流星トライアングル プロトタイプ版
プロローグ
「まひる、大きくなったら僕と結婚してほしい」
そう言って朔夜くんは、出店で買ったであろう三日月のマークが入った指輪を自分の手のひらに乗せて小さな私に向かって差し出した。
さっきまで、迷子になって泣いていたのに。
大好きな朔夜くんが私を探し出してくれて、結婚しようと言ってくれた。
そうしたら、迷子になって心細かったこととか、一人で歩き回ってお腹が減ったこととか、履き慣れない下駄で足が痛いこととか、全て吹き飛んでしまった。
それぐらい衝撃的なことで嬉しいことだったのだ。
だから、私はあの日こう答えたのだ。
「うん! 約束だよ!」
Star.1
昇降口付近に掲示された、新しいクラス表を上へ下へと頭と視線を動かしながら自分の名前を探す。
背は平均的な高さだけれど、新学期とあって同じ学年の人たちが我先にと自分の新しいクラスを確認しようと、クラス表の前でごった返しているため、なかなか自分の名前を私は見つけられないでいた。
ううっ、私の苗字って。
あ行だから、わりとすぐに見つかるはずなのに。
なんで? 全然見つからないよ。
今朝は、念願の一人暮らしが昨日から始まってテンションがすごく上がってたのにな……。
人がもう少し減るまで、どこかで時間を潰すために出直そうかな?
そう思った時だった。
「まひる氏〜!」
背後から、私を呼ぶ声が聞こえる。
私のことをこう呼ぶのは、知ってる限り一人しかいない。
「なみちゃん!」
振り返るとそこには分厚いグルグル眼鏡に首の付け根辺りで二つに髪を結んだ、親友である、なみちゃんこと雨宮なみの姿があった。
「見たでござるか?」
「え?」
なんのことかと首を傾げると、なみちゃんは意味ありげに眼鏡のツルを右手でクイッとした。
「その反応は、まだ知らないということでござるな……この、驚くべき事実を!」
「ええ? なにその意味ありげな反応は……なんだか、怖いよ」
なみちゃんは、ふっ、ふっ、ふっ、とこれまた意味ありげな笑い声をあげる。
怖いことだったらどうしようと、不安がる私を余所になみちゃんは腰に手を当てて宣言するように言った。
「聞いて驚くなかれ! 我ら二人、またまた同じクラスでござるよ!」
「……え? え、ええええっ!」
一瞬、疑問符を浮かべた後。なみちゃんの言葉の意味をようやく飲み込み理解した私は驚きの声を上げる。
「中学の頃からだから……これで、えーと」
「五回連続でござるよ!」
彼女とは、中学一年生から一緒なので同じクラスになるのは五回目である。
「もう奇跡どころか運命だね! 私となみちゃん」
「我とまひる氏は運命という鎖で繋がっているのかも?」
「糸じゃないの?」
そう問い返すと、少し沈黙した後。
なみちゃんは吹き出しながらこう言った。
「ふ、あははっ! 冗談! 冗談でござるよ! まひる氏」
「え? あ、そ、そうだったの?」
顔が熱くなるのを感じながら、目を泳がせる。
うう、普通になんで鎖って言ってきたかわからなくて聞いちゃった。
「相変わらず、まひる氏は天然さんで可愛いでござる」
そう言ってなみちゃんは、口を歪めると手を添えながらニマニマと笑っている。
「もう! からかわないでよ……」
「ごめんでござるよ〜」
頬を膨らまして拗ねる私の両手をなみちゃんは自分の手で包むと謝ってくれた。
「あ! そろそろ始業式が始まるでござるよ!」
周りを見ると、あれほどクラス表を見るためにいた同学年の人たちがまばらになってきていた。
なみちゃんが言ったように、そろそろ体育館に向かう頃合いみたい。
彼女は片手を引っ込めると、もう片方の手はそのままに、私と手を繋ぐと体育館に向かうため昇降口をくぐった。
始業式が始まって校長先生の話が終わると、各クラスごとの担任の先生が決められていく。
そして、ついに私たちのクラスの順番になる。
「……続きまして、2年F組、__先生」
司会進行を務める副校長先生が私たちの担任の先生を呼ぶが、担任と思われる先生が出て来ることはなかった。
ざわざわ、ざわざわ、とクラスメイトたちがざわつく。
担任の先生……どうしたんだろ?
