緑の魔窟(ホスト・クラブのお話)

          *  1  *


「タルい」
遼(りょう)はそう言って消えた。
歌舞伎町の『緑の魔窟』からどこへ飛んでいくのだろう?
未回収の掛売りはみんな踏み倒して、立川か八王子あたりかな。
NO,1になるって夢をしゃべってから、まだ1年にもなっていない。
わたしは彼の本カノのはずだったけど、ついていく気もないから残るつもり。
彼、ラインやメールのアカウントいっぱい持ってて、営業以外にも趣味枕で浮気激しいし。
リアバだって、いくつあるんだか。
あたしが風エスで稼いで貢いでんのに感謝もしないでせびって来る。
「女食っていい思いすんのがガキのころからの目標ってコト」
ドヤ顔で言ってた。
オラオラ系だからパワハラっていうか、暴力もあったし。

 わたしはしばらくメンエスで稼ぎながら、次のだれかを探すつもり。
お茶引くと給与保証ないから収入ゼロだけど、客多いし、1客あたり1万円は越えるから率はいい。

 浮かぶのは風俗のお金で100万のシャンパンタワーを初めて卸した日のこと。
まだ、遼(りょう)の目もNO,1の夢でキラッキラのころだった。
人気のドンペリ・ピンクを入れて、もちろん、その日の最高額。
店中のホストが集まって、オール・コールより賑やかで華やかなミリオン・コール。
周り中、わたしを褒め称える男の子たちの笑顔と拍手の渦。
指笛や歓声や雄たけびが店内にこだましてお祝い気分一色。
その中に輝かしい王者みたいに遼(りょう)が屹立して言うの。
「姫、一言ど~ぞぉ」
マイクを向けられて、その店独特のコール・リズムにのせて
「ガンバ、ガンバ、遼(りょう)ちゃん、わたしもガンバ す・る・ね。イェイ」
他の客の羨望と憧憬とちょっぴり嫉妬のまなざし。
その日のラッソンを遼(りょう)に抱かれて聞くドーパミンだだ漏れの時間。
どこかの店では4,000万の「ペルフェクション」が入ったというけど、ホスト・ギョーカイは段々に斜陽化してる。
遼(りょう)の夢はいつかなうのだろう?


          *  2  *


 ホスト狂いって麻薬みたいに、もうやめられないんだよ。
遼(りょう)がいなくなってからは、しばらく足が遠のいてたけど。
お金使ってちやほやされて、そんな自分に酔いたいわたしは初回みたいに男本を開く。
新人が何人か入っていた。
フツーの店はたいていお客1人にホストが2~3人付く。
(あ。この子)
アキラというカタカナの源氏名。
気だるげにこっちを見てる正面からの写真。
誰かに似ている気がして記憶をたどる。
(あ~、あの人)
そう、風水で髪をまっ黄々に染めたおじいさん。
美輪なんとかとかいう人の少年時代の白黒写真に似ている。
現代的な整形顔が並ぶ中に、目も鼻もおでこもアゴもエラも、なんにもいじっていない古風な地顔。
大きな目の独特のまなざしがじんわり魅了してくる。
「アキラくん、呼んで」
 
 彼はヘルプについた子と2人で軽くフザケながらわたしの卓にやって来た。
新人は接客も未熟であんまり楽しくないから名ざしは少ない。
だから、素直にうれしいのだろう。
「ご指名ありがとうございます。姫」
礼儀正しく一礼してから席に着く。
意識高い系のスーツをトラッドに着こなしているのが好印象。
笑顔が初々しくてなんとなく新鮮だし、ヘルプの星野剣(ほしのけん)って子と仲よさそうなのもいい。
わたしはずうっと遼(りょう)だけだったから、オラオラ系の子しか知らない。
彼は粗暴でケンカっ早くて、お店でもDV系の怖い部分を出すことがあった。
本カノだからなにをさらけ出されても仕方ないって、そのときのわたしは思い込んでいたのだけれど。

 この日は卓についていない子たちが何人か加わった、ごくフツーのシャンコで終わりにしたけど、なんかキラッキラしていたな。
ヘルプの剣(けん)が気を使ってペラペラ盛り上げようとしてくるので、アキラは冗談っぽいツッコミだけであまりしゃべらなかったけど、
「失礼します」
と、わたしの肩に手を回してくる。
色恋や本営の前振りでよくあることなんだけど、なんとなく気分がいい。
体を預けると、そっと手を取って放さないでいてくれた。
銀の指輪がいくつもはまった冷たい手。
芸術家みたいに繊細で長い指とそれを包む硬質な皮膚ががなんとなくセクシーで、彼のカノになってみたい。
遼(りょう)のカノで懲りたはずなのに。


