ooo3280325 邦題 音
音について・・。
<span style="font-size:1.96em;">音</span>
<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200106/17/europe123/f3/a6/j/o0294017114691687747.jpg"><img width="494" height="371" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200106/17/europe123/f3/a6/j/o0294017114691687747.jpg"></a>
<span style="font-weight:bold;">数少ない趣味が音楽という者にとり、会社の昼休みなども案外貴重な時間。
天気の良い日であれば近くの公園へと足を延ばす。ベンチに座りイアフォーンから流れて来る曲を聴いていると、見慣れた景色も満更では無くなる。
彼は電車の中でも同じ事をやるのだが音漏れを気にする。目一杯音量を上げられるのは家以外では此処だけ。
RentalCD店などの最近の新譜には好みの曲は先ず無い。其れで此処のところ同じ曲ばかり聴いている。
流石に毎日聴いていれば飽きてきそうなものだが。TV番組に面白いものなど無く、近頃の本にしても然り。
世の中、それで成り立っているのだから、変人の類とも。しかし、以前から思っているが、一部を除き60年代70年代に良いメロディーは出尽くしている。
その後のリズム重視から今は訳が分からない曲も少なくない。其れとも、歳を取るに連れ拘りが偏ってしまったのか。
彼は音楽を聴くだけでは無く、楽器の演奏もする。そんな音楽人生だから耳は大事だと思っていた。だが健康診断の結果は意外だった。
聴音の検査は周波数を三段階くらいに分けて行う。聴こえるかどうかの検査だが、一番高音にあたる周波数が聴こえない。
日常生活の中で、その事実を嫌でも知らされる事になった。体温計の計り終えたという合図の「ぴっぴ音」や、時計の「ちっち」という音が聞こえない。
普段の生活の中で特段の支障では無いのだが、ひょっとしたら音量をあげ過ぎの状態で聴いていたせいか。
高音が聴こえないという事は、電車の中などで周囲の人達には音漏れが聴こえていて、知らずして迷惑を掛けているのではなど思う。
自分は良いのだが。だから、電車の中などで人が彼の方を振り向いたりすると、
「ああ、やはり迷惑なのかな」
と、音量を下げるようにしている。
その割に耳鳴りはしていたのだが、毎日起きている間ずっとなのだから、次第に慣れてしまったのか特段気にはならない。
他人の声が聞こえにくいと気付いたのは、電話口であったり、英会話の発音が聞こえにくいから。
どうせであれば、都合の良い事だけ聞こえて、都合の悪い事は?などという訳にはいかない。
医学もそんな事までの治療方法は無さそうだ。
此処からは大いに気になっている事なのだが、他人に聞こえない事が聞こえるという事に気付くようになった。
周波数とも言えそうに無く、常時その様な事が起きる。肝心な会話などが聞こえないのに、余計な音が聴こえるという事なのか。
昔、彼はある人からこんな事を言われた事がある。
「アンテナが高過ぎる様なものなんだよ。其れで、いろいろな音が聴こえるのだが、必要も無い余計な音まで拾ってしまう」
耳鳴りとはまた異なる。其れが何なのか。どうやら、人の呟きが聞こえるようなのだ。
此ういうのも、良い場合と迷惑な場合とがある。気に入った女性の呟きが、
「自分に好意を感じている」
というなどは先ず結構と言えそう。
そうでは無く、雑踏の中などでの不平不満や、極端な場合で死を覚悟しているという様な呟きであると、嫌を通り越し寧ろ苦痛に変わる。
人命救助には貢献できるかも知れないが、それ程折りよく聞こえるものでは無いのだから、実質役には立たない。
更に、自分に向けられた憤怒の呟きなどからは、そそくさと逃げ出すしかない。君子危うきに近寄らず。
其の現象は次第に強くなっていく。社内外、車内外を選ばず彼方此方からいろいろな呟きが聞こえてくる。
自分に関しての事ならまだ我慢すれば良し、或いは無視をすれば良いのだが、何もかもが一斉に聞こえてくる際は、制御する術(すべ)無く五月蠅(うるさ)いに尽きる。
仮に墓場で坊さんが経を読んだ後、周りを取り巻いている中の女性を見、
「うん?いい女だな」
などと舌なめずりをしているなどは実害が無いのだからどうでも良い。
耳鼻科に行った事があったが、医者も、
「こいつ、頭がおかしいな」
てな具合だから始末が悪い。
聞こえるのは事実だが、其れを防ぐ事などは出来ない。かと言い音楽の様な?