そのざわつきの波紋が他のクラスに伝わるか伝わらないかくらいの時だった。
「すみません! 遅れました」
やわらかく優しそうで、けれど周囲の騒音に負けないくらいはっきりとした男性の声が響き渡る。
クラスメイト、果ては全校生徒の大多数が振り向いた。
そして、例に漏れず私も。
白衣を来て、眼鏡をかけた長身の男性がこちらに向かって歩いて来る。
え……? 嘘。
男性の姿というよりも、男性の顔に私は見覚えがあった。
司会進行役の副校長先生に注意されつつ、その男性はマイクを受け取り自己紹介を始めた。
「初めまして、2年F組の担任になりました、三日月です。まさか、先生になって初日に遅刻するとは思わなかったです」
そこで、生徒たちがドッと笑う。
「まあ、ほどほどによろしくお願いします」
クラスメイトの男の子たちが三日月先生の遅刻のことをからかいつつ、フレンドリーに話しかける中。
私は、その場から動けずにいた。
Star.2
「……ひる! ひる氏! まひる氏!」
「わわっ! あれ? なみちゃん?」
身体と視界がガクガクと揺れ、そこになみちゃんの心配そうな顔が飛び込んできた。
どうやら、なみちゃんが私の両肩を揺さぶって現実世界に戻してくれたみたい。
「始業式、終わったでござるよ」
「え? そんなに時間経ってたの!?」
「ほらほら、担任の三日月先生を見失ったら我ら新しい教室に辿り着けぬでござろう!」
「わ、わわっ! そんなに押さなくても歩けるよ〜!」
なみちゃんに背中をグイグイと押されつつ、三日月先生に引率されながら歩き出したクラスメイトたちのあとを追うように私たち二人は歩き出した。
新しい教室で席につき一番最初にやることと言ったら、学年が変わったら起きる恒例の自己紹介。
「じゃあ、出席番号順に自己紹介してもらおうかな」
三日月先生がそう言ってこちらを向いた。レンズ越しの目と視線が交わる。
声をかけたくて思わず口から言葉がついて出る前に、三日月先生はスッと視線を出席簿に落とすと次の言葉を続ける。
「それじゃ、一番の人からどうぞ」
三日月先生がそう言うので、私は椅子を引いてゆっくり立ち上がる。
ゆっくり息を吸って、そして吐く。
脳内で決めていた紹介文を口から押し出した。
「あ、青空まひるです! よろしくお願いします」
そう短く告げると再び席についた。
すごい緊張した……ちゃんとできてたかな。
自己紹介の出来を心配しつつ、特になにか言われることもなく自己紹介は次に次にと続いていった。
春休みの宿題の提出が終わり、二年時に追加の教科書を受け取り、新しい時間割やその他諸々のプリントを受け取るなどしていたら、あっという間に午前中が終わり帰る時間となってしまった。
話しかけようとしたけれど、なぜかタイミングが悪い事態に何度も遭遇して話しかけられず。
でも、クラスのみんなが帰った今なら聞けるかも!
三日月先生は春休みの宿題を運ぼうとまとめている最中だ。
「先生」
「なに?」
三日月先生はこちらを見ずに応えた。
声をかけているのに見向きもしないのが悔しくて近づくと教卓に指先だけ触れこう言った。
「先生は……朔夜くん、なの?」
そう、三日月先生は五年前に大学への進学のため引っ越してしまった私の幼なじみで初恋の朔夜くんにあまりにも似ていたのだ。
始業式で一目見た時から、朔夜くんではないかと三日月先生に聞きたくてたまらなかったのだ。
三日月先生は宿題のノート数十冊を持って何歩か歩いたところで首だけ振り返って笑顔で答えてくれた。
「他人の空似じゃないかな」
その笑顔は、なぜだか泣きそうに見えた。
一人暮らしの醍醐味と言えば! 深夜のコンビニでお菓子をいっぱい買って食べることだよね!
