騎士として、レディとして
Ⅰ
呼ばない。
応えない。
であっても、
「相棒ね」
口にする。静かな想いを乗せて。
「ハナー」
しばらくしてから。
呼びかける。
止まる。
一つとなって草原を駆けていた人と馬。
やってくる。
どちらも何も言わないまま。
「ふふっ」
思わず。口にする。
「息ぴったり」
こくり。うなずく。
人も馬も。
共に無表情で。
「ハナ」
あらためて。その名を口にする。
「トルカ」
馬のほうも。
「元気してた?」
問いかけに答えるように。小柄な影がさっと鞍上から降り、そのまま声をかけてきた彼女に飛びつく。
「おっと」
慣れた手つきで受け止める。
「あれ。ちょっと大きくなった?」
ぱっと。無表情ながらも目が輝く。
「なーんてね」
むかっ。
「きゃっ、ちょ、だめだめ、本気で怒ったら」
素早く腕に飛び関節技をしかけようとしてきたのをあわてて止める。
「冗談くらい流せるようにならないと」
むかむかっ。
「あ、冗談だなんて思ってないのよ? 本当に大きくなる可能性だって」
と。
言葉に詰まり。
「まー、夢を持ち続けるのは悪いことじゃないわよね」
むかむかむかっ。
「ミンさん」
そこに。
「あまり遊ばないでください、ハナさんで」
やれやれという顔で。近づいてくる。
「やーねー」
かすかに。鼻にかかる声で。
「いつものスキンシップじゃなーい」
「それはそうですけど」
言ったところに。
「メ・イ・クン❤」
「ひゃっ」
不意にあごを指でなで上げられ、情けない悲鳴があがる。
「鳴クンはどう? たくましくなった?」
「ぼ、僕は普通で」
「いいわよねー、普通」
ふはー、と。ため息をつく。
「ミンさん?」
「ホントいいわ、普通。無駄に自信とかなくて、ひかえめで、こっちをイラつかせることもなくて。まー、情けなくてイラつくことはあるけど」
「あの」
ぎゅっと。
「!」
抱きしめられる。
「ミ、ミンさん?」
「そういう情けないところも癒やされたりー」
「ええっ!」
そこへ。
「ハナさん!?」
ぎゅぅう~~。太ももをつねられる。
無表情のままでも。
わかる。怒っている。
「いや、これは、ミンさんが」
「えー、騎士のくせに言いわけー?」
「えええっ!」
「なーんて」
抱きしめたまま、視線を下げ。
「いいじゃない。ちょっとくらい、鳴クン、貸してくれたって」
ふるふる。はっきり首を横にふられる。
「あの、僕」
あたふたと。
「これから、トルカの世話をしないと」
「もー」
つんと。額をつつく。
「だめよ。年上のお姉さんをフったりしたら」
「そういうつもりじゃ」
「それに、あなたはもう従騎士(エスクワイア)じゃないでしょ」
それは騎士の見習い的立場。
従者として付き従い、馬の面倒を見る等、日々を共にすることにより騎士としての心と技を学ぶ。
「でも」
ちらり。視線をやる。
「教えてもらうことも多いですし」
「教えてもらうこと?」
「はい」
情けなく。目を伏せ、
「特別に〝騎士(ナイト)〟にしてもらいましたけど、僕、馬のことだって本当はよくわかってないんです」
「あー」
それはその通りなのだ。
「あら?」
でも。
「いなかったの?」
「えっ」
「馬。在香(ありか)さんのところに」
体術を仕込んだ〝師〟の名を出す。
「普通の道場でしたし」
「本人が普通じゃないけど」
若干、けげんさを残しつつも。
「大切なことね」
あっさりと。
「よろしく。鳴クンのこと」
語りかける。
やはり。いななき一つ返ってこない。
(こういう子だもの)
不快には思っていない。よく知っている馬だ。
主人のほうと同じように。
(それにしても、こっちも変わらないわよねー)
思ってしまう。
見た目も含めて。
本人がいくら嫌がっていても。
(いいじゃない)
思う。昔とほとんど変わらず小さなことも、その愛らしいことも。
「ミン嬢!」
一瞬で。現実に戻された。
「う……」
美麗。
そう形容していい容姿。
しかし、それを十分自覚しているという立ち居ふるまいが、茶色い肌のその容姿にどこか浅薄さを感じさせた。
「ひどいではないですか。島に不慣れなわたしを置いていってしまうなんて」
「ご……ごめんなさい」
顔を伏せつつ。言う。
そして、舌打ち。
誰がここに自分がいると教えたのだという。
「よいのですよ」
「!」
ぞわぞわっ。
肩に。絶妙なタッチで触れられ怖気が走る。
「あなたの気持ちはわかっています」
「は、はあ?」
顔がひきつるのを懸命にこらえる。
「よいのです」
にっこり。無駄にさわやかすぎる笑顔で。
「照れているのですね」
「………………」
何も言えない。不快さがにじむのを抑えるのに必死だ。
「あの」
傍目ながらも。苦境を察したのだろう。
声をかける。
「ん?」
「!」
ちらり。こちらを見たその目にふるえあがる。
不快。
これでもかとそれをするどく放ちながら、しかし、すずやかな表情は変わらない。
貫かれた。そんな思いだった。
「う……」
血の気が引いていく。
と、最初からこちらなどいなかったかのように。
「ミン嬢」
ささやきかける。
「そのような奥ゆかしいところも実に好ましい」
「………………」
「よいのですよ。もっと、そのままのあなたをさらけ出しても。ああ、むしろ、わたしの前にあなたのすべてを」
「あ、あのっ」
恐怖にとらわれたまま。
それでも、騎士としての心が動いたというべきか。
レディの危機に馳せ参じる。
それが、騎士。
「無粋だな」
瞬きをする間もなかった。
「……!」
正確に。みぞおちに。
達人と呼ばれる人のもとで体術を学んできたからこそ、それがはっきりとわかった。
「消えてくれたまえ」
当てられた。
拳。
そこから槍を突き出すように押しこまれれば自分の意識は一瞬で。
「おっと」
緊迫の空気が解ける。
飛びかかった。
小さな影が。
「こら」
腕にからみつかれる。しかし、美麗な顔は崩れることなく。
「危ないじゃないか、急に飛びこんできたら」
おだやかに諭す。
それに構わず必殺の関節技を。
「こーら」
さっと。腕を一振り。
「!」
目を見張る。
狂わされている。
タイミングを。
相手の腕を取ればほぼ完璧に技を決めてきたはずが。
二振り、三振り。
遊んであげているかのように腕が振るわれる。
驚異的なことだ。
決して大男というわけではない。
なのに、小柄ではあるものの、人一人を腕にしがみつかせたまま、まったく体勢が乱れないのだ。
しかも、その腕を振ってさえいる。
驚くべきことなのだ。
「あ……」
気がつく。
強靭な腕の力。
それは、まさに騎士に求められるべき能力。
片手だけで、己の背丈を超える長さの騎士槍を自在に扱うために。
「あっ」
離れた。
このままでは遊ばれるだけだと気づいたのだろう。腕が振るわれたタイミングに合わせ、そのまま飛んで華麗に着地する。
「すごいじゃないか」
パチパチパチ。
心からの。賞賛の拍手が送られる。
無表情。
そこに屈辱の思いがにじむのを、長い付き合いとは言えないながらも、そばにいることの多さゆえに感じ取ることができた。
「よい素質を持っている。男子であれば立派な騎士となれただろうな」
「えっ!」
ぎょっとなる。
騎士なのだ。すでに彼女は。
「安心しなさい。大きくなればきっと美人になるから」
「いや、あの」
すでに大きい。
というか、大人と言っていい年齢なのだ。
「あ……」
ふるふるふる。
ふるえている。怒りが大きすぎるあまりに。
そこへ、
「申しわけありません」
割りこんでくる。
「ミンさん」
膝をつき。深く頭を下げる。
「区館の者が失礼を」
「えっ」
意表をつかれた。そんな顔になるも。
「ああ、娘さんなのですね。金剛寺(こんごうじ)さんかな。それとも」
「騎士です」
言う。
「現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)東アジア区館所属の〝能騎士(パワー)〟ハナです」
「え……〝能騎士〟」
あぜんと。
「彼も」
続けて。
「正式な騎士。〝騎士(ナイト)〟の紀野鳴です」
「それは、まあ、いいのですが」
「ええっ」
さすがに『まあいい』と言われるのは。
「あなたが〝能騎士〟」
まじまじと。興味本位の目で見られ、無表情ながら不快なものは隠せない。
「懐が深い」
自分にも。納得させるかのように口にし、笑みを見せる。
「失礼を、ハナ嬢」
優雅に一礼する。
「西アジア区館所属〝主騎士(ドミニオン)〟ウダイ・アル=カリムと申します」
「えっ!」
〝主騎士〟――
現世騎士団には九つの位階(クラス)がある。
〝騎士〟はその最下位。そして〝主騎士〟は上から四番目。第二位階(セカンドクラス)と呼ばれる区分の中では最上位だ。
ちなみに、ハナの〝能騎士〟は第二位階の三番目。
ミンは二番目である〝力騎士(ヴァーチャー)〟だ。
(それで)
納得する。
騎士間において位階の差は絶対。上位の騎士を相手に遠慮するような態度を余儀なくされたのだ。
(それにしても)
なぜ。
西アジア区館の騎士が、東アジア区館の拠点であるここ鳳莱(ほうらい)島に。
区館(プライオリー)。
位階と同じくそれもまた騎士の立場を分けている。
位階を縦の位置づけとするなら、区館は横。
九百年の歴史を誇り、かつ世界中に一万人の騎士を擁する〝騎士団〟が地域ごとの組織にまとまるのは、ある意味で必然とも言えた。
七区館(セブン・プライオリー)。そう呼ばれている。
各々の間に積極的な交流はあまりない。地理上の隔たりがまず大きいが、長い歴史の中で互いにライバル心を抱くようになったということもある。〝騎士団〟に籍を置いてまだ日が浅いこともあり、西アジア区館の人間を見るのは初めてのことだった。
「あっ」
そうだ。
なぜ彼がここにいるかということより、いまはまず〝騎士〟として最低限の礼を示さなければ。
「では参りましょう、ミン嬢」
「あ……」
背を。向けられた。
悪意ではなく、最初からいなかったように完全に無視された形だ。
「いやあ、素晴らしい大自然ですね。西アジア区館では見られない光景だ。馬たちも実に伸び伸びしている」
「あの、詳しい案内は後できちんと」
「後? いまではなくて」
「それはきちんと折を見て」
辟易しつつも無碍には扱えない。そんな煩悶をにじませつつ。
二人は去っていった。
「………………」
もやもやとした思いに。視線が落ちる。
確かに。
自分は最下位の〝騎士〟だ。
それでも正式な騎士であることには違いない。
(騎士……)
しかし、それは。
幼いころからの血のにじむような努力の結果というようなものではない。
偶然。
成り行き。
そんな情けない理由でしかない。
(僕は)
たまらなく。
胸を詰まらされる。
相手にされなくても仕方ない。その程度なのだ。
そんな思いに――
「っ」
すりすりすり。
「トルカ」
何も言うことなく。いななくことなく。
すり寄せてくる。
「……ありがとう」
伝わる。
「優しいね、トルカは」
くいくい。
「えっ」
脇から。
無表情に。袖を引かれる。
「ハナさん?」
ふるふると。
首を横にふる。
「え……」
違う? どういうことだ。
「えーと」
すこし考えて。
言い直す。
「賢いね、トルカは」
ふるふる。
「えっ。じゃあ」
じーっと。見つめられる。
「う……」
小さな身体ながら。プレッシャーを感じつつ。
「あっ」
気がつく。
「かわいいね、トルカは」
言って。たてがみをなでる。
女の子なのだ。
「あ……」
うなずかれる。ダブルで。
正解だったようだ。
「はは……」
情けない。やっぱり思ってしまうのだった。
Ⅱ
(あー、もう)
心の中で。どうしても悪態をついてしまう。
(何なのよ、何なのよ)
そんな心のつぶやきこそ『何なのよ』だ。
「はあ」
「ミン嬢」
「!」
ぎょっと。
「どうされたのですか」
「え……」
本気だ。
「あなたに似つかわしくありません」
「は?」
「そのような憂い顔は」
「……だ……」
誰がこういう顔にさせているのだ! 反射的に叫び返すところだった。
「いえいえ」
愛想笑い。
「気にしてもらうほどのことではないですから」
嫌になる。
社交辞令。というほどのものではないが、したくもない相手に愛想を使っている自分が。
合わないのだ。もう徹底して。
認める。
確かに、顔立ちは悪くない。
物腰も決して下品ではないし、振る舞いも一応は紳士的ではある。
けれど、合わないのだ。
無駄に押しの強いところがもうだめだという感じで。
いや、騎士としては、それは特別異常なこととは言えない。
そもそもが貴族階級と分かちがたく結びついていた職能集団である。プライドは当然高く、それに見合った修練を己にも課していて。
(いやいやいや)
時代が違う。
存続九百年を超える騎士団とはいえ、すべてが旧守のはずもない。そもそも、根本の戦闘スタイルさえ、分厚い全身甲冑の装着などはるか過去の話だ。
(あり得ない)
あらためて。自分でも思う。
しかし『伝統』を引きずっているような騎士も確かにいるわけで、隣を歩くこの男もその類いなのでは。
「あり得ないことです」
「えっ」
どきっと。
「嘆かわしい」
「は?」
何がだ、唐突に。
「あなたのような」
「っ!」
つかまれた。
「このような」
切々と。
手をさすりながら見つめられながらつぶやかれ、たまらず怖気が走る。
「たおやかな手の持ち主が」
うれしくない。まったくうれしくない。
お世辞ではないのだろうが、それは『鑑賞』の対象としてこちらを見ているのだとこれでもかと感じさせてくれた。
悪意のまったくないところが、逆にだ。
「なぜ騎士なのですか」
「……!」
それは。
「あなたになら」
切々と。
「他の道がいくらでも開かれていたことでしょう」
「………………」
応えない。答えられない。
「わかりました」
「えっ」
「ここは」
すっと。手を胸の前に置きながら一礼する。
「我が歌を捧げます」
「はあ!?」
「遠慮されることはないのです、奥ゆかしい方」
「い……いやいや」
してない、してない! というか、なぜ歌なのだ!
「~~~♪」
始まってしまった。
(う……)
うまい。無駄に。
竪琴を持っていたらかき鳴らしたのではないかという甘い歌声だ。
(騎士って)
歌が得意とかいう歴史あった?
あったかもしれない。流浪の騎士という言葉もある。そういう旅の中で、無聊を慰めるために芸事に通じていたというのは十分ある話だ。
(って、どうでもいいのよ、そんなこと!)
こっちまでおかしくなっている。
「あのぉ」
やめさせようと。うんざりしながら口を開いた瞬間。
「いかがでしたか」
「っ!」
つかまれた。またも。
「ミン嬢」
完全に酔っている。自分に。
「あなたにこれほどよろこんでいただけて」
どれほどだ!
そもそもよろこんでない!
「あ……」
近づいてくる。
感極まった。そんな吐息と共に。
「やっ」
限界だった。
騎士としては自然なのかもしれない。
レディの手にキス――
しかし、しかし、しかし!
されたくない!
もうどうしようもなく!
どうなったっていい! そんな気持ちの爆発を感じながら、目の前の男をつき飛ばそうと両手に力を。
「きゅうーっ」
ひゅんっ。
鳴き声、そして風を切る音。
「あっ」
すこし前と同じように。
しかし、飛びかかった影は、小柄な人間よりなお小さく。
「おっと」
軽く。
あくまで優雅さを失わない動きで身体をひねる。
「きゅっ。きゅっ」
めげることなく。飛びかかっていく。
「やれやれ」
肩をすくめる。
「無粋な邪魔者が多いことだ」
「シ……」
救われた思いで。その名をこちらが口にしようとするより早く、
「シャオロン!」
呼ばれる。
あらたな影が飛び出してくる。
「クーファ」
その名を。
「あの、その」
あたふたと。愛らしく左右高くに結い上げた黒髪をゆらし。
「ごめんなさいっ」
「えーと」
「姉様」
目をうるませ。
「お邪魔をするつもりはなかったんです」
「そ、そう」
こちらとしてはものすごく助かったのだが。
「この子」
ひょい。
「きゅっ」
尽きないファイトで飛びかかり続けていた小さな身体をつかみ取る。
「きゅっ。きゅきゅっ」
なんで邪魔する? そう言いたそうに手の中で暴れる。
「あなたがつれてきたの」
「い、いえ」
もごもごと。口ごもりつつ。
「その、たまたま居合わせたといいますか」
「『たまたま』ねえ」
まあ、そのことについていま追求するつもりはない。
「ありがとう、シャオロン」
「きゅっ」
誇らしげに。胸が張られる。
「おや」
こちらを見ていた目が細められる。
「なぜ、お礼なのです」
「えっ」
きょとんとなり、すぐにあわてて。
「いえ、あの」
あたふたと。
「こ、この子は小籠(シャオロン)! センザンコウです!」
「それは見ればわかるのですが」
「こちらは楊可花(ヤン・クーファ)といいまして、当区館の〝能騎士〟で」
「ほう」
かすかに。興味を持った目に。
「わ、わたしが悪いんです」
前に出る。
「シャオロンを止められなくて」
「そのことはもう」
「静かにお二人を見守っているつもりだったんです。本当です」
(あのねぇ)
見守るなと言いたい。
「レディ」
そっと。
「あなたは悪くない」
こちらのときと同じように。手を取る。
(う……)
どうしてためらいもなくすぐにこういうことを。
(騎士だから……)
いやいやいや。もうそれは時代的に。
「だ、だだ、だめです」
ほら、彼女だって。
「いけません」
ん? なんだ、その恥じらいながらも、みたいな態度は。
「あなたにはミン姉様が」
ぶーーーーっ! 噴きそうになる。
「ご心配なく」
心配しろ! って、どういう意味で、わたしは。
「完璧に。わかってくれていますから」
わかってない! その自信はどこから来る!
「わたしのレディは」
ぞわわわっ。肌が泡立つのを止めようもない。
「うわぁ」
感動の吐息で。
「想い合っているのですね」
おい!
「当然のこと」
じゃない! これっぽっちも!
「あっ」
気がついたというようにこちらに近づき。
「はいっ」
「え」
両手を差し出される。
「シャオロンですよ」
「ああ」
つられてというか、抱えていたのを差し出す。
「きゅーう?」
いいの? そんな目でふり返られる。
(ああ)
わかってくれている。この子だけは。
「だめよ。お二人の邪魔したら」
わかってない。この子は。
「では、ごゆっくり」
ゆっくりしたくはないのだが。
「お言葉に甘えましょう」
「っ!」
肩に手を置かれる。
「二人の愛を祝福してくれている彼女のためにも」
「な……」
ない! 最初から愛なんて!
「ミン嬢」
「!」
三度。手を取られる。
今度こそもう避けようもなく。
「………………」
止まる。
「えっ」
「……ふぅ」
複雑そうな表情になり。
「行きましょう」
「え? え?」
「このままでは」
胸に手を当て。芝居がかった仕草で。
「悲しませてしまう」
(ええ……)
誰を?
「あっ」
まさかとは思うが。
こちらが迷惑がっているのをようやく察して、その気持ちを汲んで。
「彼女を」
その手が指し示した先に。
「あっ!」
いた。
「きゃあっ」
飛び上がる。
(行ったんじゃなかったの……)
がっくりと。
「ちち、違うんですっ」
違うと言われても。
「わたしは、ただ、心配で。お二人を『うらやましいなー』なんて未練がましく見てたわけじゃなくて」
うらやましがらないでほしい。
「レディ」
あくまでも。さわやかな笑みは崩さないまま。
「わかります」
だから、何を。
「お許しください」
何を!
「いま、わたしの愛はミン嬢に捧げられています」
(う……)
い、一方的に!
「あなたを悲しませることはわかります。ですが、この愛を偽ることはできないのです。騎士として」
「ああ……」
感動に目をうるませ――って、なんでだ!