          *  3  * 


「おれ。歌舞伎町、帰るワ」
忘れかけていた遼(りょう)からのいきなりのTEL。
「え……」
びっくりして言葉が出ないわたしに続けて、
「おまえさぁ、おれのかわりに店に掛売り返しといてよ。いいじゃん、45万くらいで大した金額じゃねぇし」
「うそっ。ヤダ。あたし、もうあんたのカノじゃないし、勝手に飛んだくせに調子こかないでよっ」
声が完全拒否してた。
彼がケタケタ笑うのが聞こえる。
「おれは今でもおまえをカノと思ってる。逃げんなよぉ。おれ、怒らせたら怖いよなぁ」
893まがいの口調が昔のDVをよみがえらせて、ゾクッと震えた。
「イヤッ。絶対イヤ。とにかくツケはかわりに返したげる。けど、それだけ。カノじゃないから。それ聞かないなら、わたしなんにもしてあげないっ」
とにかく自分の言いたいことは全部言い切る。
そうしないと、昔のようにナメられてしまう。
「っちゃ~、怖ええぇ。じゃ、勝手にしろ。約束の金忘れんなよ。おめぇなんかカノでもなんでもねぇワ。じゃあな、ババア」
ダミ声で悪態をついて、そのまま切れた。

 遼(りょう)がこの『緑の魔窟』に帰ってくる。
うれしくなんかない。
また、カレ面されて、ぶったり蹴ったりが始まるのでは?
掛売りをかわりに支払ってチャラにしてあげても、本当に開放してくれる保証はない。
怖い。
信用できない。
今のわたしはアキラ一択になっていて、彼のためにこの店に来続けたいのに……。

 こういう話はアキラに直接したいけど、本当に言っていいのかもわからない。
彼はホストの基本にすごく忠実で、送り指名から連絡先交換、同伴やハメのないアフターでわたしを育ててくる。
人気も出ていていろんな卓を短時間にこなす日々。
「ね、わたしなんかに時間使ってていいの?」
ちょっと心配で聞いても、
「菫(すみれ)は特別。初指名の客は忘れられないから。本カノになってよ」
本心かどうかもまだわからないけど、お手本の答えが返ってくる。
だめ、そんなに何度も言われたら信じてしまうじゃない?
一晩で数百万使う客もついて、店の奥にあるVIP席にいることが多くなっている彼にこんな話はきっと迷惑。
どうすればいいんだろう?
堂々巡りの心に耐えられなくて、わたしは最初にヘルプについてくれた剣(けん)に訴えていた。
言いたくなかったけど、ほかにどうしようもなくて。
わたしはやっぱり、マンガみたいにビエ~ンって泣くだけのぴえんだった。

「ふ~ん。元カレが戻りたいって言うなら、来させてあげれば? 出戻りはフツーだし。ただ、掛売りは自分で始末させるのが道理でしょ」
いつもヘラヘラしてるくせになぜか目は笑わない子だけど、剣(けん)の答えもやっぱ正論。
彼の言うとおりなんだけど、わたしは危機感と言うか、危ないなぁと思う。
遼(りょう)はカッとなったらなにをするかわからない瞬間沸騰タイプで、そのせいかケンカ慣れしている。
ホストの大切な顔を傷つけても、そこに傷テープを張って得意げに出勤してくる子。
アキラもビキビキのいい体をしてるけど、その筋肉はジムで得たもので、日常的にスパークリングとかやってるオラオラ系の子とは違う。
わたしが彼の本カノと知ったら、遼(りょう)はどんな反応をするだろう?
やっぱり心配でたまらない。
わたしは考えた末、言われるままに遼(りょう)の未回収の掛売りを全部払ってあげた。
「遼(りょう)ちゃん、これでお店に帰れるよ。だけど、もう、わたしには手を出さないで。オーナーに言ってあるから。わたしアキラの本カノなの」
「はぁぁ??」
彼は目を丸くする。
「おまえがおれ以外の本カノぉ? アキラってだれよ?」
「遼(りょう)ちゃんの知らないヒト」
「っちゃ~。ってことはおれの後輩じゃん。よっしゃ、〆たるワ」
「ダ、ダメッ、オーナーが怒るよ。なんかやったら今度こそギョーカイから締め出すって。ARCUSでも求職させないって。厚生労働省から認可されたトコだよ」
「チッ」
一番言われたくないことだったのだろう。
遼(りょう)は舌打ちしてそっぽを向いた。


