夢十夜第八夜から「沢村投手」及び「其の後の赤穂浪士と細川家」

夢十夜第八夜から「沢村投手」及び「其の後の赤穂浪士と細川家」

幻の名投手・・沢村・・。

 本日のTV番組表にNHKでべーブルースについて放送するとの記載があった。其処で、USAでは無く此の国にも素晴らしい選手がいた事を載せた。



 沢村栄治が出場している。
 沢村を直接見られるのは珍しい。
 何しろ戦前の選手。
 グラブは今とは全く異なり、まるで団扇の様な形をしていて捕球をするには適さない。
 尾上雄二の子供の頃だったが、若かりし頃野球をやっていた父から貰ったものだ。
 その点今のグラブは球を包み込むようで柔らかい。
 沢村の姿を見るのは本当に久しぶりだが、見間違いでも無く幻の名選手沢村が此方を振り返り笑った。
 此の国のプロ野球史上に残る伝説の選手が目の前にいるが、史上2人目のシーズン防御率0点台や、史上初の投手5冠、史上初のノーヒットノーラン達成(及び最多タイの3回の達成)と次々に記録を打ち立てた。 
「沢村賞」という言葉は知られている。プロ野球のピッチャーとしては最高の栄誉だし、巨人軍で背番号「14番」は永久欠番。
 静岡県の草薙球場は現在でも県で最大の球場として、毎年甲子園球児を送り出しているが、此処でUSAの大リーグとの試合が行われている。
 1934年の11月、日米野球の全日本チーム。5試合に登板(4先発)し六回までは得点を許さなかったが、7回裏のルー・ゲーリックの打順。
 ゲーリックは沢村の球を捉えソロホームランを放った。其の後は得点を与えず、結局試合終了となったが、八回まで投げた彼の成績は五安打一失点のみで、残念ながら味方の援護が無かったから、ゼロ対一で試合は負け。
 身体は大きくは無いが豪快な足上げフォームのオーバースローは目につく。
 沢村の後を追っていったら、第一次アメリカ遠征で21勝8敗1分けの戦績を残した様子が見えて来た。同じ年の国内で22勝1敗。
 此の国ではノーヒットノーランを達成したが、続く1937年春は24勝・防御率0.81の成績で、プロ野球史上初となるMVPに選出され、さらに2度目のノーヒットノーランも記録。
 スピードの記録は残されていないが、快速球投手。
 ところが、野球選手も大東亜戦争に行く事になり、前線で手榴弾を多投させられたので右肩を痛めている。
 戦闘では左手を銃弾貫通で負傷。さらにマラリアに感染。何度かマラリアの為に球場で倒れている。
 其ればかりか右肩の故障で本来の速球のオーバースローが投げられない。
 すぐにサイドスローに変え、抜群の制球力と変化球主体の技巧派投球を披露した。結果3度目のノーヒットノーランを達成。
 再び戦地に出征。
 結果、もうサイドスローで投げることも出来無くなり、肩への負担が少ないアンダースローに転向している。
 ところがまた戦争に駆り出され、結局、彼の乗った軍用船は屋久島沖西方の東シナ海でアメリカ海軍潜水艦「シーデビル」により撃沈された。
 当然ながら沢村は屋久島沖西方 にて戦死した。享年27歳という若さだった。
 野球殿堂入りもし、沢村の御霊は「御英霊」の一人として、故郷の三重県護国神社に祀られているが、余りにも惜しい名選手を死なせた。

 沢村は174センチ71キロ。
 大谷は193センチ95キロ。
 此の比較からしても、体格による差は歴然としている。
 増してや、時代が異なるだけでなく、食料事情・その他の環境など何もかもが全く違う。
 同じ事と言えば、大リーグ相手に活躍した伝説の名投手と、同じく現代の名投手。

