旧作より少々引き充てる

旧作より少々引き充てる

旧作から・・。


 (時間が無いので・・少しだけ)


 I will wait for you

 神田良子は、地下街の喫茶店に勤めている。
 新宿の駅から長く伸びている地下街。
 途中で幾つかに分かれるが、その最初の分かれ目の角に店がある。
 店は総ガラス張りになっている、地下街だから採光を考えてそうしたのだろう。
 天気が良い日より雨の日の方が人通りが多い、増してや週末となると余計に。
 良子は勤めてから三年になるが、つい最近、一人辞めたので今は水野千絵と一緒に働いている。
 開店の午前十時から閉店の午後十時まで、良子と千絵が客の応対をし、シャッターを開け閉めする。
 二人共、頭から被る白いエプロンをして、脇にトレンチを挟んで来客を待つ。
 店主の池上一は毎日は来ない、週に三回くらいと、良子と千絵のどちらかがお休みの時に来る。
 昼休みは良子と千絵は交代で取り、時間も大体は決まっているのだが、来客で忙しい時には時間をずらす。
 今日は暇だから十二時前後に交互に休んだ。
 千絵が昼休みの時、男性が来店した。
 今日は女性と同伴だ。
 二人は一番奥のテーブル席に座った。
 良子が挨拶をしてオーダーを聞く、コーヒーを二つ。
 女性は指に立派な指輪をしていて、キラキラ輝いている。
 歳は、男性は30位だろう、女性は年上に見えるが。
 男性も女性も、うつむき加減で、何か深刻そうに話をしている。
 会話の端々に「家」という言葉が混じって聞こえる。

 千絵が戻って来たので、交代で良子が昼休みに出掛けた。
 50分くらいして良子が戻って来ると、千絵が男性と話をしている。
 女性は帰ったのかいなかった。
 男性も帰った後、千絵が言うには、男性から飲みに行こうと誘われたと言う。
 千絵は、次の水曜日が交代休みだから、前の日の火曜日に行く事を承諾したようだ。
 良子は、何故か先程の女性が気にかかった。

 千絵が男性と飲みに行った翌々日、明るい顔をして出勤して来た。
 夜中まで新宿で飲んでいて、結局、男性とタクシーで一緒に帰ったんだけれど、男性は途中で降りて、運転手にお金を渡して千絵はそのままタクシーで家まで帰ったらしい。
 千絵は笑みを浮かべて、「来週も行こうという話になったんだ。あの人滝田武という名で家は成城にある大きなお屋敷だったわ」

 それから何度か千絵は滝田と飲みに行くようになった。
 そして、或る日千絵が、「昨日、あの人の家に泊まちゃったんだ。家も立派だったけれど、中も豪華だったわよ」
 何時か滝田と一緒に来た女性は、あの時一回だけで、以降来店する事は無かった。

 半年もした頃、千絵は少し躊躇いがちに、「滝田と結婚の約束をしたんだ。という事は、私はあそこの家の奥さんて事になるわけ。結婚式には、あなたも呼ぶつもりだから宜しくね」

 千絵は結婚をして勤めを辞めた。替わりに新しい女性が入って来た。
 昼休みに千絵から良子のスマホに電話が入った。
 電話の向こうで千絵は、「ねえ、私、勤めを辞めて、昼間は一人で暇だから、遊びに来てよ。ご馳走するからさ」
 良子は無表情に、「ええ、いいわよ」


 その日、良子は休みだったから、千絵の家に遊びに行った。
 昼御飯をご馳走になって、店の話をしたりして、二時間くらいはいただろうか。
 豪華な家に相応しい立派な家具が並んでいる。
 良子はその内の一つの箪笥を見つめながら、ふと思い出したように呟いた。「ここに、こんなに大きな箪笥なんてあったかしら?」
 千絵は、何の事か、良子が何を言ってるのか分からなかった。


 突然、大きな地震があった。
 かなりの震度らしい。テレビも緊急放送を続けている。
 二人のいる部屋も家具は倒れるし、食器棚からは食器が飛び出して、足の踏み場も無い程だ。


 倒れた大きな箪笥の背後の壁紙が破れていて、大きな穴が空いている。
 
 
 テレビのアナウンサーが、再三、「余震に気をつけて下さい。また同じくらいの地震が起きる可能性がありますから、くれぐれも余震に気をつけて下さい」
 すぐに余震がきた。
 
