憂鬱はオムライスに包んで
26歳と4ヶ月目
いつの間にか大人になっていた。
おじいちゃんが育てていた、夏になると大輪の花を咲かす赤紫の紫陽花はもうないし
わたしが部屋の窓から見ていた景色ももうない。
父親は消えて
怒りは行き場をなくして
かなしい夜ばかりが増えた。
最後に交わした会話を何度も反芻する。
こわくてずっと開けられないでいる蓋を
いつまでそのままにしておけるのだろう。
あの日から、なにをしていても
なにかがからだ中に渦巻いている。
文章を書くこともやめてしまった。
家族の前で笑うことが嫌になった。
笑っているところも、悲しんでいるところも、何もかも、見せたくなくなってしまったのだ。
自分が感じていることを悟られないようにか、
話すことも、目を合わせることも、何もかもをやめた。
自分の考えているおそろしいことをできれば、ずっと知りたくなくて
ごまかし続けてふらふらと、笑っている
死ぬのはもうずっとこわくないのだ
わたしの痛みも憂鬱も、誰にもわかってほしくなんかないのに、あなたが傷ついていることは、わたしが知っていたいなんて、バカみたいに思っている自分がいる
大好きな人たちはみんな死にたがっている。
死にたいのに、そばにいてほしくて
ぜんぶぜんぶ夢にはならないから
せめてふわふわの卵でつつんで、オムライスにして
せっせと平らげたら、またあの頃みたいに眠れるだろうか
憂鬱はオムライスに包んで