          *  4  *

 
 この世界ではよくあることだけど、アキラは3ヶ月でNO,1に登りつめた。
成功する子って最初から、なんかオーラがあるのね。
わたしはまだ信じられなかったけど、彼はわたしを本当に「本カノ」にしてくれていた。
半信半疑で、営業言葉と思っていたことが本気の本気だったなんて。
夢そのままの現実に、ほおをつねりたい日々。
お店の近くにあるステキな高層マンションの最上階。
広い2フロアしかなくて、そのひとつが丸々、アキラの住い。
ホストは夢を売る商売だから、家はもちろん、車も服飾も調度品も超一流をそろえてる。
わたしはカレの部屋から、そのままメンエスに出勤する。
「やめたら? ツライでしょ」
何度も言ってくれたけど、わたしはせめてお金で彼の愛情に報いたい。
そりゃ、アニエス系になればショート・コースで楽だ。
客も2~30代が多いからおじさん相手よりいいけど、見返りは安い。
どんな女の子でも憧れる、NO,1との同棲。
そんな究極の別世界を与えてくれたアキラに、わたしはなにができるだろう?
カレのためなら、メンエスも苦にならない。
貯まっていくお金に、華やかなシャンパン・タワーや ヘネシー・リシャールなどの高級酒のボトルが重なって、顔がほころんでしまう。

 そういえば、初めての店外デートの時、
「本営かけてるでしょ? 20人くらい?」
って、ワザと聞いてみた。
「う~ん、もうちょっと」
「えぇ~? もっと多いの? 鬼枕かぁ。でも、なんでバラしちゃうの?」
彼は軽く考えるフリをする。
「う~ん。菫(すみれ)はホストの本カノだったから。隠してもムダだよね」 
「あ~、まぁ、ね」
わたしは笑って許すしかない。
ホストはそういうもの。

 金遣いの荒い客ほど太客で、逆は細客。
最初は色恋で入って、次は本カノ営業で釣る。
そうして育てた太客は見えない糸でチャーシュー縛りになってて、たとえ利用されていることがわかったとしても貢ぎ続ける。 
つらい泥沼だけど、どっぷりつかってしまう快感もあって、みんなビョーキだなぁって思いながらも流されてしまう。
わたしも遼(りょう)のDVに泣きながら、それでも拠り所は彼しかいなかった。
最初のころ2人で夢見たNO,1の夢を子供みたいに追いかける。
そんな自分に酔う自分をかわいいと思ってたわたし。
ぴえんって甘々だよね。

 最近、最初にヘルプに付いてくれた星野剣(ほしのけん)がしつっこく指名をせがむ。
NO,1になってすぐに幹部候補になり、次は店長といわれているアキラを間近で見ているからかも。
まぁ、そこまでいかなくてもナンバーに入れば店内パネルやビル面広告、アドトラックで宣伝されるから、モチベーションは上がるけどね。
被り客の数も売り上げと同じように、1本2本で実力のバロメータ。
だから必死になるものわかるんだけど。
今は同じホストがずっと同じ客に付く担当制はくずれて、お客がその日の気分で自由に選べる。
わたしはアキラにきちんと断ってから、何度か剣(けん)についてあげた。
だけど、彼、悪酔いするたちなのか、頻繁に卓チューしようとしたり、同伴やアフターに誘ったりする。
アキラは信頼してるみたいだけど、ちょっと得体の知れない子で、先輩の本カノだろうと営業かけてくる。
昔は爆弾とか言って禁止だったみたいだけど、今はブームが去って客が減りつつあるので、もう弱肉強食みたいになってるのかな?

 やっぱり気になってアキラに話すと、彼は爆笑。
「アイツ、なんでもやんだな。ま、ど~でもいいけど」
「ごめん。もう、付かないから」
「いいよ。おれ、菫(すみれ)のこと束縛しないし」
「でも、本営かけてきたよ」
「あはは。みんな必死なんだよ。菫(すみれ)も好きにすればって感じ」
彼はいつもわたしの気持ちを尊重して自由にさせてくれるけど、それがちょっと物足りない。


          *  5  *


 西武新宿の改札を抜けて、ゴールデン街に向かって歩く。
「お、同伴頼むワ。遅刻でヤヴェんだ」
いきなり遼(りょう)の声がして、乱暴に腕を組まれた。
「痛っ。もう。勝手なんだから」
思わず手を振り放してしまう。
ネオンをバックに彼がギッとにらむ。
「いい気んなんな、バ~~カッ。おめえはおれからは逃げられねぇってこと」
「うそっ。わたしはアキラの本カノだよっ」
「だぁかぁらぁ、おれが先だろっ。順番ならアイツがおれの女に手え出したってこと。な~に言ってんの?」
鼻先で嗤う横顔が本当に憎ったらしい。
「わたし、あんたのツケ、代わりに払ったよねっ。それで終わりって約束だったよねっ」
声が自然に必死になる。
「アホか? おまえはおれがいらねっつうまではおれの女。当然だろっ、いいから来いっ」