「感動しました」
口にまで出して。
「高位の騎士様なのですね」
「〝主騎士〟ウダイ・アル=カリムと申します」
「やっぱり!」
目を輝かせる。
「素敵。砂漠の王子様なんて」
「ハハ……王子ではなく騎士なのですが。そして」
キラーン。またも無駄に。
あごに指を当て、キメ顔を作ってみせ、
「西アジア区館次代館長ではありますが」
「素敵!」
こちらと。共に見て、
「次の館長同士なんて」
「クーファ」
そこは一言言っておくべく。
「それは正式に決まったことじゃないから」
「で、でも」
あせったように。
「もうみんなの間では決まったことになってますよ。次の館長はミン姉様だって」
「あのねえ」
頭が痛い。新たに。
「とにかく、いまのわたしはただの〝力騎士〟なの。わかる?」
「けど、それじゃ……こ、困りますっ」
「困る?」
そこではっとなる。
「ねえ、クーファ」
ぐっと。顔を寄せ、
「何か話があるの」
「えっ」
「話したいことがあるの」
「う……」
「そうでしょ」
あわあわと。
「でも」
目を伏せ、
「お二人の邪魔をするようなことは」
「いいのよ」
にこやかに。けれど肩をつかむ手に力をこめ。
「いいの」
「ね、姉様」
そこへ、
「構いません」
横に並ばれる。
「彼女の話を聞いてあげてください」
「いいんですか」
ほっと。心から。
「いけません!」
おい。
「わたしなんかのために愛し合うお二人の時間を」
「レディ」
わざとかと。嫌味なくらい真摯な面差しで。
「わたしはあなたを悲しませたくない」
「え……」
「あなたの涙を見たくない」
「そんな」
ぽーっと。完全に。
「わかりました」
だから、何をどうわかったのかと。
「わたし、もう泣きません」
いや、泣いてなかっただろう。
「レディ」
またも。
「心から賛美します。あなたの強き心を」
もう何をどう受け取れば。
「では」
さっそうと。
「あっ」
去っていく。それを名残惜しそうに手を伸ばして見送る。
何のシーンなのだ、だからこれは。
「……ふぅ」
とりあえず。
「悪くないタイミングだったわよ」
「ふぇ?」
きょとんと。見られてしまう。
「それはともかく」
にっこり。ちっとも笑ってない笑顔で。
「ずっとのぞいてたの?」
「ええっ!」
飛び上がる。
「のぞいてたなんて!」
あわあわあたふた。
「本当です!」
「本当なんだ」
「あ、じゃなくて! 本当にただ話をしたかっただけなんです!」
懸命に。釈明する。
「ふぅ」
ため息を一つ。
わかっている。
この子がいい子だということは。
妹同然にかわいがっているのだから。
(妹……ね)
特に意識したつもりはない。
いつの間にか、そうなっていた。
区館の若い女性騎士たちの面倒を見るような立場に。
(だからってねえ)
嘆息。心の中で。
(それと館長とじゃ、話がぜんぜん)
違う。
違いすぎるのだ。
Ⅲ
そもそもはまだ記憶にも生々しい〝大戦〟と呼ばれる戦いでの最中。
突然の宣言だった。
「次の館長はミンな」
あまりにもあっさりと。言ってくれたのだ、あの〝オバサン〟は。
「はぁ~あ」
ため息。あれから何度こうして重い息を吐いたことだろう。
「ミン姉様」
「っと」
つかの間、意識がとんでいた。
「あの、その」
すまなそうに目が伏せられる。
「やっぱり、ウダイ様と一緒にいたくて」
「いやいやいや」
ない。それはない。
「そんなことより」
咳払い。
「話があるんでしょ、わたしに」
「あるんです」
くっと。小さく拳を握って、
「姉様、わたしを」
真摯な目が向けられる。
「今度こそ四神(しじん)にしてください」
「ご苦労されてるみたいですね、ミンさん」
こくこく。
隣でうなずかれる。
「何か」
力になれることは。そう口にしかけたところで、
「わっ」
ふんふん。鼻先を寄せられる。
「えっ、トルカ」
どうしたのだろう。何かこちらに伝えようとしているが。
「キミたち」
「あっ」
近づいてきた。その人影は。
「ふむ」
まじまじと。見られる。
隣のほうを。
と、やわらかな笑みをたたえ、
「先ほどは失礼いたしました、レディ」
膝をつく。
そして手を取ろうと、
「あ」
ぱっと。引っこめられる。
「……おっと」
かすかに口もとを引きつらせるも、すぐに余裕の微笑で。
「照れているのですね」
ふるふる。
「そうか。まだあなたには早すぎるということか」
カチン。
「あ、あの」
割りこむ。また爆発してしまう前にと。
そこで気づく。
「ミンさんは」
「フッ。つらい選択だった」
「は?」
「だが、これもまた愛の痛みさ」
「………………」
わからない。
「まあ、ただの〝騎士〟のキミではな」
肩をすくめられる。
「あの」
とにかく話を続けようと。
「どうしてここに」
「決まっているだろう」
びっと。指をさされる。
「光栄に思いたまえ」
「は、はあ」
「キミに栄誉を授けよう」
やはり何がなんだかさっぱりわからない。
「わたしの」
胸に手を当て。
「島の案内をすることを特別に許可したい」
「………………」
つまり。
「僕にここのことを教えてもらいたいと」
「フン」
鼻を鳴らされる。
「思いあがった態度はいただけないな」
(えぇぇ~……)
「わたしはキミに何かを請い願ったわけではない。許しを与えると言っているのだ」
「そ、そうですか」
それ以上は何も言えない。
相手は、自分よりはるか上位の〝主騎士〟なのだから。
(といっても)
思う。
これまでも中位や上位の人たちとは接してきたが、みな気さくで優しかった。
(区館が違うと、そういうところも違うのかな)
目の前の相手が特別という可能性ももちろんあるのだが。
「何をぼうっとしている」
「あ」
そちらの可能性が大のように思えてきた。
しかし、
「すみませんでした」
慣れている。
「僕もあまり島に詳しいとは言えないのですが」
「ほう」
すこし思案するようにあごに手を当て、
「では、そちらのレディにも」
「えっ」
「このようなことでわずらわせてしまうのは誠に恐縮なのですが」
一礼する。
それにしても態度が違う。
(位階の差……なのかな)
だけではないとは思うが。
「さあ」
手を差し出す。
「どうぞ」
無反応。
「レディ?」
こちらとしては慣れている。しかし、会ったばかりでは、さすがに戸惑うだろう。
「ふむ」
それでも端正な面立ちを崩すことなく。
「そこの〝騎士〟」
「えっ」
自分のことか。確かめるまでもなくここに他の〝騎士〟はいないのだが。
「どういうことかな」
「えーと」
どう答えるべきか。
「ハナさんは」
言葉を選びつつ。
「あまり、その、口数が多くなくて」
「そうか」
納得してもらえた?
「奥ゆかしいのだな」
そういうこととは微妙に違うのだが。
「照れ屋なのだな」
いやいやいや。
「レディ」
あらためて。
「わたしにどうかこの島のことをご教示願えませんか」
ふるふる。
「………………」
はっきりと拒絶。
さすがに口もとが引きつる。
「……どういうことかな」
「えーと」
つまり。
(嫌なんだろうな)
はっきりと。
言葉を口にしない代わりというか、意思は隠さず示す人なのだ。
「すみません」
「なぜ、キミがあやまる」
「それは」
「わたしは」
深々と。一礼。
「レディの意思を尊重する」
「は、はい」
当然だ。騎士として。
一方で、
(ハナさんも騎士だけど)
そして、位階は彼よりも下。
(だったら)
上位の騎士の言うことは絶対。その掟は当然あてはまる。
(けど)
相手が誰でも物怖じしないところはある。
彼女には。
「えっ」
そこに。
「トルカ?」
不意にだ。自分たちの間に割りこむように。
「ふむ」
目が細められる。
主と同じく。
一言――一いななきももらすことなく。
「そうか」
手が延ばされる。
「なかなか賢い馬のようだ」
なでる。たてがみを。
かすかに。
隣から驚きが伝わってくる。
(ハナさん)
主としても思いがけないことだったのだろう。
「では参ろうか」
「えっ」
歩き出す。先を行く愛馬の後について。
「あ、いや」
どうしよう。そんな思いで隣を見る。
「あっ」
歩き出していた。
「いや、その、ハナさん」
案内は嫌ではなかったのか。そう問いかけたかったが。
(……まあ)
答えがないのはわかっている。
結局、自分も一行に付き従っていく他なかった。
その光景に。
「おお!」
感嘆の声が上がる。
「やるな!」
「そ、そうですか」
大げさな反応に言葉に詰まる。
馬――
高台から見下ろす草原には、あふれる日差しをあびて力強く駆ける彼らの姿があった。みな将来の、あるいはすでに現役の騎士の馬として鍛錬されている者たちだ。
「うむ」
うなずく。
「どれもいい毛並みだ。動きにもキレがある。血統の良さだけでなく、きちんと気持ちをこめて世話をされているな」
「わかるんですか」
こんな遠目から。
「当然だろう。騎士なのだから」
「はあ」
「しかしな」
不敵に。笑みを見せ、
「我が区館も」
胸を張り、
「馬の精悍さで負けるつもりはないぞ。みな、勇壮なアラブ馬たちだ」
「はあ」
勝ち負けの問題なのか。
「キミは」
「わっ」
不意に。顔を近づけられ。
「どうなんだ」
「どう?」
「そう」
うなずき、
「誇りだ」
「え……」
わからない。
「よくわかる」
再び。眼下の馬たちに視線を戻し、
「みな、誇りに満ちあふれている」
「そ……」
そうなのか。
「騎士と共に戦う勇敢なる己への誇りだ。わたしも」
胸の前に拳を置き、
「マムルークの名と技を継ぐことを何より誇りにしている」
「マムルーク……」
「ああ」
語る。
西アジアにおいて精強をもって鳴らしたエリート騎兵。かつて、自分たちの王国さえ打ち立てた。その伝統を受け継いでいるのだと。
「キミもそうだろう」
「えっ」
「東方の騎馬民族は無敵を誇った。広大な大陸を制するほどに」
「それは」
知っている。有名すぎるほどに有名な話だ。
しかし、自分は、
「ない……です」
口にする。切れ切れに。
「僕には何も」
「………………」
静かな眼差しが注がれる。
しばらくして、
「そうか」
ぴくっと。
意味もないのにふるえてしまう。
事実。
なかった。
誇りに満ちあふれる相手に対して、それがどうしようもなく引け目になっていた。
「結構なことだ」
「えっ」
思いがけない。
「よし」
肩に。手を置かれる。
「我が一族になるか」
「えっ!」
「おかしなことはない」
笑みを見せる。
「マムルークは力の絆」
「力の」
「それを望む者をこばむことはない」
手を。差し出される。
「………………」
その手を。
「わっ」
割りこまれる。
「ハナさん」
「どうされました、レディ」
ふるふる。
首が横にふられる。
「これは」
微苦笑する。
「レディはキミを取られるのがお嫌なようだ」
「ええっ」
それは。
「そう……なんですか」
無言。
「ハナさん……」
正直、いまここでどうこう受け答えするつもりはなかった。
できるはずもない。
しかし、こういう態度を取られてしまってはますます――
「情けないな」
「!」
貫く。その一言。
「情けない」
再び。
「な……」
さすがに。頭に血が上るのを抑えられない。
「なんでですか。何が」
「キミは」
あくまで冷静な。目で。
「キミの道をキミ自身で決めることができないのか」
「っ」
「情けない」
くり返される。
「それでは」
かすかに。強い想いがこもる。
「いつまでも奴隷のままだ」
「ど……」
思いがけないきつい言葉だった。
「あっ」
前に出る。
「ハナさん」
普段見せることのない強い眼差し。
意思の。
強くこもった。
(怒ってる)
わかった。
「レディ」
しかし、向こうも引かない。
「彼はキミの何なのだ」
「そ、それは」
こちらが口を開く。
「従騎士です。あ、いえ、従騎士でした」
「そうか」
うなずくも、こちらに厳しい視線が向けられる。
「情けない」
「えっ!」
またも思わぬ。
「情けないと言っているのだ」
言われている。
「あっ」
跳ぶ。
「レディ」
一度その奇襲を受けているためか、余裕をもった態度で。
「これは彼のためにもならない」
ゆれる。
関節を取りに行った手をあっさりいなされ。
動きを止めた。
その瞳が。
「待ってください!」
思わず。
「ハナさんは、そんな、その」
「少年」
手をかざされ。それ以上の言葉を止められる。
「騎士に多言は不要」
「う……」
「必要なのは」
優しく。降ろされた手の向こうに、いままでのことからは驚くほど親しみに満ちた笑顔がのぞく。
「一人でも歩もうという意志だ」
「一人で……」
その言葉に。
「ぷりゅっ」
「おお」
鼻先が。二人の間に突き出される。
「これはこれは」
馬たち。たくさんの。
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅ」
草原で駆けていたのがいつの間にか。
「ははっ」
慣れた手つきで。
「やはり、良い馬たちだ」
たてがみをなでる。
「わたしのことを歓迎してくれているのかな」
「ぷりゅっ」
「ぷりゅりゅー」
その通りだというように。次々と鼻先をすり寄せてくる。
「人はな」
つぶやく。
「一人では生きていけない」
真逆だ。言っていることが。
「馬もそうだ」
そう言って、こちらからも頬をすり寄せる。
「考えてみると良い」
優しく。あくまで。
それは。
「………………」
ほとんど初めて。〝兄〟を感じさせるものだった。
Ⅳ
「クーファ」
女性らしくしなやかながら。騎士としての強靭さはきちんとそなわっている肩に。
手を置き。
「よく聞いて」
「は、はい」
緊張に背筋を伸ばす。
「わたしはね」
言い聞かせる。
「まだ館長になったつもりはないの」
「『まだ』ですもんね!」
ひるまない。
「いずれは! ですもんね」
「あのねえ」
またもの頭痛。先ほどより軽いとはいえ。
「よく聞いて」
くり返す。
「いまは次の四神がどうこうとか話す段階じゃないし、わたしの口から何かを言うこともできない」
「えっ」
意外なことを。言われたという顔で。
「ミン姉様なのに」
「あのねえ」
この子は。
「わたしを何だと思ってるの」
「姉様です」
ためらいなく言うも、すぐにあたふたと照れ始め、
「あ、いえ、もちろん血を分けた本当の姉様という意味では」
はっと。
「ひょっとして。実は幼いころに生き別れたなんて事情が」
「ないない」
「どうして『ない』ってわかるんですか」
「それは」
「わかった。逆ですね」
「は?」
「実は」
深刻かつ無駄に気合の入った顔で。
「わたしと姉様は血のつながった姉妹だったんです」
「あのねえ」
「けど、そのことは隠さないといけないんです。だから、必死になって否定するんです」
「なってない、必死には」
「懸命に」
「同じでしょ」
どっと。疲れが押し寄せる。
「あのねえ」
何度目になるか。噛んで含めるように。
「いまの段階でわたしが次の館長になるなんてのは決定事項じゃない。次の四神をどうこうなんて話もまったくない」
「けど、館長になったら四神は続けられませんよね」
「それは」
そうなるだろう。
四神。
若手有力騎士から選ばれた者たちに与えられる呼び名。
正式にそういった役職はなく名誉的なものではあるが、特別な意味合いを感じる人間はすくなくない。
(本当になんでもないんだけどね)
しかし、そう口にするのはその立場にある者の傲慢と受け取られるだろう。
騎士にとって、誇りと驕りは別のものだ。
「いまでも」
くっと。向けられていた無邪気な顔がゆがむ。
「納得はしてないんです」
「………………」
内心、ため息をつく。また『この話』かと。
「わたしは〝能騎士〟です」
「そうね」
「だったら」
くっと。唇をかむ。
「なんで、姉様と同じ四神じゃないんですか」
「それは」
「姉様はわかります。〝力騎士〟なんですから。なのに」
ぐぐっ。より強く唇がかみしめられ、
「なぜわたしでなくあの子なんですか! 四神でたった一人の〝能騎士〟が!」
困った。
思っていた。
「ふむふむ」
興味深そうに。自分たちの歩む石畳を見つめ、
「そういうことか」
納得したようにうなずく。
「あの」
「なんだい」
「本当にこういうところで」
「こういうところだからいいんじゃないか」
両手を広げる。
「道こそ人と人をつなげるもの」
「はあ」
「そして、我ら騎士の守るべきものでもある」
「えっ」
道を?
「キミは何も知らないんだな」
馬鹿にする風でなく。むしろ教えられることをよろこぶような顔で。
「我ら〝騎士団〟はそもそも巡礼者を守るために結成された」
「巡礼者……」
「危険を押しても信仰の要たる聖地へ赴こうとする。そんな彼らを襲う怪我や病気の手当てを率先して行った。そこからやがて、槍を手に取り暴漢たちとも戦うようになった。道を守護することは、すなわちそこを行きかう人々を守ることでもあるのだ」
誇らしげに。語る。
「すごい……んですね」
「他人事だな」
「あ、いえ」
「道を見ればわかる」
澄んだ目を。石畳に向け、
「ここには、ここで生きる者たちのためにという想いが満ちている」
「そうですか……」
「南の海だ。雨風、何より台風も多いだろう」
「それは」
その通りである。
島に暮らすようになって長いとは言えないが、それでも驚かされるほどの暴風雨に遭遇することはたびたびあった。これまで暮らしてきた町では見ないような石垣づくりの重厚な塀があるのも、やはりそういった環境と無関係ではないのだろう。
「すごいんですね」
「ああ。誇るべきことだ」
「いえ、そうじゃなくて」
はにかみつつ、
「ウダイさんが」
「ん?」
「いろいろなことを見ていて、すごいなって」
「ははっ」
うれしそうに。笑って、こちらの髪をくしゃくしゃとなでる。
「そうか。わたしはすごいか」
「はい」
「うれしいことを言ってくれる」
包み隠さない。
嘘がない。それはやはり騎士として一つ正しい姿なのだ。
「わっ」
つねられた。
「あ、あの、ハナさん」
ぎゅうう~。
「うう」
これも正直とは言えるのだろうか。
「ははっ」
またも。笑って。
「レディはキミをわたしにとられるのがイヤなようだな」
ひょいと。
「あっ」
抱え上げられる。子どものように。
そうされるのが一番――
「どうだ。レディもわたしの妹に」
しゅぱんッ!
「おっと」
またも。
「ははっ」
いなされる。小柄な体を生かした変幻自在の極め技を。
「じゃれつかれるのは嫌いじゃないぞ」
技かけが続く。
笑顔のままそれを封じ続け、
「しかし、レディはもうすこしたしなみを身につけたほうがいいな。わたしの自慢の妹はそれはたおやかな」
ぱしッ!
「あっ」
つかまえられる。逆に。
「ほら」
降ろされる。
「レディはかわいいのだから」
さらり。さりげない手つきで乱れた髪を直す。
「しとやかにしてみてはどうかな」
ふるふるっ。あっさり拒絶される。
「ははっ。まだヤンチャな年ごろなのだな」
やはり笑顔は消えない。一方、明らかに実年齢より下に見られる発言に、不機嫌さは増すばかりだ。
「あの」
さすがに放っておけない。
「ハナさんは、その、れっきとした〝能騎士〟で」
「わたしは」
すっと。表情からあたたかさが消える。
「納得していない」
ふるえが。小さな身体に走る。
ショック。
あっさりあしらわれたことに加え、騎士として認められないようなことを口にされて。
「あっ」
駆け出す。
「ハナさん!」
険しい山岳を駆け巡る俊敏さの持ち主だ。スタートダッシュもまさに爆発するようで、追おうとしたときにはすでにその姿は消えかけていた。
「ひどいですよ!」
思わず。抗議の言葉をぶつけ、すぐさま我に返り、
「あの、いえ、申しわけ」
「情けない」
ぐさり。こちらにも。
「う……」
情けない。言われるまでもない。
こんな自分のすべきことは、
「………………」
すべきことは。
「情けない」
くり返される。
「傷ついたレディをすぐにつかまえられないようでどうする」
「そんな」
傷つけたのは、だって。
「情けない」
駄目を押される。
「そんな」
言えない。それ以外、何も。
「鳴」
初めてだ。名前を呼ばれたのは。
「大切なレディなのだろう」
「っ」
その通りだ。
「ハナさんは僕の」
騎士としての師。そう言おうとしたところで。
「大切なのだろう」
かぶせるように。
「なら、キミから言うべきだ」
「えっ」
「何を」
「レディに」
言われる。
「騎士として槍を手にすることはふさわしくないと」
Ⅴ
「聞いとるで」
「ええっ」
唐突に。
「どういうことやー。んー」
「ど、どういうことって」
グリグリと。拳で頭をはさまれる。
「しらばっくれるつもりやな」
「そんな」
「騎士失格やで」
「!」
身体がこわばる。
「おろ?」
目を丸くし、
「すこしは罪悪感があるみたいやな」
「すこしって」
それどころではない。
(罪悪感……)
どこに感じるべきものなのだろう、それは。
『騎士として槍を手にすることはふさわしくない』
「………………」
言えない。
言われたことを。
「やっぱりや」
「えっ」
「情けないな」
昨日から。もう何度言われていることだろう。
「メイ」
心持ち。真剣な声色で。
「ハナねーさんは、ウチらの大切なねーさんや」
「シルビアさん」
「年上なのにちっさかわいいウチらのアイドルや」
「それは」
本人の前では言わないほうがいいと。
「そんなねーさんが」
ぐぐっ。顔が近づく。
「泣かされて帰ってきたなんて聞いて許せるわけないやろ」
「は……はい」
「あんたなあ」
ぐっ。顔をつかまれる。
「他人事か」
「そんな」
「聞いとるで」
口もとに笑みを見せつつ。にらまれる。
「ずいぶんかわいがられとるんやってなー。んー」
「そんな」
誰にと言われているのかはわかっていた。
「ウダイさんとはそんな」
「ほほーん」
さらに険悪な空気になっていく。
「ウダイ『さん』でっか」
「えっ、だ、だって」
「ねーさんを泣かした相手に『さん』も何もないやろ」
無茶苦茶だ。
相手は自分、そして〝権騎士(プリンシパリティ)〟よりも上位なのに。
「しかも、ミンねーさんにもコナかけてるゆーやん。あり得へんわ」
「は、はあ」
「せやから、他人事かゆーてん」
ますますの。
「ひょっとして」
疑いの眼差し。
「乗り換えるつもりなん」
「え、ええっ?」
「まー、あんたがどないなつもりでも」
離れて。
「やらせてもらうで」
「えっ」
不穏な言い方に目を見張る。
と、思い出す。
漏れ聞いたことがある。
かつて、そのような世界にいたことがあるという――
「いや、でも」
相手は上位の。
「びびっとる場合ちゃうやろ」
ゆるがない。
「ねーさんには世話になっとるんや」
「でも」
「あんたも」
ぐぐっ。再び接近され。
「ハナねーさんにかわいがってもろうてんねやろ」
「それは」
「せやったら」
きっぱりと。
「身内のために動けんのは男として最低やで」
「う……」
彼女のため。
それは。どうあるべきか。
『騎士として槍を手にすることは――』
「失格やね」
「!」
断じられる。
「あっ」
背を向ける。そこに声をかけることは。
「………………」
できなかった。
「……ハァ」
伸ばしかけた手が落ちる。
情けない。
言われるまでもない。
それでも迷いをそのままに何かできるとは思えなかった。
(ハナさんのため)
そのために――自分は。
「まったく」
頭が痛い。
昨日からずっとだが。
いや、それを言うならもっと前からではある。
(だいたい)
館長だ。あの〝オバサン〟なのだ。
東アジア区館館長・孫大妃(スン・ターフェイ)。
突然に自分を『次期館長』とするような発言を一方的にして。
非常事態においてなされたそれは、一応は平穏を取り戻せた現在に至ってもなお影響を残し続けた。
それが先日の〝騎士団〟本部召喚ともなったのだ。
唐突な。
だが、いずれ来るものと覚悟すべきことではあった。
(こっちの意思も関係なく)
頭が痛い。
とにかく連れていかれてた。
形式ばったことが嫌いな〝オバサン〟にすれば、こちらは面倒なことを任せられる都合のいい道連れだったのだろう。
と、そこで思いがけない提案がなされた。
結果が。
「どういうことよ、まったくもう」
口に出して。
そこに最悪のタイミングで。
「まかしといてください、ねーさん」
「げ」
思わず。
「『げ』てなんですか、『げ』て」
「だって」
ぐったりして。
「ますます頭が痛くなりそうだなーって」
「またまたー」
ひらひらと。手をふる。
「こんなかわいい後輩、前にしてー」
「そういうのいいから」
「よ、さすが。館長の椅子が似合うてますよ。憎いなー、次期館長」
「そういうのもいいから」
だが、それら『そういうの』だけでは済みそうになく。
「シルビィ」
先手を打つ。
「わたしは」
「わかってますから」
かわされる。
(いやいや)
わかってないだろう。
わかってはいるのかもしれない。
愚かではない。
逆で。
むしろ、世知には自分より長けたところがあって。
「泣き寝入りにはしませんから」
(ほら)
そういうのをやめてほしいのであって。
「落とし前はきっちりつけます。どんな手を使っても」
「あのねえ」
使わないでほしい。
(あ……)
そうだった。
賢い。
その一方で、ある人物の影響もこの上なく受けている。
(いや、金剛寺さんは絶対に短慮なことはしない人なんだけど)
ただその『魂』の部分は。
家族のためなら、どんな相手を敵に回すこともいとわない。
その背中をしっかり見て育っている。
「セクハラには死あるのみですから」
「セクハラって」
そう――なのか?