昨日から一人暮らし開始だったけど、今日の始業式のことでいっぱいいっぱいだったし……。
鼻歌を歌いながら、お菓子いっぱいのビニール袋を片手にアパートの二階に差しかかった時だった。
「きゃっ」
いきなり視界が真っ暗になって、ドンっと、なにかにぶつかる。
不意を突かれたのとぶつかった反動で私はバランスを崩し、そのまま落ちていく……。
「まひる!」
はずだった。
「え?」
一瞬の出来事だった。
私の片腕を誰かが掴んでくれて、そのまま抱き寄せられるようにして二階の踊り場に一緒に倒れ込んだ。
瞬間、甘くて爽やかだけれど鮮烈な匂いの中に穏やかで懐かしい匂いを感じた。
「いたたたた……」
痛がる男性の声が聞こえる。
謝罪とお礼を言おうと、少し上を向いてその誰かを見た。
「あっ……」
言葉を失う。
あの頃と変わらない整った顔立ち、男性だけれど大人の女性のような色気のある雰囲気。
そして、何度も見たハーフアップのヘアスタイル、記憶にあったあの頃より少し長くなって肩にかかるサラサラの髪。
「朔夜、くん……」
ふと、目が合う。
「やっぱり朔夜くんだよね! ね!」
少々食い気味に助けてくれた男性に問いかける。
「いいえ、人違いです」
キッパリそう告げてくる男性。
「え? あ、ごめんなさ……」
あまりに堂々と言い切りるので一瞬、人違いだと納得しかけて……。
あれ? でも、この人……さっき。
「私の名前、呼んでたような……わりと、はっきり」
ジッと、その人の目を見つめる。
「……」
「い、いやー気のせいじゃないかな、空耳……的な」
「……」
「……な、なにか言ってくれよ」
「……」
「……あーもう!」
先に目をそらしたのは、男性の方だった。
そして、男性は自分が朔夜くんであるとヤケになりつつも認める。
「そうだよ……お前の幼なじみ、三日月朔夜だ」
はあ、とため息を吐きつつ前髪をかき上げ渋々と言った感じにガシガシと頭をかいた。
「久しぶりだね! ずっと会いたかったんだよ!」
「うん、嬉しいのはわかったから……」
朔夜くんは、そっと私の両肩に両手を置くと。
「まず、降りようか」
「?」
なんのことかわからず、首を傾げた。
「いや、まひるがどいてくれないと俺が立てない」
そこで、今の状況を思い出し慌てて立ち上がる。
「ご、ごごごごごめんね!」
お、重くなかったかな、私。
というか、かなり朔夜くんの上に乗っかっていたとか、なんていうか色々とその……。
……恥ずかしいよっ!
「相変わらずだな、全く……」
苦笑いしながら立つと、朔夜くんはお尻をパンパンとはたいた。
「いいよ、気にしてないから……それより、ほらこれ。中身がめいいっぱい入っていたおかげなのか、中身飛んでいかなかったみたいだ」
お菓子がいっぱい入ったビニール袋を渡される。
「あ、ありがとう!」
さっきの衝撃で落としたんだ、よかった無事で。
「……」
「どうかしたの? 朔夜くん」
無言で見つめてくる朔夜くんに問いかける。
「いーや? 普段は鈍いのに、変なところ鋭いのはさ、昔からだなーっと思って」
「えー! なにその言い方、貶してるの? 褒めてるの?」
むー! と抗議すると、スッと目をそらす朔夜くん。
「……さあ、どっちだと思う?」
と、言って再度、私を見て不敵にそして艶やかに笑った。
「あ! そう言えば、なんで学校で他人の空似とか言って逃げたの!」
お互いの近況を話しつつ、ふと今日のことを思い出し問い詰めた。
すると、頬を指先でかきつつ朔夜くんは答え始める。
「いやさー、ほら……一応学校だと先生と生徒だし? 立場上さ、幼なじみってバレるとややこしくなりそうだったから……」
「だったから?」
問いかけを強めると、朔夜くんはエヘっと笑いつつ目をそらす。
「つい? あ、あはは……」
「もう!」
怒る私と愛想笑いで誤魔化す朔夜くん。
「さて、と……そろそろ部屋に帰ったほうがいいんじゃないか?」
腕時計で時間を見ながらそう告げてくる。
私たちが話してから、もう随分時間が経つけれど……。
「でも……」
まだ、話していたい。
「でも、じゃない。そもそも深夜に女の子が一人で出歩くのだってあまりいいこととは、言えないんだぞ」
今まで見たことない大人としての顔だった。
真剣な面持ちに、少し朔夜くんを遠くに感じてしまう。
「朔夜くん……まるで、先生みたい」
「いや、これでも先生だからな?」
「……」
五年も会ってなかったんだよ。朔夜くんとまだお話ししていたいよ。
このままお別れは寂しい……。
「あーもう、そんな顔するなよ……」