 
 二人は、驚きのあまり声も出せずに、部屋の一点を見つめている。


 穴から片腕がだらんと垂れ下がるようにはみ出している。

 
 指の立派な指輪がキラキラと光っている。



 Missing days



 記憶の彼方から自分を呼ぶ声がする。


 あの年も暑い日が続いていた。
 京都は盆地だから夏は暑くて冬は寒い。
 大本営はあいも変わらず帝国軍の快進撃を伝えていた。
 加賀綾は只管恋人である立山剛の生還を願っていた。
 京都は空襲は無かったから、直接の被害は無かったが、胸を患って神社詣では、剛の無事と自分の病の回復を願っていた。
 他県は空襲の被害が酷く、数少ない親族の安否も分からず、綾は一人だったから気を紛らわすために、奉仕活動に従事している。
 広島に大きな爆弾が落とされ、街が消滅したと近所の人達の話す声が聞こえてからは、増々剛の事が気になったが、何も出来ないという口惜しさが込み上げてくるばかりだ。
 


 剛は、戦地で森に逃げ込みUSA・UK同盟軍と戦っていた。かなり前にミッドウエイ海戦で空母を失ってからは、後退の一途で仲間が次々に亡くなっていった。
 沖の敵艦船からの艦砲射撃はネズミ一匹生きられぬと思われるほどの凄まじさで、却って花火のように華やかに見えたのが不思議だった。
 周りに誰もいなくなると、国の綾の写真を見る事があった。自分の事よりも彼女が病気持ちだった事が思いやられる。
 もう長くはないかも知れないと言った医者の顔が浮かぶ。自分も此処から生還する事は無理だろうと思った。
 森の枝から落ちてくる大きな蛭が血を吸って剣で其れを削いだ時に流れる血を見ては、其れで生きているのだと気付く。
 森の奥からは原住民たちの声が聞こえる。落ち武者狩りに来たのだろう。
 森の入口では敵兵の火炎放射器の炎が猛威を奮っている。もう、逃げ道は無い。
 捕虜になれば、国に帰れるかも知れないと思った時、一斉射撃が始まった。
 何か所か撃たれたような気がして、目の前が真っ暗になると猛烈に眠くなり、地面が心地良く感じられた。
 意識が遠のいていく寸前、何故か丁度十二時のような気がした。

 



 玉員放送が流れている。ラジオの前に集まって涙を流している人々に混じっていた綾は、急に咳き込むと屈みこんで地面に大量の血を吐いた。
 其のまま、意識が遠のいて行く。仰向けになった時、一瞬、剛の顔が見えたような気が・・何故か丁度十二時のような気がしてから何も見えなくなった。
 首が折れるように地面に唇が付いているのを見ながら、周りの人達が綾の身体を揺り動かしたが、綾の目は二度と開く事は無かった。
 綾の簡単な葬儀が行われて、墓に綾の名が刻まれた。



 戦地では、亡くなった兵士の死体を山と積んでオイルが撒かれると火炎放射器が放たれた。
 腐る寸前にせめてもの処置だった。燃えていく死体の胸ポケットからはみ出していた写真が瞬時に灰になった。