(えーと)
思い起こす。
うんざりするほどくり返された〝レディファースト〟の数々。
(だけど)
騎士としては。特別に異常とも言い切れない。
(ホント、騎士ってスレスレよね)
思ってしまう。
「わかってますって」
だから、何を。
「ねーさんには迷惑かからんようにしますから」
顔を寄せてささやく。
悪い顔で。
完全にアッチ系の世界だ。
「わたしたち、騎士なんだけど」
「しかも、ねーさんは次期館長。よっ、館長」
「だから、それ、もういいって」
「いやいや」
真面目な顔で。
「本気なんですよ」
「えっ」
「期待してるいうことです。ウチら、ねーさんに」
「シルビィ……」
軽く。息をのまされる。
「あなた」
何を、と言いかけて。
「はあ」
本気なのだ。
「まー、ターフェイ館長も女ですけど、むしろ男以上に〝漢〟ゆーか」
「それはそうね」
苦笑する。
「そこへ行くと、ねーさんはしっかりしてますし」
「あら。男がしっかりしてないみたいじゃない」
「してないでしょう、うちの男どもは」
「まーね」
やはり。苦笑する。
もちろん例外はいる。
目の前の彼女の〝父〟がまずそうだ。逆に、その〝例外〟を見続けてきた分、他の男たちがいっそう物足りなく感じてしまうのだろう。
「ねーさんに迷惑はかけませんから」
くり返す。
「こないなとき、下のもんがタマ張らんでどないしますって」
「いいわよ、もうそういうのは」
うんざりと。
「泣き寝入りですか」
むっ。それにはさすがに矜持がゆれる。
「そんなつもりはないから」
「なら、どうするんです」
「それは」
とっさに次ぐ言葉がない。
「とにかく、どうにかする」
「わかってます」
またも。悪い笑みで。
「ねーさんは大船に乗ったつもりで待っててください」
「あっ、シルビィ」
と、入れ替わるようにして。
「これお願いします、館長代理」
「う」
どさっ。置かれる書類。
(ホントに何もやってなかったのかしら、あのオバサンは)
イライラがこみあげる。
(なにが館長代理よ。適正を見るためにしばらく区館のことを任せるとか。結局、自分がラクしたかっただけじゃない)
まあ、普段から職務に熱心とはとても言えなかったのだが。
口癖が「館長なんていつでも代わってやる」だったくらいだ。
「はぁー」
ため息をついて。館長の机にもたれかかる。
「あ」
我に返る。
「シ……」
すでに。というのも遅く、その姿はとっくに見えなくなっていた。
しかし――
「どこへ行くつもり?」
立ちはだかった。その影は。
「クーねーさん」
笑顔で。
「やー、助かりますわー。ですよねー。大好きなミンねーさんのピンチですもん、クーねーさんかて黙ってたり」
「ピンチは」
しゃっ。軽く風を切り、突先が向けられる。
「あなたが起こそうとしてるのよ、シルビア」
「……へえ」
目がすわる。
「どういうつもりですか、ねーさん」
「こういうつもり」
にこっ。騎士槍を構えたまま、不敵な笑みを見せる。
「引きなさい」
「引けません」
言う。
「平気なんですか、ミンねーさんがなめられたままで」
「見解の不一致ね」
言う。
「わたしはお似合いだと思ってる」
夢見るような目で。
「いいじゃない。砂漠の王子様と結ばれるなんて」
「あー、そういうの好きでしたもんね、クーねーさん」
「フン。あなたのガチムチ趣味とは違うのよ」
カチン。目もとが引きつる。
「ほー。いま言ってはならんことを言いましたよ、クーねーさん」
「金剛寺さんは立派な人よ。尊敬もしてる。ただ恋愛対象として一般的じゃないってこと」
「ますます聞き逃せませんなー」
スチャリ。対するように槍が構えられる。
「あららー」
目が細められる。
「わたしに槍を向けるの? 〝権騎士〟のあなたが。〝能騎士〟のわたしに」
「先にケンカ売ってきたのはそっちですよ」
「だったら、おとなしくお仕置きされるのが騎士ってものなのよ!」
地を蹴る。
「!」
特異なる騎士槍。その槍身の片側には、巨大な兎の耳を思わせる細長く反り返った二枚の金属板が取り付けられていた。
「ふんッ! はあッ! はああッ!」
華奢で少女らしい見た目を裏切る猛々しい気合。
そして、連突。
「甘いですよ、ねーさん」
するどく突き出されたそれらは、しかし、ことごとくかわされる。
楽勝とは言えないまでも見切れるだけの余裕はあった。
だが、
「逃げるのは上手ね、シルビア!」
離さない。
距離を開けさせない。
「チッ」
舌打ちがこぼれる。
巧みだ。こちらの槍――〝銀火(ぎんか)の槍〟の得意な間合いに持ちこませないようにしている。
(なめんなや)
心が燃える。槍の名と同じく火のように。
「はぁっ!」
踏み出す。むしろ前に。
「はン」
馬鹿にする笑い。
「正面からわたしとやりあうつもり? コソコソするしか能のないあなたが」
「なめんなや!」
口に出す。
「せいっ!」
気声。
「誰がいつコソコソしたっちゅうねん! パパの娘のウチはいつだって堂々と」
「バーカ」
がしんっ!
「!」
くわえ止められた。
「ちぃっ!」
そうだ。この騎士槍の〝力〟を失念していた。
「バーカ」
再度。
「くっ!」
とっさに槍を引こうとする。
しかし、反り返った二枚の金属板ではさまれたそれは、見た目以上にしっかりと拘束されていた。
「ハッ!」
身をひるがえす。
共に騎士槍もひらめき、くわえこんだ槍をもぎとろうとする。
「くぅぅっ!」
かろうじて。
こちらも身体をひねり、槍を手放すことだけは避ける。しかし、体勢は乱れ切り、とてもいつも通りに仕かけられる状態ではなくなる。
(こうなったら)
至近距離から。やるしかない。
ただのケンカでは済まなくなるかもしれない。しかし、向こうだって〝兎喰(うわばみ)の槍〟の仕かけを使ってきたのだ。
なら、こちらだって。
「レディたち」
静かな。足取りで。
「あっ」
「ウダイ様!」
明るい声と共に笑顔を見せる。
それに返ってきたのは、
「離れたまえ」
「っ」
断たれた。
ほどかれたように距離を開ける。
「ウ、ウダイ様」
弱々しくなりつつ。それでも笑顔を向ける。
「レディ」
向けられた。
それは、しかし、冷ややかな眼差しで。
「がっかりしました」
「!」
思いもかけない。
弱々しい笑みのまま、凍りつく。
「どうして」
「レディ」
押さえこむように。
「あなたは何をされているのです」
「ひっ……」
端正なだけにさらに。冷たいその視線に射抜かれ、早くも泣き崩れそうになる。
と、自然に。
「ねーさんのこと、いじめんといてくれます?」
「シルビア」
「あんたがウチらより上位なのは承知や。けど、見過ごしにはできへん。金剛寺ファミリーの長女としてな」
「金剛寺」
つぶやく。
「そうか。あなたは金剛寺さんの」
「知っとるんですか、パパのこと」
「もちろん」
胸に手を当て。
「尊敬させていただいている。大勢の者を養う度量を持ったその家長としての姿勢を」
「それは」
思わぬ絶賛に頬が染まる。
「と、当然やないですか。ウチのパパですし」
「そう。あなたは娘だ」
眼差しが。再び冷ややかさをたたえ。
「あなたは金剛寺さんではない」
「っ!?」
「真似事のような」
言い捨てる。
「決して見目良い行いとは言えない」
かあっ、と。
「あっ」
止める間もなかった。
「バカ! やめ――」
冷めた表情をまったく崩さず。
「レディ」
振るう。
「!」
平たい。幅の広い。
騎士槍としてはかなり異形なそれを、眼前まっすぐに突き立てる。
こちらを完全に拒絶するかのごとく。
「〝断真(たつま)の槍〟」
「………………」
動けない。
飛びかかろうとした体勢のまま。
物理的というより、それは精神的により巨大な〝壁〟を想起させた。
「バカっ」
後ろからはがいじめにされた。
瞬間、一気に頭が冷える。
「ねーさん……」
「『ねーさん』じゃないわよ!」
「……はい」
おとなしく。頭を下げる。
「すみませんでした」
「まったく」
ほんのすこし前まで槍を交えていたとは思えない。そんなことなどまったく引きずらない。そこには〝姉妹〟の姿があった。
「よろしい」
槍が引かれる。
「それで良いのですよ、レディ方」
にこやかに。昨日、島に来たばかりのときと同じ紳士な微笑が向けられる。
「あ、あの」
あたふたと。
「この子がしたことは、本当に」
「ふふっ」
やはり。ジェントルな笑みがこぼれ。
「お優しいのですね、レディ」
「え……」
「されていません」
「えっ」
「何も」
すずやかな笑みのまま。
「わたしは何をされた覚えもありません」
「………………」
あぜんと。
「あ……」
頬が熱くなるのを感じつつ。
「ありがとうございます」
ただ微笑みで。応える。
「ああっ、でもウダイ様にはミン姉様が」
一人身もだえる。
「ミン嬢には」
かすかに。複雑そうな色をたたえ。
「伝えねばなりません」
ふるえが走る。
「伝えるって、それって」
「プロポーズですか!」
「って、なんであんたが言っちゃうのよ、シルビア!」
はしゃぐ二人を前に。
「………………」
静かにただ微笑する。
「これで良いのです」
自分に言い聞かせるように小さく。つぶやいた。
そっと。
愛馬の鼻先に手を置く。
何も言わない。
いななかない。
お互いに。
けれど、わかる。
心の波のようなものが伝わり合っている。
軽く。
向こうから鼻先をすり寄せてくる。
それに応え。
飛び乗る。
一気に視野が高くなる。
普段は、己の敏捷さによってこうした光景を見ることはできる。
けど、違うのだ。
いまの自分は、違う自分。
愛馬と。
一つになった自分。
違う。
普段とは異なるエネルギーが自分に満ちていく。
心地よく。
広がっていく感覚。
いつも以上に、どこまでも高く高く飛んでいけそうな。
その感覚の任せるまま。
走る。
何も指示しなくても通じる。
一つなのだ。
跳ぶ。
本当にこのまま飛んでいきそうだ。
どこまでも広がる草原。
緑に満ちあふれる山並み。視界に収めきれない青空。
感じる。
世界を。
その息吹を。
感じるものもまた伝わってくる。
広がる。
世界が。
と。
「ぷりゅーっ」
「ぷりゅりゅーっ」
大勢の馬たちが。
並ぶ。
共に走る。
たまらなく。
胸に。
果てのない感覚が広がっていく。
自分は。
一度、世界を閉ざした。
高き山々に囲まれた村で共に生きてきた家族を。
失った。
何の前触れもなかった崖崩れ。
瞬間、世界も閉ざされた。
一人。
そこには何もなかった。
どれくらいの時間が経っただろう。
現れたのは、こちらに語りかけてくる〝山〟だった。
『オレと一緒に来るか』
登った。〝山〟に。
『って、おい。オレは山じゃねって』
苦笑されながら。
こちらをつかまえようとするその手をかわし、ひたすら登り続けた。
『ははっ』
笑って。〝山〟はやり取りを楽しんだ。
いつの間にか。
飛来する手をかわすことにも慣れ、自在によじ登れるようになっていた。
そこからの眺めに。
気づかされた。
いた。
この〝山〟の周りには、たくさんの優しそうな人たちが。
そして、気づいた。
いた。
自分の周りにも。
家族を失った自分。
でも、その周りには、変わらず山で生きる無数の命があった。
世界は閉ざされてなんていなかった。
一気に。
広がった。
『なあ』
ある日〝山〟は言った。
『おまえ、騎士になってみねえか』
知っている。
騎士とは〝山〟の周りにいる人たちのこと。
そして、みんなはこちらのことを『館長』と呼ぶ。
『どうだ』
こくり。
うなずいた。
それが、自分を新たに包んでくれる世界だと。
わかったから。
「ハナさん!」
遠くから届く声。
自然と。
愛馬の足が止まる。
「ぷりゅ?」
「ぷりゅりゅ?」
どうしたの? そういななく中をかきわけ、
「ハァ……ハァ……」
苦しげな息がこぼれるも、足取りはしっかりしている。
さすがだ。
普通なら、走る馬を人の足で追ってくることなどできない。
ただの新米騎士ではない。
元騎士であり、悔しいが自分の得意な体術でもまったく歯が立たない、というかその分野においては卓絶した達人である女性の弟子だったのだ。細身ながら、その芯はしっかりと鍛えられている。ゆえに、従騎士から超短期間での昇格という異例の事態にもついてこられたのだとも思う。
地面に降りる。
顔をあげる。何があったか話すよう目でうながす。
「大変なんです」
それはわかる。伝わってくる。
「ミンさんが」
そして。
普段、大きくどころかまったくゆれることのない表情に、かすかではあるがそれが走ることとなった。
Ⅵ
「わたしとしては」
憮然としながら。しかし、抑えた口調で。
「異議を唱える立場にありません」
粛々と。
「そうですか」
おだやかな微笑で。
「了承いただけて幸いです」
「っ……」
了承はした。だが、決して気分がいいわけではない。
「わたしとしては」
再び口を開き。
「本当は了承をする立場にもありません。そもそもすべてスン館長が決められたことなのですから」
「そして、あなたは逆らえない」
「っっ」
その通りだ。
「騎士として」
純粋に。あわれむような眼差しで。
(く……)
その通りだ。その通りなのだが。
なんなのだろう、この釈然としない気持ちは。
未練など欠片もない。それは確かに言える。
ただ「逆らえない」ということなら、目の前の相手に対してもであって。
(騎士なんて)
ぎりぎりと。無意識に唇がかみしめられる。
「そのような顔をなさらないでください」
これまた純粋に。こちらをいたわる言葉が。
「お会いして決して長いとは言えませんが。あなたが責任感にあふれる人物だということはよくわかっています」
わかっている!? こちらの何を!
「そんなあなたを区館の者たちが慕っていることも」
だから、わかったように言ってほしくない!
自分たちは!
そんな風に、誰かに簡単に言い表されてしまうほど単純ではない!
だから、いまだって。
「あらためて結論を申しあげます」
こちらの葛藤を断つように。
「あなたを」
言われる。
「次期館長として認めるわけにはいきません」
「どうして、こんなことに」
悶々と。
「てゆーか、そんなことされる意味がわかりませんよ」
イライラと。
「なんでですか! なんであの人にねーさんが『館長失格』みたいなこと言われなあかんのですか!」
「遠回しのプロポーズとか」
「はあ!?」
「照れ隠しなのよ、きっと」
その思い付きに力をもらったように。
「そうよ、そうなのよ! あえて厳しいことを言って、それで弱ったところを」
「最低やないですか」
指摘する。
「自分で置き換えてみてください」
「えっ」
「弱ったところに。しかも、その弱る原因を作った相手に。言い寄られたらどう思います?」
「それは」
さすがに。
「許せない」
「ですよねー。当然ですよ、クーねーさん」
勢いが移る。
「ウチのパパやったら絶対にそんなことしないですし」
「金剛寺さんだったらどうするのよ」
「パパやったら」
もじもじ。
「もっと、その、正々堂々と『おまえのことが必要なんだ』とか。やー、困ってまうなー、ウチ」
「誰もあんたの話なんて聞いてないわよ」
あきれる。と、そこに。
「されてないから」
「あっ!」
「姉様!」
噂していた当の本人が現れる。
「あ、あの」
何と言っていいか。あわあわとなる。
一方。
「いいんですか、このままで」
「シルビア!」
単刀直入な言葉にあわてるも。
「いいのよ」
あっさりと。
「何度も言ってるでしょ。そもそも、わたしにその気はないって」
肩をすくめる。
「けど」
こちらは納得いかないという顔で。
「横暴なんちゃいます? いくら位階が上やからって、よその区館の騎士が」
「最初からそういうことになってたのよ」
「えっ」
説明する。
そもそもの始まりは〝騎士団〟本部での会合に、区館代表である館長の付き添いという形でつれていかれたこと。
そこで次期館長として正式に紹介をされた。
『ぜんぜんできるやつだからよー。オレなんてさっさとやめさせて、こいつに任せたほうが得だぜ、絶対』
損得の問題ではないのだが。
それに、やはり〝力騎士〟という位階の低さは問題とされた。
実際にほとんどというか現在六区館すべての館長は〝智騎士(ケルブ)〟――上から二番目の高位の騎士たちなのだ。
引き換え〝力騎士〟は五番目。その差は小さくない。
『細かいこと気にすんなって。そういうのは後でなんとかなるだろ』
細かくはないし、後でなんとかなる保証もない。
「大雑把なのよ、とにかく」
「ていうか」
館長を誰かに任せたくて仕方ないのだろう。
そして、自由になりたいのだ。
もともとが好き勝手な人間ではあるのだから。
当然というか、本部としてはそんな言動に全面的にうなずくわけにはいかず。
そこで出された『条件』というのが。
「視察ってわけですか」
「そういうわけね」
再び。肩をすくめる。
「そんな」
ショックな顔で。
「姉様を恋焦がれるあまり追ってきたわけじゃないんですか」
「ないない」
「けど、あんなに熱々で」
「一方的にね」
「ははーん」
読めたというように。
「罠やな」
「罠!?」
「そうですよ。ねーさんにメロメロなフリして油断させようちゅう」
「なんで油断させる必要があるのよ」
「ミスを誘うためですよ。それを『館長失格』の口実にしようっていう」
「けど」
そんな卑怯なことをする人間には。
「芝居ですって」
ますます確信したと。
「紳士にふるまってレディ相手にちやほやすれば、経験の乏しいねーさんなんてイチコロやって」
「誰が『経験の乏しい』よ」
「えっ、多いんですか」
「多かったんですか!」
「やめなさい、クーファまで。普通よ、普通」
その話題は切り上げようと。
「とにかく、視察の結果は出たわけ。即日っていうか即時発表ね」
「だけど」
やっぱり納得いかないという顔で。
「そんな大事なこと、ウダイ様だけで決められるんですか」
「そうですよ。あの人〝主騎士〟やないですか。上ってゆうても、ねーさんとは一つしか違わなくて」
「そんなの知らないわよ!」
なかばやけ気味に。声を張る。
「一応、あの人も次期館長候補みたいだし」
「ええっ!」
「ウ、ウチらの区館のやないですよね」
「当たり前でしょ」
やれやれと。
「西アジア区館のよ。彼、いまの館長の息子だから」
「そうなんですか!」
「じゃあ、本当に王子様!」
目を輝かせる。
「って、クーねーさん」
「ハッ!」
さすがにいまはそれどころではない。
「館長候補同士だから……ってのもこじつけな気がしますけど」
「本当のところはわからないわよ。わたしが決めたわけじゃないんだし」
頭がふられる。
「とにかく、おしまい。それでいいわね」
「ちょっと待ってください、姉様」
身を乗り出す。
「けど、今回のことって」
言いづらそうに。言葉を詰まらせながら。
「わたしたちのせい……なんですよね」
「違いますよ」
「シルビア」
並んで。前に出る。
「もともとはウチが悪いんです」
言う。
「ウチが不遜にも上の騎士に意見しようとした。それが悪いんです。クーねーさんは止めようとしただけです」
「あんた……」
瞳をふるわせる。
(確かに)
それは『理由』だった。
区館の騎士たちの軽挙妄動を止めることができない。それが次期館長として不適格とされたのだ。
(だったら、オバさんはどうなるのよ)
さすがにこぼしたくなる。いつも好き勝手やっていて、周りの者のすることにも無頓着な人間のほうがふさわしいのかと。
(ああ、もう)
いまさらだ。
決まったことなのだ。
もちろん二人を責めるつもりなどない。
一方、自分の監督責任などとも思っていない。
(そもそも)
何度もくり返すが。
最初からその気はなかったのだ。
ふさわしくないと言われるなら、そこにわざわざ執着する理由もない。
(けど)
もやもやがわだかまっているのも確かなのだ。
言われるままに次期館長なんてものに仕立て上げられ、それを今度は言われるがまま失格とされる。
釈然としないのは、当然と思えた。
(……いや)
流されるままの自分が、ただ情けないのか。
(だったら)
どうすればいい。
いまさら、再チャンスをくれなどと訴えるのか。
そんなつもりもないというのに? 最初からやる気などなかったというのに。
それは、何に対してかはっきりしないながら〝侮辱〟と思えた。
(はー)
八方ふさがりだ。
「!」
ふさがれた。
「っ……っっ」
不意に視界を失い、さすがに狼狽する。
が、すぐに気づく。
「はー」
ため息。
「なに、ふざけてるの」
後ろに手をやり。
突然肩に飛び乗ってきて、両目をふさいだその相手をかかえ降ろす。
「ハナ」
相変わらずの。無表情。
「あんた!」
やられた本人よりも気色ばんだのは。
「なに考えてるのよ!」
「ちょっと、クーファ」
「姉様は黙っててください!」
言われてしまう。
「あんた!」
向き直り。
「時と場合を考えなさいよ! 姉様が傷ついてるときに!」
答えない。無表情。
「あんたって、いつもいつも」
めらめらと。怒りの気が立ち上っていく。
「クーファ」
「クーねーさん、落ち着いて」
なだめようとする声も届かない。
「何をやっても許されるとでも思ってるんでしょ! いつもかわいがってもらってるからって!」
とたんに。さらなる怒りに頬が紅潮していく。
「かっ、かわ、かわいがっ……」
「どーどー。ほんま、それくらいに」
「うるさいっ!」
「わ……!」
投げられた。
体格では劣るものの、逆にその差を活かした巻きこむような体落としを。
「おっ」
着地。
驚きに軽く目を見張る。
もちろん、受け身の体勢は無意識に取っていた。それをサポートするように小さな身体で支えてくれたのは。
「あんた!」
怒りの矛先が再び。
「何よ! さりげなく後輩を助けて、できる先輩アピール!?」
「いやいやいや」
その単語ほどこの人にとって無縁なものはない。
「ねーさん、とにかく落ち着いて」
「どいて!」
押しのけられる。
「ハナ!」
指をさす。
「勝負よ!」
「って、なんでですか!」
たまらず。
「そうなるに決まってるでしょ!」
「そうなるに決まってるんですか!?」
「だって!」
むぐぐぐぐ。唇をかみ。
「姉様が館長じゃなくなるのよ」
「それは」
「だったら、四神もいままで通りってことになるじゃない」
「いやいやいや」
いまはそんなことより。
「『そんなこと』とか思った?」
「う……」
するどい。
「わたしには『そんなこと』じゃ済まされないのよ」
自分に言い聞かせるように。つぶやいて。
「ハナ!」
あらためて指さし。
「勝負よ」
静かに。
それは目で受け止められた。
「ウダイさん!」
ふり返る。さわやかな笑顔で。
「どうした、鳴」
「どうしたって」
そんなあっさり。
言いたいことはたくさんある。けど、いまここでは。
「行ってしまうんですか」
問う。
「ああ」
うなずく。やはり笑顔のまま。
「わたしのすることは終わったからな」
「そんな!」
簡単に言い捨てていいことなのか。
「鳴」
「!」
近づく。不意に。
「キミは」
優しい。本当に優しい微笑で。
「どうしたいのだ」
「ど……」
どうしたいのだ。
「僕は」
言う。
「僕……は」
続かない。
「わたしと西アジア区館に来るか」
「ええっ!」
思わぬ言葉にあわてるも。
「行けませんっ」
「わたしが嫌いだからか」
「えっ!」
ますますあわて。
「違いますっ」
「冗談だ」
にやり。笑みを深め。
「わたしが嫌われるわけはないからな」
「は、はあ」
うらやましいほどの。
「キミも自信を持て」
肩に。手を置かれ。
「いずれ、キミが館長としてこの区館を背負うのだからな」
「ええっ!」
とんでもないことを言われる。
「なっ、なな」
なんてことを。
「情けない」
優しかった表情がかすかに険しくなる。
「キミは騎士だ」
「は、はい」
「そして、男だ」
「……はい」
その通りだ。
「だったら」
声に優しさが戻り。
「レディのために何ができるかを常に考えるべきだ」
「レディのため」
思いがけない。
「思ってもいなかったという顔だな」
「えっ、いや」
「無理もない」
頭をふる。
「この島のレディたちに甘やかされてきたようだから」
「甘……っ!?」
否定できない。
「それが許されるのは子どもまでの話だ」
「!」
「男だろう」
再び。
「誇りはないのか」
「誇り……」
「そうだ」
うなずき。
「レディを守れるのは誰だ。レディを守る資格があるのはレディではない者――つまり男しかいないではないか」
「それは」
そう――言い切っていいのだろうか。
「情けない」
「!」
甘えている。あらためて指摘された思いに、身体がふるえる。
「選ばれた名誉を我らは担っているのだ」
欠片の迷いなく。言い切る。
「ウ……」
それでも思わず。
「ウダイさんは」
「なんだ」
「そんな風に」
言う。
「一方的に何かを決める権利が自分にあると思っているんですか」
「ある」
「!」
「ない」
「ええっ!」
「フッ」
微笑し。
「『ある』というのは『決める権利』がということだ」
下位の騎士に許されるはずもない無礼な発言。にもかかわらず、それに丁寧な受け答えがなされる。
「そうあれる人間としての努力は欠かしていない」
逆に。確かめるようにこちらを見て、
「つもりだが」
ゆるがない。
「『ない』とは『思っている』というところだ」
「えっ」
それはどういう。
「そういう問題ではない」
胸に。手を当て。
「理だ」
「ことわり?」
「そうだ」
やはり。ゆるがず。
「決める権利がある。ために責任も担う。それは絶対の理なのだ」
「っ……」
打たれる。
「どうして」
そこまで。ゆらがないでいられるのか。
「いまにわかる」
再び手が置かれる。
特別大きいというわけではない。
しかし、そこには実際以上の『大きさ』が感じられた。
(上の騎士だから)
いや、そういう問題ではない。
(人間が)
器が。違うのだ。
きっと。
「では、またいずれ」
歩き出す。
「あっ!」
我に返る。そうだ、いま自分がここにいるのは。
「待ってください!」
声を張る。
「どうした」
余裕の笑みを崩さず。
「やはり、ついてくる気になったか」
「そうじゃなくて」
言葉を探す。
「行かないでください」
訴える。
「……困ったな」
頬をかき。
「初めてというわけではないが」
「えっ」
「わたしの愛はレディに捧げられる。それ以外の愛を受け止める度量がなくもないつもりではあるが」
「ええっ!」
違う! あわてて。
「そ、そうじゃなくて」
「照れることは」
「違います!」
必死に。
「訂正してください!」
それは。
「ふむ」
あごに手を当てる。
「わかった」
あっさりと。
「キミがわたしを愛していると取られる発言は撤回しよう」
「っっ……」
何を。この人は真顔で。
「これでいいかな」
「は、はい」
うなずく。が、すぐはっとなり。
「違います!」
「そうなのか」
目を丸くするも、すぐ真顔で。
「やはり、わたしを愛して」
「違います!」
「……そうか」
「あ、いえ」
思わぬ落胆ぶりにまたあわてるも。
「嫌いとかじゃなくて、むしろ、ウダイさんの堂々とされているところはものすごく尊敬できて」
「その想いが愛に」
「違いまっ……あ、や、だから」
話がまたおかしな方向へ行こうとしていると感じ、強引に。
「ミンさんのことです!」
すっ、と。
「!」
表情が消えた。その静かな目で見つめられ、一気に熱が冷める。
「う……」
あいまいだったり、いいかげんな発言は許されない。
そんな張り詰めた空気に。
「僕は」
必死に。声のふるえを抑えて。
「ミンさんが館長にふさわしくないとは……思えません」
「そうか」
一言。
「それで?」
「っ……」
試されている。
それで、おまえは何をどうしたいのだと。
「僕は」
口にする。よりふるえそうな自分を感じつつ。
「取り消してほしいと思っています」
「思っている?」
「っ……取り消してください!」
言っていた。
わずかな沈黙。
そして、
「わたしは〝主騎士〟だ」
「……!」
ここで。
位階の差を出してくるのか。
「く……」
ずるい。
「許される」
「えっ」
「それは」
指をさされる。
「キミが騎士であるからだ」
「え……え?」
わからない。
「騎士であるなら」
続ける。
「守らねばならないものがある」
「っっ……」
そうだ。上位の者には絶対に。
「レディだ」
「えっ」
「だから許される」
ザンッ!