 昔のように怒鳴られて、店に引きずり込まれる。
アキラはいつものようにVIP席にいるみたいで、一般席からは煌びやかなボトル・ウィンドウで半分くらい隠されている。
彼のエース客が来ているらしく、1回目の賑やかなミリオン・コールが始まった。
遼(りょう)もその中に加わらないといけないので席を立つ。
わたしは喧騒にまぎれて、そっと出口に向かう。
だれかに肩をつかまれた。
「菫(すみれ)さん」
剣(けん)だった。

「あ、あ。見てたの?」
「うん。今日は遼(りょう)さんといっしょなんだ、浮気モノ。でも、こっそり飛ぶのは痛客でしょ」
ニコニコと言われてしまうと苦笑するしかない。
席に戻ると同時に興奮した様子で遼(りょう)が帰ってきた。
「姫、タワー頼むワ。ね? 三角でいいからさぁ。ん~姫ぇ」
甘えた声で大げさに卓チューしてくる。
目はすかさず周りの客の反応を探っていて、わたしを心理的に煽っているのだ。
「ダメ」
と、無視すると隣の卓の客が、
「ふふん」
と言う感じで12万の ベル・エポックを卸し、その場で自分のホストとバードキス。
勝ち誇った眼差しがわたしに刺さる。
客同士の微妙な見得の張り合いと、ホスト同士の売り上げ競争のせめぎ合い。

「おらぁ。早くしろ、おれに恥かかせるのかぁ」
遼(りょう)のささやき声にドスがきいてくる。
店内で叩かれるのはイヤだから、35万6段のシャンパン・タワーを入れた。
グラスにして56個。
「ん~、いい姫様でちゅぅ」
上機嫌で舌を入れてくる。
振り払おうとしたけど、なぜか懐かしいような、少し物悲しいような、もどかしくて締め付けられる思いに駆られて受け入れていた。
そう、遼(りょう)はわたしの始めてのカレ。
2人で夢を追った日々が、パワハラの暗い思い出を越えてよみがえってくる。
なんだろう?
ぴえんの共依存?
突然の、自分でもわからないこの気持ちって……。


          *  6  *


 相変わらず売れっ子のアキラは、そんなことには関係なく仕事仕事の毎日。
「やっぱ、やるからには徹底したいじゃん」
普段からそう決めていて、11時半には起床。
たくさん来てるメールを片っ端からチェックして、昼間の客のお昼休憩に合わせて返信。
短いTELしたり、前夜の客との会話メモを確認しながら、キッチンでわたしのために簡単な朝食を作ってくれるのが1時ごろ。
「わたしがやる」
っていくら言っても、
「その分、寝てろよ。趣味だから。考えゴトにいい」

 だから、わたしもお手伝い。
いっしょに暮らしていてもすれ違いが多いから、これは大切な2人だけの時間。
そんな時でも彼はメール&ラインチェックを忘れない。
そのあとはネットで情報収集やジムに行ったり、17時前には着替えてヘアセットの美容室から直接同伴に出てしまう。
店では20時の開店から1時の閉店までビッチリ指名客をこなす。
ミーティングのない日は5時ごろまでアフターやって、そのあとで今日の客との話題整理。
休みの日はデートや旅行に忙しい。
疲れきって帰ってくる日もあって、わたしの存在感は薄い。
わかっているし、覚悟は出来ているつもりだけど、やっぱり寂しいのは事実。
みんなが憧れるNO,1のカノはほんとに孤独だった。

 今夜もVIP席は彼目当ての客があふれている。
アキラは5~10分単位で卓を巡りながら、トークや芸人のまね、ちょっとした手品なんかで客を盛り上げていく。
一般席を半分だけ隔ててる鏡張りのボトル・ウィンドウの、角の席に着こうとした時だった。
ルージュを取り出そうとした客が誤って、フタをすっ飛ばしたんだけど、みんな酔っているからこんなことはよくある。
彼は気軽に拾おうとしてウィンドウの向こうに手を伸ばし、弾みでそれに足を取られたのが遼(りょう)だった。
彼もたまたま席の移動中で千鳥足だし、ろくに足元なんか見ていないし。
派手にすっ飛んで卓に突っ込み、グラスの割れる音や客の悲鳴、あざけるホストの嗤い声などが渦巻く中、遼(りょう)はやっちゃいけないことをやっちゃった。
そう、カッとなって、瞬間的に飛び蹴りを入れたの。
ホストたちの嗤いに反応したんだと思う。
アキラは、その時には
「あ、ごめ。悪い」
って普通に謝って、半分客のほうに向いていたからもろに入って、斜め後ろのボトル・ウィンドウに激突。
ガラスや鏡、高価なボトルが飛び散って、今度こそ周り中から悲鳴が上がって場内騒然。
さすがの遼(りょう)も自分のやったことに呆然。