 終戦から七十五年が経った頃だった。
 丸の内の新丸ビルから女性が出てくる。彼女は商事会社で営業事務の仕事をしている。
 空が茜色に変わる頃、ホームに滑り込んできた山手線のドアが開き乗客が降りた後、押されるように一斉に乗り込んでいく人。
 紺野美沙は暇潰しに車内で広告を端から見ている。大学やデパートの宣伝、其れに・・印象派絵画展の案内と見ていき、思いついたのは、偶には趣味でもないけれど絵画でも見に行ってみようかなと。
 明日は休みだからと、出掛ける事にした。
 美沙は上野の西洋美術館のチケットを購入して、館内を見て廻りだした。
 絵が沢山並んでいる近くに説明書きが書かれている。
(写実主義においては、ミレーのように働く農民など、辛い生活を描いたが、</span>
「ミレーの晩鐘」
 (此処に画像を入れなくてはならないのだがシステムが無理のようだ。)
 ルノワールはそういった写実主義からの変化を促した。
 印象派の画家たちは決して、辛い労働などを主題にしなかった。パリの中流階級の、都会的な楽しみ、余暇の余裕に溢れた人々を描いた。
 余暇の楽しみは、我々の生活に欠かせないものでもある。充足に満ちた時間を我々はどれほど焦がれるか。ルノワールは、こういった近代的な光景に美と魅力を感じたのである。
 モネが絶え間なく変化する自然というものに目を向けたのに対し、ルノワールは人間に魅せられ、友人や恋人を描いた。 t="309" alt=""></a>
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」
 (画像入れられず。)
(ほとんど毎日であった。ルノワールはコルト街のアトリエからキャンパスを運んで、モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレットに通った。ルノワールの友人たちを総出演させている。)
「確かに人が多くて明るい感じがするな」
 更に説明書きが。
(色彩を追求するあまり、輪郭線がはっきりしなくなる。1880年代の後半からは、輪郭線と色、両方を生かす真珠色の時代の様式へと変化した。
晩年の20年もの長い間、慢性関節リューマチに苦しみ、車椅子の生活で、筆を手に縛り付けて、最後まで、陽気で美しい絵を描きつづけた。
 ルノワールは言った。
「芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか」)
「確かに、世の中なんてそんなものかも知れないな。色彩の魔術師と言われた彼は、そういうつもりで綺麗な絵を描いていったんだ」
 美沙は次の絵をと移動する。
「舟遊びの昼食」 
 (画像無し)
 更に説明が。
(食べかけのおいしそうな料理。若者たちの魅力。日よけの外の、まぶしい光が輝いている。まるで、地上の楽園のごとき楽しさである。こういった瞬間があるからこそ、働く価値があるのである。
 右の若い男性は、女性に熱心に話しかけている。皆それぞれが話す相手を持っている。
 しかし、ルノワールは忘れていない。こういった楽しいパーティに参加すると誰もが、瞬間でも、感じる孤独感をも描いているのである。
 犬を抱く女性。その後ろに立っている男性。手持ち無沙汰なのが伝わってくる。しかし、二人とも、何か楽しい夢にひたっているだろうと、見るほうも安心できる。) 
「忘れていない・・感じる孤独感を描いて・・」
 其の時、美沙は急に頭痛がし始めた。
「孤独感?男性は何を思い孤独なんだろう・・?」


 美沙の頭の中で何かが起きている。
 其れは、男性の孤独感の正体を知りたがっているような気もするが、少し違うようでもある。 
 
「記憶の彼方から自分を呼ぶ声がする」

 次の絵を見ようとして・・立ち眩みがした。
 身体がふらっと崩れると、隣の男性にぶつかってしまった。

 男性は、思わず「大丈夫ですか・・」と声を掛けて美沙の腕を掴んだ。
 美沙は、慌てて男性に「済みません・・ああ、どうも・・」と、謝りながら、其の顔に視線を移す。
 電気が走った様な衝撃がした。
「あれ・・この人・・」
 目に見えない大きな時計の針が凄いSpeedで回転しだした。
「しかし、一体?・・針は逆回転をしているようだが・・声が聞こえる、次第に大きくなっていく・・」
 男性は、顔色が悪そうな美沙が気に掛かるようで、美沙に何かを話し掛けているのだが、その声に聞き覚えがある。
 男性が館内の喫茶で休んだらどうですかと話し掛けて来たから、謂われるままに二人ですぐ傍の喫茶に入る。
 テーブルを挟んで改めて互いの顔を見た時・・男性が美沙の顔をじっと見ながら。
「・・今何時ですか・・?」
 二人が、柱の時計を見た時、時計の針は長短二本とも真上を指している。
 二人、同時に呟いた。
「十二時・・」



 全ての・・恰(あたか)も時計仕掛けの光景が、一瞬浮かんで消えた。
 しかし、随分と重い荷物がどさっと落ちて来たような気がしたのは美沙だけでは無かったようだ。
 
 男性は、「貴女・・いや、綾・・?」
 美沙は、「剛ね・・」

 其れからの二人は、七十五年前の世界に入り込んでいるような気がした。
 剛は内地にいる綾の事を心配しながら・・綾は戦地の剛の帰還を信じて・・。
 互いに思いを遂げられずに・・遭えなく・・玉砕といっても良かっただろう。
 二人にどうしても分からなかった事は、記憶は定かであるが断片であり、どう考えても現在には結びつかない。
 只、愛情というものが時を超えて息を吹き返す事があるようだという信念が、何ものにも道を譲らなかったとしか考えようが無い。




 あまりにも長過ぎた男女の失われた日々・・。
 二人は、其れに理屈をつけようなどと言う気持ちは毛頭ない。
 既に、世界は変わってしまっている。
 
 二人が館内の売店に置いてあった絵画の本の中におかしな絵画が存在している事は知らない。

 ダリの絵に「記憶の固執」更に「記憶の固執の崩壊」というものがある。
(画像)
 ダリ自身は前者を評して、「噂された、アインシュタインの特殊相対性理論とは関係がない。(形の歪んだ時計は陽光の中で溶けていく真ん丸なカマンベールチーズだ)」と述べている。
 只、後者については、評論されている事は、「量子力学に関連がある」という事。
 また、死については、メキシコの女性画家フリーダ・カーロによる「死を考える」というものがある。
(画像)