「槍にかけて」
「え……」
瞳が。ゆれる。
「キミは」
見たことがないほど幅広な騎士槍の向こうから。
「レディのために信念をまっとうできるのか」
Ⅶ
「風が」
口にする。
「………………」
つぐむ。
無駄だ。
たとえ無意識のつぶやきだとしても。
だからこそ。
余計なのだ。
視線を手元に落とす。
再び。
「フッ!」
するどい吐息と共に。
ふり降ろす。
スパン。
軽やかな音を響かせ。薪が左右に分かたれる。
(……だめだ)
苦さが満ちる。
未熟だ。
遠い。
とても及ばない。
(伝説の)
その境地にはとても。
直接に対峙したことは数えるほどしかない。
とても最高位の騎士とは思えない。
にこにこと。
いつでも優しい笑みを欠かさない人だった。
それでありながら、決してとらえきることのできない何かを感じさせる。騎士として位階を重ねるほどに、その遠みは果てしないものに思えて仕方なかった。
かつて。
過去の〝大戦〟を終わらせた。
そして、今回の〝大戦〟においては、その息子が。
「葉太郎(ようたろう)」
弟のようにかわいがっていた。
いまは、その相手も遠くへ行ってしまった。
気持ちだけでなく、現実に。
(戦っているのだ)
自分の手の届かない場所で。
そう思うと、居ても立ってもいられなくなる。
(……ハッ)
小さく。頭をふる。
(あせったところで)
無意味だ。
事実、行くことの叶わない場所にいるのだから。
(せめて)
磨こう。
再び会えたとき。恥ずかしくない〝兄〟であれるよう。
「ふぅ」
鎮める。
意識して心の波を。
無心。
それこそが自分の扱う騎士槍には求められる。
(弱い)
心の弱さ。
痛感させられている。
それをどうこうしようというのではない。
むしろ、手放す。
小さな己を超えて。
もっと大きなものに。
ゆだねられている。
「フッ!」
スパン! 先ほどよりもするどい音。
「だめだ」
まだまだ『切ろう』という気持ちが先んじている。
薪割りのナタは、すでに薪を割るようにしてそこに〝ある〟。ただゆだねられていればいいだけなのだ。
(こんな僕にも)
残っているのだ。
無駄な自意識が。
嫌というほどに情けなさを思い知っていても。
「………………」
意識的に。それ以上の思いの追跡を断つ。
息をする。
静かに。
「ぷりゅーっ。ぷりゅーっ」
がくっ。
「あ」
気がつく。この鳴き方――泣き方は。
「えーと」
あわてる。
「まだ、あったよね」
麓の人に分けてもらったミルクのことだ。
「ふー」
あった。
あやうい手つきながらも支度を調え。
「ほら」
あげる。
「ぷりゅっんく、ぷりゅっんく」
こちらもぎこちないながら。それでも生きるための本能に支えられてか、即席の哺乳瓶に夢中で吸いつく。
「ぷりゅー」
おなかいっぱい。そんないななきがこぼれる。
「ふふっ」
微笑んでしまう。
一人きりの山ごもり。それにまったくふさわしくない光景だが。
(かわいいな)
見つめる。
腕の中で早くも寝息を立て始めた小さな身体を。
毛並みは乾いた茶色。おそらくこの地方に生息する山岳馬なのだろう。
出会いは思いがけず。一人で己を見つめなおすべく険しい山に分け入ったその途上でのことだった。
親馬らしき影は見当たらなかった。
力なく鳴いている仔馬をその場に残しておくわけにもいかず。こうして山籠もりに連れていくことになった。
麓の村にあずける。そういう選択もあった。
だが、頼る者の誰もいないところを見つけた身としては、再びその子を未知の手にゆだねてしまうことに大きな抵抗があった。
(そういえば)
思い出す。
東アジア区館でかわいがっているセンザンコウの小籠(シャオロン)も、このようにして保護されたのだという話を。
「ねえ」
そっと。たてがみをなでながら。
「キミもうちに来るかい」
うっすらと。閉じていた目が開く。
「ぷりゅ」
かすかに。
うなずいてみせた気がした。
バン!
勢いよく扉が開く。そこに立っていたのは。
「ハナさん」
つかつかと。
歩み寄ってくる。
無表情。
しかしそこにはいままでになく。
「ごめんなさい」
頭を下げる。
「こんなことになっちゃって」
ふるふる。首を横にふる。
「せっかく、ハナさんが任せてくれたのに」
そう。任せてもらえた。
ウダイを引きとめることを。
その間に、ミンを連れてくる。そういう手はずになっていた。
(なのに)
なった。思いがけないことに。
「準備はできたか」
「あ……!」
いた。
「あの、その」
無表情のまま。目が見開かれるのがわかった。
「う……」
引きとめたと言っていいのだろうか、これは。
「知ってる……んですよね」
知っている。はずだ。
「あの」
答えはない。
あっても『ない』のだが。
すると、
「ハナさん?」
近づいてくる。
「ええっ」
ぺたぺたぺた。
確かめるように。身体を上から下まで触られる。
「あ、あの」
「心配だったのだろう」
おだやかに。言われる。
「キミがわたしに完膚なきまでに叩きのめされたとでも聞いてきたのだな」
「そうなんですか」
こくこく。
「う……」
完膚なきまで。のところは間違っていない。
事実、勝負にならなかった。
それ以前のところで。
負けていた。
「わ、わかりません」
弱々しく。情けなく。
口にしていた。
「わからない?」
「だって」
口にする。
「ミンさんは……いいえ、区館の女性のみなさんは僕より位階が上ですし」
「情けない」
言われた。
「位階? そのようなもの、レディがレディであるための妨げになどなるはずがない」
「ええっ!」
言われた。騎士の位階制度そのものを否定するようなことを。
「いや、でも」
ほんのついさっき自分の位階をちらつかせる発言をしたのは誰だったのかと。
「構わない」
「構わない?」
何が。
「レディの前では、一人のただの騎士」
「は、はあ」
「そして、一人の男」
「………………」
ついていけないものを感じ始める中。
「男だろう」
「えっ」
不意にまたも。空気が張り詰めていく。
「来い」
「う……」
まったく調わない心を感じつつ。それでもうながされるまま槍を構えた。
勝負。
とはとても言えなかった。
稽古をつけてもらったというほうが近い。
それでも、圧倒的な実力差は否応なく思い知らされたが。
つまり『負けていた』のだ。
そして、言った。
「来い」
「ええっ!」
これ以上? もう相手にならないことが十二分に明らかなのに。
「我が家に」
「!」
「西アジア区館に」
こうして。
何が何やらわからないまま、未来は決められてしまった。
「理屈はわかるんです」
言う。
「引きとめようとして僕が負けたんだから、代わりに僕がついていくっていう」
ふるふるふるっ! 思い切り首を横にふられる。
「……ごめんなさい」
ふるふるっ。またも。
「ハナさん」
わかる。
自身を責めているのだと。
間違っていなかった。いまでもそう言える。
こちらが止めに行くのが最善だった。そもそも、実力で足止めできる相手ではない。なら、気持ちに訴えるしかない。
あわいながらも好意を持たれているようだというのは納得できた。
だから、自分が行ったのだ。
それが。
好意が裏目とでも言うべきなのだろうか。
「レディ」
憤懣治まらないところへ声がかかる。
「彼は男なのです」
知っている。そんな顔でにらむ。
表情は変わらないながら。
「あなたの所有物ではない」
思いがけない。
その言葉に、さすがに顔の色がわずかながら変わる。
「ウ、ウダイさん」
そんな言い方は。
「あの、ハナさんっ」
あわててフォローしようと。
「僕はそんなことちっとも」
「思っていないことが問題だ」
「ウダイさん!」
真剣な顔で。
「彼は責任をもってわたしがあずかります」
返事は。ない。
「ハナさん……」
期待をもって。思わず見そうになり、しかし、すぐにこちらに向けられる厳しい視線に気がつく。
情けない。言われたとおりだ。
(そうだ)
自分で。決めなければ。
「僕は」
口を開く。
「ここを離れようと思います」
瞳がゆれる。
「ミンさんのことは、その」
目を伏せつつ。
「な、なんとかします。いずれ、ウダイさんを説得してみせます」
「キミが強くならなければ無理だがな」
「っ……強くなります」
「それ以前に、彼女自身の問題とも言えるが」
「っっ」
いじわるだ。
「負けませんから」
「お」
うれしそうに微笑み。
「その意気だ」
「僕だけじゃありません」
「何」
「ミンさんも」
笑顔が消える。
「その機会はない」
「なんでですか!」
さすがに。そこは声を大にする。
「……なんででもだ」
珍しく。歯切れの悪い調子で目をそらす。
「レディ」
「えっ」
不意の呼びかけ。それは後方に向けられていて。
「ごっ、ごめんなさい!」
届いた声は。
「クーファさん?」
荷作り途中のカバンを置いて部屋の外に出る。
「あっ」
あたふたと。身を隠そうとして、いまさら意味がないと行ったり来たりしている姿がそこにあった。
「レディ」
あくまでも。さわやかな笑顔で。
「このようなところで、何を」
「それは……に、逃げられないようにって」
「ああ」
納得。そういう顔で。
「同じなのですね」
「えっ」
「こちらと」
目を丸くする。
「ハナと? 同じ?」
「隠さなくともよいのです」
微笑んで。
「鳴に行ってほしくないのですね」
「えっ!」
あわて。ふためいて。
「違います! わたしはハナに」
「レディに?」
「ハナ!」
勢いよく指をつきつけ。
「いつまで待たせる気!? 今日は逃がさないんだから!」
「これは」
またも。納得したという顔で。
「麗しいものです」
「え?」
「レディ同士の友情。いえ」
この上なく。あたたかな笑みで。
「愛情」
ぶーーーーっ! 思い切り噴き出す。
「なんてことを言ってるんですか!」
「照れることなど」
「照れてません!」
「では、堂々と」
「しません!」
あぜんと。
(クーファさん……)
二人は同期だ。
この言い方は微妙に正しくないかもしれないが、他の言葉がとっさに浮かばない。
階級も同じ。年齢も同じ。
そして、一方的にライバル心を持っている。
自分の存在も『能騎士が従騎士を持つなんて早すぎる! どうしてハナだけ!』と油に火を注ぐ一因になっていたらしい。
「勝負なんです!」
「えっ」
驚かされる。
「勝負って」
「鳴」
にらまれる。
「邪魔したらあんたも敵よ」
「そんな」
そこに。
「情けない」
やれやれと。ため息をつかれる。
「レディにすごまれているようでは」
「ご、ごめんなさい」
「安易に頭を下げることも見目が良いとは言えないな」
「う……」
「あの、わたし、別にすごんだわけじゃ……まあ、ありますけど」
「やることができた」
「えっ」
共に『何を?』という顔になる。
「鳴」
「は、はいっ」
「待とう」
「は?」
「キミを連れて西アジア区館に行くことをだ」
「えっ!」
唐突な。またもや。
「や……」
思わず。
「やっぱり情けないから」
「情けない」
「ううっ」
「だから、情けなくないところを見せてもらいたい」
「えっ」
顔を上げたそこに。
「鳴」
期待している。そんな目で。
「レディたちのいさかいを止めたまえ」
「……え?」
何を言われたのかと。
「当然だろう」
肩をすくめて。
「レディたちはキミをめぐって争おうとしているのだ。それを止めるのが想いを寄せられた男子の度量というもので」
「ぜんっぜん違いますから!」
絶叫する。
「照れることなど」
「照れてません!」
「では、堂々と」
「しません!」
またも。
「え……あ……」
どういうことになっているのだ。理解が追いつかない。
「っ」
なでなで。
「ハナさん」
背伸びして。こちらの頭をなでてくる。
「えーと」
とにもかくにも足止めには成功した。そのことをほめてくれているらしい。
「ちょっと、ハナ! あんたからも何か言いなさいよ! って、あんた、いつも何も言わないけど!」
「さあ、レディも」
「えっ?」
「ですが、彼は男です。触れるにしても、このような仕方でなく厚い胸板にしなだれかかるように」
「しませんから! 厚い胸板も見当たりませんし!」
「確かに」
納得。したと思いきやすぐ。
「鍛えなければ」
「えっ」
「走るぞ、鳴!」
「ええっ!?」
「わたし自身も常々鍛えなければと思っていた。いずれは金剛寺さんのような立派な胸板を持ちたいと」
「え……ええ?」
「共に努めよう! 鳴!」
「い……や」
ない。こっちにそんなつもりはぜんぜん。
それに、走ったところで胸筋には特に関係しないのでは。
「行くぞ!」
「あ、ちょ待っ」
行かれてしまう。
「………………」
あぜんと。
「えっ」
くいくい。
「ハナさん」
追えと言うのか。気が変わってまた帰ろうとされては大変だから。
「わ、わかりました」
うなずき。走りかけたところへ。
「鳴!」
今度はこちらが怒りに照れ交じり顔で。
「あ、あんた、本気で鍛える気じゃないでしょうね!」
「いや、その」
「金剛寺さんみたいになって、わたしにしなだれかかってほしいとか思ってるんじゃないでしょうね!? 鳴のくせに!」
「ええっ! そんなこと、これっぽっちもぜんぜん」
「『これっぽっちもぜんぜん』ってどういうことよーっ!」
理不尽に。怒鳴られてしまう。
「ご、ごめんなさい」
「情けないのよ」
「うう」
「気持ち悪いのよ」
「ええっ!?」
気持ち悪い! なぜ!
「あんたみたいに情けない顔の下に金剛寺さんの胸板って。気持ち悪いっていうか、怖い!」
「ええぇ~……」
なんて言われようだ。
「って」
こくこく。
「うなずかないてください、ハナさんまで」
Ⅷ
「わけがわからない」
頭を抱える。
「まーまー、ねーさん」
諭すように。
「世の中、わけがわかることなんてそーそーないもんですよ」
「わかったみたいに言わないでよ」
「だから、わからないんです」
「……わからない」
ため息交じり。
「まー、これでも飲んで」
「あら」
軽く。驚く。
「紅茶? 気が利くじゃない」
「それはそーですよ。『気が利きシルビアちゃん』って有名ですから」
「初めて聞いたけど」
苦笑しつつ。
「あら」
再びの驚き。
「おいしい」
「でしょー」
えっへん。胸を張って。
「こう見えても金剛寺ファミリーの長女ですから」
「あれ? 長女はユイファさんだったんじゃ」
「ウチが長女です」
言い張る。
「ていうか、この淹れ方も彼女に教わったんじゃないの」
「教わりました」
悪びれず。
「姉妹ですから。家族ですから」
「……そうよね」
ゆったり。香りと味を堪能しながらカップをかたむける。
ほうと。
一息ついて。
「これからどうなるのかしら」
「弱気やないですか。ねーさんらしくないですよ」
「どこにどう強気であればいいのよ」
またため息。
「いけませんて。ため息つくと幸せが逃げていく言いますよ」
「幸せ」
口にして。
「ねえ」
問いかける。
「わたしの幸せって何?」
「えっ」
「ていうか」
こんなこと、しかも、年下の子相手にする質問じゃない。
それでも止まらず。
「女の騎士の幸せって何なのかしら」
「それは」
さすがに言葉につまる。
が、すぐ。
「ウチの幸せは」
ためらいなく。
「パパみたいになることです」
「わかりやすいわね」
「いいじゃないですか、わかりやすくて」
「うん、いい」
素直に。うなずく。
「はー。わたしもそういう目標みたいなのがあればよかったなー」
「ないんですか」
「ないない」
「けど、騎士になった理由はあったはずですよね」
「それは」
はっと。
「………………」
「ねーさん?」
頭を抱える。
「あのー」
「え、えーと」
明らかに。ごまかすように。
「ほら、わたしって才能あるから? だから自然に? みたいな」
言いながら、またも頭を抱える。
「はぁーあ」
「ねーさん……」
「本気で〝アレ〟を目指してたの? 昔のわたしって」
ふれないであげよう。そういう判断が成される。
子どものころ裏社会にかかわり、かつ、大家族のお姉さんでもあることで実年齢以上に〝大人〟ではあるのだ。
と、そこに、
「っ」
バン! 勢いよく館長室の扉が開き、二人とも目を見張る。
「ねーさん、危ない!」
「きゃっ」
突然テーブル越しに覆いかぶさってこられ、押し倒されないまでも目を白黒させる。
「な、何なのよ!」
「ねーさんのタマはとらせへんで! おんしら、どこの組のモンじゃあ!」
「って、なにVシネごっこやってるの!」
身体の向こうに見えたのは。
「ハナ!」
止まることなく。
広い部屋の中を駆け抜け。
「ええっ!?」
跳んだ。
両開きの窓を勢いよく開け、そのまま外に飛び出していく。
「………………」
あぜんと。あらためて。
そこへ。
「待ちなさーい!」
「危ない、ねーさん!」
「きゃあっ」
またも覆いかぶさってくる。
「ちょっ、いいかげんに」
同じように駆けこんできたのは。
「クーファ!」
「危ないですって、頭上げたら。ハジキの的にされて」
「だから、やめなさいVシネごっこは!」
あっという間に。
同じようにして窓から飛び出していく。
風が吹き抜けたようだった。
「ふー。行ったみたいですよ、敵の鉄砲玉は」
「あのねえ」
椅子に座り直し。
「どういうつもり」
「えーと」
「ていうか何やってるの、あの子たち」
「あははー」
「笑ってごまかせるとでも」
にらみすえる。
「仲良しなんですよ、二人とも」
「仲良しだから、追いかけっこ?」
「そーそー、追いかけっこ、追いかけっこ。こりゃまた結構なんて」
「ボツ」
「すいません」
あやまられる。
「あの子たち」
指を組み。そこに乗せた顔に真剣な表情を見せ。
「何してるの」
「えーと」
目をそらしつつ。頬をかき。
「だから、追いかけっこですよ」
「なんで」
「なんでって」
目をそらされ続ける。
ため息交じりに。
「あれね」
「そう、それです」
「って、どれのことよ」
「どれでしょー」
「シルビィ」
にっこり。
「本気で怒らないうちに話したほうがいいわよ」
「だから、その」
どうしたものかと迷いを見せつつ。
「時間稼ぎってゆーか」
「時間稼ぎ?」
「そっ。儲けまっせー」
「何の時間を?」
「だから」
こちらの機嫌をうかがいつつ。
「いる時間ですやん」
「いる時間……」
ピンとくる。
「あの人?」
「そーそー、その人です」
「………………」
どうしようもなく。渋面になる。
「ほら、そういう顔するから」
「悪かったわよ」
素直に。
「けど、それと追いかけっこと何の関係があるの」
「引き延ばし策ですって」
「引き延ばし策?」
「そーそー」
感心げに。うなずき。
「いま、あの人がここにいてくれてるのは、メイがハナねーさんらを仲裁できるか見届けるためですやん」
「みたいね」
ため息交じり。
「わたしの知らないとこでなんでそういうことに」
「まーまー、とにかく」
ぴんと。指を立て、
「二人を仲裁できんかったら、ずっとこのまま居続けるいうことですやん」
「ずっと居てほしくもないんだけど」
「なに言うてるんですか。首の皮一枚つながったんですから。ここで印象良う見せて挽回せんと」
「挽回ねえ」
乗らない。まったくそんな気になれない。
「ねーさん」
間近に。
「自覚持ってください」
「自覚?」
「区館の女性騎士みんなの期待を背負ってるってことですよ」
またその話か。
正直、重い。
さすがに思っているそのままは返せず。
「だから、どうしてそれが追いかけっこになるわけ」
「がんばってるんですよ、ハナねーさん」
がんばってはいた。たったいま目の前で見た。
「勝負になったら、それで仲裁失敗ってことになるやないですか」
「まあね」
「けど、最初からナシってことだと、それはそれで仲裁の必要がなくなりますし」
「そうね」
「だから、引き伸ばし策なんですよ」
つまり。
勝負する気配は見せつつも、実際には行われない状態ということだろうか。
「クーファも承知でやってるの?」
「いやいや」
苦笑しつつ首をふり。
「わからず屋さんちゅーか、なに言うても『勝負だー』『勝負だー』で頭がいっぱいで。まあ、それはそれであおる必要がなくて助かってるんですけど」
「ハナは?」
「ないですよ、勝負する気なんて最初から」
「よねー」
仲裁以前の問題な気がした。
「鳴!」
「はいっ」
「いまだ!」
ズダーーーーン!