アキラはちょっと痛そうな顔をしたものの、
「っちゃ~。オーナー怒るワ。謝って来よう」
すぐに苦笑しながら出て行ったんだけど事務所の前で倒れた。
肺下部損傷で2ヶ月の病院送りだった。


          *  7  *


 オーナーはそれこそ、頭から湯気を立てて怒ったみたい。
だけど遼(りょう)はクビにはならなかった。
アキラが、
「遼(りょう)さんはNO,6入りしてるし、伸び代あるし。なにもやめさせなくても」
と、取り成したせいで、オーナーとしても人気が出始めたホストをクビにしては損失だから、唯々諾々と従ったらしい。
でも、それを聞いた遼(りょう)が、
「アキラ。てめぇ、恩着せるなっ」
って、怒鳴ったらしくて、もう、遼(りょう)のやることは滅茶苦茶なのに、ほんと、みんな甘いんだから。

 それでも退院までの2ヶ月はわたしにとって幸福で大切な時間だった。
最初のころは派手なかっこうの女性たちや雑誌関係者が病室に群がったんだけど、病院側が迷惑がって10時から15時までで、それ以降は面会謝絶にしてくれた。
お陰でわたしはカレを毎日夕方から20時まで独占できたのね。 
もちろん、メンエスは週2に減らした。
彼も仕事関係はすべて封印して、わたしたちは猫様の親子のように優しく寄り添い合って過ごしたの。

 だけど、変なこともいくつかあった。
「あ、痛ってぇ」
アキラが引っ込めた手の平に縫い針が斜めに刺さっている。
幸い、ちょっと出血した程度で浅かったけど、なんと掛け布団から6本も見つかったのだ。
そのほかにもお見舞いの花束や果物、菓子折りなんかに、むき出しのカミソリが入っていたりした。
一応病院側に報告すると、フトンは過失ではなく人為的なものだから注意すること、贈り物は他のスタッフにも被害があるといけないので受け取らないようにとのことだった。
「女の子って、こういう部分があるからコワイよな。でも、この程度ならカワイイかな?」
本当に彼の言うとおりで、エースの子に刺されてしまったホストもいるくらいだ。

 アキラの退院祝いのイベントは店が始まって以来っていうくらいの賑わいだった。
もう、オーナーは上機嫌。
アキラをダシに、一晩で数千万を儲けたみたい。
浮き浮きのお祝い気分の中、わたしももちろん、彼の指名客のひとり。
カノには絶対店に来させないホストもいるけど、アキラは最初から自由にさせてくれたから。
ホスト・クラブの雰囲気が大好きなわたしの気持ちをよく理解してくれているみたいだった。
閉め日やイベント日でなければ、300万くらいのシャンパン・タワーを入れれば、その日のエースになって、堂々とアキラの胸でラッソンを聞ける。
それでも、本当のエース客が来るとわたしは伝票でコロされてしまう。 
伝票でコロすっていうのは、エース客の更に上の金額を使ってエースの座を奪い、その日のラストソングをNO,1に抱かれて聞くこと。
でも、本音をいうと高額を入れてくれるお客様には感謝が止まらない。
だって、彼がトップを走り続けるには莫大なお金と人気が必要だもの。


          *  8  *


 アキラが店に復帰したのに、遼(りょう)は謝りもしなければ寄り付きもしなかった。
オーナーが罰としてフロア責任者に任命したんで、彼は最後まで店に残って火の点検や防犯の戸締り、客や従業員が居座っていないかを確認しなければいけない。
毎日、点検表に丸を書き込むのも面倒だし、閉店後にさっさと帰れないのでみんなが嫌がる仕事。
遼(りょう)はものすごい膨れっ面をしながらもそれを真面目に果たしているみたいだった。
風営法のせいで、表の客用エレベータは1:10で止まってしまう。
従業員は裏の非常口から綴れ折れの外階段で降りるのね。