(画像)
 そして、二人が一番望んだ事であり、宙を飛び越えて来、今度こそは敗戦も無い街を歩く姿が見られる。
 うってつけの絵画として「街の上で」などは、仲睦まじい・・如何にもマルク・シャガールらしいものとして、Endingには相応しい・・。
 作者は、「絵画はいろいろな事を教えてくれるのだが・・」



 George21



 山田幸雄は小学5年生。学校から帰って来ても、母は近くのスーパーでパートで働いているから一人ぼっちだ。父は一昨年病で亡くなった。
 母から、帰ってきたら宿題をやってから遊ぶ事と言われているので、宿題をやった。プラモデルを持って風呂に入った。給湯器で温められた湯に戦艦大和を浮かべて遊んでいたが、飽きて来たので大和を湯の中に沈めた後、「大和、発進!」と言いながら手を放すと、大和は湯の中からゆっくりと浮上して来た。
 あまり水を入れると壊れるかとちょっと心配しながら、風呂を出て母が作ってくれた遊び着に着替えた。シーンと静まり返った部屋は何となく寂しいので、テレビをつけた。「男の人が、先週・・国の航空機が飛来したので、スクランブル発進した自衛隊機がロックオンされた件で・・」
 幸雄はリモコンでチャンネルを変えたが、面白そうなアニメとかはやっていない。大和をタオルで拭いてから、乾かそうかと窓際に置いた。今度は、プラモデルの紫電改を持って表に出た。父が亡くなってから、この住宅に引っ越しして来たばかり、母が家賃が安いからと言っていた。だから、まだ一緒に遊んでくれる友達はいない。父が生きている間に一緒に作ってくれたものだから、二つのプラモデルには父の想い出が。
 父が作りながら、
「幸雄さあ。この紫電改と言う飛行機は、USAのF6F ヘルキャットに似ていたから、味方の陸軍機や大和からも間違えられて誤射される事もあったんだよ。昭和26年に来日した米空軍将校団の中にアメリカで紫電改をテストした中佐がいて、『ライトフィールドで紫電改に乗って、米空軍の戦闘機と空戦演習をやってみた。どの米戦闘機も紫電改に勝てなかった。ともかくこの飛行機は、戦場ではうるさい存在であった』って言っていたんだ。こんな話、幸雄にはちょっと難しかったかな。でもね、最後の飛行機として優秀だったんだよ」。
 幸雄は難しい言葉は理解できなかったが、優秀な飛行機だとは思った。



(1945年(昭和20年)3月19日343空は初陣で米艦上機160機に対し、紫電7機、紫電改56機で迎撃して、米軍機58機撃墜を報告した。日米双方に戦果誤認はあったが、日本最後の大戦果となった。343空の活躍で戦後は「遅すぎた零戦の後継機」として認知され、零戦、隼、疾風と並ぶ代表的な日本軍機として一般に認知される。米技術雑誌『ポピュラーメカニック』では、米空軍の試験で紫電改のマグネットを米製に替え、100オクタン燃料を使って空軍で飛行した結果、速力はどの米戦闘機にも劣らず、機銃威力は一番強いと紹介された。 ピエール・クロステルマンの著書「空戦」では、紫電改が高度6,000mでP51マスタング44年型と同程度のスピードを発揮したことからマスタング44年型のカタログスペックを基準とした最高速度時速680km説を採用しており、当時の連合軍の空軍関係者はその程度の速度と認識していた。)



