遥か夢見の

遥か夢見の

──はるかゆめみの──
朗読にもどうぞ(約15分)

白い霧の中を歩く、自分の足。
踏みしめているのは、露をあつめる浅い草むら。
あたりは明るいから、夜ではないのだろう。

音は、しない。

ひらり。

すべての音の代わりに、花びらが視界に入る。
淡い、春の色。桜のひとひら。
霧のせいで、しっとりと透明な。

ひとつ、ふたつ、頼りなさげに、
後ろへと泳ぎ去ってゆく。
舞い散っている、その元へと顔をあげれば──

今日もまた、咲き誇る立派な桜の木の下に
誰かがそこに立っている。

そこにいるのは分かっている。けれど、
これ以上、近付くことも、話しかけることも。
その顔を、見ることも、思い出すこともできない。

音は、ない
あなたは、いったい、だれ


「────っは、」

目が覚めると、いつもの自分の部屋。
自分のベッドの上。
見慣れた天井とシーリングライト。
遮光カーテンで薄暗い部屋。

「今日で連続、5日めか。
目覚める前は、いっつもこの夢だな」

もんもんと巡らせる夢の内容を
頭の隅に追いやりながら、身支度。
朝のルーティンを終えて、家を出る。

花曇り。
一応傘は持っていくか。

穏やかで柔らかな、かすかに春の匂いがする風。
まだいくらか冬の名残を持ったまま、
何気ない日常の合間を縫うように、
前へ後ろへ右へ左へ、風は髪をもてあそぶ。


嫌な感じは、しないのだ。
あの夢の中の自分は、
いつもこんな感情を抱いている。

──安心、安堵。
また、出会えた喜び。
……焦がれる、気持ち。

夢の中で、恋しくて切ない気持ちを味わう。

けれど、あの人の顔が、どうしても分からない。
それに、あの場所はどこなんだろう。

変な幽霊でも、ついてきてしまったのか。
それか何か、前世的な因縁だったりするのだろうか。
あるいは単に自分が、忘れているだけ?
これだけ繰り返し見るのだから、何かあるはず。

その正体が気になるのに、手がかりは夢だけとは。
いや、もしかしたら自分が、そういう相手を
無意識に欲しがっているだけなのかもしれない。


職場でいつもと変わらない日を過ごす。
上司や同僚に挨拶をして、仕事をして、ご飯を食べて、
仕事をして、少し休んで、
後輩の話に笑って、仕事をして。
帰宅をして──

ご飯を作って、食べて、お風呂に入って──


ふつり、ふつり。
……なんだろう。沸いてくるこの違和感は。
ぼんやりとして、どこか遠い。

いわゆる。
コレジャナイ、感。

いつも通りのはずなのに、しっくりこない。
何かが足りないような。
自分が、揺らぐような──?


落ち着こう。
窓の外を見る。

帳の下りた、夜。
月がまるく、こちらを見ている。
……家から出て、少し歩こう。

スマホだけ持って、パーカーを羽織って
少し冷える空気をかき分けながら歩く。

コンビニでちょっとだけ買い物をして、
近所の、ひらけた高台へ。


静か。だ。
イチャついているカップルはおろか、
犬の散歩の人すら、いない。

高いところで、音を立てて明滅する電灯。
遠いところに、車の走る音。
自分のまわりだけ、無音で満たされている。


静かな夜への気持ちよさよりも。
寂しさが、あふれてくる。

何か、足りない。
……意味が、ない。

意味がない? なんの意味?
せっかく、こうして。

……せっかく? なんのこと?
湧き上がってくるのに、覚えのない不満と疑問。

泣き出しそうになった瞳に追い打ちをかけるように
ふいに、眼下の街あかりの方から、強い風が吹いた。
髪がなびく。
木々が揺れる。

やまない強風に顔を背けて、まばたきを繰り返す。
涙が落ちる。

夜より暗い闇。そのあとに
薄くまぶたを開いた視界に。


風に乗って花びらが舞う。
その中に、人影が
大きな桜の木を、見上げている。
それは、夢の中のあの人と、同じ服装の。

急に訪れる既視感。

声を出せば、余裕で届く。
名前を呼べば……

「──あなたは、」

呼びかけた、そのとき。
そこでふとまた、目を……醒ます。

夜だったはずが、明るい空。
見下ろした先に、一人の人間。
ぼんやりとしか思い出せない。


なのに、わかる。
懐かしい気配。


ああ、また来てくれたのだ、という安堵。
さく、さく、と草と大地を踏む振動。
手の触れる、感触。
優しく私を、抱きしめるあなたの体温を、鼓動を。


──幹の樹皮に感じて、
幸せな気持ちが枝先まで駆け巡る。


喜びと、愛しさ、恋しさ。
それは満開の花となって。


ああそうか、私が。
他でもない私が、夢で見た、あの、桜だったのだ。



どうして、毎年来てくれるのに
大好きなのに。
覚えていられないんだろう。

忘れたくない。覚えて、いたい。
あなたのことを。

朧気(おぼろげ)にしか覚えていられなくて
ごめんなさい。


伝えたい。
直接、この想いを、感情を、伝えたい。

人になって、自分の足で、あなたの傍に。
あなたの隣を、歩きたい。


覚えていられない私でも
物言わぬ私でも

昨年の私ではない、私を
来年の私ではなく、今の私を

、夢のような存在でも。
愛してくれますか? 

私のことを
あなたは、覚えていてくれますか?
散りゆく私のことを、惜しんで、くれますか。
散らないでと、願ってくれませんか?


これは
人に、恋をした桜の木が
花を開かせるまでの間、その眠りの中でみた
夢のお話。

その想い、そのままのようないろの
淡く純真な恋色のはなびらを、あなたへと降らす。

また会えた喜びと
決して、結ばれぬ切なさに。
そして、あまりにも儚い、自らのその、花の命に。

泣いて、泣いて、咲いて散る。


遥か夢見の、春の空の下。
桜の木は、想い人にまた会える日を
ずっとそこで、待っている。



桜はね──泣いているんですよ。
しくしく、さめざめ、はらはら、と。
何故泣いているのか、って?
何故だと思いますか?

あなたに愛でてもらえて、嬉しいから。
一年に一度しか、あなたに会えないから。
決して、実を、結べないから。

可哀想、ですか?
そうでもないと思いますよ。
だって、こんなに美しく咲いて
あなたの心に、存在をのこせるのですから。

遥か夢見の

お友達だった方の想いを、代弁したつもりで書きました。

遥か夢見の

──儚く消えた人へ捧ぐ。 最近毎日、同じ夢を見る。切ない恋の物語の真実は──

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-05-09

CC BY-ND
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