯しきれいにしてやった。父親のところへ行き話していた。忙しいと言う父親に虐待ですよって負けていなかった。おかあさんは香が自分のことは自分でできるよう教えた。毎日シャワーを浴びること。歯を磨くこと。髪の結き方。家の掃除、洗濯、簡単な調理。
だんだん香はきれいになり香の家もきれいになっていった。とうちゃんは長距離の運転から日帰りバスの運転手に変わって、香はひとりで夜を過ごすことはなくなった。ボクたちは香のとうちゃんのバスに乗ったよ。香は嬉しそうだった。とうちゃんはマイクを持って喋り乗客は拍手した。
中学になると香は同志から抜けた。もう女らしくなって香を好きだという男もいた。三沢もボクとはレベルが違うから、あいつは成績は塾にもいかないのにトップだったから、そんなにくっつくこともなくなった。あいつは友達も作らず勉強とピアノに打ち込んでいた。香以外の女とは話もしない。いや、香も女っぽくなると話さなくなった。
3年の夏休みに三沢を生んだ母親が亡くなった。それが原因だろう。2学期からあいつは変わった。ボクが話しかけても無視した。そのうちあいつは不良グループといるようになった。獣医のおかあさんのところから盗んだモルヒネやってるとか噂になって、ボクはどうにもできないでいると、香がやってきて、連れ戻しにいくわよ。我らが同志をってすごい剣幕で。香は自分ちのでかい犬を連れて不良の溜まり場に乗り込んだ。
玄関で、
「出てきなさい。三沢君」
て大声で叫んだ。ワルがふたり出てきてボクはひるんだが、香は犬をけしかけてまた叫んだ。
「三沢君、こんな人たちと付き合っちゃダメ」
あいつはようやく出てきた。
「三沢君、母親が死んだくらいでなにやってるの? 忘れたの? 親なんか乗り越えるんだって。墓に唾吐きかけるって。私はやるわよ。誓ったでしょ」
「静かにしろよ。今、犬が死にゆく」
香の犬を門につないでボクたちは中に入った。部屋の中にバスタオルが敷いてあって、ワルのリーダーが犬をさすりながら泣いていた。皆初めて見た。いや、三沢は祖父母の死に立ち会っていた。元々は三沢のおかあさんが保護した犬で三沢が名前を付けた。シャーロックって。あいつはシャーロック・ホームズ好きだったから。シャーロックは小学生の時にリーダーに引き取られていた。シャーロックは苦しそうに見えたがモルヒネ与えられて苦しくはないんだ、と三沢が言った。下顎呼吸って言うんだ。死に向かうとこういう呼吸になる。
苦しそうだよ。早く楽にしてやりたい。もうひとつモルヒネ飲ませてもいいか? シャーロックはもう飲み込めなかった。集まってた不良たちが犬の死に向き合っていた。1時間も見守ると犬が大きな声で泣き、最期がくるのがわかった。三沢はサッと抱き上げた。その瞬間犬はおしっこもうんちもした。ボクたちは犬をきれいにしてやり箱に入れた。三沢は手を洗い香を見た。香も犬の死に泣いていた。
「香、勇気あるな、同志」
三沢はもとの優等生に戻り卒業式。あいつは女子にボタンをむしられボロボロだった。そこへ香の登場さ。きれいになった香は三沢の前まで歩いてくると、
「握手してください」
と手を出した。女子が見ている中であいつは香と握手した。
「香、おとうさん、大事にしろよ」
かっこよかったな。
小さな木の実
母が死んだ。知らない街で。保険金が入った。
知らない街に墓参りに行った。墓にそっと唾を吐きかけた。うまくかからなくてもう1度かけた。
記憶に残る母は長い髪を金髪に染め、黒ずくめの服装で学校に来た。ある日母は消えた。猫と一緒に。私ではなく猫を連れて消えた。
金は可哀想な犬と猫のために使おう。
それから年賀状を。同志に。三沢君と治に。
おめでとう。母が死んだわ。あの日の誓い、私は守った。泣かなかった。唾を吐きかけた。やったわよ。
✳︎
久々に訪れた三沢邸。亜紀さんに会うのも久しぶりだ。私と父を救ってくれた恩人、私にいろいろ教えてくれた。生理のときも、女性の体のことも避妊のことも……この人の義理の息子に私は恋をしていた。初恋だ。
