風の唄

風の唄

ガタゴト ガタゴト

と、私は一定に刻まれるリズムと振動に耳を傾けながら、電車に揺られていた。
ふと、腕時計に目をやってみる。短針は10時を長針は28分を指している。本来なら会社でパソコンに向かっている時間だな。
私は今日、いつもより長く電車に乗ってみた。決して降り損ねた訳じゃない。
何故そんな事をしたのか?と聞かれれば「国に搾取されたくない」だの「社会に飼い殺されたくない」だの「自分という存在について考えたい」だの、十だろうが百だろうが百億だろうが理由を答える事ができるだろう。
だがしかし、世の中ではそーゆー行為を「迷走」と言うのだろう。「最近の若い者は」の一言で片付けられてしまう気の迷いでしかない。
それを考えると、内心落ち着きの無い自分が如何に滑稽で小心者であるかが分かる。いや、小心者である事は百も承知だ。もっと勇気と度胸と才能があれば、資本主義の一つや二つひっくり返してやりたい所存だ。
だけども、結局私は卑屈なんだ。何かの集団に属さない限り安心ができない。
小学生の時は、友人の輪の中に加わる為、好きでもない少女漫画を読み漁ったものだ。
中学生の時は、部活内での反感を買わない為、常に真摯な態度で励んだものだ。
高校生の時は、バイトをクビにならないように、常に周りの顔色を伺ったものだ。
大学生の時は、サークル仲間にノリを合わせ、好きでもない酒を飲んだものだ。
そして今は、社会という集団から隔離されない為、人並みの会社に就き、人並みの功績を残し、人並みの生活を送っている。
「自分とは何か」と聞かれれば「そんなものは無い」としか答えられないだろう。だがしかし別に不満は無い。「自分」が見つかった所でなんだと言う?そんなに他者からの干渉が嫌なら、一人で山に篭ればいい。
「国に搾取されるのは嫌か?」と聞かれれば「そんなことは無い」と答えるだろう。生物は皆、搾取し合って生きる他ないからな。
するとやはり、何故会社を無断欠勤したのか。という疑問が、矛盾となって現れる。
そんな事私に聞かれても分からない。人の気持ちなんてそんな物だ。
……と…頭の中で自分を正当化するための理屈を捏ねていた。
しかし浮かび上がるのは屁理屈ばかり、そして残るは小心者の私だけだ。
考え事をしてる内に、視線が足元にまで落ちている事に気付く。私は少しでも気分を上げるため、車窓の方に目をやった。
四つ角に切り抜かれたガラス板の向こう側では、田園風景が右から左へと流れていた。
その牧歌的で慎ましく、たよやかな景色に魅せられ、私は次の駅で降りる事を決めた。
電車が失速を始めた。どうやら駅が近いようだ。前方にはトタン屋根の付いた、石畳のプラットフォームが見える。先程車窓から見た景色と同様、この周辺は駅まで牧歌的である。
電車内の電子案内板を見てみる。どうやら家から16駅も離れた場所に来ているらしい。駅名標には「紅山麓」と書いてある。特段観光名所という訳でもなく、正直私も存在を知らなかった地名だ。
電車のドアが開く。私は少しの不安と好奇心を胸に抱き、人生で初めてのプラットフォームに足をつけた。
どうやら私以外は誰も駅に居ないようだ。
ICカードを使い改札口をぬける。途端に広がるのは舗装されてない泥道と、車窓から見えた田園風景。少し遠くには瓦屋根の家屋もうかがえる。私はこの場所を少し散歩してみる事にした。
少し眩しい照りつける朝日。いつもと少し違う味の空気。
そして稲穂の実った水田。全てが私にとって新鮮な物だった。
水田の前に立ち、心地いい風を浴びてみる。その風に揺られる稲穂達は、まるで水面のように波を作っている。私の心も、その波に流されるように揺られていた。
そんな時、私の後ろから少し嗄れた声が聞こえた。
「ちょうど収穫時期なんですよ」
少し驚いて振り返る。すると、如何にも農家という風貌の、少し腰の曲がった男性が立っていた。
「いやぁ、、、これは失礼、驚かせてしまいましたな。なにぶん、こんなド田舎に若い人が来るなんて珍しくて。」
男性は少し照れくさそうに言った。

「いえいえ、こちらこそ。少しボーッとしてました。」

「ハハハ、今日は風が気持ちいいですからね。朝日も温かいし、秋を感じさせるいい日です。ところで、何故こんな場所に来られたんですか?」
屈託もない様子で男性は聞いてきた。
その時私は何故か、、この人には少しだけ悩みを聞いてもらいたいと思った。遠くの場所に来た為か、普段は周りに相談できない事を打ち明けてみたかったのだ
と思う。
「私、実は今日会社を無断欠勤したんです。長い間電車に乗っていると、、いつの間にかここに来ていました。」