「あっ」
思っていた以上に。
「だ、大丈夫ですか」
抵抗なく投げ技が決まったところへ、あわててしゃがみこむ。
「いいぞ!」
「ええっ!?」
「いいじゃないか、鳴!」
ガバッ!
「うわぁ」
上体を起こすと共に抱きしめられ、情けない悲鳴をあげてしまう。
「すばらしい!」
「は、はあ」
「とても、新米騎士の技ではない。なんと無駄なくキレのある体術だ」
「それは」
何と言えばいいのか。細かく説明するのも難しい気がして。
「ありがとうございます」
素直に。お礼を言っておく。
「謙虚なところもいい!」
「うわあぁ」
ぎゅっと。いっそう抱きしめられる。
「しかし、謙虚なばかりではいけないぞ」
「ご、ごめんなさい」
「そこだ」
「ご……」
とっさにあやまりそうになり、かろうじて飲みこむ。
「では、特訓を続ける」
「はい」
「ほら」
「えっ」
何が『ほら』なのかと。しかも、まだこちらを抱きしめたままで。
「ほら!」
「え……ええ?」
わからない。
「いつまでもこのままでいる気か」
「ええっ!」
それは困る。
「ならば為せ。為すべきことを」
だから、その『為すべきこと』とは。
「ほら」
せかされても。
「コラ」
叱る口調ながらも、やわらかく微笑し。
「恥をかかせるものではない」
「!」
すでにこの状態がかなり恥ずかしい。というかここからの『恥をかかせない』とは。
「行かせてくれ」
「!?」
「キミの手で」
「っっ!」
え? ええ!?
「ほら」
しっとりと。うるむ眼差しで。
「言わせるな」
もうかなりのことを言ってしまっている気がするが。
「……のだ」
「えっ」
聞き取れない。そんな小声に耳を澄ませると。
「立てないのだ」
「えっ」
「キミが!」
にらまれる。
「言っただろう!」
「え? え?」
言った? 何を。
「『いい』と」
「え……」
言った。こちらがではないが。
「『素晴らしい』と」
それも。
「だからだ」
「………………」
つながらない。
「あの」
確かめる。
「立てない……んですよね」
ぷい、と。
かすかに頬を染めて目をそらす。
「あ」
つながる。
「ご、ごめんなさい」
「あやまることはないと言っただろう」
すこしすねたような口調で。
「よかったのだ。すばらしかったのだ。しばらくわたしが立てなくなるほど」
開き直ったように。言われる。
「すみません」
やはり、言ってしまう。
「ほら」
「あ、はい、いま立たせて」
「違う」
ぎゅっと。抱きしめる腕に力がこもる。
「え、あの」
「これは鍛錬だろう」
「はい」
そういうことになっている。
「ほら」
「う……」
だから何を『ほら』なのだ。
「こういうとき」
耳元で。
「するものだろう」
「す、する?」
「お姫様だっこ」
「!」
ええ!? いまなんと言われた!
「ほら」
「………………」
うながされていたのは『それ』なのか!
「なんで……」
「するだろう」
しない! 年上の同性にそんなこと!
「するんだ」
命令!
「鍛錬の最中なのだぞ」
「えっ」
鍛錬――
「するだろう。いや、できて当然だ」
「あの……それって」
つまり。
「さあ、わたしを抱きかかえてみせろ。レディに対してそうするように」
ああ。ようやく納得する。
「レディにするように」
明らかにレディではないのだが。
「どうした」
じれったそうに。
「キミはレディを区別するつもりか。いまだ〝騎士〟の立場で」
だから、明らかにレディではない。
「そうか」
うなずく。
「初めてなのだな」
「へ?」
確かに人生でいまだお姫様だっこをしたようなことはないが。
「ふふっ」
はにかむような。そんな意味深な笑みを見せ。
「わたしがキミの初めての相手になるとは」
「ええっ!」
い、言い方!
「……いいぞ」
何が!
「このようなこと、なかなかないではないか」
なかなかあられたら困る!
「フッ……興奮してきたな」
「しないでください!」
もうどうしようもない。
とにかく、この状況を早く終わらせてしまうしかない。
すでにいまこうして抱き合っている状態を誰かに見られただけでもどんな誤解を招くかわからない。
というか、すでに現状のままそれなりの時間が過ぎている。
「い……行きますよ!」
もうためらっている余裕はない。
両腕に力をこめる。
そして、初めての――
「あっ!」
いた。
「ハナさん……」
最悪の。
一番見られたくない人に。
「あの、これは」
とっさに何か言おうとするも。
「申しわけありません、レディ!」
先に。
「彼の初めてをわたしが奪うことに」
「だからやめてください、その言い方!」
ぷい、と。
「あっ」
たたたっ。行ってしまう。
そこへ、
「ハナーっ!」
届く怒鳴り声。
「クーファさん!」
「何よ、邪魔するつも……きゃあっ!」
悲鳴があがる。
「あ……」
またも自分『たち』の状況を思い出し。
「いや、あの」
「ちょっと!」
何か言う間もなく。びしっと指をさされ。
「あんた、そんなことしていいと思ってるの!」
「そ、それは」
いいわけはない。思ってはいるが。
「ウダイ様にそんな破廉恥なことして」
(いやいやいやっ!)
こちらの意思ではない! 断じて!
「違うのです、レディ」
フォローしてくれる。かと思いきや。
「合意の上なのです」
「!」
ふるえる。
「そんな」
「違います!」
「違うのか」
「えっ、いや」
強引な流れとはいえ、実際に自分の意思でこうしてしまっているわけで。
「違い……ません」
「やっぱり!」
信じられないという目で。
「そんな鳴だったなんて! 無理やり合意させる鳴だったなんて!」
「ええ~……」
どうしてもこちらがやったということになってしまうらしい。
すると、
「わ、わたしも」
不意に。もじもじと。
「無理やり合意させるつもりなんでしょ。するつもりなんでしょ」
なぜ! あぜんを通り越して思考が止まってしまう。
「鳴」
耳元で。名前を呼ばれる。
嫌な予感しかしない。
「レディのご希望だ」
希望!? 希望なのか!
「う……」
見られている。
「けど、クーファさんは〝能騎士〟で」
「わたしは〝主騎士〟だが」
「うう……」
「しかも、男だが」
いや、そこに関しては絶対におかしいのだが。
「そんな」
もじもじと。
「ウダイ様が堪能しているところに割りこむなんて」
堪能!? しているのか!
こちらが遊ばれているとは思うのだが。
「そんなことできないわよね! 鳴!」
同意を求められても。
「ハッ! それとも」
またも指さし。
「いっぺんにお姫様だっこしようとかずうずうしいこと考えてるんじゃないでしょうね! 鳴のくせに!」
「あ……う」
もう何を言っていいのか。
「さてと」
あっさり。
「えっ」
何事もなかったように地面に立たれてさすがに目を見張る。
「や……」
やっぱり遊ばれていたのだ。
「ウダイさん!」
たまらず。声がキツくなる。
「すねた顔も愛らしいな」
「すねたとかじゃないです!」
「やっぱり二人はそういう」
「やめてください、クーファさんまで!」
声を張る一方だ。
「とにかく違います! 僕は……僕は」
そこで言葉につまる。
自分は。何をどうしたいのだろう。
「僕は」
そこで気づく。
「ハナさん!」
「あっ」
こちらの。そして続けての驚きの声が重なる。
「あんた、そこで何してるのよ!」
ぴくっと。
木陰からたたたっと走り出す。
「待ちなさーーい!」
追いかけっこが再開され、あっという間に二人の姿は見えなくなった。
「う……」
何だったのかと。脱力して立ち尽くす。
「まだまだだな」
ぽん。肩を叩かれる。
「完全に止めるまでには至らなかったな。キミの魅力で」
「み、魅力……」
本当にそんなものが身につくのかと。
「心配することはない」
優しく。微笑み。
「事実、レディたちはキミにゆらめいていた」
あれはお姫様だっこに興味を持たれただけなのでは。
「もうすこしだ」
そうなのかと。
思いつつ、やはりこの状況をどうすればいいのかは思いつかないのだった。
「待てーーーーーっ!」
追いつ追われつは続いていた。
「あっ!」
跳んだ。そのまま、
「ああっ!」
飛んだ。
〝飛燕(ひえん)の槍〟――それは滑空する能力を持った稀有な騎士槍。
「うぬぬぬぬ」
しかし。
「なめんじゃないわよ、ハナ!」
跳ぶ。
「はぁぁぁっ!」
回る。
かざした騎士槍。
〝兎喰の槍〟の長い耳のような二枚の金属板が。
まるで、ヘリコプターの羽根のように。
「行けぇぇぇぇっ!」
叫びに呼応するように加速する。
滑空と飛行。
タイプの異なる空中でのチェイス。
それはあっけなく。
「そこぉ!」
真上から。
のしかかるようにして槍ごとその身体を押さえこむ。
「つかまえたわよ。これでわたしと勝負を」
反応がない。
しゃべらないのはいつものことだが。
「ちょっと」
いぶかしむように。
「抵抗するとかないの? ほら」
ふにふにと。何も言わないそのほっぺをつつく。
無反応。
無抵抗。
「何なのよ」
心ここにあらず。まさに。
「負けを認めたってことにしちゃうわよ。いいの?」
やはりの無反応。
「わたしが新しい四神ってことでいいのね」
無反応。こちらもむきになり。
「鳴もわたしの従騎士にしちゃっていいのね!」
ぴくっ。ようやく反応を見せる。
思わずほっとした顔で。
「だったら、わたしと戦いなさい。どっちがミン姉様のそばにいるべきか、今日こそはっきりさせるわよ」
押さえこんでいた身体の上から離れる。
直後、
「あっ」
馬蹄の音が近づく。
「ちょっと!」
さらわれる。
「待ちなさいよ、あんたーーっ!」
待つことなく。
小柄な主人の襟元をくわえたトルカは、現れたときと同じく風のように駆け去っていった。
Ⅸ
「ハナがおかしい?」
話を聞いて。
「どこがどうおかしいの。ちゃんと話して」
すると。
「ふふっ」
「何よ、笑ったりして」
「やっぱり、ねーさんはねーさんやなって」
「はあ?」
わけがわからない。
「自分のことよりハナねーさんのほうが大事なんですね」
「っ……」
言葉に詰まるも。
「そういう問題じゃないでしょ」
「そういう問題ですよ」
にやにやと。見られてたまらず。
「それよりも話しなさい。あの子がどうしたのか」
「食べてます」
「は?」
「すっごく」
真顔で。
「それは」
またも言葉に詰まるが。
「いつものことでしょ」
「いつものことなんですけど」
こちらもうなずく。
「ちっさいのに食べますもんねー、ハナねーさん。ほっぺたリスみたいにして」
「そうよ。何もおかしくないじゃない」
「おかしいんです」
くり返す。
「食べてるんです」
「それはわかったわよ」
「ずっと」
「えっ」
ずっと?
「ずっとって……ずっと?」
「他にどのずっとがあるんですか」
それはそうなのだが。
「何もしないで?」
「してはいるみたいですよ。トイレとか寝るとか最低限のことは」
「後は?」
「食べてます」
「………………」
とっさに言葉がない。
「なんで?」
「ストレスやないですか」
「ストレス!」
声が跳ね上がる。そんなものとはまったく無縁だと思っていた。
「ヤケ食いですよ、ヤケ食い」
「そんな……」
言葉を失う。
「それって、やっぱり」
一日中追いかけ回されていることがストレスに。
自分のせいで。
「違いますよ」
こちらの考えを読んだように手をふる。
「嫌なんやないですか」
「嫌?」
「メイをとられてることが」
意外。
が、言われてみれば納得もできる。
「ふぅ」
またも知れずため息。
「幸せが」
「逃げるっていうんでしょ。もう十分逃げてるわよ」
自分だけでなく、周りまで。
(わたしは)
はっきりしなければならないのかもしれない。
いい加減に。
「ちょっと」
無反応。
「こっちくらい見なさいよ」
ふにふに。食べ物でパンパンにふくらんだ頬をつつく。
やはりの無反応。
「あんたねえ」
あきれる。怒る気も起きない。
「よくそんなに食べて太らないわね」
無反応。
「まー、縦にも伸びないけど。チビのままだけど」
無反応。
普段ならカチンとする気配くらいは感じさせるのだが。
(重症だわ)
あきれる。
というより、普通に心配になってくる。
(どうするのよ。このままじゃ勝負にも何もならないじゃない)
弱っているところを叩こうなどという気持ちはさらさらない。
騎士として。
それ以上に、実力を示すためには本来の力で戦わなければ意味がない。
(ずっとこのままだったら)
最悪だ。
永遠に決着をつけることができなくなる。
「ちょっと待ってなさいよ!」
言い置いて。素早く身をひるがえす。
と――
入れ替わるようにして食堂に。
「おっ」
珍しいものを見た。そんな声があがる。
「ひょっとして、チビアマかぁ? 相変わらずチビだよなー」
ぽんぽん。なれなれしく頭を叩く。
「なんか、うまそうなの食ってんじゃねーか。オレ様にも」
ひょい。
「あっ」
料理をつまもうとした瞬間、それを皿ごとよけられる。
「いいじゃねーかよ、一つくらい」
ひょい、ひょい、ひょい。
「チビアマぁ~……」
早くもイライラが募ったという顔で。
「わかったよ」
にやり。不敵に笑う。
「てめえ、オレ様が本気見せたら」
吠える。
「どうなるか思い出させてやるぜ、コラぁぁーーーーーーっ!」
(どうしよう)
飛び出したはいいものの。
「うー」
迷っていた。
(どうなってるんだろう)
いま。
あの二人は。
思い出す。
お姫様だっこの衝撃のシーンを。
(あれってやっぱり……やっぱりなのよねぇ)
頬が熱くなる。
(昔の騎士同士ではよくあったっていうし。女の騎士なんてほとんどいなくて、それで男しかいない人里離れた戦場で……みたいな)
妄想が加速していく。
(えええ~? どうしてそうなっちゃったの!? ウダイ様って頼りがいあるから、それで情けない鳴を放っておけなくて)
はぁぁ~。思わずため息がこぼれる。
「ショックよねえ、それは」
「どうされたのですか」
「えっ」
そこに。
「あ、あんた」
年下だろう。
区館の者ではない。島でも見かけたことがないように思う。
茶色い肌の。どこか神秘的な空気を漂わせた少女だ。
「何か気にかかることでも? そのようにため息をつかれて」
「あっ」
見られた。
「な、なんでもないわよ」
照れくさく。つい乱暴な口調になる。
向こうはまったく気にしていないというように微笑し。
「わかります」
「えっ」
「お二人のことですよね」
「!」
いた。
「あわわわわっ」
あわてて木陰に身を隠す。
見れば、少女も向こうから気づかれない位置に身を潜めていた。
「あははははははは」
笑い合っている。
(これって)
もうカンペキにデキているとしか。
「すばらしいです」
「はあ!?」
「お二人」
にこにこと。
「とても仲がよさそうで」
「は、はあ」
それは。確かに悪いこととは言えないのだが。
と、気づく。
「あんた」
「あっ、これは申し遅れました」
ぺこり。頭を下げて。
「ラモーナ・タヴィアと申します」
「はあ」
どう返せというのだ。
「それにしても」
視線を戻し。
「すばらしいです」
「はあ」
だから、何をどう言えばいいというのだ。
「鳴さんにお似合いの相手ができて」
「お似合いって」
と、そこでまたもはっと。
「あんた、鳴のこと知ってるの」
「はい」
うなずく。
「因縁の相手です」
「ええっ!」
何の? 何かこの子の恨みを買うようなことでも。
(あの情けない鳴が)
と、その情けない当人は。
「あわわわっ」
接近する。
彼と。
彼同士。
(だめだめだめだめーーっ!)
