「病」

 どこまでも沈んで居たい
 わたくしだけの秘密の海へ
 それは始め露地裏の水溜りであった
 やがて池となり
 湖となって
 たうたう海となっていた
 見よ この水晶のみずかけら
 硝子に青を溶かした天のみなもを
 目隠しにされたをとめの従順さながらに映す
 海は青く
 透きとほる
 月の光を
 聖母のほほえみを一つ一つに宿しては
 鱗の生きものを孕んだ雫たち
 海をなす
 わたくしだけの 海をなす
 本当は水は恐いけれど
 この海だけはだいじょうぶ
 わたくしは沈もう 沈んで居よう
 残酷なをとめのように眼を閉ざして
 幼子のようにふあふあと身をまかして
 胎児のように俯向いてくるまって
 そうしてずっと沈んで居よう
 ご覧 海月の頭はしらつめ草
 なつかしい 青草の記憶
 手毬?
 いいえあれは蝶たち
 蝶々が色に遊んで居るの
 此処は暗いけれど
 油絵の具の黒じゃない
 夜の色 黒曜石の羽の色
 沈黙を信じる幻の鳥の色
 天道の流れを血と共に巡らす 時の海
 時の海は曠劫なる
 平原よりも遥かなる
 わたくしはずっと沈んで居よう
 人一人でいい
 わたくしの海 秘密の海
 白椿の花が
 わたくしの口から泡のように吐かれたる

「病」

「病」

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-05-15

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