寂しいと思っているのが表情に出てしまっていたのか、朔夜くんは呆れた顔をしている。
「はぁ……仕方ないな、お前の部屋まで送ってくからさ、それで勘弁してくよ」
前髪をわしゃわしゃとかきあげなら、やれやれと言った様子。
その言葉に、あんなに落ち込んでいた気持ちが、ぱあ! っと晴れていくのを感じる。
「ほんと!」
「あからさまに元気になるなよな……ほら、部屋どこだよ」
「えーっと……」
私の部屋の前に辿り着き、呆然と立ち尽くす二人がそこにはいた。
「まさか、同じ階の隣同士だったとはな……」
「そうだね……」
朔夜くんの言葉に私は肯定の言葉を放ったのだった。
Star.3 朔夜side
じゃあね、そう言って自分の部屋の扉を開けて入ろうとした彼女がピタッと止まる。
「どうした?」
なんだか嬉しそうな顔をして、まひるはこちらを向いた。
「ううん、また明日ね! おやすみなさい」
そう言うと、耳の辺りで結んでいるツインテールが持ち主の気持ちを汲んだように翻した拍子に小躍りするように揺れて室内に消えていった。
バタン、ガチャンッ……。
扉が閉まり、鍵がかかる音を確認すると俺も自分の部屋に戻った。
また明日ね……か。昔の帰り際を思い出す。
まひるがよく言っていた言葉だ。どうせ、また昔みたいに……とか思って言ったんだろうな。
あの嬉しそうな顔は、そうだ。絶対。
玄関の近くにある台所に入り冷蔵庫を開ける。
未開封の水の入ったペットボトルを取り出し、再び冷蔵庫の扉を閉めた。
ペットボトルのキャップを開け、水をゆっくりと飲み始めつつ彼女との会話を振り返る。
『朔夜くん、本当に先生になったんだね!』
『ああ、そのために大学に行ったからな』
『朔夜くんと会うのは、大学の入学式前日の日以来だよね?』
『そうだな、あの日まひるが俺と別れたくないってギャン泣きして大変だった……』
『そ、そうだったかな……』
『その顔は、覚えてるだろ……』
『うー……だって、嫌だったんだもん』
『まあ、仕方ないか……あの時、まひるは小学六年生だし……幼なじみのいつも遊んでくれるお兄ちゃんがいなくなったら寂しいな』
『そうだけど、そうじゃない……』
『なんか言ったか?』
『なんでもない……』
『そうか……というか、お前はなんであの高校にいるんだ? ここ、隣町だし……高校はあの街にもあったじゃないか……』
『え? ああ、それはね。なみちゃんが関係してるの』
『なみ、ちゃん……?』
『あ、えと……雨宮さんのことだよ!』
『あーあの、グルグル眼鏡で、ござる口調の子か』
『うん! 合ってるよ』
まひる曰く、なみちゃんこと雨宮には、目になにか特徴があるらしく。
それが原因でいじめられていたらしい……それをまひるが助けたのだが、いじめによって心に傷を負った雨宮は隣町の今、通っている高校に受験を決めたそうだ。
その縁で仲良くなっていたまひるは、「なみちゃんが行くなら、私も行く! 離れるのは嫌だもん!」と言って、わざわざ着いて行ったらしい。
……着いて行くほうも行く方だが、それを了承する方もする方だよな……。
そこで、水を一旦区切りキャップで閉める。
赴任先を地元にされそうなったから、せめて隣町にして欲しいと粘ってせっかく通ったのに。
まさか、それすらも凌駕してくるとか……怖すぎるだろ。
再会だけなら、まだ……なんとかな、って思うところを俺の担当するクラスで、アパートも隣同士とか……もう、運命というか宿命ばりに強い繋がりを感じてならない。
「はぁ……」
雨宮が悪いわけではない、が。ないのだが……。
「雨宮を恨まざる得ないなー」
と、独り言を呟きつつ、ペットボトルを冷蔵庫に戻し、部屋の扉を開け着替えなどを持って風呂場に向かった。身につけていたものを脱衣所で脱ぎ、男にしては長い髪をヘアゴムでお団子にまとめる。
そして、風呂場に入りシャワーを浴び始めた時に俺はふと思ってしまった。
まひるのことを。
もう……子供じゃないんだな……。
背もスラっと伸びて、髪型は……まあ、まだ子供っぽい気もするが。でも、彼女によく似合っていると思う。ウサギみたいで。
彼女は幼くて純粋で真っ白なまま成長した、そんな感じがした。
「俺とは正反対、だな……」
大人で汚くて、真っ黒に汚れている。
そんな俺とは……な。
母親によく女性らしい、と言われた自分の手を見た。
「ふっ……」
自嘲気味に笑う。
どこが女性らしい、と言えるのか。
彼女の方が、まひるの方が、女性らしかった。
掴んだ手首の細さ、ハーフパンツから覗く色白な脚。抱き寄せた時のやわらかな肢体。