「ふむふむなるほど、、、いやね、僕は農家一筋でやってきたから、都会のアイティー会社?とかいうのは、どんな物か知らないですよ。でも、、、どんな仕事であれ休みたくなるものなんですね。」

「別に、休みたかった訳じゃないんです。自分でもなんで無断欠勤をしたかなんて分からないんです。」

「いやぁ、別に理由なんて要らないんじゃないですか。人生なんて瞬間の積み重ねですからね。逐一理由を付けて行動してたってキリがないですよ。その時どうしたいか、が重要なんです。悔いを残さない為にもね。」

「でも、、、私は弱い人間なんです。瞬間を生きるなんて到底できない。幼い時から集団に属する為に妥協し、その度に自分を殺してきました。そんな私に直感力なんてありません。今も社会という集団から隔離されたような気分で凄く不安なんです。」

「ハハ、それがなんです?集団に属さなきゃ生きられないのが人間でしょう。あなたは別に弱い人間じゃない。それで普通ですよ。それに直感力が無いと仰いましたが、それなら今我々は出逢ってません。あなたは十分に「自分」という物を備え持ってますし、それは凄く大切な事なんですよ。」

「その少しだけ残った「自分」というのが嫌なんです。何故なら自我は勝手過ぎる。友人も恋人も家族も同僚も上司も、みんな御為倒しに塗れた行動しかしないんです。それがたまらなく嫌なんです。私が属してきた「集団」も、その御為倒しによって形成された体たらくだと思うと、、、自分のみならず人生の価値も曖昧になるんです。」

「そうですねぇ、、、別に私は、あなたの考え方を否定する訳じゃない事を前もって言っておきます。まず、あなたは人の行動全て「損か得か」で割り切れると考えてますね。完全に間違いだとは思いませんが、少しだけ解釈の仕方が違うと思うんです。僕が思うに、人間の行動の根源は感情です。その感情の根源に損と得が「割合として」存在していると思うんですよ。つまる所、人間は0か1かではなく、0と1の割合で成り立っているんです。」

「なるほど、、、でも社会という集団は違いますよね。社会は私益追及により成り立ってます。働くのは自分が生きるため。人の命を救うのは自分が生きるため。貧しい国の人を助けるのは自分が満足するため。他人の幸せを願うのは自分の幸せの為なんです。」

「その通りですよ。それが今生きる方法です。僕だってそうですからね。稲を大切に愛情込めて育てるのは、最終的に自分がその恩恵を受ける為です。それが社会の形です。でも、あなたは社会にだけ存在する人間ですか?違いますよね。会社を出た瞬間から、あなたは世界に存在する人間になるんです。僕やあなたは、今世界に存在する二人の人間なんです。人生は世界を感情に基づき楽しむ為にあると僕は思うんです。しかし幸せの基準は人それぞれ、あなたは多分今まで社会に囚われてきた。ではこれを機に、自分の幸せの基準について考えてみてはいかがでしょう?きっとすぐに見つかりますよ、あなたもこの世界の住人ですからね。」
私はとうとう返す言葉が無くなってしまった。少しの沈黙を経て、男性は口を開いた。
「ところで、いいタイミングに来ましたね。あと2日ばかり来る日がズレていると、もう収穫されてましたよ。この時期の田んぼは綺麗ですよね。自分の稲がよく育った所を見ると、農家として誇らしくなります。」

「確かに、、すごく綺麗です。私がいつもご飯を食べられるのも、あなた達のおかげですね。ありがとう。」

私がそう言うと、男性は顔を少し赤らめて鼻を擦った
「では、僕もそろそろ仕事に戻りますね。あなたにとっての幸せが見つかるように願ってます。」
と男性は言い、田んぼの奥へと歩いて行った。

そんな男性の後ろ姿を眺めていると、私も居るべき場所がわかった気がした。
また駅の改札口を通り、石畳のプラットフォームで電車を待つ。太陽はちょうど真上に登っており、トタン屋根の模様を石畳の上に映し出していた。陽炎と共に揺らめく射影を眺めていると、一定のリズムが聞こえてきた。

ガタゴト ガタゴト

風の唄

風の唄

会社を無断欠勤するという愚かな行為をした主人公。 そんな彼女が行き着いたのは、田園風景の広がるド田舎だった。

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-05-12

Copyrighted
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