いや、其れだって聞こえ過ぎるのであれば、騒々しく煩わしくなるに相違ない。
以前の様に一定の周波数だけが聞こえないという当時が懐かしくなったが。
次に彼が思い出したのは、芥川龍之介の「歯車」という作品。芥川の『ベロナール』と『ジェノアル』という「睡眠薬」の多量摂取による自殺。 の少し前の作品だったか?歯車が沢山動いている。
今の睡眠剤では、多量に呑んだところで死に至らず、胃の洗浄をされるに過ぎず。
暫らくした頃、彼にも相思相愛の女性ができた。此の時に大いに役に立ったのは言うまでもない。
というのも、最初の内だけだけだったのだが。相手の気持ちを汲み取り、或いは其の希望に合わせ振る舞える。
好き嫌いはどうもこうもなし、其の女性とは相思相愛なのだから無事結婚にまで至る。
しかし、考えてみればそんな事は大した問題でも無く、結ばれるものは結ばれるに尽きるのであるから、あまり意味が無いと思いだす。
そうしてみると、此の現象、総じて良い類のものでは無かったのか。
今晩も彼が帰宅すれば、妻籠の愚痴、子供や親族に対する不平不満が聞かれる。
其れでも楽しい家庭の味と思うのであれば致し方無い。平凡なる事は大事な事。何時の間にかあの現象も薄れ。
そして、静かな時が訪れた。
・・墓場中が・・。最早、あの画家ムンクの作品になっている。
そう、ノルウェーの画家のエドヴァルド・ムンクが1893年に制作したムンクの代名詞とも言える油彩 絵画作品「叫び」~ムンク本人によって付けられたドイツ語の原題は「Der Schrei der Natur (自然の叫び)」。「The Cry」と呼ばれることもある。ムンクの母国語であるノルウェー語~by Norwegian~では"skrik"は"scream"と翻訳されるが、英語では"skrik"は"shriek"と翻訳される。
・・顔を歪ませ・・両手で其の顔を覆い、よく分からない橋の奥には人の姿も。
極度にデフォルメされた独特のタッチで描かれた人物、血のように赤く染まったフィヨルドの夕景と不気味な形、赤い空に対比した暗い背景、遠近法を強調した秀逸な構図の作品である。
ムンクはのちにそのイメージのインスピレーションを描写し。
「ある夜、私が町を散歩していると、片側に町が見え、その下にフィヨルドがあった。私は疲れていて、病気を感じた。足を止めてフィヨルドのほうに目を向けると、太陽が沈みかかっていて、雲は血のような赤に染まりつつあった。私は自然を通り抜けていく叫び声を感じた。私は叫び声を聞いたように思えた。私はこの絵で、実際の血のような色の雲を描いた。その色味は悲鳴(shriek)のようだった。そしてこの絵は「叫び(The Scream)」になった。」
別の解釈では、『叫び』のモデルになったとされるものもしっかりと存在していて、ペルーのミイラだと推測されている。
しかし、一体ムンクは何に怯えているのかなのだが。
ムンクは5人兄弟の長男として生まれた。一見、5人兄弟がいて幸せそうな家庭にも見えるが、ムンクの人生は“死と病”がいつも付きまとっていた。
ムンクが5歳の時、母親が不治の病で亡くなる。14歳の時に姉もなくなってしまった。
ムンク自身も体が弱く、気管支炎による吐血などに苦しんでいた。ムンクの父も家族の死により心が病んでしまっていた。
辛い人生を過ごしていたムンクにも1つだけ熱中できるものがあった。それが絵を描くこと。
そんなハードな人生と向き合い絵を描いていくうちに「画家ムンク」が誕生した。
ムンクはなぜこのような自身の辛い過去を描いたのか?
ムンクは言う。
「ダ・ヴィンチが人体を研究し死体を解剖したように、私は魂を解剖する」
元に戻り、聴こえすぎる彼の現在は・・。
夜の墓場に、陽は傾きゆっくりと紫色の闇が垂れて来る。(此の国ではお馴染みのphraseである)・・東山六方草木も眠る丑三つ時。~夜中の二時~。
塔婆が風に吹かれてカタカタと、墓場中の賑やかな声に合わせるように音をたて・・。
「のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は流れて雲に入って漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかもしれない。夏目漱石」
「恋愛はただ性欲の詩的表現をうけたものである。わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである。芥川龍之介」
「自己嫌悪がないということはその人が自己を熱愛することのない証拠である。自己に冷淡であるからだ。自分に才能を与えてくれるなら、寿命を縮めてもいい。志賀直哉」
(自衛隊ヘリ墜落に御愁傷様と申し上げる。しかし、重力に逆らっている航空機等はこのような事が起きても仕方がなく、危険だと申し上げている記事がある。「其れに付けても問題は・・今日の雨・・傘が無い・・では無く時間が無い・・」というTitleで「車が空を飛んでも意味は無いが、航空機が空を飛ぶという事も、とても危険で科学力が無いという事。ちょっと見で・・航空機のコックピット一つとってもpilotの頭の上は・・まあ、綺麗と言えば綺麗だが・・実にたくさんの計器類やswitchがあり過ぎて・・?」また、別の記事では、「自衛隊の船が座礁しているlevelである事も申し上げているが、けなしているのではなく、心配をしたという事である」其れでは、宇宙空間に於いては、飛行では無く、「移動する」という意味合いの言語で、機体では無く船という意味合いの言語で、船と称しても空間には海は無い。沈む事は有り得ない。安全極まりないという事です。また、別の記事では、「cockpitでは無く、第三の彼の頭脳内で幾つかの、ページに似たようなものを意思で操作するのでミスは無い。身体の一部の様なものと考えて良いが、頭脳の容量は比較にならないので、前述のページというものなどが無数に存在する頭脳」まあ、理解はしなくて結構)
「by europe123 piano・E,piano」
https://youtu.be/K2baVzlE3to
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ooo3280325 邦題 音
彼が音の聞こえない周波数に付き・・。