檸檬とコーラフロート
高校生の一時期、私は不摂生のため睡眠のリズムが乱れ、ノイローゼ気味になったことがある。今でいう欝病なのだろうか。朝起きられないため遅刻も多かったし、遅刻しないで行っても授業中寝てしまう。何をするにもだるくて面倒だった。集中力もなくなった。勉強も嫌。人と話すのも面倒。何もかも嫌。このままでは駄目なんだろうとは思ったが、この状態を治すのも面倒だった。病院へ一回行ったが異常がないと言われたので、それ以上親もどうしようもなかったらしい。周りの心配をよそに私は全てのことがどうでもいいと投げやりな態度だった。そんなとき現国の授業で梶井基次郎の『檸檬』を読んだ。
『えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか。酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また脊を焼くような借金がいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせて貰いにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を放浪し続けていた』
ピンと来るものがあった。これ今の私の心情だよなぁと思った。以前好きだった音楽も聴くに耐えなくなっていたのも同じ。かって私の心を捉えていたものは急激にその魅力を失っていた。睡眠欲を除いた全ての欲望が私の中から消えていた。
『何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしても他所他所しい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。中略 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは云えそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰める為には贅沢ということが必要であった。二銭や三銭のものと云って贅沢なもの。美しいもの。と云って無気力な私の触角に寧ろ媚びて来るもの。そう云ったものが自然私を慰めるのだ』
『生活がまだ蝕まれていなかった以前の私の好きであった所は、例えば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水瓶。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費やすことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。然し此処ももうその頃の私にとっては重苦しい場所にすぎなかった。書籍、学生、勘定台、これはみな借金取の亡霊のように私には見えるのだった。ある朝 その頃私は甲の友達から乙の友達へという風に友達の下宿を転々として暮らしていたのだが、友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまた其処から彷徨い出なければならなかった。何かが私を追い立てる』
全部抜粋できなくて残念だが、そのあと八百屋の記述になる。
『その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。其処は決して立派な店ではなかったのだが、果物や固有の美しさが最も露骨に感じられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗りの板だったように思える。何か華やかな美しい音楽の快速調(アツレグロ)の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったという風に果物は並んでいる』
その店はとくに夜が美しい。廂が目深に被った帽子の廂のようになっていて、回りが真っ暗なため、店頭につけられた電灯に照らされた果物の色彩がすごく映えるのだ。ここも梶井はすばらしい描写をしているのだが、長くなりすぎるので省く。主人公はその店で檸檬を買う。
『一体私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の格好も。中略 始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んできたとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗かった憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされる。或いは不審なことが、逆説的な本当であった。それにしても心というやつは何という不思議なやつだろう。その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖を悪くしていていつも身体に熱が出た。中略 その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。中略 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと云いたくなった程私にしっくりしたなんて私は不思議に思える』
両親は気晴らしにと私を比叡山に連れて行ってくれた。ドライブ自体は特別楽しいとかいうものではなかった。ただ山頂のレストランで飲んだコーラフロートの味が忘れられない。まず生まれて初めてということもあったのだろうが、口にする順番を間違えるとこぼれてしまうことが面白かったし、あのシュワっと鼻腔に来る感じ、バニラアイスとコーラの意外な相性の良さなど、私の眠っていた欲望を起こすような新鮮な何かがあったのだ。
梶井にとっての檸檬が私にとってのコーラフロートだった。今でも私はコーラフロートが好きだ。塞ぎこんでるときにまず飲みたいなと思うのがコーラフロートなのだ。それにしても私にとって梶井基次郎との出会いは幸運であったと思う。あの頃のもやもやとした感情を『檸檬』を読むことによって整理できたし、自分だけではないのだと心強く感じた。いや、コーラフロート以上に梶井基次郎の作品自体が私にとっての「檸檬」なのだろう。
もう十数年も前になるが、あの丸善で梶井基次郎展というのが開催されたことがある。梶井の生原稿が見たくて私も丸善に出かけた。梶井に気詰まりな丸善といわれ、檸檬の爆弾を仕掛けられたのに、丸善もなかなか憎いことをしてくれる。梶井の字は思ったとおりとても繊細な字だった。感動して涙が出そうになったことを覚えている。
また私は作品に出てくる八百屋まで出かけ檸檬を買った。そこはもう昔の面影はない。ガラス張りの今風のお洒落な八百屋に変わってしまっている。寺町を歩きながら、あの梶井基次郎も歩いたのだと思うと、感慨深かった。そこで買った檸檬を丸善に置いてくる勇気は私にはなかった。でもたまに丸善の売り場に檸檬が置かれていたことがあったという。梶井基次郎ファンの仕業であることに間違いないだろう。その丸善も業績不振で今は営業していない。閉店になる際に、丸善は来てくれたお客さんに檸檬を配るという新聞記事を読んだ。「やるなぁ。さすが丸善」と思った。また営業再開をしてもらいたいと願っている。
檸檬とコーラフロート