それに加えて、何者にも穢されてないであろう少女特有の無垢さ。
それらをリアルに思い出し……そこで自分の表情が歪んでいるのが鏡に映る。
ああ、ダメだな。
こんな顔、これは……俺じゃない。
俺は、お前の望む『朔夜くん』は、こんな表情をお前に向けない……はず、だ。
その歪んだ顔を映し出している鏡に、持っていたシャワーヘッドを向けてかき消そうとする。
元を断たなければ意味はないとわかっていながら。そうせずにいはいられなかった。
汚い部分は、流さなさないと。こんな俺はいらない、だから……。
自らの欲望を、本能を、鎮めるように沈ませるように鏡面に温水をしばらく浴びせ続けた。
自室兼寝室のベッドに横たわる。
今日は、本当に色々なことが立て続けに起こって疲れたな……。
天井を見上げていると、眠気がやってきた。
ああ、珍しいな……こんなにはっきり眠気が襲ってくるなんて。
どうか……ぐっすり眠れるように、そう祈りながら俺は意識を手放した。
Star.4
「おはよっ! 朔夜くんっ」
お気に入りであるペールピンクのランドセルを揺らしながら駆けて行き朔夜くんに声をかける。
「おはよう、ふぁ〜あ……あ、ごめん。まひるちゃん」
朔夜くんは眠そうにあくびしつつも微笑んで応えてくれた。
「だいじょぶだよー」
えっへん、と胸を張る。
「はい、まひるちゃん」
手を差し出された、その意味はわかってる。
私たちにとっては、いつものこと。
「うん! 朔夜くん」
その手に自分の手を乗せ、二人で手を繋いで歩き出す。
「わわっ! そんなにブンブン振らなくても大丈夫だって〜」
「えへへ〜」
私はこの登校の時間が大好き。
だって、大好きな朔夜くんと一緒にいられるからっ!
〜♪
そこで、ポップな音楽が流れて起こされる。
「んぇっ!」
とっさにスマホをスワイプしてアラームを止めた。
「もう朝かぁ〜……」
めずらしく眠気が強くて深めのあくびをしながら、目をこすった。
なんでかな? と思いつつ、寝起きの頭で思考を巡らすとわりとすぐに答えが出る。
「あ……」
そっか、昨日。朔夜くんと再会して、深夜にたくさんお話ししてたからだ。
結構遅くまでお話ししてたからかな……すごく、眠い。
でも、着替えて学校に行く支度しないと……。
「ていっ!」
パンッと、両手で喝を入れるために両頬を叩く。
「頑張れっ、私っ!」
ベッドから飛び出して着替えつつ、夢で見た思い出を懐かしく振り返っていた。
あの記憶は、小学校一年生くらいの時だったっけ……懐かしいっ。
そうそう! あの頃、朔夜くんは街一番の美少年って噂されてたっけ。
一部の女の子たちからは王子って呼ばれてたような……でも、そこら辺はちょっと曖昧かも。
そう言えば……朔夜くんって、確か左目の目尻にホクロがあったけど。今の朔夜くんにあったっけ?
昨日あんなに大接近したのに、よく覚えてないな……。
首を傾げつつ、制服に着替え終わる。
次は朝ごはん作らなきゃっ!
どっぱーん! ぱぱーんっ!
「きゃーっ!」
なぜかゆで卵を作ろうとして、盛大に大爆発を起こした。
ガンッ! ピンポン! ピンポン! ピンポン!
「え? なになに!」
外でなにかを蹴るような音が聞こえたかと思うと、部屋のインターホンが連打される。
「まひる! 俺だ! 朔夜だっ、なにがあった!」
私は慌てて玄関に向かって、鍵を解錠しドアを開ける。
「まひるっ! 無事か! すごい音がしたが一体なにがあったんだ?」
朔夜くんはドアのフチを掴み、玄関に入ってきた。
「え、えーと……」
ど、どう説明しよう……。
困っている間に朔夜くんはキッチンの方へと向かっていく。そのあとをなんと声をかけていいかわからず追っていく私。
現在、私はキッチンで正座させられていた。
「まひる……」
ドス黒いオーラを放ちながら、朔夜くんは腕を組み仁王立ちしていた。
「は、はいっ!」
笑顔なのに、怒ってることがものすごくわかる。
大惨事になったキッチンを片づけたあと、クッションを持ってこさせられて正座して今に至る。
「まず、例え急な来客が来ても火は止めようか……」
「え、でも……」
口を挟もうとした、次の瞬間。
「返事は、はい、またはイエスのみだ」
有無を言わせぬ気迫が、朔夜くんの宣言した以外の言葉を言おうものなら、この気迫で吹き飛ばさん勢いだった。
「は、はい」
「よろしい」
それからというもの。
ゆで卵の作り方を朔夜くんにみっちり教わっているうちに、いつの間にかきちんとした朝ごはんを作っていた。