 状況がよく解らないのだけれど、その日も最後まで残ってオーナーや店長を見送ったみたい。
そのあとで帰ろうとして、なぜか階段を転げ落ちてしまったの。 
5Fから4Fまで落ちて頭打っちゃって、吐いたり唸ったりしてるのを、変な声が聞こえるってことで通行人が見つけてくれて。
病院に運ばれたんだけど、幸い深刻な損傷はなくて1日2日の検査入院だけで帰ってこられたのは、酔っていて体がグニャグニャだったせいかも。
わたしはやっぱり心配で泣いてしまっていた。
もう、カノではないんだし、関係ないって思いたかったのに。

 いつだったか遼(りょう)が言ってたっけ。
「菫(すみれ)はぴえんだしぃ。なんかウッセエんだよ、すぐ自分に酔う地雷女な」
まぁね。
服もぴえん系好きだし、言われて見ればホスト狂いのメンヘラ。
初回から遼(りょう)にお熱で、言われるままに風俗に堕ちた。
そのままズルズルやめられないでいる。
アキラがなんとなく、わたしに対して冷めているのは遼(りょう)が心の奥にいるせい?
そういえば私自身、今でもアキラは高嶺の花で、遼(りょう)ぐらいが適当かなって気持ちはある。
もう、ほかの子の指名はやめようって思ったのに、また剣(けん)を指名してあげたのもそのせいだったかも?

「ね、ね、スクープ」
いつものように、軽い調子でペラペラが始まる。
「遼(りょう)さん、落ちたじゃん。そん時にだれかがわざと階段にテグス張ったんじゃないかって」
「えっ?」
ちょっとイミフ。
「テグスって?」
「クロロカーボンなんかの細くて丈夫な釣り糸。それってさぁ、アキラさんが手品で使ってるのと同じですよね。みんなウワサしてる」
「ウソ。なにそれ……」
なんだか嫌な予感が迫ってくる。


          *  9  * 


「ウッゼェなぁ。だぁかぁらぁ、関係ねぇって。アイツ、まだエレベータ動いてるうちにアフターの客と帰ったんだよ。おまえさぁ、同伴するって言うからその気になったけど、そんな話かよ」
小ジャレたパスタの店で軽く食事をしながらの会話。
「でも、大事なことなの。ホントになんにもしないよね」
「するわけねぇじゃん。ドラマなんかでもあるっしょ? 陥れでさ、ソイツの持ち物とか指紋の付いたものをワザと現場に残す。も~見え見え。おれはアイツを疑ってなんかいねぇってこと。ま、おれがクビになるのを阻止してくれたし。仁義は仁義で返さなきゃな」
「本当に? すごい大人の会話してる。成長した?」
「っつうか、やった可能性の高いのは別にいるってこと。一旦、店外出て戻ったヤツが1人いる。見てたのがいるんだけど、確証ねぇからど~しょうもねえし」
「だれ? その戻ってたって人」
「はっきりわかんね。もう、ど~でもい~だろ。飯マズだ、こんな話」
遼(りょう)はうっとおしそうに話を打ち切ったの。

 その後、この話は『緑の魔窟』の中だけにとどまらずに、SNSはやっぱり炎上してしまった。
だれかが面白がって雑誌社にも情報をもらしたらしく、
『NO,1ホスト あきれた傷害疑惑』
『「緑の魔窟」はやっぱり魔窟だったのか?』
といった無責任な見出しも目についた。
擁護する客も多かったけれど、新規の中には白い目を向ける人もけっこういて、アキラはその月のNO,1から落ちてしまっていた。
さらに最悪だったのは、店外に出てから再び戻った1人を見ていたはずの子が、
「あ~、おれ酔ってたし。見てねぇっぽい」
と、前言を撤回してしまったこと。
NO,2の源氏って子だったから、アキラが失墜して自分がNO,1になれたことに味を占めていて、彼を悪者にすることによって長くNO,1の座に留まりたいと考えたのかも。
ホスホスとかの顔写真をスクショして、名前と顔を偽造した潰しっていうにせラインも横行して、真相なんかそっちのけで周りが盛り上がってる悪のりパターン。
ほんと、世の中って怖いよね。

「ねぇ、剣(けん)くん、わたし明日、店行くけど19時ごろから店外しようか? わたしと同伴したいって言ってたでしょ」
わたしは彼を誘っていた。
剣(けん)には何かが引っかかる。
それを確かめてみたい。
「ね。お食事しながら、ちょっとお話したいなぁって」