三沢君がいた。中学を卒業したあとも何度か会っていた。三沢君の家の庭で。卒業式に大勢の前で握手を求めた私の気持ちは、いつも素っ気なくはぐらかされた。
「また捨て猫か。去勢されるのか、かわいそうにな」
動物好きな私たちは慣れていた。飼っていたハムスターの下腹部が腫れて大きくなり、心配して亜紀さんに見せたときは
「睾丸よ」
と言われて安心した。
「ハムスターのタマタマは立派なの」
睾丸、去勢、交尾、生理、……小学校4年だった私と三沢君と治は、そういう言葉を恥ずかしいとも思わず使っていた。
私が亜紀さんに会いに行くのは里親探し……三沢君は会うたび背が伸びていた。
「香に彼氏ができたって?」
「え、ええ。三沢君は?」
「失恋した」
「男に?」
懐かしい舌打ち。
「失恋? あなたが? 女に?」
「ああ、治に負けた。あいつはいい奴だからな。僕よりずっと」
「治ちゃん……」
「納得だろ?」
「そうね。あの子と比べられたらかなわない」
「おまえはなぜ治を好きにならなかった?」
「そうよね。治ちゃんにすればよかった」
「……負けた。負けた」
「ま、恋愛ほど苦痛と努力のいるものはありません。それに耐えれるだけの人間におなりなさい」
「青春論かよ……おまえは強いよな」
中学3年の夏、三沢君を捨てた母親が亡くなった。ずっと優等生でいたこの家の長男は、不良グループと付き合うようになった。亜紀さんの動物病院からモルヒネ盗んで……とか噂になり、私は治と飼っていた大型犬を連れて、取り戻しにいった。同志を。
「そうよね。あなたのために不良の巣窟に乗り込んだ」
三沢君は、かつて亜紀さんが保護した犬の最期を看取っていた。三沢君が名付けたシャーロックは、まだ無邪気だった同級生に貰われていたのだ。
「恐れ入った。付き合わないか? 僕たち、いいコンビだ」
「女だと思ってないくせに」
「好きだったよ。髪がボサボサで汚くて動物臭くて……」
「言わないでっ! 私はひとりで暮らしてたのよ」
思い出したくない。父は長距離の運転手。手入れされなくなったお化け屋敷のような家に、ほとんどひとりで暮らしていた。まだ10歳だった。
「お菓子の袋をナイフで切って、手も切った。血が襖に飛び散った。誰もきてくれない。私はそのまま泣き疲れて眠った。あんたとは違う」
感情の失禁。私はおかしい。三沢君は私を抱き寄せた。憐んで。
「いい匂いだ。ずっとあのままでいればよかったのに。おまえが男だったらよかった」
「あんたは色が白くて女みたいだった。泣き虫だった。雷を怖がってたくせに」
「おまえと治に助けられた。おまえは父親にも歯向かって強かった。羨ましかったよ」
「私は……あなたが羨ましかった。亜紀さんがおかあさんで羨ましかった」
「じゃあ、結婚しようぜ。好きなだけ犬も猫も飼ってやる」
「この家で? 亜紀さんとおとうさんと?」
「おまえの家に住んでもいい。オヤジさんとはうまくやれるよ」
「彼もそう言ってくれるの。父に気に入られてる」
「クソッ。また振られた」
私たちは声を出して笑った。
「血が、怖くない? 母の血。結婚するの怖い。私も母みたいになるかも」
「……結婚か。恋愛の終結。恋の惰性もある。移り気もある。しかし、そのために一々離婚していたら、人の一生は離婚の一生となるだろう……」
「青春論か。亜紀さんがくれた本」
亜紀さんが勉強の遅れをみてくれた。読書の楽しみも教えてくれた。
「ピアノ弾いてよ。小さな木の実」
「絶対いやだ。いやな女」
私は口ずさんだ。歌は過去を蘇らせる。『小さな木の実』は小学校6年のときに音楽会で歌った。三沢君は伴奏しながら歌った。まだ高音のきれいなボーイソプラノだった。三沢君は初めての練習のときに途中で泣き出した。父親を思い泣き出した。私は父との仲が修復できていたが、三沢君は妹も生まれたが寂しかっただろう。治は天使だ。治は他人の悲しみには敏感だ。すぐに気づき大声で歌い、わざと音を外して皆を笑わせて誤魔化した。私も大声で歌った。私たちは同志だった……
同志