 一人で遊んでいる内に、幸雄はおかしな事に気が付いた。
 周りが止まって見える。人や公園のブランコも。
 見た事も無い様なスクリーンの様なものが、幸雄の目の前の空間に浮かんでいる。
 スクリーンには何処かの国の飛行機が何機か飛んでいる映像が。突然、幸雄の持っている紫電改と同じ飛行機の編隊が、30機くらい雲の中から次々に姿を現し、それらの飛行機の正面に。画面はアップされ、その飛行機の操縦席にいる何処かの国の人がビックリしている、紫電改を見て急回避する。何機かの紫電改は旋回をして相手の飛行機の後ろにピタリとつけた、あとの紫電改は相手の飛行機を周りから取り囲んでいるから、相手の飛行機は動くに動けない、接触しそうなくらいに近付けている。紫電改にしては、速度が異常に速すぎる。幸雄の持っているモノと違うところは日の丸の赤が見えない。
 突然、画面が変わった。(北緯30度43分 東経128度04分、長崎県の男女群島女島南方176km、鹿児島県の宇治群島宇治向島西方144km)。海中から巨大な戦艦が浮上して来た。46cm主砲3基9門を備えているから、多分、大和だろう。それにしては、先端に菊の紋章が無いし、後方の海軍旗が無い。
 幸雄は笑いながら、「何だ、さっきのお風呂と同じじゃない」。
 大和は空に向け、主砲を次々に発射、凄まじい音がする。幸雄は、それを見て耳を両手で塞ぎながらも感動している。一方、何処かの飛行機は、あっという間に遠ざかって行った。
 夕闇が迫って来る。何時の間にかスクリーンはその闇に溶け込むように無くなり、母が幸雄を呼ぶ声がする。
「お帰り」。幸雄は、買い物袋を重そうに持っている母に近付くと、一緒に袋を持ってやりながら、「宿題は全部済ませたからね」と言うと、母はニコッと笑った。
 母はテレビをつけた。「・・来季の防衛予算は・・」
 リモコンのチャンネルを変えた、「天皇交代に使用する車は8000万円・・」。
 またチャンネルを変える。「・・UKと言えばバッキンガム宮殿を思い浮かべる方も多いでしょうが、世界でも珍しい現役の宮殿ですが。実際、エリザベス女王は平日はここに住み、実務に当たっています。(週末はウィンザー城に滞在。)要は女王の家を一般観光客に公開しているわけで、寛大な王室だと言われておりますが、この一般公開の入場料も、立派なイギリス王室の収入源。
 ちなみに、中で売っているグッズも立派なイギリス王室の収入源。
 実は、イギリス王室は、こういった観光収入や不動産収入により、自分たちで稼いだお金で生活してるんですよね。(日本の場合は、皇室の費用は国家予算で賄われてます。)今日は評論家の・・さんをお招きしてこういった事について伺いたいと思いまして・・」。



 母は、すぐにテレビを消しながら、「生活するだけで精一杯、関係無い・・」と言いながら、腰を叩き、背を伸ばす。
 幸雄は学校で、「天皇は象徴」と習った。そこで、母に、「母さん、象徴って何?総理大臣とどっちが偉いの?」
 母は、室内を忙しそうに歩きながら、「ええ?天皇?戦争中はね、兵隊さんが「天皇陛下万歳」って言って死んでいったそうだよ。本当は、「母さん」って言って死ぬ人が多かったらしいけどね。そういう事はお父さんが生きてればね、詳しかったんだけど。でも、総理大臣ってのは、始終変わるから、頭のいい人が総理大臣になってくれれば、生活も楽になるかも知れないけど、まあ、無理だね。金の無駄遣いばかりして、全く役に立たない人間ばかりだね」



 幸雄は両手にプラモデルを持ちながら呟いた。「あれは、きっと、お父さんが見せてくれたんだな」
 幸雄は、晩御飯の支度をしている母の背中を見ながら、「お母さん。明日休みだったよね」
 母は菜を刻んでいる手を止め振り返ると、「ああ、偶には休まなきゃ、これだよ」と、肘枕の仕種をする。
 幸雄は微笑みながら、「ならさあ、明日の朝はゆっくり寝てなよ。それから、お父さんのお墓参りに行こうよ」
 幸雄は布団に入ってから、横に寝ている母を見た。よっぽど疲れているのだろう。もう寝息をたてている。
 幸雄はそんな母に、「有難う。僕の為に一生懸命働いてくれて」。
 そして、眠くなったから良くは分からなかったけれど、父がこちらを見ていて、ニッコリ笑いながら、「どうだった?少しは面白かったか?」と言ったような気がした。
 幸雄は眠くてもう限界だ、「父さん明日、会いに・・お休み・・」と言いながら、夢の中に入って行った。