 仮にも試合で投げ合うという事など不可能だが、大リーグ相手に活躍・・は同じ。
 あのホームラン王で知られるベーブルースも打ち取った時には皆驚いたもの。
 雄二は最近TVを見る事も、プロ野球を見る事も無くなった。阪神タイガースで活躍をした外国選手ランディー・バースの時代まで。
 大リーグのイチローも素晴らしかったが、大谷は生まれ持っての立派な体躯に恵まれているし、平和な時代に思う存分活躍でき幸せとは結構な事。
 自衛隊の人員に不足が生じているという。平和憲法を改正し自衛隊の文字を入れる?
 今度の戦争に担ぎ出された自衛隊員・・ヘリが落ちただけで大騒ぎも頷けるのだが・・いざとなれば次々に同じ様な事が起きる事も満更否めない訳ではない・・お国の為・・?
 死に至る事を望まないのは・・自衛隊員も同じでは無いだろうか?
 
 訓練はしたにしても実戦で敗退をしだせば・・まあ、平和が長続きし過ぎたに尽きるのだろう。

 つくづく感じるのは、歴史が一人の名選手の運命を幻と変えてしまったという事。
 そして再び・・此の国は戦前に戻るかのように・・軍備を強化させているのだが・・一体誰がそんな事を・・?

 沢村は戦争の無い世界で、自分の実力を思う存分、しかも国に遠慮なく自由に発揮したかっただろう。
 彼の家族は何故か・・巨人軍にも此の国にも笑顔を見せないと聞くが・・?

 以前は暑い夏が来る度、野球の事・・沢村の事を思い出したものだ・・其れさえも知らない平和国民に問いたい・・其れ程軍備増強が必要なのか・・其れとも政権の交渉力さえ優れていれば・・ではないのか・・?


 晴天の昼間。真夏の陽は真上からじりじりと照り付け、何処からか聞こえてくる野球場の歓声。
 砂嵐の如く舞い上がる土埃までが熱を持ち、脛を焦がすようだった・・。




 其の後の赤穂浪士と細川家~日本初の歴史戦国ポータルサイトBUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)から転写させて戴いたが、尾上雄二は決して・・その方の著作権を侵害するつもりは無く、また、商用では無い事を記載する。

 赤穂浪士が仇討をするきっかけになったのは御存じ浅野内匠頭が殿中で吉良の仕打ちに腹を立て斬りかけた事になるが、更に、悪い条件が重なり、時の幕府将軍と京の御門~天皇との儀礼が進行する前に起きたため、腹を立てた将軍が異例の、即刻切腹を申し付けた事に端を発する。

 赤穂浪士が無事討ち入りを果し泉岳寺に眠る藩主であった浅野内匠頭、の墓前に吉良の首を・・と言うところ迄は良く取り上げられる。
 現代で言えば仇討は殺人罪に相当するので、此の国の三大仇討の一つであるこの事件も犯罪と看做される。
 綱吉の命で家は潰されるし、主君は即日切腹を仰せつかったのだが、此の国では「あっぱれ」の国民の声が至る所で聞かれた。
 殺人罪といっても当時の武士は切腹できるのはまだ良い方だと思っていたようだ。
 結局、切腹の為に預けられたのが四つの家だった。家といってもそんじょそこらの家ではないよ、藩主の家の事。
 四つの家に預けられた内の三つは兎も角、細川家につき今日は話をする。細川家といえば、大河ドラマ『麒麟がくる』で世間的にも注目された細川藤孝(細川幽斎)や、その息子でキレすぎる風流人・細川忠興の家で知られる。

 忠興には、なかなかエキセントリックな一面があったが、跡を継いだ細川忠利以降は名門に相応しい振る舞いをしており、この頃の当主は細川綱利(つなとし)という人で、忠利の孫。
 細川幽斎から数えれば五代目にあたるそうだ。

 元禄十六年(1703年)ともなれば、戦国の気風はかなり薄れ、あちこちの大名家で財布の紐やウエスト周りが弛んでくる頃合。
 が、さすがに室町時代からの名家は違ったという。
 綱利は浪士たちの預かり先、しかもリーダーだった大石内蔵助良雄を含めた17人という最多人数を任せられることが決まると、到着が真夜中だったにもかかわらず、ずっと起きて待っていたという。
 さらに罪人に対するとは思えない食事(二汁五菜)や菓子に酒、部屋、風呂に嗜好品の世話までしてやり、大石については直々に会って話を聞くなど、彼らのやったことを肯定するような行動をした。
 一応幕府に許可を取ってはいたものの、ヘタをすれば細川家の命運に関わりそうなもの。
 しかも助命嘆願だけでなく、わざわざ山へ神頼みに行くわ、「命をお助けくださるなら、我が家で召抱えたい」とまで申し出るわ、願掛けのため精進料理に切り替えるわ、相当な入れ込みようだったそうだ。