          *  10  *


 ムーディな高級レストランで向き合う。
ちょっと言い出しづらいけど、わたしは今日の目的を真っ先に口にする。
「あのね、え~とね、遼(りょう)のことなんだけど……ね」
「あ~、うん」
「剣(けん)くん、なんか知ってんじゃない? ってこと」
お互いに探るような少しの沈黙。
「たとえば?」
「うん。テグスとか、雑誌社にチクったこととか、ラインで潰しかけたとか」
「あ、な~る。ボク、疑われてるんだ、菫(すみれ)さんに」
「っつうか、ちょっと気になって。テグスのことなんか、みんな知らないって。話をたどると剣(けん)くんに行き着いちゃったの」
彼がケタケタおかしそうに笑った。
でも、目は笑わないいつもの笑顔。
「すごぉ。菫(すみれ)さんは女探偵になれます。みんなに聞き込みしたんだね。で、ボクがテグスのことをしゃべったと。つまり、犯人しか知りえない事実をボクが知ってたと言いたい」
「ううん、そこまでは言わないけど……」
気まずくなってはいけないので、急いで否定する。
「あはは、いいですよ。じゃあ、ボクがかわりにしゃべってあげます。ここで肝心なのは、ボクは遼(りょう)さんと何の問題も起こしていない。つまり、動機がないということ。OK?」
「うん」
「じゃ、アキラさんはどうか? 遼(りょう)さんの暴力で2ヶ月も入院。クビになるのを阻止してあげたのに感謝もしない。仁義にもとるってことで、階段にテグス張って制裁やっても不思議じゃないですよね」
世間一般の見方をペラペラとしゃべる。
 
「でも、入院中に針とかカミソリとか仕込まれていたこともあるの。アキラは女の子の仕業って言ってたけど、3回あって3回とも剣(けん)くんが来てた。なんかおかしいなって思うよね」
わたしはいけないと思いながら、どうしても詰問する調子になってしまう。
せっかく注文した料理なのに、フォークもナイフも止まったまま。
「え~? ヤだなぁ。それって考えすぎ。ボク、迷惑っすよぅ。ヤバすぎやん」
薄笑いで茶化すような返事。
「それ言っちゃたら、うちのホスト全員クロの可能性ありますよ。みんなNO,1目ざしてんだから」
「でも、今までそんなことする人いなかったのに」
「だから、あとから入ったボクが犯人って? 菫(すみれ)さぁん、アタマ沸いてません? ってか、ならボクが犯人だとして、あなたはボクにど~してもらいたいの?」
「うん。こんなことは2度とやらないで欲しい。こんなことしてたらクラブ中がギスギスになっちゃうと思うの。NO,1は実力で勝ち取ればいいでしょ、アキラだってすっごい努力で維持してんだから」
「あっはははは」
ヘラヘラとわざとらしく剣(けん)が嗤う。
もう、余裕の表情。 
「あなた、女の子だなぁ。ボクが惚れただけの事はありますよ。正義感強いね。だったら、ホスト全員に言って回んなきゃ。ボクが犯人前提ってことでこんなこと言われて、ボクがウンって言って、もしそのあとでピタッとこういうことがなくなったら、やっぱボクが犯人ってことになっちゃいますよね。こういうの論理破綻って言うんです」
「あ……」
上目遣いのまなざしがちょっと食い入るようで怖い。

 わたしは自分の考えていたことを、さらけ出してはいけないヒトの前ですべてしゃべってしまったのね。
剣(けん)を疑っていることを彼に悟られただけのただの大バカ。
「すっげえカワイイ。ボク、菫(すみれ)さん大好きっす」
胸倉をつかむようにして、強引にキスしてきた。
「ほんと、ボク、本当のことをみ~んな暴露してあげたいですよぅ、やんないけど」
笑顔がニヤニヤとからかってくる。
「ボク、あなたの言うとおり犯人かもよ? でも、ショーコがない」
「……」


          *  11  *
 

 閉店後のアフターで、3人で入ったカラオケ屋。
わたしはそこでアキラと遼(りょう)にすべてを話していた。
「よくヘルプについてもらってたから、信用してたんだけどね。でも、やることちょっとエゲツないか」
「いや、おれは最初からキモかったぜ。ちくしょう、キャンキャン鳴かせてやりたいよな。ショーコないけど」
「そ。本人も証拠がないからって堂々としてんのよ。でも、ど~しょもない。もうヤダ、こういう世の中」
「いや、割り出せるよ。おれ、カミソリ捨てずに取ってある。もちろん触ってもいない。つまり、アマゾンなんかで……な?」
アキラの提案に、
「やっりぃ。コレ、行けるワ」
遼(りょう)は勢いづき、わたしも希望を持った。