 まん丸な月が、小さな窓の開いている隙間から、光を注ぎながら、
「頑張れよ!俺も見ているから」。




 弥勒と観音・・そして・・百八つ


 年の瀬も迫った頃だった。
 江戸の町で続けて骸(むくろ)があがった。
 討たれたものはかなりの剣の使い手と思われる。というのも柳生新陰流の免許皆伝の強者も犠牲になっている。
 平和が続いている城下では専ら其の話で持ち切りだ。一説には姿を見たというものもおり、鬼の仕業では無いかとの噂もある。
 また一説には、姿が見た事も無い異国から来た武士では無いかと。しかし、異国ではまた異なる剣が使われる筈。
 犠牲者の数は百と七人であるから、どう考えても常人の仕業では無いと思えた。武家屋敷の一角に住んでいる武士がいる。人は彼の事を「弥勒(みろく~菩薩という階級の仏)」と呼んでいるが、自らがそう名乗ったからだと言われている。
 おそらく菩薩の身分で、もう少しで仏になるだけの資格があるのだが、あまり人の目に触れた事のない剣士故、謎の部分が多い凄腕という意味のようだ。
 得体の知れない殺人鬼と、何時かは弥勒が衝突するのではとの噂は江戸城内にも及んでいる。八代将軍徳川吉宗の耳にも入り、南町奉行の大岡越前にも、厳重な警戒をとの指示が出されている。
 此処に至るまでの被害者の数からも何か通常の殺人鬼では無いおそろしい輩で、情け容赦もない無差別な殺人に町人武士を問わず不気味な恐怖感を。
 狙われた者は何れも男ばかりで殆どは二本差しの武士や浪人が多かった。弥勒にも其の噂は聞こえていたが、勘のようなもので元旦に出くわせる様な気がしている。
 人でないとすれば、鬼か何れにしても尋常のモノではない。一人だけを狙ってきたようでも無いようで、数人が纏めて犠牲になったケースもあった。
 鬼には異国の伝説に基づくモノもあり、主に仏には敵わぬものとされている。鬼子母神などもそんな類だ。
 現場を見た事のある武士の言葉を借りれば、人を殺す際には殺気というものが感じられる筈というが、その様なものが感ぜられずに、なますでも斬るかの如く次から次へと倒されたとの事。
 弥勒も伊達(だて)にそんな名を称している訳では無い。正体は明らかではないがおそらく人では無いのかも知れないとも推測されている。
 人でなければ、何とすると聞かるれば、其れこそ鬼か・・其れともまさか・・仏の化身・・いや、この世に何故か現れた仏、そのものでは無いかとも・・。
 



 意外に早くそんな事が起きるのではと、弥勒にはそう思える。城下の各寺では除夜の鐘を打つ準備をしている。
 此の国の何処でも同じ事が行われる。そういう時期が迫ってきている。京の都でも数え切れない程の寺々が今か今かと其の時を待ち望んでいる。
 弥勒の考えでは、若し、相手が人でなければ同時に各所で同じ事が起きても不思議はないと思っている。
 元旦は人類に取り、初詣の機会でもあり、寺社には大勢の人類が訪れる筈。そんな時に恐ろしい事が起きるなど、常人には思いもつかぬ事であった。
 だが、若し、其れが現実になれば、犠牲者は多数に及ぶ可能性もある。弥勒は相手の目的は世を混乱させるつもりだけでは無いだろうが、狙うのは町人や一般の武士でも無いと。
 其れでは、その狙う相手とはいったい何とするという事になる。百八人目は人類では無いだろう。自らに相応なモノ、つまりはほぼ同じ身分ではと。
 殺気が無いというのは人類ではない・・が、餓鬼とも言いきれない。それ以外となれば・・この世に現存するものではないと思われる。




 
 子(ね)の刻とは十一時から一時までを指すのだが、
 子の刻になり、全国の各寺々の鐘を打つ準備が整った頃、本来は寺ごとに十一時から打つところもあり、其の数も百八つとは決まっていなく二百打つ寺もある。
 ところが、何故か、其の日は丁度零時から一斉に打ち鳴らされた。その前におかしな現象が起きた。
 風が吹き始め次第に強風になっていく。鐘を打つ頃には人が歩いていられない程の強さになっている。
 其れで、初詣を諦めるという人々が出始めたが其れは正解だろう。とても人が歩けぬ中でこそ、やって来る者がある。
 何かが、やって来る。人類も知らぬ、誰も見た事の無い何かがやって来る。
 弥勒は何時もと変わらぬ着物で表に出、歩き出す。通常ならば人では歩けない筈だが、弥勒にはさもない事。どうやら人であらずのよう・・。
 