お父さんが買ってくれた折りたたみ机に一食分の朝ごはんが用意される。
「わぁ! おいしそー!」
「そ、そうか……」
最後のお皿を机に載せると、気まずそうに朔夜くんは目をそらしつつ。
「あ……じゃあ、自分の部屋に戻るよ。俺」
そそくさと退散しようとするので、思わず服を摘んで引き止める。
「待って!」
「え、」
「一緒に食べよっ! こんなに美味しそうなご飯一人で食べるなんてもったいないもん!」
「いや……でも、」
「なに?」
なにか言い淀む朔夜くんに問いかける。
「スイッチが入ってたとはいえ、お前に怒ったし……しかも、料理も強制させたようなもんだし……」
気まずそうに頬をかきながら、そう言った。
「楽しかったよ!」
「え?」
気まずそうだった表情が、まるで意表でも突かれたように目を丸くして私を見た。
「朔夜くん言ってたじゃない? 調理器具は身近なものだからこそ危ないし、気をつけた方がいいって」
「あ、まあ……な」
「そういうことも教えてくれたし、自分で作る……と言ってもほとんど朔夜くんに手伝ってもらったようなものだけど、でも! 自分で作ってみて料理って大変だけど、とても楽しいって思ったの」
「そう、か……」
再び目をそらして朔夜くんは口元に手のひらを当てて黙ってしまった。
そこで、ふと左目尻にホクロがあるのが目に入る。
あ、今もホクロ、そこにあるんだ……と、しみじみ見ていると。
バチッと音がしそうなほどにガッツリ目が合うけれど、朔夜くんは身体ごと私から視線をそらし背を向けた。
「余った食材で摘めそうなもの作っといたから……」
早口にそう言うと、キッチンから出て行ってしまった。
続いてバタン、と玄関のドアが閉まる音がして私はどうしたんだろう? と思いつつも次の瞬間にお腹が鳴ってしまい、とりあえず朝ごはんを食べることにした。
そう言えば、朔夜くん慌てて来たのかな……スウェットだったのもそうだけど、頭の後ろの方の髪の毛がぴょこぴょこ跳ねてた。
寝起きだったのかな? それともセット中だったとか?
どちらにしても、あんなに慌てて来てくれて……朔夜くんには失礼かもしれないけれど、ちょっと嬉しいかも……。
Star.5 朔夜side
玄関のドアを閉め、鍵をかけて誰の視線もないことを確信してから俺は玄関ドアに背中を預けた。
「あっつ、」
口元に当てていた手を額に当てて呟く。
体温の低い俺は顔が熱いことで自分が照れていることを冷たい手で触れたことでありありと実感させられる。
『自分で作ってみて料理って大変だけど、とても楽しいって思ったの』
思い出したくなんてないのに、まひるの言葉を脳内で反芻してしまう。
なんで、そんな嬉しそうな顔ができるんだよ。
爪を立て両手で顔を覆う。
なんで、なんで、なんで……俺は、こんなに動揺してるんだっ。
「恥ずいな、俺」
大きなため息を吐き出して、そのまま座り込んだ。
「あー……」
そう言えば、寝起きだった。
ベッドから出るか出ないかで迷っていたら、あんな爆音が鳴ったしな。
身なりを確認するために洗面所に向かった。
「うわぁ……慌ててたとはいえ、これはな……」
スウェットは、まあギリギリ許容範囲だとしても、だ。
後ろの髪跳ねまくってるのは……ちょっとな。
ゆるく髪を結んでいたヘアゴムをほどき、空のミニアトマイザーを取り出すと、そこに水を入れフタを閉めて跳ねている部分の髪に吹きかけつつブラシで撫でるようにといた。ついでに髪全体もといておく。
「こんなもんか」
ツヤを取り戻した髪を整えつつ、歯を磨いていく。
「ふぅ……」
部屋に戻って学校へ行く準備をすると、再び洗面所に戻ってきた。
リボンを口に咥えて、高すぎず低すぎない位置で髪をまとめ片手で固定し、リボンを巻きつけて蝶々結びにした。
表と裏で色が異なるリボン、別にそれ以上に特徴なんてないものだ。
そう言えば、表が白で裏が黒だって言ってたか。
かつてこのリボンをくれたアイツの言葉をなんとなく思い出す。
「ふっ……」
あの頃を思い出し、自嘲気味に笑うとケースから取り出した眼鏡をかけて『先生としての俺』に気持ちを切り替える。
春物のコートを羽織って、カバンを肩にかけて玄関ドアを開けた。
ガチャ。
「まひる氏、おはようでござるよ〜!」
「おはよ〜! なみちゃん!」
和気藹々とまひると雨宮が仲良く挨拶をしていた。
「……」
「……」
沈黙する俺と雨宮。
「あ、朔夜くん! おはよっ!」
まひるだけは気にせずに俺に話しかけてくる。
バタン。
み、見なかった! 俺はなにも見てないっ!