 3人はすぐに行動した。
アキラはさり気なく、いつもどおりに剣(けん)にヘルプについてもらう。
「ね、姫。彼の顔写真入のオリシャン卸してくれる? おれの顔も立つんだけど」
なじみ客に言ってシャンパンを入れさせ、
「ほら、姫様の下さったおまえのボトル。おまえしか触んなよ」
と、彼の指紋をたっぷりとつけさせる作戦。

 遼(りょう)は、今はアキラを抜いてNO,1になっている源氏って子を金で落として、ほんとのことを聞き出すミッション。
「あいつ、今、アキラに追い上げられて必死。ぜってぇ落ちる」
自信満々だったけど、これは上手くいかなかった。
時間もたっちゃったし、本当にロクに記憶がなかったらしく、300万ぐらいに値を吊り上げてもどうしても思い出させることが出来なかったの。
でも、アキラを陥れるために前言撤回したんじゃないってことがわかって、かえってよかったかも。

 検証の日は全員が休みを取って、高田馬場の遼(りょう)の部屋に集まった。
「これ、磁性鉄粉な。アルミと同じく扱い気をつけろよ」
アキラの警告に遼(りょう)が興奮する。
「すげっ。科捜研な」
「アイツ、カミソリを親指と人差し指でつまんでるワ。かなり良好な形状でてる」
「ボトルもバッチリだ。手の平までわかる。こういうのって、白衣着なきゃな。気分でね~よ」
慎重に採取した証拠を保存シートではさみ、ブラックライトを当てる。
「あ~。きれ~に出てる。拡大鏡いらんワ」
わたしも覗き込む。
「ほら、これがボトルから採取した親指と人差し指ね。ともに渦状紋でカミソリのと完全一致。今の世の中、すげぇよ」
本当にそのとおりだった。
「すごっ。こんな検査キットが売られてるなんて。動かぬショーコよね」
「さぁ、剣(ケン)のヤツ、どんな言い訳すっかな」
全員が笑顔になっていた。


          *  12  *


 結論から言うと、剣(ケン)はこのショーコを見せつけられて顔色を変え、一言もしゃべらなかった。
閉店後の店を逃げるように飛び出して行き、そのままどこかに飛んだらしく、それっきり姿を見せない。
「っちゃ~。2,3発食らわしとくんだった」
遼(りょう)は残念がったけど、また傷害事件なんか起こしたら、オーナーは今度こそブチ切れちゃうんじゃないかな。
世間はホストの暴力や行動に厳しい目を向けてるのに、ほんと、遼(りょう)は自分に甘いんだから。
その後、彼はNO,6のままだったけど、アキラはまたNO,1に返り咲いていつもの日常が戻ってきた。
ただ違うのは、男の子たち2人は協力してホスト・クラブじゃない自分の店を持つ計画みたい。
それがどんなものか、まだわたしには話してくれていないけど、
「メンエスもホスト遊びもやめろよな」
と、アキラに強く言われている。
まぁ、両方とも長く続けられるものじゃないし、そろそろ潮時だよね。

「剣(ケン)のヤツ、池袋あたりをうろついてるらしい」
遼(りょう)が情報を仕入れてきて笑っている。
「うちに出戻ってもいいんだぜ。おれが先輩としてミッチリ仕込んでやる」
「いや、おれのヘルプに戻ってもらうよ。彼はどうもテグスとカミソリの使い方を間違えてる。ちゃんと教えないとヤベエっしょ」
2人がケラケラと盛り上がっている。
こんなかたちでウワサされてんのを剣(ケン)は知っているんだろうか?
けっこうクシャミしてたりして。

 華やかなディスプレイの陰でホストたちの欲望が渦巻く『緑の魔窟』。
協力し合って全体の売り上げを上げなきゃいけない世界だけど、やっぱり現実は厳しい競争社会。
今回は無事解決できたけど、こういうことはみんなでお店を持ったこれからもあるんだろうな。
ちょっと怖い気もするけど、なんとかやっていけるよね。
先のことも過去のことも気にしないぴえんのわたしは、そんな風に考えたのだった。

 緑の魔窟(ホスト・クラブのお話)

 緑の魔窟(ホスト・クラブのお話)

前半はホスト・クラブの現実的な描写で始まって、ホスト同士のあるあるの傷害事件に発展。 後半はたいていウヤムヤになってしまう「コト」をいかにも現代っぽい「ある方法」で解決。 めでたしめでたしっていうお話なんだけど、ホスト・クラブを知っている人なら、最初から面白いだろうけど、知らない人は後半からが楽しめるかな。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-05-10

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