「駄目だ!」
一喝。それを放ったのは。
「駄目だ、駄目だ。まったくなっていない」
「ご、ごめんなさい」
甘やかな空気が霧散して。情けなく頭を下げる。
「えーと」
汗。これは。
「そんなことでレディを導けると思っているのか」
「がんばったつもりなんですけど」
「足りない」
「足りませんか」
「足りない! もっとわたしをレディと思って! レディとして見て!」
「え……」
どういうことだ。理解が追いつかないながら。
「シミュレーションということでしょうか」
「えっ」
不意に。冷えた口調に驚いて隣を見る。
「許されませんね」
「え、あの」
今度はこっちがわからない。
「あっ」
歩いていく。
「ち、ちょっと」
隠れて見守るのではなかったのか。いや、そもそも、なんでそんなことをしていたのかわからないのだが。
「鳴さん」
「あっ!」
目を見張る。
「ラモーナさん。いつ、鳳莱島に」
「鳴さん」
にっこりと。
「最低です」
「ええっ!」
「正解でした」
「え? え?」
「あなたに」
眼差しが冷たさを増し。
「何よりまず最初にクギを刺しに来て」
「え? ええ?」
完全なる困惑顔だ。
「ちょっと、ちょっと」
こちらも駆け寄っていく。
「何なのよ。あんたら、知り合いじゃないの?」
「知り合いですけど」
「騎生連(サークル)でした」
「さーくる……」
聞き覚えのない単語に首をかしげる。
「何よ、それ」
「えっと、あの」
説明される。
〝騎士の学園〟サン・ジェラールにおける三人一組の学習班の名称なのだと。
「そういえば、あんたたち、視察かなんかで行ってたことあったわよね」
と、不機嫌な顔になり。
「なんで、ミンねーさまについてくのがいつもハナなのよ。あんたもおまけで」
「ご、ごめんなさい」
「そんなことより」
割って入られる。
「鳴さん」
「は、はい」
「どういうつもりです?」
「どういうつもりって」
「鍛錬なのです」
口をはさまれる。
「彼がレディを迎え入れるのにふさわしい騎士になるための」
「……!」
顔色が変わる。
「そういうことでしたか」
「そういうことです」
うなずく。
それで納得した。
と思いきや、視線がますます冷度を増し。
「正解でした」
「ええっ」
「まだそのようによこしまな考えを抱いていたとは」
ひるがえる。
「!」
異相の騎士槍。釣り針を思わせる無数の飾りが槍身に散りばめられた。
それを突きつけ。
「切り落とします」
「えーーっ!」
「ラモーナさん!」
驚きの声が重なり響く。
「どうしてですか!」
「どうしても」
容赦ない。
「何があっても」
「えええっ!」
「あなたの思惑が明らかになったからには」
「思惑って」
「いまに至るも懲りることなく」
殺意すら感じさせる視線で。
「百合子(ゆりこ)さんにみだらな想いを抱き続けていたとは」
「へ?」
目が丸くなる。
すかさず、
「そうだったのか、鳴!」
両肩をつかまれる。
「え、いや、あの」
「そういうつもりで。そのような目的でわたしの指導を受けていたのか」
「それは」
「その通りです」
「って、ラモーナさん!」
横からの賛同に悲鳴をあげる。
「あくまでみだらな。よこしまな目的一色で彼の頭は染まっているのです」
「どういう決めつけですか! やめてください!」
悲鳴があがる。
「そうだったのか」
苦渋の顔で。
「鳴」
「ウ、ウダイさん」
「わたしは」
がっ! より強く肩をつかみ。
「見直した!」
「ええっ!」
脇で見ているこちらもあぜんとなる。
「情けない情けないとずっと思っていたが、そのように熱い想いも秘めていたのだな」
「熱い想いって」
「下賤です」
小さく。吐き捨てる。
「男というものは、みなそのように」
「レディ」
そこに。
「男の想いの否定は、騎士の否定と同じこと」
「……!」
「なぜなら」
胸に手を当て。
「レディを尊貴することは、騎士道の大きな部分を占める」
「その通りです」
同意する。
「わたしにも尊ぶべきレディはいます」
「それは」
芝居がかって目を見張り。
「では、勝負ですね」
「ええ」
「え、あの」
何か話がとんでもない方向に行きつつある。その予感に顔を青ざめさせる。
そこに。
「何してんだ、ラモなんとか!」
「あっ」
怒声。それと共にやってきたのは。
「ハナ!」
も、ふくまれてはいる。
大き目の人形のように小脇に抱えられてはいたが。
「ゆ、百合子さん!」
声がふるえる。
と、その視線をさえぎられる。
「下がってください、百合子さん」
「あ?」
「よこしまなる情欲に犯された人がいます」
「ああン?」
前に立たれたその肩越しに視線を投げ。
「てめえ、今度は何やりやがったんだ、ヘンタイ」
「ええっ!?」
面と向かっての『ヘンタイ』発言。加えてすでに事後と決めつけられ涙目になる。
「僕は、何も」
「よくそんなことを」
冷たい口調で。
「男性同士であのようなことをしておきながら」
「何っ!?」
こちらの顔が赤くなる。
「て、てめえ、この腹の底までヘンタイ野郎! ついにそっちのほうまで」
「行ってません!」
涙目で絶叫するも届かず。
「こんなんじゃ、チビアマが絶望するのも当然だぜ」
「えっ」
「ほら」
「ああっ!」
前に突き出されたその顔を見てあぜんとなる。
「なんてことをしてるんですか」
「チビアマが悪ぃんだよ。オレ様のこと、無視するから」
相変わらずの無表情顔には『チビ』『リス女』と言った悪口や稚拙な絵がいたるところに描きこまれていた。
「ちょっと!」
そこへ。
「なに、オモチャにしてんのよ! ハナはわたしと勝負するんだから!」
「あ? ンだ、てめえ」
「あんたこそ、何よ!」
「オレ様は」
「朱藤百合子(すどう・ゆりこ)さんです」
「って、なんでてめえが」
「朱藤……!」
はっと。
「あなたって、ひょっとして依子(よりこ)さんの」
「あ? 知らねえよ、ババアのことなんか」
「ババア!?」
ふるえあがる。
「あ、あんたねえ! そんなこと言っていいと思ってるの!」
「いいのです」
またも横から。
「娘なのですから」
「娘!」
声が跳ね上がる。と、すぐはっとなり。
「娘だってだめでしょ! むしろ、娘だからだめでしょ!」
「うっせーな、ゴチャゴチャ」
面倒くさそうに横を向くも。
「だったら」
にやり。顔を戻し、好戦的な笑みを見せ。
「やろうじゃねえか」
「やる!?」
またも声を跳ね上げ。
「あ、あんた! 鳴のことヘンタイって言っておきながら、自分だって女同士で」
「バカ野郎! そっちの『やる』じゃねえ!」
「そうなのですか」
「って、残念そうな声出すな、てめえも!」
「あ、あの」
もう何が何だかの状況に。
「鳴」
肩を叩かれる。完全に悪い予感しかしない。
「腕の見せ所だな」
「ええぇ~……?」
それはつまり。
「受け止めるのだ」
じ、自分が。
「しかし」
かすかに。顔を青ざめさせ。
「朱藤さんのご令嬢とはな」
「知ってるんですか」
「当然だ」
青い顔をしたまま。
「血の座騎士(ソロネ)。その逸話は恐怖と共にいまも語り継がれている」
そこまでなのか。
「だからこそ」
目に力がこもる。
「見せてみろ」
「え? ええ?」
「これまでに」
がっと。正面から両肩をつかまれ。
「わたしが教えたことすべてをだ」
「う……」
それは――つまり。
「レディたちを」
言われる。
「いまこそ、レディとして生まれ変わらせるのだ」
と――
とんでもないことになった。
Ⅹ
「おい、ヘンタイ」
いきなりの。
「どういうつもりだ、こんなとこに呼び出しやがってよ」
答えない。
「何か言えや、このガキ!」
答えない。
「つか、こっちくらい見やがれ、ヘンタ――」
乱暴に肩をつかんだ。
直後、
「!」
目を見張る。
「てめっ、ヘンタイじゃ――」
「もちろんです」
ふり返る。その顔は、
「ラモーナ!」
「百合子さん」
愛情に。これでもかと満ちあふれた目で。
「やっぱり」
「何がだよ!」
「すぐにわかってくれました。それだけわたしのことを」
「男と女と、ちょっとさわればわかるだろ!」
「さわりたい……」
「言ってねえ!」
「百合子さんが望むのでしたら」
「望んでねえ! 脱ぎ始めるんじゃねえ!」
ひたすら声を張り上げる。
「つか、なんでてめえがヘンタイの服着てここにいやがるんだ!」
「譲っていただきました」
「は?」
「快く」
にっこり。
と、凛々しい顔になり。
「さもなくば切る」
「なにカッコ良く言ってんだよ! 切らなくていいんだよ、ヘンタイの汚ねえものなんて!」
「もちろん」
にっこり。
「見ないよう、直接ふれないよう、細心の注意を払います」
「毒物かよ!」
すでに『切る』前提で話されている。
「やめて……くだ……」
「あっ!」
木陰からおずおずと現れたのは。
「ヘンタイ!」
「百合子さん、下がって」
すかさず前に出る。
「みだらな。そのような格好で何をしようと」
「ラモーナさんがさせたんじゃないですか!」
「そのような変態的なことをさせるはずが」
「結果としてこうなんです!」
下着姿の自分を恥ずかしそうに手で覆い隠し。情けなく声を張る。
「……おい」
驚きが静まり。あわれなものを見る目で。
「てめえ、情けなさに磨きがかかったんじゃねえか」
「ううう」
否定の言葉が出ない。
「つーか」
にらみすえ。
「オレ様を呼びつけて何するつもりだったんだ、コラ」
「やはり、みだらなことを」
「違います!」
「違う?」
眼差しが怒りを伴って冷え。
「そのようなことをする価値がないと。わたしの百合子さんに」
「言ってませんよ、そんなこと!」
「誰が『おまえの』だ、コラ!」
張りあげる声が重なる。
「ぼ、僕はっ」
あたふたと。
「ウダイさんに、その、百合子さんをレディとしてエスコートするようにって」
「はぁ?」
「おこがましい」
冷たく。
「あなたが? エスコート? おこがましいにもほどがあります」
「そこまで言わなくても」
「その点、わたしであれば百合子さんを最上のレディとしてエスコートできると」
「それで奪ったんですか、僕の服を!」
「奪ったなどと」
心外という顔で。
「気持ち悪い」
「ええ!?」
「あなたにわたしの何が奪えると」
「いえ、そういう意味では」
「こころよく差し出してくれたものとばかり」
「こころよくないです! 脅迫されたんです!」
「鳴さん」
にっこりと。
微笑んだ直後、極冷の眼差しで。
「そこまでして百合子さんに良い姿を見せたいと」
「ええっ!」
「あさましい」
「そんな」
なんでそこまで言われなければという顔に。
「本音ですね」
「えっ」
「百合子さんがほしいと」
「思ってません!」
「思っていない?」
さらに冷たくなった目で。
「それほどの価値などないと」
「だから、そういうことを言ってるわけでもなくて」
八方ふさがりだ。
「情けない」
そこに。
「ウダイさん!」
「鳴」
こちらも冷ややかな眼差しで。
「キミはわたしから何を学んできた」
「何をって」
ただひたすら辱められた記憶しかない。
「情けない」
くり返される。
「奉仕すべきレディにそのような姿にされるとは」
「あの、その、これは」
何の弁解もできない。
「情けない」
くり返され。
「わたしはキミを買いかぶりすぎていたのかな」
(……あっ)
だめだ。
絶望されてしまったら。
そもそもの目的――ここに引きとめて次期館長失格の判断を取り消させるということが不可能になってしまう。
「が、がんばります!」
言っていた。
「その格好ではな」
「あっ」
あわててまた自分の身体を隠す。
「ごめんなさい」
「簡単にあやまるなと言ったはずだが」
「う……」
「むしろ、堂々としていてもらいたいものだ」
「ええっ!?」
「裸の王様という話もあるだろう」
「ありますけど」
あれはだまされて堂々としていたという話では。
「おい」
「堂々と何するつもりだ、ヘンタイ野郎」
「ええっ!?」
するつもりなんて!
「鳴」
し、しなければな空気だが。
「あっ」
ふわりと。
布のようなものが身体に巻きつけられる。
「見苦しい」
否定的だが、どこか優しさもにじませた声で。
「あ……ありがとうございます」
それは一枚布のアラビアチックな白い衣装だった。
「おい」
あきれきった目で。
「完全にてめえがエスコートされてんじゃねえか」
「ああっ」
その通りだ。
「ここからは」
指摘にひるむことなく。
「彼がエスコートいたしますので」
「う……」
断言されてしまった。
「へー」
おもしろそうに。明らかにこちらが弱っているのを楽しむ目で。
「してもらおうじゃねえか、ああン」
そこに。
「いけません!」
すかさず割って入る。
「油断してはいけません」
「なんだよ、油断って」
「たかが鳴さんとはいえ」
たかが……。
「男性です。どこで内なる欲望に耐えられなくなるか」
「男性だからこそ」
前に出る。
「レディに対し慎み深くあることに価値があるのではありませんか」
一瞬。言葉に詰まるも。
「そちらの価値がどうあろうとこちらにはどうでもいいこと」
落ち着いた口調で。
「というわけで」
言う。
「百合子さんはわたしがエスコートを」
「って、なんでだよ!」
「いけませんか」
「いいわけねえだろ!」
「そんな」
うるうると。わかりやすいくらいに目をうるませ。
「わたしと百合子さんの仲で」
「どんな仲だよ!」
「縁(えにし)で」
「重いんだよ!」
たちまち〝漫才〟が始まってしまう。
「鳴」
言われる。
「負けているぞ」
「ええっ!?」
これに割りこめというのか。
「あ、あの」
それでも言われたことは絶対で。
「僕と……その……」
「ああン?」
「ごめんなさい」
引き下がってしまう。
「フッ」
静かながら。明らかに勝ち誇った笑み。
「ううう」
負けている。言われるまでもなく。
それでも。
「僕は」
顔を上げる。
引き下がるわけにはいかないのだ。
「百合子さん」
前に出る。
「僕と」
自分と――
「………………」
(ど……)
どうすればいいのだろう。
エスコート。
しかし、教えて(?)もらったのはその先のことばかりで。
(お……)
お姫様だっこ! いきなり!?
(無理……)
「なに、ビクビクおどおどこっち見てんだ、オラ」
「フッ。しょせんは鳴さん」
「う……」
前から後ろから。完全に板ばさみだ。
「……!」
そこに。聞こえてくる。
「あン?」
不審げに後ろをふり返る。
「ああ!?」
目を見張る。
「うおあぁ!」
さらわれた。
「百合子さん!」
思いがけない。それは。
「ハナさん!」
愛馬を駆って。すり抜けざまに。
「は、放しやがれ、チビアマぁ!」
放さない。
体格ではまったく負けているのに、さすが騎士というべきか暴れる相手をしっかりと抱えこんでいる。
そのまま、現れたときと同様に風のように去っていく。
「ハッ」
我に返る。
「百合子さーーーーん!」
余裕も冷静さもふり捨て、必死に追いかけていく。
一方で。
「………………」
動けない。どういうことなのか理解が追いつかない。
「負けたな」
「ええっ!」
誰にだ?
「鳴」
肩に手を置かれ。
「道は険しいな」
「う……」
とりあえず。
まだ見離されることはなさそうだった。
「どういうことですか」
にっこりと。
笑っていながらも目はまったくそうではない。
「在香(ありか)さん」
万里小路(までのこうじ)在香。
かつて、東アジア区館に騎士として所属し、現在は体術の指導を行う立場である。
「んふふー」
完全に。
おもしろがっているという顔で。
「大変ねー、次期館長も」
「在香さん」
にっこり。
「もう、レイナ館長には連絡入れてますから」
「ええっ!?」
腰を浮かしかけたところで。
「も、もー、やーね、そんな冗談言って」
「冗談じゃなかったらどうします」
「だって、わたし、悪いこと何もしてないもーん」
いやいや、『もーん』じゃないだろう。
いい歳をして。
「何を考えてるんです」
ため息交じりに。
「何が?」
あくまでとぼける。
「在香さん」
目はやはりまったく笑わず。
「あなた以外に誰がいるんです? あの子たちをここに呼べる人が」
「えー、自主的に来たんじゃないのー」
「何の目的で」
「観光?」
「観光」
「そーそー」
「何を」
「んー、自然の美しさ? みたいな。ここ、他に何にもないからねー」
「ないです」
「断言するわねー」
「キャラじゃないです。自然を愛でるみたいな、あの子たちは」
「なのよねー」
やれやれと。
「師匠として情けないわー」
「情けないのは」
言う。
「自分自身でもう十分ですから」
「あら」
意外という顔で。
「珍しいわね。ミンちゃんからそんなセリフ聞くなんて」
「思い知らされてますよ」
「またまたー」
気安い調子で肩を叩く。
「言ったでしょ。期待してるんだから」
「そんな器じゃないってことも言いました」
「あなたはね」
真剣な顔で。
「そういうことを言えるから『器』なのよ」
「どういうことですか」
「自分より」
あたたかな笑みを見せ。
「人のことが良く思えるっていうのは才能よ」
「在香さん」
心から。驚いたと。
「そんなことを思ってたんですか」
「思ってたわよ」
「いや、在香さんにそういうセリフは」
「似合わない?」
「はい」
あっさり。
「誰より自分勝手ですからね、在香さんは」
「あらー」
それほど気分を害したわけでもないと。
「言うわねー」
「言いますよ。わたしかレイナ館長くらいしか言わないんですから」
「そのことなんだけど」
急に。ビクビクとし出し。
「本当に呼んだりしてないわよね」
「いつでも呼んでいいとは言われてますけど」
「ええっ!」
「連絡を入れたのは事実です」
言う。
「嘘はつきません。騎士ですから」
「よねー」
汗がタラタラと。
「在香さんと違って向こうは暇じゃないんですから」
「あーら、言うわねー」
「事実ですし」
「そんなこと言うなら、本当に暇つぶしで」
「あの子たちを呼ぶんですか」
う。言葉につまる。
「暇つぶしってわけじゃないけどー」
「おもしろがってはいるんでしょ」
にこにこ。
「在香さん」
「そ、それにしても失礼よねー、あの子たち。師匠のところにあいさつにも来ないなんて」
「一方はまだ認めてないとこありますし、もう一方の師匠はサマナ導師ですから」
「生意気よねー」
「いやいや」
急に呼びつけたほうにも絶対に問題はある。
「というか、よく素直に来ましたね」
「素直に来るわけないでしょ」
「えっ、じゃあ」
ピンと。
「依子さんですね」
「んふふー」
図星だったらしい。
「師匠の言うことは絶対よねー。無視させるわけないじゃない」
「はあ」
ぐったり。ため息。
「在香さんくらいですよ、依子さんを利用するなんて」
「人聞き悪ーい。ミンちゃんのことを思ってしたのにー」
「どこがどうそうなってるんです」
イライラと。
「はっきり言います」
「んー?」
「これ以上ややこしくしないでください。おもしろがらないでください」
「だって、わたしのせいもあるかなーって思ったから」
「えっ」
在香のせい?
「それって」
そこに。
「ぷりゅーっ」
元気で、そしてまだあどけないいななき。
「だめだよ。そんなに走ったら」
その注意が終わる間もなく。
「ぷりゅっ」
転ぶ。
「ぷりゅーっ。ぷりゅーっ」
泣き出す。元気いっぱいに。
「ちょっと」
あぜんと。
「どうしたのよ、その子は」
問いかけに。
「朮赤(ジュチ)っていうんだ」
泣きじゃくる仔馬を抱きかかえ。優しい笑みで答える。
「僕の弟だよ」
Ⅺ
「兄が大変迷惑を」
「まーまー」
恐縮しきりのその肩に手を置く。
ナシーム・アル=カリム。
熱気に満ちたこの南国の島でも目元以外を覆い隠した衣装は変わらない。
その見た目同様に普段でもクールであるはずが。
「本当に何と言っていいか」
ひたすら恥じ入る。
「まーまー」
親友としてフォローするように。
「なかなか、おもしろいお兄ちゃんやん。聞いてた通り、イケメンやし」
「それはそうなのですが」
満更でもないという調子で。
「わたしのこともとてもかわいがってくれますし」
「せやろなー。『レディ至上主義!』ってカンジやもん」
「………………」
かすかに。複雑そうな息。
「良い長兄なのです」
「ん?」
「わたしだけでなく下のお兄様たち――弟たちの面倒もよく見てくださって」
「大家族やもんなー。ウチんとことおんなじや」
「ですが、家族でない人たちにまでなれなれしくしすぎるのは」
「騎士だからやん」
言う。
「レディを大切にするのは当然やし、下のモンの面倒見るのも上の騎士として当たり前のことやろ」
「ですか、兄は」
そこまで口にして。
「………………」
「ナシーム?」
「やはり」
顔を上げ。言う。
「連れ帰ります」
「もー」
ぐしぐしと。衣装越しに頭をなでる。
「真面目っ子なんやからー」
「……シルビア」
苦笑される。
「ですが、兄の不始末は」
「不始末ってないから」
言われる。
「かわいいなー、ナシーム」
「……もう」
照れ入るように目を伏せる。
「さすがお兄ちゃんらの妹でウチの妹やなー」
「えっ」
心底。意外という目で。
「妹?」
「せやん。お兄ちゃんらの妹でウチの」
「待ちなさい」
ぴしりと。
「『あなたの』とはどういうことです」
「えっ」
こちらも意外という顔で。
「そうやん」
「いえいえいえ」
首を横にふる。
「『あなたが』でしょう」
「はあ?」
「わたしたちが姉妹同様というのは事実です」
深く。うなずいて。
「ですが、あなたはわたしの妹のはずです」
ゆずれないという目で。言う。
と、胸に手を当て。
「うれしかったのです。末娘だったわたしに妹ができて」
「ははーん」
こちらも。不敵に笑って。
「そういえば決着ついてなかったなー、この問題」
「ついていませんでしたね」
対峙する。
「金剛寺ファミリー長女の誇りがある。簡単に下にはつけへんし」
「長女はユイファさんだったのでは」
「ウチが先に娘になったんやし」
ゆずらない。
「いいのですか」
「は?」
「金剛寺さんの〝娘〟のままで」
「くっ!」
そこを突かれたら弱い! そんな顔で。
「やるなー、ナシーム」
「姉ですから」
「ほほー」
ますます熱をたぎらせ。
「デリケートなとこにふれてくるやん」
「姉ですから」
「デリケートに恋して? いや、そこ、姉カンケーないし」
もはや、どこにツッコんでいるのか。
「妹ならモアナがおるやん」
「無論です」
うなずく。彼女が〝末妹〟ということでは合意ができているのだ。
「あとは」
「どちらが頂点に立つか」
高まっていく。
「あのねー」
「あっ」
はっと。
「クーねーさん」
「姉!?」
「いやいやいや」
頭をふる。
「こっちまで敵意向けられたらかなわないし」
「やーやー、クーねーさん」
下手に出る態度で。
「歳も位階も上の立場から言ったってくださいよー。どっちか長女にふさわしいかってー」
「言ってあげるわよ」
びしっと。双方を指さし。
「あんたたち、二人とも失格!」
「ええっ!」
「な……!」
あぜんと。
「やはり」
がっくりと。
「妹は妹にしかなれないさだめなのですね」
「大丈夫や、ナシーム」
肩に手を置き。
「ウチらにはモアナがおるやん」
「そうですね。末妹の座はゆるぎませんものね」
ゆるがないらしい。
「どうでもいいのよ」
「んー? ねーさん」
ふくれている。その頬をつつく。
「なんか怒ってます?」
「あきれてるのよ、あんたたちに」
「いやいやいや」
ふにふにと。
「機嫌悪いですやん。いつもの勢いもないですし」
「わたしは大人なの。あんたたちみたいにムキになったりしないの」
「すばらしい」
口もとを覆った布の向こうから。言われる。
「やはり、姉とはそうでなくては」
「あー」
ぽん。手を叩く。
「そうかそうかー。ナシームがいつも落ち着いてみせてるのって、それって理想のお姉ちゃん像なんやなー」
「わたしには兄しかいませんから」
すこし。困ったように息を落とし。
「とてもかわいがってくれる兄たちなのですが、日ごろから少々はしゃぎすぎるところがあって」
「まー、あの長男見たらわかるわなー」
「恥ずかしい限りで」
目を伏せる。
「あの」
と、顔を上げる。
「楊弧花。クーファねーさんや」
「クーファさん」
かすかに。うるむ瞳で。
「ぜひ学ばせてください。姉としてのふるまいを」
「や、やめてよ。わたし、そういうんじゃないんだから」
照れたようにそっぽを向く。
「妹なんていらないの。わたしにはミン姉様がいるんだから」
と、その視線が弱々しく沈む。
「なのに……姉様は」
「あー」
またも。わかったという顔で。
「それですねてたんですねー」
「な、何よ」
「聞いてますよ。帰ってきたって」
「……!」
「ライバル登場ですもんねー。元気がなくなるのも当然で」
「そんなこと思ってない!」
声が張り上げられる。
「わたしは、ただ」
「ただ?」
耳ざとく。聞きとめる。
「ははーん」
「な、何よ」
「ねーさーん」
にやにやと。からかうようで、そこにあたたかみもこもった視線が注がれる。
「わたしは!」
耐えられないと。
「姉様が幸せになることしか考えてないの!」
「すばらしい」
手を叩きかけ、ハッと。
「いえ、それは妹の立場としてのすばらしさ……あ、ですが、姉が妹であっても悪いということには」
「なに、ぶつくさ言うてんの」
パシッ。たしなめるように軽く頭をたたく。
「あかんで、ねーさんの純情を茶化したら」
「茶化してるのは、あんたでしょ!」
止まらなくなる。
「あんたら、おかしいのよ!」
「いやいや、八つ当たりですって」
「八つ当たりで悪い!? どうせ他人事なのよ!」
じわりと。
「何よ。いきなりふらっとやってきて。いつもは放っときっぱなしで」
「あの……何を」
問いかけようとしたところを制する。
独白のように言葉は続き。
「幸せにしてくれると思ったの。ウダイ様だったら」
「えっ」
息をのむ。
「もうそこまで話が」
「まーまー」
やはり制される。
「ですが、そうなるとわたしの義姉ということに」
「姉なのよ!」
叫ばれる。
「わたしにとって姉様は! だって、すごく優しくしてくれた! わたしが従騎士のころから! ううん、もっと小さなころから! 姉様がお父様の従騎士だったころから!」
「ほほー」
あごに手を当てる。
「それは知りませんでしたなー」
「わたしが子どものころには引退してたけど、お父様はすごい騎士だった。従騎士であることを周りに自慢できるような。けど、姉様はそういうことを絶対にしない。誇りに思ってはいても、それを自分の名誉みたいにひけらかしたりなんて絶対しない」
「ですよね。わかります」
「あんたに何がわかるのよ」
弱々しくも。言って。
「わたしはずっと姉様を見てきた。だから、わかるの。どれだけ姉様が周りのみんなのことを見てあげられる人か」
ぐすっ。かすかに鼻をすすり。
「いいのよ。いいことなのよ」
「わかります」
「だから、何がわかるってのよ」
パシン。叩く手にもやはり力はない。
「わかってないのよ。姉様に面倒見てもらうばっかりで、逆に姉様のために何かしてあげようなんてちっとも思ってない」
はっと。
「いやその、ウチらかてねーさんのこと」
「何をしてあげたっていうの」
「え……」
「わたしは」
瞳に力が戻る。
「もっとそばで。力になってあげたい」
「ねーさん……」
「だから、四神にもならないといけない。自分のためじゃない。そんなことちっとも気にかけない姉様のために」
「………………」
言葉を失う。
伝わる。真剣なのだと。
「クーねーさん」
姿勢を正し。深く頭を下げる。
「ウチ、ねーさんのこと見くびってました。すんません」
「いいのよ。口ばっかりで情けないわたしだもん」
「そんなことないです」
「ええ」
並んで。共にうなずく。
「姉も妹も関係ない」
「えっ」
「見せていただきました。想いは形式にとらわれるようなものではないのだと」
「フン。形式だらけの騎士が言うセリフじゃないわね」
すこしだけ。笑みが戻る。
「まー、形式気にしないって言ったら、うちの館長なんですけど」
「や、やーよ、姉様が館長みたいになっちゃったら!」
あわてて言う。
と、またからかう調子が戻り。
「あれー。でもでも、ミンねーさんに館長になってほしいんですよねー」
「ああなってほしいとは言ってないわよ! あ、でも」
考えこむように腕を組み。
「むしろ、そっちのほうが? よけいな虫もつかないように」
が、すぐ頭をふり。
「だめだめ、やっぱり姉様がああなっちゃうなんて! それでも姉様はわたしの姉様だけど、それでもやっぱりーっ!」
一人煩悶する姿を見て、あぜんと。
「複雑なのですね」
「複雑なんやね」
わけ知り顔で。うなずくのだった。
「うおわっ!」
乱暴に投げ出される。
「て、てめえ! もっとそっと放しやがれ!」
「なに言ってるの。あなたが暴れるからでしょう」
「!」
はっとなる。
と、たちまち怒りに顔がゆがむ。
「ババア……」
瞬間、
「ぐはっ!」
ズダーーーン! 勢いよく投げ叩きつけられる。
「まったく、この子は」
やれやれと。芝居がかって肩をすくめ。
「いつまで寄り道してるのよ。まず師範のところに顔を出すっていうのが弟子として当然の義務でしょう」
「なにが師範だ、バ――」
殺気。
「よかったわね」
にっこり。その目に本気の殺意が宿り。
「それ以上口にしてたら、本当に大変なことになってたわよー」
「……ぐ……」
金縛り状態だ。
「ありがとう、ハナちゃん」
なでなで。馬から降りてきたところで頭をなでる。
「もー、こっちは聞きわけよくていい子だから助かるわー。騎生として副担任に学ぶところはないのかしらー」
「うっせぇ。チビアマなんかに」
「その『なんか』につれてこられちゃったのは誰かしら」
「ぐ……」
言い返せない。
「大体、何なんだよ!」
それでも必死に。
「てめえ、いきなり人のこと呼びつけやがってよ!」
「えー。嫌なら来なければよかったのにー」
「ぐぐぅ……」
わかっていて言っている。
できなかった。
よりにもよって〝母〟を通してその連絡を伝えてきたために。
『師の言葉に従うのは当然。そうではありませんか、百合子さん』
はっきり言って、まったく行く気はしなかった。しかし、とどまっても同じかそれ以上にひどい目にあうことも確定していた。
(ババア……)
わなわなと。怒りに震えるのが唯一できることだった。
「で、何させよーってんだ、テメエは」
「何をさせようかしらねえ」
「おい」
「まー、もういろいろしてきちゃったみたいだけど」
狙い通りだったというように。笑う。
それがまたこちらをたまらなくイラつかせてくれた。
「ハナ」
そこに。
「ちょっといいかな」
やってくる。
「ああン」
見たことのない顔。しかし、ものすごく見たことがある。
あいつらと同じ――
間違いなく『情けない』系の男だ。
「あ」
ととっ。駆け寄る。
抱きつく。
慣れているというように、それを受け止める。
「久しぶりだね、ハナ」
こくこく。うなずく。
その様子は、まさに仲の良い兄妹のようだ。
「トルカも」
こちらも。いななき一つもらさないながら、親しく鼻先をすり寄せる。
「頼みたいことがあるんだけど」
真剣な顔になって。言う。
わかった。そう答えるように共にうなずく。
「連れて行ってほしいところがあるんだ」
「ぷりゅーっ。ぷりゅーっ」
じたばた。
「ああもう、暴れないの」
早くもつかれた声でそう言う。
やんちゃだ。
これでもかと。
「ぷりゅ」
「えっ」
不意に。おとなしくなる。
「ふぅ」
さすがに暴れ疲れたのだろう。
ほっとしながら、その小さな身体を足もとにおろす。
瞬間。
「ぷりゅーっ」
ドーーン!