様子を見るため、五分ほど玄関で待機した。
「すぅ……はー……」
深呼吸をして俺はまひると雨宮がいないことを心の中で祈り倒しながら、再び玄関ドアを開けた。
「朔夜くん! ほら、なみちゃん。朔夜くん出てきてくれた! おはよっ!」
「明らかに、三日月先生の顔が朝から疲弊しているでござるよ」
いた……五分経ったら、さすがにいないと思ったのに。
観念して笑顔で対処することにした。
「ああ……青空、雨宮、おはよう」
「おはようございますでござる!」
「朔夜く……あっ」
そこで、まひるは俺のことを朔夜くん呼びしていたことに気づいたらしい。
もう手遅れだ、まひる。どうしてくれるんだ。
こ、この場は……。
「青空、雨宮、話があるから家庭科準備室にあとで来るように」
先手必勝に限る。これで、布石は整ったはずだ。
スマートに笑顔でこう告げて、この場を去った。
放課後、例の二人を家庭科準備室で待っていた。
不幸中の幸いとして、この学校の家庭科室と準備室は人が滅多に来ないであろう四階の離れにあった。
俺は、ケトルで沸かしたお湯をマグカップに注ぐとパッケージを切りティーバッグを満たされたお湯の中にゆっくりと入れた。
途端に紅茶の優しい香りが部屋の中を広がる。
コンコン。
「開いてるから、勝手に入って」
マグカップを持ったまま、部屋に入っていい許可を出しつつ振り返る。
「し、失礼しまーす」
「失礼するでござる」
気まずそうなまひると相変わらずな雨宮が入ってくる。
二人を用意したイスに座らせて、焼き菓子が入った大きめのお皿を置いた。
「どうぞ」
「わぁ〜! 美味しそ〜!」
「おお、これは綺麗でござるな!」
少し緊張していた二人の空気がやわらかくなるのを感じる。
「二人とも、紅茶? コーヒー?」
「私、紅茶! えーと、お菓子があるから……」
勢いよく手を上げてそう主張するまひる。
「はいはい、ミルク多めの砂糖少しだろ」
そう、まひるは甘いお菓子があるときは、必ず紅茶をチョイスする。
「雨宮は……って」
「ふふふっ」
「なに笑ってるんだ」
「いやはや、本当にまひる氏と三日月先生は幼なじみなのだな〜と」
クッキーを一つ摘むと、雨宮はサクリと音を立てて食べた。
「見せ物じゃないぞ」
「いや、物珍しさで笑ったのではないでござるよ……ちょっと羨ましいと思ったでござる」
雨宮は顔は……と言っても目はグルグル眼鏡のせい? でよく見えないが、笑っているはずなのに妙に寂しそうに俺には見えた。
「そうか……それで、雨宮はなに飲む?」
「そうでござるな……紅茶は苦いので、出来ればカフェオレがいいでござる」
そう言われて、もしかしてと思いこう投げかけてみた。
「あー……もしかして、雨宮さ。マグカップにティーバッグ入れてからお湯注ぐタイプじゃないか?」
すると、やはり思った通りの反応が返ってきた。
「そうでござるが……それがどうしたでござる?」
「一緒に苦くない紅茶を淹れてみないか?」
「苦くない……紅茶、でござる?」
「ああ、」
「朔夜くんの淹れる紅茶は美味しいんだよ! ティーバッグなのに苦くないんだよ!」
迷っている雨宮にまひるが勧める。
「苦かったら、代わりに飲むからさ」
ダメ押しで言ってみる。
「まあ……そこまで言うならば、」
「と言っても、覚えれば誰でも即実践できるんだよな……」
先ほど沸かしておいたケトルのお湯を二人のマグカップにそれぞれ注ぐ。白い湯気がふわっと広がって消えていった。
「好きな紅茶のティーバッグをゆっくりお湯の中に入れて……」
「はーい」
「うむ」
二人はそれぞれティーバッグが入っていた紅茶の箱の能書を見て選んだフレーバーのティーバッグをお湯に沈めた。
それぞれのフレーバーの匂いが部屋中に広がる。
「それで、二分待ってそのあとティーバッグを取り出せばいい」
アラーム設定をしてスマホを机に置いた。
「あ、小皿取ってくる」
ティーバッグを置く用の小皿を探しに家庭科室へと向かった。
どこにあるんだろうか? と探していると。
「小皿は目の前の棚の引き出しでござるよ、三日月先生」
言われた通り、目の前の棚の引き出しを開けるとたくさんの小皿が入っていた。
小皿を必要な枚数だけ取り出して引き出しを閉めて振り返る。
「ありがとな、雨宮」
「いえいえ、礼には及ばぬでござるよ」
そこで、ふと……雨宮の格好が気になった。別に特段おかしなところはないはずだ、なのに妙に気になる。
けれど、気になると確認したくなるのが人間というもので。俺は雨宮を頭の方からゆっくりと見ていくことにした。
まひると比べると少し高い背丈、明るめの髪は低い位置で結んでいる、特徴的なグルグル眼鏡。
そして、この学校の制服である青と白が基調になっているセーラー服。
別におかしなとこはない、ないはずだ。
強いていうなら、セーラーの中に首元まで覆う黒いインナーを着ていることとプリーツスカートの丈がまひるを含めた他の子たちとは違い膝が見えるか見えないかの長さであること、そして黒いタイツを着用してることくらいだろうか……。
んん?