  細川綱利が規格外だったのかもしれない。
 とはいえ彼も武士ですから、幕府から「切腹させよ」と命じられれば従わざるを得ない。
 最後の情けか悪あがきか。「端役の者では彼らに礼を失する」として、介錯人(切腹の際止とどめを刺す役)に重臣や自分の小姓を当てるなど、心配りを見せた。
 (実は案外切腹は難しいものがあり、其処で介錯人の腕が良い事が要求された。市ヶ谷の自衛隊駐屯地に立て籠もった三島由紀夫も大変だったように聞いている。此方は1970年の事。)
 綱利も自分の家を守らなくてはいけないから、最大限の配慮をすることで浪士達に礼を尽くしつつ、幕府への体裁も整えた。
 さすがに50万石もの大大名である細川家を潰すわけにはいきませんからね。綱利もなかなかやりますなぁ。
 こうなると赤穂浪士たちを預かっていた他の三家がショボく思えてしまうかもしれませんが、綱利が規格外すぎただけのことなので、彼らが悪いわけではない。
 むしろ細川家が代々幕府の役に立ってきた家だったからこそ、お目こぼしをしてもらえたのだろうという。
 もし普段から幕府に反抗的だったり、さほど熱心にお勤めをしているようには見えない家だったら、これを機に何らかの処罰がくだされていたかもしれない。

 此処からはコピーが出来ませんので。簡単に趣旨だけを載せてみます。
 港区高輪の旧細川家下屋敷跡にはITALY大使館が立っているそうで、どうやらその大使館に、「大石義男外十六人忠烈の跡」という石碑が立っているという。
 同じく三田松平家の中屋敷跡には浪士たちの忠義を称える碑が立っているそうだ。
 因みに、供養までしてくれているそうで、ITALYに足を向けて眠れないという事の様です。
 死にたくない人もいたのかも知れず、まあ、そんな事は言わないでしょう。
 皆さんのような考えでは無かったわけですから。
 もう少しで終わるが、時代が違うとはいえこの国の伝統は、忠義・仇討(此れは目下(めした)の者は対象に出来ず、あくまでも目上の者や目上の家族など。)大東亜戦の特攻精神(此れはUSAのような白人種には、というか他国全般にあり得ない事だったのでしょうが。此の国の且つての国民とは・・兎に角やるべきことはやらねばならないだった。終戦後も飛び立って行った中には、少年や女性が操縦する機もあったのです。其れは仕方が無かったからであり、彼等こそは決して軍備増強には賛成しないと思います。)




「もし人格のないものが無闇に個性を発展させようとすると、他を妨害する。権力を用いようとすると濫用に流れる。金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです。夏目漱石」

「阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。芥川竜之介」

「人知におもいあがっている人間はいつかそのためむごい罰をこうむる事があるのではなかろうか。志賀直哉」



「by europe123 piano・borarennto・E,piano」
https://youtu.be/N6mykOAclrI
 

夢十夜第八夜から「沢村投手」及び「其の後の赤穂浪士と細川家」

今でも「沢村賞」というものがある。

夢十夜第八夜から「沢村投手」及び「其の後の赤穂浪士と細川家」

戦争の犠牲になっていった。 今、彼がいれば、軍備増強など・・愚かな事に過ぎず・・と言うだろう・・。 二番目は・・赤穂浪士と細川家・・。 自衛隊も・・実は・・隊員の定員数が減っているので・・艦船の乗員に外国人を募集すると言っている・・。 自衛隊員も皆さんも・・死にたくないのでは・・我々とは・・考え方が異なるので・・。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-05-10

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