「ぐはっ!」
完全に不意をつかれた。
「こ、この」
うずくまるこちらには見向きもせず、その場から勢いよく駆け出していく。
「おとなしくしろって言ってるでしょ!」
キレた。
「はあっ!」
ふるう。〝戦輪(せんりん)の槍〟。
輪っか状の飛来物が次々と向かっていく。
「ぷりゅ!?」
拘束される。
四肢に金属の輪がはまり、走っていた勢いのまま地面にすべりこむ。
「ぷりゅっ。ぷりゅっ」
「暴れないの。危ないから」
本当に危ないのだ。
輪の外側は刃になっているのだから。
「はぁー」
自己嫌悪。
「何やってんのよ、わたし」
行かれてもいいではないか。向こうが一方的にあずけてきたのだから。
(でも)
ひょっとしたら初めてかもしれない。
『聞いたよ』
向こうのほうから。
『僕が話してみる』
(あんな……)
ぎゅっと。思わず自分で自分を抱きしめる。
「ぷりゅーっ。ぷりゅーっ」
「あっ」
じたばたと。暴れ続ける気配に我に返る。
「もうっ。危ないって言ってるでしょ」
怪我しないよう気をつけつつ輪をはずしてやる。
「ぷりゅっ」
「おっと」
すかさず後ろ蹴りをくり出されるのを、さすがに余裕をもってかわす。
「ぷりゅー」
鼻息荒く。こちらをにらんでくる。
「ふぅ」
なんだか力が抜ける。
「そんなにドルのところに行きたいの」
「ぷりゅ」
すかさず。
「ドルのことが好き?」
「ぷりゅっ」
またも。
「……ふぅ」
うらやましい。思ってしまう。
素直に。
こんなにまっすぐに自分の気持ちを表すことができるなんて。
(気持ち……)
自分の。それは。
「………………」
「ぷりゅ?」
急に黙りこんだこちらを見て、不審そうに首がかしげられる。
「はーあ」
ため息。そして。
「ぷりゅっ!?」
不意に抱きしめられ、驚きのいななきがあがる。
「……馬鹿」
つぶやく。
それが誰に向けられたのかわからないままに。
「まだまだ甘いぞ、鳴!」
再び二人きりになったそこで。
「ウダイさん……」
厳しい。
肉体でなく精神的に。
「いつまで……こんな……」
「鳴」
間近で。真剣な目で。
「それを決めるのは我々ではない」
(ええぇ~……)
では、誰だと――
「!」
奪われた。
「ハ……」
驚いた。
「ハナさん」
自分よりはるかに小柄なその人が。自分より大きな男性がそうしてくれた以上にしっかりとお姫様だっこしてくれている。
が、すぐに思い出す。
先ほども、愛馬を駆りつつ人一人奪い去っていったことを。
「あ、あの」
あわあわと。華奢な腕の中で何か言おうとするも。
「う……」
凛々しく。見つめられる。
いまさらながらに頬が熱くなっていく。
(……情けない)
認めざるを得ない。
だが、それは決して不快な感情ではなかった。
すっきりと。
自分がいまどういう立場にあるかわからせてくれたと思えた。
まだまだ自分はレディをエスコートできるような騎士にはほど遠い。
未熟なのだ。
男だ何だというようなことを取り払って。
それはすがすがしい「わかりやすさ」だった。
「ありがとうございます」
こくこく。うなずく。
こちらの気持ちはすべてわかっているような目で。
それは何よりも「表情」だった。
「レディ」
そこに。
「邪魔をしていただきたくはない」
丁重ながら。そこにはっきりと不快さをにじませて。
「ま、待ってください」
あわてて。
腕の中から降り、小さな身体をかばうようにして前に立つ。
「それでいい」
機嫌が戻ったと思いきや。
「あっ」
競うようにして。逆に前に立たれてしまう。
「ハナさん……」
おろおろと。
「レディ」
再び空気が強張る。
「あなたのされていることは、彼のためにはならないことです」
引かない。
「わからないのですか。レディにかばわれる騎士などあってはならない」
ゆるがない。
そこに。
「彼女は騎士です」
歩いてくる。
「キミは」
目を細め。誰何する。
「多爾袞(ドルゴン)」
名乗る。
「東アジア区館所属の〝力騎士〟です」
「ハッ」
かすかではあるが、余裕の息がこぼれる。
「わたしは西アジア区館〝主騎士〟ウダイ・アル=カリム」
「存じています」
うやうやしく。頭を垂れる。
「ならば」
眼差しが冷え。
「上の騎士に対する態度がどういうものか知っているはずだ」
「はい」
うなずく。笑みを崩さないまま。
「知っています」
「ならば」
「彼は」
かばう。二人を共に。
「東アジア区館に所属する騎士です」
「それが何か」
「指導の責任はこちらにあります」
「その結果! このように情けないから面倒を見ているのだ!」
言い返せない。自分でよくわかっているから。
「情けなくはありません」
(え……!)
思いもかけない。
「一方的に決めつけることなく。見守ることも上の騎士の務めであるべきです」
こくこくこく。同意するようにうなずく。
(ハナさん……)
うれしく、そしてありがたかった。
「話にならない」
ますますの。冷え切った目で。
「それでは、上の者の責務を果たしているとは言えない」
「僕はそうは思いません」
「話にならないと言っている!」
ズダン!
「っ」
異相の槍――〝断真の槍〟が突き立てられる。
「騎士は多弁を良きとはしない」
「その通りです」
こちらも。
「あ……!」
構えられる。
「ど、ど……」
どうしよう。情けない言葉が口をついて出そうになるところに。
「っ」
そえられる。
「ハナさん」
肩に置かれた小さな手。しかし、それは何より確かで力強いものに思われた。
「そうですよね」
信じるのだ。
それこそ、下の騎士として。
Ⅻ
「はぁっ!」
位階が下の。むしろ礼儀と言うべきか。
先に攻めかかったその槍撃は。
「フッ」
キィィィィン!
あっさり。
幅広の槍身で受け止められる。
「フンッ」
反らす。
絶妙な角度で突きの方向を変えると、前のめりに崩れたそこへ。
「ああっ!」
するどい蹴りが叩きこまれる。
思わず前に出そうになったところで。
「っ」
止められる。
「ハナさん」
ふるふる。首を横に。
「ですよね」
信じなければ。
「むぅ」
下がった。大きく後ろに。
その手ごたえのなさに不審の声がこぼれる。
「体術が得意なようだな」
「得意と言えるほどではありません」
すずやかに。
傍で見ていてわかった。
蹴撃に対し、こらえるのでなく、あえてその勢いを全身で受けてそのまま後退する力としたのだと。
(すごい……)
完全に近い脱力。それがなければ不可能な『動き』だ。
達人の粋に迫っている。実際にそう呼ばれる師範を持っていたゆえに断言できた。
「あ、あの」
思わず。
「ドルゴンさんはどなたかに体術の手ほどきを」
ふるふる。首をふられる。
いないのか、知らないのか。どちらかかはわからなかった。
「あっ!」
その間に。
「ハーーハッハ!」
己を昂ぶらせるかのような高らかな笑い声と共に。
振るわれる。
防御ばかりに使われてきたその槍が攻撃に用いられるのを初めて目の当たりにし。
「す……」
すごい。息をのむ。
そもそもが騎士槍は扱いに熟練を要する武器だ。
長い。
それだけで意のままに繰るには尋常でない身体能力を求められる。
その槍は、加えて『広い』。
槍と呼んでいいのかとも思わせる幅広の槍身は当然のようにその分重量も増す。
それを軽々と振るう。
軽くというのは的確でないかもしれないが、すくなくとも完全に己のものとしている。
知っている。
決して筋骨隆々という見た目ではないながら、長く伸びた四肢に柔靭な筋肉がしっかりと備わっていることを。
その肉体を存分に活かし振るわれる槍は、実際の質量をさらに増す威圧感を放っていた。
離れて見ていても感じるのだ。
その嵐の中に身を置いていると想像するだけで寒気がした。
(これが)
上位騎士の手前。中位最高位の力。
下位の自分などとは比べものにもならない。ここしばらく共にいてその強さは感じていたつもりだったが、それが半分どころか端緒にも達していなかったことを戦慄と共に思い知らされていた。
「あ……」
力がこもっている。肩に置かれた手に。
感じている。
それでもうろたえる姿を見せまいと懸命に自分を抑えているのだ。
「ハナさん」
重ねる。自分の手を。
本当に小さなその手が。
かすかにふるえる。
「僕は」
ささやく。
「信じます」
共に。
その想いが伝わったのだろう。
ふるえが止まる。
こちらを見る。
こくっ、と。
瞳に確かな光を満たしてうなずいた。
「断つ!」
直後、
「あ……!」
ダン! これまでになく強い勢いで幅広の槍が地面に突き立てられる。
「っ」
変わる。
場の空気が。
流れが。
断たれた。まさにそう感じた。
「……っ」
風のように槍撃を避け続けていた足さばきに乱れが生じる。
見過ごさない。
「断った!」
くり出された突きを。
「!」
ギィィィン! かろうじて槍身で受ける。
しかし、勢いまでは削ぎ切れず。
「ああっ!」
驚くほどの勢いで。
長さに広さも加えた物質的質量の突撃は、結果として当然のように爆発的な衝撃を生み、人一人をゴミ屑のように吹き飛ばした。
「……!」
再び。肩に置かれた手に力がこもる。
「そん……な……」
殺しきれなかった。勢いを。
いや、そこに意識を割いていたら、長大幅広な槍からは信じられないほどの精密な突きを受けること自体が不可能だったろう。
「……よくやった」
ほう、と。
こぼれる息と共に放たれる。
弛緩する。
「あ……」
本気だったのだ。
本気で。
向かいあっていた。
だからこその脱力であり、賛辞なのだ。
勝者の傲慢など欠片もない。
むしろ、いま強く感じられるのは安堵の気持ち。
最悪の事態にならなかったという。
そうなっていてもおかしくなかった。
本気だったのだから。
「認めよう」
言う。
「キミの力は〝主騎士〟に匹敵する。口だけではない。鳴を託するにふさわしい男だ」
言葉は続く。
「ぜひとも。レディに奉仕するに足る一人前の騎士に鍛え上げてほしい」
しかし。
「違います」
「何?」
「違うんです」
それ以上の言葉はない。
しかし、いらだたせるには十分だった。
「不快だな!」
放たれる。
ダン! 突き立てられる再びの槍。
「わたしは!」
吠える。
「真剣に騎士であるのだ!」
(え……?)
それは――
「誇り高く! レディのために献身を尽くす! それこそが騎士道!」
「違うんです」
くり返す。引くことなく。
「そうか」
これ以上。こちらも言葉はないというように。
「キミだ」
構える。
「止められなくしたのは」
それに応えるように。
「はい」
微笑む。
「ありがとうございます」
「わからないな!」
憤懣のままに。突き出される。
「!」
かわす。
(すごい……)
信じられないほどに。
完全な脱力。
負傷したことでより完璧に身体から力が抜けている。
風にまう木の葉のよう。
いや、空気そのもの。
(当たらない……)
剛槍をふるえばふるうほどに。
それは、むしろ離れていくばかりだ。
「チッ」
忌々しげに。
「話にならないな」
いら立ちを。相手だけでなく自分にもぶつける。
「わかった」
ダン! 槍を突き立てる。
「許そう」
言い放つ。
「一撃」
宣誓する。
「受けよう。キミの突きを」
それは。
裏返せば、絶対に通さないという自信の表れ。
「……はい」
止まる。
「わかりました」
風のような脱力を保ちつつ。
構える。
「!」
変形する。
普通の騎士槍に思えたそれが。
「あ……」
弓――
上下に長く張り出したその形は、槍身を矢として番える巨大な弓矢そのものだった。
「ほぅ」
軽く。目を見張る。
「聞いたことがある」
うなずく。
「東アジア区館に弓のごとき槍を扱う者がいると。キミだったが」
応えない。
力強く。弦を引き絞る。
それが答えだというように。
「おもしろいな!」
がっ、と。
突き立てる。
「受けようか!」
それは。
(盾……!)
幅広の見た目通りのまさに『盾』だ。
槍でありながら弓。
槍でありながら盾。
(こんな……)
どうなるのか予想もつかない。つくはずもない。
(ハナさん)
思わず。隣を見る。
(あっ)
ゆるがない。
まっすぐに。見つめているその瞳は。
元々、表情を表さない人ではある。
それでも。
伝わってくる。
(……ああ)
あらためて。信じているのだと。
(僕も)
共に。
彼を信じる彼女をも。
自分ごと。
(だって)
信じることから始めなければならないのだから。
騎士は。
それを教えてくれたのは、まさにいま自分のそばで共に希望を持ち続けている人。
あのときも――
達人、いや超人と呼んで過言でない『師範』に立ち向かってくれた。
そして、奇跡の勝利。
(ミンさん……)
そうなのだ。
そもそもが。
彼女をめぐって始まったことではある。
(僕は)
恩がある。
知り合ったばかりの。
何の関係もない自分を救ってもらったことに。
(……いや)
それが騎士なのだ。だから、自分も。
「ドルゴンさん!」
声を張る。
彼女の分まで。
ここにいないすべての。想いを同じくする者たちの分まで。
それが――
「!」
満ちる。
力となり。
脱力の構えのまま。
奔流となる。
「はぁっ!」
放たれた。
矢のように番えられた長大な槍が一直線に飛んでいく。
「来るがいい!」
キィィィィィィィィィィィィン!
激突。
「あ……」
同じだ。
突撃(ランスチャージ)――
突先同士ではないながら。
これは、騎士の最強の技のぶつかり合いそのものだ。
「ハハハハッ!」
興奮、そして己を鼓舞するかのごとき哄笑。
(あ……)
だめだ。
抜けない。
長大な弓によって飛ばされた槍は、しかし、そこに持ち手である騎士を欠くため本来の突破力に及ばない。
「!」
疾った。
射ち放った槍を追うように。
「あっ!」
つかむ。
「ふんっ!」
短くもするどい気合。
瞬時に、拮抗していた槍にあらたな力が加わる。
「ハハハッ!」
しかし。
それをも見越していたというように笑みは消えない。
事実、あらたな衝撃にも盾のごとき騎士槍はまったく崩れることがない。
が、次の瞬間。
「えっ!」
信じられないものを見た。
手放した。
再び槍を。
「!?」
防いでいたほうも想定外のことだったのだろう。瞠目する。
そのまま。
すべらせる。
何もつかんでいない手を。槍身に沿わせるようにして。
「!」
ふれる。
盾のごとき槍の表面に。
直後。
「はぁぁぁぁっ!」
裂帛の気合。
「――!」
ドォォォォォォォォン!
衝撃が。
突き抜ける。
絶対の壁。断裂の先へ。
「ぐはああっ!」
吹き飛んでいた。
騎士の誇りをそのまま体現したかのごとき精錬の肉体が。
あっけなく。
「………………」
あぜんと。
見つめる先。そこに残っていたのは。
「あっ」
駆けていく。
「ハナさ……」
止める間もなく。
小さな身体は、そのまま勢いよく飛びこんでいった。
勝者の胸に。
「……っ」
はっと。我に返る。
「ウダイさん!」
こちらもあわてて。
「あの、し、しっかり」
あわあわと。
仰向けになっている身体に手をかける。
「……ち……」
「ち?」
「違うぞ」
言うなり。
「!」
腕が首に回される。
「え……ええっ」
固まっていると。
「こういうときではないか」
真剣な目で。
「チャンスだ」
「………………」
言葉もない。
「えーと」
思わず。いいのかと伺うような目を向けてしまう。
「う……」
無表情のまま。うなずかれる。
親指まで立てられた。
「い、いいみたいです」
「情けない」
言われてしまう。
「さあ」
こうなると引き下がれない。
「行きます」
抱き上げる。
そのとき、ようやく気付く。
(あ……)
ふるえている。肩に回された腕が。
ふざけているようでも、そのダメージは。
(……ううん)
ふざけてなんていない。
真剣なのだ。いつだって、この人は。
「まったく」
つぶやいてしまう。
「困った人なんですから」
幸いと言うべきか、腕の中の身体からすでに意識は失われてたいた。
「っしょ」
抱え直す。
思えば、慣れていた。
こういう迷惑な人の相手をすることは。
「ふふっ」
笑みがこぼれる。
「楽しそうねー」
「!」
凍りついた。
「し……」
激闘の結末より驚愕したかもしれない。
「師範!」
にこにこと。
いや、それは『にやにや』に近かった。
さらにその隣には。
「てめえ」
こちらには思い切りにらまれ。
「やっぱり、そうだったんだな」
「なんですか『やっぱり』って!」
声が裏返る。
「その動揺。間違いねえな」
「間違いなくありません!」
さらに。
「なぜ、そこまで必死なのですか」
「ラモーナさんまで」
もう、どうしていいのか。
「あさましい」
「ええぇ~……」
「やはり、誰が相手でもそのような行為に及べると」
「やめてください『行為』なんて」
「あさましい」
「そんなぁ……」
もうどう言っていいのか。
「オトコらしくなったわねぇ、鳴」
一方、こちらはニコニコとしたまま。
「師範としてうれしいわぁ」
「つか、破門したって聞いてんぞ、ババ――」
ズダァァァァァァン!
「ぐほぁっ!」
「百合子さん!」
「チャンスよ、ラモーナちゃん」
「ハッ!」
わざとらしく。気づきのリアクションを見せ。
「さあ、百合子さん!」
「!?」
「身をまかせて! このわたしに!」
「ちょ、おまっ……何やってやがんだ!」
「当然のことです」
「どういう『当然』だ!」
「いち騎士として。倒れたレディには当然このようにお姫様だっこを」
「しなくていいんだよ、オラァッ!」
「しなくていいとは、すなわちしても問題はないと」
「ならねえよ! するなってんだよ!」
「ふふっ」
余裕で。
「愛ですね」
「はあ!?」
「わたしの腕の中でこのように暴れるとは。それこそ愛の証」
「なんでだよ!」
「わたしは決して落としたりしない」
断言する。
「そんなわたしの心を試している。愛を試している」
「試してねえよ!」
「ごまかさなくてもいいのです。倦怠期に陥った二人にはこのような遊びも」
「遊びじゃなくて本気だよ! あ、いや、そういう意味の本気じゃ……って、いいから放せってんだよ、オラァァァッ!」
叫びもむなしく。
「降ろせぇーーーーーーっ!」
連れ去られていく。
「負けていられないな」
「ええっ!?」
復活していた。いや、当然まだダメージは残っているだろうが。
「行くのだ、鳴」
「いや『行くのだ』って」
「負けられないだろう! わたしの鳴が!」
「あらー」
そこに。
「いつ、あなたのものになったのかしら、ウダイ君」
びくびくびくっ! と。
「あ、あなたは」
「大きくなったわねー、あのかわいかった子が」
「あ……う……」
完全に。
あの尊大だった人が腕の中で縮こまっている。
「鳴……」
ふるえる声で。
「どういうことだ」
「え? ええ?」
「そういうことか」
一方的に。
「キミの体術を受けたときに気づくべきだったな。いや、無意識にそれを乗り越えるべくわたしは」
「あの」
ひょっとして。
「師範とお知り合いで」
「師範!」
跳ね上がる。
「ふ……ふふふ……」
不安定に小刻みな笑いが。
「行くぞ」
「へ?」
「逃げるぞ!」
「いや、え、あの」
「頼む!」
懇願。必死の。
「師範の! キミの師範の! 再びあの毒牙にかかることは」
「ウダイくーん」
笑顔に圧がかかる。
「人聞きの悪いこと言うわねー。弟子がカン違いしちゃったら困るじゃなーい」
「弟子……やはり」
「う……」
どんな顔をすればいいのか。
わかる。
カン違いでも何でもないのだということが。
(あっ)
気がつく。
(ひょっとして)
レディとしてたたえながら、手のひらを返したような厳しい裁定。
どこか不自然さを感じさせる過剰な意識。
それは。
(ミンさんが)
自分のトラウマである相手に――勝ったから?