 寺の鐘を打つにもあまりの強風故、立つ事さえ叶わぬ僧侶を尻目に鐘が自らの意思で揺れているかのように一斉に鳴り出した。
 幾つか鳴ったあたりで、鐘は遂に繋いである縄も何もかも引きちぎり次々に夜空に舞い上がっていく。
 其のさま・・この世と思えぬ程奇怪なり。舞い上がっていく無数の鐘と交差するように舞い降りて来るモノ。
 たれの目にも見えぬほど強風なのだが、弥勒には其の舞い降りて来る姿が見えている。
「この世には神や仏など存在しないのだが・・。何故かあるまじきか・・何某かの化身?
 待ち受ける弥勒は菩薩の身。例え何者であろうと相手にとり不足無きものと承知の上。
 



 身の丈(たけ)は明らかに大仏程も無い。至極当然とばかりに現れたのは中宮寺の菩薩に似たかのような黒装束の恰も仏然(ほとけぜん)とした姿・・菩薩のよう。
 其の身に艶が窺えるのは、夜空に輝く星々の光をすべて集めたかのよう、であらばやはり仏か。
 片や弥勒はその身を包む木目が美しく、片手に剣を持つ。仏が実物の剣を持つなど前代未聞。
 更に地獄の閻魔でも無くばあり得ぬ形相。だが、地獄などないのだが・・。
 天が無くれば地も無い事、少しもおかしくあらず。
 其れでは、どうして菩薩同士の争いになるのかと言えば、互いにまだ五十二のレベルに達していない、つまり、其れを達すれば仏の中で最高位と言える如来。
 一から五十一の段階までは全て菩薩。菩薩の中にして弥勒あり。目前に構えているもの、此れも菩薩にして、名は十一面千手観音。
 弥勒は未來仏と言われ本来は釈迦の死後五十六億七千万年後に現れると言われている救世菩薩。
 対するは、「大慈大悲」の象徴、此の国にて現世利益追求と結びつけらているもの。
 観音の種類は無数にある。
 双方とも位置するは五十一段階、何方が先に如来になるかというところ。だが、其れだけが戦いの目的では無い。





 人類は怨念その他何某かの理由があり争う事になるが常。ところが、弥勒には舞い降りて来るモノが同じ階級だとは言え、全く敵対心なぞ無ければ怨念すら無い。
 人にはとてつもない業というものが存在するのだが、やって来るモノや弥勒にはその様な因果など無い。
 只、何方が先んじ相手を倒すのかなど嫌でも決着がつく事。
 であるから、何故(なにゆえ)に?と尋ねられようとも返答しようもないのだが、只管(ひたすら)こじつければ、紛れもなく同等の力を持っているとだけ。
 それ故、人類の信奉するものはその様な輩のみにあらず、今、此処に火花を散らしているとして非にあらず。




 舞い降りて来た観音。観音は幾らも存在するように、変幻自在。
 一体どれが本当の観音かなど考えずとも、全て・・。
 弥勒も人類一部で崇められる存在であり、其の美しさは他の仏の憧れでもある。
 先ず、先に千の顔が闇から現れたが恐ろしい面相。
 仏は尋常ではない眼力というものを持つ。其れで、相手の心中を全て読み取る事が可能。
 其れで人類の願いも分かるし苦痛も癒す事が出来るというのだが・・果たして如何に・・。
 其れが可能なのは人類の様な読み違いというものを持ち合わせていない慈悲が本来なのだが。
 慈悲は逆に考えれば、全てを読み取る事のできる故に恐怖を持たらすとも言える。
 何もかも承知の観音に如何なる武士と雖も敵おう筈も無い。
 観音から念が発せられたが、弥勒に動揺は見られない。
 同様の念は弥勒も送っている。
 宙に、色の異なる眩い光が衝突し空間が歪む。其の衝突のすざましさは津々浦々に響き渡った。
 多くの鐘が、更に宙に舞いあがると、宙が暗くなる程である。
 其の大小の鐘が音を一斉に地や空に鳴り響かせる。其れだけで全国のあらゆる建物・建造物が気の振動を受け次々に崩れ落ちていく。
 音は幾つも重なり辺り一面に拡がり、鼓膜が破れんばかり。
 幾万もの鐘が上え下えと舞い踊りながら音(ね)をかき鳴らせば、地で崩れ落ちるものの騒音に舞い上がる粉塵で何も見えなくなっている。
 宙も地も本来の静けさなど、何処かに置き忘れてきたかのようで、只、混沌あるのみ。
 互いの存在は二体の菩薩故良く見え、視界に異常はない。
 あまり強過ぎる観音の念が空間を歪ませ・・弥勒を吹きとばさんとばかり。
 弥勒の身体が粉々に崩れていき、素・仮~量・・子の様にほぼ見えない極小物と化していく。


 観音は無数の顔に・・更に・・無数に数え切れない巨大な手で宙や地を掻きまわす。如何に細かな仮~量・・子状であっても・・容赦はできない。
 完全に消滅させるまでは、その力に手加減は無用・・。仮~量・・子を消滅させるには、幾つもの手が握っている無数の剣で更に切り刻み一切の姿を消滅させんと考える観音。
 剣といっても通常の脆刀(もろは)では無い。あり得ないような素材の鋭い刃が仮~量・・子さえも簀の子の様に分断し始める。
 何の抵抗も無いまま・・勝負はつくのか・・?