再度、彼女の格好を確認した時に脳内でその違和感の答えが掠めたような気がした。
「どうしたでござる?」
もう少し深く考えようとしたら、雨宮が目の前にいて下から覗き込むように俺を見ていた。
少し、いや……かなり驚いたが、それを出さないように平然を装った。
「いや……え? 雨宮、その目は……」
かなりの至近距離で覗かれたせいで、普段は見えない雨宮の目が眼鏡越しに見えたのだ。
その特徴的な目のことを雨宮に聞こうとした時だった。
「なみちゃーん! 朔夜くん! あ……せ、先生!」
もう手遅れ感溢れる感じで言い直しつつ、まひるが家庭科室の方へ入ってきた。
雨宮はサッと俺から離れるとまひるに駆け寄っていく。
「どうしたでござるよ〜まひる氏」
「先生のスマホが鳴ったんだけど、二人がなかなか帰って来ないから……」
「それで心配で来てしまったんでござるか! 我と三日月先生はまひる氏に愛されてるでござるな〜」
そう言いながら、雨宮はまひるを片手で抱きしめつつ片手では頭を撫でる。
「え? あ、あいっ? ち、違うよ!」
「え〜……まひる氏は、我ら二人を愛してないでござるか? 遊びだったのでござるかっ」
雨宮は、サッとまひるから離れて大袈裟に泣くフリをしている。
「え? あ、あの……えっと、」
あーあ、そろそろ助け舟出してやるか……。
「はぁ……雨宮、青空が泣きそうだから。そろそろやめてやってくれ」
「むぅ、仕方ないでござるな〜……まあ、我もまひる氏を泣かせるのは不本意でござるからな」
雨宮はそう言って、「まひる氏冗談でござるよ」と言ってまひるに謝罪した。
準備室に戻ってまひるは開口一番にこう言った。
「そう言えば、なみちゃん。さっき私と朔夜くんが幼なじみって言ってたけど、なんでわかったの?」
「あーそれでござるか? まひる氏が昔話しておった幼なじみの男の子の名前が『さくやくん』と言っていたのと、まひる氏が三日月先生を『朔夜くん』と呼んでいたからでござるよ」
変なところで答え合わせされてしまった。
まあ、雨宮に話を合わせつつも、その辺りは気になってはいたが……まさか、そんなことで幼なじみだとバレたていたとはな。
「雨宮、その……青空とのことだが……」
当初の目的である口止めをお願いしようとする。
「わかっているでござる、二人が幼なじみであることは口外しないでござる」
「ありがと〜! なみちゃん!」
今度はまひるが雨宮に抱きついた。
「あーでも、交換条件があるでござる」
ぎゅうぎゅうと抱きつかれながら、雨宮はまひるの頭を撫でつつそう告げた。
「なになに? 私なんでもするよっ」
まひるは嬉しそうに雨宮を見つめる。
俺は、雨宮がなにを要求してくるのか内心ヒヤヒヤしていた。
「えーと、たまにでいいでござる……また三人で、こうやってお茶がしてみたいでござるよ」
雨宮は、普段の雰囲気とは打って変わって恥ずかしそうにそう言った。
俺とまひるは、顔を見合わせこう言う。
「ああ、またやろう」
「うん! やろう」
俺たちは残りの焼き菓子と紅茶に舌鼓を打ちながら、小さなお茶会を終えたのだった。
焼き菓子は俺が作ったものだと言ったら二人とも驚いていたな……。
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