自分より下位であるのに。
その事実が、複雑な感情を抱かせていたとしても。
「行ってくれ!」
「あ……は、はいっ」
我に返り、恐怖が伝染したというわけではないが走り出す。
そのまま。
「はーーーなーーーせーーーーっ!」
じたばたと暴れる相手をかかえ、さすがにもたついていた先行組に並ぶ。
「競うつもりですか、鳴さん」
「え……!?」
「身のほどを教えてさしあげましょう」
「いや、僕は」
「負けるな、鳴!」
「ええっ!?」
「この〝主騎士〟であるわたしをお姫様だっこしていながら! 負けることなど許されるはずがないだろう!」
「そんな」
無茶苦茶だ。
「ほーら、がんばりなさーい、鳴ー」
(師範まで)
もう完全に無茶苦茶だ。
「ま……負けませんよーーーっ!」
やぶれかぶれの声を。
無表情の中にある『微笑』が見送った。
ⅩⅢ
「なんだったのよ、一体」
ぐったりと。
「ですが、姉様!」
フォローすべく。
「姉様の『館長不適格』判断は撤回されました!」
「そうね」
まったくうれしそうではない。
「まーまー、クーねーさん」
今度はこっちをフォローしようと。
「ミンねーさん、お疲れなんですから」
「そんなのわかってるわよ。だから、わたしが癒やしてあげようとしてるんじゃない」
「いや、どういう癒やしですか」
ツッコミが入る。
「おとなしくしててください。それが一番の癒やしになりますから」
「どういう意味よ! わたしがうるさいって言うの!」
うるさい。
口には出さないが、さすがに思ってはいる。
「ねーさん」
真剣な調子で。
「ねーさんは立派なねーさんです」
「あ、当たり前じゃない」
面と向かってほめられ、照れるそぶりを見せる。
「だからですよ」
「え?」
「ねーさんはねーさんのことを考えられるはずです」
「ややこしいわね」
確かに。
「ウチは」
言う。
「大好きですよ」
「きゃっ」
抱きしめられる。
「何するのよ!」
「好きです」
「ええっ!?」
「だから」
抜き取る。
「ああっ!」
それは。
「ウチ、ねーさん、大好きですし」
一通の封書。
「あかんですやん」
たしなめる口調で。
「こんなこと考えたりしたら」
「あ、あんた」
顔が赤らんでいく。
「なんで知ってるのよ」
「ウチはねーさんのことならなんでも知ってるんです」
「知ってないでよ」
「とにかく、騎士を辞めるなんてことは絶対に」
中の紙片を開く。
「あれ?」
「なによ」
ますます。赤らむ。
「えーと。何です、これ」
「………………」
「『四神就任を辞退します』って」
「やめてよ!」
あわてて取り返す。
「見ればわかるでしょ! そのままよ!」
「いや、わかりませんて」
肩をすくめる。
「大体、就任なんてハナシなかったですやん」
「あってからじゃ遅いでしょ」
「いやいやいや」
手のひらをふる。
「どう思います、ミンねーさん」
「はーあ」
「ほら、ねーさんのウケもないですやん」
「別にウケ狙ったわけじゃないわよ!」
「そこまで」
止める。
「クーファ」
「はい、姉様」
気をつけの姿勢に。
「あなた」
「は、はい」
「本気で」
言う。
「………………」
言わない。
「はーあ」
「えっ、ね、姉様?」
「もういいわよ」
何がいいのか言わないまま。
「ふーう」
「姉様……」
「ほら、ねーさん、がんばってウケ取らんと」
「だから、ウケ狙いのつもりなーい!」
両手をふり回し。
「本気なんだから! 本気で四神になるのはやめるの!」
「いや、そんな大声でわざわざ言うようなことじゃ」
「わざわざ言うことなの!」
力がこもる。
「姉様!」
向き合う。
「間違ってました!」
「え……」
「四神じゃないんです。そんなのただの自己満足で。わたしがしたかったのはそういうことじゃないんです」
「ほー」
感心したという顔で。
「なら、どういうことなんです、ねーさん」
「あんたは口挟まないでよ」
「クーファ」
そこへ。
「わたしは」
言う。
「何もできなかった」
「えっ」
「あなたたちに」
うなだれる。
「無駄な心配ばかりかけさせて」
「何を」
「なに言うてんです、ねーさん!」
前に出る。
「って、ここはわたしに言わせなさいよ!」
負けじと前に。
「わたしは!」
まっすぐ。
「姉様の力になりたい!」
見つめ。
「だから!」
言う。
「館長補佐です!」
かくっ、と。
「は?」
「館長補佐よ」
照れつつ。
「文句あるの?」
「いやいやいや」
手をふって。
「なんですか、館長補佐って」
「そのままよ。わかるでしょ」
照れ隠しもやめだというように胸を張る。
「いや、わかりませんて」
首をふる。
「そんな役職ないですやん」
「ないから何だって言うのよ。わたしがなりたいって言ってるんだから」
「いやいやいや」
完全に駄々っ子を相手する調子で。
「大体、館長『補佐』っていかにも取って付けたみたいカンジっていうか」
「何よ、それ」
「ほら『課長補佐』とか『主任補佐』とかあるですやん。仕事はまかせられないけど、とりあえずの肩書きっていうか」
「なんてこと言ってんのよ!」
目をつり上げる。
「肩書きなんてどうでもいいの、わたしは!」
「いやいや、最初に肩書きのこと言い出したの、ねーさんですし」
「とりあえずよ! これからも姉様のことを助けていくっていう! その決意の表明!」
「いや『これからも』って、これまで何か力になったようなことなんて一つも」
「あんたねぇ~~!」
「……ぷっ」
笑う。
「あっ」
「ねーさん」
「あんたたちってホントに」
そのまま。笑い続ける。
「良かったですやん。ウケが取れましたよ」
「だから、ウケ狙いじゃないって何度も」
「そうなのよね」
「ほら、姉様はちゃんとわかって」
「どうでもいいことなのよ」
吹っ切れた。そんな明るい顔で。
「館長になるとかならないとか」
「ええっ!?」
驚きの声が響く。
「わたしはわたし。やることは変わらない」
ためらいなく。
「肩書きなんてたいしたことじゃないのよね」
「え、でも、それは」
自分で否定しておくようなことを言いながら、それでもあわて出す。
「ねーさん」
その肩に手を置き。
「いいですやん」
「って、簡単に言わないでよ! どれだけ大騒ぎしたと思ってるの!」
「騒いでたのは、主にウチらですし」
「それは」
言い返せない。
「ミンねーさんは」
言う。
「変わらないんですよ」
「むぅー……」
それでもまだ不満そうではある。
「ほら、あなたたち」
そんな二人に。さっぱりとした表情で。
「もう用がないなら行きなさい。こっちは暇じゃないんだから」
「ええっ!?」
さすがにそれはという声をあげる。
「わたしたち、姉様のことが」
「ほらほら、ねーさん」
「ちょっ、シルビア!」
なかば無理やり退室させられる。
「ふーう」
一人になり。
ため息を一つもらしたあと、あらためて微笑する。
「なんだかねー」
にやにや笑いが止まらない。
すっきりとしていた。
本当に。
館長がどうとかはどうでもよくて。
「………………」
じんと。
助けてくれた。
結果としてはそういうことになるはずだ。
「……馬鹿」
あっという間に。またいなくなってはしまったのだが。
「はーあ」
やれやれと。今度はそんなため息が落ちる。
「ホント、仕方ないんだから」
いろいろな人に向けられた。
けど、結局はそれが自分の役割なのだと。
「さてと」
軽く。
腕まくりをして、積まれた書類に手を伸ばし。
「………………」
止まる。
「あー、もう!」
勢いよく。椅子から立ち上がり。
「待ってなさいよ、もうすこしだけ!」
走り出した。
「ぷりゅー」
すりすり。
お互いに。
親しさを交わすように、鼻先をすり寄せ合う。
「かわいいわねー」
うっとりと。
「はい」
うなずき。〝弟〟のそばにしゃがみこむ。
「よかったね、お姉ちゃんができて」
「ぷりゅっ」
ご機嫌に〝兄〟に向かっていななく。
「トルカ」
こちらを見る。
「ジュチのこと、よろしくね」
言われるまでもない。鳴かずとも目が語っていた。
そして、主に呼ばれているのか、最後に優しく鼻先をすり寄せると、さっとその身をひるがえす。
「ぷりゅりゅー」
また会おうねー。そう言いたげに去っていく背に向かって鳴く。
そこに。
「見てたわよ」
「えっ」
それが。
あの勝負のことを指しているのだと即座に察する。
「お恥ずかしい」
「ううん」
真剣な口調で。
「正直、驚いた」
尋ねる。
「師匠は誰?」
「ターフェイ館長です」
「はぁ!?」
目を見張る。
「嘘でしょ!? あの山猿にあんな動き」
「館長は」
平静なまま。
「僕に騎士の教えを授けてくれた方です。それに常々、内気の大切さは口にされていました」
「馬鹿力しか能がないくせに」
「教わったそうです」
「えっ」
笑みを。かすかに見せ。
「自分の師匠。そして、先輩に」
「それって」
はっと。
「……もう」
きまり悪そうに。
「年上をからかうのはよしなさい」
「本当のことです」
「………………」
複雑な顔で。黙りこんでしまったところに。
「ぷりゅりゅ?」
どうしたの? そう問いたげに首がかしげられる。
「あー、もうっ」
たまらない。そんな声をあげ。
「ぷりゅっ!?」
抱きしめられる。
「ぷりゅっ。ぷりゅっ」
驚いて助けを求める。
しかし〝兄〟は苦笑するばかりだ。
「もうこの子はーっ。かわいいんだからーっ」
「ぷりゅーっ」
助けてーっ。いななきがこだまする中。
「意外ですね」
現れる。
「在香さんにそんなところがあるなんて」
「きゃっ」
完全に。素で。
「な、何よ」
「ふふーん」
立場が逆転した。というほどでもないが。
「あーりかさん❤」
「だから、何よ!」
「どうしてです」
「えっ」
真顔で。
「馬のことが好きなら、騎士を辞めてもそうだったんじゃないんですか」
「それは」
どう答えていいかというように目を泳がせる。
「鳴クンですよ」
言葉は続き。
「馬に不慣れでしたから。在香さんのところで触れる機会がなかったのかなって」
「ああ」
かすかに。納得した顔で。
「なかったわよ」
あっさり。
「いなかったもの」
「あー」
こちらも納得したと。
「貧しかったんですもんね、在香さんのとこ」
「は?」
「師匠一人に弟子一人なんて。ほとんど道場とも言えないような」
「ミンちゃーん」
にこっと。まったく笑ってない笑顔で。
「ホーント調子に乗ってるわねー、次期館長のままでいられるからって」
「じゃあ、どうしてです」
逆に踏みこむ。
「う……」
あっさりと。攻守が戻り。
「い、いいじゃない」
「いいですけど」
「好きだったからよ!」
ぎゅうっ!
「ぷ、ぷりゅ……」
「あの、ジュチが苦しそうですから」
苦笑まじりに。
「いいじゃない、騎士やってたんだから! 馬が好きだって! 好きだから」
「好きだから?」
「好きだから……」
肩が落ちる。
「嫌なのよ。わたしより先に……」
ああ。今度こそ腑に落ちた思いがした。
「在香さん」
優しい眼差しで。
「いいんですか」
「………………」
「この島にいたら、きっとまた」
「いいんだよ」
肩に。手を置かれる。
「ドル……」
「つながっていくんだ」
確かな。
「僕とジュチ」
「ぷりゅ?」
名を呼ばれ、首をかしげる。
そこへ手を伸ばす。
「ぷりゅっ」
跳び移る。
「ぷりゅぅー」
「ほら」
何が『ほら』なのだ。思っているところに。
「つながっているんだ」
重ねる。
「ジュチの両親の想いが、この子と僕をつなげてくれた」
はっと。
「つながっていく。それは失われたりしない」
「………………」
息をのむ。
「あなた」
口にする。
「変わった」
微笑む。
そのまま、愛馬と共に背を向け――
「って」
我に返り。
「行っちゃわないでよ! あなたはいつだってそう」
「オラーーーッ! ババアーーーーッ!!!」
怒りの声が。
「話はまだ終わってねえーっ!」
猛進してくる。
「いいかげんにしとけよ、バ――」
ズダァァァァン!
「ぎゃあっ」
衝撃音と共にあがる悲鳴。
「百合子さん!」
すぐさま。後から駆けてきた影が、そのかたわらに膝をつく。
「はぁー」
わざとらしく。ため息を。
「こういうつながりはうれしくないわー」
「こ、こっちのセリフだ」
ダメージにふるえつつ。身体を起こす。
「結局なんだったんだよ、こんなとこまで呼び出しやがって」
憎々しげに。
「なんだったんでしょうねー」
「おい!」
「いいじゃない」
圧倒的実力差の相手を前にしてか。いつもの調子を取り戻し。
「文句あるの? 師範であるわたしの言うことに」
「あ……!」
あるに決まっている。
とここで言うのはさらなる投げを受ける可能性を生み、かつこれ以上のダメージは本気で命にかかわりかねない。
その確信に、ただ悔しそうににらむばかりだ。
「こう考えてください、百合子さん」
なだめるように。
「これはバカンスなのです」
「バカンス?」
「わたしと……二人きりの」
「って、なんでだよ!」
まったくなだめられていない。
(くそぉ~……)
道づれでもいないとやってられない。
いや、目の前のこいつと一緒はごめんなのだが。
そんな思いからか。
「おい、ヘンタイはどうしたんだよ」
「えっ」
ショックに。ふるえて。
「そんな……わたしより鳴さんのことが」
「ねえよ!」
いや、どっちも『ない』のだが。
「あっちのほうが、あ、兄弟子なんだからよ。だったら、兄弟子らしく」
「してるわよ」
「へ?」
「んふふー」
またも。嫌な予感しかさせない笑みを見せ。
「兄弟子だものねー。みんなの」
「う……」
みんなの? それはどういう――
聞きかけて寸前で飲みこむ。
やぶ蛇にしかならない。悟っていたのだった。
「さあ、もう一本!」
むくつけき男たちが。
「はぁぁっ!」
ダァァァァン!
「たぁぁっ!」
ドァァァァン!
「うぉぉぉっ!」
投げられる。叩きつけられる。
吠える。
その中に。
「まだまだぁっ!」
一際意気盛んな上半身裸の人物が。
「あ、あのっ」
すっかり変わった――と言えるほどには基本は変わっていないのかもしれないが、敗北の影を感じさせないはつらつとした顔で組み手を続けているところへ。
「あまり、その、無駄な力はこめないようにして」
「おお、そうか」
こちらの指摘に笑顔を見せ。
「さすがだな、兄弟子」
「う……」
なぜ、こういうことになってしまっているのだろう。
(兄弟子って)
そうには違いない。
しかも、ここにいる自分より年上の男たち全員にとって。
「はぁぁぁっ!」
「うらぁぁぁっ!」
筋骨たくましい男たちの入り乱れての組み手が再開される。
この上なく男くさい。
自身男でありながらもそう思ってしまう。
「兄弟子!」
「兄弟子!」
次々と。気合の入った声がかけられる。
「我らにも指導を!」
「ぜひ!」
(うううう……)
無理だ。
そもそも『弟弟子』なんていた記憶がない。
自分が入門したとき、すでに当時の門弟だった人たちは全員やめていた。
加えて、本来なら自分も破門された身のはずなのだが。
「さあ、兄弟子!」
(ウダイさんまで……)
呼ばれてしまう。
「あ、あのですね」
いまさらながらに。念を押さずには。
「僕は、その、みなさんに比べて騎士としての経験の乏しい身で」
そうなのだ。
現世騎士団アフリカ区館において、館長直属の精鋭部隊であった〝聖域の騎士(ペル・ウアジェト)〟。中位騎士、あるいは上位騎士にも匹敵すると言われた彼らの実力には足元にも。
「そこだ」
手を置かれる。
こちらを『兄弟子』と言う割には、態度がほとんど変わっていない気がするが。
「乏しいのがいい」
「ええぇ~?」
そうはっきり言われてしまうのも。
「だからこそ」
置かれた手に力がこもる。
「強い」
「え、ええ?」
「強いということは」
己の。手に視線を落とし。
「もろいことでもある」
「………………」
それは。
苦い実感なのだろう。
兄として。
若き騎士たちの先頭を行く者として気を張ってきた人間の。
「ドルゴンさんは」
口をつく。
「勝とうとしていなかったと思います」
「っ……」
笑顔が消える。
「どういうことだ」
一言。
「矛盾」
「……!」
「最強の盾と矛」
「しかし、わたしの『盾』は」
「なかったんです」
口にする。
「何も」
「なっ……」
「どちらが盾も、どちらが矛も」
ゆえに『通』った。
「自然でした」
言葉を加える。
「雨にも、風にも、誰かに勝とうという思いはないですよね」
「うむ」
「雨の中、風の中。そこは一つなんです」
「む……」
「そこに矛盾はないんです」
「………………」
「だから」
言う。
「ウダイさんは強いんです」
「何……」
さすがに。意表を突かれたという顔で。
「ど、どういうことだ」
「わかります」
心からの笑顔で。
「強いです」
「だから、どういうことかと」
「強くあろうとしてるから」
はっと。
「その心が、強さなんだと思います」
うつむき。
「僕は……ぜんぜんですから」
「………………」
その肩に。
「鳴!」
間髪入れず。
「兄弟子!」
「メイ兄弟子!」
「ええっ!?」
囲まれる。
「そうか。そうなのだな」
「え、ええ?」
言われる。
「だから、鳴は鳴なのだ!」
力説されても返しようがない。
「しかし、歯がゆいな」
拳を握り。
「強さとはなんと奥の深い。その道のいまだ険しきことよ」
「えーと」
こうあっさり真に受けられると、それはそれで面はゆい。
「マムルーク騎兵の誇りを受け継ぐこの身がかえって足かせに」
「ならば、我らとて」
対抗するように。
「騎馬の民ヌミディアの古来よりの伝統がある」
「あ、あの」
こんなところで競われても。
「だが、しかし」
「ああ」
思いがけず。張り合いはヒートアップする前に終わり。
「こだわりすぎれば固執となる」
「万里小路流の体術にとっては余計とされる」
(それは……その通りで)
こちらが何か言うまでもなく両者とも納得できているようで。
「いまはただこの技を!」
「共に磨き合うのみ!」
「「兄弟子!」」
「はいっ」
思わず気をつけで返事をしてしまうが。
(ええ~……?)
まだ続けるというのか。日が昇るとほぼ同時に始まった稽古は、すでに昼を超え、夕暮れも間近となっている。
「あ、あの」
もうこれくらいで。と言おうとするも。
「……う」
言えない。
そんな提案を跳ね返す熱気でむせ返るようだ。
(あうう……)
よけいなことを言ってしまったか。そんなことまで思ってしまう。
と、おろおろ立ち尽くしているところに。
「兄弟子!」
「我と組み手を!」
「いや、鳴とはわたしが!」
迫られる。完全に逃げられない空気だ。
そこに。
「!」
近づく馬蹄の音。いななき一つなく駆け寄ってきたのはやはり。
「トルカ!」
そして。
「ハナさん!」
さらわれる。
「おおっ!」
「鳴!」
長身の男たちが驚きざわめく中。
自分より大きな身体を脇にかかえ、現れたときと同様、愛馬を軽やかに駆って風のように去っていった。
「兄がご迷惑をおかけして」
連れてこられた。そこにいたのは。
「ナシームさん」
かえって恐縮してしまう。
「いえ、その、ウダイさんには」
悪い感情はない。それは本当だ。
「本当に」
ため息交じり。
「歯止めの効かない兄といいますか」
「それは」
その通りだと思う。
「でも」
言う。
「いいお兄さんですよね」
「っ」
しばらくして。
「……ええ」
はにかみながら。
そこへ。
「ありがとうございます」
頭を下げる。
「いろいろお世話になりました」
「い、いえ」
面はゆさを隠せず。
「あのような兄でもお役に立てたのであれば」
「はい。とてもかわいがってもらいました」
ぴくっと。
「とても?」
「あ……はい」
急な空気の変化に戸惑うところへ。
「鳴さん」
「は、はい」
「わたしの兄なのですよ」
(う……)
これは。ひょっとするまでもなく。
「妹であるわたしを差し置いて」
「いえ、その」
差し置くつもりは、こちらにはまったく。
「あっ」
小さな影が割りこんでくる。
「ハ、ハナさん」
我に返ったように。目を泳がせ。
「申しわけありません。兄ばかりでなくわたしまで見苦しい姿を」
ふるふる。首を横にふる。
「……そうですね」
言いたいことはわかった。そんな微笑の気配をにじませ。
「失礼します」
背を向ける。
「あ、あの」
どこへ行くのか尋ねようとして。
「あ」
すぐに気づく。
(ウダイさんの……)
「ですよね」
こくこく。うなずかれる。
「いいなあ」
思わず。
「きっと、すごく仲良しなんですよね」
大家族。その響きだけで心ときめくものがある。
「あっ」
手を。握られる。
その上。
「うわぁ!」
あざやかに。ここへつれてこられたときと同じように。
抱え上げられ、そのまま。
「ハ、ハナさん……」
お姫様だっこ。
「う……」
じっと。見つめられる。
「……はい」
うなずく。しかない。
そうだ。
ここが間違いなくいまの自分の〝家〟なのだ。
「わっ」
トルカも。
同じ気持ちだというように、鼻先をすり寄せてくる。
「ははっ」
笑っていた。
自然と。
笑みがこぼれる。
お姫様だっこをされながら。
「ありがとうございます」
誰にともなく。口にしていた。
感謝の気持ちで胸がいっぱいだった。
騎士として、レディとして