 其処から、何もしていなかった弥勒が・・待ち受けていた様に・・宙に浮かぶ無数の仮~鐘を寄せ集め始める。
 二体が対したのは、百七の犠牲者の後の事。
 つまりは、この世に存在する煩悩の数は百八。
 その時期を待っていたのが弥勒の方。
 観音は只、只管、我が力を百七の相手に浴びせて来た。
 その先は・・つまり・・煩悩が存在するのは百八。其れであれば無いものまでを退治する事は出来ない。
 ところが、最後に残った一つ。此れが弥勒の強力な武器となる。無数の鐘が寄せ集まれば元々煩悩を追い払うだけの力を込めている仮~鐘の音が鳴り響く。
 観音の無数の顔や剣を目掛け鐘が衝突し、其の音はそれらを消滅させようとの弥勒の思考故・・ぶつかっては色取り取りの仮~光量子を散らす。
 光の温度や強度は仮~色彩によっても分かる。仮~周波数としてもしかり。つまり、あらゆる仮~強度・周波数で攻撃を仕掛けた。
 仮~鐘に任せておくだけではない。寄せ集めた空間が、弥勒の思考次第で集結していく。
 元々、弥勒は遥かな・・釈迦の死後五十六億七千万年後に現れる筈の救世菩薩。
 其の年数を経て来た力は尋常ではない。今、一挙に其の時間を飛び越えて来た遥かに光を超える速度で観音に剣を振り回す。
 観音の油断であった。
 恰も、いとも簡単に消滅したと思わせ、持てる力を発揮する。救世主などと言う言葉は人類が考えたもの。
 ところが、実際に結果は、この世の煩悩の最後の一つの力を我が力で無限に大きくし、持てる剣の威力として発揮された。
 煩悩は人類が生み出した中でも手に負えない最悪の類。其れをいとも簡単に応用しようとは弥勒の弥勒たる所以(ゆえん)。
 つんざくような轟音と全く見えない程の光を超えたモノの威力は、再び空間を歪め・・観音の姿を残したまま・・千以上の顔に千以上の手の動きを止めた。
 観音は弥勒を消滅せんと図り・・衰退していく。弥勒は観音を消滅させようとはしない。
 相手の持てる力を反射させたいからだ。仏の二体の勝負は思い掛けない結果と・・相・・成る・・。
 





 弥勒は二本差しの姿に戻ると何も無かった様に歩き始める。
 もうじき子の刻も終了する・・百八つの最後の音が聞こえて来る。
 何者にも一体何が起きたのかは分かりようもない。人類業(わざ)では無い仏同士の、捨て身の争い。この世に仏も何も無い・・。
 





 だが、何故か、現に、未だ二体の仏の姿は存在する。其れも如来の手前で起きた出来事。
 限界の位で菩薩として、其々の全能力の限りを尽くして争った事は、例え、釈迦でさえも知り得ぬ事・。





 実は・・人類の目には見えない文明同士の争いが・・偶々・・青い惑星で行われたに過ぎず・・。
 そして、弥勒像は未だに台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿で、まるで争いの事などとんと忘れてしまったのか・・穏やかな表情をしている。
 ・・筈なのだが・・。






 二本差しの弥勒は相も変わらず屋敷への道を歩いている。
 未だに百八つの鐘は、巷に響き渡っているのだが、其れを聴きながら一瞬立ち止まると夜空を見上げた・・。雪がチラつき始めている。
「本降りになりそうだ・・さて・・引き揚げるとするか・・」

 次の瞬間・・天空の星々がどっと落ちて来たような・・いや・・。
 大西洋から太平洋まで繋げたような・・見る事が出来ない巨大な母船が降りて来、姿の見えなくなった彼に・・やはり・・姿の見えない・・第三の彼が微笑みかけていた・・。
 




 

旧作より少々引き充てる

幾つか・・。

旧作より少々引き充てる

時間が無く・・仕方が無い・・。 センテンスは・・特に・・。 どうという事も無く・・。 不・・は・・明・・。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-05-06

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